平家物語 巻第四 厳島御幸:概要と原文

巻第三
城南之離宮
 
平家物語
巻第四
厳島御幸
いつくしまごこう
還御
異:厳島御幸

〔概要〕
 
 高倉天皇は譲位をおし通し、安徳天皇が3歳で即位。

 高倉上皇は平家が強く信仰する厳島神社に行幸する。それは清盛の後白河法皇(高倉の父で鳥羽に幽閉された)に対する心を和らげる祈りのためという。

 


 
 治承四年正月一日、鳥羽殿には、相国もゆるさず、法皇も恐れさせましましければ、元日元三の間、参入する人もなし。されどもその中に故少納言入道信西の子息、桜町中納言成範卿、その弟左京大夫脩範ばかりぞ、許されては参られける。
 

 同じき二十日、東宮御袴着、並びに御味魚始めとて、めでたき事どもありしかども、法皇は鳥羽殿にて、御耳の余所にぞ聞こし召す。
 

 二月二十一日、主上ことなる御つつがも渡らせ給はぬを、押し下ろし奉て、東宮践祚あり。これも入道相国、よろづ思ふさまなるが致す所なり。「時よくなりぬ」とてひしめきあへり。内侍所、神璽、宝剣渡し奉る。
 上達部陣に集まつて、古き事ども先例に任せて行ひしに、左大臣殿陣に出でて、御位譲りの事ども仰せしを聞いて、心ある人々涙を流し、心をいたましめずといふことなし。
 我と御位をまうけの君に譲り奉り、藐姑射の山の中もしづかになど思し召す先々だにも、あはれは多き習ひぞかし。況んやこれは、御心ならず押し下ろされさせましましけん哀れさ、申すもなかなかおろかなり。伝はれる御宝物ども品々、司々請け取つて、新帝の皇居五条の内裏へ渡し奉る。閑院殿には、火の影かすかに、鶏人の声も留まり、滝口の問籍も絶えにしかば、古き人々、めでたき祝ひの中にも、今さら哀れにおぼえて、涙を流し袖を濡らさぬはなかりけり。
 

 新帝今年三歳、「あはれいつしかなる譲位かな」と時の人々ささやきあはれけり。
 平大納言時忠卿は、内の御乳母、帥典侍の夫たるによつて、「今度の譲位いつしかなりと、たれかかたぶけ申すべき。異国には、周の成王三歳、晋の穆帝二歳、我が朝には、近衛院三歳、六条院二歳、これ襁褓の中に包まれて、衣帯を正しうせざつしかども、或いは摂政負うて位に即き、或いは母后抱いて朝に臨むと見えたり。後漢の孝殤皇帝は、生まれて百日といふに践祚あり。天子位を踏む先蹤、和漢かくのごとし」と申されければ、
 その時の有職の人々、「あな恐ろし、ものな申されそ。さればそれらはよき例どもかや」とぞ、つぶやき合はれける。
 

 東宮位に即かせ給ひしかば、入道相国、夫婦ともに外祖父、外祖母とて、准三后の宣旨をかうぶり、年官年爵を給はつて、上日の者を召し使ふ。絵かき花つけたる侍ども出で入つて、ひとへに院宮のごとくにてぞありける。出家の後も栄耀はなほ尽きせずとぞ見えし。出家の人の准三后の宣旨をかうぶる事は、法興院の大入道殿兼家公の御例なり。
 

