平家物語 巻第四 山門牒状:概要と原文

平家物語
巻第四
山門牒状
さんもんへのちょうじょう
異:牒状
南都牒状
異:牒状

〔概要〕
 
 以仁王が逃げ込んだ近江国・園城寺(三井寺)から、比叡山の延暦寺(山門・総本山)に牒状(武装蜂起の協力要請)を送ったが…(Wikipedia『平家物語の内容』に加筆)。

 


 
 さるほどに、三井寺には貝、鐘鳴らいて、大衆詮議す。
 「そもそも近日世上の体を案あんずるに、仏法の衰微、王法の牢籠、まさにこの時に当たれり。今度清盛入道が暴悪を戒めずは、いづれの日をか期すべき。宮ここに入御の御事、正八幡宮の衛護、新羅大明神の冥助にあらずや。天衆地類も影向を垂れ、仏力神力も降伏を加へまします事などなどかなかるべき。そもそも北嶺は円宗一味の学地、南都は夏﨟得度の戒場なり。牒奏の所語らはんに、などか与せざるべき」と、一味同心に詮議して、山へも奈良へも牒状をこそつかはしけれ。
 

 まづ山門への状にいはく、

 

 園城寺牒す、延暦寺の衙
 殊に合力を致して当寺の破滅を助けられんと思ふ状
 
 右入道浄海、恣に仏法を滅し、王法を乱らんと欲す。愁嘆極まりなき処に、去んぬる十五日の夜、一院第二の王子、窃かに入寺せしめ給ふ。ここに院宣と号して、出だし奉るべき由、責めありと雖も、出だし奉こと能はず。仍つて官軍を放ち遣はすべき旨その聞こえあり。当時の破滅、正にこの時に当たれり。諸衆何ぞ愁嘆せざらんや。就中延暦、園城両寺は、門跡二つに相分かると雖も、学する所は、これ円頓一味の教門に同じ。譬へば鳥の左右の翼のごとく、また車の二つの輪に似たり。一方闕けんに於いては、いかでかその嘆きなからんや。てへれば殊に合力を致して、当寺の破滅を助けられば、はやく年来の遺恨を忘れ、住山の昔に復せん。衆徒の詮議かくのごとし。仍つて牒送件のごとし。
 
  治承四年五月十八日 大衆等

 

 と書いたりける。
 

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山門牒状
さんもんへのちょうじょう
異:牒状
南都牒状
異:牒状