枕草子278段 関白殿、二月廿一日に

御前にて 枕草子
下巻中
278段
関白殿、二月廿一日に
たふとき

(旧)大系:278段
新大系:259段、新編全集:260段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後は最も索引性に優れ三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:256段
 

段冒頭新旧大系:廿一日、新全集二十一日
(新大系は「廿」で統一、旧大系では「廿」と「二十」が混在するところ、現代一般論としては新大系や新全集の表記でも良いが、本作では旧大系表記の方が実際に即す。つまり20丁度が「二十」、端数があれば省略形の「廿」になると解し、本段でも古い写本でもそうなっている。独自)

旧全集:関白殿、二月十日のほどに、法興院の


 
 関白殿、二月廿一日に法興院の積善寺といふ御堂にて一切経供養ぜさせ給ふに、女院もおはしますべければ、二月一日のほどに、二条の宮へ出でさせ給ふ。ねぶたくなりにしかば、なに事も見入れず。
 

 つとめて、日のうららかにさし出でたるほどに起きたれば、白う新しうをかしげに造りたるに、御簾よりはじめて、昨日掛けたるなめり。御しつらひ、獅子狛犬など、いつのほどにか入りゐけむとぞをかしき。桜の一丈ばかりにて、いみじう咲きたるやうにて、御階のもとにあれば、いととく咲きにけるかな、梅こそただ今はさかりなれ、と見ゆるは、造りたるなりけり。すべて、花のにほひなどつゆまことにおとらず。いかにうるかさりけむ。雨降らばしぼみなむかしと思ふぞくちをしき。小家などいふもの多かりける所を、今造らせ給へれば、木立など見所あることもなし。ただ、宮のさまぞ、けぢかうをかしげなる。
 

 殿わたらせ給へり。青鈍の固紋の御指貫、桜の御直衣にくれなゐの御衣三つばかりを、ただ御直衣にひき重ねてぞたてまつりたる。御前よりはじめて、紅梅の濃き薄き織物、固紋、無紋などを、あるかぎり着たれば、ただ光り満ちて見ゆ。唐衣は、萌黄、柳、紅梅などもあり。
 

 御前にゐさせ給ひて、ものなど聞こえさせ給ふ。御いらへなどのあらまほしさを、里なる人などにはつかに見せばやと見奉る。女房など御覧じわたして、
 「宮、なにごとをおぼしめすらむ。ここらめでたき人々を据ゑ並めて御覧ずるこそはうらやましけれ。一人わるきかたちなしや。これみな家々のむすめどもぞかし。あはれなり、ようかへりみてこそ候はせ給はめ。さても、この宮の御心をば、いかに知り奉りて、かくは参り給へるぞ。いかにいやしくもの惜しみせさせ給ふ宮とて、我は宮の生まれさせ給ひしより、いみじう仕うまつれど、まだおろしの御衣一つ賜はらず。何か、しりう言には聞こえむ」など宣ふがをかしければ、笑ひぬれば、
 「まことぞ。をこなりと見てかくわらひいまするがはづかし」など宣はするほどに、内より式部の丞なにがしが参りたり。
 

 御文は、大納言殿とりて殿に奉らせ給へば、ひき解きて、「ゆかしき御文かな。ゆるされ侍らば、あけて見侍らむ」とは宣はすれど、「あやふしとおぼいためり。かたじけなくもあり」とて奉らせ給ふを、とらせ給ひても、ひろげさせ給ふやうにもあらずもてなさせ給ふ、御用意ぞありがたき。
 

 御簾の内より女房褥さし出でて、三四人御几帳のもとにゐたり。
 「あなたにまかりて、禄のことものし侍らむ」とて立たせ給ひぬるのちぞ、御文御覧ずる。
 御返し、紅梅の薄様に書かせ給ふが、御衣のおなじ色ににほひ通ひたる、なほ、かくしもおしはかり参らする人はなくやあらむとぞくちをしき。今日のはことさらにとて、殿の御方より禄は出させ給ふ。女の装束に紅梅の細長添へたり。肴などあれば、酔はさまほしけれど、「今日はいみじきことの行事に侍り。あが君、許させ給へ」と、大納言殿にも申して立ちぬ。
 

