紫式部日記 原文対訳 全文

    古典の改め
紫式部日記
和歌抜粋

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏による校訂原文・現代語訳・目次構成を統合し、レイアウトを整えた(全文使用許可あり)。底本は最善とされる黒川本。

 
 目次及び、和歌一覧18首はこちらから。

 

 以下の当サイトによる概要分析は多少量があるので、日記本体を見たい方は上の目次のリンクから飛んでほしい。

 

 日記の時系列1008~1010年は、結婚・出産・夫の死を経て源氏物語完成とされる頃で、大体30代後半で自分の世界が強く固まった、いわゆる「お局」の頃(紫式部の生没年は固まってないが、概ね970年代前半~1010年代後半とされ、つまり紫式部の晩年)。本日記の同僚女房達への辛辣な批判は、お局イメージと合致するかもしれない。それに対し道長親子を全力で賛美したと見るのが男性支配学界の限界。しかし紫式部は、上流貴族皇族を徹底して滑稽に描いた竹取を物語の祖と讃えている。古文の世界は総じて男達の思い込みで文言を曲げる。それで道長との愛人関係は常識とかいう俗説がはびこっている。それは解釈と称し素人相手に吹き込んだ風説に過ぎない。愛人なら最後に夜に戸を叩いてきた人をなぜ恐ろしさで拒む。その日記最後の和歌の人を道長とするのが通説。道長様とわかったなら戸を開けたのに~とでも言うつもりか。恐ろしく戸を開けない(コラあけろや!の類)と書いてあるのに愛人とすること自体、頭大丈夫か的解釈。

 癒される伴侶なく(彼女は親ほどの夫の死後、若い美男子の物語を延々書いた後にその才能が買われ)宮中に出仕し、私生活が露出した仮住まいは非常なストレスであったことだろう(この時代女子の平均寿命40歳(男50)とされながら后で70近くまで生きた例もあることが、物心の負担を裏付けている)。源氏物語に記された篤い霊的信仰と高度の教養から、作品を遺すことが天命と信じていたと思う。

 

 
紫式部日記・概要
概要と意義:公的な物語調日記⇔私的な式部集:竹取・伊勢(独自)
道長の描写:竹取の帝的強迫性+道長息子:竹取の貴公子的滑稽さ
×道長光源氏モデル説:根拠薄弱な感覚論(一面的な思い込み)
+公任:宴席で調子に乗って若紫と声をかけてきて無視された不〇工
和泉式部と清少納言:上記宮中観察の一環(現実の宮中に夢はない)
紫式部の車

概要と意義:公的な日記⇔私的な紫式部集:竹取・伊勢(独自)

 

 本日記は藤原道長を中心とした平安時代最盛期1008~1010年の宮中(道長の娘・彰子の親王出産等)を描き、文字数約3万5千、括弧句読点除き3万2千字。同時期の和泉式部日記(1003年4月〜1004年1月)の2万字前後に比して倍近いが、和歌は少なく18首のみ(源氏物語795首、和泉式部日記147首)。

 これは紫式部が日記を当時の男的に仕事に関する記録として記し、和歌はあえて絞ったものと解され、他方で簡潔な私的歌集の紫式部集は126首となり、和泉式部の恋愛日記147首と大体同数となる。つまり和歌の本質は、万葉1・竹取・伊勢初段以来、男女のプライベートツールで、特定者間の暗語(大和4段末尾参照)。

 

 ここで公的とは、基本人前にふれる宮中・仕事場関係という意味で、私的とは、仕事とは関係ない純粋な私生活関係・プライベート(みだりに公開できない)という意味である。

 個人的感想を記しているから私的というのは、目先のつまり個別下位レベルの論理であって、より上位の包摂的論理(大きなテーマ)から見れば、蜻蛉日記(夫婦問題と息子の成長記録)・和泉式部日記(恋愛)・更級日記(人生回顧)の主題と比較すると、宮中・道長を中心に描いた本日記は公的日記、ということは疑いをいれる余地がないだろう。男の貫之の土佐日記(赴任記録)より端的に公的ですらある(公の最狭義は朝廷)。

 

 そしてこれは独自説だが、紫式部日記と紫式部集(18首・126首)は、源氏物語の絵合で勝利させた竹取・伊勢(15首・125段209首)と素材・歌数・描写の客観性・主観性でパラレルになっている。

 

 源氏物語も虚構性と必ず一巻一首以上含む歌物語性という形式分類に着目し、竹取・伊勢の融合とするのが一般的な評価だが、この両作品の影響は以下に示すように、そのような表面的形式分類にとどまらず、紫式部全作品の精神的根幹を形成するものである。

 

道長の描写:竹取の帝的強迫性(道長息子:竹取の貴公子的滑稽さ)

 

 本日記でも、道長が紫式部の朝の寝起きなのに渡殿の戸口の局の屏風越しに押しかけてきたり、またある夜に紫式部が身を隠した屏風を取り払って怯えさせるなど、その後一応和歌を要求するものの、竹取物語の帝的狼藉に出る。これらはいずれも長文の日記で数少ない和歌を伴う重要な描写。しかも道長の和歌は三首しかない内の二首がこうした強迫的内容。

 この観点からすると、道長最後の残り一首面前で「好きもの」と言ってきた直後、日記最後の和歌で夜に渡殿の戸を叩いてくる人は、殿たる道長で、同意ない夜這い行為。

 つまり、日記冒頭・道長が紫式部を渡殿の戸口の局に屏風越しに朝押しかけてくることから始まり、屏風を取り払ってくる恐ろしかるべき夜という一連の強迫的内容、最後のセクハラ(すきものと名にしたてれば見る人の 折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ)、その直後に続く文脈から、日記最後にある和歌で夜渡殿の戸を叩いてきたのは道長という根拠が文脈全体において多角的にありこそすれ、それを否定できる証拠は何もない。

  

 

 日記冒頭の道長とのやりとりの直後、道長の息子の頼通も言い寄ってくる描写が描かれる。

「世の物語しめじめとしておはするけはひ、幼しと人のあなづりきこゆるこそ悪しけれと、恥づかしげに見ゆ」。

 この「恥づかしげ」は、直前の道長にも描かれていたところ(橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを、一枝折らせたまひて、几帳の上よりさし覗かせたまへる御さまの、いと恥づかしげなるに)、この親子のどちらの「恥づかしげ」も、こちら(紫式部)が恥ずかしくなるほど立派としてしまう。わざわざ対にして(ここでは繰り返して)配置している意味を誰も認められない。

 枝を上からさし覗かせてくる様子が、こちらが恥ずかしくなるほど立派とは何か。人として幼稚にしては中々立派と馬鹿にしているのだろうか。

 これが竹取の一般解釈から続く、この国の批判を批判と認めず曲げる大政翼賛会的解釈でもある。

 

 例えば、「はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた」という「思ひ上がり」はこの時代は良い意味なのだと一部は定義するのだが(理由は示されないが恐らく敬語が続いているから)、これが思ひ込みで一部の些末な語尾(付属語)から大意を決め、それを前提に論を展開し続ける古文の典型的な本末転倒の解釈論(他には例えば貫之が女を装ったとする土佐冒頭の通説)。「はなから勘違いなさっている方達」といっても、この勘違いは良い意味にはならない。解釈とは無理なく筋を通すことで、素直な語義や流れを曲げることは曲解で誤った解釈。筋が通らないことを無理に押し通すことは強弁。

 

×道長光源氏モデル説:根拠薄弱な感覚論

 

 以上をもって、道長の光源氏モデル説や、紫式部妾説を退けたい(一人の一部の属性だけ見て主人公モデル性を論じるのは単なる思い込みで、言わば品詞分解して全体像を理解した気になる日本的近視眼的解釈=群盲象を評す)。

 

 学説では、光孝天皇、源融、源高明らが有力な候補で、おまけで業平。通説と言えるものはない。伝統的には源融・光孝が主候補で、源高明はこの二人の内実のなさを埋めるために提唱された代替案に過ぎない。六条に屋敷を構えた源融(源氏の象徴的存在)と光孝という、端的な根拠を持つ人物で問題なければ他人が提唱される理由がないところ、なぜ他説があるかといえば、和歌の圧倒的実力や一世風靡性など内実に弱いからである。したがって、源融・光孝以外の説は生来代替案に過ぎず、副次的に当てはまりそうな人物を挙げているに過ぎない。

 

 これは独自説だが、これらの(代替として出現した高明除く)人物の大本をなす和歌を提供した人物が光源氏のモデルで、それはそのエピソードを遺した伊勢物語の著者であることに何の問題もなく、伊勢・源氏両物語の内容と登場人物に照らし、疑いの余地がないほど多角的かつ完全に証明できるので、興味があれば源氏物語の登場人物のモデル参照。

 

 そうして道長の根拠のなさはどうか。ただただ感覚的。しかし日本らしい追従論。道長に六条の屋敷と源氏性を上回る根拠はあるかといえばない。源氏の和歌は221首もあり、一人で全体の三分の一を占める圧倒的歌人なのに、道長は百人一首にすら選ばれてない。権勢を誇ったことは光源氏の主要素ではない(この時代そんな源氏はいない)。光源氏の第一の要素として権勢をあげるものはないだろう。

 道長説は大河にもなり極めて強力に流布する俗説だが、学説的には上記のように有力ですらなく、見てきた限りでは候補にすら挙げられない。そして学問的に認知されていないからといって、それを上回る強力な根拠がある訳でもない。学説の根拠が弱いために出てきた、一般的な古文解釈的に、ただひたすら何となくそれっぽく寄せていくレベルの感覚論でしかない。だから道長より道長の父の方が源氏の人生に近いとかいう論も出現するのである。

 なぜ源氏性も六条も無視して道長なのか。似てる・似ていないレベルの推論で、世界的知力ある女性の著者を成り上がり権力者に媚びる人物におとしめるのはいい加減改めてほしい。このような見るに堪えない集団素人的こじつけで伊勢物語・業平物語説が通説化したのである。六条院と四季と221首という歌数、登場人物の相関など意味が解らないから無視。源氏物語を象徴する母・桐壺の身分が低く、須磨で無位無官になったのも関係ない(伊勢物語には須磨の段もある)。光と並ぶかがやく日の宮というのにも意味を見れない。これは伊勢の昔男と竹取のかぐや(小町=光を放つ衣通姫のりう)。伊勢昔男は業平こと在五中将ではないから無名の主人公のライバルが頭中将で、絵合で在五物語ではなく伊勢物語と定義し、主人公の名を争い絵を買い漁った中将方を負かし自筆の主人公を勝利させる。繰り返すと源氏は伊勢と竹取の融合というのは、何の争いもない通説。

 

 道長は的外れだから、道長の父親を想定するのは更に的外れ。またそのような推論があること自体、道長説の実にいい加減な論拠を裏付けている。例えると、伊勢物語で業平が無理だから兄の行平と当てるのと全く同じ論理。

 

 また道長関連の俗説から派生する、親密な関係・幼馴染・ソウルメイト設定も全て荒唐無稽でお花畑的なフィクション(なお歳は4~7ほど道長が上で、現代でも無理なのに、まして昔で幼馴染は無理)。

 

 上記の道長の描写で紫式部が妾というなら、定期的に襲えば妾と認定する理屈。これは襲って手籠めにしようとする構図は竹取の帝と同じだが、かぐや姫も紫式部も拒絶しておりそんな理屈は通らない。竹取でも一貫して滑稽な貴族皇族を退け、拒んでも食い下がってきた文脈しかないのに、超展開で文を送り続けたから仲を深めたとか、涙を流したのは名残惜しいからと本気で思えるのが、恐ろしかるべきおじさん本位解釈。

 

 道長はイケメンというのもない。なぜならイケメンを誰より愛して描写した紫式部がその類の描写を道長に一切しないからである。

 権力掌握後、宮中の女房に次々手を出し紫式部も同様にやられたと推測する見方もあるが、強迫的でも一応和歌の要求をかませてくる一連の道長の描写から、女側が断固拒絶できるならそこまでにはならないと思う。いかに道長といえど衆目の前で事に至れないが、道長であれ誰であれ約束のない夜の侵入は強く拒んだ旨、夜に渡殿の戸を叩いてきた人の描写で記録を残したものと思う。本人の記録を無視して推測で彼女を二次的にはずかしめるのはよくない。

 

和泉式部と清少納言

 

 和泉式部について本日記で「歌はいとをかしき」「まことの歌詠みざま」としつつ「さまで心は得じ」とし、それほど(皆が言うほど)ではないという評価。

清少納言については、「したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり」と徹底してけなしており、ここまで書くということは恐らく公の場でけなされたことがある。さらに記述の長さと順序から、当時から和泉式部より影響力が大きかったことの裏返しといえる。でなければ長々言及するまでもない。

 

 心のままに物を書くと筆が走って狂気じみることがある(徒然草「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」)。これがいわば自動書記・高次の霊感で、東西古典、別格の教典・世界的バイブルとなる条件。頭だけで書かれた文章は古典にはならず、頭が足らず心だけで書かれたものはみっともなくなる。古文と和歌は、当時や今の学者が見ればすぐ解る類の文章ではないし(それが貫之の「わづかにひとりふたり」)、むしろ肝心ほど和歌のように絞る。清少納言への一見して分かる長々とした批判は、そこまで頭を使っていない割とどうでもいいことの裏返しでもある。

 

 


 
大目次
第一部 敦成親王誕生記(1008~1009年)
 第一章 寛弘5年 秋~道長・碁・彰子出産・服装
 第二章 冬~誕生祝等(若紫+源氏に似るべき人・恐ろしかるべき夜
 第三章 寛弘6年 春~貴族達の服装・容貌評
第二部 宮仕女房批評記
 第一章 人物和歌批評~和泉式部、赤染衛門、清少納言
 第二章 わが心を自省(日本紀の御局源氏物語
第三部 宮仕生活備忘記
 第一章 寛弘5(1008)5月、土御門邸の法華三十講
 第二章 寛弘5 道長と和歌贈答(源氏物語談)
 第三章 寛弘7(1010)正月 若宮たちの御戴餅
第一部 敦成親王誕生記
第一章 寛弘五年(1008年)秋の記
1 土御門殿邸の初秋の様子
2 五壇の御修法
3 道長との女郎花の歌の贈答
4 殿の子息三位の君頼通の姿
5 碁の負わざ
6 八月二十日過ぎの宿直の様子
7 八月二十六日、弁宰相の君の昼寝姿
8 九月九日、菊の綿の歌
9 九月九日の夜、御前にて
10 九月十日、産室に移る
11 九月十一日の暁、加持祈祷の様子
12 無事出産
13 午後、安堵と男御子誕生の慶び
14 外祖父道長の満足げな様子
15 内裏より御佩刀参る
16 御湯殿の儀式
17 九月十二日、女房たちの服装
18 九月十三日夜、三日の中宮職主催の御産養
19 九月十五日夜、五日の道長主催の御産養
20 九月十六日夜、若い女房たちの舟遊び
21 九月十七日夜、朝廷主催の御産養
22 九月十九日夜、春宮権大夫頼通主催の御産養
第二章 寛弘五年(1008年)冬の記
1 道長、初孫を抱く
2 土御門殿邸への行幸近づく
3 時雨れのころ 小少将の君と文通
4 十月十六日 土御門殿邸行幸の日
5 行幸当日の女房たちの装束
6 御前の管弦・舞楽の御遊
7 十月十七日 行幸翌日の中宮の御前
8 宰相の君たちと月を眺める
9 十一月一日 誕生五十日の祝儀(公任に若紫と呼ばれ無視
10 五十日祝いの夜の酒宴(恐ろしかるべき夜
11 内裏還御の準備 御冊子作り(物語の本ども
12 里下がりしての述懐
13 十一月十七日、中宮還御
14 中宮還御の翌日、道長から中宮への贈物
15 十一月二十日丑の日、五節の舞姫、帳台の試み
16 二十一日寅の日、五節の舞姫、御前の試み
17 二十二日卯の日、五節の舞姫、童女御覧
18 二十三日辰の日、豊明節会
19 五節過ぎの寂寥の日々
20 十一月二十八日下酉の日、臨時の祭
21 十二月二十九日、参内、初出仕時に思いをはせる
22 十二月三十日の夜、追儺の儀の後
第三章 寛弘六年(1009年)春の記
1 正月三日 若宮の御戴餅の儀
 
第二部 宮仕女房批評記
第一章 人物批評

1 宰相の君、小少将の君、宮の内侍、式部のおもとの批評

2 小大輔、源式部、小兵衛、少弐、宮木の侍従、
   五節の弁、小馬の批評
3 斎院方と中宮方の気風比較
4 中宮方の気風
5 和泉式部、赤染衛門、清少納言の批評
第二章 わが身と心を自省
1 わが心の内の披瀝
2 わが心のありよう
3 人の心のありよう 結論
4 日本紀の御局と少女時代回想:源氏の物語
5 求道への思いと逡巡
6 宮仕女房批評記の結び
 
第三部 宮仕生活備忘記
第一章 寛弘五年、土御門殿邸の法華三十講  
第二章 寛弘五年土御門邸にて 道長と和歌贈答
1 源氏物語について
2 渡殿に寝た夜の事
第三章 寛弘七年正月 若宮たちの御戴餅   
1 正月元日 敦成・敦良親王たちの御戴餅
2 正月二日初子の日 臨時客
3 正月十五日 敦良親王御五十日の祝い
 
校訂付記
 

紫式部日記
原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉

第一部 敦成親王誕生記

第一章 寛弘五年(1008)秋の記

一 土御門殿邸の初秋の様子

 →〈詳解  
 秋のけはひ入りたつままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。
 池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、大方の空も艷なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。
 やうやう凉しき風のけはひに、例の絶えせぬ水の音なひ、夜もすがら聞きまがはさる。
 
 秋の風情が現れ立ってくるにつれて、土御門邸の様子は、何とも言い表わしようもないほどに趣がある。
 池の周辺の梢どもや、遣水のほとりの草むらは、それぞれに一面に色づいて、おしなべて空の様子も優美なことに引き立てられて、不断の御読経の声々に、しみじみとした情趣が深まっていった。
 だんだんと凉しくなっていく風の感じにつけても、いつもの絶え間のない遣水の音が、それに一晩中混じり合って聞こえてくる。
 
 御前にも、近うさぶらふ人びとはかなき物語するをきこしめしつつ、悩ましうおはしますべかめるを、さりげなくもて隠させたまへる御ありさまなどの、いとさらなる事なれど、憂き世の慰めには、かかる御前をこそ、尋ね参るべかりけれと、現し心をばひき違へ、たとしへなくよろづ忘らるるも、かつはあやし。
 
 中宮の御前においても、側近くお仕えする女房たちがとりとめのない話をしているのをお聞きあそばしながら、大儀そうでいらっしゃるらしいのに、平静をよそおってお隠しあそばしていらっしゃるご様子などが、まことに今さらお誉め申し上げるまでもないことだが、嫌なこの世の心の慰めには、このようなお方を、探し出してでもお仕えすべきであったのだと、ふだんの考えとはうって変わって、たとえようもなくすべての憂えが自然と忘れられるのも、一方では不思議である。
 

二 五壇の御修法

 →〈詳解  
 まだ夜深きほどの月さし曇り、木の下をぐらきに、  まだ夜明けまでには遠い、夜の深いうちの月がすこし陰って、木の下が小暗い感じがするころなのに、
 「御格子参りなばや」  「御格子を上げたいものですね」
 「女官は、今までさぶらはじ」  「女官は、この時分までは起きていますまい」
 「蔵人参れ」  「女蔵人が上げなさい」
など言ひしろふほどに、後夜の鉦打ち驚かして、五壇の御修法の時始めつ。
 われもわれもと、うち上げたる伴僧の声々、遠く近く、聞きわたされたるほど、おどろおどろしく尊し。
 
などと言い合っているうちに、後夜の鉦を打つ音が響きわたって、五壇の御修法の定時の勤行を始めた。
 われもわれもと、競い声を上げている伴僧の声々が、遠くからまた近くから、絶え間なく聞こえてくるのは、まことに荘厳で尊い。
 
 観音院の僧正、東の対より、二十人の伴僧を率ゐて、御加持参りたまふ足音、渡殿の橋のとどろとどろと踏み鳴らさるるさへぞ、ことごとのけはひには似ぬ。
 法住寺の座主は馬場の御殿、浄土寺の僧都は文殿などに、うち連れたる浄衣姿にて、ゆゑゆゑしき唐橋どもを渡りつつ、木の間をわけて帰り入るほども、遥かに見やらるる心地してあはれなり。
 斎祇阿闍梨も、大威徳を敬ひて、腰をかがめたり。
 人びと参りつれば、夜も明けぬ。
 
 観音院の僧正が、東の対から寝殿へと、二十人の伴僧を率いて、中宮の御加持に参上なさる足音が、渡殿の橋をずしんずしんと踏み鳴らされる音までが、他の行事のときとは違った感じである。
 法住寺の座主は馬場の御殿へ、浄土寺の僧都は文殿などにと、お揃いの浄衣姿で、立派ないくつもの唐橋を渡りながら、木々の間をわけ入って帰っていく様子も、遠くまで眺めやっていたい感じがしてしみじみと感慨深い。
 さいさ阿闍梨も、大威徳明王を敬って、腰をかがめて礼拝している。
 やがて女官たちが出仕してくると、夜もすっかり明けた。
 

三 道長との女郎花の歌の贈答

 →〈詳解  
 渡殿の戸口の局に見出だせば、ほのうち霧りたる朝の露もまだ落ちぬに、殿歩かせたまひて、御隨身召して、遣水払はせたまふ。  渡殿の戸口にある部屋から外を眺めていると、うっすらと霧が立ちこめている朝の草木の露もまだ落ちない時分に、道長殿が庭をお歩きあそばして、御隨身を呼び寄せて、遣水の手入れをさせなさる。
 橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを、一枝折らせたまひて、几帳の上よりさし覗かせたまへる御さまの、いと恥づかしげなるに、我が朝顏の思ひ知らるれば  橋の南に咲いている女郎花がたいそう花盛りであるのを、一枝折らせなさって、わたしの几帳の上からちょっとお覗かせになるご様子が、とても〈はずかしげなのでわが朝の顔のはずかしさも思い知られて気後れするほど立派なのに対して、自分の朝の寝起きの顏が恥ずかしく思わずにはいられないので
 「これ、遅くては悪ろからむ」 〈こら、返事が遅いのは失礼(俺に悪い)だろうが。×興がない(集成)〉
「これに対しての返歌が、遅くなっては具合悪いことでしょう」
とのたまはするにことつけて、硯のもとに寄りぬ。
 
と殿が仰せになったのを言い訳にしてかこつけて〉、硯のもとに身を寄せた。
 
♪1  
女郎花 盛りのを 見るからに
分きける 身こそ知らるれ
女郎花〈つまりお主が得た女ども〉の朝露を置いた 盛りの美しい色を 見る〈につけて〉とすぐに
露が分け隔てして恩恵を受けないわが身が思い知られます

〈取り分け泣ける その花のようなわが身の物言えぬ心を言わせるな察せられよ〉
   
 「あな、疾」 「ああ、何と早いことよ」
〈おい、はやいな〉
と、ほほ笑みて、硯召し出づ。
 
と、殿は〈少し笑って〉×にっこりなさって、硯を取り寄せなさる。
 
♪2  
白露は 分きても置かじ 女郎花
からにや の染むらむ

白露は 花に分け隔てをして置いているのではないでしょう、女郎花が
自分から 美しい色に染まって咲いているのでしょう

〈白々しく涙は、特に心にもなく流すものだろ、女どもはな。
心からなのか、勝手に色づいて盛んに誘ってくるのは〉

 

 
 

四 殿の子息三位の君頼通の姿

 →〈詳解  
 しめやかなる夕暮に、宰相の君と二人、物語してゐたるに、殿の三位の君、簾のつま引き上げてゐたまふ。
 年のほどよりはいと大人しく、心にくきさまして、
〈夜露も近い〉しっとりとした夕暮れ時に、宰相の君と二人して、〈上の〉話をしていたところに、殿の御子息頼通の三位の君が、御簾の端を引き上げて局の前にお座りになる。
 年齢のわりにはとても大人っぽく、奥ゆかしい気取った〉態度で、
 「はなほ心ばへこそ、難きものなめれ」  「女性〈人〉は何といっても〈人(通説の見方では男)にほめられる心気立てが大切ですが、やはりめったにいないもののようですね」
など、世の物語、しめじめとしておはするけはひ、幼しと人のあなづりきこゆるこそ悪しけれと、恥づかしげに見ゆ。
 うちとけぬほどにて、
などと、世間話を、しんみりとしていらっしゃる感じが、まだ若い〈幼い〉とあなどり申し上げるのは間違っていると悪いと思いながらも〉、こちらが〈見ていて〉恥ずかしくなるほど立派頑張って装っているよう〉に見える。
 まだすっかりうちとけた感じにならない〈とわかった〉ところで、
 「多かる野辺に  「たくさん女郎花が咲いている野辺で」〈女どもの多い野卑な底辺に来たらこれだから困る(女郎花多かる野辺に宿りせばあやなくあだの名をやたちなむ)古今229〉
とうち誦じて、立ちたまひにしさまこそ、物語にほめたる男の心地しはべりしか。
 
とちょっと口ずさみなさって、お立ちになったご様子は、物語の中でほめたたえている男性の気持ちがしたことであった〈かどうだったか〉。
 
 かばかりなる事の、うち思ひ出でらるるもあり、その折はをかしきことの、過ぎぬれば忘るるもあるは、いかなるぞ。
 

 このような事で、ちょっと思い出されるものがあって、その時はおもしろかったことでも、時がたつと忘れてしまうこともあるのは、どうしたことであろうか。〈=どうでもいい=褒めてない〉
 

五 碁の負けわざ

 →〈詳解  
 播磨守、碁の負けわざしける日、あからさまにまかでて、後にぞ御盤のさまなど見たまへしかば、華足などゆゑゆゑしくして、洲浜のほとりの水に書き混ぜたり。
 
 播磨守が〈物賭けの碁に負けた〉負碁の饗応をした日、〈まさにその時にちょっと里に退出していたので、後日に碁盤の様子などを拝見しましたら、碁盤の花形の脚などがいかにも風流に作られていて、洲浜の波打ち際の水〈例の渚のほとり〉に下のように書きまぜてあった。
 
♪3  
紀伊の国の 良の浜に 拾ふてふ
この石こそは 巌ともなれ
紀伊の国の白良の浜で拾う〈握る〉という
この碁石〈白石〉こそは大きな巌ともなるでしょう〈あとは野となれ山となれ→投〉
   
 扇どもも、をかしきを、そのころは人びと持たり。
 
〈人々の扇子などもセンスが良いもので、その時の人々はそれをもっておかしさを隠していた〉△扇などでも、趣向を凝らしたのを、そのころは女房たちは持っていた。
 

六 八月二十日過ぎの宿直の様子

 →〈詳解  
 八月二十余日のほどよりは、上達部、殿上人ども、さるべきはみな宿直がちにて、橋の上、対の簀子などに、みなうたた寝をしつつ、はかなう遊び明かす。
 琴、笛の音などには、たどたどしき若人たちの、読経あらそひ、今様歌どもも、所につけてはをかしかりけり。
 
 八月二十日過ぎのころからは、上達部や殿上人たちで、しかるべき方々はみな宿直することが多くなって、橋廊の上や対の屋の簀子などに、みな仮寝をしながら、とりとめもない遊び事をして夜を明かす。
 琴や笛の演奏などは、未熟な若い人たちが行い、一方で僧たちの読経の競い合い、また今様歌の朗唱なども、場所が場所だけに興趣があった。
 
 宮の大夫<斉信>、左の宰相中将<経房>、兵衛の督、美濃の少将<済政>などして、遊びたまふ夜もあり。
 わざとの御遊びは、殿おぼすやうやあらむ、せさせたまはず。
 
 中宮大夫藤原斉信、左宰相中将源経房、兵衛督源憲定、美濃少将源済政などが一緒になって、演奏なさる夜もある。
 しかし特別の演奏会は、殿に何かお考えがあるのか、おさせにならない。
 
 年ごろ里居したる人びとの、中絶えを思ひ起こしつつ、參り集ふけはひ騒がしうて、そのころはしめやかなることなし。
 
 ここ数年の間、里下りしていた女房たちが、しばらく御無沙汰していたのを思い起こし思い起こして、參り集まってくる様子が騒がしくて、そのころは落ち着いた感じもない。
 

七 八月二十六日、弁宰相の君の昼寝姿

 →〈詳解  
 二十六日、御薫物あはせ果てて、人びとにも配らせたまふ。
 まろがしゐたる人びと、あまた集ひゐたり。
 
 八月二十六日、中宮様の薫物の調合が終わって、女房たちにもお分け与えなさる。
 練香を丸めた女房たちが、大勢集まって座っていた。
 
 上より下るる道に、弁の宰相の君の戸口をさし覗きたれば、昼寝したまへるほどなりけり。
 萩、紫苑、色々の衣に、濃きが打ち目、心ことなるを上に着て、顏は引き入れて、硯の筥に枕して臥したまへる額つき、いとらうたげになまめかし。
 絵に描きたるものの姫君の心地すれば、口おほひを引きやりて、
 中宮様の御前から下りる途中に、弁の宰相の君の局の戸口をちょっと覗き込むと、昼寝をなさっていた時であった。
 萩や紫苑などの色とりどりの衣の上に、濃い紅の打ち目が、格別に美しい小袿を上に掛けて、顏は衣の中に引っ込めて、硯の筥を枕にして臥せっていらっしゃる額つきは、とても可愛らしげで優美である。
 まるで絵に描いた物語の姫君のような感じがするので、口元をおおっている衣を引きのけて、
 「物語の女の心地もしたまへるかな」  「物語の中の女君の感じでいらっしゃいますね」
といふに、見上げて、 と言うと、わたしの顔を見上げて、
 「もの狂ほしの御さまや。
 寝たる人を心なく驚かすものか」
 「気が変な人のなさりかたですよ。
 寝ている人を思いやりもなく起こすなんて」
とて、すこし起き上がりたまへる顏の、うち赤みたまへるなど、こまかにをかしうこそはべりしか。
 
と言って、すこし起き上がりなさった顏が、思わず赤らんでいらっしゃったのなどは、実に上品で美しゅうございました。
 
 大方もよき人の、折からに、又こよなくまさるわざなりけり。
 
 普段からも美しい人が、折が折だけに、さらにこの上なく優れて見えることなのであった。
 

八 九月九日、菊の綿の歌

 九日、菊の綿を兵部のおもとの持て来て、  九月九日に、菊の綿を兵部のおもとが持って来て、
 「これ、殿の上の、とり分きて。
 『いとよう、老い拭ひ捨てたまへ』と、のたまはせつる」
 「これを、殿の北の方倫子様が、特別にあなたに。
 『たいそう念入りに老いを拭い捨てなさい』と、仰せになりました」
とあれば、 と言うので、
♪4  
菊の露 若ゆばかりに 袖触れ
花のあるじに 千代は譲らむむ
菊の露に〈は若返る一心で、直接手で触れないようにしてわたしはちょっと若返るくらいに袖を触れることにして
この花の持ち主であるあなた様に千年の寿命はお譲り申し上げましょう
   
とて、返したてまつらむとするほどに、「あなたに帰り渡らせたまひぬ」とあれば、用なさにとどめつ。
 
と詠んで、ご返礼申し上げようとしているうちに、「北の方様はあちらにお還りになられました」ということなので、差し上げる用が無くなったので手許にとどめ置いた。
 

九 九月九日の夜、御前にて

 その夜さり、御前に参りたれば、月をかしきほどにて、端に、御簾の下より裳の裾など、ほころび出づるほどほどに、小少将の君、大納言の君などさぶらひたまふ。
 御火取りに、ひと日の薫物取う出て、試みさせたまふ。
 御前のありさまのをかしさ、蔦の色の心もとなきなど、口々聞こえさするに、例よりも悩ましき御けしきにおはしませば、御加持どもも参るかたなり、騒がしき心地して入りぬ。
 
