枕草子86段 さてその左衛門の陣などに

物のあはれ 枕草子
上巻下
86段
左衛門の陣
職の御曹司

(旧)大系:86段
新大系:82段、新編全集:82段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:90段
 


 
 さて、その左衛門の陣などにいきてのち、里に出でてしばしあるほどに、「とくまゐりね」など、仰せごとの端に、「左衛門の陣へいきしうしろなむ、つねに思しめし出でらるる。いかで、さつれなくうち古りてありしならむ。いみじうめでたからむとこそ思ひたりしか」など仰せられたる、
 御返りに、かしこまりのよし申して、私には、「いかでかはめでたしと思ひ侍らざらむ。御前にも、『なかなるをとめ』とは御覧じおはしましけむとなむ思ひ給へし」と聞こえさせたれば、
 たちかへり、「いみじく思へるなる仲忠がおもてぶせなる事は、いかで啓したるぞ。ただ今宵のうちに、よろづのことを捨ててまゐれ。さらずは、いみじうにくませ給はむ」となむ仰せごとあれば、
 「よろしからむにてだにゆゆし。まいて『いみじ』とある文字に、命も身も、さながら捨ててなむ」とて参りにき。