 君など、いみじく化粧じ給ひて、紅梅の御衣ども、おとらじと着給へるに、三の御前は、御匣殿、中姫君よりもおほきに見え給ひて、上など聞こえむにぞよかめる。
 

 上もわたり給へり。御几帳ひき寄せて、あたらしう参りたる人々には見え給はねば、いぶせき心地す。
 

 さしつどひて、かの日の装束、扇などのことをいひあへるもあり。また、挑み隠して、「まろは、なにか。ただあらむにまかせてを」などいひて、「例の、君の」など、にくまる。夜さりまかづる人多かれど、かかるをりのことなれば、えとどめさせ給はず。
 

 上、日々にわたり給ひ、夜もおはします。君たちなどおはすれば、御前、人ずくなならでよし。御使日々に参る。
 

 御前の桜、露に色はまさらで、日などにあたりてしぼみ、わろくなるだにくちをしきに、雨の夜降りたるつとめて、いみじくむとくなり。いととう起きて「泣きて別れけむ顔に心おとりこそすれ」といふを聞かせ給ひて、「げに編め降るけはひしつるぞかし。いかならむ」とて、おどろかせ給ふほどに、殿の御かたより侍の者ども、下衆など、あまた来て、花の下にただ寄りに寄りて、ひき倒しとりてみそかに行く。
 「まだ暗からむにとこそ仰せられつれ。明け過ぎにけり。ふびんなるわざかな。とくとく」と倒しとるに、いとをかし。
 「『いはばいはなむ』と、兼澄がことを思ひたるにや」とも、よき人ならばいはまほしけれど、「彼の花盗むは誰ぞ。あしかめり」といへば、いとど逃げて、引きもて往ぬ。なほ御心はをかしうおはすかし。枝どももぬれまつはれつきて、いかにびんなきかたちならましと思ふ。ともかくもいはで入りぬ。
 

 掃部司参りて、御格子参る。主殿の女官御きよめなどに参りはてて、起きさせ給へるに、花もなければ、「あな、あさまし。あの花どもはいづち往ぬるぞ」と仰せらる。
 「あかつきに『花盗人あり』といふなりつるを、なほ枝などすこしとるにやとこそ聞きつれ。誰がしつるぞ、見つや」と仰せらる。
 「さも侍らず。まだ暗うてよくも見えざりつるを、白みたる者の侍りつれば、花を折るにやとうしろめたさにいひ侍りつるなり」と申す。
 「さりとも、みなは、かういかでかとらむ。殿の隠させ給へるならむ」とてわらはせ給へば、「いで、よも侍らじ。春の風のして侍るならむ」と啓するを、「かういはむとて隠すなりけり。盗みにはあらで、いたうこそふりなりつれ」と仰せらるも、めづらしきことにはあらねど、いみじうぞめでたき。
 

 殿おはしませば、ねくたれの朝顔も、時ならずや御覧ぜむとひき入る。
 おはしますままに、「かの花は失せにけるは。いかで、かうは盗ませしぞ。いとわろかりける女房達かな。いぎたなくて、え知らざりけるよ」とおどろかせ給へば、「されど、我よりさきにとこそ思ひて侍りつれ」と、しのびやかにいふに、いととう聞きつけさせ給ひて、「さ思ひつることぞ。世にこと人出でゐて見じ。宰相とそことのほどならむとおしはかりつ」といみじうわらはせ給ふ。
 「さりけるものを、少納言は、春の風におほせける」と、宮の御前のうち笑ませ給へるも、いとをかし。
 「そらごとをおほせ侍るなり。今は、山田もつくるらむものを」などうち誦せさせ給へる、いとなまめきをかし。
 「さてもねたくみつけられにけるかな。さばかりいましめつるものを。人の御かたには、かかるいましめ者のあるこそ」など宣はす。
 「春の風は、そらにいとかしこうもいふかな」など、またうち誦せさせ給ふ。
 「ただ言にはうるさく思ひつよりて侍りし。今朝のさま、いかに侍らまし」などぞわらわせ給ふ。
 小若君、「されど、それをいととく見て、『露にぬれたる』といひける、おもてぶせなりといひ侍りける」と申し給へば、いみじうねたがらせ給ふもをかし。
 

