古文・和歌総覧:和歌の体系的理解

 

 日本の第一級の古文・和歌一覧を体系的に一覧化した。

 成立著者・意義解釈について現状の通説に対し、独自説の箇所を付記して色づけした。現状の通説的理解の水準は、古文かな和歌の根幹・筒井筒、その前後の文脈完全無視で思い込みを注入するお粗末な上流貴族目線の見立てに象徴されているが、一流作品・諸記録相互で多角的根拠を持たせて諸々の固定観念を覆し、作品の系譜でも解釈でも人としても根底から一本筋の通った理論を構築できたと思う。

 

成立 題名 意義 構成 歌数 著者 解説

奈良時代

712年 古事記 国の神話 上中下巻 歌謡113首 太安万侶

【独自説】万侶=人麻呂(字形)、柿本人麻呂=書いた本人=和歌の神。安万侶・人麻呂没年符合(723・724)、相応の影響力。無名の民のための統治、恋歌も、万葉冒頭人麻呂歌風と完全一致。

712年~ 万葉集 和歌の源泉 20巻 4516首 人麻呂(1~4巻)+赤人(6~16巻)

【独自説】万侶集。人麻呂(四巻四分類+統治・恋歌)+憶良(宴会・私物化)+赤人(四分類×四季の確立)+家持の私物化・各巻後付け(憶良・家持部分は無名平民基調と全く相容れない)。貫之が仮名序で貴族的理解(通説)としての万葉撰者家持を無視し、位が高い人は入れないとしたのもこの趣旨。人麻呂の4巻まで原万葉・赤人の16巻までが古万葉。

 万葉1は雄略天皇が、もっこを持つ土民の子(娘)の名を求め、俺は家も名も名乗るという歌(人麻呂作でしかありえない)。雄略は古事記で機に食わない無名娘(三重の采女)を殺そうとする暴君として描かれその後何をされるのかハラハラドキドキする歌。

 万葉2の舒明天皇は、古事記最後推古天皇の次代。この配置と歌風により万葉が古事記の続編ということを示す(あからさまな権威賞賛でない、無名の民と恋歌の組み合わせた一見良く分からない内容)。

平安時代

880頃 竹取物語 物語の祖 15段構成 15首 文屋

【独自説】縫殿(後宮目線)→小町針+衣通姫。古今・小町の歌に唯一出てくる男=文屋

上流貴族をひたすらくさす*帝の狼藉+天に矢を射る(古事記で神に反逆する文脈)+著者無名=卑官。上流貴族は家持同様名を伏せる動機がない(むしろ他人の作品に自分の名をかぶせすらするのが代作)。かぐやの涙=地上は野蛮で帰りたい(地上を名残惜しいとする文脈はない。勢猛・夜這いで有力者・名残惜しいというのが地上の発想)

  いろは歌 和歌最高傑作   47字 文屋

【独自説】妻の死を嘆く歌(筒井筒→梓弓→東下り)。言葉巧み+その様匂わず(仮名序。匂わせない=これ見よがしにしない=天衣無縫)

 うゐ=憂い。×有為

 仏教的解釈は文言を自在に膨らませるが、それが古来より唯我独尊解釈。転生などヴェーダ以来の普遍的神秘概念を仏教用語と理論的根拠なく思い込み続ける傾向と同一。

~887頃 伊勢物語 和歌の根本 125段 209首 文屋 【独自説】①縫殿(女官担当)→唐衣・狩衣、②古今で二条の后完全オリジナルの詞書を有する唯一の男、③判事=知性と法律内容。④古今・小町の歌で三河行き(=東下り)の根拠もある。114段で880年の業平没後が確定する885年の仁和帝(光孝天皇)が出てくるが、通説はこれを場当たり的に行平と認定するが(後撰集・955年頃)、業平みなし認定の根拠のなさを権威的に糊塗して強弁したもの。行平は物語後半になり二度実名かつ業平とセットで描かれ(79段・101段)、その行平が突如114段で当然のように無名で出現する文脈などありえない。そもそも在五自体物語後半の63段からの出現。「在五」「けぢめ見せぬ心」というのに、これで主人公で業平を思慕した著者とかいう時点で通説(古今の業平認定)には全く論理的根拠がないただのドグマ。どこかにあるはずの業平原歌集という説もそれを裏付けている。
905 古今和歌集 初の公的歌集 20巻 1111首 仮名序:貫之