 その日の夜に、中宮様の御前に参上しましたところ、月が美しい時分なので、簀子の端近に、御簾の下から女房たちの裳の裾などが、こぼれ出ているあたりに、小少将の君や大納言の君などが伺候していらっしゃる。
 中宮様は御香炉で、先日の薫物を取り出して、聞香をさせていらっしゃる。
 お庭先の趣き深い様子や、蔦がまだ色づかないじれったさなどを、女房たちが口々に申し上げていると、いつもよりも苦しそうなご様子でいらっしゃるので、ちょうど御加持などをなさる時刻であり、落ち着かない感じがして加持なさる部屋に入った。
 
 人の呼べば局に下りて、しばしと思ひしかど寝にけり。
 夜中ばかりより騒ぎたちてののしる。
 
 朋輩が呼ぶので自分の部屋に下がって、少しの間横になろうと思ったのだが眠ってしまった。
 夜中ごろから人びとが騒ぎ出して大声を出している。
 

一〇 九月十日、産室に移る

 十日の、まだほのぼのとするに、御しつらひ変はる。
 白き御帳に移らせたまふ。
 殿よりはじめたてまつりて、君達、四位五位どもたち騒ぎて、御帳の帷子かけ、御座ども持てちがふほど、いと騒がし。
 
 九月十日の、まだ夜明けがほのぼのと明けそめるころに、御座所のしつらいが浄白に模様替えになる。
 白木の御帳台にお入りになる。
 殿をおはじめ申して、御子息たちや、他の四位や五位たちが慌ただしく働いて、御帳台に垂絹を掛けたり、御寝具類を次々と持ち運んだりしている間は、とても落ち着かない。
 
 日一日、いと心もとなげに起き臥し暮らさせたまひつ。
 御もののけども駆り移し、限りなく騒ぎののしる。
 月ごろ、そこらさぶらひつる殿のうちの僧をば、さらにもいはず、山々寺々を尋ねて、験者といふかぎりは残るなく参り集ひ、三世の仏もいかに翔りたまふらむと思ひやらる。
 陰陽師とて、世にあるかぎり召し集めて、八百万の神も、耳ふりたてぬはあらじと見えきこゆ。
 御誦経の使、立ち騒ぎ暮らし、その夜も明けぬ。
 
 中宮様は一日中、とても不安そうに起きたり臥したりなさりながらお過ごしなさった。
 中宮様についているもののけどもを憑坐に駆り移し、調伏しようとこの上なく声を上げて祈り立てる。
 ここ数月来、大勢仕えていた邸内の僧侶たちは、言うまでもなく、山々や寺々を尋ね求めて、修験者という修験者は一人残らず参集して、三世の仏様もどんなに空を翔け回っていらっしゃろうかと思わずにはいられない。
 陰陽師とても、ありとあらゆる者たちを呼び集めて、八百万の神々も、耳をふり立てて聞かないことはないとお見受け申した。
 御誦経の使者が、一日中次々と出立する騒ぎのうちに、その夜も明けた。
 
 御帳の東面は、内裏の女房参り集ひてさぶらふ。
 西には、御もののけ移りたる人びと、御屏風一よろひを引きつぼね、局口には几帳を立てつつ、験者あづかりあづかりののしりゐたり。
 南には、やむごとなき僧正、僧都、重りゐて、不動尊の生きたまへるかたちをも呼び出で現はしつべう、頼みみ恨みみ、声みな涸れわたりにたる、いといみじう聞こゆ。
 
 御帳台の東面の間には、主上付きの女房たちが参集して伺候する。
 西面の間では、中宮様のもののけが移った憑坐たちが、御屏風一具をもって引き囲み、その囲みの入口には几帳を立てて、修験者たちが憑坐一人ひとりを担当して祈祷の声を上げていた。
 南面の間には、高僧の僧正や僧都たちが、重なるように並みいて、不動明王の生きておられる容貌を呼び出してしまいそうなまでに、祈願したりまた恨んだりして、みな一様に声を涸らしているのが、たいそう尊く聞こえる。
 
 北の御障子と御帳とのはさま、いと狹きほどに、四十余人ぞ、後に数ふればゐたりける。
 いささかみじろぎもせられず、気あがりてものぞおぼえぬや。
 今、里より参る人びとは、なかなかゐこめられず。
 裳の裾、衣の袖、ゆくらむかたも知らず、さるべきおとななどは、忍びて泣きまどふ。
 
 北の御障子と御帳台との間の、とても狹いところに、女房四十人余りが、後から数えてわかったのだが、詰めていたのであった。
 少しも身動きできず、のぼせあがって何も考えることができないありさまであったことよ。
 今ごろ、里から参上した女房たちは、せっかく上がったのにかえって邪魔者扱いで、室内に入ることもできなかった。
 裳の裾や衣の袖などがどこに行ったのかもわからず、しかるべき年輩の女房などは、中宮様の身を案じて忍び泣きして、おろおろしている。
 

一一 九月十一日の暁、加持祈祷の様子

 十一日の暁に、北の御障子、二間はなちて、廂に移らせたまふ。
 御簾などもえかけあへねば、御几帳をおし重ねておはします。
 僧正、定澄僧都、法務僧都などさぶらひて加持まゐる。
 院源僧都、昨日書かせたまひし御願書に、いみじきことども書き加へて、読み上げ続けたる言の葉のあはれに尊く、頼もしげなること限りなきに、殿のうち添へて、仏念じきこえたまふほどの頼もしく、さりともとは思ひながら、いみじう悲しきに、みな人涙をえおし入れず、
 十一日の明け方に、北側の御障子を二間取りはなって、中宮様は廂の間にお移りあそばす。
 御簾なども十分に掛けることができないので、御几帳を幾重にも重ね並べておいでになる。
 雅慶僧正や定澄僧都、法務僧都の済信などが伺候して御加持申し上げる。
 院源僧都は、殿が昨日お書きあそばしたご安産の願文に対して、さらにたいそう尊い文言を書き加えて、読み上げ続けている文言が実に尊く聞こえ、頼もしそうなことはこの上ないうえに、殿が一緒になって、仏を念じ申し上げていらっしゃる様子が心強くて、いくら何でもとは思いながらも、ひどく悲しいので、居あわせた女房たちはみな涙をこらえることができず、
 「ゆゆしう、かうな」  「縁起でもありません、そうお泣きなさるな」
など、かたみに言ひながらぞ、えせきあへざりける。
 
などと、お互いに言いながらも、涙を抑えることができないのであった。
 
 人げ多く混みては、いとど御心地も苦しうおはしますらむとて、南、東面に出ださせたまうて、さるべきかぎり、この二間のもとにはさぶらふ。
 殿の上、讃岐の宰相の君、内蔵の命婦、御几帳の内に、仁和寺の僧都の君、三井寺の内供の君も召し入れたり。
 殿のよろづにののしらせたまふ御声に、僧も消たれて音せぬやうなり。
 
 人が大勢混んでいては、ますます中宮様の御気分も苦しくいらっしゃるだろうということで、殿は女房たちを南面や東面にお出だしになって、しかるべき女房だけが、中宮様のいらっしゃる二間の側に伺候する。
 殿の北の方と讃岐の宰相の君、内蔵の命婦は、御几帳の内側におり、さらに仁和寺の僧都の君と三井寺の内供の君も中に呼び入れた。
 殿が万事につけ指図なさる大きなお声に、僧侶たちの読経の声も圧倒されて聞こえないくらいである。
 
 いま一間にゐたる人びと、大納言の君、小少将の君、宮の内侍、弁の内侍、中務の君、大輔の命婦、大式部のおもと、殿の宣旨よ。
 いと年経たる人びとのかぎりにて、心を惑はしたるけしきどもの、いとことわりなるに、まだ見たてまつりなるるほどなけれど、類なくいみじと、心一つにおぼゆ。
 
 もう一間に控えていた女房たちは、大納言の君、小少将の君、宮の内侍、弁の内侍、中務の君、大輔の命婦、大式部のおもと、この人は殿の宣旨ですよ。
 たいそう長年中宮様にお仕えしてきた女房たちばかりが、心配で心配でたまらないでいる様子などは、まことにもっともであるが、わたしなどは中宮様にお馴染み申し上げてまだ日も浅いけれど、又となく大変なことだと、心中はっきりと思われた。
 
 また、この後ろの際に立てたる几帳の外に、尚侍の中務の乳母、姫君の少納言の乳母、いと姫君の小式部の乳母などおし入り来て、御帳二つが後ろの細道を、え人も通らず。
 行きちがひみじろく人びとは、その顏なども見分かれず。
 
 また一方で、わたしたちのいる後ろの境目に立ててある几帳の外側には、中宮様の妹君たちの乳母の尚侍研子様付きの中務の乳母、姫君威子様付きの少納言の乳母、幼い姫君嬉子様付きの小式部の乳母などが入り込んで来て、二つの御帳台の後ろの狭い通路は、人も通ることがでない。
 行き来したり身動きする女房たちは、顏なども見分けられない。
 
 殿の君達、宰相中将<兼隆>、四位の少将<雅通>などをばさらにもいはず、左宰相中将<経房>、宮の大夫など、例はけ遠き人びとさへ、御几帳の上よりともすれば覗きつつ、腫れたる目どもを見ゆるも、よろづの恥忘れたり。
 頂きにはうちまきを雪のやうに降りかかり、おししぼみたる衣のいかに見苦しかりけむと、後にぞをかしき。
 
 殿の御子息の頼通・教通たち、宰相中将藤原兼隆、四位少将源雅通などは言うまでもなく、左宰相中将源経房、中宮大夫藤原斉信などは、いつもはあまり親しくない方々までが、御几帳の上からともすれば顔を覗き込んだりして、わたしたちの泣き腫らした目を見られていたのも、すべて恥ずかしさを忘れていた。
 頭の上には魔よけの散米が雪のやうに降りかかっており、涙でくしゃくしゃになっている衣装がどんなに見苦しかったことであろうと、後になって考えるとおかしかった。
 

一二 無事出産

 御頂きの御髮下ろしたてまつり、御忌む事受けさせたてまつりたまふほど、くれ惑ひたる心地に、こはいかなることと、あさましう悲しきに、平らかにせさせたまひて、後のことまだしきほど、さばかり広き母屋、南の廂、高欄のほどまで立ちこみたる僧も俗も、いま一よりとよみて額をつく。
 
 中宮様の御頭頂のお髪を形ばかりお削ぎ申し上げて、御忌戒をお受けさせ申し上げる間、途方に暮れるほどの気分で、これはどうなることかと、驚きあきれるほど悲しいと思っているうちに、無事に御出産なさって、後産のことがまだの間に、あれほど広い母屋から、南面の廂の間、外の簀子の高欄の際まで立て混んでいた僧侶たちも俗人たちも、いま一段と大きな声を上げて礼拝した。
 
 東面なる人びとは、殿上人にまじりたるやうにて、小中将の君の、左の頭中将に見合せて、あきれたりしさまを、後にぞ人ごと言ひ出でて笑ふ。
 化粧などのたゆみなく、なまめかしき人にて、暁に顏づくりしたりけるを、泣き腫れ、涙にところどころ濡れそこなはれて、あさましう、その人となむ見えざりし。
 
 東面にいる女房たちは、殿上人にまじって控えている格好で、小中将の君が、左の頭中将源頼定とぱったり顔を合わせて、茫然とした様子などを、後になってそれぞれが話し出して笑った。
 化粧などが行き届いて、優美な人で、明け方に化粧をしていたのだが、泣き腫らして、涙でところどころ化粧くずれして、驚きあきれるくらいで、小少将の君とも見えなかった。
 
 宰相の君の、顏変はりしたまへるさまなどこそ、いとめづらかにはべりしか。
 まして、いかなりけむ。
 されど、その際に見し人のありさまの、かたみにおぼえざりしなむ、かしこかりし。
 
 宰相の君が、涙で顏変わりなさった様子などは、とても珍しいことでございました。
 それ以上に、わたしの顔などはどう見えたことであろうか。
 けれども、その際に見た女房の様子が、お互いに覚えていないというのも、幸いなことであった。
 
 今とせさせたまふほど、御もののけのねたみののしる声などのむくつけさよ。
 源の蔵人には心誉阿闍梨、兵衛の蔵人には妙尊といふ人、右近の蔵人には法住寺の律師、宮の内侍の局には千算阿闍梨を預けたれば、もののけに引き倒されて、いといとほしかりければ、念覚阿闍梨を召し加へてぞののしる。
 
 いよいよ御出産あそばすというときに、御もののけが妬み声や大きな声を出すことなどの何とも気味の悪かったことよ。
 憑坐らの源の蔵人には心誉阿闍梨を、兵衛の蔵人には妙尊という僧侶を、右近の蔵人には法住寺の律師を、宮の内侍の局には千算阿闍梨を担当させていたところ、阿闍梨たちがもののけに引き倒されて、ひどく気の毒だったので、念覚阿闍梨を呼び寄せ加えて大声で祈祷した。
 
 阿闍梨の験の薄きにあらず、御もののけのいみじうこはきなりけり。
 宰相の君のをき人に叡効を添へたるに、夜一夜ののしり明かして、声も涸れにけり。
 御もののけ移れと召し出でたる人びとも、みな移らで騒がれけり。
 
 阿闍梨たちの効験が薄いのではない、御もののけがひどく手強いのであった。
 宰相の君担当の招祷人に叡効阿闍梨を付き添わしたところ、一晩中、叡効阿闍梨は大声を上げ続けて、声も涸れてしまった。
 御もののけを移らそうと呼び出した憑坐たちも、すべては移らないので大騒ぎしたことであった。
 

一三 午後、安堵と男御子誕生の慶び

 午の時に、空晴れて朝日さし出でたる心地す。
 平らかにおはしますうれしさの類もなきに、男にさへおはしましける慶び、いかがはなのめならむ。
 昨日しほれ暮らし、今朝のほど、秋霧におぼほれつる女房など、みな立ちあかれつつ休む。
 御前には、うちねびたる人びとの、かかる折節つきづきしきさぶらふ。
 
 午の時刻に、空が晴れて朝日がさし出したような気持ちがする。
 御安産でいらっしゃるうれしさが類もないうえに、男御子でさえいらっしゃるお慶びは、どうして並一通りのことであろうか。
 昨日は心配で泣き濡れて過ごし、今朝のうちは、秋霧にむせび泣いていた女房などが、みなそれぞれ局に引き下がって休む。
 中宮様の御前には、年輩の女房たちで、このような折にふさわしい人たちが付き添う。
 
 殿も上も、あなたに渡らせたまひて、月ごろ、御修法、読経にさぶらひ、昨日今日召しにて参り集ひつる僧の布施賜ひ、医師、陰陽師など、道々のしるし現れたる、禄賜はせ、内には御湯殿の儀式など、かねてまうけさせたまふべし。
 
 殿も北の方様も、あちらのお部屋にお移りあそばして、ここ数か月来、御修法や読経に奉仕し、また昨日今日の呼び寄せに参集した僧侶たちに布施を賜い、医師や陰陽師などで、それぞれの方面で効験を現した者たちに、禄を賜わり、また一方、内部では御湯殿の儀式などを、前もって御準備をおさせになるのであろう。
 
 人の局々には、大きやかなる袋、包ども持てちがひ、唐衣の縫物、裳、ひき結び、螺鈿縫物、けしからぬまでして、ひき隠し、「扇を持て来ぬかな」など、言ひ交しつつ化粧じつくろふ。
 
 女房の部屋部屋では、見るからに大きな衣装袋や、いくつもの包を運び込む人たちが出入りし、唐衣の刺繍や、裳のひき結びの螺鈿や刺繍の飾りをあまりにと思われるまでして、またそれをひき隠したりして、「桧扇をまだ持って来ないですね」などと、女房どうしで言い交わしながら、化粧をし身づくろいをする。
 

一四 外祖父道長の満足げな様子

 例の、渡殿より見やれば、妻戸の前に、宮の大夫、春宮の大夫など、さらぬ上達部もあまたさぶらひたまふ。
 
 いつものように、渡殿の部屋から寝殿の方を見やると、その妻戸の前に、中宮大夫藤原斉信や春宮大夫藤原懐平など、その他の上達部たちも大勢伺候していらっしゃる。
 
 殿、出でさせたまひて、日ごろ埋もれつる遣水つくろはせたまふ。
 人びとの御けしきども心地よげなり。
 心の内に思ふことあらむ人も、ただ今は紛れぬべき世のけはひなるうちにも、宮の大夫、ことさらにも笑みほこりたまはねど、人よりまさるうれしさの、おのづから色に出づるぞことわりなる。
 右の宰相中将は権中納言とたはぶれして、対の簀子にゐたまへり。
 
 殿がお出ましになって、この数日来、落ち葉などで被われていた遣水の手入れを命じさせなさる。
 殿上人たちの御様子も気分さげである。
 心の内には悩みがあるだろう人も、この時ばかりはそれを忘れてしまうほどの雰囲気である中でも、中宮大夫が、格別に得意げな笑みを浮かべていらっしゃるわけではないが、誰よりまさるうれしさが、自然と顔に現れているのがもっともである。
 右宰相中将兼隆は権中納言隆家と冗談を言い交わして、東の対の簀子に座っていらっしゃった。
 

一五 内裏より御佩刀参る

 内裏より御佩刀もて参れる頭中将頼定、今日伊勢の奉幣使、帰るほど、昇るまじければ、立ちながらぞ、平らかにおはします御ありさま奏せさせたまふ。
 禄なども賜ひける、そのことは見ず。
 
 内裏から御佩刀を持って参上した頭中将源頼定は、今日は伊勢神宮への奉幣使が出立する日なので、頼定は土御門殿邸から内裏に帰参した時に出産の触穢によって昇殿することはできないだろうから、殿は清涼殿の東庭に立ったままで、母子ともに御健康でいらっしゃることを奏上させなさる。
 禄なども賜わったが、そのことは見ていない。
 
 御臍の緒は殿の上。
 御乳付は橘の三位<徳子>。
 御乳母、もとよりさぶらひ、むつましう心よいかたとて、大左衛門のおもと仕うまつる。
 備中守道時の朝臣のむすめ、蔵人の弁の妻。
 
 御臍の緒を切る役は殿の北の方である。
 御乳付け役は橘三位徳子である。
 御乳母は、以前からお仕えしていて、親しく気立ての良い人として、大左衛門のおもとがお就き申す。
 備中守橘道時朝臣の娘で、蔵人弁藤原広業の妻である。
 

一六 御湯殿の儀式

 御湯殿は酉の時とか。
 火ともして、宮のしもべ、緑の衣の上に白き当色着て御湯まゐる。
 その桶、据ゑたる台など、みな白きおほひしたり。
 尾張守知光、宮の侍の長なる仲信かきて、御簾のもとに参る。
 水仕二人、清子の命婦、播磨、取り次ぎてうめつつ、女房二人、大木工、右馬、汲みわたして、御瓮十六にあまれば入る。
 薄物の表着、かとりの裳、唐衣、釵子さして、白き元結したり。
 頭つき映えてをかしく見ゆ。
 御湯殿は、宰相の君、御迎へ湯、大納言の君<源廉子>。
 湯巻姿どもの、例ならずさまことにをかしげなり。
 
 御湯殿の儀式は酉の時であるとか。
 灯火をともして、中宮職の下級役人が、緑色の袍の上に下賜の白の袍を着てお湯をお運び申し上げる。
 その桶や据えた台などは、みな白い被いがしてある。
 尾張守藤原知光や、中宮職の侍長である身人部仲信がかついで、御簾の側まで運び参る。
 お水取り役の二人、清子命婦と播磨の君が、お湯を取り次いで、それに水を加えて湯加減を見ながら、女房二人、すなわち大木工の君と右馬の君が、お湯を御瓮の十六壺に順々に汲み込んで、余ったお湯は湯舟に入れる。
 女房たちは薄物の表着に、かとりの裳を付け、唐衣を着て、釵子を頭にさして、白い元結をしている。
 髪の様子が引き立って趣き深く見える。
 御湯殿の役は、宰相の君が、また御介添え役は、大納言の君源廉子が務める。
 二人は湯巻姿で、普段と違っていかにも風情がある。
 
 宮は、殿抱きたてまつりたまひて、御佩刀、小少将の君、虎の頭、宮の内侍とりて御先に参る。
 唐衣は松の実の紋、裳は海賦を織りて、大海の摺目にかたどれり。
 腰は薄物、唐草を縫ひたり。
 少将の君は、秋の草むら、蝶、鳥などを、白銀して作り輝かしたり。
 織物は限りありて、人の心にしくべいやうのなければ、腰ばかりを例に違へるなめり。
 
 若宮は殿がお抱き申し上げなさって、御佩刀を小少将の君が持ち、虎の頭を宮の内侍が持って若宮のお先導を努める。
 宮の内侍の唐衣は松笠の紋様で、裳は海賦の刺繍を織り出して大海の摺目をかたどっている。
 腰の裳は薄物で唐草の刺繍がしてある。
 小少将の君の裳は、秋の草むらに蝶や鳥などの模様を銀糸で刺繍して輝いている。
 織物は身分上の制限があって、誰も思いのままにもいかなかったので、腰裳だけを通例のものには違えているようだ。
 
 殿の君達二ところ、源少将<雅通>など、散米を投げののしり、われ高ううち鳴らさむと争ひ騒ぐ。
 浄土寺の僧都護身にさぶらひたまふ、頭にも目にも当たるべければ、扇を捧げて、若き人に笑はる。
 
 殿の御子息お二人や源少将雅通などが、散米を大声してうち撒きして、自分こそ音高く鳴り響かそうと騒いで競争をする。
 浄土寺の僧都が護身の法を行うために伺候なさているが、その頭にも目にも当たりそうなので、それを避けようと扇をかざして、若き女房たちに笑われる。
 
 文読む博士、蔵人弁広業、高欄のもとに立ちて、『史記』の一巻を読む。
 弦打ち二十人、五位十人、六位十人、二列に立ちわたれり。
 
 読書に奉仕する博士は蔵人弁藤原広業で、高欄の側に立って、『史記』の第一巻を読む。
 弦打ちは二十人で、五位が十人、六位が十人で、二列に立ち並んでいた。
 
 夜さりの御湯殿とても、様ばかりしきりてまゐる。
 儀式同じ。
 御文の博士ばかりや替はりけむ。
 伊勢守致時の博士とか。
 例の『孝経』なるべし。
 又挙周は、『史記』文帝の巻をぞ読むなりし。
 七日のほど、替はる替はる。
 
 夕刻の御湯殿の儀といっても、形式的に繰り返して奉仕する。
 儀式は前と同じである。
 読書の博士だけが交替したのであろうか。
 伊勢守中原致時の博士であったとか。
 恒例によって『孝経』であろう。
 又大江挙周は『史記』文帝の巻を読むようであった。
 七日の間、この三人が交替でおこなった。
 

一七 九月十二日、女房たちの服装

 よろづの物のくもりなく白き御前に、人の様態、色合ひなどさへ、掲焉に現れたるを見わたすに、よき墨絵に髮どもを生ほしたるやうに見ゆ。
 いとどものはしたなくて、輝かしき心地すれば、昼はをさをささし出でず。
 のどやかにて、東の対の局より参う上る人びとを見れば、色ゆるされたるは、織物の唐衣、同じ袿どもなれば、なかなか麗しくて、心々も見えず。
 ゆるされぬ人も、少し大人びたるは、かたはらいたかるべきことはとて、ただえならぬ三重五重の袿に、表着は織物、無紋の唐衣すくよかにして、襲ねには綾、薄物をしたる人もあり。
 
 すべての物が一点の曇りもなく真白な中宮様の御前で、女房たちの容姿や容貌などまでが、はっきりと現れているのを見わたすと、まるで上手な墨絵に黒髮を描き生やしたように見える。
 ますますきまりが悪くて、まぶしい気持ちがするので、昼間はほとんど御前に顔も出さないでいる。
 のんびりとした気分で、東の対の各自の部屋から参上する女房たちを見みると、禁色をゆるされた女房は、織物の唐衣に、同じく白地の袿を着ているので、かえって一様に端麗に見えて、めいめいの趣向が分からない。
 禁色をゆるされない女房でも、少し年のいった人は、はた目におかしなことはするまいと思って、ただ何とも美しい三重襲ね、あるいは五重襲ねの袿の上に、表着は織物で無紋の唐衣をきちんと着て、襲ねには綾や薄物を用いている人もいる。
 
 扇など、みめにはおどろおどろしく輝やかさで、由なからぬさまにしたり。
 心ばへある本文うち書きなどして、言ひ合はせたるやうなるも、心々と思ひしかども、齢のほど同じまちのは、をかしと見かはしたり。
 人の心の、思ひおくれぬけしきぞ、あらはに見えける。
 
 桧扇なども、見た目にはぎょうぎょうしく派手にはしないものの、風情あるさまにしてあった。
 祝意を表わした詩歌などを扇に書き付けたりして、それが申し合わせたように同じようなのも、各自思い思いのものをと思っていたが、年齢が同じくらいの者は同じようなものになってしまうのは、おかしなものだと扇を見比べていた。
 女房たちの思いの、人に負けまいとの様子がはっきりと見えたのであった。
 
 裳、唐衣の縫物をばさることにて、袖口に置き口をし、裳の縫ひ目に白銀の糸を伏せ組みのやうにし、箔を飾りて、綾の紋にすゑ、扇どものさまなどは、ただ、雪深き山を、月の明かきに見わたしたる心地しつつ、きらきらとそこはかと見わたされず、鏡をかけたるやうなり。
 
 裳や唐衣の刺繍はいうまでもなく、袖口に装飾をし、裳の縫い目には銀の糸を伏せ縫いにして組紐のようにし、銀箔を飾って白綾の紋様を押し付け、桧扇の様子などは、まるで雪の深く積もった山を、月が明るく照らしわたしている感じがし、きらきらと輝いて眩しくて、はっきりそれと見わたされないで、ちょうど鏡を掛け並べてあるようだ。
 

一八 九月十三日夜、三日の中宮職主催の御産養

 三日にならせたまふ夜は、宮司、大夫よりはじめて御産養仕うまつる。
 右衛門督<大夫斉信>は御前の事、沈の懸盤、白銀の御皿など、詳しくは見ず。
 
 御誕生三日目におなりあそばす夜は、中宮職の官人が中宮大夫を始めとして御産養に奉仕する。
 中宮大夫の右衛門督が中宮様の御祝膳の事にあたったが、沈の懸盤や白銀の御皿などについては、詳しくは見ていない。
 
 源中納言<権大夫俊賢>、藤宰相<権亮実成>は御衣、御襁褓、衣筥の折立、入帷子、包、覆、下机など、同じことの、同じ白さなれど、しざま、人の心々見えつつし尽くしたり。
 近江守は、おほかたのことどもや仕うまつるらむ。
 
 源中納言と藤宰相は若宮の御衣や御襁褓、衣筥の折立、入帷子、包み、覆い、下机など、通例のことで、同じ白一色であるが、その作り方に、女房たちは各自の趣向がうかがえて念入りになされていた。
 近江守源高雅は、その他全般的な事柄を担当したのだろうか。
 
 東の対の西の廂は、上達部の座、北を上にて二行に、南の廂に、殿上人の座は西を上なり。
 白き綾の御屏風、母屋の御簾に添へて、外ざまに立てわたしたり。
 
 東の対の西の廂の間は上達部の座席で、北を上座として二列に並び、南の廂の間の殿上人の座席は西が上座である。
 白い綾の御屏風を、母屋の御簾に沿って、外向きに立て並べていた。
 

一九 九月十五日夜、五日の道長主催の御産養

 五日の夜は、殿の御産養。
 十五日の月曇りなくおもしろきに、池の汀近う、篝火どもを木の下に灯しつつ、屯食ども立てわたす。
 あやしき賤の男のさへづりありくけしきどもまで、色ふしに立ち顔なり。
 
 御誕生五日目の夜は、殿主催の御産養である。
 十五日の望月が曇りなく美しいので、池の汀近くに、いくつもの篝火を木の下に灯しながら、屯食などを立て並べてある。
 身分卑しい男たちが何やらしゃべりながら歩いている様子までが、晴れがましげな顔である。
 
 主殿が立ちわたれるけはひおこたらず、昼のやうなるに、ここかしこの岩の隠れ、木のもとに、うち群れつつをる上達部の随身などやうの者どもさへ、おのがじし語らふべかめることは、かかる世の中の光出でおはしましたることを、陰にいつしかと思ひしも、および顔にぞ、すずろにうち笑み、心地よげなるや。
 まいて殿のうちの人は、何ばかりの数にしもあらぬ五位どもなども、そこはかとなく腰うちかがめて行きちがひ、いそがしげなるさまして、時にあひ顔なり。
 
 主殿寮の役人が立ち並んで松明を持っている様子もかいがいしく、昼のように明るいので、あちらこちらの岩の陰や木の下陰に参集しながら、上達部の随身たちなどのような者までが、めいめいが話し合っているらしいことは、このように世の中の光ともいうべき男御子が御誕生されたことを、陰ながら心待ちしていたことも、自分たちの力で願い事が叶ったような手柄顔をして、どこそことなくにっこりして、気持ちよさそうなことよ。
 ましてこの土御門殿邸の人たちは、ものの数にも入らない五位たちなども、どこそことなく腰もうちかがめて会釈しながら行ったり来たりして、忙しそうな格好をして、まさに慶時にめぐり合わせた顔つきである。
 
 御膳まゐるとて、女房八人、一つ色にさうぞきて、髪上げ、白き元結して、白き御盤とりつづきまゐる。
 今宵の御まかなひは宮の内侍、いとものものしく、あざやかなるやうだい、元結ばえしたる髪の下がりば、つねよりもあらまほしきさまして、扇にはづれたるかたはらめなど、いときよげにはべりしかな。
 
 中宮様に御膳を差し上げるということで、女房が八人、みな白一色の装束で、髪を上げ、白い元結をして、白銀の御盤を取り、一列になって参上する。
 今夜の御給仕役は、宮の内侍で、たいそう堂々として、きわだった美しい容姿、白の元結に一段と引き立つ美しい髪の垂れぐあいは、いつもよりも好ましい様子で、桧扇からこぼれて見える横顔などは、まことに美しゅうございましたわ。
 
 髪上げたる女房は、源式部<加賀守重文が女>、小左衛門<故備中守道時が女>、小兵衛<左京大夫明理が女とぞいひける>、大輔<伊勢斎主輔親が女>、大馬<左衛門大輔頼信が女>、小馬<左衛門佐道順が女>、小兵部<蔵人なる庶政が女>、小木工<木工允平文義といひはべるなる人の女なり>、かたちなどをかしき若人のかぎりにて、さし向かひつつゐわたりたりしは、いと見るかひこそはべりしか。
 
 髪上げした女房は、源式部(加賀守源重文の娘)、小左衛門(故備中守橘道時の娘)、小兵衛(左京大夫源明理の娘と言った)、大輔(伊勢斎主大中臣輔親の娘)、大馬(左衛門大輔藤原頼信の娘)、小馬(左衛門佐高階道順の娘)、小兵部(蔵人である藤原庶政の娘)、小木工(木工允平文義と言います人の娘である)、容貌など美しい若い女房たちばかりで、向かい合って座って並んでいたのは、たいそう見ごたえがございました。
 
 例は、御膳まゐるとて、髪上ぐることをぞするを、かかる折とて、さりぬべき人びとを選らみたまへりしを、心憂し、いみじと、うれへ泣きなど、ゆゆしきまでぞ見はべりし。
 
 いつもは、中宮様に御食膳を差し上げる際に、髪を上げることをするが、このような晴れがましい時なので、殿がしかるべき女房たちをお選びになったのに、つらい、大変だわと、嫌がって泣いたりなどして、不吉なまでに見えました。
 