 さて、八九日のほどにまかづるを、「いますこし近うなりてを」など仰せらるれど、出でぬ。
 いみじう、つねよりものどかに照りたる昼つ方、「花の心開けざるや。いかに、いかに」と宣はせたれば、「秋はまだしく侍れど、夜に九度のぼる心地なむし侍る」と聞こえさせつ。
 

 出でさせ給ひし夜、車の次第もなく、「まづ、まづ」と乗りさわぐがにくければ、さるべき人と、なほこの車に乗るさまのいとさわがしう、祭のかへさなどのやうに、倒れぬべくまどふさまのいと見苦しきに、ただ、さはれ、乗るべき車なくてえ参らずは、おのづからきこしめしつけて賜はせもしてむなどいひあはせて立てる、前よりおしこりて、まどひ出でて乗りはてて、かうこといふに、「まだし、ここに」といふめれば、宮司寄り来て、「誰々おはするぞ」と問ひ聞きて、「いとあやしかりけることかな。今はみな乗り給ひぬらむとこそ思ひつれ。こはなど、かうおくれさせ給へる。今は得選乗せむとしつるに。めづらかなりや」などおどろきて、寄せさすれば、「さば、まづその御心ざしあらむをこそ乗り給はめ。次にこそ」といふ声を聞きて、「けしからず、腹ぎたなくおはしましけり」などいへば乗りぬ。
 その次には、まことに御厨子が車にぞありければ、火もいと暗きを、わらひて二条の宮に参り着きたり。
 

 御輿はとく入らせ給ひて、しつらひゐさせ給ひにけり。
 「ここに呼べ」と仰せられければ、「いづら、いづら」と右京、小左近などいふわかき人々待ちて、参る人ごとに見れど、なかりけり。
 下るるにしたがひて、四人づつ御前に参りつどひて候ふに、「あやし。なきか。いかなるぞ」と仰せられけるも知らず、あるかぎり下りはててぞからうじて見つけられて、「さばかり仰せらるるに、おそくは」とて、ひきゐて参るに、見れば、いつの間にかう年ごろの御住まひのやうに、おはしましつきたるにかとをかし。
 「いかなれば、かうなきかとたづぬばかりまでは見えざりつる」と仰せらるるに、ともかくも申さねば、もろともに乗りたる人、「いとわりなしや。最果の車に乗りて侍らむ人は、いかでかとくは参り侍らむ。これも、御厨子がいとほしがりて、ゆづりて侍るなり。暗かりつるこそわびしかりつれ」とわぶわぶ啓するに、「行事する者のいとあしきなり。また、などかは、心知らざらむ人こそはつつまめ、右衛門などいはむかし」と仰せらる。
 「されど、いかでかは走り先立ち侍らむ」などいふ、かたへの人にくしと聞くらむかし。「さまあしうて高う乗りたりとも、かしこかるべきことかは。定めたらむさまの、やむごとなからむこそよからめ」と、ものしげにおぼしめしたり。
 「下り侍るほどのいと待ち遠に、苦しければにや」とぞ申しなほす。
 

 御経のことにて、明日わたらせ給はむとて、今宵参りたり。
 南の院の北面にさしのぞきたれば、高杯どもに火をともして、二人、三人、三四人、さべきどち屏風ひき隔てたるもあり。几帳など隔てなどもしたり。また、さもあらで、集まりゐて衣どもとぢかさね、裳の腰さし、化粧ずるさまはさらにもいはず、髪などいふもの、明日よりのちはありがたげに見ゆ。
 「寅の時になむわたらせ給ふべかなる。などか今まで参り給はざりつる。扇持たせて、もとめきこゆる人ありつ」と告ぐ。
 

