古事記 思国歌(くにしびの歌)~原文対訳

三重の由来 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
倭建の歌物語
7 思国歌
片歌
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

能煩野

     
自其幸行而。  そこより幸でまして、  其處からおいでになつて、
到能煩野之時。 能煩野のぼのに到ります時に、 能煩野のぼのに行かれました時に、
思國以
歌曰。
國思しのはして
歌よみしたまひしく、
故郷をお思いになつて
お歌いになりましたお歌、
     

ヤマトは国のまほろば

     
夜麻登波 倭やまとは 大和は
久爾能麻本呂婆 國のまほろば、 國の中の國だ。
多多那豆久 たたなづく 重かさなり合つている
阿袁加岐 青垣、 青い垣、
夜麻碁母禮流 山隱ごもれる 山に圍まれている
夜麻登志宇流波斯 倭し美うるはし。 大和は美しいなあ。
     

命の全またけむ人

     
又歌曰。  また、歌よみしたまひしく、  
     
伊能知能 命の 命が
麻多祁牟比登波 全またけむ人は、 無事だつた人は、
多多美許母 疊薦たたみこも  大和の國の
幣具理能夜麻能 平群へぐりの山の 平群へぐりの山の
久麻加志賀波袁 熊白檮くまかしが葉を りつぱなカシの木の葉を
宇受爾佐勢 髻華うずに插せ。 頭插かんざしにお插しなさい。
曾能古 その子。 お前たち。
     
    とお歌いになりました。
此歌者。
思國歌也。
 この歌は
思國歌くにしのひうたなり。
この歌は
思國歌くにしのびうたという名の歌です。
三重の由来 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
倭建の歌物語
7 思国歌
片歌