 御帳の東面二間ばかりに、三十余人ゐなみたりし人びとのけはひこそ見ものなりしか。
 威儀の御膳は、采女どもまゐる。
 戸口のかたに、御湯殿の隔ての御屏風にかさねて、また南向きに立てて、白き御厨子一よろひにまゐりすゑたり。
 
 御帳台の東面の二間ほどに、三十人余り並んで座っていた女房たちの様子が見ものであった。
 威儀の御食膳は、采女たちが差し上げる。
 戸口の方に、御湯殿を隔てていくつも御屏風を並べ立て、また南向きにも立てて、白い御厨子一具に威儀の御食膳が置かれていた。
 
 夜更くるままに、月のくまなきに、采女、水司、御髪上げども、殿司、掃司の女官、顔も見知らぬをり。
 [門+韋]司などやうの者にやあらむ、おろそかにさうぞきけさうじつつ、おどろの髪ざし、おほやけおほやけしきさまして、寝殿の東の廊、渡殿の戸口まで、ひまもなくおしこみてゐたれば、人もえ通りかよはず。
 
 夜が更けていくにつれて、月が曇りなく照らして、采女や水司、御髪上げの女房たち、主殿司や掃司の女官などは、顔も見知らない者もいる。
 [門+韋]司(みかどづかさ)などといった女官たちであろうか、粗雑に装束を付け化粧したりして、仰々しく挿した簪も、いかにも儀式ばった様子で、寝殿の東の渡廊や渡殿の戸口まで、隙間もなく無理に入り込んで座っていたので、誰も行き来することができない。
 
 御膳まゐりはてて、女房、御簾のもとに出でゐたり。
 火影にきらきらと見えわたる中にも、大式部のおもとの裳、唐衣、小塩山の小松原を縫ひたるさま、いとをかし。
 大式部は陸奥守の妻、殿の宣旨よ。
 大輔の命婦は、唐衣は手も触れず、裳を白銀の泥して、いとあざやかに大海に摺りたるこそ、掲焉ならぬものから、めやすけれ。
 弁の内侍の、裳に白銀の洲浜、鶴を立てたるしざま、めづらし。
 裳の縫物も、松が枝の齢をあらそはせたる心ばへ、かどかどし。
 少将のおもとの、これらには劣りなる白銀のはくさいを、人びとつきしろふ。
 少将のおもとといふは、信濃守佐光がいもうと、殿のふる人なり。
 
 御食膳を差し上げることがすっかり終わって、女房が御簾の側に出て来て座った。
 灯火の光に一面明るく見える中でも、大式部のおもとの裳や唐衣に、小塩山の小松原を刺繍した様子はたいそう趣がある。
 大式部は陸奥守の妻で、殿の宣旨の女房ですよ。
 大輔の命婦は、唐衣には何の趣向も凝らさず、裳を白銀の泥で、たいそうあざやかに大海の模様を摺り出しているのは、目立ったものではないが見た感じがよい。
 弁の内侍が、裳に銀泥の洲浜に鶴が立っている趣向は珍しい。
 裳の刺繍も、松が枝が鶴と長寿を競い合っている趣向は才気がある。
 少将のおもとが、これらの人たちには見劣りする白銀の箔押しなので、女房たちはつつき合って笑っている。
 少将のおもとという人は、信濃守藤原佐光の姉妹で、殿の古参の女房である。
 
 その夜の御前のありさま、いと人に見せまほしければ、夜居の僧のさぶらふ御屏風を押し開けて、  その夜の中宮様の御前の様子が、とても人にも見せたいくらい素晴らしいので、夜居の僧侶が伺候している御屏風を押し開けて、
 「この世には、かういとめでたきこと、まだ見たまはじ」  「この世では、このようにとてもめでたいことは、まだ御覧にならないでしょう」
と、言ひはべりしかば、 と、言いましたところ、
 「あなかしこ、あなかしこ」  「ああ、もったいない。
 ああ、もったいない」
と本尊をばおきて、手を押しすりてぞ喜びはべりし。
 
と本尊様をそっちのけにして、手を摺り合わせて喜んでおりました。
 
 上達部、座を立ちて、御橋の上にまゐりたまふ。
 殿をはじめたてまつりて、攤うちたまふ。
 上の争ひ、いとまさなし。
 歌どもあり。
 
 上達部たちは席を立って、御橋の上においでになる。
 殿をお始めとして、皆で攤を打って興じなさる。
 高貴な方々の賭物の紙の争いは、とても見苦しい。
 その折、和歌などもある。
 
 「女房、盃」  「女房よ、盃を受けよ」
などある折、いかがはいふべきなど、口ぐち思ひ心みる。
 
などとある折に、どのように詠んだらいいでしょうなどと、めいめい作ってみる。
 
♪5  
めづらしき 光さしそふ さかづき
もちながらこそ 千代もめぐらめ
若宮御誕生の祝宴の盃は
手に持ちながら満月のように欠けることなく人々の手から手へと千年もめぐり続けるでしょう
   
 「四条大納言にさし出でむほど、歌をばさるものにて、声づかひ、用意いるべし」  「四条大納言に和歌をさし出すときは、和歌の出来はもちろんのこと、詠み上げる声の具合まで、気をくばるべきでしょう」
など、ささめきあらそふほどに、こと多くて、夜いたう更けぬればにや、とりわきても指さでまかでたまふ。
 禄ども、上達部には、女の装束に御衣、御襁褓や添ひたらむ。
 殿上の四位は、袷一襲ね、袴、五位は袿一襲ね、六位は袴一具ぞ見えし。
 
などと言って、ひそひそと言い合っているうちに、何かとことが多くて、夜がたいそう更けてしまったからであろうか、特別に指名することもなくて御退出になる。
 禄などは、上達部には女の装束に若宮の御衣と御襁褓が加わっていたのであろうか。
 殿上人で四位の人へは、袷一襲と袴、五位の人へは袿一襲、六位の人へは袴一具と見えた。
 

二〇 九月十六日夜、若い女房たちの舟遊び

 またの夜、月いとおもしろし。
 ころさへをかしきに、若き人は舟に乗りて遊ぶ。
 色々なる折よりも、同じさまにさうぞきたるやうだい、髪のほど、曇りなく見ゆ。
 
 翌日の夜、月がたいそう美しい。
 時候までが風情あるころなので、若い女房たちは舟に乗って遊ぶ。
 色とりどりの衣装を着ている普段よりも、皆同じ白一色に装束している容姿や髪の具合などが、はっきりと見える。
 
 小大輔、源式部、宮城の侍従、五節の弁、右近、小兵衛、小衛門、馬、やすらひ、伊勢人など、端近くゐたるを、左宰相中将<経房>、殿の中将の君<教通>、誘ひ出でたまひて、右宰相中将<兼隆>に棹ささせて、舟に乗せたまふ。
 片へはすべりとどまりて、さすがにうらやましくやあらむ、見出だしつつゐたり。
 いと白き庭に、月の光りあひたる、やうだいかたちもをかしきやうなる。
 
 小大輔の君や源式部の君、宮城の侍従の君、五節の弁の君、右近の君、小兵衛の君、小衛門の君、馬の君、やすらい、伊勢人などが、端近くに座っているのを、左宰相中将(源経房)と殿の中将の君(教通)がお誘い出しになって、右宰相中将(兼隆)に棹をささせて、池の舟に乗せなさる。
 一部の女房はするりと抜けて後に残ったが、やはり誘われた人たちをうらやましく思ったのであろうか、眺めやりながら座っていた。
 たいそう白い庭の上に、月の光が照り返して、舟中の人々の容姿や容貌も風情ある様子である。
 
 北の陣に車あまたありといふは、主上人どもなりけり。
 藤三位をはじめにて、侍従の命婦、藤少将の命婦、馬の命婦、左近の命婦、筑前の命婦、少輔の命婦、近江の命婦などぞ聞きはべりし。
 詳しく見知らぬ人びとなれば、ひがごともはべらむかし。
 
 北の陣に牛車がたくさんとまっているというのは、主上付きの女房たちがお祝いに来た車なのであった。
 藤三位の君を始めとして、侍従の命婦の君、藤少将の命婦の君、馬の命婦の君、左近の命婦の君、筑前の命婦の君、少輔の命婦の君、近江の命婦の君などであると聞きました。
 詳しくは見知らない人びとなので、間違いがあるかも知れません。
 
 舟の人びともまどひ入りぬ。
 殿出でゐたまひて、おぼすことなき御気色に、もてはやしたはぶれたまふ。
 贈物ども、品々にたまふ。
 
 舟に乗っていた女房たちもあわてて室内に入った。
 殿がお出ましになって、何のくったくもない御機嫌で、主上付きの女房たちを歓待し冗談をおっしゃたりなさる。
 贈物など、身分に応じてお与えになる。
 

二一 九月十七日夜、朝廷主催の御産養

 七日の夜は、朝廷の御産養。
 蔵人少将<道雅>を御使ひにて、ものの数々書きたる文、柳筥に入れて参れり。
 やがて返したまふ。
 勧学院の衆ども、歩みして参れる、見参の文また啓す。
 返したまふ。
 禄ども賜ふべし。
 今宵の儀式は、ことにまさりて、おどろおどろしくののしる。
 
 御誕生七日目の夜は、朝廷主催の御産養である。
 蔵人少将藤原道雅を勅使として、御下賜の品々を書きたる目録を柳筥に入れて参上した。
 中宮様は目を通されるとそのまま中宮職の役人にお返しになる。
 勧学院の学生たちが行列を作ってお祝いに参上したが、その参上者の名簿を中宮様に御覧に入れる。
 それもお目を通されて職の役人にお返しになる。
 禄などもお与えになったようだ。
 今夜の儀式は、格別に一段と盛大で仰々しく騒ぎ立てている。
 
 御帳の内をのぞきまゐらせたれば、かく国の親ともてさわがれたまひ、うるはしき御気色にも見えさせたまはず、すこしうちなやみ、面やせて大殿籠もれる御ありさま、常よりもあえかに若くうつくしげなり。
 小さき灯籠を御帳の内に掛けたれば、隈もなきに、いとどしき御色あひの、そこひも知らず清らなるに、こちたき御髪は、結ひてまさらせたまふわざなりけりと思ふ。
 かけまくもいとさらなれば、えぞ書き続けはべらぬ。
 
 御帳台の内側をおのぞき申したところ、このように国母として持ち上げられなさるが、御機嫌の良い様子にもお見えあそばさず、すこし苦しそうで面やせなさって休んでいらっしゃる御様子は、普段よりも弱々しそうで若く可愛らしげである。
 小さい灯籠を御帳台の内側に掛けていたので、隅々まで明るいので、ただでさえ美しいお顔が、どこまでも清らかに美しいうえに、たくさんあるお髪は結い上げなさると一段とお見事になるものだなあと思われる。
 口に出して申し上げるのも今さらめいているので、これ以上書き続けることは致しません。
 
 おほかたのことどもは、一夜の同じこと。
 上達部の禄は、御簾の内より、女装束、宮の御衣など添へて出だす。
 殿上人、頭二人をはじめて、寄りつつ取る。
 朝廷の禄は、大袿、衾、腰差など、例の公けざまなるべし。
 御乳付け仕うまつりし橘三位の贈物、例の女の装束に、織物の細長添へて、白銀の衣筥、包などもやがて白きにや。
 また包みたる物添へてなどぞ聞きはべりし。
 詳しくは見はべらず。
 
 大体の儀式の内容は、先夜と同様の事である。
 上達部への禄は、御簾の内側から、女装束と若宮の御衣などを添えて差し出す。
 殿上人と蔵人頭の二人を始めとする禄は、順次側に寄って受け取る。
 朝廷からの禄は、大袿や衾、腰差などで、いつもの公的なもののようである。
 御乳付け役をご奉仕申した橘三位への贈物は、いつもの女の装束に、織物の細長を添えて、白銀の衣筥、包なども同じく白いものであったか。
 また包んだ品物を添えて賜ったなどと後から聞きました。
 詳しくは見ておりません。
 
 八日、人びと、色々さうぞき替へたり。
 
 八日目の日には、女房たちは色とりどりの装束に着替えていた。
 

二二 九月十九日夜、春宮権大夫頼通主催の御産養

 九日の夜は、春宮権大夫仕うまつりたまふ。
 白き御厨子一よろひに、まゐり据ゑたり。
 儀式いとさまことに今めかし。
 白銀の御衣筥、海賦をうち出でて、蓬莱など例のことなれど、今めかしうこまかにをかしきを、取りはなちては、まねび尽くすべきにもあらぬこそ悪ろけれ。
 
 九日目の夜は、春宮権大夫が御産養を奉仕なさる。
 白い御厨子一具にお祝の品々が載せてあった。
 その儀式はまことに格別で今風である。
 白銀の御衣筥は、海の模様をうち出してあり、蓬莱山の図柄などは常のことであるが、今風で精巧にできており興趣あるが、一つひとつ取り上げては、言葉で言い表せないのが残念なことだ。
 
 今宵は、おもて朽木形の几帳、例のさまにて、人びとは濃きうち物を上に着たり。
 めづらしくて、心にくくなまめいて見ゆ。
 透きたる唐衣どもに、つやつやとおしわたして見えたる、また人の姿もさやかにぞ見えなされける。
 こまのおもとといふ人の恥見はべりし夜なり。
 
 今夜は、表面に朽木形の模様のある几帳を普段と同じようにして、女房たちは濃い紅の打衣を上に着ている。
 目新しくて、奥ゆかしく優美に見える。
 透けて見える唐衣などの下から、打衣がつややかに一面に見えるが、また女房たちの姿の個性もはっきりと見られるのであった。
 こまのおもとという人が宴席で恥をかいた夜である。
 

第二章 寛弘五年(1008年)冬の記

一 道長、初孫を抱く

 十月十余日までも御帳出でさせたまはず。
 西の側なる御座に夜も昼もさぶらふ。
 殿の、夜中にも暁にも参りたまひつつ、御乳母の懐をひきさがさせたまふに、うちとけて寝たるときなどは、何心もなくおぼほれておどろくも、いといとほしく見ゆ。
 心もとなき御ほどを、わが心をやりてささげうつくしみたまふも、ことわりにめでたし。
 
 十月十日過ぎまでも、中宮様は御帳台からお出でましにならない。
 わたしたちは東の母屋の西側の御座所の側に夜も昼も伺候している。
 殿が、夜中にも早朝にも参上なさっては、乳母の懐にいる若宮を探していらっしゃるが、乳母が気をゆるして眠っているときなどは、無心に眠っていてはっと目を覚ますなども、とても気の毒に見える。
 まだ何もお分かりでないころなのに、ご自分だけは良い気持ちになって抱き上げて可愛がりなさるのも、ごもっともなことで素晴らしい。
 
 ある時は、わりなきわざしかけたてまつりたまへるを、御紐ひき解きて、御几帳の後ろにてあぶらせたまふ。
 
 ある時には、若宮が困ったことをおしかけなさったのを、殿は直衣の紐を解いて、御几帳の後ろで火にあぶってお乾かしになる。
 
 「あはれ、この宮の御尿に濡るるは、うれしきわざかな。
 この濡れたるあぶるこそ、思ふやうなる心地すれ」
 「ああ、若宮の御尿に濡れるのは、うれしいことだなあ。
 この濡れたのをあぶっていると、思いが叶った気分になることだ」
と、喜ばせたまふ。
 中務の宮<具平親王>わたりの御ことを御心に入れて、そなたの心寄せある人とおぼして、語らはせたまふも、まことに心のうちは思ひゐたること多かり。
 
と言って、お喜びなさる。
 殿は中務宮具平親王家の御事について御熱心で、わたしをその宮家に縁故のある者とお思いになって、親しく話し掛けてくださるのも、ほんとうは心中では思案にくれることが多かった。
 

二 土御門殿邸への行幸近づく

 行幸近くなりぬとて、殿の内をいよいよ繕ひ磨かせたまふ。
 世におもしろき菊の根を尋ねつつ掘りてまゐる。
 色々移ろひたるも、黄なるが見どころあるも、さまざまに植ゑたてたるも、朝霧の絶え間に見わたしたるは、げに老もしぞきぬべき心地するに、なぞや、まして思ふことのすこしもなのめなる身ならましかば、すきずきしくももてなし若やぎて、常なき世をも過ぐしてまし、めでたきことおもしろきことを見聞くにつけても、ただ思ひかけたりし心のひくかたのみつよくてもの憂く、思はずに嘆かしきことのまさるぞ、いと苦しき。
 いかで今はなほもの忘れしなむ、思ふかひもなし、罪も深かんなりなど、明けたてばうちながめて、水鳥どもの思ふことなげに遊びあへるを見る。
 
 行幸が近くなったということで、殿は邸内をますます手入れさせ立派にさせなさる。
 世にも美しい菊の根株を探しては掘り出して持ってくる。
 色とりどりに色変わりしているのも、また黄色であるのが見どころあるのも、さまざまに植えてあるのも、朝霧の絶え間から見わたされるのは、なるほど老いも取り除ける心地がするので、どうしてか、まして悩みごとがすこしでも普通の人程度であったならば、一緒に風流めかして若やいで振る舞って、無常の世をも過ごすことができようものを、おめでたいことや興趣あることを見たり聞いたりすることにつけても、ただ心に掛けてきた方面の事柄に心ひかれることばかりが強くて憂鬱なので、思いの外に嘆かわしいことが多くなるのが、とても苦しいのだ。
 何とかして今はやはりすべて忘れてしまおう、考えても意味がないし、罪障も深いことだなどと、夜が明ければぼおっと物思いに耽って、池の水鳥たちが何の思い悩むこともなさそうに遊びあっているのを見る。
 
♪6  
水鳥を 水の上とや よそに見む
われも浮きたる 世を過ぐしつつ
あの水鳥たちをただ水の上で遊んでいる鳥だと他人事と思われようか
わたしも同じように浮いたような嫌な人生を過ごしているのだから
   
 かれもさこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいと苦しかんなりと、思ひよそへらる。
 
 あの水鳥たちもあれほど満足げに遊んでいると見えても、内心ではとても苦しいのだろうと、ついわが身に思いひき比べられてしまう。
 

三 時雨れのころ 小少将の君と文通

 小少将の君の文おこせたまへる返り事書くに、時雨れのさとかきくらせば、使ひも急ぐ。
 
 小少将の君が手紙をおよこしになった返事を書いていると、時雨がさっと降ってきて空も暗くなったので、使者も返事を催促する。
 
 「また空の気色も心地さわぎてなむ」  「わたし同様に空の状態も気分が落ち着かない様子でして」
とて、腰折れたることや書きまぜたりけむ。
 暗うなりにたるに、たちかへり、いたう霞みたる濃染紙に、
 
と書いて、拙い歌を書き添えたのであろうか。
 暗くなったころに、折り返し、たいそう濃くぼかした紫色の紙に、
♪7  
雲間なく ながむる空も かきくらし
いかにしのぶる 時雨れなるらむ
絶え間なく物思いに耽って眺めている空も曇ってきて雨が降り出しました
時雨は何を恋い忍んで降るのでしょう、実はあなたを思ってなのですよ
   
 書きつらむこともおぼえず、
 
 書き贈った歌も思い出せず、
♪8  
ことわりの 時雨れは 雲間あれど
ながむる袖ぞ 乾く間もなき
季節どおりに降る時雨れの空には雲間もあるが
物思いに耽っているわたしは袖の乾く間もありません
   

四 十月十六日 土御門殿邸行幸の日

 その日、新しく造られたる舟どもさし寄せて御覧ず。
 龍頭鷁首の生けるかたち思ひやられて、あざやかにうるはし。
 行幸は辰の時と、まだ暁より人びとけさうじ心づかひす。
 上達部の御座は西の対なれば、こなたは例のやうに騒がしうもあらず。
 内侍の督の殿の御方に、なかなか人びとの装束なども、いみじうととのへたまふと聞こゆ。
 
 行幸の当日、殿は新しく造られた二艘の舟を池辺に漕ぎ寄せて御覧になる。
 龍頭や鷁首の生きた姿が想像されて、際立って美しい。
 行幸は辰の時(午前八時頃)ということで、まだ早朝から女房たちは化粧をし準備をする。
 上達部の御座席は西の対なので、こちらの東の対はいつものように騒がしくはない。
 内侍督の御殿では、女房たちの衣装などが、かえってこちら以上にたいそう念入りに支度なさると聞く。
 
 暁に少将の君参りたまへり。
 もろともに頭けづりなどす。
 例の、さいふとも日たけなむと、たゆき心どもはたゆたひて、扇のいとなほなほしきを、また人にいひたる、持て来なむと待ちゐたるに、鼓の音を聞きつけて急ぎ参る、さま悪しき。
 
 早朝に小少将の君が里から帰参なさった。
 一緒に髪を梳ったりなどする。
 例によって、辰の時とはいっても日中になってしまうだろうと、わたしたちの怠け心はついのんびりして、桧扇がたいそう平凡なので、他の人に言って持って来てもらおうと待っているうちに、合図の鼓の音を聞きつけて急いで参上するが、その体裁の悪いこと。
 
 御輿迎へたてまつる船楽いとおもしろし。
 寄するを見れば、駕輿丁のさる身のほどながら、階より昇りて、いと苦しげにうつぶし伏せる、なにのことごとなる、高きまじらひも、身のほどかぎりあるに、いと安げなしかしと見る。
 
 御輿をお迎え申し上げる船楽がたいそう興趣深い。
 御輿を階に寄せるのを見ると、駕輿丁があのような卑しい身分ながら、階から担ぎ昇って、たいそう苦しそうに伏せっている姿は、何の違いがあろうか、高貴な人々に交じっての宮仕えも身分には限度があることだから、ほんとうに安らかな気持ちがしないことだ思いながら見ている。
 
 御帳の西面に御座をしつらひて、南の廂の東の間に御椅子を立てたる、それより一間隔てて、東に当たれる際に北南のつまに御簾を掛け隔てて、女房のゐたる、南の柱もとより、簾をすこしひき上げて、内侍二人出づ。
 
 御帳台の西面に帝の御座所を設けて、南廂の東の間に御椅子を立ててあるが、そこから一間を隔てて、東に当たる境に北と南との端に御簾を掛けて仕切って、女房たちが控えているが、その南の柱のもとから簾をすこし引き上げて、内侍が二人出て来る。
 
 その日の髪上げ麗しき姿、唐絵ををかしげに描きたるやうなり。
 左衛門の内侍、御佩刀執る。
 青色の無紋の唐衣、裾濃の裳、領巾、裙帯は浮線綾を櫨[糸+炎](はじだん)に染めたり。
 上着は菊の五重、掻練は紅、姿つきもてなし、いささかはづれて見ゆるかたはらめ、はなやかにきよげなり。
 
 その日の髪上げした端麗な姿は、唐絵に美しく描いたようである。
 左衛門の内侍が御剣を捧持する。
 青色の無紋の唐衣で、裾濃の裳を付け、領巾や裙帯は浮線綾を櫨[糸+炎](はじだん)に染めていた。
 上着は菊の五重襲に、掻練は紅色で、姿形や振る舞いに、扇からすこし外れて見える横顔は明るく清楚である。
 
 弁の内侍は璽の御筥。
 紅に葡萄染めの織物の袿、裳、唐衣は、先の同じこと。
 いとささやかにをかしげなる人の、つつましげにすこしつつみたるぞ、心苦しう見えける。
 扇よりはじめて、好みましたりと見ゆ。
 領巾は楝[糸+炎](あふちだん)。
 夢のやうにもごよひのだつほど、よそほひ、むかし天降りけむ少女子の姿もかくやありけむとまでおぼゆ。
 
 弁の内侍は御璽の御筥を捧持する。
 紅の掻練に葡萄染めの織物の袿、裳と唐衣は、前の左衛門の内侍と同じである。
 とても小柄で美しい人が、恥ずかしそうにやや固くなっているのが気の毒そうに見えた。
 桧扇を始めとして、趣向が左衛門の内侍よりまさっているように見える。
 領巾は楝[糸+炎](おうちだん)である。
 夢のやうにうねり歩くさまや衣装は、昔天降ったという天女の姿もこんなであったろうかとまで思われる。
 
 近衛司、いとつきづきしき姿して、御輿のことどもおこなふ、いときらきらし。
 藤中将、御佩刀などとりて、内侍に伝ふ。
 
 近衛司の役人がたいそう似つかわしい服装をして、御輿のことなどに奉仕しているが、とてもまぶしい。
 藤中将兼隆が御剣などを受け取って、左衛門の内侍に伝え渡す。
 

五 行幸当日の女房たちの装束

 御簾の中を見わたせば、色ゆるされたる人びとは、例の青色、赤色の唐衣に地摺の裳、上着は、おしわたして蘇芳の織物なり。
 ただ馬の中将ぞ葡萄染めを着てはべりし。
 打物どもは、濃き薄き紅葉をこきまぜたるやうにて、中なる衣ども、例のくちなしの濃き薄き、紫苑色、うら青き菊を、もしは三重など、心々なり。
 
 御簾の中を見わたすと、禁色をゆるされた女房たちは、いつものように青色や赤色の唐衣に地摺の裳を付け、上着はみな一様に蘇芳色の織物である。
 ただ馬の中将の君だけは葡萄染めの上着を着ておりました。
 打衣などは、濃いあるいは薄い紅葉を取り混ぜたようにして、内側に着ている袿などは、いつもの梔子襲の濃いあるいは薄いのや、紫苑色や、裏を青にした菊襲を、もしくは三重襲など、それぞれ思い思いである。
 
 綾ゆるされぬは、例のおとなおとなしきは、無紋の青色、もしは蘇芳など、みな五重にて、襲ねどもはみな綾なり。
 大海の摺裳の、水の色はなやかに、あざあざとして、腰どもは固紋をぞ多くはしたる。
 袿は菊の三重五重にて、織物はせず。
 若き人は、菊の五重の唐衣を心々にしたり。
 上は白く、青きが上をば蘇芳、単衣は青きもあり。
 上薄蘇芳、つぎつぎ濃き蘇芳、中に白きまぜたるも、すべてしざまをかしきのみぞ、かどかどしく見ゆる。
 言ひ知らずめづらしく、おどろおどろしき扇ども見ゆ。
 
 綾織物をゆるされていない女房で、例の年輩の女房たちは、無紋の青色、もしくは蘇芳色など、みな五重襲で、ふせの襲ねなどはみな綾織である。
 大海の摺模様の裳の水色は、華やかでくっきりとして、裳の腰などは固紋を多くの人はしていた。
 袿は菊の三重五重襲で、織物は用いていない。
 若い女房は、菊の五重襲の袿の上に唐衣を思い思いに着ていた。
 ふきの襲の表は白色で、青色の上を蘇芳色にして、下の単衣は青色の者もいる。
 また表は薄蘇芳色で、次々と下に濃い蘇芳色を着て、その下に白色を混ぜているのも、総じて配色に趣きがあるのだけが才気が見える。
 何とも言いようもなく珍しく、仰々しい桧扇などが見える。
 
 うちとけたる折こそ、まほならぬかたちもうちまじりて見え分かれけれ、心を尽くしてつくろひけさうじ、劣らじとしたてたる、女絵のをかしきにいとよう似て、年のほどのおとなび、いと若きけぢめ、髪のすこし衰へたるけしき、まだ盛りのこちたきがわきまへばかり見わたさる。
 さては、扇より上の額つきぞ、あやしく人のかたちを、しなじなしくも下りてももてなすところなむめる。
 かかる中にすぐれたりと見ゆるこそ限りなきならめ。
 
 くつろいでいる時は、整っていない容貌の人が混じっているのも見分けられるが、皆が一生懸命に着飾り化粧して、人に負けまいと競い合っているのは、女絵の美しいのにたいそうよく似て、年齢の具合が年輩者とごく若い者との違いだけが、髪がすこし衰えている様子やまだ盛りでたくさんある違いぐらいが見わたされる。
 それによって、桧扇の上から現れている額つきが、妙に人の容貌を上品にも下品にもして見せるもののようである。
 このような中にあって優れていると見えるのはこの上なく美しい人なのであろう。
 
 かねてより、主上の女房、宮にかけてさぶらふ五人は、参り集ひてさぶらふ。
 内侍二人、命婦二人、御まかなひの人一人。
 御膳まゐるとて、筑前、左京、一もとの髪上げて、内侍の出で入る隅の柱もとより出づ。
 これはよろしき天女なり。
 左京は青色に柳の無紋の唐衣、筑前は菊の五重の唐衣、裳は例の摺裳なり。
 御まかなひ橘三位。
 青色の唐衣、唐綾の黄なる菊の袿ぞ、上着なむめる。
 一もと上げたり。
 柱隠れにて、まほにも見えず。
 
 行幸の前から、主上付きの女房で、中宮様付きも兼ねて仕えている五人は、こちらに参集して伺候している。
 内侍が二人、命婦が二人、御給仕役が一人である。
 主上に御膳物を差し上げるということで、筑前の命婦と左京の命婦が、一髻の髪上げをして、内侍が出入りする隅の柱のもとから出て来る。
 これはちょっとした天女である。
 左京の命婦は青色の柳襲の上に無紋の唐衣、筑前の命婦は菊の五重襲の上に唐衣で、裳は例によって共に摺裳である。
 御給仕役は、橘三位徳子である。
 青色の唐衣に、唐綾の黄菊襲の袿が表着のようである。
 この人も一髻を髪上げしていた。
 柱の陰のために十分には見えない。
 
 殿、若宮抱きたてまつりたまひて、御前にゐてたてまつりたまふ。
 主上、抱き移したてまつらせたまふほど、いささか泣かせたまふ御声、いと若し。
 弁宰相の君、御佩刀執りて参りたまへり。
 母屋の中戸より西に殿の上おはする方にぞ、若宮はおはしまさせたまふ。
 主上、外に出でさせたまひてぞ、宰相の君はこなたに帰りて、
 殿が若宮をお抱き申し上げなさって、御前にお連れ申し上げなさる。
 主上がお抱き取りになる時に、若宮のすこしお泣きなさるお声がとても可愛いらしい。
 弁宰相の君が若宮の御佩刀を捧持して伺候している。
 母屋の中戸から西の方の、殿の北の方がいらっしゃる方に、若宮はお連れ申し上げなさる。
 主上が御簾の外にお出ましになってから、宰相の君はこちらに戻って、
 「いと顕証に、はしたなき心地しつる」  「とても目立ってしまって、きまりの悪いをしました」
と、げに面うち赤みてゐたまへる顔、こまかにをかしげなり。
 衣の色も、人よりけに着はやしたまへり。
 
と言って、ほんとうに頬を赤らめて座っている顔は、端正で美しい感じがする。
 衣装の色合いも、他の人よりは一段と引き立って着こなしていらっしゃった。
 

六 御前の管弦・舞楽の御遊

 暮れゆくままに、楽どもいとおもしろし。
 上達部、御前にさぶらひたまふ。
 万歳楽、太平楽、賀殿などいふ舞ども、長慶子を退出音声にあそびて、山の先の道をまふほど、遠くなりゆくままに、笛の音も、鼓の音も、松風も、木深く吹きあはせて、いとおもしろし。
 
 日が暮れてゆくにつれて、いろいろな楽の音がとても興趣深い。
 上達部が帝の御前に伺候なさっている。
 万歳楽や太平楽、賀殿などという舞なども、長慶子を退出音声として演奏して、楽船が築山の向こうの水路を漕ぎめぐって行く時、遠くへ行くにつれて、笛の音も鼓の音も、それに松風も木立の奥から吹き合わせて、たいそう素晴らしい。
 
