古事記 弟橘比売命~原文対訳

焼津の由来 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
第三次東征(倭建)
5 弟橘比賣命
アヅマの由来
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
自其入幸。  そこより入り幸いでまして、  其處からおいでになつて、

走水海之時。
走水はしりみづの海を
渡ります時に、
走水はしりみずの海を
お渡りになつた時に
其渡神
興浪。
その渡の神、
浪を興たてて、
その渡わたりの神が
波を立てて
廻船。 御船を廻もとほして、 御船がただよつて
不得進渡。 え進み渡りまさざりき。 進むことができませんでした。
     
爾其后。 ここにその后 その時にお妃の
名弟橘比賣命
白之。
名は弟橘おとたちばな比賣の命の
白したまはく、
オトタチバナ姫の命が
申されますには、
妾易御子而
入海中。
「妾、御子に易かはりて
海に入らむ。
「わたくしが御子に代つて
海にはいりましよう。
御子者。
所遣之政遂
應復奏。
御子は
遣さえし政遂げて、
覆奏かへりごとまをしたまはね」
とまをして、
御子は
命ぜられた任務をはたして
御返事を申し上げ遊ばせ」
と申して
將入海時。 海に入らむとする時に、 海におはいりになろうとする時に、
以菅疊八重。 菅疊すがだたみ八重やへ、 スゲの疊八枚、
皮疊八重。 皮疊かはだたみ八重やへ、 皮の疊八枚、
絁疊八重。 絁疊きぬだたみ八重やへを 絹の疊八枚を
敷于波上而。 波の上に敷きて、 波の上に敷いて、
下坐其上。 その上に下りましき。 その上におおり遊ばされました。
     
於是其暴浪
自伏。
ここにその暴あらき浪
おのづから伏なぎて、
そこでその荒い波が
自然に凪ないで、
御船得進。 御船え進みき。 御船が進むことができました。
     

弟橘姫の歌

     
爾其后
歌曰。
ここにその后の
歌よみしたまひしく、
そこでその妃の
お歌いになつた歌は、
     
佐泥佐斯 さねさし 高い山の立つ
佐賀牟能袁怒邇 相摸さがむの小野をのに 相摸さがみの國の野原で、
毛由流肥能 燃ゆる火の 燃え立つ火の、
本那迦邇多知弖 火ほ中に立ちて、 その火の中に立つて
斗比斯岐美波母 問ひし君はも。 わたくしをお尋ねになつたわが君。
     
故七日之後。  かれ七日なぬかの後に、  かくして七日過ぎての後に、
其后御櫛
依于海邊。
その后の御櫛みぐし
海邊うみべたに依りき。
そのお妃のお櫛が
海濱に寄りました。
乃取其櫛。 すなはちその櫛を取りて、 その櫛を取つて、
作御陵而。
治置也。
御陵みはかを作りて
治め置きき。
御墓を作つて
收めておきました。
焼津の由来 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
第三次東征(倭建)
5 弟橘比賣命
アヅマの由来