平家物語 巻第三 御産:概要と原文

足摺 平家物語
巻第三
御産
ごさん
公卿揃

〔概要〕
 
 平徳子(たいら の のりこ/とくし・清盛の娘)安産祈願のため恩赦された藤原成経平康頼は肥前(今の佐賀)に着く中、徳子は安徳天皇を生む。(以上Wikipedia『平家物語の内容』に基づき加筆)

 出産がとどこおり右往左往していた清盛は、嬉しさのあまり、声を上げて喜び泣いた。

 


 
 さるほどに、二人の人々は、鬼界が島を出でて、肥前国鹿瀬の庄にぞ着き給ふ。宰相、都より人を下し、「年内は波風もはげしう、道の間もおぼつかなう候へば、春になつて上られ候へ」とありしかば、少将、鹿瀬の庄にて年を暮らす。
 

 さるほどに同じき十一月十二日の寅の刻より、中宮御産の気ましますとて、京中六波羅ひしめきあへり。御産所は六波羅池殿にてありければ、法皇も御幸なる。関白殿をはじめ奉て太政大臣以下の卿相雲客、すべて世に人と数へられ、官加階に望みをかけ、所帯所職を帯するほどの人の、一人ももるるはなかりけり。
 先例も女御、后、御産の時に臨んで、大赦行はるる事ありけり。大治二年九月十一日、待賢門院御産の時、大赦ありき。今度もその例とて、重科の輩多く許されけるなかに、この俊寛僧都一人、赦免なかりけるこそうたてけれ。
 

 今度御産平安、皇子御誕生あるならば、八幡、平野、大原野などへ行啓あるべき由、御立願あり。全玄法印承つて、これを敬白す。
 神社は太神宮をはじめ奉て、二十余箇所、仏寺は東大寺、興福寺以下十六箇所に御誦経あり。御誦経の御使ひは、宮の侍の中に、有官の輩これを勤む。狂紋の狩衣に帯剣したる者どもが、色々の御誦経物、御剣御衣を持ちつづいて、東の台より、南庭をわたつて、西の中門に出づ。めでたかりし見物なり。
 

 小松の大臣は、例の善悪につきてさわぎ給はぬ人にておはしければ、その後はるかにほど経て後、嫡子権亮少将維盛以下公達の車どもやりつづけさせ、色々の御衣四十領、銀剣七つ、広蓋に置かせ、御馬十二匹ひかせて参り給ふ。寛弘に上東門院御産の時、御堂との御馬参らせられしその例とぞ聞こえし。大臣は中宮の御兄にておはしける上、とりわき父子の御契りなれば、御馬参らせ給ふも理なり。五条の大納言邦綱卿も、御馬二匹進ぜらる。「心ざしの至りか、徳のあまりか」とぞ人申しける。なほ伊勢よりはじめ奉て、安芸の厳島にいたるまで、七十余箇所へ神馬を立てらる。内裏にも寮の御馬に四手つけて、数十匹ひつたてたり。
 

 仁和寺の御室守覚法親王は孔雀経の法、天台座主覚快法親王は七仏薬師の法、寺の長吏円慶法親王は金剛童子の法、そのほか五大虚空蔵、六観音、一字金輪、五壇の法、六字加輪、八字文殊、普賢延命に至るまで、残る所なう修せられけり。護摩の煙御所中に満ち、鈴の音雲を響かし、修法の声身の毛よだつて、いかなる御物の怪なりとも何面をむかふべしとも見えざりけり。なほ仏所の法印に仰せて、御身等身の七薬師並びに五大尊の像をつくりはじめらる。
 

 しかれども、中宮はひまなくしきらせ給ふばかりにて、御産もとみになりやらず。入道相国、二位殿、胸に手を置いて、「こはいかがせん、いかにせん」とぞあきれ給ふ。人のもの申しけれども、ただ「ともかうも、よきやうによきやうに」とばかりぞ宣ひける。
 「あはれじ浄海、戦の陣ならば、さりともこれほどまでは臆せじものを」とぞ、後には宣ひける。
 

 御験者には、房覚、性運両僧正、春堯法印、豪禅、実全両僧都、おのおの僧伽の句どもあげ、本寺本山の三宝、年来所持の本尊達、せめふせせめふせもまれけり。まことにさこそはとおぼえてたつとかりける中に、折節法皇は、新熊野へ御幸なるべきにて、御精進のついでなりけるが、錦帳近くに御座あつて、千手経を打ち上げ打ち上げあそばされけるにぞ、今ひときは事かはつて、さしもをどりくる御神子どもが縛も、しばらくうちしづめける。
 

 法皇仰せなりけるは、「たとひいかなる御物の怪なりとも、この老法師がかくて候はんに、いかでか近づき奉るべき。なかんずく今あらはるる所の怨霊は、皆我が朝恩をもつて人となつたる者のぞかし。たとひ報謝の心をこそ存ぜずとも、いかでか豈に障碍をなすべきや。すみやかにまかり退き候へ」とて、
 「女人生産し難からん時に臨んで、邪魔遮障し、苦しみ忍び難からんにも、心をいたして大悲呪を称誦せば、鬼神退散して、安楽に生ぜん」とあそばいて、皆水晶の御数珠おしもませ給へば、御産平安のみならず、皇子にてこそましましけれ。
 

 本三位中将重衡卿、その時はいまだ中宮亮にておはしけるが、御簾の中よりつと出でて、「御産平安、皇子御誕生候ふぞ」と高らかに申されたりければ、法皇をはじめ参らせて、関白松殿、太政大臣以下の卿相雲客、おのおのの助修、数輩の御験者、陰陽頭、典薬頭、すべて堂上堂下一同にあつとどよめきあへる声、門外までどよめきて、しばしはしづまりもやらざりけり。入道相国嬉しさのあまりに、声を上げてぞ泣かれける。喜び泣きとはこれをいふべきにや。
 

 小松の大臣、急ぎ中宮の御方へ参らせ給ひて、金銭九十九文、皇子の御枕に置き、「天をもつては父とし、地をもつては母と定め給ふべし。御命は方士東方朔が齢を保ち、御心には天照大神入りかはらせ給へ」とて、桑の弓、蓬の矢をもつて、天地四方を射させらる。
 

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