 いとよく払らはれたる遣水の心地ゆきたる気色して、池の水波たちさわぎ、そぞろ寒きに、主上の御袙ただ二つたてまつりたり。
 左京の命婦のおのが寒かめるままに、いとほしがりきこえさするを、人びとはしのびて笑ふ。
 筑前の命婦は、
 とてもよく手入れされた遣水がさらさらと流れて、池の水波がさざなみを作り、何となく肌寒いのに、主上は御袙をただ二枚だけをお召しになっている。
 左京の命婦は自分が寒いものだから、帝にご御同情申し上げているのを、女房たちはひそひそと笑う。
 筑前の命婦は、
 「故院のおはしましし時、この殿の行幸は、いとたびたびありしことなり。
 その折、かの折」
 「亡き女院(詮子)様がご在世中でした時、この邸への行幸は、とても度々あったことでした。
 その折は……、かの折は……」
など、思ひ出でて言ふを、ゆゆしきこともありぬべかめれば、わづらはしとて、ことにあへしらはず、几帳隔ててあるなめり。
 
などと、思い出して言うのを、縁起でもない涙を流すことにもなってしまいそうなので、厄介なことだと思って、ことさらに相手にせず、几帳を隔てているようである。
 
 「あはれ、いかなりけむ」  「ああ、その時はどんなだったのしょうか」
などだに言ふ人あらば、うちこぼしつべかめり。
 
などとでも言う人がいたならば、ほろりと泣き出してしまいそうである。
 
 御前の御遊び始まりて、いとおもしろきに、若宮の御声うつくしう聞こえたまふ。
 右の大臣、
 帝の御前における管弦の御遊が始まって、たいそう興趣深い時分に、若宮の泣き声が可愛らしく聞こえなさる。
 右大臣(藤原顕光)が、
 「万歳楽、御声にあひてなむ聞こゆる」  「万歳楽が、若宮のお声によく合って聞こえます」
と、もてはやしきこえたまふ。
 左衛門督など、
と言って、お褒め申し上げなさる。
 左衛門督などは、
 「万歳、千秋」  「万歳、千秋」
と諸声に誦じて、主人の大殿、 と声を合わせて朗詠して、ご主人の大殿は、
 「あはれ、さきざきの行幸を、などて面目ありと思ひたまへけむ。
 かかりけることもはべりけるものを」
 「ああ、これまでの行幸を、どうして名誉なことだと思っていたのであろうか。
 こんなにもめでたく素晴らしい行幸もあったのに」
と、酔ひ泣きしたまふ。
 さらなることなれど、御みづからもおぼし知るこそ、いとめでたけれ。
 
と、酔い泣きなさる。
 いうまでもないことだが、ご自身でもお感じ入っている様子が、まことに素晴らしいことであった。
 
 殿は、あなたに出でさせたまふ。
 主上は入らせたまひて、右の大臣を御前に召して、筆とりて書きたまふ。
 宮司、殿の家司のさるべきかぎり、加階す。
 頭弁して案内は奏せさせたまふめり。
 
 殿は、あちら(西の対)へお出ましになる。
 主上は御簾の内側にお入りあそばして、右大臣を御前に呼び寄せて、筆をとってお書きになる。
 中宮職の役人や、殿の家司のしかるべき者すべてに、位階を上げる。
 頭弁に命じて加階の手続きは奏上させなさるようだ。
 
 新しき宮の御よろこびに、氏の上達部ひき連れて、拝したてまつりたまふ。
 藤原ながら門分かれたるは、列にも立ちたまはざりけり。
 次に、別当になりたる右衛門督、大宮の大夫よ、宮の亮、加階したる侍従の宰相、次々の人、舞踏す。
 
 新たな若宮の親王宣下の慶祝のために、藤原氏の上達部たちが連れ立って、お祝いの拝礼をなさる。
 同じ藤原であるが門流の分かれた人たちは、その列にお加わりにならなかった。
 次に、親王家の別当になった右衛門督は、中宮大夫ですよ、中宮権亮は、加階した侍従の宰相で、続いて次々の人びとが、お礼の拝舞をする。
 
 宮の御方に入らせたまひて、ほどもなきに、  帝は中宮様の御帳台にお入りになって、間もないうちに、
 「夜いたう更けぬ。
 御輿寄す」
 「夜がたいそう更けました。
 御輿を寄せます」
と、ののしれば、出でさせたまひぬ。
 
と、大声で言うので、帝は御帳台からお出ましになった。
 

七 十月十七日 行幸翌日の中宮の御前

 またの朝に、内裏の御使ひ、朝霧も晴れぬに参れり。
 うちやすみ過ぐして、見ずなりにけり。
 今日ぞ初めて削いたてまつらせたまふ。
 ことさらに行幸の後とて。
 
 翌日の朝に、内裏からの勅使が朝霧もまだ晴れないうちに参上した。
 寝過ごして見ないで終わってしまった。
 今日、初めて若宮のお髪を剃り申し上げなさる。
 特に行幸の後にということでこうした。
 
 また、その日、宮の家司、別当、おもと人など、職定まりけり。
 かねても聞かで、ねたきこと多かり。
 
 また一方、その日に若宮家の家司の別当や侍人などの職員が決まった。
 前もって聞いていないで、悔しいことが多かった。
 
 日ごろの御しつらひ、例ならずやつれたりしを、あらたまりて、御前のありさまいとあらまほし。
 年ごろ心もとなく見たてまつりたまひける御ことのうちあひて、明けたてば、殿の上も参りたまひつつ、もてかしづききこえたまふ、にほひいと心ことなり。
 
 日ごろの中宮様の部屋のしつらいは、普段と違って質素にしていたが、平常に改まって、御前の様子はとても素晴らしい。
 何年もの間、待ち遠しくお思いになっていた若宮誕生が叶って、夜が明けると殿の北の方も参上なさって、若宮をお世話申し上げなさる、その華やかさはとても格別である。
 

八 宰相の君たちと月を眺める

 暮れて月いとおもしろきに、宮の亮、女房にあひて、とりわきたるよろこびも啓せさせむとにやあらむ、妻戸のわたりも御湯殿のけはひに濡れ、人の音もせざりければ、この渡殿の東のつまなる宮の内侍の局に立ち寄りて、  日が暮れて月がたいそう美しい時分に、中宮亮が女房に会って、特別な加階のお礼を啓上してもらおうとでもいうのであろうか、妻戸のあたりも御湯殿の湯気に濡れて、女房のいる物音もしなかったので、こちらの渡殿の東の端にいる宮の内侍の部屋に立ち寄って、
 「ここにや」  「こちらでしょうか」
と案内したまふ。
 宰相は中の間に寄りて、まだ鎖さぬ格子の上押し上げて、
と伺いなさる。
 宰相(中宮亮)は、また中の間に寄って、まだ鈎を鎖さない格子の上を押し上げて、
 「おはすや」  「いらっしゃいますか」
などあれど、いらへもせぬに、大夫の、 などと言うが、返事をしないでいると、中宮大夫が、
 「ここにや」  「こちらでしょうか」
とのたまふにさへ、聞きしのばむもことごとしきやうなれば、はかなきいらへなどす。
 いと思ふことなげなる御けしきどもなり。
 
とおっしゃるのに対してさえ、聞こえぬふりをしているのも仰々しいようなので、ちょっとした返事などをする。
 二人ともまことに満足のいったご様子である。
 
 「わが御いらへはせず、大夫を心ことにもてなしきこゆ。
 ことわりながら悪ろし。
 かかる所に、上下臈のけぢめ、いたうは分くものか」
 「わたしへのお返事はしないで、中宮大夫を特別にお扱い申し上げる。
 もっともであるが感心しない。
 このような所で、上下の身分の差をひどく区別するなんて」
とあはめたまふ。
 
と非難なさる。
 
 「今日の尊とさ」  「今日の尊とさ」
など、声をかしううたふ。
 
などと、催馬楽を声美しく謡う。
 
 夜更くるままに、月いと明かし。
 
 夜が更けて行くにつれて、月がとても明るい。
 
 「格子のもと取りさけよ」  「格子の下半分を取り外しなさいよ」
と、せめたまへど、いと下りて上達部のゐたまはむも、かかる所といひながら、かたはらいたし、若やかなる人こそ、もののほど知らぬやうにあだへたるも罪許さるれ、なにか、あざればましと思へば、放たず。
 
と要めなさるが、ひどく品格を下げて上達部が入り込むようなのも、このような里第とは言いながらも、やはり見苦しいし、若い女房ならば、物事の分別を知らないように戯れるのも大目に見られようが、どうしてそんなふざけたことができようかと思うと、格子を外さない。
 

九 十一月一日 誕生五十日の祝儀

 御五十日は霜月の朔日の日。
 例の人びとのしたてて参う上り集ひたる御前のありさま、絵に描きたる物合せの所にぞ、いとよう似てはべりし。
 
 若宮のご誕生五十日の祝いは、霜月一日の日である。
 例のごとく女房たちが着飾って参集している中宮様の御前の様子は、絵に描いた物合せの場面に大変によく似ておりました。
 
 御帳の東の御座の際に、御几帳を奥の御障子より廂の柱まで隙もあらせず立てきりて、南面に御前の物は参り据ゑたり。
 西によりて、大宮の御膳、例の沈の折敷、何くれの台なりけむかし。
 そなたのことは見ず。
 
 御帳台の東の御座所の際に、御几帳を奥の御障子から廂の間の柱まで隙もなく立て続けて、南面の廂の間に中宮様と若宮の御膳はお供えしてあった。
 その西側寄りに中宮様の御膳は例によって沈の折敷に何とかの台であったろう。
 そちらのことは見ていない。
 
 御まかなひ宰相の君讃岐、取り次ぐ女房も、釵子、元結などしたり。
 若宮の御まかなひは大納言の君、東に寄りて参り据ゑたり。
 小さき御台、御皿ども、御箸の台、洲浜なども、雛遊びの具と見ゆ。
 それより東の間の廂の御簾すこし上げて、弁の内侍、中務の命婦、小中将の君など、さべいかぎりぞ、取り次ぎつつまゐる。
 奥にゐて、詳しうは見はべらず。
 
 お給仕役の宰相の君讃岐で、取り次ぎ役の女房も、釵子や元結などをしていた。
 若宮のお給仕役は大納言の君で、東側寄りにお供えしてあった。
 小さい御膳台やお皿など、御箸の台や洲浜なども、まるで雛遊びの道具のように見える。
 そこから東の間の廂の御簾をすこし巻き上げて、弁の内侍や中務の命婦、小中将の君など、しかるべき女房だけが、順次取り次ぎながら差し上げる。
 奥の方にいたので、詳しくは見ておりません。
 
 今宵、少輔の乳母、色聴さる。
 ここしきさまうちしたり。
 宮抱きたてまつり、御帳の内にて、殿の上抱き移したてまつりたまひて、ゐざり出でさせたまへる火影の御さま、けはひことにめでたし。
 赤色の唐の御衣、地摺の御裳、麗しくさうぞきたまへるも、かたじけなくもあはれにも見ゆ。
 大宮は葡萄染めの五重の御衣、蘇芳の御小袿たてまつれり。
 殿、餅はまゐりたまふ。
 
 今夜、少輔の乳母が禁色をゆるされる。
 おっとりした様子をしていた。
 若宮をお抱き申して、御帳台の中で、殿の北の方がお抱き取り申し上げられて、膝行しながら出ていらっしゃる灯火に照らされたお姿は、まことに立派な感じである。
 赤色の唐衣に、地摺の御裳を付け、きちんとお召しになっているのも、もったいなくも素晴らしくも見える。
 中宮様は葡萄染めの五重襲の袿に、蘇芳の御小袿をお召しになっている。
 殿がお餅は差し上げなさる。
 
 上達部の座は、例の東の対の西面なり。
 いま二所の大臣も参りたまへり。
 橋の上に参りて、また酔ひ乱れてののしりたまふ。
 折櫃物、籠物どもなど、殿の御方より、まうち君たち取り続きて参れる、高欄に続けて据ゑわたしたり。
 たちあかしの光の心もとなければ、四位少将などを呼び寄せて、紙燭ささせて、人びとは見る。
 内裏の台盤所にもて参るべきに、明日よりは御物忌みとて、今宵みな急ぎて取り払ひつ。
 
 上達部のお座席は、例によって東の対の西の廂の間である。
 もうお二方の大臣も参上なさった。
 渡殿の橋の上に参って、また酔い乱れて大声を出しなさる。
 折櫃に入れた物や、いくつもの籠に入れた物などを、殿の所から、家司たちが次々と運んできて、高欄に沿って並べて置いてあった。
 松明の明かりが心もとないので、四位少将などを呼び寄せて、紙燭をささせて、人びとはそれらを見る。
 内裏の台盤所に持参すべきものだが、明日からは御物忌みということで、今夜みな急いで取り片付けた。
 
 宮の大夫、御簾のもとに参りて、  中宮大夫が、御簾のもとに参って、
 「上達部、御前に召さむ」  「上達部を、御前に召しましょう」
と啓したまふ。
 
と啓上なさる。
 
 「聞こし召しつ」  「お聞きとどけになりました」
とあれば、殿よりはじめたてまつりて、みな参りたまふ。
 階の東の間を上にて、東の妻戸の前までゐたまへり。
 女房、二重、三重づつゐわたりて、御簾どもをその間にあたりてゐたまへる人びと、寄りつつ巻き上げたまふ。
 
と、取り次ぎの女房が言うので、殿をお始め申して、みな参上なさる。
 正面の階の東の間を上座として、東の妻戸の前までお座りになっていた。
 女房たちが、二列あるいは三列ずつにずらりと座って、御簾などを、その間にあたりに座っていらっしゃる女房たちが、寄り合って巻き上げなさる。
 
 大納言の君、宰相の君、小少将の君、宮の内侍とゐたまへるに、右の大臣寄りて、御几帳のほころび引き断ち、乱れたまふ。
 
 大納言の君や宰相の君、小少将の君、宮の内侍という順に座っていらっしゃると、右大臣が近寄って来て、御几帳の切れ目を引きちぎって、酔い乱れなさる。
 
 「さだ過ぎたり」  「いいお年をして」
とつきしろふも知らず、扇を取り、たはぶれごとのはしたなきも多かり。
 大夫、かはらけ取りて、そなたに出でたまへり。
 「美濃山」うたひて、御遊び、さまばかりなれど、いとおもしろし。
 
と非難しているのも知らずに、女房の扇を取って、みっともない冗談をたくさん言っていた。
 中宮大夫が、盃を取りて、右大臣の方へお出になった。
 催馬楽の「美濃山」を謡って、管弦の御遊も形ばかりだがたいそう興趣ある。
 
 その次の間の東の柱もとに、右大将寄りて、衣の褄、袖口かぞへたまへるけしき、人よりことなり。
 酔ひのまぎれをあなづりきこえ、また誰れとかはなど思ひはべりて、はかなきことども言ふに、いみじくざれ今めく人よりも、けにいと恥づかしげにこそおはすべかめりしか。
 盃の順の来るを、大将はおぢたまへど、例のことなしびの、「千歳万代」にて過ぎぬ。
 
 その次の間の東の柱もとに、右大将(実資)が寄り掛かって、女房の衣の褄や袖口を数えていらっしゃる様子は、誰よりも格別である。
 酔い乱れた席であることをよいことにして、また誰であるかも分かるまいと思いまして、右大将にちょっと言葉をかけてみると、ひどく今風にしゃれた人よりも、実にたいそう立派な方でいらっしゃるようであった。
 盃が順に廻って来るのを、右大将は恐れていらっしゃるが、例によって無難な「千年も万代も」の祝い文句で済ました。
 
 左衛門督、
 「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」
 と、うかがひたまふ。
 左衛門督(公任)が、
 「失礼ですが、この辺に若紫さんはおりませんか」
 と、お探しになる。
 源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上はまいていかでものしたまはむと、聞きゐたり。
 
 光源氏に似ていそうな人もお見えにならないのに、あの紫の上が、どうしてここにいらっしゃろうかと、聞き流していた。
 
 「三位の亮、かはらけ取れ」  「三位の亮(実成)、盃を受けよ」
などあるに、侍従の宰相立ちて、内の大臣のおはすれば、下より出でたるを見て、大臣酔ひ泣きしたまふ。
 権中納言、隅の間の柱もとに寄りて、兵部のおもとひこしろひ、聞きにくきたはぶれ声も、殿のたまはず。
 
などと、殿がおっしゃるので、侍従宰相(三位亮)は立ち上って、父の内大臣(公季)がいらっしゃるので、下手から出て来たのを見て、内大臣は感激のあまり酔い泣きなさる。
 権中納言(隆家)が、隅の間の柱もとに寄って、兵部のおもとの袖を無理やり引っ張って、聞くに耐えない冗談を言っているのに、殿は何ともおっしゃらない。
 

一〇 五十日祝いの夜の酒宴

 恐ろしかるべき夜の御酔ひなめりと見て、事果つるままに、宰相の君に言ひ合はせて、隠れなむとするに、東面に殿の君達、宰相中将など入りて、騒がしければ、二人御帳の後ろにゐ隠れたるを、取り払はせたまひて、二人ながら捉へ据ゑさせたまへり。
 
 何か恐ろしいことになりそうな今夜のご酔態ぶりだと見てとって、祝宴が終わるとすぐに、宰相の君と示し合わせて、どこかに隠れようとすると、東面の間に殿の御子息たちや宰相中将など入って来て、騒がしいので、二人とも御帳の後ろに隠れていたのを、殿は、それをお取り払いになって、二人とも捕まえ側に座らせなさった。
 
 「和歌一つ仕うまつれ。さらば許さむ」  「和歌を一首お詠みいたせ。そうすれば許そう」
と、のたまはす。
 いとわびしく恐ろしければ聞こゆ
 
とおっしゃる。
 とても困ってまた恐ろしいので、お詠み申し上げる
 
♪9  
いかにいかが かぞへやるべき 八千歳の 
あまり久しき 君が御代をば
いったいいかように数えあげたらよいのでしょう幾千年もの
あまりにも久しい若宮様のお齢を
   
 「あはれ、仕うまつれるかな」  「ああ、よく詠んだものよ」
と、二たびばかり誦ぜさせたまひて、いと疾うのたまはせたる、 と、二度ほど声に出して詠みなさって、とても早くお詠みになった、殿の歌、
♪10  
あしたづの 齢しあらば 君が代
千歳の数も かぞへとりてむ
わたしにも千年の寿命を保つ鶴ほどの齢があったならば、若宮の御代の
千年の数もかぞえとることができるだろうよ
   
 さばかり酔ひたまへる御心地にも、おぼしけることのさまなれば、いとあはれにことわりなり。
 げにかくもてはやしきこえたまふにこそは、よろづのかざりもまさらせたまふめれ。
 千代もあくまじき御ゆくすゑの、数ならぬ心地にだに思ひ続けらる。
 
 あれほど酔っていらっしゃる御心地でも、お心に掛けていらっしゃることの趣旨なので、まことにご立派なのも、もっともなことである。
 なるほどこのように若宮を大切にお扱い申していらっしゃるからこそ、すべての栄光もおまさりになるのであろう。
 千年でもまだ満足できそうにない御将来が、わたしのような人数に入らない気持ちでさえ思い続けられる。
 
 「宮の御前、聞こしめすや。
 仕うまつれり」
 「中宮様よ、お聞きあそばしましたか。
 よくお詠み申しました」
と、われぼめしたまひて、 と、ご自賛なさって、
 「宮の御父にてまろ悪ろからず、まろがむすめにて宮悪ろくおはしまさず。
 母もまた幸ひありと思ひて、笑ひたまふめり。
 良い夫は持たりかし、と思ひたんめり」
 「中宮の御父君として、わたしは悪くはありませんし、またわたしの娘君として中宮も悪くはいらっしゃいません。
 母君もまた幸運であると思って、笑っていらっしゃるようだ。
 良い夫君を持ったことだと、思っているであろう」
と、たはぶれきこえたまふも、こよなき御酔ひのまぎれなりと見ゆ。
 さることもなければ、騒がしき心地はしながらめでたくのみ聞きゐさせたまふ。
 殿の上、聞きにくしとおぼすにや、渡らせたまひぬるけしきなれば、
と、ご冗談を申し上げなさるのも、この上ない御酔態によるしわざであると見える。
 それほどの御酔態でもないので、中宮様は落ち着かない気持ちはしながらも素晴らしいとばかり聞いていらっしゃる。
 殿の北の方は、聞きにくいとお思いになってであろうか、お渡りになろうとする様子なので、殿は、
 「送りせずとて、母恨みたまはむものぞ」  「お見送りをしないと言って、母はお恨みなさるでしょう」
とて、急ぎて御帳の内を通らせたまふ。
 
とおっしゃって、急いで御帳台の中をお通り抜けなさる。
 
 「宮なめしとおぼすらむ。
 親のあればこそ子もかしこけれ」
 「中宮様は失礼なとお思いになるでしょう。
 親がいればこそ子も立派というものです」
と、うちつぶやきたまふを、人びと笑ひきこゆ。
 
と、殿がつぶやきなさるのを、女房たちはお笑い申し上げる。
 

一一 内裏還御の準備 御冊子作り

 入らせたまふべきことも近うなりぬれど、人びとはうちつぎつつ心のどかならぬに、御前には御冊子作りいとなませたまふとて、明けたてば、まづ向かひさぶらひて、色々の紙選りととのへて、 物語の本ども添へつつ、所々に文書き配る。
 かつは綴じ集めしたたむるを役にて明かし暮らす。
 
 中宮様が内裏に還御なさるはずのことも近づいたが、女房たちは行事が次ぐ次と続きのんびりとしていられないのに、中宮様には物語の御冊子をお作りになろうということで、夜が明けると、まっさきに御前に伺候して、色とりどりの紙を選び調えて、それに物語の元本を添えては、あちこちに清書を依頼する手紙を書いて配る。
 その一方では清書された物語を綴じ集めて製本するのを仕事として毎日を過ごす。
 
 「なぞの子持ちか、冷たきにかかるわざはせさせたまふ」  「どうして子持ちの方が、こんな冷たい時分に、このようなことをなさいますか」
と、聞こえたまふものから、よき薄様ども、筆、墨など、持てまゐりたまひつつ、御硯をさへ持てまゐりたまへれば、取らせたまへるを、惜しみののしりて、 と、殿は申し上げなさるものの、上等の薄様の紙や筆、墨などを持っていらっしゃっては、さらに御硯までを持っていらっしゃったのを、中宮様がわたしにお与えになったので、殿はそのことを大袈裟に惜しがりなさって、
 「ものの奥にて向かひさぶらひて、かかるわざし出づ」  「奥まったところに隠れて伺候して、このようなことをしている」
とさいなむ。
 されど、よき継ぎ、墨、筆などたまはせたり。
 
とおっしゃって責める。
 けれども、上等な墨挟みや墨、筆などを下さった。
 
 局に物語の本ども取りにやりて隠しおきたるを、御前にあるほどに、やをらおはしまいて、あさらせたまひて、みな内侍の督の殿にたてまつりたまひてけり。
 よろしう書きかへたりしはみなひき失ひて、心もとなき名をぞとりはべりけむかし。
 
 自分の局に源氏物語の草稿本などを取りにやって隠して置いたのを、わたしが中宮様の所にいる間に、殿がこっそりいらっしゃって、お探しになって、それらをすべて内侍督研子様に差し上げておしまいになった。
 まずまずに書き直したのは既にみな分散してしまったし、手直ししてない本が研子様に差し上げられて、きっと気掛かりでならない悪い評判を取ったことでございましょうよ。
 
 若宮は御物がたりなどせさせたまふ。
 内裏に心もとなくおぼしめす、ことわりなりかし。
 
 若宮は片言のおしゃべりなどをなさる。
 主上におかれても待ち遠しくお思いになられるのも、ごもっともなことである。
 

一二 里下がりしての述懐

 御前の池に、水鳥どもの日々に多くなり行くを見つつ、「入らせたまはぬさきに雪降らなむ。
 この御前のありさま、いかにをかしからむ」と思ふに、あからさまにまかでたるほど、二日ばかりありてしも雪は降るものか。
 見所もなきふるさとの木立ちを見るにも、ものむつかしう思ひ乱れて、年ごろつれづれにながめ明かし暮らしつつ、花鳥の色をも音をも、春秋に行き交ふ空のけしき、月の影、霜、雪を見て、その時来にけりとばかり思ひ分きつつ、いかにやいかにとばかり、行く末の心細さはやる方なきものから、はかなき物語などにつけて、うち語らふ人、同じ心なるは、あはれに書き交はし、すこしけ遠きたよりどもを尋ねてもいひけるを、ただこれをさまざまにあへしらひ、そぞろごとにつれづれをば慰めつつ、世にあるべき人数とは思はずながら、さしあたりて恥づかし、いみじと思ひ知る方ばかり逃れたりしを、さも残ることなく思ひ知る身の憂さかな。
 
 土御門邸の庭の池に、水鳥たちが日々に多くなって行くのを見ながら、「ご還御なさらない前に雪が降ってほしいなあ。
 このお庭先の様子は、どんなに趣きのあることであろうか」と思っているときに、ちょっと里に退出した間に、二日ほどしてなんと雪が降るではないか。
 見所もない実家の庭の木立ちを見るにつけても、なんとも気がふさぎ込んで思い乱れて、長年所在ないままに物思いしながら日を明かし暮らしながら、花の色や鳥の音を見たり聞いたりするにつけても、季節の移り変わる空の様子や、月の光、霜、雪を見ても、ただその時節が来たのだなあと意識する程度で、わが身はいったいどうなるのだろうかと思うばかりで、行く末の心細さはどうしようもないものの、一方でとりとめもないわたしの源氏物語などについて、話を交わす人の中で、気持ちの通じ合う人とは、しみじみと手紙を書き交わし、少し疎遠な縁故を頼ってでも文通したものだが、ただこの物語についてさまざまに応答しあい、とりとめのない話に無聊を慰めながら、わたしなどこの世に生きている価値のある人だとも思わないものの、さしあたっては恥ずかしい、つらいと思い知らされることだけは逃れて来たのだが、宮仕えする身となって、こんなにまで、恥ずかしい、つらいという思いのありったけを思い知るとは、なんとも辛い身であることよ。
 
 試みに物語を取りて見れど、見しやうにもおぼえず、あさましく、あはれなりし人の語らひしあたりも、われをいかに面なく心浅きものと思ひおとすらむと、おしはかるに、それさへいと恥づかしくて、えおとづれやらず。
 心にくからむと思ひたる人は、おほぞうにては文や散らすらむなど、疑はるべかめれば、いかでかは、わが心のうち、あるさまをも深うおしはからむと、ことわりにて、いとあいなければ、仲絶ゆとなけれど、おのづからかき絶ゆるもあまた。
 住み定まらずなりにたりとも思ひやりつつ、おとなひ来る人も難うなどしつつ、すべてはかなきことにふれても、あらぬ世に来たる心地ぞ、ここにてしもうちまさり、ものあはれなりける。
 
 ためしに物語を手に取って見ても、かつてのような感興も起こらず、興醒めがして、かつて親しかった人で物語について語り合った人でも、今ではわたしをどんなに臆面なく思慮の浅いものよと軽蔑していることだろうかと、推量すると、それだけでさえとても恥ずかしくて、手紙をやることもできない。
 奥ゆかしくありたいと思っている人は、いい加減な宮仕えしていては手紙をとり散らすだろうなどと、きっと疑うにちがいないので、どうして、わたしの心のうちの、あるさまをも、深く推察してくれようかと、それも道理なので、まことに意味ないことなので、仲が絶えるというのではないが、自然と手紙を書き交わさなくなった人も大勢いる。
 わたしの居所も定まらなくなったと想像しては、訪れて来る人も難しくなってきたりして、万事ちょっとしたことにつけても、別世界に来たような心地がして、実家に帰って一層強く感じられ、しみじみと悲しいのだった。
 
 ただ、えさらずうち語らひ、すこしも心とめて思ふ、こまやかにものを言ひかよふ、さしあたりておのづから睦び語らふ人ばかりを、すこしもなつかしく思ふぞ、ものはかなきや。
 
 今はただ宮仕え上、やむをえず話を交わし、わずかに心にとめて思う人や、情愛こまやかに言葉を交わしあう人、仕事上の自然と親しく相談する人だけが、わずかに懐かしく思われるのは、何とも頼りないことよ。
 
 大納言の君の、夜々は御前にいと近う臥したまひつつ、物語りしたまひしけはひの恋しきも、なほ世にしたがひぬる心か。
 
 大納言の君が、毎夜、中宮様のお側近くにお休みになりながら、お話してくださった様子が恋しく思われるのも、やはり世間の習わしに順応した心であろうか。
 
♪11  
浮きせし 水の上のみ 恋しくて
鴨の上毛に さへぞ劣らぬ
ご一緒に仮寝をした宮仕え生活が恋しく思い出されて
独り寝の夜の冷たさは霜の置く鴨の上毛にも劣りません
   
 返し、  大納言の君の返歌、
♪12  
うちはらふ 友なきころの 覚めには
つがひし鴛鴦ぞ 夜半に恋し
鴨の上毛に置く霜を互いに払う友もいないころの夜半の寝覚めには
いつも一緒にいた鴛鴦のようにあなたのことが恋しく思われてなりません
   
 書きざまなどさへいとをかしきを、まほにもおはする人かなと見る。
 
 書き様などまでがまことに興趣深いのを、ほんとうに申し分のない方でいらっしゃるなあと思って見る。
 
 「雪を御覧じて、折しもまかでたることをなむ、いみじく憎ませたまふ」  「中宮様が雪を御覧になって、よりによってあなたが里に退出したことを、ひどく残念がっていらっしゃいます」
と、人びとものたまへり。
 殿の上の御消息には、
と、他の女房たちも手紙でおっしゃっていた。
 殿の北の方からのお手紙には、
 「まろがとどめし旅なれば、ことさらに急ぎまかでて、『疾く参らむ』とありしもそらごとにて、ほど経るなめり」  「わたしが引き止めた里下がりなので、格別に急いで退出して、『早く帰参します』と言ったのも嘘で、長く里にいるようですね」
と、のたまはせたれば、たはぶれにても、さ聞こえさせ、たまはせしことなれば、かたじけなくて参りぬ。
 
と、おっしゃっているので、たとい冗談にしても、早く帰参しますと申し上げており、手紙も頂戴したことなので、恐れ多くて帰参した。
 

一三 十一月十七日、中宮還御

 入らせたまふは十七日なり。
 戌の時など聞きつれど、やうやう夜更けぬ。
 みな髪上げつつゐたる人、三十余人、その顔ども見え分かず。
 母屋の東面、東の廂に内裏の女房も十余人、南の廂の妻戸隔ててゐたり。
 
 宮中へ還御される日は十七日である。
 戌の時(午後八時頃)などと聞いたが、だんだんと夜が更けてしまった。
 みな髪上げをしいしい控えていた女房たち三十人余りは、その顔などは見分けがつかない。
 母屋の東面の間や東の廂の間に内裏の女房たちも十人余りが、南の廂の間の妻戸を隔てて控えていた。
 
 御輿には宮の宣旨乗る。
 糸毛の御車に殿の上、少輔の乳母若宮抱きたてまつりて乗る。
 大納言、宰相の君、黄金造りに、次の車に小少将、宮の内侍、次に馬の中将と乗りたるを、悪ろき人と乗りたりと思ひたりしこそ、あなことごとしと、いとどかかるありさまむつかしう思ひはべりしか。
 殿司の侍従の君、弁の内侍、次に左衛門の内侍、殿の宣旨式部とまでは次第知りて、次々は例の心々にぞ乗りける。
 
 中宮様の御輿には宮の宣旨が一緒に乗る。
 糸毛の御車に殿の北の方と少輔の乳母が若宮をお抱き申して乗る。
 大納言の君と宰相の君は黄金造りの車に、次の車には小少将の君と宮の内侍、次の車にわたしが馬の中将の君と乗ったのを、馬の中将の君が嫌な人と乗り合わせたと思っているのは、まあ何と大袈裟なことかと、ますますこのような宮仕えが鬱陶しく思われました。
 殿司の侍従の君と弁の内侍、次に左衛門の内侍と殿の宣旨の式部とまでは乗車順が決まっていて、以下は例によって思い思いに乗ったのだった。
 