 さて、まことに寅の時かと装束きたちてあるに、明けはて、日もさし出でぬ。西の対の唐廂にさし寄せてなむ乗るべきとて、渡殿へあるかぎり行くほど、まだうひうひしきほどなる今参などはつつましげなるに、西の対に殿の住ませ給へば、宮もそこにおはしまして、まづ女房ども車に乗せ給ふを御覧ずとて、御簾のうちに、宮、淑景舎、三四の君、殿の上、その御おとと三所、立ち並みおはしまさふ。
 

 車の左右に、大納言殿、三位の中将、二所して簾うちあげ、下簾ひきあげて乗せ給ふ。うち群れてだにあらば、すこし隠れどころもやあらむ、四人づつ書立にしたがひて、「それ、それ」と呼び立てて乗せ給ふに、あゆみ出づる心地ぞ、まことにあさましう、顕証なりといふも世の常なり。
 御簾のうちに、そこらの御目どもの中に、宮の御前の見苦しと御覧ぜむばかり、さらにわびしきことなし。汗のあゆれば、つくろひたてたる髪なども、みなあがりやしたらむとおぼゆ。からうじて過ぎ行きたれば、車のもとに、はづかしげにきよげなる御さまどもして、うち笑みて見給ふもうつつならず。されど、倒れでそこまでは行きつきぬるぞ、かしこきかおもなきか、思ひたどらるれ。
 

 みな乗りはてぬれば、ひき出でて、二条の大路に榻にかけて、物見る車のやうに立て並べたる、いとをかし。人も見たらむかしと心ときめきせらる。四位、五位、六位などいみじう多う出で入り、車のもとに来て、つくろひ、ものいひなどする中に、明順の朝臣の心地、空を仰ぎ、胸をそらいたり。
 

 まづ院の御迎へに、殿をはじめ奉りて、殿上人、地下などもみな参りぬ。それわたらせ給ひて後に、宮は出でさせ給ふべしとあれば、いと心もとなしと思ふほどに、日さしあがりてぞおはします。御車ごめに十五、四つは尼の車、一の御車は唐車なり。それにつづきてぞ尼の車、後口より水晶の数珠、薄墨の裳、袈裟、衣、いといみじくて、簾はあげず、下簾も薄色の裾すこし濃き、次に女房の十、桜の唐衣、薄色の裳、濃き衣、香染、薄色の上着ども、いみじうなまめかし。日はいとうららかなれど、空はみどりにかすみわたれるほどに、女房の装束のにほひあひて、いみじき織物、色々の唐衣などよりも、なまめかしうをかしきことかぎりなし。
 

 関白殿、その次々の殿ばら、おはするかぎり、もてかしづきわたし奉らせ給ふさま、いみじくぞめでたし。これをまづ見たてまつり、めでさわぐ。この車どもの二十並べたるも、またをかしと見るらむかし。
 

 いつしか出でさせ給はなむと待ち聞こえさするに、いとひさし。いかなるらむと心もとなく思ふに、からうじて采女八人、馬に乗せてひき出づ。青裾濃の裳、裙帯、領布などの風に吹きやられたる、いとをかし。ふせといふ采女は、典薬の頭重雅がしる人なりけり。葡萄染の織物の指貫を着たれば、「重雅は色許されにけり」など、山の井の大納言わらひ給ふ。
 

 みな乗りつづきて立てるに、今ぞ御輿出でさせ給ふ。めでたしと見奉りつる御ありさまには、これはた、くらぶべからざりけり。
 

 朝日のはなばなとさしあがるほどに、水葱の花いときはやかにかがやきて、御輿の帷子の色つやなどのきよらささへぞいみじき。御綱張りて出でさせ給ふ。御輿の帷子のうちゆるぎたるほど、まことに、頭の毛など人のいふ、さらにそらごとならず。さてのちは、髪あしからむ人もかこちつべし。あさましういつくしう、なほいかで、かかる御前に馴れ仕うまつるらむと、わが身もかしこうぞおぼゆる。御輿過ぎさせ給ふほど、車の榻ども一たびにかきおろしたりつる、また牛どもにただ掛けに掛けて、御輿の後につづけたる心地、めでたく興あるさま、いふかたもなし。
 

