古事記 梓弓の歌~原文対訳

宇治の河原の前 古事記
中巻⑧
15代 応神天皇
大山守の乱
5 梓弓の歌
海人なれや
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
爾掛出其骨之時。 ここにその骨かばねを掛き出だす時に、 その屍體を掛け出した時に
弟王歌曰。 弟王、御歌よみしたまひしく、 歌つた弟の王の御歌、
     
知波夜比登 宇遲能和多理邇 ちはや人 宇治の渡に、 流れの早い 宇治川の渡場に
和多理是邇 多弖流 渡瀬わたりぜに 立てる 渡場に立つている
阿豆佐由美 麻由美 梓弓あづさゆみ 檀まゆみ。 梓弓とマユミの木、
伊岐良牟登 許許呂波母閇杼 いきらむと 心は思もへど、 切ろうと心には思うが
伊斗良牟登 許許呂波母閇杼 い取らむと 心は思もへど、 取ろうと心には思うが、
母登幣波 岐美袁淤母比傳 本方もとべは 君を思ひ出で、 本の方では君を思い出し
須惠幣波 伊毛袁淤母比傳 末方すゑへは 妹を思ひ出で、 末の方では妻を思い出し
伊良那祁久 曾許爾淤母比傳 いらなけく そこに思ひ出で、 いらだたしく其處で思い出し
加那志祁久 許許爾淤母比傳 愛かなしけく ここに思ひ出で、 かわいそうに其處で思い出し、
伊岐良受曾久流 いきらずぞ來くる。 切らないで來た
阿豆佐由美 麻由美 梓弓檀。 梓弓とマユミの木。
     
故其
大山守命之骨者。
 かれその
大山守の命の骨は、
 その
オホヤマモリの命の屍體をば
葬于那良山也。 那良なら山に葬をさめき。 奈良山に葬りました。
     
是大山守命者。 この大山守の命は このオホヤマモリの命は、
〈土形君。
弊岐君。
榛原君等之祖〉
土形ひぢかたの君、
幣岐へきの君、
榛原はりはらの君等が祖なり。
土形ひじかたの君・
幣岐へきの君・
榛原はりはらの君等の祖先です。
宇治の河原の前 古事記
中巻⑧
15代 応神天皇
大山守の乱
5 梓弓の歌
海人なれや

梓弓の歌詞の意義

 
 
 ここでは古事記と伊勢物語24段梓弓の共通点から、その歌詞の本質となる要素を摘示して解説する(梓弓は、古代より口寄せする巫女の持ち物とされる小弓(世界大百科事典「梓巫女」)。神器のような象徴的アイテムで武具ではない。よって矢を用いない)。

  • 人が死ぬこと。
  • 妹(妻。長く生活を共にした親しい女性)が出てくること。
  • かなしを悲しと愛しに掛けていること。
  • 梓弓とマユミはセットであること。

 これらから、人が死ぬ文脈での歌詞で、最愛の妻を思って悲しむ歌詞ということになる(弓はつまびくと掛かるので現代の妹ではなく、かつこの文脈では兄の暗示)。
 最後の点は「阿豆佐由美麻由美」なので、物理的な弓(梓弓と檀弓)をいう意味ではなく、由美という小さい女性形容(あるいは固有名詞)を強調していると見れる。梓弓も檀弓(真弓)も弓の美称。
 死をいう文脈なので、上のいきらむ・いとらむは、訳のように梓や檀の木を切り取るではなく、生きらむ・射とらむに見る。渡し場にたてる弓は、弓を射る時の仕草。しかしその弓で射とれるのか(無理)という文脈である。
 

 伊勢物語での「梓弓ま弓つき弓」は、「梓弓ま弓」で上記の古来の文脈を読み込み(引き歌)、つきユミで、今でも好きという文脈を付加している。

 梓弓で象徴される「口寄せ」は、物的霊的に引き寄せる意味があるが、男女の文脈では、そっとしたキス(スキ)という意味。
 よって梓弓で当然導かれる引く(弓→引)は、惹きあう及び、妻引く×爪弾く(ポロポロ奏でる)という意味で、涙ポロポロでハープのような語り口ということである。それと夫婦でもう争わない。それで弓を引くならぬ身を引いた。矢を用いないから歌い手は文屋。安万侶=人麻呂の系譜(卑官で女権力者に近い)。
 

 なお、恐山で梓弓はビヨンビヨン音をならすための道具(いわゆる鳴弦。楽器未満)として用いられていたという(『あずさ弓』カーメン・ブラッカー)。