 月の隈なきに、いみじのわざやと思ひつつ足をそらなり。
 馬の中将の君を先に立てたれば、行方も知らずたとたどしきさまこそ、わが後ろを見る人、恥づかしくも思ひ知らるれ。
 
 月が明るく照っているので、ひどくきまりの悪いことだと思いながら、足も地に着かない感じである。
 馬の中将の君を先に立てて歩かせたので、どこへ行くのかも分からない足取りで付いて行くのは、わたしの後ろ姿を見る人はどう思うかと、ほんとうに恥ずかしく思い知られた。
 
 細殿の三の口に入りて臥したれば、小少将の君もおはして、なほかかるありさまの憂きことを語らひつつ、すくみたる衣ども押しやり、厚ごえたる着重ねて、火取に火をかき入れて、身も冷えにける、もののはしたなさを言ふに、侍従の宰相、左の宰相の中将、公信の中将など、次々に寄り来つつとぶらふも、いとなかなかなり。
 今宵はなきものと思はれてやみなばやと思ふを、人に問ひ聞きたまへるなるべし。
 
 細殿の三の口から局に入って臥せっていると、小少将の君もいらっしゃって、やはりこのような宮仕え生活のつらいことを語り合いながら、寒さでこわばった衣類などを脱いで隅へ押しやり、厚ぼったい衣装を着重ねて、香炉に火を熾して、身体もすっかり冷えきってしまったわと、体裁の悪いことを言っているところに、侍従の宰相、左の宰相の中将、公信の中将などが、次々と立ち寄っては挨拶するのも、かえって煩わしい。
 今夜はいない者と思われて過ごしたい思っているのに、誰かにお聞きになったのであろう。
 
 「いと朝に参りはべらむ。
 今宵は耐へがたく、身もすくみてはべり」
 「明朝早く参上いたしましょう。
 今夜はがまんできないほど、寒さで身もすくんでおりますから」
など、ことなしびつつ、こなたの陣のかたより出づ。
 おのがじし家路と急ぐも、何ばかりの里人ぞはと思ひ送らる。
 わが身に寄せてははべらず、おほかたの世のありさま、小少将の君の、いとあてにをかしげにて、世を憂しと思ひしみてゐたまへるを見はべるなり。
 父君よりことはじまりて、人のほどよりは幸ひのこよなくおくれたまへるなんめりかし。
 
などと、当たり障りのない挨拶をしながら、こちらの詰所の方から出て行く。
 それぞれが家路へと急ぐのも、どれほどの家人が待っているというのかと思いながら送る。
 わが身の上に引き寄せて言うのではありません、世間一般の様子で、小少将の君が、とても上品で美しい様子で、世の中をつらいと思いつめていらっしゃるのを見ているからです。
 父君から不幸が始まって、その人柄のわりには幸せがひどく薄くいらっしゃっるようなのですよ。
 

一四 中宮還御の翌日、道長から中宮への贈物

 昨夜の御贈物、今朝ぞこまかに御覧ずる。
 御櫛の筥の内の具ども、言ひ尽くし見やらむかたもなし。
 手筥一よろひ、かたつかたには白き色紙作りたる御冊子ども、『古今』、『後撰集』、『拾遺抄』、その部どものは五帖に作りつつ、侍従の中納言<行成その時大弁>、延幹と、おのおの冊子一つに四巻をあてつつ書かせたまへり。
 表紙は羅、紐同じ唐の組、懸子の上に入れたり。
 下には能宣、元輔やうの、いにしへいまの歌よみどもの家々の集書きたり。
 延幹と近澄の君と書きたるは、さるものにて、これはただけ近うもてつかはせたまふべき、見知らぬものどもにしなさせたまへる、今めかしうさまことなり。
 
 昨夜の殿からの御贈物を、中宮様は今朝つぶさに御覧になる。
 御櫛箱の内の道具類などは、何とも言い表わしようがなく素晴らしい。
 手箱が一対あって、その一方には白い色紙を綴じて作ったお冊子本など、『古今集』、『後撰集』、『拾遺抄』、その歌集類はそれぞれ五帖ずつに仕立てられ、侍従の中納言(行成その時は左大弁)と、源延幹とに、それぞれ冊子一帖に対し四巻を割り当ててお書かせになっていた。
 表紙は羅、紐も同じ唐の組紐で、懸子の上段に入れてある。
 下段には大中臣能宣や清原元輔のような、今や昔の歌詠みたちの家々の集を書写して入れていた。
 源延幹と近澄の君とが書写したのは、もとより素晴らしいもので、これらはただ身近においてお使いになるべきものとして、見たこともないようなみごとな装丁がなされているのは、当世風で様子が格別である。
 

一五 十一月二十日丑の日、五節の舞姫、帳台の試み

 五節は二十日に参る。
 侍従の宰相に舞姫の装束などつかはす。
 右の宰相中将の五節にかづら申されたる、つかはすついでに、筥一よろひに薫物入れて、心葉、梅の枝をして、いどみきこえたり。
 
 五節の舞姫は二十日に参入する。
 中宮様は侍従の宰相に舞姫の装束などをお与えになる。
 右の宰相中将が五節の舞姫に日陰の鬘のご下賜をお願い申し上げたのを、中宮様からお与えになる折に、箱一具に薫物を入れて、心葉として、梅の枝を作って、張り合うようにして差し上げた。
 
 にはかにいとなむ常の年よりもいどみましたる聞こえあれば、東の御前の向かひなる立蔀に、ひまもなくうちわたしつつ灯したる火の光、昼よりもはしたなげなるに、歩み入るさまども、あさましうつれなのわざやとのみ思へど、人の上とのみおぼえず。
 ただかう殿上人のひたおもてにさし向かひ、紙燭ささぬばかりぞかし。
 屏幔ひき、おひやるとすれど、おほかたのけしきは、同じごとぞ見るらむと思ひ出づるも、まづ胸ふたがる。
 
 急に準備する例年よりも一段と競い合っているという評判なので、東の対の御座所の向かいにある立蔀に、隙間もなくずらりと並べともしている灯火が、昼よりも明るくきまりが悪いほどなので、舞姫が歩いて入って来る様子なども、驚くほど平然としていることよ、とばかり思われるが、他人の身の上とばかりも思われない。
 ただかのように、殿上人が直接顔を合わせたり、紙燭で照らし出されないだけだ。
 幔幕をひいて、人目を遮っているとしても、大体の様子は、同じように見えるだろうと思い出すにつけても、まずは胸のふさがる思いがする。
 
 業遠の朝臣のかしづき、錦の唐衣、闇の夜にもものにまぎれず、めづらしう見ゆ。
 衣がちに、身じろきもたをやかならずぞ見ゆる。
 殿上人、心ことにもてかしづく。
 こなたに主上も渡らせたまひて御覧ず。
 殿もしのびて遣戸より北におはしませば、心にまかせたらずうるさし。
 
 高階業遠朝臣の舞姫の介添役は、錦の唐衣で、闇の夜でも他のものと紛れず、珍しく立派に見える。
 衣装を幾重にも重ね着して、身動きも不自由に見える。
 殿上人が、格別に世話をしている。
 こちらに主上もお渡りあそばして御覧になる。
 殿もこっそりと遣戸から北側の方にいらっしゃっているので、気ままにもできず煩わしい。
 
 中清のは、「丈どもひとしくととのひ、いとみやびかに心にくきけはひ、人に劣らず」と定めらる。
 右の宰相の中将の、あるべきかぎりはみなしたり。
 樋洗の二人ととのひたるさまぞさとびたりと、人ほほ笑むなりし。
 はてに、藤宰相の、思ひなしに今めかしく心ことなり。
 かしづき十人あり。
 又廂の御簾下ろして、こぼれ出でたる衣の褄ども、したり顔に思へるさまどもよりは、見どころまさりて、火影に見えわたさる。
 
 藤原中清の舞姫の介添役は、「背丈が同じくらいに揃っていて、とても優雅に奥ゆかしい感じは、他の舞姫に勝るとも劣らない」と評定される。
 右の宰相の中将の舞姫の介添役は、できることはみな準備していた。
 樋洗童の二人のきちんと身繕いした様子が鄙びていると、人びとはほほ笑んで見ているようであった。
 最後に、藤宰相の舞姫の介添役は、思いなしか当世風で格別である。
 介添役が十人いる。
 孫廂の御簾を下ろして、こぼれ出ている衣装の褄なども、得意顔に思って見せている様子よりは、一段と見栄えがして、灯火の光の中に見わたされる。
 

一六 二十一日寅の日、五節の舞姫、御前の試み

 寅の日の朝、殿上人参る。
 つねのことなれど、月ごろにさとびにけるにや、若人たちのめづらしと思へるけしきなり。
 さるは、摺れる衣も見えずかし。
 
 寅の日の朝、殿上人が参上する。
 例年のことだが、ここ数か月の間に里住まいに慣れてしまったものか、若い女房たちはそれを珍しく思っている様子である。
 それにしては、青摺の衣装も見えないことだ。
 
 その夜さり、春宮の亮召して、薫物たまふ。
 大きやかなる筥一つに、高う入れさせたまへり。
 尾張へは殿の上ぞつかはしける。
 その夜は御前の試みとか、上に渡らせたまひて御覧ず。
 若宮おはしませば、うちまきしののしる。
 つねに異なる心地す。
 
 その夜に、中宮様は春宮の亮をお召しになって、薫物を賜る。
 大きめの箱一つに、高く盛ってお入れになっていた。
 尾張守へは、殿の北の方がお与えになった。
 その夜は帝御前の試みとかで、中宮様は中(清涼)殿にお渡りあそばして御覧になる。
 若宮がいらっしゃるので、散米をして大声を上げる。
 例年と異なった気持ちがする。
 
 もの憂ければしばしやすらひて、ありさまにしたがひて参らむと思ひてゐたるに、小兵衛、小兵部なども、炭櫃にゐて、  何となく気が進まないので少しの間休んで、状況に従って参上しようと思っていたところ、小兵衛の君や小兵部の君なども、炭櫃の側に座って、
 「いとせばければ、はかばかしうものも見えはべらず」  「とても狭いので、思うようにも見えません」
など言ふほどに、殿おはしまして、 などと言っているところに、殿がおいでになって、
 「などて、かうて過ぐしてはゐたる。
 いざもろともに」
 「どうして、かうして見ないで過ごしているのですか。
 さあ、一緒に」
と、せめたてさせたまひて、心にもあらず参う上りたり。
 舞姫どもの、いかに苦しからむと見ゆるに、尾張守のぞ、心地悪しがりて往ぬる、夢のやうに見ゆるものかな。
 こと果てて下りさせたまひぬ。
 
と、せき立てさせなさるので、不本意ながら参上した。
 舞姫たちが、どんなに辛いだろうかと思って見ていると、尾張守の舞姫が、気分を悪がって下がっていくのが、まるで夢のように見えることよ。
 御前の試みの儀が終わって、中宮様はお下がりあそばした。
 
 このごろの君達は、ただ五節所のをかしきことを語る。
 
 この時分の公達は、もっぱら五節所の興趣深かったことを話題にしている。
 
 「簾の端、帽額さへ心々にかはりて、出でゐたる頭つき、もてなすけはひなどさへ、さらにかよはず、さまざまになむある」  「簾の端の、帽額までがそれぞれに趣向が変わっていて、出仕している介添役の女房たちの髪の具合や、立ち居振る舞いなどまでが、全然違っていて、それぞれに趣がある」
と、聞きにくく語る。
 
と、聞きにくいことを話している。
 

一七 二十二日卯の日、五節の舞姫、童女御覧

 かからぬ年だに御覧の日の童女の心地どもは、おろかならざるものを、ましていかならむなど、心もとなくゆかしきに、歩み並びつつ出で来たるは、あいなく胸つぶれて、いとほしくこそあれ。
 さるは、とりわきて深う心寄すべきあたりもなしかし。
 われもわれもと、さばかり人の思ひてさし出でたることなればにや、目移りつつ、劣りまさりけざやかにも見え分かず。
 今めかしき人の目にこそ、ふともののけぢめも見とるべかめれ。
 ただかく曇りなき昼中に、扇もはかばかしくも持たせず、そこらの君達のたちまじりたるに、さてもありぬべき身のほど、心もちゐといひながら、人に劣らじとあらそふ心地も、いかに臆すらむと、あいなくかたはらいたきぞ、かたくなしきや。
 
 このように舞姫が美しさを競い合わないような年でさえ、帝の童女御覧の日の童女たちの気持ちは、並大抵の気持ちではないのに、まして今年はどんなであろうなどと、気にかかって早く見たいと思っていると、介添え役の女房たちと並んで次々と歩み出て来た様子には、無性に胸がしめつけられて、気の毒な感じがする。
 とはいえ、特別に深く好意を寄せなければならない人もいないのであった。
 われもわれもと、あれほど人びとが思ってさし出した童女たちであるからか、目移りがして、優劣のけじめもはっきりとは見分けがつかない。
 当世風の人の目には、すぐに優劣のけじめもつくであろう。
 ただこのように明るい日中に、桧扇もきちんと持たせないで、大勢の公達が混じっている中で、それ相当の身分や心構えを持っていながら、人に負けまいと競い合う気持ちも、どんなに気後れするだろうと、無性に気がかりに思われるのは、堅苦しい考えであることよ。
 
 丹波守の童女の青い白橡の汗衫、をかしと思ひたるに、藤宰相の童女は、赤色を着せて、下仕への唐衣に青色をおしかへしたる、ねたげなり。
 童女のかたちも、一人はいとまほには見えず。
 宰相の中将は、童女いとそびやかに、髪どもをかし。
 馴れすぎたる一人をぞ、いかにぞや、人のいひし。
 みな濃き衵に、表着は心々なり。
 汗衫は五重なる中に、尾張はただ葡萄染めを着せたり。
 なかなかゆゑゆゑしく心あるさまして、ものの色合ひ、つやなど、いとすぐれたり。
 下仕への中にいと顔すぐれたる、扇取るとて六位の蔵人ども寄るに、心と投げやりたるこそ、やさしきものから、あまり女にはあらぬかと見ゆれ。
 われらを、かれがやうにて出でゐよとあらば、またさてもさまよひありくばかりぞかし。
 
 丹波守の童女の青色の白橡の汗衫を美しいと思っていると、藤宰相の童女には赤色の白橡の汗衫を着せて、その下仕えの童女に唐衣に青色の白橡の汗衫を対照的に着せているのは、妬ましいほどに気が利いている。
 童女の容貌も、丹波守の童女の一人はたいして整っているとも見えない。
 宰相の中将のは、童女の姿態がとてもすらりとして、髪なども美しい。
 もの馴れしすぎた童女一人については、どんなものかしら、あまり感心しないと、人びとが言っていた。
 みな濃い紅色の衵を着て、表着はそれぞれ思い思いの物を着ている。
 汗衫は五重襲である中で、尾張守のはただ葡萄染めを着せていた。
 かえって奥ゆかしく趣きのある様子で、色合いや光沢などが、とても優れていた。
 下仕えの中でとても容貌の優れているのがいて、その桧扇を取ろうとして六位の蔵人たちが近寄ると、自らすすんで投げ寄越したのは、殊勝なこととは思うが、あまりに女らしからぬことではないかと思われる。
 わたしたち女房らに、あの童女たちのように人前に出なさいと言われたならば、やはりあのようにただうろうろ歩き回るだけであろうよ。
 
 かうまで立ち出でむとは思ひかけきやは。
 されど、目にみすみすあさましきものは、人の心なりければ、今より後のおもなさは、ただなれになれすぎ、ひたおもてにならむやすしかしと、身のありさまの夢のやうに思ひ続けられて、あるまじきことにさへ思ひかかりて、ゆゆしくおぼゆれば、目とまることも例のなかりけり。
 
 このようにまで人前に出ることを思ったことだろうか。
 けれど、目にはっきり見えて、あきれるほどに変わっていくものは、人の心なので、今から後の恥知らずさは、ただ宮仕えに慣れに慣れすぎて、直に顔を見せることも平気になるのだろうと、わが身のありさまが夢のように思い続けられて、それはとんでもないことだとまで気にかかって、不吉に思われたので、眼前の儀式に目が止まることも例によってなくなってしまった。
 

一八 二十三日辰の日、豊明節会

 侍従の宰相の五節局、宮の御前のただ見わたすばかりなり。
 立蔀の上より、音に聞く簾の端も見ゆ。
 人のもの言ふ声もほの聞こゆ。
 
 侍従の宰相の舞姫の局は、中宮様のお部屋からすぐ見渡されるほどの近さである。
 立蔀の上から、評判の高い簾の端(出だし衣)も見える。
 人の何か話す声もほのかに聞こえる。
 
 「かの女御の御かたに、左京の馬といふ人なむ、いと馴れてまじりたる」  「あの(侍従宰相の姉の)弘徽殿女御様の所で、左京の馬という人が、たいそうもの馴れた態度でまじっています」
と、宰相中将、昔見知りて語りたまふを、 と、宰相中将が、かつてその女性を見知っていてお話しなさるのを、
 「一夜かのかいつくろひにてゐたりし、東なりしなむ左京」  「先夜、あの介添役として座っていたうちの、東側にいた人が左京ですよ」
と、源少将も見知りたりしを、もののよすがありて伝へ聞きたる人びと、 と、源少将も見知っていたのを、何かの縁があって伝え聞いていた女房たちは、
 「をかしうもありけるかな」  「それはおもしろいことでしたわ」
と、言ひつつ、いざ知らず顔にはあらじ、昔心にくだちて見ならしけむ内裏わたりを、かかるさまにてやは出で立つべき。
 しのぶと思ふらむを、あらはさむの心にて御前に扇どもあまたさぶらふ中に、蓬莱作りたるをしも選りたる、心ばへあるべし、見知りけむやは。
 筥の蓋にひろげて、日蔭をまろめて、反らいたる櫛ども、白き物忌みして、つまづまを結ひ添へたり。
 
と、言いながら、さあ知らない顔をしているわけにはいかない、以前はお上品ぶって自在に振る舞っていたであろう宮中に、このような介添役の格好で出て来てよいものであろうか。
 人目を忍んでいるらしいが、暴き出してやろうという魂胆で、中宮様の御前に桧扇などがたくさんある中で、蓬莱山を描いたのを特に選び出しているのは、きっと趣向があるにちがいないが、それを理解できたであろうか。
 硯箱の蓋に扇を広げて、日蔭の鬘をまるめて載せ、反りをつけた櫛などを、白い物忌みで、両端を結び添えていた。
 
 「すこしさだ過ぎたまひにたるわたりにて、櫛の反りざまなむ、なほなほしき」  「すこしお年を召した方なので、櫛の反った様子が、平凡すぎますな」
と、君達のたまへば、今様のさま悪しきまでつまもあはせたる反らしざまして、黒方をおしまろがして、ふつつかにしりさき切りて、白き紙一重ねに、立文にしたり。
 大輔のおもとして書きつけさす。
 
と、公達がおっしゃるので、当世風の不格好なほどに端と端を合わせた反らし具合にして、それに黒方をおし丸めて、ぞんざいに両端を切って、白い紙二枚を一重ねにして、立文の形にした。
 大輔のおもとに書きつけさせた。
 
♪13  
おほかりし 豊の宮人 さしわきて
しるき日蔭を あはれとぞ見し
大勢奉仕した豊明節会の人々の中でひときわ目立って
はっきり見えた日蔭の鬘のあなたをしみじみと拝見しました
   
 御前には、  中宮様におかれては、
 「同じくは、をかしきさまにしなして、扇などもあまたこそ」  「同じ贈るというのなら、もっと趣きのあるさまに作って、桧扇などもたくさんにしたら」
と、のたまはすれど、 と、おっしゃるが、
 「おどろおどろしからむも、ことのさまにあはざるべし。
 わざとつかはすにては、忍びやかにけしきばませたまふべきにもはべらず。
 これはかかる私ごとにこそ」
 「あまり大袈裟になりますのも、事の趣旨に合わないでしょう。
 特別にご下賜なさるというのならば、こっそりわけありげにお与えになるべきではありません。
 これはこのような私的な事柄です」
と、聞こえさせて、顔しるかるまじき局の人して、 と申し上げて、顔の知られていないはずの局の女房を使って、
 「これ中納言の君の御文、女御殿より左京の君にたてまつらむ」  「これは、中納言の君からの御手紙で、女御様から左京の君に差し上げたい、とのことです」
と高やかにさしおきつ。
 ひきとどめられたらむこそ見苦しけれと思ふに、走りきたり。
 女の声にて、
と声高らかに言って置いてきた。
 引き止められるようなことになったらみっともないことになろうと思っていたところ、走って戻って来た。
 女の声で、
 「いづこより入りきつる」  「どこから入って来たのですか」
と問ふなりつるは、女御殿のと、疑ひなく思ふなるべし。
 
と尋ねていたらしかったが、女御様からのお手紙と、疑うことなく思っているようである。
 

一九 五節過ぎの寂寥の日々

 何ばかりの耳とどむることもなかりつる日ごろなれど、五節過ぎぬと思ふ内裏わたりのけはひ、うちつけにさうさうざうしきを巳の日の夜の調楽は、げにをかしかりけり。
 若やかなる殿上人など、いかに名残つれづれならむ。
 
 格別に耳をとめるようなこともなかったこの数日であるが、もう五節が終わってしまったと思う宮中の様子は急にもの寂しい感じがするが、巳の日の夜の調楽は、さすがに興趣深かった。
 若々しい殿上人たちは、どんなにか名残惜しく所在ない思いをしていることだろう。
 
 高松の小君達さへ、こたみ入らせたまひし夜よりは、女房ゆるされて、間のみなく通りありきたまへば、いとどはしたなげなりや。
 さだ過ぎぬるを豪家にてぞ隠ろふる。
 五節恋しなども、ことに思ひたらず、やすらひ、小兵衛などや、その裳の裾、汗衫にまつはれてぞ、小鳥のやうにさへづりざれおはさうずめる。
 
 高松殿の小さな若君までが、この度、中宮様が宮中に御還啓なさった夜からは、女房たちの部屋に入ることを許されて、ひきりなしに通り歩きなさるので、ますますきまりの悪い思いをすることよ。
 年をとりすぎているのを頼み所にして隠れてばかりいる。
 五節が恋しいなどとも、特に思ってはおらず、やすらいや小兵衛の君などの、その裳の裾や汗衫にまつわりつかれて、まるで小鳥のようにさえずりながらふざけあっていらっしゃるようだ。
 

二〇 十一月二十八日下酉の日、臨時の祭

 臨時の祭の使ひは殿の権中将の君なり。
 その日は御物忌みなれば、殿、御宿直せさせたまへり。
 上達部も舞人の君達もこもりて、夜一夜、細殿わたり、いともの騒がしきけはひしたり。
 
 賀茂の臨時の祭の使者は殿のご子息の権中将(教通)の君である。
 当日は宮中の御物忌みなので、殿は、御宿直をなさっていた。
 上達部も舞人を務める公達も一緒に泊まり込んで、一晩中、細殿のあたりは、とても何やら賑やかな様子がしていた。
 
 つとめて、内の大殿の御隨身、この殿の御随身にさしとらせていにける、ありし筥の蓋に白銀の冊子筥を据ゑたり。
 鏡おし入れて、沈の櫛、白銀の笄など、使ひの君の鬢かかせたまふべきけしきをしたり。
 筥の蓋に葦手に浮き出でたるは日蔭の返り事なめり。
 文字二つ落ちて、あやしうことの心たがひてもあるかなと見えしは、かの大臣の、宮よりと心得たまひて、かうことごとしくしなしたまへるなりけり、とぞ聞きはべりし。
 はかなかりしたはぶれわざを、いとほしう、ことごとしうこそ。
 
 当日の早朝、内大臣(公季)の御隨身が、こちらの殿の御随身に贈物を手渡していったが、先日の硯箱の蓋に白銀の冊子箱を載せていた。
 その箱の中に鏡をおし入れて、沈の櫛や白銀の笄など、使者の若君が鬢を整えさせなさるようにとの格好にしてあった。
 箱の蓋に葦手書きに浮き出ているのは日蔭の鬘の返事のようである。
 文字が二つ欠け落ちていて、変にことの趣旨に違っているわと見えたのは、あの内大臣が、中宮様からの贈物と思い込まれて、このように仰々しくなさったのだと、聞きました。
 ほんのちょっとした戯れ事を、お気の毒にも、こんな大袈裟なことになるとは。
 
 殿の上も、参う上りて物御覧ず。
 使ひの君の藤かざして、いとものものしくおとなびたまへるを、内蔵の命婦は、舞人には目も見やらず、うちまもりうちまもりぞ泣きける。
 
 殿の北の方も、参上なさって奉幣使の出立を御覧になる。
 使者の若君が藤の造花を冠に挿して、たいそう堂々と大人びていらっしゃるのを、内蔵の命婦は、舞人には目もくれないで、じっと見つめては見つめて涙にむせんでいた。
 
 御物忌みなれば、御社より丑の時にぞ帰りまゐれば、御神楽などもさまばかりなり。
 兼時が去年まではいとつきづきしげなりしを、こよなく衰へたる振る舞ひぞ、見知るまじき人の上なれど、あはれに思ひよそへらるること多くはべる。
 
 宮中の御物忌み中なので、賀茂の御社から丑の時(午前二時頃)に帰参すると、還立の御神楽などもほんの形ばかりである。
 尾張兼時が去年までは舞人としてたいそうふさわしい感じであったが、すっかり老い衰えた動作は、関係のない人の身の上のことであるが、しみじみとわが身に思いよそえられることが多くあります。
 

二一 十二月二十九日、参内、初出仕時に思いをはせる

 師走の二十九日に参る。
 初めて参りしも今宵のことぞかし。
 いみじくも夢路にまどはれしかなと思ひ出づれば、こよなくたち馴れにけるも、うとましの身のほどやとおぼゆ。
 
 十二月の二十九日に帰参する。
 初めて参内したのも今夜のことであった。
 あの時はひどく夢の中をさまよい歩いていたような感じであったわと思い出されると、今ではすっかり馴れてしまっているのも、うとましいわが身の上であるよと思われる。
 
 夜いたう更けにけり。
 御物忌みにおはしましければ、御前にも参らず、心細くてうち臥したるに、前なる人びとの、
 夜もたいそう更けてしまった。
 中宮様は宮中の御物忌みでいらっしゃったので、御前にも帰参の挨拶に参上しないで、心細い気持ちで横になっていると、同室の女房たちが、
 「内裏わたりはなほいとけはひことなりけり。
 里にては今は寝なましものを。
 さもいざとき沓のしげさかな」
 「宮中あたりは、やはりとても様子が違っていますわ。
 里では今ごろはもう寝てしまっていましょうものを。
 それにしても目を覚まさせる沓音の頻繁さですね」
と色めかしく言ひゐたるを聞く。
 
と好色がましく言っているのを聞く。
 
♪14  
年暮れて わが世更け行く 風の音に
心の中の すさまじきかな
今年も暮れてわたしの齢もまた一つ加わっていくが、夜更けの風の音を聞くにつけても
わが心の中をなんと寒々としたものが吹き抜けていくことか
   
とぞ独りごたれし。
 
と、つい独りつぶやかれた。
 

二二 十二月三十日の夜、追儺の儀の後

 つごもりの夜、追儺はいと疾く果てぬれば、歯黒めつけなど、はかなきつくろひどもすとて、うちとけゐたるに、弁の内侍来て、物語りして臥したまへり。
 内匠の蔵人は長押の下にゐて、あてきが縫ふ物の、重ねひねり教へなど、つくづくとしゐたるに、御前のかたにいみじくののしる。
 内侍起こせど、とみにも起きず。
 人の泣き騒ぐ音の聞こゆるに、いとゆゆしくものもおぼえず。
 火かと思へど、さにはあらず。
 
 大晦日の夜、追儺の行事はとても早く終わってしまったので、お歯黒を付けたりなどして、ちょっとしたお化粧などもしようとして、くつろいでいたところに、弁の内侍の君がやって来て、世間話をしてそのまま眠っておしまいになった。
 内匠の蔵人は長押の下座の方に座っていて、あてきが縫い物の、重ねやひねりを教えたりなどして、しんみりとしていたところに、中宮様の方でひどく大声を立てている。
 弁の内侍を起こしたが、すぐにも起きない。
 女房の泣き騒ぐ声が聞こえるので、たいそう気味が悪く、どうしてよいか分からない。
 火事かと思ったが、そうではない。
 
 「内匠の君、いざいざ」  「内匠の君、さあ、さあ」
と先におし立てて、 と、前に押し立てて、
 「ともかうも、宮下におはします。
 まづ参りて見たてまつらむ」
 「ともかくも、中宮様は下の部屋にいらっしゃいます。
 まずは参上して拝顔致しましょう」
と、内侍をあららかにつきおどろかして、三人ふるふふるふ、足も空にて参りたれば、裸なる人ぞ二人ゐたる。
 靫負、小兵部なりけり。
 かくなりけりと見るに、いよいよむくつけし。
 
と、弁の内侍を手荒につき起こして、三人で震えながら、足も地につかない有様で参上したところ、裸になった女房が二人うずくまっていた。
 靫負の君と小兵部の君であった。
 あの騒ぎはこういうことであったのだと分かると、ますます気味が悪い。
 
 御厨子所の人もみな出で、宮の侍も滝口も儺やらひ果てけるままに、みなまかでにけり。
 手をたたきののしれど、いらへする人もなし。
 御膳宿りの刀自を呼び出でくたるに、
 御厨子所の人びともみな退出してしまっていて、中宮様付きの侍も滝口も追儺の行事が終わるやいなや、みな退出してしまっていた。
 手をたたいて大声を出したが、応答する者もいない。
 御膳宿りの刀自を呼び出して、
 「殿上に兵部丞といふ蔵人、呼べ呼べ」  「殿上の間にいる兵部丞という蔵人を、呼びなさい、呼びなさい」
と、恥も忘れて口づから言ひたれば、たづねけれど、まかでにけり。
 つらきこと限りなし。
 
と、恥も忘れて自分から言ったところ、探しに行ったが、そのまま退出してしまっていた。
 情けないことこの上ない。
 
 式部丞資業ぞ参りて、所々のさし油ども、ただ一人さし入れられてありく。
 人びとものおぼえず、向かひゐたるもあり。
 主上より御使ひなどあり。
 いみじう恐ろしうこそはべりしか。
 納殿にある御衣取り出でさせて、この人びとにたまふ。
 朔日の装束は盗らざりければ、さりげもなくてあれど、裸姿は忘られず、恐ろしきものから、をかしうとも言はず。
 
 式部丞藤原資業が参上して、あちこちの灯台のさし油などを、ただ一人で注いでまわる。
 女房たちはただ茫然として、向かい合ってうずくまったままの者もいる。
 主上からもお見舞いのお使いなどがある。
 ひどく恐ろしゅうございました。
 納殿にある御物の衣装を取り出させて、この女房たちにご下賜なさる。
 元日用の装束は盗っていかなかったので、何事もなかったようにしているものの、裸姿は忘れられず、恐ろしくはあったが、滑稽だったと言うことはできない。
 

第三章 寛弘六年(1009年)春の記

一 正月三日 若宮の御戴餅の儀

 正月一日、言忌みもしあへず。
 坎日なりければ、若宮の御戴餅の事、停まりぬ。
 三日ぞ参う上らせたまふ。
 
 正月一日、不吉なことは言忌みすべきなのに、昨夜の事件があって、ついそれもできない。
 坎日であったので、若宮の御戴餅の儀式は、停止となった。
 若宮は三日の日に清涼殿に参上なさる。
 