 おはしまし着きたれば、大門のもとに高麗、唐土の楽して、獅子狛犬をどり舞ひ、乱声の音、鼓の声にものもおぼえず。こは、いきての仏の国などに来にけるにやあらむと、空に響きあがるやうにおぼゆ。
 

 内に入りぬれば、色々の錦のあげばりに、御簾いと青くかけわたし、屏幔ども引きたるなど、すべてすべて、さらにこの世とおぼえず。御桟敷にさし寄せたれば、また、この殿ばら立ち給ひて、「とう下りよ」と宣ふ。乗りつる所だにありつるを、いますこしあかう顕証なるに、つくろひ添へたりつる髪も、唐衣の中にてふくだみ、あやしうなりたらむ、色の黒さ赤ささへ見え分かれぬべきほどなるが、いとわびしければ、ふともえ下りず。
 「まづ、後なるこそは」などいふほどに、それもおなじ心にや、「しぞかせ給へ。かたじけなし」などいふ。「恥ぢ給ふかな」とわらひて、からうじて下りぬれば、寄りおはして、「『むねかたなどに見せで、隠しておろせ』と、宮の仰せらるれば来たるに、思ひぐまなく」とて、ひきおろして率て参り給ふ。さ聞こえさせ給ひつらむと思ふも、いとかたじけなし。
 

 参りたれば、はじめ下りける人、物見えぬべきに端に八人ばかりゐにけり。一尺余、二尺ばかりの長押の上におはします。「ここに、立ち隠して率て参りたり」と申し給へば、「いづら」とて、御几帳のこなたに出でさせ給へり。まだ御裳、唐の御衣奉りながらおはしますぞいみじき。くれなゐの御衣どもよろしからむやは。中に唐綾の柳の御衣、葡萄染の五重がさねの織物に赤色の唐の御衣、地摺の唐の薄物に、象眼重ねたる御裳など奉りて、ものの色などは、さらになべてのに似るべきやうもなし。
 「我をばいかが見る」と仰せらる。
 「いみじうなむ候ひつる」なども、言に出でては世の常にのみこそ。
 「ひさしうやありつる。それは大夫の、院の御供に着て人に見えぬる、おなじ下襲ながらあらば、人わろしと思ひなむとて、こと下襲縫はせ給ひけるほどに、おそきなりけり。いとすき給へり」とてわらはせ給ふ。いとあきらかに、はれたる所は、いますこしぞけざやかにめでたき。御額あげさせ給へりける御釵子に、分け目の御髪のいささか寄りてしるく見えさせ給ふさへぞ、聞こえむ方なき。
 

 三尺の御几帳一よろひをさしちがへて、こなたの隔てにはして、そのうしろに畳一片をさがさまに縁を端にして、長押の上に敷きて、中納言の君といふは、殿の御叔父の右兵衛の督忠君と聞こえけるが御むすめ、宰相の君は、富の小路の右の大臣の御孫、それ二人ぞ上にゐて、見給ふ。
 御覧じわたして、「宰相はあなたに行きて、人どものゐたるところにて見よ」と仰せらるるに、心得て、「ここにて、三人はいとよく見侍りぬべし」と申し給へば、「さば、入れ」とて召し上ぐるを、下にゐたる人々は、「殿上ゆるさるる内舎人なめり」とわらへど、「こは、わらはせむと思ひ給ひつるか」といへば、「むまさまのほどこそ」などいへど、そこにのぼりゐて見るは、いとおもだたし。
 かかることなどぞみづからいふは、吹き語りなどにもあり、また、君の御ためにも軽々しう、かばかりの人をさおぼしけむなど、おのづからも、もの知り、世の中もどきなどする人は、あいなうぞ、かしこき御ことにかかりてかたじけなけれど、あることはまたいかがは。まことに身のほどに過ぎたることどももありぬべし。
 

