紫式部日記 4 しめやかなる夕暮に 逐語分析

女郎花・白露の歌 紫式部日記
第一部
三位の君頼通
碁の負けわざ
目次
冒頭
1 しめやかなる夕暮に
2 年のほどよりは
3 うちとけぬほどにて
4 かばかりなる事の

 

原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉

1

 しめやかなる夕暮に、 〈夜露も近く〉
しっとりとした夕暮れ時に、
〈前段「白露」からも夜露を念頭に置く。独自〉
宰相の君と二人、 宰相の君と二人して、 【宰相の君】-中宮付きの女房。藤原豊子。大納言道綱の娘。〈蜻蛉日記の藤原道綱母の孫。この人が道長の次に出てくるのはその関係を尊重した関係と見る。独自。全注釈は遠い血縁・高齢夫の共通性等挙げるが後付け〉
物語してゐたるに、 話をしていたところに、  
殿の
三位の君、
殿の御子息頼通の
三位の君が、
【殿の三位の君】-底本「とのゝうち殿三位の君」の「うち殿(宇治殿)」は後人の傍注の本文混入。諸本「殿の三位の君」と校訂する。道長の長男頼通。十七歳。
簾のつま引き上げて 御簾の端を引き上げて  
ゐたまふ。 局の前にお座りになる。 これ自体極めて不躾な行為であることを通説は無視するが、それを示すため「二人物語してゐたる」とする〉

2

年のほどよりは 〈年のほどよりは ×年齢のわりには〈紫式部が30後半で、頼道より約20歳年上。子供〉
いと大人しく、 とても大人らしく装い ×とても大人っぽく、
心にくきさまして、 これみよがしな様子にして〉

×【奥ゆかしい態度で

〈美称にするのが通説だが、文脈総体「恥ずかしげ」「その折はをかしき」「過ぎぬれば忘るる」「いかなるぞ」に反し不適当。この語の本質は、これみよがしな若い振舞いを「良いね~、憎い(若さが羨ましい)ね~」とする皮肉、からかいにある。また年長の受けを狙ってくる言動にも、その狙いを見透かしていう〉

はなほ 「〈人はやはり〉

×女性は何といっても

〈女性に限定する必然がなく、限定したなら自分を棚に上げる思い上がり〉

心ばへこそ、 人に褒められる心こそ肝要だが

×気立てが大切ですが、
〈男からの一方的評価にする訳は男目線過ぎて不適当。「人」は非限定だからむしろ男(man)よりで、自分の心構えを言ったと見るのが本来の「心ばえ」。

心ばえ:人に褒め称えられる心。末尾「物語にほめたる」は私はほめてないという皮肉。「ばえ」は最近の用語・ばえと同じで、見た目が良く人の目に良く映る様で、軽く言うと軽薄な若者の暗喩になる〉

難きものなめれ」 難しいものだろうよ〉

△やはりめったにいないもののようですね】

〈ドヤ「すばらしき若!」これが御用系マインド

なめり=なり断定+めり推量めれ。こそ已然係り結び

これはお前が言うなの自分ブーメラン状態。しかしその「その折はをかしき」(末尾)が分からず礼賛一辺倒の学説。これが世襲万世国のおかしさ〉

など、 などと、  
世の物語、 世間話を、  
しめじめとして しんみりとして  
おはするけはひ、 いらっしゃる感じが、  
幼しと 〈幼いと 【まだ若いと
人の
あなづりきこゆるこそ
人々が
あなどり申し上げるのは

あなどり申し上げるのは

〈この主体は世間の人々。本段の微妙な言動を悉く美化する通説は、某書記の横に並んだ人達のメモと同じ中身〉

悪しけれと 悪い(失礼)だろうと
(思っていたが

×間違っていると、

〈通説はこの「悪し」を「間違っている」とするが、道長礼賛に結び付けるための恣意的な拡大解釈で、これは前段の道長発言「遅くては悪ろからむ」と対になり失礼の意味。

「けれと」は順接逆接でも結果皮肉の意味に解せるが、それは「恥ずかしげ」の無理ない理解による。学説は頼道を一方的に讃え、人としてごく自然なまだ子供目線を、実際の外形的言動(直前の道長より強い介入性と「多かる野辺」という侮蔑的単語選び)を含めて無視矮小化する点に論理的瑕疵がある〉

恥づかしげに見ゆ。 実際面前で見ると見ている
こちらが恥ずかしくなるほど幼く)
本人は懸命に装ってるように見える〉
 こちらが恥ずかしくなるほど立派に見える。】
〈これも道長同様、通説は自然な語順・語意に抗い、真逆の「立派」を補い、紫式部が恐縮するほど恥じたことにする。しかしそのような見立ては、幼いと世に侮られていたと認識された二世が二人で話していた女の簾を引き上げ前に座ってきて心のあり方を垂れてきた描写、末尾で「その折はをかしきこと」「過ぎぬれば忘るる」と明示する文脈にも反する。これが権力男本位学説典型の背理。このような恣意的集団定義を古文の解釈と皆勘違いしているが、それは解釈ではなくドグマ(教義)〉

3

うちとけぬ
ほどにて、
うちとけた感じにならない〈とわかった〉
ところで
 
多かる野辺に 〈女どもが多い野卑な所に
(寄るとこれだから困る)〉

△「たくさん女郎花が咲いている野辺で」
【多かる野辺に】-「女郎花多かる野辺に宿りせばあやなくあだの名をや立ちなむ」(古今集秋上 小野良材)による。

〈「多かる野辺」は意図的に女性を馬鹿にした捨て台詞。「多かる」で個性を否定、「野辺」で野卑な辺境(特に京では侮辱)。前提の「女郎」で低い身分(宿で色町)を揶揄。

 ここでも通説はこれ自体の女性(まして貴族子女)への強い侮辱性(独自)を無視する。というよりそういう視点自体がない。それがジェンダーギャップ最凶クラスの国〉

とうち誦じて、 とちょっと口ずさみなさって、  
立ちたまひにし
さまこそ、
お立ちになった
様子は、
 
物語にほめたる 物語の中でほめたたえている 〈意味:まあ一丁前のことも一丁前に言えるのね〉
男の心地し 男性の気持ちがした 〈裏返すと、式部は褒めてないし、女の心地は考えてない〉
はべりしか ことであった〈かどうだったか〉 〈はべりしか:疑問反語。末尾「いかなるぞ」と対になる。通説はこれを感嘆に解するが、感嘆する根拠は微妙な文言を曲げて立派と補い、「多かる野辺」のネイティブ的意味を解せず、男目線で礼賛とみなしたことしかない〉

4

 かばかりなる事の、  このような事で、  
うち思ひ出でらるるもあり、 ふと思い出されることもあり〉 ちょっと思い出されるものがあって
その折はをかしきことの、 その時はおもしろかったことでも、  
過ぎぬれば
忘るるもあるは、
時がたつと
忘れてしまうこともあるのは、
 
いかなるぞ。 どうしたことであろうか。

〈実際どうでもいい・褒めてないという念押し。

「(人の記憶なんて一体どうなっているのかしら)」(全注釈)という説は、紫式部の知性を自分達と同じにみなした見方〉