伊勢物語 11段:空ゆく月 あらすじ・原文・現代語訳

第10段
たのむの雁
伊勢物語
第一部
第11段
空ゆく月
第12段
武蔵野

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・拾遺集470
 (伊勢を参照した歌)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 男が、あずまに行く時に、ともだちどもに道中、歌を詠む。
 隠れる月にかけて、つぎにめぐりあうまで。月は廻るものとなぞらえて。
 
 ~
 

 この「ともだちども」は、9段の「もとよりともとする人ひとりふたり」を受けた表現。
 男の男友達ではなく、男と共に行く、お供の女子供とかけて「燕・子・花」。
 

 男は業平ではない。前段で父はただ人、84段で「身はいやし」とある。
 
 
  

拾遺集470・橘忠幹

 
 

 この歌は、拾遺集470(拾遺和歌集。1006年頃成立)を持ち出し、橘忠幹(912-955)とかいう人の作とされることがあるが、本末転倒。
 そもそも拾遺集の認定では「よみ人しらす」。その詞書の「たちはなのたたもと」か誰かが伊勢の歌を引用したに過ぎない。
 つまり古今と同じ。伊勢の書き手は誰かわからないが、その歌を参照しただけ。
 

 伊勢の記述年代は、全ての帝・登場人物の記述からも、一貫して850年頃~886年頃(最後が仁和の帝・114段)。
 それが文中外の認定によって、どんどんずれていくなら、後日に参照されるほど、伊勢の成立は遅れていくことになる。
 

 そもそもなぜ伊勢がオリジナルではなく、どこかの歌を参照しているとなるのか。
 
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第11段 空ゆく月
   
 むかし、男、あづまへゆきけるに、  昔おとこ、あづまへゆきけるに、  昔男有けり。東へゆきけるに。
  友だちどもに、道よりいひおこせける。 ともだちどもに、みちよりいひをこせける。 友だちに道よりをこせける。
       

16
 忘るなよ
 ほどは雲居になりぬるとも
 わするなよ
 ほどはくもゐになりぬとも
 忘るなよ
 ほとは雲ゐに成ぬとも
  空ゆく月の
  めぐりあふまで
  そら行月の
  めぐりあふまで
  空行月の
  めくり逢まて
   

現代語訳

 

むかし、男、あづまへゆきけるに、 友だちどもに、道よりいひおこせける。

 
むかし、男、(△有りけり)
 むかし、男が、
 
(※「ありけり」は、はない。
 あるものがないなら、それ自体に意味がある。塗籠本のように勝手に補わない)
 

あづまへゆきけるに、
 東に行くのに、
(つまり東に下ってきた話ではなく、今後さらに東に行くということ)
 

とも(▲友)だち(▲ども)に、道よりいひおこせける。
 ともだちどもに、道中、言い起こす。
(あづまも、ともだちも、7~9段と全く同じ表現。
 つまり、一連の流れであって、共に行く人も、供とする人一人二人とかけた言葉で、男の男友達ではない。
 一つの根拠は、燕・子・花。これに当てて三人。男と女子供。だから歌で泣く描写がある。
 一般の解釈のように業平の貴族友達のきまぐれ旅とみれば、他人の妻の回想で泣く意味が不明。本人はともかく、他人まで都を離れ泣く意味が全く不明。
 三人が一緒に行って歌で泣いたりしているのは、生活を共にしている家族、同様の運命共同体、社会的にか弱い存在だから。そう見るのが自然。)
 

忘るなよ ほどは雲居に なりぬ(▲る)とも  空ゆく月の めぐりあふまで

 
忘るなよ
 忘れるなよ
(「れ」がないで、わす「れない」で)
 

ほどは雲居に
 道中(行く先)は雲に
(おおわれ→おわかれを暗示)
 雲居=「くもで」にかけて。
 9段の三河八橋(やつはし)で、川が蜘蛛手(やつあし)にわかれているとしたことにかけて)
 

なりぬ(▲る)とも
 なるようだけれども
 

空ゆく月の
 そらゆくつきの
(そら、ゆく次にまた)
 

めぐりあふまで
 めぐり会うまで。
 
 つまり、この先見えなくなっても、またまみえる(すぐ会うのだと)。
 この後の展開を象徴させた表現(この先、男が一人でどこかに行く)。
 
 「めぐりあうまで」として、おわかれとしない。
 「わするなよ」と、れがないことにかけ、わかれない(わかりました? れがない意味)と解く。その心は、いつも心は一つ(一心同体)。