 今年の御まかなひは大納言の君。
 装束、朔日の日は紅、葡萄染め、唐衣は赤色、地摺の裳。
 二日、紅梅の織物、掻練は濃き、青色の唐衣、色摺の裳。
 三日は、唐綾の桜襲、唐衣は蘇芳の織物。
 掻練は濃きを着る日は紅は中に、紅を着る日は濃きを中になど、例のことなり。
 萌黄、蘇芳、山吹の濃き薄き、紅梅、薄色など、つねの色々をひとたびに六つばかりと、表着とぞ、いとさまよきほどにはべる。
 
 今年の若宮の御給仕役は大納言の君である。
 装束は、元日の日は紅色の袿、葡萄染めの表着、唐衣は赤色で、地摺の裳である。
 二日は、紅梅の織物の表着に、掻練は濃い紅色で、青色の唐衣に、色摺の裳である。
 三日は、唐綾の桜襲に、唐衣は蘇芳の織物である。
 掻練は濃い紅を着る日は紅を中に着て、紅を着る日は濃い紅を中に着るなど、いつものとおりである。
 女房たちは、萌黄襲、蘇芳襲、山吹襲の濃いの、薄いの、紅梅襲、薄色襲など、普段の色目を一度に六種ほどと、これに表着を重ね合わせて、とても体裁のよい着こなしをしています。
 
 宰相の君の、御佩刀取りて、殿の抱きたてまつらせたまへるに続きて、参う上りたまふ。
 紅の三重五重、三重五重とまぜつつ、同じ色のうちたる七重に、単衣を縫ひ重ね、重ねまぜつつ、上に同じ色の固紋の五重、袿、葡萄染めの浮紋のかたぎの紋を織りたる、縫ひざまさへかどかどし。
 三重襲の裳、赤色の唐衣、菱の紋を織りて、しざまもいと唐めいたり。
 いとをかしげに、髪などもつねよりつくろひまして、やうだい、もてなし、らうらうじくをかし。
 丈だちよきほどに、ふくらかなる人の、顔いとこまかに、にほひをかしげなり。
 
 宰相の君が御守刀を持って、殿が若宮をお抱き申し上げなさっているのに続いて、清涼殿に参上なさる。
 紅の三重襲五重襲、また三重襲五重襲と交ぜながら、同じ紅色の打って艶出しした七重襲に、単衣を縫い重ね、それを重ね交ぜながら、その上に同じ紅色の固紋の五重襲を着て、袿は、葡萄染の浮紋で、固木の紋様を織り出している、その仕立て方までが気が利いている。
 三重襲の裳に、赤色の唐衣は、菱型の紋様を織り出して、その仕立て方もたいそう唐風であった。
 とても興趣深く、髪形などもいつもより整えて、その姿態や身のこなしが、洗練されていいて素晴らしい。
 背丈もちょうどよいほどで、ふっくらとした人で、顔はとても上品で、色つやがあり美しい。
 
 大納言の君は、いとささやかに、小さしといふべきかたなる人の、白ううつくしげにつぶつぶと肥えたるが、うはべはいとそびやかに、髪、丈に三寸ばかりあまりたる裾つき、髪ざしなどぞ、すべて似るものなく、こまかにうつくしき。
 顔もいとらうらうじく、もてなしなど、らうたげになよびかなり。
 
 大納言の君は、とても小柄で、小さいといってよいほどの人で、色白く可愛らしげで、まるまると太っているのが、見た目にはとてもすらりとして、髪は背丈より三寸ほど余っている毛先の様子や、髪の生え具合などは、総じて誰も匹敵する者がなく、きめこまやかに可愛らしい。
 容貌もとても可愛らしく美しく、物腰なども可愛らしげにもの柔らかである。
 
 宣旨の君は、ささやけ人の、いと細やかにそびえて、髪の筋こまかにきよらにて、生ひさがりのすゑより一尺ばかり余りたまへり。
 いと心恥づかしげに、きはもなくあてなるさましたまへり。
 ものよりさし歩みて出でおはしたるも、わづらはしう心づかひせらるる心地す。
 あてなる人はかうこそあらめと、心ざま、ものうちのたまへるも、おぼゆ。
 
 宣旨の君は、小柄の感じの人で、とてもほっそりすらりとして、髪の毛筋は整って美しくて、その垂れ下がっている末は袿の裾から一尺ほど余っていらっしゃった。
 とても恥ずかしくなるほどに、この上もなく気品のある様子をしていらっしゃった。
 物陰からふと歩み出されるにも、あれこれと気づかいされる感じがする。
 高貴な人とはこういう人をいうのだと、その気立てや、物のおっしゃりようにも思われた。
 

第二部 宮仕女房批評記

第一章 人物批評

一 宰相の君、小少将の君、宮の内侍、式部のおもとの批評

 このついでに、人の容貌を語りきこえさせば、物言ひさがなくやはんべるべき。
 ただ今をや。
 さしあたりたる人のことは、わづらはし、いかにぞやなど、すこしもかたほなるは、言ひはべらじ。
 
 このついでに、女房たちの容貌についてお語し申し上げれば、口さがないということになりましょう。
 それも現在の人々についてではなおさらでしょう。
 当面の人については、やはり憚りがあるし、さてどんなものでしょうかなどというような、すこしでも欠点のある人については、言いますまい。
 
 宰相の君は、北野の三位のよ、ふくらかに、いとやうだいこまめかしう、かどかどしき容貌したる人の、うちゐたるよりも、見もてゆくにこよなくうちまさり、らうらうじくて、口つきに恥づかしげさも、匂ひやかなることも添ひたり。
 もてなしなどいと美々しくはなやかにぞ見えたまへる。
 心ざまもいとめやすく、心うつくしきものから、またいと恥づかしきところ添ひたり。
 
 宰相の君は、北野の三位の娘のほうですよ。
 ふっくらとして、とても容姿が整っていて、才気ばしった理知的な顔かたちをした人で、ちょっと対座している時よりも、何度も対面していくうちに格段と見まさりがし、洗練されていて、口元に気品があり、艶やかな美しさもそなわっている。
 物腰などとても立派に美しくお見えである。
 気立てもとても難のない人で、可愛らしい人なのですが、またとても気後れするような気品もそなわっている。
 
 小少将の君は、そこはかとなくあてになまめかしう、二月ばかりのしだり柳のさましたり。
 やうだいいとうつくしげにもてなし心にくく、心ばへなどもわが心とは思ひとるかたもなきやうにものづつみをし、いと世を恥ぢらひ、あまり見苦しきまで児めいたまへり。
 腹ぎたなき人、悪しざまにもてなしいひつくる人あらば、やがてそれに思ひ入りて、身をも失ひつべく、あえかにわりなきところついたまへるぞ、あまり後ろめたげなる。
 
 小少将の君は、どことなく上品で優美で、二月頃のしだり柳の様子といった感じである。
 姿態はとても可愛らしげで、物腰は奥ゆかしく、気立てなども自分では何も判断しかねるというように遠慮して、とても世間を恥じらい、あまりに見苦しいまでに子供っぽくいらっしゃる。
 意地の悪い人が、悪しざまに扱ったり、事実と違うことを言ったりする人があったら、すぐにそのことを思いつめて、命も亡くしてしまいそうな、弱々しくどうしようもないところを持っていらっしゃるのは、あまりに気掛かりである。
 
 宮の内侍ぞ、またいときよげなる人。
 丈だちいとよきほどなるが、ゐたるさま、姿つき、いとものものしく、今めいたるやうだいにて、こまかにとりたててをかしげにも見えぬものから、いとものきよげにそびそびしく、なか高き顔して、色のあはひ白さなど、人にすぐれたり。
 頭つき、髪ざし、額つきなどぞ、あなものきよげと見えて、はなやかに愛敬づきたる。
 ただありにもてなして、心ざまなどもめやすく、つゆばかりいづかたざまにも後ろめたいかたなく、すべてさこそあらめと、人の例にしつべき人がらなり。
 艶がりよしめくかたはなし。
 
 宮の内侍は、またとても清楚な人です。
 背丈はとてもちょうどよいくらいであるが、その座っている様子や姿格好は、とても堂々として、当世風の姿態で、特にとりたてて美しい人とは見えぬものの、とても清楚ですらりとして、中高な顔立ちで、黒髪に映えた色白の美しさなどは、誰よりもすぐれている。
 頭髪の格好や髪の生え際、額つきなどは、ああ何とも美しいと見えて、はなやかで魅力的である。
 自然に振る舞って、気立てなども穏やかで、わずかばかりのどの方面につけても不安なことはなく、すべてにつけてそうありたいと思える、人の模範にしたい人柄である。
 風流ぶったり気取ったりするようなところはない。
 
 式部のおもとはおとうとなり。
 いとふくらけさ過ぎて肥えたる人の、色いと白くにほひて、顔ぞいとこまかによくはべる。
 髪もいみじくうるはしくて、長くはあらざるべし、つくろひたるわざして、宮には参る。
 ふとりたるやうだいの、いとをかしげにもはべりしかな。
 まみ、額つきなど、まことにきよげなる、うち笑みたる、愛敬も多かり。
 
 式部のおもとはその妹です。
 とてもふっくらし過ぎて太った人で、顔はとても色白に艶やかで、顔はとても整っていて美しい。
 髪もたいそう端麗で、長くはないのであろう、付け髪してつくろって、宮仕えに参りました。
 その時の太った姿態が、とても美しかったことですよ。
 目もとや額つきなどは、本当に清楚で、ちょっと微笑んだところなど、愛くるしい感じでいっぱいだった。
 

二 小大輔、源式部、小兵衛、少弐、宮木の侍従、五節の弁、小馬の批評

 若人の中に容貌よしと思へるは、小大輔、源式部など。
 大輔はささやかなる人の、やうだいいと今めかしきさまして、髪うるはしく、もとはいとこちたくて、丈に一尺余あまりたりけるを、落ち細りてはべり。
 顔もかどかどしう、あなをかしの人やとぞ見えてはべる。
 容貌は直すべきところなし。
 源式部は、丈よきほどにそびやかなるほどにて、顔こまやかに、見るままにいとをかしく、らうたげなるけはひ、ものきよくかはらかに、人のむすめとおぼゆるさましたり。
 
 若い女房の中で容貌が美しいと思える人では、小大輔の君、源式部の君などです。
 小大輔の君は小柄な人で、容姿はとても当世風で、髪は端麗で、もとはとても豊かで、背丈に一尺以上も余っていたが、今では抜け落ちて細くなっています。
 顔も才気があって、ああ美しい人よと見えます。
 容貌は直さなければならないところはない。
 源式部の君は、背丈もちょうどよいくらいにすらりとして、顔はよく整っていて、見れば見るほどにとても美しく、可愛らしげな風情で、清楚でこざっぱりした感じで、良家の娘と思われる様子をしている。
 
 小兵衛、少弐などもいときよげにはべり。
 それらは、殿上人の見残す、少なかなり。
 誰れも、とりはづしては隠れなけれど、人ぐまをも用意するに、隠れてぞはべるかし。
 
 小兵衛の君、少弐の君などもとても美しいです。
 彼女らは、殿上人たちが見過ごしていることも、稀だということです。
 どの人も、うっかりすると知れわたってしまうけれど、人目につかないところでも用心しているので、知られていないでいます。
 
 宮城の侍従こそ、いとこまかにをかしげなりし人。
 いと小さく細く、なほ童女にてあらせまほしきさまを、心と老いつき、やつしてやみはべりにし。
 髪の、袿にすこし余りて末をいとはなやかに削ぎてまゐりはべりしぞ、果ての度なりける。
 顔もいとよかりき。
 
 宮城の侍従の君は、とても整っていて美しかった人です。
 とても小柄で細身で、依然として童女姿のままでおきたいような様子なのに、自分から老け込んで、尼姿になって宮仕えを辞してしまった。
 髪が袿よりすこし余っていた末を、たいそうさっぱりと尼削ぎにして挨拶に上がったのが、宮仕えの最後の日であった。
 顔もとても美しかった。
 
 五節の弁といふ人はべり。
 平中納言の、むすめにしてかしづくと聞きはべりし人。
 絵に描いたる顔して、額いたうはれたる人の、目尻いたうひきて、顔もここはやと見ゆるところなく、色白う、手つき腕つきいとをかしげに、髪は、見はじめはべりし春は、丈に一尺ばかり余りて、こちたく多かりげなりしが、あさましう分けたるやうに落ちて、裾もさすがに細らず、長さはすこし余りてはべるめり。
 
 五節の弁という人がいます。
 平中納言養女にして大切に世話していると聞きました人です。
 絵に描いたような顔をして、額はたいそう広い人で、目尻はとても長く、顔もここはまあと見える難点もなく、色白で、手つき腕さばきは趣きがあって、髪は、初めて見ました春頃は、背丈に一尺ほど余って、豊かにたくさんありましたが、おどろきあきれるほど取り分けたように抜け落ちて、髪の裾も、そうはいっても細くはならず、長さはすこし余っているようです。
 
 小馬といふ人、髪いと長くはべりし。
 むかしはよき若人、今は琴柱に膠さすやうにてこそ、里居してはべるなれ。
 
 小馬の君という人は、髪がとても長うございました。
 昔は美しい若い女房でしたが、今では琴柱にを膠で固めたように、里に引きこもっているようです。
 
 かういひいひて、心ばせぞかたうはべるかし。
 それもとりどりに、いと悪ろきもなし。
 また、すぐれてをかしう、心おもく、かどゆゑも、よしも、後ろやすさも、みな具することはかたし。
 さまざま、いづれをかとるべきとおぼゆるぞ、多くはべる。
 さもけしからずもはべることどもかな。
 
 このようにあれこれ批評してきて、気立てというのは難しいものです。
 それもそれぞれ個性があって、ひどく劣っている人もいない。
 また、格別に趣きがあって、思慮深く、才気や嗜みも、風流さも、安心さも、すべて具わっていることは難しい。
 各人各様で、どの点をとったらよいかと思われることが多うございます。
 それにしても、けしからぬ批評でございましたことよ。
 

三 斎院方と中宮方の気風比較

 斎院に、中将の君といふ人はべるなりと聞きはべる、たよりありて、人のもとに書き交はしたる文を、みそかに人の取りて見せはべりし。
 いとこそ艶に、われのみ世にはもののゆゑ知り、心深きたぐひはあらじ、すべて世の人は、心も肝もなきやうに思ひてはべるべかめる、見はべりしに、すずろに心やましう、おほやけ腹とか、よからぬ人のいふやうに、にくくこそ思うたまへられしか。
 文書きにもあれ、
 賀茂の斎院に中将の君という人が仕えていると聞いておりますが、伝手があって、この人が他の人のもとに書き送った手紙を、ひそかに或人が取り出してわたしに見せてくれました。
 とても華やかで、自分だけがこの世ではものの由緒を知っており、情趣深い人は誰もいまい、総じて世間の人は、思慮も分別もないもののように思っているように見えましたが、どことなく癪に障って、向かっ腹が立つとか、下賤な者が言うように、憎らしく思われました。
 手紙の文面にもせよ、
 「歌などのをかしからむは、わが院よりほかに、誰れか見知りたまふ人のあらむ。
 世にをかしき人の生ひ出でば、わが院のみこそ御覧じ知るべけれ」
 「和歌などの趣きのあるのは、わが斎院様以外に、誰がお見分けできる方がいらっしゃろうか。
 世の中に和歌に優れた人が出て来たならば、わが斎院様だけがお見分けなさるでしょう」
などぞはべる。
 
などとあります。
 
 げにことわりなれど、わが方ざまのことをさしも言はば、斎院より出できたる歌の、すぐれてよしと見ゆるもことにはんべらず。
 ただいとをかしう、よしよししうはおはすべかめる所のやうなり。
 さぶらふ人を比べて挑まむには、この見たまふるわたりの人に、かならずしもかれはまさらじを。
 
 なるほどもっともなようであるが、自分の側のことをそんなにも褒めたならば、斎院方から出て来た和歌で、格別優れて良いと思われる和歌も特にありません。
 ただとても趣きがあり、情趣に富んでいらっしゃる所のようです。
 伺候している女房たちを比較して優劣を競うには、こちらで拝見している中宮様あたりの女房に対して、必ずしもあちらの斎院方が優っているとはいえないでしょうよ。
 
 つねに入り立ちて見る人もなし。
 をかしき夕月夜、ゆゑある有明、花のたより、ほととぎすのたづね所に参りたれば、院はいと御心のゆゑおはして、所のさまはいと世はなれ神さびたり。
 またまぎるることもなし。
 上に参う上らせたまふ、もしは、殿なむ参りたまふ、御宿直なるなど、ものさわがしき折もまじらず。
 もてつけ、おのづからしか好む所となりぬれば、艶なることどもを尽くさむ中に、何の奥なき言ひすぐしを交はしはべらむ。
 
 斎院方にいつも立ち入って見ている人もいない。
 趣き深い夕月夜や情趣に富んだ有明方、花の季節、ほととぎす探訪の折などに参上したところ、斎院はとても風雅な心がおありで、御所の様子はとても世離れして神々しい感じです。
 また俗事にまぎれることも何一つない。
 清涼殿に参上なさるとか、もしくは、殿がこちらに参上なさるとか、宿直なさるなど、何かと騒がしい折もまじりません。
 しかも、自然とそのように風雅を好む環境となっていますので、優雅な限りをし尽くそうとする中で、どうして軽薄な和歌の詠みぶりなどしましょうか。
 
 かういと埋れ木を折り入れたる心ばせにて、かの院にまじらひはべらば、そこにて知らぬ男に出であひ、もの言ふとも、人の奥なき名を言ひおぼすべきならずなど、心ゆるがしておのづからなまめきならひはべりなむをや。
 まして若き人の容貌につけて、年齢に、つつましきことなきが、おのおの心に入りて懸想だち、ものをも言はむと好みだちたらむは、こよなう人に劣るもはべるまじ。
 
 わたしのようにまるで埋れ木をさらに土中深く折り入れたような引っ込みがちで、あの斎院にお仕えしたならば、そこで見知らない男性に応対して、和歌を詠み交わす場合でも、人が浅薄な女だなどと評判を被せるはずはないなどと、心を奮い立たせて自然と優美に慣れて行きましょうよ。
 まして若い女房で容貌につけても、年齢につけても、引け目を感じることのない人が、それぞれ本気になって懸想めき、歌を詠もうと趣向を凝らしたならば、そんなにひどくも斎院方の女房に劣る者はありますまい。
 
 されど、内裏わたりにて明け暮れ見ならし、きしろひたまふ女御、后おはせず、その御方、かの細殿といひならぶる御あたりもなく、男も女も、挑ましきこともなきにうちとけ、宮のやうとして、色めかしきをば、いとあはあはしとおぼしめいたれば、すこしよろしからむと思ふ人は、おぼろけにて出でゐはべらず。
 心やすく、もの恥ぢせずとあらむかからむの名をも惜しまぬ人、はたことなる心ばせのぶるもなくやは。
 たださやうの人のやすきままに、立ち寄りてうち語らへば、中宮の人埋もれたり、もしは用意なしなども言ひはべるなるべし。
 上臈中臈のほどぞ、あまりひき入り上衆めきてのみはべるめる。
 さのみして、宮の御ため、ものの飾りにはあらず、見苦しとも見はべり。
 
 けれども、宮中で毎日顔を合わせ、競い合いなさる女御や后はいらっしゃらず、そちらの御方、あちらの細殿の御方と言っては比較するような御方もなく、殿方も女性たちも、競い合うことないことに気を許して、中宮様の風儀として、好色めいたことは、ひどく軽薄なことだとお思いでいらっしゃるので、すこしでも人並みであろうと思う人は、めったなことでは人前に出るようなことはしません。
 気やすく、恥ずかしがることなく、ああだこうだという評判を気にかけない女房は、また異なった気立てを見せることもないわけではない。
 ただそのような女房は、気がおけないままに、殿方が立ち寄って話しかけるので、中宮方の女房は引きこもりがちである、あるいは配慮がないなどとも批判するのでしょう。
 上臈や中臈くらいの女房たちは、あまりにも引きこもり上品ぶってばかりいるようです。
 そうしてばかりいて、中宮様のために何の飾りにもならず、見苦しいこととも思われます。
 
 これらをかく知りてはべるやうなれど、人はみなとりどりにて、こよなう劣りまさることもはべらず。
 そのことよければ、かのことおくれなどぞはべるめるかし。
 されど、若人だに重りかならむとまめだちはべるめる世に、見苦しうざれはべらむも、いとかたはならむ。
 ただおほかたを、いとかく情けなからずもがなと見はべり。
 
 これらの女房たちをこのように知っているようですが、人はみな各人各様で、そうひどく優劣があるわけではありません。
 ある点が優れていれば、また別の点では劣っているなどというものです。
 けれども、若い女房でさえ重々しく真面目に振る舞っているようなときに、みっともなくふざけているように見えますのも、ひどく体裁の悪いことでしょう。
 ただ全体の様子として、このような風情に乏しい雰囲気ではなくしたいものです。
 

四 中宮方の気風

 さるは、宮の御心あかぬところなく、らうらうじく心にくくおはしますものを、あまりものづつみせさせたまへる御心に、何とも言ひ出でじ、言ひ出でたらむも、後ろやすく恥なき人は、世にかたいものとおぼしならひたり。
 げにものの折など、なかなかなることし出でたる、後れたるには劣りたるわざなりかし。
 ことに深き用意なき人の、所につけてわれは顔なるが、なまひがひがしきことども、ものの折に言ひ出だしたりけるを、まだいと幼きほどにおはしまして、世になうかたはなりと聞こしめし、おぼほししみにければ、ただことなる咎なくて過ぐすを、ただめやすきことにおぼしたる御けしきに、うち児めいたる人のむすめどもは、みないとようかなひきこえさせたるほどに、かくならひにけるとぞ心得てはべる。
 
 というのも実は、中宮様のお気立ては何一つ不足なところはなく、洗練されていて奥ゆかしくいらっしゃるのですが、あまりに控えめでいらっしゃるご性格なので、何も言い出すまい、何か言い出しても安心で恥ずかしい思いをしなくてよい女房はめったにいないものだと、お考えになっていられます。
 なるほど、何かの折などにしなくともよいことをしでかすのは、出来の良くないのより劣ることです。
 格別に深い思慮のない人で、この御所において得意顔した女房が、なまじ筋の通らないことどもを、何かの折節に言い出したりしたのを、まだたいそうお若いころでいらっしゃって、ひどく見苦しいこととお聞きになり、お思いこみになられていたので、ただ格別な落ち度もなくて過ごすのを、ただ無難なこととお考えになっている御様子で、いささか子供めいた良家の子女たちが、みなとてもよくその心に適うようにしてお仕え申し上げているうちに、このような気風が習慣になってしまったのだと、考えております。
 
 今はやうやうおとなびさせたまふままに、世のあべきさま、人の心の良きも悪しきも、過ぎたるも後れたるも、みな御覧じ知りて、この宮わたりのことを、殿上人もなにも目馴れて、ことにをかしきことなしと思ひ言ふべかめりと、みな知ろしめいたり。
 さりとて、心にくくもありはてず、とりはづせば、いとあはつけいことも出で来るものから、情けなく引き入りたる、かうしてもあらなむとおぼしのたまはすれど、そのならひ直りがたく、また今やうの君達といふもの、たふるるかたにて、あるかぎりみなまめ人なり。
 
 今では次第に大人らしくおなりになるにつれて、世の中のあるべき姿も、人の心の善しも悪しも、行き過ぎたことも至らないことも、みなお分かりになって、この中宮御所あたりのことを、殿上人も誰も見馴れて、格別に興趣深いこともないと思ったり言っているようだと、みな御存じでいらっしゃる。
 そうだからといって、奥ゆかしさばかりで行くわけにもいかず、ややもすれば、とても軽薄なことも出て来るものの、不風流に引きこもっているのは、こうしてありたいとお考えになり、おっしゃたりなさるが、その習慣は改めがたく、また当世風の公達ときたら、主義を曲げて順応して、ここに伺候するかぎりはみな実直な人ばかりです。
 
 斎院などやうの所にて、月をも見、花をも愛づる、ひたぶるの艶なることは、おのづからもとめ、思ひても言ふらむ。
 朝夕たちまじり、ゆかしげなきわたりに、ただことをも聞き寄せ、うち言ひ、もしは、をかしきことをも言ひかけられて、いらへ恥なからずすべき人なむ、世にかたくなりにたるをぞ、人びとは言ひはべるめる。
 みづからえ見はべらぬことなれば、え知らずかし。
 
 斎院などのような所では、月を観たり、花を賞でたり、一途な風流事は、自然と求めもし、想像して言うことでしょう。
 朝に夕に出入りして、何のおもしろさもない所では、日常の言葉を興趣深く感じ取ったり、またちょっと何かを言ったり、あるいは、情趣深いことを話しかけられて、返答が恥ずかしくなくできるような女房は、実に稀になってしまったことを、殿上人たちは批評しているようです。
 自分自身で見聞きしたことではないので、よくは分かりません。
 
 かならず、人の立ち寄り、はかなきいらへをせむからに、にくいことをひき出でむぞあやしき。
 いとようさてもありぬべきことなり。
 これを、人の心ありがたしとは言ふにはべるめり。
 などかかならずしも、面にくくひき入りたらむがかしこからむ。
 また、などてひたたけてさまよひさし出づべきぞ。
 よきほどに、折々のありさまにしたがひて、用ゐむことのいとかたきなるべし。
 
 殿上人が局に立ち寄り、ちょっとした返事をしようとする時に、きっと相手の気持ちを損ねることをしでかすのは困ったことです。
 とてもよく応対してそれで当然のことなのです。
 これをさして、すぐれた気立ての女房はめったにいないとは言うのでしょう。
 どうして必ずしも、見るのもにくい程に引きこもっているのが賢いことでしょうか。
 また逆に、どうして節度なくあちこちとさし出でるのが良いことでしょうか。
 ちょうど良いくらいに、その時その場の状況に従って、気配りしていくことがとても難しいことなのでしょう。
 
 まづは、宮の大夫参りたまひて、啓せさせたまふべきことありける折に、いとあえかに児めいたまふ上臈たちは、対面したまふことかたし。
 また会ひても、何ごとをかはかばかしくのたまふべくも見えず。
 言葉の足るまじきにもあらず、心の及ぶまじきにもはべらねど、つつまし、恥づかしと思ふに、ひがごともせらるるを、あいなし、すべて聞かれじと、ほのかなるけはひをも見えじ。
 
 まず例えば、中宮大夫が参上なさって、中宮様に申し上げなさることがあった折に、とても頼りなく子供っぽくいらっしゃる上臈の女房たちは、対面なさることはめったにありません。
 また応対に出ても、何一つはきはきとおっしゃれそうにも見えません。
 言葉が足りないのではありません、気配りが足りないというわけでもありませんが、きまりが悪い、恥ずかしいと思うにつけ、つい言い損ないもしそうなのを、みっともない、けっして聞かれまいと思って、少しでも姿を見られまいと思うのでしょう。
 
 ほかの人は、さぞはべらざなる。
 かかるまじらひなりぬれば、こよなきあて人も、みな世にしたがふなるを、ただ姫君ながらのもてなしにぞ、みなものしたまふ。
 下臈の出で会ふをば、大納言心よからずと思ひたまうたなれば、さるべき人びと里にまかで、局なるも、わりなき暇にさはる折々は、対面する人なくて、まかでたまふときもはべるなり。
 そのほかの上達部、宮の御方に参り馴れ、ものをも啓せさせたまふは、おのおの、心寄せの人、おのづからとりどりにほの知りつつ、その人ない折は、すさまじげに思ひて、たち出づる人びとの、ことにふれつつ、この宮わたりのこと、「埋もれたり」など言ふべかめるも、ことわりにはべり。
 
 他の所の女房はそうではないのでしょう。
 このような宮仕え生活に入れば、このうえなく高貴な女房でも、みな世間のしきたりに従うものですのに、相変わらず姫君のままの振る舞いでいらっしゃいます。
 下臈の女房が応対に出るのを、大納言殿は心よからず思っていらっしゃるようなので、しかるべき女房たちが里に退出していたり、局にいたりしても、やむをえない支障があるような場合には、対応する女房もいなくて、そのまま退出なさる時もあるようです。
 その他の上達部で、中宮様のもとにいつも参上して、何か取り次ぎ申し上げさせなさるような方は、それぞれ気心の通じた女房が自然と思い思いに懇意になっていて、その人がいない折には、つまらなそうに思って立ち去って行く人たちが、何かにつけて、この中宮様方のことを、「引きこもっている」などと言うらしいのも、もっともなことです。
 
 斎院わたりの人も、これをおとしめ思ふなるべし。
 さりとて、わが方の、見所あり、ほかの人は目も見知らじ、ものをも聞きとどめじと、思ひあなづらむぞ、またわりなき。
 すべて、人をもどくかたはやすく、わが心を用ゐむことはかたかべいわざを、さは思はで、まづわれさかしに、人をなきになし、世をそしるほどに、心のきはのみこそ見えあらはるめれ。
 
 斎院方の人も、こうしたことを軽蔑するのでしょう。
 そうだからといって、自分の方だけが見所があって、他の所の人は物を見る目がないのだろう、聞くべき耳を持たないのだろう、と思って軽蔑するのは、また理不尽なことです。
 総じて、人を非難するのはたやすく、自分の心を適切に用いることは難しいことですのに、そうは思わないで、まずは自分を賢い者と思って、人をないがしろにし、世間を誹っているうちに、その人の心の程度がはっきりと現れ見えてくるものです。
 
 いと御覧ぜさせまほしうはべりし文書きかな。
 人の隠しおきたりけるを盗みてみそかに見せて、取り返しはべりにしかば、ねたうこそ。
 
 とてもお見せしたい手紙の書きぶりでしたね。
 ある人が隠しておいたのをこっそり見せてくれて、すぐに取り戻してしまったので、お見せできず残念なことです。
 

五 和泉式部、赤染衛門、清少納言の批評

 和泉式部といふ人こそ、おもしろう書き交はしける。
 されど和泉はけしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見えはべるめり。
 歌はいとをかしきこと。
 ものおぼえ、歌のことわりまことの歌詠みざまにこそはべらざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる詠み添へはべり。
 それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ、口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢにはべるかし。
 恥づかしげの歌詠みやとはおぼえはべらず。
 
 和泉式部という人は、興趣深い手紙のやり取りをした人です。
 けれど和泉は感心しない面もありましたが、気を許して手紙をさらさらと書いた時に、その方面の才能のある人は、ちょっとした言葉遣いに色つやが見えるようです。
 和歌はとても趣きがあります。
 古歌の知識や和歌の理論などは本格的な歌人とはいえないようですが、口にまかせて詠んだ歌などには、かならず趣きのある一点が目にとまるものとして詠み込まれています。
 それほどの人でさえ、他人が詠んだ和歌を非難したり批評したりしていますのは、さあ、そこまでは分かっていないで、口をついて自然に詠んでいるようだと思える方面の人です。
 恥じ入るほどの〈当サイト注:見ているこちらが恥ずかしくなるような〉歌人だとは思われません〈続く二者一連の文脈参照〉。
 
 丹波守の北の方をば、宮、殿などのわたりには、匡衡衛門とぞ言ひはべる。
 ことにやむごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしく、歌詠みとてよろづのことにつけて詠み散らさねど、聞こえたるかぎりは、はかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきにはべれ。
 ややもせば、腰はなれぬばかり折れかかりたる歌を詠み出で、えも言はぬよしばみごとしても、われかしこに思ひたる人、憎くもいとほしくもおぼえはべるわざなり。
 
