平家物語 巻第四 競:概要と原文

信連 平家物語
巻第四

きおう
(きほふ・きをほ)
山門牒状

〔概要〕
 
 源頼政が以仁王と謀反を起こした理由は、平宗盛(清盛の次男)が頼政の息子の源仲綱の名馬を奪い、仲綱という焼き印をして乗り回し、屈辱を与えたからである。その仕返しに、仲綱の家来渡辺競が宗盛から白馬をだましとり、宗盛という焼き印が押され、宗盛は激怒したがその印は消えなかった。

 


 
 さるほどに、宮は高倉を北へ、近衛を東へ、賀茂川を渡らせ給ひて、如意山へ入らせおはします。
 昔、浄御原の天皇の今だ東宮の御時、賊徒に襲はれさせ給ひて、吉野山へ入らせ給ひけるにこそ、乙女の姿をば仮らせ給ひけるなれ。今この宮の御有様も、それには少しも違はせ給ふべからず。知らぬ山路を、夜もすがら分け入らせ給ふに、いつ習はしの御事なれば、御脚より出づる血は、砂ごを染めて紅のごとし。夏草の茂みが中の露けさも、さこそは所せう思し召されけめ。
 

 かくして暁方に三井寺へ入らせおはします。
 「かひなき命の惜しさに、衆徒を頼んで入御あり」と仰せければ、大衆大きに畏まり喜んで、法輪院に御所をしつらひ、それへ入れ奉て、形のごとくの供御したてて参らせけり。
 

 明くれば十六日、高倉宮の御謀叛起こさせ給ひて失せさせ給ひぬと申すほどこそありけれ、京中の騒動なのめならず。法皇これを聞こし召して、「鳥羽殿を御出であるは御喜びなり。並びに御歎きと泰親が勘状を参らせたるは、これを申しける」とぞ仰せける。
 

 (今三日か内の御喜びとは法皇の鳥羽殿を出ださせ給ふ御事並びに御歎きとは泰親これを考へ申すなりける。さるほどに高倉の宮こそ御謀叛起こさせ給ひて、三井寺へ落とさせましますぞやとて京中六波羅ひしめけり。)
 
 そもそも源三位入道頼政、年ごろ日ごろもあればこそありけめ、今年いかなる心にて謀叛をば起こされけるぞといふに、平家の次男宗盛卿、不思議の事をのみし給へり。されば人の世にあればとて、すずろにいふまじき事を言ひ、すまじき事をもするは、よくよく思慮あるべき事なり。
 

 たとへば、三位入道の嫡子伊豆守仲綱のもとに、九重に聞こえたる名馬あり。鹿毛なる馬の、乗り、走り、心むき、またあるべしともおぼえず、並びなき逸物、名をば木の下とぞ言はれける。
 宗盛卿使者を立てて、「聞こえ候ふ名馬を賜はつて、見候はばや」と宣ひつかはされたりければ、伊豆守の返事には、「さる馬は持つて候ひつれども、このほどあまりに乗り疲らかして候ひつる間、しばらく労らせんがために、田舎へ遣はして候ふ」と申されければ、「さらんには力及ばず」とて、その後は沙汰もなかりしを、多く並みゐたりける平家の侍ども、「あはれその馬は一昨日までは候ひし」「昨日も候ひつる」「今朝も庭乗りし候ひつるものを」と申しければ、
 「さては惜しむごさんなれ。憎し。乞へ」とて、侍して乞はさせ、文などして遣はし、一日が内に五六度七八度など乞はれければ、三位入道これを聞き、伊豆守に向かつて宣ひけるは、「たとひ金をまろめたる馬なりとも、それほど人の乞はうずるに惜しむべきやうやある。すみやかにその馬六波羅へ遣はせ」とこそ宣ひけれ。
 伊豆守力及ばで、一首の歌を書き添へて、六波羅へ遣はす。 
 

