平家物語 巻第九 三草勢揃 原文

六ヶ度軍 平家物語
巻第九
三草勢揃
みくさせいぞろえ
異:勢揃
三草合戦

 
 同じき正月二十九日、範頼、義経院参して、平家追討のために、西国へ発向すべき由を奏聞す。
 本朝には、神代より伝はれる三つの御宝あり。内侍所、神璽、宝剣これなり。相構へて、事故なく都へ返し入れ奉るべき由仰せ下さる。両人かしこまり承つてまかり出づ。
 

 二月四日、福原には故入道相国の忌日とて、仏事形のごとく取り行はる。朝夕の戦だちに、過ぎゆく月日は知らねども、去年は今年にめぐり来て、うかりし春にもなりにけり。世の世にてもあらましかば、いかなる起立塔婆の企て、供仏施僧の営みもあるべきに、ただ男女の君達さしつどひて、泣くよりほかの事ぞなき。このついでに叙位、除目行はれて、僧俗司なされけり。門脇中納言、正二位大納言になり給ふべき由を、大臣殿より仰せられければ、教盛卿、
 

♪74
 今日までも あればあるかの 我が身かは
  夢のうちにも 夢を見るかな

 
 と御返事申させ給ひて、つひに大納言にもなり給はず。
 大外記中原師直が子、周防介師澄、大内記になる。兵部少輔正明、五位の蔵人になされて、蔵人少輔とぞいはれける。昔将門が東八か国をうちしたがへて、下総国相馬の郡に都をたて、我が身平親王と称じて、百官をなしたりしには、暦博士ぞなかりける。これはそれには似るべからず。旧都をこそ出でさせ給ふといへども、主上、三種の神器を帯して、万乗の位にそなはり給へり。叙位、除目行はれんも僻事にはあらず。
 

 平氏すでに福原まで、攻め上つて、都に帰り入る由聞こえしかば、故郷に残りとどまりたる人々の勇みよろこぶ事なのめならず。二位僧都全真は、梶井宮の年来の御同宿なりければ、風の便りにも申されけり。宮よりもまた常は御音信あり。「旅の空の有様、思し召しやるこそ心苦しけれ。都もいまだ静かならずして」なんどあそばいて、奥には一首の歌ぞありける。 
 

♪75
 人知れず そなたをしのぶ 心をば
  かたぶく月に たぐへてぞやる

 
 僧都これを顔におしあてて、悲しみの涙せきあへず。
 

 さるほどに小松三位中将維盛卿は、年隔たり日重なるにしたがつて、故郷にとどめおき給ひし北の方、幼き人々の事をのみ歎き悲しみ給ひけり。商人の便りに、おのづから文などの通ふにも、北の方の都の御有様、心苦しう聞き給ひて、さらば迎へ奉て、一所にていかにもならばやとは思はれけれども、いつとなき浪の上、舟のうちの住まひなれば、人のためいたはしくてなんど思し召し忍びつつ、明かし暮らし給ふにこそ、せめての心ざしのほどもあらはれけれ。
 

 さるほどに、源氏は四日に寄すべかりしを、故入道相国の忌日と聞いて、仏事遂げさせんとて寄せず。
 五日は西塞がり、六日は道虚日、七日の卯の刻に、一の谷の東西の木戸口にて、源平の矢合はせとこそ定められけれ。
 さりながら四日は吉日なればとて、大手からめ手の大将軍、軍兵二手に分けて都を立つ。
 まづ大手の大将軍には、蒲御曹司範頼、相伴ふ人々、武田太郎信義、加賀見次郎遠光、同じく小次郎長清、山名次郎教義、同じく三郎義行、侍大将には、梶原平三景時、嫡子の源太景季、次男平次景高、同じく三郎景家、稲毛三郎重成、榛谷四郎重朝、同じく五郎行重、小山四郎朝政、同じく中沼五郎宗政、結城七郎朝光、讃岐四郎大夫広綱、小野寺禅師太郎道綱、曽我太郎資信、中村太郎時経、江戸四郎重春、玉井四郎資景、大河津太郎広行、庄三郎忠家、同じく四郎高家、勝大八郎行平、久下次郎重光、河原太郎高直、同じく次郎盛直、藤田三郎大夫行泰を先として、都合その勢五万余騎、四日の辰の一点に都を立つて、その日の申酉の刻には、摂津国昆陽野に陣をとる。
 からめ手の大将軍には、九郎御曹司義経、同じく伴ふ人々、安田三郎義貞、大内太郎維義、村上判官代康国、田代の冠者信綱、侍大将には、土肥次郎実平、子息の弥太郎遠平、三浦介義澄、子息の平六義村、畠山庄司次郎重忠、同じく長野三郎重清、三浦佐原十郎義連、和田小太郎義盛、同じく次郎義茂、同じく三郎宗実、佐佐木四郎高綱、同じく五郎義清、熊谷次郎直実、子息の小次郎直家、平山武者所季重、天野次郎直経、小河次郎資能、原三郎清益、金子十郎家忠、同じく与一親範、渡柳弥五郎清忠、別府小太郎清重、多多羅五郎義春、その子の太郎光義、片岡太郎経春、源八広綱、伊勢三郎義盛、奥州の佐藤三郎嗣信、同じく四郎忠信、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶、これらを先として、都合その勢一万余騎、同じ日の同じ時に都を立つて、丹波路にかかり、二日路を一日にうつて、播磨と丹波の境なる三草の山の東の山口、小野原にこそ着きにけれ。
 

六ヶ度軍 平家物語
巻第九
三草勢揃
みくさせいぞろえ
異:勢揃
三草合戦