 丹波守の北の方を、中宮様や殿などのあたりでは、匡衡衛門と呼んでいます。
 特に優れた歌詠みではないが〈ことさら格別な身分ではないのに(丹波守と宮を対照)〉、本当に風格があって〈ものものしく;いかにも大物らしく〉、歌詠みとしてどのような場面にも歌を詠み散らすことはないが、知られている歌はすべてちょっとした折節のことでも、それこそこちらが恥じ入るほどの詠みぶりです。
 ややもすれば、上句と下句とがばらばらなほど離れた腰折れ歌を詠み出して、また何ともいえぬ由緒ありげなことをして、自分一人悦に入っている人は、憎らしくも気の毒にも思われることです。
 
 清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。
 さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。
 清少納言は、実に得意顔に偉そうにしていた人です。
 あれほど賢がって、漢字を書き散らしています程度も、よく見れば、まだとても未熟な点が多くあります。
 かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。
 そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
 
 このように、他人とは違おうとばかり思っている人は、かならず見劣りがし、先行きは悪くなっていくことばかりですから、思わせぶりの振る舞いが身についてしまった人は、ひどく無風流でつまらい時でも、しみじみと情趣にひたったり、また興趣深いことを見過ごすまいとしているうちに、自然とその折に適切ではない軽薄な振る舞いになるものです。
 そのように実意のない態度が身についてしまった人の行く末が、どうして良いことがありましょうか。
 

第二章 わが身と心を自省

一 わが心の内の披瀝

 かく、かたがたにつけて、一ふしの思ひ出でらるべきことなくて過ぐしはべりぬる人の、ことに行末の頼みもなきこそ、なぐさめ思ふかただにはべらねど、心すごうもてなす身ぞとだに思ひはべらじ。
 その心なほ失せぬにや、もの思ひまさる秋の夜も、端に出でゐて眺めば、いとど、月やいにしへほめてけむと、見えたるありさまを、もよほすやうにはべるべし、世の人の忌むといひはべる咎をも、かならずわたりはべりなむと憚られて、すこし奥にひき入りてぞ、さすがに心のうちには尽きせず思ひ続けられはべる。
 
 このように、あれこれにつけて、何一つ思い出となるようなこともなくて過ごしてきた自分が、格別に行末の頼り所もないのは、慰めに思うすべさえないが、せめて荒んだ気持ちで振る舞うことだけはするまい。
 そうした思いが依然として消えないからでしょうか、もの思いのまさる秋の夜も、端に出て座って空を眺めていると、ますます、月を昔は賞美していたのだろうかと、照らし出されたわが姿をそのように思わせるのでしょう、世間の人が忌むと言います非難にも、かならず当てはまりましょうと憚られて、すこし奥に引っ込んでも、やはり心の中では際限もなく物思いが続けられます。
 
 風の涼しき夕暮れ、聞きよからぬ独り琴をかき鳴らしては、「嘆き加はる」と聞き知る人やあらむと、ゆゆしくなどおぼえはべるこそ、をこにもあはれにもはべりけれ。
 さるは、あやしう黒みすすけたる曹司に筝の琴、和琴、調べながら心に入れて、「雨降る日、琴柱倒せ」なども言ひはべらぬままに塵積もりて、寄せ立てたりし厨子と柱とのはざまに首さし入れつつ、琵琶も左右に立ててはべり。
 
 風の涼しい夕暮れに、聞きよくもない独奏の琴をかき鳴らしては、わたしの「嘆きが加わる侘び住まい生活」を聞き知る人があろうかと、忌わしくなど思われますのは、われながらばからしくも哀れでもあります。
 とはいえ実は、不思議と黒ずんで煤けた曹司に、筝の琴や、和琴が調べをととのえたままあって、気をつけて、「雨の降る日は、琴柱を倒しておきなさい」などとも言わないので、そのまま塵も積もって、寄せて立てかけてあった厨子と柱との間に首をさし入れたまま、琵琶もその左右に立ててあります。
 
 大きなる厨子一よろひに、ひまもなく積みてはべるもの、一つには古歌、物語のえもいはず虫の巣になりにたる、むつかしく這ひ散れば、開けて見る人もはべらず。
 片つ方に書どもわざと置き重ねし人もはべらずなりにし後、手触るる人もことになし。
 それらをつれづれせめて余りぬるとき、一つ二つ引き出でて見はべるを、女房集まりて、
 大きな厨子一具に、隙間もなく積んでありますのは、一つには古歌集や、物語類が何とも言えない虫の巣となってしまったので、気味悪いほどに虫が這い散るので、開いて見る人もいません。
 もう片方に漢籍類があり、特別に積み重ねた夫も亡くなってしまった後は、手を触れる人も特にいません。
 それらを所在なさが募ってしかたない時に、一冊二冊引き出して見てますのを、女房たちが寄って来て、
 「御前はかくおはすれば、御幸ひは少なきなり。
 なでふ女か真名書は読む。
 昔は経読むをだに人は制しき」
 「あなた様はこうしていらっしゃるから、お幸せが少ないのです。
 どうして女性が漢文を読むのでしょう。
 昔は経を読むのでさえ人は制止しました」
としりうごち言ふを聞きはべるにも、物忌みける人の、行末いのち長かめるよしども、見えぬ例なりと、言はまほしくはべれど、思ひくまなきやうなり、ことはたさもあり。
 
と陰口を言うのを聞きますにつけても、縁起をかつぐ人が将来も長寿であるようだとは例の見えないことですと、言いたいけれども、思いやりがないようですし、それもまたもっともなことであります。
 

二 わが心のありよう

 よろづのこと、人によりてことごとなり。
 誇りかにきらきらしく心地よげに見ゆる人あり。
 よろづつれづれなる人のまぎるることなきままに、古き反古ひきさがし、行なひがちに口ひひらかし、数珠の音高きなど、いと心づきなく見ゆるわざなりと思ひたまへて、心にまかせつべきことをさへ、ただわが使ふ人の目に憚り、心につつむ。
 まして人の中にまじりては、言はまほしきこともはべれど、いでやと思ほえ、心得まじき人には、言ひて益なかるべし。
 ものもどきうちし、われはと思へる人の前にては、うるさければもの言ふことももの憂くはべり。
 ことにいとしも、もののかたがた得たる人はかたし。
 ただ、わが心の立てつるすぢをとらへて、人をばなきになすなめり。
 
 万事につけ、人によってそれぞれです。
 誇らかに輝いていて心地よさそうに見える人がいます。
 何事につけ所在なく寂しそうな人が気持ちの紛れることのないままに、古い書き物を探し出して読んだり、勤行がちに口にお経を唱えたり、数珠の音を高く繰ったりなどするのは、傍目にとても気に食わなく見える行為であると思いまして、思いどおりにしてよいようなことまで、ひたすらわたしが使用する女房の目さえ憚り、心の内におさめています。
 まして他人の中にまじっては、言いたいこともありますが、さあどうかしらと思われ、理解できない人には、言っても無益なことでしょう。
 人の非難をし、自分こそはと思っている人の前では、煩わしいので何を言うのも億劫です。
 特にとてもそこまで何もかもできる人というのはめったにいません。
 ただ、自分の心中に立てた基準をもとにして人を否定したりするもののようです。
 
 それ、心よりほかのわが面影を恥づと見れど、えさらずさし向かひまじりゐたることだにあり。
 しかじかさへもどかれじと、恥づかしきにはあらねど、むつかしと思ひて、ほけ痴れたる人にいとどなり果ててはべれば、
 それは、本心とは違った自分の面ざしを恥ずかしいと思うけれど、やむを得ず向かい合って一緒に座っていることさえあります。
 これこれしかじかだとまで非難されまいと、恥ずかしいことではないが、厄介だと思って、すっかりぼけた人にますますなりきっていますと、
 「かうは推しはからざりき。
 いと艶に恥づかしく、人見えにくげに、そばそばしきさまして、物語このみ、よしめき、歌がちに、人を人とも思はず、ねたげに見落とさむものとなむ、みな人びと言ひ思ひつつ憎みしを、見るには、あやしきまでおいらかに、こと人かとなむおぼゆる」
 「このような方だとは想像していませんでした。
 ひどく思わせぶりで恥ずかしがって、近寄りがたくて、よそよそしい様子をして、物語を好み、風流ぶって、何かと歌を詠み、人を人とも思わず、嫉妬深げに人を見下すような人だと、誰もが言ったり思ったりして憎んでいたのに、お会いしてみたところ、不思議なまでにおっとりとしていて、別人かと思われました」
とぞ、みな言ひはべるに、恥づかしく、人にかうおいらけものと見落とされにけるとは思ひはべれど、ただこれぞわが心と、ならひもてなしはべるありさま、宮の御前も、 と、皆が言いますので、恥ずかしくて、人からこのようにおっとりした者と見下されてしまったと思いますが、ただこれが自分の考えだと、慣れ振る舞ってきました態度は、中宮様におかれても、
 「いとうちとけては見えじとなむ思ひしかど、人よりけにむつましうなりにたるこそ」  「とても気を許して接することはできない人だと思っていましたが、他の人よりは実に親しくなってしまいましたね」
と、のたまはする折々はべり。
 くせぐせしくやさしだち、恥ぢられたてまつる人にも、そばめたてられではべらまし。
 
と、仰せになる折々もあります。
 個性が強く優雅に振る舞い、中宮様から一目置かれている上流の女房たちからも、疎外されないようにしたいものです。
 

三 人の心のありよう 結論

 さまよう、すべて人はおいらかに、すこし心おきてのどかに、おちゐぬるをもととしてこそ、ゆゑもよしも、をかしく心やすけれ。
 もしは、色めかしくあだあだしけれど、本性の人がら癖なく、かたはらのため見えにくきさませずだになりぬれば、憎うははべるまじ。
 
 体裁よく、総じて女性は穏やかで、少し心の持ち方がゆったりとして落ち着いていることを基本としてこそ、品格も風情も興趣深く安心です。
 あるいはまた、好色っぽくて浮薄であるけれども、生来の人柄に欠点がなく、周囲の人に対しても付き合いにくい態度さえとらなければ、憎くはありますまい。
 
 われはと、くすしくならひもち、けしきことごとしくなりぬる人は、立ち居につけて、われ用意せらるるほども、その人には目とどまる。
 目をしとどめつれば、かならずものを言ふ言葉の中にも、来てゐる振る舞ひ、立ちて行く後ろでにも、かならず癖は見つけらるるわざにはべり。
 もの言ひすこしうち合はずなりぬる人と、人の上うち落としめつる人とは、まして耳も目も立てらるるわざにこそはべるべけれ。
 人の癖なきかぎりは、いかではかなき言の葉をも聞こえじとつつみ、なげの情けつくらまほしうはべり。
 
 自分こそは他とは違うと、奇異な振る舞いに慣れて、態度が仰々しくなった女房は、立ち居振る舞いにつけて、自分から注意している時でも、その人には目が留まります。
 皆が目を留めれば、必ず何か言う言葉の中にも、来て座る態度や座を立って行く後ろ姿にも、必ず欠点は見つけられるものです。
 言うことが少しちぐはぐになった人と、他人の身の上をすぐにけなしてしまう人とは、ましていっそう耳も目も注目されることになるものです。
 欠点のない人はみな、何とかしてちょっとした批判的な言葉を申すまいと遠慮し、かりそめの好意でさえ見せてあげたく思います。
 
 人すすみて、憎いことし出でつるは、悪ろきことを過ちたらむも、言ひ笑はむに、憚りなうおぼえはべり。
 いと心よからむ人は、われを憎むとも、われはなほ人を思ひ後ろむべけれど、いとさしもえあらず。
 
 人が進んで憎らしいことをし出かした時はもちろん、悪いことを過ってやった時でも、これを非難して笑うのも、遠慮はないと思われます。
 とても気立ての良いような人は、他人が自分を憎んでも、自分はやはりその人を思い世話しましょうが、普通の人はそうまではできないことです。
 
 慈悲深うおはする仏だに、三宝そしる罪は浅しとやは説いたまふなる。
 まいて、かばかりに濁り深き世の人は、なほつらき人はつらかりぬべし。
 それを、われまさりて言はむといみじき言の葉を言ひつけ、向かひゐてけしき悪しうまもり交はすと、さはあらずもて隠し、うはべはなだらかなるとのけぢめぞ、心のほどは見えはべるかし。
 
 慈悲深くいらしゃる仏様でさえ、三宝を非難する罪は軽いとお説きになったでしょうか。
 ましてや、これほど濁り深い世俗の人は、やはりつらく当たる人にはつらく当たり返すことになりましょう。
 それを、相手以上に自分が言い返してやろうとひどい言葉を投げつけ、面と向かって険悪な表情でにらみ合ったりするのと、そうではなくて包み隠して表面では穏やかなのとの違いによって、その人の思慮の程度が分かるものです。
 

四 日本紀の御局と少女時代回想

 左衛門の内侍といふ人はべり。
 あやしうすずろによからず思ひけるも、え知りはべらぬ心憂きしりうごとの多う聞こえはべりし。
 
 左衛門の内侍という人がいます。
 妙にわけもなくわたしのことを良くなく思っていたのを、知らないでいましたところ、嫌な陰口がたくさん聞こえてきました。
 
 内裏の上の『源氏の物語』、人に読ませたまひつつ聞こしめしけるに、  内裏の主上様が『源氏物語』を人にお読ませになりながらお聞きになっていた時に、
 「この人は、日本紀をこそ読みたるべけれ。
 まことに才あるべし」
 「この人は、きっと日本紀を読んでいるに違いない。
 本当に学識があるようだ」
と、のたまはせけるを、ふと推しはかりに、 と、仰せになったのを、ふと当て推量に、
 「いみじうなむ才がる」  「たいそう学識を鼻にかけている」
と殿上人などに言ひ散らして、「日本紀の御局」とぞつけたりける、いとをかしくぞはべる。
 この古里の女の前にてだにつつみはべるものを、さる所にて才さかし出ではべらむよ。
 
と殿上人などに言いふらして、「日本紀の御局」と渾名をつけたのだったが、とても滑稽なことです。
 わたしの実家の侍女の前でさえ包み隠していますのに、そのような宮中などでどうして学識をひけらかすことをしましょうか。
 
 この式部の丞といふ人の、童にて書読みはべりし時、聞き習ひつつ、かの人は遅う読みとり、忘るるところをも、あやしきまでぞ聡くはべりしかば、書に心入れたる親は、「口惜しう。
 男子にて持たらぬこそ幸ひなかりけれ」とぞつねに嘆かれはべりし。
 
 わたしの弟の式部丞という人が、まだ子供で漢籍を読んでいました時に、側で聞き習っていたが、弟は理解するのが遅かったり、すぐに忘れるところがあったりしたのを、わたしは不思議なほど習得が早かったので、漢籍の学問に熱心であった父親は、「残念なことだ。
 男子でなかったのが不幸なことであった」と、いつも嘆いておられました。
 
 それを、「男だに才がりぬる人は、いかにぞや。
 はなやかならずのみはべるめるよ」と、やうやう人の言ふも聞きとめて後、一といふ文字をだに書きわたしはべらず、いとてづつに、あさましくはべり。
 
 それなのに、「男性でさえ学識を鼻にかける者は、どのようなものでしょうか。
 栄達はしないもののようですよ」と、だんだんと人が言うのを耳にするようになってからは、一という漢字さえ書くことをしませんので、まったく無学であきれる様でいます。
 
 読みし書などいひけむもの、目にもとどめずなりてはべりしに、いよいよかかること聞きはべりしかば、いかに人も伝へ聞きて憎むらむと、恥づかしさに、御屏風の上に書きたることをだに読まぬ顔をしはべりしを、宮の御前にて『文集』の所々読ませたまひなどして、さるさまのこと知ろしめさまほしげにおぼいたりしかば、いとしのびて人のさぶらはぬもののひまひまに、をととしの夏ごろより、「楽府」といふ書二巻をぞしどけなながら教へたてきこえさせてはべる、隠しはべり。
 
 かつて読んだ漢籍などといったものは、目にもとめなくなっていましたのに、ますますこのような渾名を聞きましたので、どんなに人が伝え聞いて憎むことだろうと、恥ずかしさに、御屏風の上に書いてある字句をさえ読まない顔をしていましたのに、中宮様の御前で『白氏文集』の所々を読ませなさったりなどして、その方面のことをお知りになりたげなご意向であったので、たいそうこっそりと女房の伺候していない何かの合間合間に、一昨年の夏ごろから、「新楽府」といふ書物二巻を、きちんとではないがお教え申し上げていますが、このことも隠しています。
 
 宮もしのびさせたまひしかど、殿も内裏もけしきを知らせたまひて、御書どもをめでたう書かせたまひてぞ、殿はたてまつらせたまふ。
 まことにかう読ませたまひなどすること、はた、かのもの言ひの内侍は、え聞かざるべし。
 知りたらば、いかに誹りはべらむものと、すべて世の中ことわざしげく憂きものにはべりけり。
 
 中宮様もお隠しになっていましたが、殿も主上も様子をお知りになって、漢籍類を立派に書家にお書かせになって、殿は中宮様に献上なさる。
 本当にこのようにわたしに読ませなさったりすることは、それでもやはり、あの口うるさい内侍は、まだ聞きつけていないでしょう。
 これを知ったならば、どんなに悪口を言いましょうかと、総じて世の中というものは煩雑で嫌なものでございますね。
 

五 求道への思いと逡巡

 いかに、今は言忌みしはべらじ。
 人、と言ふとも、かく言ふとも、ただ阿弥陀仏にたゆみなく、経をならひはべらむ。
 世の厭はしきことは、すべてつゆばかり心もとまらずなりにてはべれば、聖にならむに、懈怠すべうもはべらず。
 ただひたみちに背きても、雲に乗らぬほどのたゆたふべきやうなむはべるべかなる。
 それに、やすらひはべるなり。
 年もはた、よきほどになりもてまかる。
 いたうこれより老いほれて、はた目暗うて経読まず、心もいとどたゆさまさりはべらむものを、心深き人まねのやうにはべれど、今はただ、かかるかたのことをぞ思ひたまふる。
 それ、罪深き人は、またかならずしもかなひはべらじ。
 前の世知らるることのみ多うはべれば、よろづにつけてぞ悲しくはべる。
 
 さあ、今はもう言葉を慎むこともいたすまい。
 他人がとやかく言っても、ただ阿弥陀仏をひたすら信じて、お経を習いましょう。
 世の中の厭わしいことは、すべてほんの少しも心もとまらなくなってしまいましたので、出家して尼になっても仏道修業を怠ることはありますまい。
 ただひたすらに世を背いて出家しても、来迎の雲に乗らないうちの迷うようなことがあるかもしれません。
 それゆえに、躊躇しているのです。
 年齢もまた、出家するのに適当な年ごろになってきています。
 ひどく今より老いぼれては、また目も弱ってお経も読まず、気力もますます弛んでいきますものですから、思慮深い人のまねのようですが、今はただもう、このような仏道方面のことだけを思っております。
 いったい、わたしのような罪深い人は、また必ずしも極楽往生も叶いますまい。
 前世の罪業が思い知られることばかり多いものですから、すべてにつけて悲しゅうございます。
 

六 宮仕女房批評記の結び

 御文にえ書き続けはべらぬことを、良きも悪しきも、世にあること、身の上の憂へにても、残らず聞こえさせおかまほしうはべるぞかし。
 けしからぬ人を思ひ、聞こえさすとても、かかるべいことやははべる。
 されど、つれづれにおはしますらむ、またつれづれの心を御覧ぜよ。
 また、おぼさむことの、いとかうやくなしごと多からずとも、書かせたまへ。
 見たまへむ。
 夢にても散りはべらばいといみじからむ。
 耳も多くぞはべる。
 このころ反古もみな破り焼き失ひ、雛などの屋づくりに、この春しはべりにし後、人の文もはべらず、紙にはわざと書かじと思ひはべるぞ、いとやつれたる。
 こと悪ろきかたにははべらず、ことさらによ。
 御覧じては疾うたまはらむ。
 え読みはべらぬ所々、文字落としぞはべらむ。
 それはなにかは、御覧じも漏らさせたまへかし。
 かく世の人ごとの上を思ひ思ひ、果てにとぢめはべれば、身を思ひ捨てぬ心の、さも深うはべるべきかな。
 何せむとにかはべらむ。
 
 お手紙にはうまく書き続けられませぬことを、良い事でも悪い事でも、世間の出来事でも、わが身の上の憂えでも、残さずすっかり申し上げておきとうございます。
 はなはだ不都合な人を念頭に置いて、申し上げようとしても、こんなにまで書き置いてよいものでございましょうか。
 けれど、あなた様も所在なくいらっしゃるでしょう、またわたしの所在ない心を御覧ください。
 そしてまた、お思いになっていることで、とてもこう無益なことが多くなくとも、お書きください。
 拝見いたしましょう。
 万が一この手紙が人目に触れるようなことになったら大変なことでしょう。
 人の耳も多いことです。
 最近は不要な手紙はみな破って焼却したり、雛遊びなどの家作りに、この春使ってしまって後は、誰の手紙もありませんし、新しい紙にはわざわざ書くまいと思っておりますのも、とても目立たないようにしているのです。
 特に粗雑な扱い方をしているのではありません、わざとそうしたのですよ。
 御覧になりましたら、早くお返しください。
 読みにくい所々や、文字を落とした所もありましょう。
 それはお構いなく、お読み飛ばしください。
 このように世間の人の口を気にかけながら、最後に結びとしますと、わが身を思い捨てきれない執着心が、何とも深いことでございます。
 どうしようというものでしょうか。
 

第三部 宮仕生活備忘記

第一章 寛弘五年五月二十二日、土御門殿邸の法華三十講

 二十二日の暁、御堂へ渡らせたまふ。
 御車には殿の上、人びとは舟に乗りてさし渡りけり。
 それには遅れて夜さり参る。
 教化行ふところ、山、寺の作法うつして大懺悔す。
 白印塔など多う絵に描いて、興じあそびたまふ。
 上達部多くはまかでたまひて、すこしぞとまりたまへる。
 後夜の御導師、教化ども、説相みな心々、二十人ながら宮のかくておはしますよしを、こちかひきしな、言葉絶えて、笑はるることもあまたあり。
 
 二十二日の明け方に、中宮様は御堂へお渡りになる。
 御車には殿の北の方が同乗され、女房たちは舟に乗って向こう岸に渡った。
 それには遅れて夜になってから参った。
 教化を行うところで、比叡山や三井寺の作法をそのまま行って大懺悔を行う。
 白い百万塔などをたくさん絵に描いて、遊び興じていらっしゃる。
 上達部の多くは退出なさって、わずかの人びとが残っていらっしゃった。
 後夜の御導師は、教化の仕方や説教がみなそれぞれ異なっていて、二十人の僧侶がみな中宮様がこのように身重でいらっしゃる趣旨を、一生懸命に祈って、言葉につまって、笑われることもたびたびあった。
 
 事果てて、殿上人舟に乗りて、みな漕ぎ続きてあそぶ。
 御堂の東のつま、北向きに押し開けたる戸の前、池につくり下ろしたる階の高欄を押さへて、宮の大夫はゐたまへり。
 殿あからさまに参らせたまへるほど、宰相の君など物語して、御前なれば、うちとけぬ用意、内も外もをかしきほどなり。
 
 法会が終わって、殿上人は舟に乗って、みな次々と漕ぎ出して管弦の遊びをする。
 御堂の東の端の、北向きに押し開けてある妻戸の前に、池に面して造り下ろしてある階段の高欄に手で押さえて、中宮の大夫は座っていらっしゃった。
 殿がちょっと中宮様のもとへ参上なさる間に、大夫は宰相の君などとお話するが、中宮様の御前なので、その緊張している様子は、御簾の内側も外側も興趣深いものである。
 
 月おぼろにさし出でて、若やかなる君達、今様歌うたふも、舟に乗りおほせたるを、若うをかしく聞こゆるに、大蔵卿の、おほなおほなまじりて、さすがに声うち添へむもつつましきにや、しのびやかにてゐたる後ろでの、をかしう見ゆれば、御簾のうちの人もみそかに笑ふ。
 
 月が雲間から朧に顔を出して、若々しい公達が、今様を歌うにつけても、舟にうまく乗り込んだので、若々しく楽しく聞こえるのだが、大蔵卿が、年がいもなく彼らに混じって、さすがにやはり声を一緒に出すのも遠慮されるのか、ひっそりと座っていた後ろ姿が滑稽に見えるので、御簾の内側の女房たちもひそひそ笑う。
 
 「舟のうちにや老いをばかこつらむ」  「舟の中で老いを嘆いているのでしょうか」
と、言ひたるを聞きつけたまへるにや、大夫、 と、言ったのを聞きつけなさったのか、中宮大夫が、
 「徐福文成誑誕多し」  「徐福文成は誑誕が多い」
と、うち誦じたまふ声もさまもこよなう今めかしく見ゆ。
 
と、朗唱なさる声も様子もよこの上なく華やかに見える。
 
 「池の浮き草」 「池の浮き草」
とうたひて、笛など吹き合せたる暁方の風のけはひさへぞ心ことなる。
 はかないことも所から折からなりけり。
 
などと謡って、笛などを吹き合わせているが、その暁方の風の様子までが格別な感じがする。
 ちょっとしたことも場所柄、時節柄によるのであった。
 

第二章 寛弘五年土御門邸にて 道長と和歌贈答

一 源氏物語について

 『源氏の物語』、御前にあるを、殿の御覧じて、例のすずろ言ども出で来たるついでに梅の下に敷かれたる紙に書かせたまへる。
 
 『源氏物語』が、中宮様の御前にあったのを、殿が御覧になって、いつものように冗談を言い出された折に、梅の実の下に敷かれている紙にお書きになった歌。
 
♪15  
すきものと 名にしたてれば 見る
折らで過ぐるは あらじとぞ思ふ」
「あなたは好色者との評判が高いので、見かけた人は
口説かずに放っておく人はいないと思います」
   
 たまはせたれば、  と詠んで、お与えになったので、
♪16  
にまだ 折られぬものを たれかこの
すきものぞとは 口ならしけむ
「誰にもまだ靡いたことはないのに、いったい誰がわたしを
好色者だと言いふらしたのでしょうか
   
めざましう」 心外なことですわ」
と聞こゆ。
 
と申し上げる。
 

二 渡殿に寝た夜の事

 渡殿に寝たる夜、戸をたたく人ありと聞けど、恐ろしさに、音もせで明かしたるつとめて、  渡殿に寝た夜、局の戸をたたいている人がいると聞ききつけたが、恐ろしいので、返事もしないで夜を明かした、その翌朝に、
♪17  
よもすがら 水鶏よりけに なくなくぞ
槙の戸口に たたき侘びつるる
一晩中水鶏以上に泣く泣く開けてほしいと
槙の戸口をたたき続けて思い嘆きました
   
 返し、  返歌、
♪18  
ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆゑ
あけてはいかに 悔しからまし
ただごとではないとばかりに、戸をたたくあなた様ゆえに
戸を開けてはどんなに後悔をしたことでしょう
   

第三章 寛弘七年正月 若宮たちの御戴餅

一 正月元日 敦成・敦良親王たちの御戴餅

 今年正月三日まで、宮たちの御戴餅に日々に参う上らせたまふ、御供に、みな上臈も参る。
 左衛門の督抱いたてまつりたまうて、殿、餅は取り次ぎて、主上にたてまつらせたまふ。
 二間の東の戸に向かひて、主上の戴かせたてまつらせたまふなり。
 下り上らせたまふ儀式、見物なり。
 大宮は上らせたまはず。
 
 今年は正月三日まで、若宮たちが御戴餅の儀式のために毎日清涼殿に参上なさる、その御供に、みな上臈女房たちも参る。
 左衛門督(頼通)がお抱き申し上げなさって、殿が、お餅は取り次いで、主上に差し上げなさる。
 二間の東の戸に向かった所で、主上が若宮たちの頭上に戴かせなさるのである。
 若宮たちが参上したり退下したりなさる儀式は見物である。
 母宮様は参上なさらない。
 
 今年の朔日、御まかなひ宰相の君。
 例のものの色合などことに、いとをかし。
 蔵人は、内匠、兵庫仕うまつる。
 髪上げたる容貌などこそ、御まかなひはいとことに見えたまへ、わりなしや。
 薬の女官にて、文室の博士さかしだちさひらきゐたり。
 膏薬配れる例のことどもなり。
 
 今年の元日は、御陪膳役は宰相の君である。
 例によって衣装の色合など格別で、実に素晴らしい。
 女蔵人としては、内匠の君や兵庫の君がお仕え申す。
 髪上げした容貌などは、御陪膳役の方がとても格別にお見えであるが、しかたがないことである。
 御薬の儀の女官として、文室の博士が賢ぶって振る舞っていた。
 膏薬を配ることは例年のとおりである。
 

二 正月二日初子の日 臨時客

 二日、宮の大饗はとまりて、臨時客東面とり払ひて、例のごとしたり。
 上達部は、傅大納言、右大将、中宮大夫、四条大納言、権中納言、侍従の中納言、左衛門督、有国の宰相、大蔵卿、左兵衛督、源宰相、向かひつつゐたまへり。
 源中納言、右衛門督、左右の宰相の中将は長押の下に、殿上人の座の上に着きたまへり。
 
 二日、中宮様の大饗はとりやめになって、臨時客が東面をとり払って、例年のとおり行われた。
 上達部は、傅大納言(道綱)、右大将(実資)、中宮大夫(斉信)、四条大納言(公任)、権中納言(隆家)、侍従の中納言(行成)、左衛門督(頼通)、有国の宰相、大蔵卿(正光)、左兵衛督(実成)、源宰相(頼定)らが、向かい合ってお座りになった。
 源中納言(俊賢)、右衛門督(懐平)、左右の宰相の中将(源経房・藤原兼隆)は長押の下手で、殿上人の上座にお着きになった。
 
 若宮抱き出でたてまつりたまひて、例のことども言はせたてまつり、うつくしみきこえたまひて、上に、  殿が若宮をお抱き申してお出ましになって、いつものご挨拶を若宮に言わせ申し上げて、お可愛がりになって、北の方に、
 「いと宮抱きたてまつらむ」  「弟宮をお抱き申し上げよう」
と、殿ののたまふを、いとねたきことにしたまひて、 と、殿がおっしゃるのを、若宮はとてもやきもちをお焼きになって、
 「ああ」  「いやあ」
とさいなむを、うつくしがりきこえたまひて、申したまへば、右大将など興じきこえたまふ。
 
といやがるので、また若宮をお可愛がりなさって、あれこれなだめ申し上げなさると、右大将などはおもしろがり申し上げなさる。
 
 上に参りたまひて、主上、殿上に出でさせたまひて、御遊びありけり。
 殿、例の酔はせたまへり。
 わづらはしと思ひて、かくろへゐたるに、
 その後、清涼殿に参上なさって、主上が殿上間にお出ましになって、管弦の御遊があった。
 殿は、例によってお酔いになられた。
 厄介だと思って、隠れていると、
 「なぞ、御父の御前の御遊びに召しつるに、さぶらはで急ぎまかでにける。
 ひがみたり」
 「どうして、あなたの御父殿は御前の御遊にお召しになったのに、伺候もしないで急いで退出してしまったのか。
 ひねくれているね」
など、むつからせたまふ。
 
などと、文句をおっしゃる。
 
 「許さるばかり歌一つつかうまつれ。
 親の代はりに。
 初子の日なり。
 詠め詠め」
 「それが許されるほどの和歌を一首詠め。
 父親の代わりに。
 今日は初子の日である。
 詠め、詠め」
とせめさせたまふ。
 うち出でむに、いとかたはならむ。
 こよなからぬ御酔ひなめれば、いとど御色合ひきよげに、火影はなやかにあらまほしくて、
と催促なさる。
 すぐに詠み出すのも、とても不体裁なことだろう。
 とてもひどい御酔態ではないようなので、ますますお顔の色合いも美しく、火影に輝き映えて素晴らしいお姿で、
 「年ごろ、宮のすさまじげにて、一所おはしますを、さうざうしく見たてまつりしに、かくむつかしきまで、左右に見たてまつるこそうれしけれ」  「ここ数年来、中宮様が寂しそうな様子で、一人でいらっしゃったのを、お寂しいことと拝見して来ましたが、このように煩わしいまでに、左に右に若宮たちを拝見するのは嬉しいことだ」
と、大殿籠もりたる宮たちを、ひき開けつつ見たてまつりたまふ。
 
