伊勢物語 70段:あまの釣舟 あらすじ・原文・現代語訳

第69段
狩の使
伊勢物語
第三部
第70段
あまの釣舟
第71段
神のいがき

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
 
 

あらすじ

 
 
 男が前段の狩の使からの帰り道、大淀辺り(つまり松阪)に泊まり「斎宮のわらはべ」に、愚痴をこぼす。

 みるめかる かたやいづこぞ 棹さして われに教へよ あまの釣舟


 みる(海松=海藻)を海女の刈るとかけ、かたやいづこぞ(どこか)を、われて(どうか)教えてとかけ、
 「してもいいなら、お姉ちゃんそう教えてくれればいいのに」
 

 いやそれはアマちゃん。巫女の御心、女心を察せないと男ではないです。…え?
 
 「斎宮のわらはべ」は、69段で、子の時(12時頃)に男の寝所に寝に来た斎宮にくっついてきた子=「童」。
 その子が見送りでついてきた(どこぞの子が突如出現する意味はない)。しかも宿に。
 つまり慕われていた。幼いとこのように人目を気にしないことはあるだろう。とはいえ。
 斎宮もそうだったが、誰かに言われた「もてなし」の程度を超えている表現。
 
 直接説明はないが、一連の不自然な情況と以下の理由で、この童は、斎宮の妹と解する(妹自体は沢山いる)。
 物語なので、前後関係は基本的に維持して見る。しかも端的に特徴ある語句は、必ず符合している。
 前段でも、童はなぜか浮き出て核心部に存在していたのだし、ここでも不自然に登場するのだから、確実に重要。
 
 ここでの「棹さして」は、33段(こもり江)に出てきた、あからさまな男女関係の暗語。それがこの歌の心。
 こもり江に 思ふ心をいかでかは 舟さす棹の さして知るべき
 そこで男は田舎の女のあられもない表現にあてられつつ、やんわりお断りした(34段・つれなかりける人)。
 
 ここでは、特有の「棹さして」と「わらはべ」を合わせて、相手として見れないという暗示。
 前段では斎宮も何のその、ぐいぐいくっついてきたから。だから二人で会う時に「人をしづめて」とある。
 だから、男が童に斎宮のことを聞くのは牽制の意味もあるだろう。
 
 ただし、33段と違い、この童を極力記述していないのは、この子のことも好きだから。
 ※月のおぼろなるに小さき童を先に立てて人(斎宮)立てり。 男いとうれしくて我が寝る所に率ていり
 
 なお、このような内容だが、男は業平ではありえない。
 そう混同されないように、65段で在原なりける男が後宮で滅茶苦茶やらかした記述をしている。
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第70段 あまの釣舟
   
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかし男。
  狩の使より帰り来けるに、 かりのつかひよりかへりきけるに、 かりの使よりかへりけるに。
  大淀のわたりに宿りて、 おほよどのわたりにやどりて、 おほよどのわたりにやどりて。
  斎宮のわらはべに いつきの宮のわらはべに いつきのみやのわらゑ[はべイ]に
  いひかけける。 いひかけゝる。 いひかけける。
       

129
 みるめかる
 かたやいづこぞ棹さして
 みるめかる
 方やいづこぞさおさして
 みるめかる
 かたはいつこそ掉さして
  われに教へよ
  あまの釣舟
  われにをしへよ
  あまのつりぶね
  我にをしへよ
  蜑の釣舟
   

現代語訳

 
 

むかし、男、狩の使より帰り来けるに、
大淀のわたりに宿りて、斎宮のわらはべにいひかけける。
 
みるめかる かたやいづこぞ 棹さして
 われに教へよ あまの釣舟

 
 
むかし男
 むかし男が
 
 (これは業平ではない。伊勢の著者。
 業平の時は「在五」「在原なりける」のように明示している。63・65段等。したがって何ら限定のない「むかし男」は業平ではない)
 

狩の使より帰り来けるに
 狩の使(69段)より帰るのに、
 

大淀のわたりに宿りて
 大淀の辺りに泊って
 

 この「大淀」は三重の地名(奈良や大阪ではない)。
 続いて「斎宮」とあること、
 75段で「むかし男、伊勢の国に率ていきてあらむといひければ、女、大淀の浜に生ふてふみるからに」と、「伊勢」及び「みる」にかけられることから。
 この物語は前後で言葉を明確につなげて書いている。
 

(▲いつきの)斎宮のわらはべにいひかけける
 斎宮の子供に言いかけた。
 

 この「斎宮」は、69段の斎宮本人ともいえるし、今の斎宮駅がある所ら辺(宿場なので松阪)ともいえる。
 
 「 斎宮のわらはべ 」とは、
 69段で女(斎宮)についてきた「童(わらは)」が、見送りで途中までついて来たか、それとも斎宮の地にいた子供か、両方か。
 つまり、あれかこれかではなく、これらを全部含ませた表現。
 
 「いつき」という言葉は微妙だが(おそらく宿場の子供と見た)、表現の存否自体怪しく、しかも場当たり的解釈に近いので考慮しない。
 見知らぬ近くの子に何やら愚痴をこぼしたと見ることもできるが、あの夜の子がついてきたとみて、そこに話しかける方がまだ自然。
 

 いひかけ 【言ひ掛け】:
 ①言いがかり。難癖をつけること。
 ②掛け詞。
 

みるめかる かたやいづこぞ 棹さして
 離れれば こちらはどこに サオさせと
 

われにをしへよ あまの釣舟
 教えて頂戴 あまの坊とや
 

 「みるめかる」とは、海松(みる)という海藻とそれを刈るという海女にかけている。

 「かたやいづこ」とは、上で上記の様子を探っている様子。
 

 というのは表面的な描写。深い意味としては、「棹さし」が本意。こういう三の句を、歌の心という。
 棹さすとは、33段(こもり江)に出てきた、竿の暗語。漕ぐ棹で、さすサオ。

 こもり江に 思ふ心をいかでかは 舟さす棹の さして知るべき
 

 つまり、していいよって教えてよって。
 とはいえ、そんな大人のことを子供にいってもしょうがないので「いひかけ(難癖)」。てやめたかはわからない。