古事記 幼稚なホムチのワケ~原文対訳

サホ姫の遺言 古事記
中巻④
11代 垂仁天皇
ホムチワケの物語
①幼稚なホムチのワケ
和那美之水門
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

二俣=二股と掛け

     
故率遊
其御子之
状者。
 かれその御子を
率ゐて
遊ぶ状さまは、
 かくてその御子を
お連れ申し上げて
遊ぶ有樣は、
在於
尾張之相津。
尾張の相津なる 尾張の相津にあつた
二俣榲。 二俣榲ふたまたすぎを 二俣ふたまたの杉をもつて

二俣小舟而。
二俣小舟ふたまたをぶねに
作りて、
二俣の小舟を
作つて、
持上來以。 持ち上り來て、 持ち上つて來て、

倭之市師池。
輕池。
倭やまとの
市師いちしの池
輕かるの池に浮けて、
大和の
市師いちしの池、
輕かるの池に浮べて
率遊其御子。 その御子を率ゐて遊びき。 遊びました。
     

あぎ(アレと解く、その心は言えません)

     
然是御子 然るにこの御子、 この御子は、
八拳鬚
至于心前。
八拳鬚心前
つかひげ
むなさきに至るまでに
長い鬢が
胸の前に至るまでも
眞事登波受。
〈此三字以音〉
ま言こととはず。 物をしかと仰せられません。
故今
聞高往
鵠之音。
かれ今、
高往く
鵠たづが音を聞かして、
ただ大空を
鶴が鳴き渡つたのを
お聞きになつて
始爲
阿藝登比。
〈自阿下
四字以音〉
始めて
あぎとひ
たまひき。
始めて
「あぎ」と
言われました。
サホ姫の遺言 古事記
中巻④
11代 垂仁天皇
ホムチワケの物語
①幼稚なホムチのワケ
和那美之水門