 同じき三月上旬に、上皇、安芸の厳島へ御幸なるべしと聞こえけり。「帝王位をすべらせ給ひて、諸社の御幸の始めには、八幡、賀茂、春日なんどへこそならせ給ふに、はるばると安芸国までの御幸はいかに」と人不審をなす。
 ある人の申しけるは、「白河院は熊野へ御幸、後白河は日吉の社へ御幸なる。すでに知んぬ、叡慮にありと申す事を。御心中に深き御立願あり。その上この厳島をば、平家なのめならずに崇め敬ひ給ふ間、上には平家に御同心、下には法皇のいつとなく鳥羽殿に押し籠められて渡らせ給へば、入道相国の心も和らぎ給ふかとの御祈念のため」とぞ聞こえし。
 山門の大衆憤り蜂起して、「石清水、賀茂、春日へ御幸ならずは、我が山の山王へこそ御幸はなるべけれ。安芸国までの御幸はいつの習ひぞや。その儀ならば、神輿を振り下し奉て、御幸を留め奉れ」とぞ申しける。これによつてしばらく御延引ありけり。入道相国やうやうになだめ宣へば、山門の大衆静まりぬ。
 

 同じき十七日、厳島御幸の御門出とて、入道相国の北の方、二位殿の宿所、八条大宮へ御幸なる。その日やがて厳島の御神事始めらる。その日の暮れ方に殿下より唐の御車、移しの馬なんど参らせらる。
 

 あくる十八日、入道相国の亭へ入らせおはします。前右大将宗盛卿を召して、「明日厳島御幸の御ついでに、鳥羽殿へ参つて、法皇の御見参に入らばやと思し召すは、相国禅門に知らせずしては悪しかりなんや」と仰せければ、宗盛卿、涙をはらはらと流いて、「なんでふ事か候ふべき」と奏せられたりければ、「さらば宗盛今夜鳥羽殿へ参つて、その様を申せかし」と仰せければ、かしこまり承つて、いそぎ鳥羽殿へ参つて、この由奏聞せられければ、法皇あまりに思し召す御事にて、「こは夢やらん」とぞ仰せける。
 

 同じき十九日、大宮大納言隆季卿、いまだ夜深う参つて、御幸催されけり。この日ごろ聞こえさせ給ひつる厳島御幸をば、西八条の亭よりすでに遂げさせおはします。弥生も半ば過ぎぬれど、霞に曇る有明の月はなほ朧なり。越路をさして帰る雁の、雲居におとづれゆくも、折節あはれに聞こし召す。いまだ夜のうちに鳥羽殿へ御幸なる。
 

 門前にて御車より降りさせおはしまし、門の内へさし入らせ給ふに、人まれにして木ぐらく、ものさびしげなる御住まひ、まづあはれにぞ思し召す。春すでに暮れなんとす。夏木立にもなりにけり。梢の花色おとろへて、宮の鶯声老いたり。
 去年の正月六日、朝覲のために法住寺殿へ行幸ありしには、楽屋に乱声を奏し、諸卿列に立つて、諸衛陣を引き、院司の公卿参り向かつて、幔門を開き、掃部寮莚道をしき、正しかりし儀式、一事もなし。
 今日はただ夢とのみぞ思し召す。成範中納言、御気色申されたりければ、法皇寝殿の階隠の間へ御幸なつて、待ち参らさせ給ひけり。
 上皇は今年二十、明け方の月の光にはえさせ給ひて、玉体もいとど美うぞ見えさせましましける。御母儀故建春門院に、いたく似参らさせ給ひたりしかば、法皇はまづ故女院の御事思し召し出でて、御涙せきあへさせ給はず。両院の御座、近くしつらはれたり。御問答は人承るに及ばず。御前には尼ぜばかりぞ候はれける。
 やや久しく御物語りせさせ給ひ、はるかに日たけて後、御暇申させ給ひて、鳥羽の草津より御船に召されけり。上皇は法皇の離宮の故亭、幽閑寂寞の御住まひ、御心苦しう御覧じおかせ給へば、法皇はまた上皇の旅泊行宮の波の上、船の中の御有様、おぼつかなくぞ思し召されける。まことに宗廟、八幡、賀茂などをさしおかせ給ひて、はるばると安芸国までの御幸をば、神明もなどか御納受なかるべき。御願成就疑ひなしとぞ見えたりける。
 

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城南之離宮
 
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厳島御幸
いつくしまごこう
還御
異:厳島御幸