古事記 建振熊(忍熊征伐)~原文対訳

忍熊王 古事記
中巻⑦
14代 仲哀天皇
神功皇后の後日談
3 建振熊
忍熊王の歌
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
此時忍熊王。  その時忍熊おしくまの王は、  この時にオシクマの王は、
以難波
吉師部之祖。
難波なにはの
吉師部きしべが祖、
難波なにわの
吉師部きしべの祖先の
伊佐比宿禰
爲將軍。
伊佐比いさひの宿禰を
將軍いくさのきみとし、
イサヒの宿禰すくねを
將軍とし、
太子御方者。 太子ひつぎのみこの御方には、 太子の方では
以丸邇臣之祖。 丸邇わにの臣が祖、 丸邇わにの臣の祖先の
難波根子
建振熊
爲將軍。
難波根子建振熊
なにはねこたけふるくまの命を、
將軍としたまひき。
難波なにわ
ネコタケフルクマの命を
將軍となさいました。
     
故追退。 かれ追ひ退そけて かくて追い退けて
到山代之時。 山代に到りし時に、 山城に到りました時に、
還立。 還り立ちて 還り立つて
各不退相戰。 おのもおのも退かずて相戰ひき。 雙方退かないで戰いました。
     
爾建振熊命。 ここに建振熊の命 そこでタケフルクマの命は
權而令云。 權たばかりて、 謀つて、
息長帶日賣命者。
既崩
「息長帶日賣の命は、
既に崩りましぬ。
皇后樣は
既にお隱れになりましたから
故無可更戰。 かれ、更に戰ふべくもあらず」といはしめて、 もはや戰うべきことはないと言わしめて、
即絶弓絃。 すなはち弓絃ゆづらを絶ちて、 弓の弦を絶つて
欺陽歸服。 欺いつはりて歸服まつろひぬ。 詐いつわつて降服しました。
     
於是其將軍
既信詐。
ここにその將軍既に
詐りを信うけて、
そこで敵の將軍は
その詐りを信じて
弭弓藏兵。 弓を弭はづし、
兵つはものを藏めつ。
弓をはずし
兵器を藏しまいました。
爾自頂髮中 ここに頂髮たぎふさの中より その時に頭髮の中から
採出設弦。
〈一名云
宇佐由豆留〉
設まけの
弦ゆづるを採とり出で
豫備の
弓弦を取り出して、
更張追撃。 更に張りて追ひ撃つ。 更に張つて追い撃ちました。
     
故逃退逢坂。 かれ逢坂あふさかに逃げ退きて、 かくて逢坂おおさかに逃げ退いて、
對立亦戰。 對むき立ちてまた戰ふ。 向かい立つてまた戰いましたが、
爾追迫敗。 ここに追ひ迫せめ敗りて、 遂に追い迫せまり敗つて
沙沙那美。 沙沙那美ささなみに出でて、 近江のササナミに出て
悉斬其軍。 悉にその軍を斬りつ。 悉くその軍を斬りました。
忍熊王 古事記
中巻⑦
14代 仲哀天皇
神功皇后の後日談
3 建振熊
忍熊王の歌