♪23
 恋しくば 来ても見よかし 身にそふる
  かげをばいかが はなちやるべき

 
 宗盛卿、まづ歌の返事をばし給はで、「あはれ馬や。馬はまことによい馬でありけり。されども余りに主が惜しみつるが憎きに、やがて主が名乗りを金焼にせよ」とて、仲綱といふ金焼をして、厩に立てられけり。
 客人来たつて、「聞こえ候ふ名馬を見候はばや」と申しければ、「その仲綱めに鞍置いて引き出せ」「仲綱め打て」「乗れ」なんどぞ宣ひければ、
 伊豆守この由を伝へ聞き給ひて、「身にかへて思ふ馬なれども、権威について取らるるだにあるに、あまつさへ仲綱が馬ゆゑ天下の笑はれぐさとならんずる事こそ安からね」と大きに憤られければ、
 三位入道これを聞いて伊豆守に向かつて、「なんでふ事のあるべきと思ひあなづつて、平家の人どもが、かやうの痴れ事をするにこそあんなれ。その儀ならば、命生きても何にかはせん。便宜を窺ふでこそあらめ」とて、私には思ひも立たず、高倉宮を勧め申したりけるとぞ、後には聞こえし。
 

 これにつけても、天下の人、小松の大臣の御事をぞ偲び申しける。
 ある時、小松殿参内のついでに、中宮の御方へ参らせ給ひたりけるに、八尺ばかりありける蛇の、大臣の指貫の左の輪を這ひ回りけるを、重盛騒がば、女房達も騒ぎ、中宮も驚かせ給ひなんずと思し召し、左の手に蛇の尾を押さへ、右の手で頭を取り、直衣の袖の中へ引き入れ、ちつとも騒がず、つい立つて、「六位や候ふ、六位や候ふ」と召されければ、伊豆守、その頃は今だ衛府の蔵人でおはしけるが、「仲綱」と名のつて参られたるに、この蛇を賜ぶ。
 給はつて弓場殿を経て、殿上の小庭に出でつつ、御倉の小舎人を招いて、「これ給はれ」と言はれければ、大きに頭をふつて逃げ去りぬ。力及ばで、我が郎等競の滝口を召してこれを賜ぶ。賜はつて捨ててんげり。
 その朝、小松殿よりよい馬に鞍置いて、伊豆守のもとへ遣はすとて、「さても昨日の振舞ひこそ、優に候ひしか。これは乗一の馬で候ふ。夜陰に及んで、陣外より傾城のもとへ通はれん時、用ひらるべし」とて遣はさる。
 伊豆守、大臣の御返事なれば、「御馬畏まつて給はり候ひぬ。昨日の御振舞ひは、還城楽にこそ似て候ひしか」とぞ申されける。
 

 いかなれば、小松殿は、かやうに優なるためしもおはせしぞかし、この宗盛卿は、さこそなからめ、あまつさへ惜しむ馬乞ひ取つて、天下の大事に及びぬるこそうたてけれ。
 

 さるほどに、同じき十六日の夜に入つて、源三位入道頼政、嫡子伊豆守仲綱、次男源大夫判官兼綱、六条蔵人仲家、その子蔵人太郎仲光以下、都合その勢三百余騎、館に火かけ焼き上げて、三井寺へこそ参られけれ。
 

 ここに三位入道の年ごろの侍に、渡辺源三滝口競といふ者あり。
 馳せ後れて留まりたりけるを、前右大将宗盛卿、競を召して、「など汝は、相伝の主、三位入道が供をばせで留まつたるぞ」と宣へば、競かしこまつて申しけるは、「自然の事候はば、真つ先かけて命を奉らんと日ごろは存じて候ひつれども、何と思はれ候ひけるやらん、今度はかうとも仰せられ候はず候。」
 「そもそも朝敵頼政法師に同心せんとや思ふ。またこれにも兼参の者ぞかし。先途後栄を存じて、当家に奉公致さうとや思ふ。ありのままに申せ」とこそ宣ひけれ。
 競涙をはらはらと流いて、「たとひ相伝の好しみ候ふとも、いかんが朝敵となれる人に同心ををばつかまつり候ふべき。殿中に奉公致さうずる候ふ」と申しければ、「さらば奉公せよ。頼政法師がしけん恩には、ちとも劣るまじきぞ」とて入り給ひぬ。
 朝より夕べに及ぶまで、「競はあるか」「候ふ」「あるか」「候ふ」とて伺候す。
 

