平家物語 巻第八 緒環 原文

名虎 平家物語
巻第八
緒環/小手巻
おだまき
異:宇佐行幸
太宰府落

 
 (さる程に、筑紫には内裏つくるべきよし沙汰ありしかども)平家は筑紫に都を定めて、内裏造らるべしと、公卿詮議ありしかども、都もいまだ定まらず。
 

 主上は岩戸の少卿大蔵種直が宿所にぞおはしける。人々の家々は、野中田中なりければ、麻の衣はうたねども、十市の里ともいつつべし。内裏は山の中なれば、かの木丸殿もかくやありけんと、なかなか優なる方もありけり。
 やがて宇佐の宮へ行幸なる。大宮司公通が宿所皇居となる。社頭は月卿、雲客の居所になる。回廊は五位、六位の官人、庭上には四国、鎮西の兵ども、甲冑、弓箭を帯して、雲霞のごとく並みゐたり。旧りにし丹の玉垣、再び飾るとぞ見えし。かくて七日参籠の暁、大臣殿の御ために、夢想の告げぞありける。
 御宝殿の御戸押し開き、ゆゆしうけだかげなる御声にて、
 

♪69
 世の中の うさには神も なきものを
  心づくしに なに祈るらん

 
 大臣殿うち驚き、胸うち騒ぎ、あさましさに、
 

♪70
 さりともと 思ふ心も 虫の音も
  弱り果てぬる 秋の暮れかな

 
 といふ古歌を心細げにぞ口ずさみ給ひける。さて太宰府へ還幸なる。
 

 さるほどに、九月も十日余りになりぬ。荻の葉むけの夕嵐、独り丸寝の床の上、片敷く袖もしをれつつ、更けゆく秋のあはれさは、いづくもとは言ひながら、旅の空こそ忍び難けれ。
 九月十三夜は、名を得たる月なれども、その夜は都を思ひ出づる涙に、我から曇りて、さやかならず。九重の雲の上、久方の月に思ひを述べしたぐひも、今のやうにおぼえて、薩摩守忠度、
 

♪71
 月を見し 去年の今夜の 友のみや
  都に我を 思ひ出づらん

 
 修理大夫経盛、
 

♪72
 恋しとよ 去年のこよひの 夜もすがら
  契りし人の 思ひ出でられて

 
 皇后宮亮経正、
 

♪73
 わけてこし 野辺の露とも 消えずして
  思はぬ里の 月を見るかな

 
 

 豊後国は、刑部卿三位頼輔卿の国なりけり。子息頼経朝臣を代官に置かれたり。
 京より頼経のもとへ、「平家は神明にも放たれ奉り、君にも捨てられ参らせて、帝都を出で、波の上に漂ふ落人となれり。然るを、九州の者どもが請け取つて、もちあつかふらんこそ然るべからね。当国においては随ふべからず。一味同心して追出し奉れ」と宣ひ遣はされたりければ、これを当国の住人、緒方三郎維義に下知す。
 

 かの維義は、恐ろしき者の末にてぞありける。
 

 例へば、豊後国のある片山里に女ありき。ある人のひとり娘、夫もなかりけるもとへ、男夜な夜な通ふほどに、身もただならずなりぬ。母これを怪しみて、「汝がもとへ通ふ者は何者ぞ」と問ひければ、「来るをば見れども、帰るを知らず」とぞ言ひける。
 「さらば男の朝帰りせん時、標を付けて見よ」とぞ教へける。娘、母の教へに従つて、朝帰りしける男の、水色の狩衣を着たりける狩衣の首上に針を刺し、しづの小手巻といふ物を付けて、経て行く方をつないで見るに、豊後国にとつても日向の境、優婆岳といふ嵩の裾、大きなる岩屋の内へぞつなぎ入れたり。
 女、岩屋の口に佇んで聞きければ、大きなる声してにえびければ、「童こそこれまで尋ね参りたれ。見参せん」と言ひければ、「我はこれ人の姿にはあらず。汝我が姿を見ては肝魂も身に添ふまじきぞ。ただとう帰れ。汝が胎める所の子は男児にてあるべし。弓矢、打ち物取つては、九州二島に肩を並ぶる者もあるまじきぞ」とぞ教へける。
 女重ねて、「たとひいかなる姿にてもあらばあれ、日頃の好しみいかでか忘るべきなれば、ただ見参せん」と言ひければ、さらばとて、岩屋の内に、臥長は五六尺ばかりにて、跡枕辺は十四五丈もあるらんとおぼゆる大蛇にて、動揺してぞ這ひ出でたる。女肝魂も身に添はず、引き具したりける十余人の所従等、をめき叫んで逃げ去りぬ。狩衣の首上に刺すと思ひし針は、大蛇の喉笛にぞ立つたりける。
 女帰つてほどなく産をしたりければ、男子にてぞありける。
 母方の祖父、「育ててみん」とて育てけるに、いまだ十歳にも満たざるに、勢大きに顔長かりけり。七歳にて元服せさせ、母方の祖父を大太夫といふ間、これをば大太とこそ附けたりけれ。夏も冬も手足に胝隙なく破りければ、胝大太とぞ申しける。
 維義は胝大太には五代の孫なり。かかる恐ろしき者の末にてありければ、国司の仰せを院宣と号して、九州二島に廻文をしければ、然るべき者どもは維義に皆随ひ付く。
 件の大蛇は、日向国に崇められ給ふ、高知尾明神の神体なり。
 

名虎 平家物語
巻第八
緒環/小手巻
おだまき
異:宇佐行幸
太宰府落