 とおっしゃって、お休みになっている若宮たちを、御帳台の垂絹を何度もひき開けては拝見なさっている。
 
 「野辺に小松のなかりせば」  「野辺に小松がなかったならば」
とうち誦じたまふ。
 新しからむことよりも折節の人の御ありさま、めでたくおぼえさせたまふ。
 
と口ずさみなさる。
 新しい和歌を詠むよりも、折節に適った殿の御様子は、素晴らしく思われなさる。
 
 またの日、夕つ方、いつしかと霞みたる空を、造り続けたる軒のひまなさにて、ただ渡殿の上のほどをほのかに見て、中務の乳母と昨夜の御口ずさびをめできこゆ。
 この命婦こそものの心得て、かとかどしくははべる人なれ。
 
 その翌日の夕方、早くも霞みわたる空を、幾棟も列ねたの殿舎の軒の隙間もない様子なので、ただ渡殿の上方の隙間をわずかに眺めて、中務の乳母と昨夜の殿の口ずさみをお褒め申し上げる。
 この命婦は、ものの道理を弁えていて、才気のある人なのです。
 

三 正月十五日 敦良親王御五十日の祝い

 あからさまにまかでて、二の宮の御五十日は正月十五日、その暁に参るに、小少将の君、明け果ててはしたなくなりにたるに参りたまへり。
 例の同じ所にゐたり。
 二人の局を一つに合はせて、かたみに里なるほども住む。
 ひとたびに参りては、几帳ばかりを隔てにてあり。
 殿ぞ笑はせたまふ。
 
 ほんのちょっと里に退出して、二の宮の御五十日のお祝いは正月十五日なので、その明け方に参上したところ、小少将の君は、夜がすっかり明けて体裁の悪い時分に帰参なさった。
 いつものように同じ局にいた。
 二人の局を一つに合わせて、お互いに里にいる間もそこに住んでいる。
 同時に参上している時は、几帳だけを中仕切りにしている。
 殿はそれをお笑いになる。
 
 「かたみに知らぬ人も語らはば」  「お互いに知らない男性を誘い入れた場合は、どうするのですか」
など聞きにくく、されど誰れもさるうとうとしきことなければ、心やすくてなむ。
 
などと聞きにくいことをおっしゃるが、けれどもどちらもそのようなよそよしいことはないので、安心です。
 
 日たけて参う上る。
 かの君は、桜の織物の袿、赤色の唐衣、例の摺裳着たまへり。
 紅梅に萌黄、柳の唐衣、裳の摺目など今めかしければ、とりもかへつべくぞ、若やかなる。
 上人ども十七人ぞ、宮の御方に参りたる。
 いと宮の御まかなひは橘三位。
 取り次ぐ人、端には小大輔、源式部、内には小少将。
 
 日が高くなって中宮様のもとに参上する。
 あの小少将の君は、桜襲の織物の袿に、赤色の唐衣を着て、いつもの摺裳を付けていらっしゃった。
 わたしは紅梅と萌黄襲、柳の唐衣を着て、裳の摺目などは華やかなので、取り替えたほうがよいくらい、若々しいものである。
 主上付きの女房たち十七人が、中宮様の御方に参上している。
 弟宮の御陪膳役は橘三位である。
 取り次ぎ役は、端には小大輔の君と源式部の君、内側では小少将の君がお仕える。
 
 帝、后、御帳の中には二所ながらおはします。
 朝日の光りあひて、まばゆきまで恥づかしげなる御前なり。
 主上は御直衣、小口たてまつりて、宮は例の紅の御衣、紅梅、萌黄、柳、山吹の御衣、上には葡萄染めの織物の御衣、柳の上白の御小袿、紋も色もめづらしく今めかしき、たてまつれり。
 あなたはいと顕証なれば、この奥にやをらすべりとどまりてゐたり。
 
 帝と皇后様が、御帳台の中にお二方ともいらっしゃる。
 朝日のように光り輝いて、まぶしいほど立派な御前の様子である。
 主上は御直衣に、小口の袴をお召しになり、中宮様はいつもの紅色の袿に、紅梅、萌黄、柳、山吹の袿をお重ねになり、表着には葡萄染めの織物をお召しになり、柳の上白の御小袿、紋も色も珍しく当世風なのをお召しになっていた。
 あちらはとてもあらわなので、こちらの奥にそっと入り込んで控えていた。
 
 中務の乳母、宮抱きたてまつりて、御帳のはざまより南ざまに率てたてまつる。
 こまかにそびそびしくなどもあらぬかたちの、ただゆるるかに、ものものしきさまうちして、さるかたに人教へつべく、かどかどしきけはひぞしたる。
 葡萄染めの織物の袿、無紋の青色に、桜の唐衣着たり。
 
 中務の乳母が、弟宮をお抱き申し上げて、御帳台の隙間から南面の方にお率れ申し上げる。
 よく整っていてすらりとしたほどではない容姿で、ただゆったりと、堂々とした態度で、さるかたに人教へつべく、才気に富んだ雰囲気をしている。
 葡萄染めの織物の小袿と、紋様のないの青色の表着に、桜襲の唐衣を着ていた。
 
 その日の人の装束、いづれとなく尽くしたるを、袖口のあはひ悪ろう重ねたる人しも、御前の物とり入るとて、そこらの上達部、殿上人に、さしい出でてまぼられつることとぞ、のちに宰相の君など、口惜しがりたまふめりし。
 さるは悪しくもはべらざりき。
 ただあはひの褪めたるなり。
 小大輔は紅一襲、上に紅梅の濃き薄き五つを重ねたり。
 唐衣、桜。
 源式部は濃きに、また紅梅の綾ぞ着てはべるめりし。
 織物ならぬを悪ろしとにや。
 それあながちのこと。
 顕証なるにしもこそ、とり過ちのほの見えたらむ側目をも選らせたまふべけれ、衣の劣りまさりは言ふべきことならず。
 
 その日の女房の服装は、誰も皆華美を尽くしていたが、袖口の配色を具合悪く重ねている女房が、あいにく御前の物をとり入れようとして、大勢の上達部や殿上人たちに、前に出てまじまじと見られてしまったことを、のちに宰相の君などは、残念がっていらっしゃったようだ。
 とはいうものの悪いというほどでもありませんでした。
 ただ重ねの配色が引き立たなかっただけである。
 小大輔の君は紅色の単衣襲に、表着には紅梅襲の袿で濃いのや薄いのを五枚重ねていた。
 唐衣は、桜襲である。
 源式部の君は濃い紅梅襲に、さらに紅梅の綾織物の表着を着ているようであった。
 唐衣が織物でないのを具合が悪いとでもいうのだろうか。
 それは禁色だから無理というものである。
 公的儀式の晴れの場であったら、過失が傍目にもちらっと見えた場合なら、指摘なさるのもよいでしょうが、今回は衣装の優劣は言うべきことでない。
 
 餅まゐらせたまふことども果てて、御台などまかでて、廂の御簾上ぐるきはに、上の女房は御帳の西面の昼の御座に、おし重ねたるやうにて並みゐたり。
 三位をはじめて典侍たちもあまた参れり。
 
 弟宮にお餅を進上なさる儀式が終わって、御食膳などを下げて、廂の間の御簾を巻き上げる際に、主上付きの女房たちは御帳台の西側の昼の御座のあたりに重なるようにして並んでいた。
 橘三位の君をはじめとして典侍たちも大勢参上していた。
 
 宮の人びとは、若人は長押の下、東の廂の南の障子放ちて、御簾かけたるに、上臈はゐたり。
 御帳の東のはざま、ただすこしあるに、大納言の君、小少将の君ゐたまへる所に、たづねゆきて見る。
 
 中宮様方の女房たちは、若い女房は長押の下手に、東の廂の間の南側の障子を開け放って、御簾をかけていた所に、上臈の女房たちは座っていた。
 御帳台の東側の隙間が、わずかに少しある所に、大納言の君や小少将の君が座っていらっしゃる所に、探して行ってそこで儀式を拝見した。
 
 主上は、平敷の御座に御膳まゐり据ゑたり。
 御前のもの、したるさま、言ひ尽くさむかたなし。
 簀子に北向きに西を上にて、上達部。
 左、右、内の大臣殿、春宮傅、中宮の大夫、四条大納言、それより下は見えはべらざりき。
 
 主上は、平敷の御座におつきになり、御食膳が差し上げられ並べられた。
 御前の御食膳や、盛り付けの様子の立派さは、何とも言い表わしようがない。
 南の簀子に北向きに西を上座にして、上達部のお席である。
 左大臣(道長)、右大臣(顕光)、内大臣(公季)殿、そして春宮傅(道綱)、中宮大夫(斉信)、四条大納言(公任)。
 それより下座は見えませんでした。
 
 御遊びあり。
 殿上人はこの対の辰巳にあたりたる廊にさぶらふ。
 地下は定まれり。
 景斉朝臣、惟風朝臣、行義、遠理などやうの人びと。
 上に、四条大納言拍子とり、頭弁、琵琶、琴は、□□、左の宰相中将、笙の笛とぞ。
 双調の声にて、「あな尊と」、次に「席田」「此の殿」などうたふ。
 曲のものは、鳥の破、急を遊ぶ。
 外の座にも調子などを吹く。
 歌に拍子うち違へてとがめられたりしは、伊勢守にぞありし。
 右の大臣、
 管弦の御遊がある。
 殿上人は東の対の東南にあたる廊に伺候している。
 地下人の席は決まっていた。
 藤原景斉朝臣、藤原惟風朝臣、平行義、藤原遠理などといった人びとである。
 殿上では、四条大納言が拍子をとり、頭弁が琵琶、琴は□□(不明)、左宰相中将が笙の笛という。
 双調の声で、「安名尊」、次に「席田」「此殿」などを謡う。
 楽曲のものは、迦陵頻 の破と急を演奏する。
 屋外の地下の座でも調子の笛などを吹く。
 歌に拍子を打ち間違えて、とがめられたのは、伊勢守であった。
 右大臣が、
 「和琴、いとおもしろし」  「和琴が、とても素晴らしい」
など、聞きはやしたまふ。
 ざれたまふめりし果てに、いみじき過ちのいとほしきこそ、見る人の身さへ冷えはべりしか。
 
などと、褒めそやしなさる。
 はじめ戯れなさっていたようだが、その終わりに、大変な失態をした気の毒さは、それを見ていた人の身体までが冷えきってしまうほどあった。
 
 御贈物、笛歯二つ、筥に入れてとぞ見はべりし。
 
 殿からの帝への献上物として、笛「歯二」で、箱に納められて献上されたと拝見した。
 
   
寛弘五年  
 左大臣道長  右大臣顕光  内大臣公季<左大将>  
 大納言道綱<傅>  権大納言実資<右大将 按察>  
 大納言懐忠<民部卿>  権中納言斉信<中宮大夫 右衛門督 十月十六日 正二位>  
 中納言公任<皇太后宮大夫 左衛門督>  権中納言隆家  
 権中納言俊賢<治部卿 中宮権大夫 十月従二位>  中納言時光<弾正尹>  
 権中納言忠輔<兵部卿>  
 参議有国<勘解由長宮 播磨権守>  行成<左大弁 侍従 皇太后宮権大夫>  
   懐平<春宮大夫 左兵衛督 伊予権守>  輔正<式部大輔 八十五>  
   兼隆<右近中将如元>  正光<大蔵卿>  
   経房<左近中将 近江権守>  実成<右中将 侍従>  
 前帥伊周<准大臣 給封戸>  
 正三位頼通<春宮権大夫>  
 従三位兼定<右兵衛督>  
 蔵人頭左中弁通方  左中将頼定  
 左中将経房  頼親  
 少将 重尹  兼綱  
    忠経  頼宗  
    公信  教通  
   源雅通  済政  
    道政  
寛弘七年十一月廿八日遷新造一条院中宮同行啓  
  寛弘七年  
 左大臣道長ー 右大臣顕光 内大臣公季<左大将>  
 前内大臣伊周<正月二十八日薨三十七>  
 大納言道綱<傅>  実資<右大将按察>  権大納言斉信<中宮大夫>  
 公任<皇太后宮大夫>  
 権中納言俊賢<治部卿中宮権大夫十二月十七日正二位>  中納言隆家  
 権中 行成<皇太后宮権大夫侍従>  頼通<左衛門督春宮権大夫>  
 中納言 時光<年>  権中  忠輔<兵部卿>  
 参議 有国<勘解由長官三月十六日修理大夫>  懐平<右衛門督春宮大夫>  
    兼高<右中将>  正光<大蔵卿>  経房<左中将>  
    実成<右兵衛督>  頼定  
 左中将 経房<参議>  公信<蔵人従四上内蔵頭>  
     教通<従四位上十一月二十八日従三位行幸如元十五>  
 少将 済政<十一月二十五日右中将>  兼綱<従四位下>  
    忠経<蔵人正五位下正月七日従四下>  定頼<二月十六日元右十二月二十日正五下>  
    朝任<蔵人従五位下十一月二十五日才任元右>  
 右中将兼澄  公任<任左> 頼宗<十一月二十八日正四下>  
    済政<十一月二十五日任>  
 少将 雅通<二月三十日兼木工頭>  道雅<従四下>  
    好親<正月七日従五上>  定頼<任左>  
    朝任<二月十六日任元少納言任左>  経親<二月二十五日任元左衛門佐>  
   

〈校訂付記〉

 
1 底本の宮内庁書陵部蔵「黒川本紫日記」は後世の写本であるため、それよりも遡る逸文資料の国宝『紫式部日記絵詞』(鎌倉期)及び伝三条実重筆『日記切』(室町期)が存在する箇所では、原則として、その本文を尊重し校訂した。
 
 
2 萩谷朴著『紫式部日記全注釈 上下』の考証を尊重し、受け入れ難い説以外は、原則として、それに従って校訂した。
 
 
校訂01 けはひ(底本「気色」。
 逸文『日記切』『栄花物語』に従って訂正する)
 
校訂02 忘らるるも(底本「わすらるにも」。
 逸文『日記切』に従って訂正する)
 
校訂03 浄土寺(底本「へんちゝ」。
 『全注釈』『新編全集』に従う)
 
校訂04 斎祇阿闍梨(底本「さいさ阿さり」の後出「さ」は「き」の過り。『全注釈』に従う)  
校訂05 三位の君(底本「うち殿三位の君」の「うち殿」は注記の本文混入とみて削除する)  
校訂06 心なく(底本「心ちなく」の「ち」を諸本に従って削除する)  
校訂07 つぼね、局(底本「つほめ/\」の「め」は「ね」の過りとみて改める)  
校訂08 暁に(底本「あか月も」の「も」は「に」の過りとみて改める)  
校訂09 定澄(底本「きやうてふ」。『全注釈』に従って改める)  
校訂10 書き加へて(底本「かきかへて」の後「か」は「くは」の誤りとみて改める)  
校訂11 讃岐の宰相の君(底本「さぬきと宰相君」の「と」は「の」の誤写とみて改める)  
校訂12 一間(底本「一さ」の「さ」は「ま」の誤写とみて改める)  
校訂13 妙尊(底本「そうそ」。『全注釈』に従って「そ」は「め」の誤写とみて改める)  
校訂14 千算(底本「ちそう」『全注釈』に従って「そう」は「さん」の音韻転化とみて改める)  
校訂15 をき人(底本「せき」の「せ」は「を」の誤写とみて改める)  
校訂16 伊勢(底本「いと」の「と」は「せ」の誤写とみて改める)  
校訂17 徳子(底本「つな子」の「つな」は「徳」を「綱」と見誤ったものとみて改める)  
校訂18 道時(底本「むねとき」『全注釈』に従って改める)  
校訂19 当色着て(底本「たうしきて」はオドリ字の脱とみて改める)  
校訂20 長(底本「おく」は「をさ」の誤写とみて改める)  
校訂21 かきて(底本「きて」は「かきて」の誤写とみて改める)  
校訂22 もと(底本「とも」は「もと」の誤写とみて改める)  
校訂23 入る(底本「いか」の「か」は「る」の誤写とみて改める)  
校訂24 頭つき(底本「かしらつな」の「な」は「き」の誤写とみて改める)  
校訂25 御迎へ湯(底本「御むかへ内」の「内」は「ゆ」」の誤写とみて改める)  
校訂26 源廉子(底本「源遍子」の「遍」は「廉」の誤写とみて改める)  
校訂27 散米(底本「うちさき」の「さ」は「ま」の誤りとみて改める)  
校訂28 浄土寺(底本「へんちし」『全注釈』に従って改める)  
校訂29 扇(底本「あふ事」の「事」は「き」の誤写とみて改める)  
校訂30 右衛門督<大夫斉信>(底本「右衛門督」『絵詞』に従って割注「大夫斉信」を補う)  
校訂31 源中納言<権大夫俊賢>(底本「源中納言」『絵詞』に従って割注「権大夫俊賢」を補う)  
校訂32 藤宰相<権亮実成>(底本「藤宰相」『絵詞』に従って割注「権亮実成」を補う)  
校訂33 白さ(底本「くろさ」の「く」は「し」の誤写とみて改める)  
校訂34 近江守(底本「近江守<高雅>」『絵詞』には割注「高雅」ナシ。よって削除する)  
校訂35 御屏風(底本「御ひやうふともを」『絵詞』には「ともを」ナシ。よって削除する)  
校訂36 ども(底本「よ」は「と」の誤写とみて改める)  
校訂37 けはひ(底本「けはいも」『絵詞』によって「も」を削除する)  
校訂38 岩の隠れ(底本「いはかくれ」『絵詞』によって「の」を補入する)  
校訂39 もとに(底本「もとことに」『絵詞』によって「こと」を削除する)  
校訂40 うち群れつつ(底本「うちむれて」『絵詞』によって「つつ」と訂正する)  
校訂41 光(底本「光の」『絵詞』によって「の」を削除する)  
校訂42 および顔にぞ(底本「およひかほにこそ」『絵詞』に従う)  
校訂43 すずろに(底本「そゝろに」『絵詞』及び『小学館古語大辞典』に従って改める)  
校訂44 まいて(底本「まして」『絵詞』に従って改める)  
校訂45 腰(底本「こしも」『絵詞』に従って「も」を削除する)  
校訂46 とり(底本「もて」『絵詞』に従う)  
校訂47 やうだい(底本「やうたいに」『絵詞』に従って「に」を削除する)  
校訂48 重文(底本「景ふ」『絵詞』には「しけふん」とある。『絵詞』に従って訂正する)  
校訂49 とぞいひける(底本ナシ『絵詞』には「とそいひける」とある。『絵詞』に従って補入する)  
校訂50 なる庶政が女(底本「なり(なり$)/なかちかゝ女」『絵詞』には「なつちかたゝかむすめ」とある。『絵詞』に従って訂正する)  
校訂51 文義(底本『絵詞』共に「のふよし」とある。『全注釈』『集成』『新大系』『新編全集』に従って訂正する)  
校訂52 はべるなる(底本「けん」『絵詞』に従って訂正する)  
校訂53 見知らぬ(底本「しらぬ」『絵詞』に従って訂正する)  
校訂54 宣旨よ(底本「さむしよ」『絵詞』には「せんしなり」とある。『全注釈』に従う)  
校訂55 ありさま(底本「ありさまの」『絵詞』に従う)  
校訂56 いと(底本ナシ『絵詞』に従って補う)  
校訂57 まだ(底本「またゑ」『絵詞』に従って副詞「え」を削除する)  
校訂58 千代も(底本「千代を」『絵詞』に従う)  
校訂59 袴、五位は袿一かさね(底本ナシ、『絵詞』によって補う)  
校訂60 おもしろし(底本「おもしろく」『絵詞』に従う)  
校訂61 経房(底本ナシ、『絵詞』には割注「経房」とある。『絵詞』によって補う)  
校訂62 教通(底本ナシ、『絵詞』には割注「教通」とある。『絵詞』によって補う)  
校訂63 少輔の命婦(底本ナシ、『絵詞』によって補う)  
校訂64 聞き(底本「きこえ」『絵詞』に従う)  
校訂65 文(底本「ふみとも」『絵詞』「ふみ」とある。『絵詞』に従う)  
校訂66 まゐらせたれば(底本「まいりたれは」『絵詞』によって改める)  
校訂67 灯籠(底本「ところ」は「とうろ」の誤りと見て改める)  
校訂68 一夜(底本「一日」『絵詞』は「ひと夜」とある。『絵詞』に従う)  
校訂69 白き(底本「白」は「き」の脱字ありと見て補う)  
校訂70 までも(底本「まてと」の「と」は「も」の誤写とみて改める)  
校訂71 繕ひ(底本「つくり」『絵詞』に従う)  
校訂72 身(底本「事」の「事」は「身」の誤写とみて改める)  
校訂73 思ふかひ(底本「思ひかひ」『絵詞』に従う)  
校訂74 深かんなり(底本「ふかくなり」『絵詞』によって改める)  
校訂75 過ぐし(底本「すこし」『絵詞』によって改める)  
校訂76 たまへる(底本「たる」『絵詞』によって改める)  
校訂77 心地(底本「うち」『絵詞』によって改める)  
校訂78 霞み(底本「かすめ」『絵詞』によって改める)  
校訂79 て(底本「させて」『絵詞』によって改める)  
校訂80 当たれる(底本「あれたる」。『栄花物語』の「あたれる」に従う)  
校訂81 隔てて(底本「へへたてゝ」は「へたてゝ」の誤りとみて改める)  
校訂82 藤中将(底本「頭中将」は「藤中将」の誤りとみて改める)  
校訂83 唐衣(底本「から衣は」の「は」は誤りとみて改める)  
校訂84 ゆゆしき(底本「ゆかしき」の「か」は「ゝ」の誤写とみて改める)  
校訂85 万歳、千秋(底本「万さいらく千秋楽」『栄花物語』には「万歳千秋」とある。「楽」を削除する)  
校訂86 たまは(底本ナシ『栄花物語』によって補う)  
校訂87 殿の上も(底本「殿うへも」『栄花物語』によって「の」を補う)  
校訂88 いらへもせぬに(底本「いてぬに」『絵詞』によって改める)  
校訂89 上下臈(底本「上らふ」『絵詞』によって改める)  
校訂90 御皿ども(底本「かさらとも」の「か」は「御」の誤りとみて改める)  
校訂91 ここしき(底本「たゝしき」の「た」は「こ」の誤りとみて改める)  
校訂92 たてまつり(底本「たてまつれり」『絵詞』に従って改める)  
校訂93 も(底本ナシ『絵詞』に従って改める)  
校訂94 取り払ひつ(底本「とりはらひつゝ」の「つゝ」は「つ」の誤りとみて改める)  
校訂95 間を上にて、東の(底本ナシ、『絵詞』によって補う)  
校訂96 ゐわたりて(底本「ゐわたされたり」。『絵詞』に従って改める)  
校訂97 大納言の君(底本「大野君」、「野」は「納言」の誤写とみて改める)  
校訂98 ゐたまへるに(底本「ゐたまへり」。『絵詞』に従って改める)  
校訂99 いと恥づかしげに(底本ナシ、『絵詞』によって補う)  
校訂100 ことなしび(底本「ことならひ」、『絵詞』によって改める)  
校訂101 似る(底本「かかる」、『絵詞』によって改める)  
校訂102 一つ(底本「ひとつゝつ」、『絵詞』『栄花物語』によって改める)  
校訂103 いとわびしく(底本「いとわしく」、『絵詞』によって改める)  
校訂104 乗る(底本「の」、諸本によって「る」を補う)  
校訂105 ことなしびつつ(底本「ことならひつゝ」、「ら」は「し」の誤写とみて改める)  
校訂106 薫物(底本「まきもの」、「ま」は「た」の誤写と見て改める)  
校訂107 きこえたり(底本「きみたり」、「み」は「こえ」の誤写とみて改める)  
校訂108 業遠(底本「なりうを」、「う」は「と」の誤写と見て改める)  
校訂109 かしづき(底本「よしつき」、「よ」は「か」の誤写とみて改める)  
校訂110 まかせたらず(底本「まかせたゝす」、「ゝ」は「ら」の誤写とみて改める)  
校訂111 劣らず」と(底本「をとらす」、「と」を補う)  
校訂112 とか(底本「とる」、「る」は「か」の誤写とみて改める)  
校訂113 御覧ず(底本「御心も」、「心も」は「覧す」の誤写とみて改める)  
校訂114 五節所(底本「せち所」、「こ」の誤脱とみて補う)  
校訂115 をかしき(底本「をからき」、「ら」は「し」の誤写とみて改める)  
校訂116 聞きにくく(底本「きくにつゝ」は「きゝにくゝ」の誤写とみて改める)  
校訂117 心地ども(底本「心地よも」、「よ」は「と」の誤写とみて改める)  
校訂118 髪ども(底本「かみよも」、「よ」は「と」の誤写とみて改める)  
校訂119 馴れすぎたる一人をぞ、いかにぞや、人のいひし(底本ナシ、絵詞によって補う)  
校訂120 たり(底本「たる」、絵詞によって改める)  
校訂121 中に(底本ナシ、絵詞によって補う)  
校訂122 寄るに(底本「よきに」、「き」は「る」の誤写とみて改める)  
校訂123 やすしかしと(底本「やすくかしと」、「く」は「し」の誤写とみて改める)  
校訂124 より(底本「はり」、「は」は「よ」の誤写とみて改める)  
校訂125 簾(底本「もたれ」、「も」は「す」の誤写とみて改める)  
校訂126 つくろひ(底本「つくのひ」、「の」は「ろ」の誤写とみて改める)  
校訂127 聞きたる(底本「きゝたき」、「き」は「る」の誤写とみて改める)  
校訂128 おもと(底本「たもと」、「た」は「お」の誤写とみて改める)  
校訂129 夜一(底本「夜へ」、『絵詞』に従って改める)  
校訂130 さまばかり(底本「さはかり」、『絵詞』に従って改める)  
校訂131 つきづきしげ(底本「つき/\け」、「し」を補う)  
校訂132 いざとき(底本「かさとき」、『絵詞』に従って改める)  
校訂133 いと疾く(底本「いとしく」、「し」は「ゝ」の誤写と見て改める)  
校訂134 ものも(底本「もの」、他本により「も」を補う)  
校訂135 たる(底本「たき」、他本により改める)  
校訂136 菱(底本「ひえ」、「え」は「し」の誤写と見て改める)  
校訂137 をかし(底本「をし」、「か」を補う)  
校訂138 似るもの(底本「にきもの」、「き」は「る」の誤写とみて改める)  
校訂139 より(底本「なり」、「な」は「き」の誤写とみて改める)  
校訂140 さま(底本「さう」、「う」は「ま」の誤写とみて改める)  
校訂141 中に(底本「中も」、「も」は「に」の誤写とみて改める)  
校訂142 末(底本「一こゑ」、「一こ」は「す」の誤写とみて改める)  
校訂143 細らず(底本「ほめられす」、「ほめられす」は「ほそらす」の誤写とみて改める)  
校訂144 はべりし(底本「はへり」、「し」を補う)  
校訂145 見せはべりし(底本「見侍し」、「せ」を補う)  
校訂146 見はべりしに(底本「見侍し」、「に」を補う)  
校訂147 思う(底本「思へ」、「へ」は「ひ」の音便形「う」の誤写とみて改める)  
校訂148 おはしまして(底本「おかしまして」、「か」は「は」の誤写とみて改める)  
校訂149 また(底本「人」、「人」は「又」の誤写とみて改める)  
校訂150 いとをかしき(底本「とをかしき」、「い」を補う)  
校訂151 口にいと(底本「くちにと」、「い」の脱字とみて補う)  
校訂152 歌詠みやとは(底本「うたよみやうは」、「う」は「と」の誤写とみて改める)  
校訂153 とぞ(底本「こそ」、「こ」は「と」の誤写と見て改める)  
校訂154 清少納言(底本「さい少納言」、「さい」は「せい」の誤りとみて改める)  
校訂155 艶に(底本「え心に」、「心」は「ん」の誤りとみて改める)  
校訂156 さるまじく(底本「さるまて」、「て」は「しく」の誤りとみて改める)  
校訂157 ことごとなり(底本「ことくなり」、「く」は「/\」の誤りとみて改める)  
校訂158 ほけ痴れたる(底本「ほこられたる」、「ら」は「し」の誤りとみて改める)  
校訂159 ことごとしく(底本「こと/\く」は「し」の脱字とみて補う)  
校訂160 交はすと(底本「かはすとも」の「も」は誤りとみて削除する)  
校訂161 読みたるべけれ(底本「よみたまへけれ」、「ま」は「る」の誤写とみて改める)  
校訂162 才がる(底本「さえかある」、「あ」は誤写とみて削除する)  
校訂163 読まぬ顔(底本「よまむかほ」、「む」は「ぬ」の誤写とみて改める)  
校訂164 知ろしめさ(底本「しろしめさせ」の「せ」は衍字とみて削除する)  
校訂165 耳も(底本「又/\も」、「又」は「み」の誤写とみて改める)  
校訂166 何せん(底本「ゝさん」、「なせん」の誤写とみて改める)  
校訂167 二十二日(底本「十一日」、「十一」は「二十二」の誤写説に従って改める)  
校訂168 描いて(底本「よひて」、「よ」は「か」の誤写、「ひ」は「い」からの仮名誤写とみて改める)  
校訂169 ことも(底本「そとも」、「そ」は「こ」の誤写とみて改める)  
校訂170 たれか(底本「たれよ」、「よ」は「か」の誤写とみて改める)  
校訂171 右衛門督(底本「左衛門督」、「左」は「右」の誤写とみて改める)  
校訂172 たまひて(底本「給た」、「た」は「て」の誤写とみて改める)  
校訂173 命婦こそ(底本「命婦そ」、「こ」を補う)  
校訂174 に(底本ナシ、『絵詞』によって「に」を補う)  
校訂175 は(底本ナシ、『絵詞』によって「は」を補う)  
校訂176 て(底本ナシ、『絵詞』によって「て」を補う)  
校訂177 山吹の御衣(底本「山ふき御そ」、「の」を補う)  
校訂178 も(底本「は」、『絵詞』に従って「も」と改める)  
校訂179 人教へつべく(底本「人をしつへく」、『絵詞』によって「へ」を補う)  
校訂180 袿(底本「こうちき」、『絵詞』によって「こ」を削除する)  
校訂181 ゐたり(底本「ゐたる」、『絵詞』によって「り」と改める)  
校訂182 ゐたまへる(底本「ねたまへる」、「ね」は「ゐ」の誤写とみて改める)  
校訂183 春宮傅(底本「春宮大夫」、『絵詞』によって改める)  
校訂184 中宮の大夫(底本「四条大納言」の傍書、『絵詞』によって改める)  
校訂185 見え(底本「え見」、『絵詞』によって改める)  
<校訂186 遠理(底本「ともまさ」、『絵詞』によって改める)  
校訂187 □□(底本ナシ諸説に従って空白とする)  
校訂188 とがめられたりしは(底本「とかめらる」、『絵詞』によって改める)  
校訂189 伊勢守にぞありし(底本「いせのうみ」、『絵詞』によって改める)  
校訂190 歯二つ(底本「二」、『御堂関白記』によって改める)  
校訂191 道長(底本ナシ、補う)  
校訂192 権(底本ナシ、補う)  
校訂193 大夫(底本「権大夫」、「権」を削除する)  
校訂194 左(底本「右」、「右」は「左」の誤写とみて改める)  
校訂195 十七(底本「廿七」、「廿」は「十」の誤写とみて改める)