 女院の御桟敷、所々の御桟敷ども見渡したる、めでたし。殿の御前、このおはします御前より院の御桟敷に参り給ひて、しばしありて、ここに参らせ給へり。大納言二所、三位の中将は陣に仕うまつり給へるままに、調度負ひて、いとつきづきしう、をかしうておはす。殿上人、四位五位こちたくうち連れ、御供に候ひて並みゐたり。
 

 入らせ給ひて見奉らせ給ふに、みな御裳、御唐衣、御匣殿までに着給へり。殿の上は裳の上に小袿をぞ着給へる。
 「絵にかいたるやうなる御さまどもかな。いま一人は今日は人々しかめるは」と申し給ふ。
 「三位の君、宮の御裳ぬがせ給へ。この中の主君には、わが君こそおはしませ。御桟敷の前に陣屋据ゑさせ給へる、おぼろげのことかは」とてうち泣かせ給ふ。
 げにと見えて、みな人涙ぐましきに、赤色に桜の五重の衣を御覧じて、「法服の一つ足らざりつるを、にはかにまどひしつるに、これをこそ返り申すべかりけれ。さらずは、もしまた、さやうの物をとり占められたるか」と宣はするに、大納言殿、すこししぞきてゐ給へるが、聞き給ひて、「清僧都のにやあらむ」と宣ふ。
 一事としてめでたからぬことぞなきや。
 

 僧都の君、赤色の薄物の御衣、むらさきの御袈裟、いと薄き薄色の御衣ども、指貫など着給ひて、頭つきの青くうつくしげに、地蔵菩薩のやうにて、女房にまじりありき給ふも、いとをかし。「僧綱の中に威儀具足してもおはしまさで、見苦しう、女房の中に」など笑ふ。
 

 大納言の御桟敷より、松君ゐて奉る。葡萄染の織物の直衣、濃き綾の打ちたる、紅梅の織物など着給へり。御供に例の四位、五位、いと多かり。御桟敷にて、女房の中にいだき入れ奉るに、なにごとのあやまりにか、泣きののしり給ふさへ、いとはえばえし。
 

 ことはじまりて、一切経を蓮の花の赤き一花づつに入れて、僧俗、上達部、殿上人、地下、六位、なにくれまで持てつづきたる、いみじう尊し。導師参り、かうはじまりて、舞ひなど、日ぐらしみるに、目もたゆくくるし。御使に五位の蔵人参りたり。御桟敷の前に胡床立ててゐたるなど、げにぞめでたき。
 

 夜さりつ方、式部の丞則理参りたり。「『やがて夜さり入らせ給ふべし。御供に候ふ』と宣旨かうぶりて」とて、帰りも参らず。宮は、「まづ帰りてを」と宣はすれど、また蔵人の弁参りて、殿にも御消息あれば、ただ仰せ事にて、入らせ給ひなむとす。
 

 院の御桟敷より、ちかの塩竃などいふ御消息参り通ふ。をかしきものなど持て参りちがひたるなどもめでたし。
 

 ことはてて、院帰らせ給ふ。院司、上達部など、こたみはかたへぞ仕うまつり給ひける。
 

 宮には内裏に参らせ給ひぬるも知らず、女房の従者どもは、二条の宮にぞおはしますらむとて、それにみな行きゐて、待てども待てども見えぬほどに、夜いたうふけぬ。内裏には、宿直物もて来なむと待つに、きよう見え聞こえず。あざやかなる衣どもの身にもつかぬを着て、寒きまま、いひ腹立てど、かひもなし。つとめて来たるを、「いかで、かく心もなきぞ」などいへど、のぶることもいはれたり。
 

 またの日、雨の降りたるを、殿は、「これになむ、おのが宿世は見え侍りぬる。いかが御覧ずる」と聞こえさせ給へる、御心おごりもことわりなり。されど、その折、めでたしと見たてまつりし御ことどもも、今の世の御ことどもに見奉りくらぶるに、すべてひとつに申すべきのもあらねば、もの憂くて、多かりしことどもも、みなとどめつ。
 
 

御前にて 枕草子
下巻中
278段
関白殿
たふとき