 日もやうやう暮れければ、大将出でられたり。畏まつて申しけるは、「三位入道殿は、三井寺にと聞こえ候ふ。定めて討手向けられ候はんずらん。心憎うも候はず。三井寺法師、さては渡辺の親しい奴ばらこそ候ふらめ、まかり向かつてえり討ちなどもつかまつるべきにて候ふが、乗つて事にあふべき馬を持つて候ひつるを、親しい奴めに盗まれて候ふ。御馬一匹下し預かるべうや候ふらん」と申しければ、大将、「もつともさるべし」とて、白葦毛なる馬の、煖廷とて秘蔵せられたりけるに、よい鞍置いて競に賜ぶ。
 競屋形に帰つて、「はや日の暮れよかし、煖廷にうち乗つて三井寺へ馳せ参り、入道殿の真つ先かけて討ち死にせん」とぞ申しける。
 

 日もやうやう暮れければ、妻子どもをばかしこここに立ち忍ばせて、三井寺へと出で立ちける心の中こそ無慚なれ。狂紋の狩衣の菊綴ぢ大ほきらかにしたるに、重代の着背長、緋縅の鎧に星白の甲の緒をしめ、いか物作りの太刀をはき、二十四さいたる大中黒の矢負ひ、滝口の骨法忘れじとや、鷹の羽で作いだりける的矢一手ぞさし添へたる。滋籐の弓もつて、煖廷にうち乗り、乗りかへ一騎うち具し、舎人男に持楯脇挟ませ、屋形に火かけ焼き上げて、三井寺へこそ馳せたりけれ。
 

 六波羅には、競が屋形より火出で来たりとてひしめきけり。
 宗盛卿急ぎ出でて、「競はあるか」と尋ねらるれば、「候はず」と申す。
 「すは奴めを手延べにして、たばかられぬるは。あれ追つかけて討て、者ども」と宣へども、競は勝れたる強弓精兵、矢継ぎ早の手だれなり。「二十四さいたる矢では、まづ二十四人は射殺されなんず。音なせそ」とて、続く者こそなかりけれ。
 

 ただ今しも三井寺には競が沙汰ありけり。
 渡辺党、「競を召し具すべう候ひつるものを。六波羅に残り留まつて、いかなるうき目にかあひ候ふらん」と申しければ、三位入道、を知つて、「よもその者無台に囚へからめられはせじ。入道に心ざし深き者なり。見よ、ただ今参らうずるぞ」と宣ひも果てねば、競つつと参りたり。「さればこそ」とぞ宣ひける。
 競かしこまつて申しけるは、「伊豆守殿の木の下が代はりに、六波羅の煖廷をこそ取つて参つて候へ。参らせ候はん」とて奉る。
 伊豆守なのめならず喜び給ひて、やがて尾髪を切り、金焼きをして、その夜六波羅へ遣はし、夜半ばかり門の内へぞ追ひ入れたり。厩にいつて、馬どもと噛ひ合ひければ、その時舎人驚き合ひ、「煖廷が参つて候ふ」と申す。宗盛卿急ぎ出でて見給へば、「昔は煖廷、今は平宗盛入道」といふ金焼をこそしたりけれ。
 大将、「安からぬ競めを斬つて捨つべかりけるものを、手延べにしてたばかられぬる事こそやすからね。今度三井寺へ寄せたらんずる人々は、いかにもして競めを生け捕りにせよ。鋸で首を切らんずるに」とて躍り上がり躍り上がり怒られけれども、煖廷が尾髪も生ひず、金焼もまた失せざりけり。
 

信連 平家物語
巻第四

きおう
(きほふ・きをほ)
山門牒状