【独自説】貴族社会都合の根拠ない伊勢丸ごと業平歌集認定 vs 貫之による業平否定配置:文屋・小町・敏行のみ巻先頭連続(秋下・恋二・物名)、敏行で業平の連続を崩す恋三。

この揺るがない配置に千年気づかず無視してきた集団的偏見と読解力不足、貫之を女の私とするような事実も文脈も無視する読解を、素直に過ちを認めて改めることはそんなに難しいことか。しかしその経過を突如ないことにすれば、また同じことを繰り返す。

 古今集・勅撰集は忠実な寄せ集めが使命で原典ではなく、撰者にどれほどの個人的実力と理解があるかもわからない(貫之と定家以外)。仮名序で曰く、古の事と歌の心をも知れるのは一人二人しかいないので、自分達は貫之を超えたと言わない限り。自分達は当時の歌の心を解っているということにはならない。そして訳が解らないと歌屑などと小ばかにして済ましている(すっぱいぶどう)。

~930頃 大和物語 最初の歌が初の女性 173段 295首 伊勢の御 【独自説】最初が伊勢の御の和歌・多作性・影響力・記述内容の年代・一貫した宇多帝の話題。代表話・姥捨=伊勢の御息所の境遇。苔の衣:小町の背後で文屋が動く話
936年 土佐日記 啓蒙日記 55日 60首 貫之

【独自説】女もしてみようという啓蒙で見本を示した。×女の私もしてみよう=女を装う根拠も文脈もない。かな和歌集古今で女性は1割以下、仮名序で女を装っていない。

 「上中下」は伊勢物語『渚の院』の固有語で(中は在五中将)、通常の身分は上下というから「上下童」とし、かつ渚の院も引用している。

954-974 蜻蛉日記     準備中 藤原道綱母 【独自説】貫之の啓発を受けこれ以降、女子の日記が多発、かつ男・帝すら端的にくさす先例(竹取・伊勢・大和)
1000年頃 枕草子   319段 36首 清少納言

【独自説】枕=眠くなる分厚い本・百科事典の類 史記→四季

 かつての通説は枕元に置く備忘録説、近時有力は歌枕説だが、肝心の枕の根拠・跋文の文脈(史記を書写する分厚い紙を見て「これは枕にしてこそでしょう」と言った所、渡されて戸惑った)に全く根拠なく論じている。

 清少納言は在中将・平中の流れを汲む、ふざけたあだ名。

1000年頃 源氏物語 古文の聖書 54巻 795首 紫式部

【独自説】在五が物語ではなく伊勢物語とし主人公の名を激しく争う絵合で中将陣営vs無名主人公+伊勢斎宮陣営勝利。

 源氏222首、頭中将17首、夕霧37首(第三部1首除く)

 紫式部の「紫」は由来不明とされるが、これは伊勢物語41段「紫」「上の衣」に由来する。根拠:伊勢初段最初の和歌が「若紫のすりごろも」、『若紫』巻には伊勢物語初段同様の垣間見文脈があること、『絵合』巻で「伊勢物語」を明示的に論じていること、源氏が出てくる話は41巻までであること。 つまり伊勢の昔男が源氏で、それと並ぶとされる「かがやく日の宮」こと藤壺が竹取のかぐや。文屋と小町。現状の主人公想定は全て断片的なものでしかない。六条御息所は二条の后(彼女の枕詞は東宮の御息所と申しける時)、葵は梓弓で早世した妻。

 

鎌倉時代

1235頃 百人一首 一般化   100首 編集:藤原定家 文屋22、業平17、朝康37
~1240~1309 平家物語 詩的軍記物=平曲 13巻 100首 信濃前司行長  
1331-1340 徒然草 枕草子→徒然草:退屈駄文シリーズ 244段 5首 吉田兼好

【独自説】徒然=平家 つれづれなるままに=源氏 【通説】物狂ほしけれ=枕草子

題名は『徒然』に「く」のくりかえし記号を振り仮名とした和漢混交文的な題

江戸時代

1689 奥の細道 最後の古文 44段構成 66首 松尾芭蕉

【独自説】苔の細道(徒然)=滑稽 奥=奥州・陸奥 おくのほそ道は仮名による仮題

「行く春や 鳥啼き魚の 目は涙」→魚の目=足のイボで泣いた句=足に灸据え+船を降りて歩き出した文脈。俳諧の伝統的特徴は滑稽(俳諧歌)といいつつ世間の解説学説で滑稽の文脈を見出すことはどこにもできない。