宇治拾遺物語:秦始皇、天竺より来たる僧禁獄の事

仁戒上人 宇治拾遺物語
巻第十五
15-10 (195)
秦始皇
後の千金

 
 今は昔、唐の秦始皇の代に、天竺より僧渡れり。
 帝あやしみ給ひて、「これはいかなる者ぞ。何事によりて来たれるぞ」。
 僧申していはく、「釈迦牟尼仏の御弟子なり。仏法を伝へんために、遙に西天より来たり渡れるなり」と申しければ、帝腹立ち給ひて、「その姿きはめて怪し。頭の髪禿なり。衣の体人に違へり。仏の御弟子と名のる。仏とは何者ぞ。これは怪しき者なり。ただに返すべからず。人屋に籠めよ。今より後、かくのごとく怪しき事いはん者をば、殺さしむべきものなり」と言ひて、人屋に据ゑられぬ。
 「深く閉ぢ籠めて、重くいましめて置け」と宣旨を下されぬ。
 

 人屋の司の者、宣旨のままに、重く罪ある者置く所に籠めて置きて、戸にあまた錠さしつ。
 この僧、「悪王にあひて、かく悲しき目を見る。我が本師釈迦牟尼如来、滅後なりとも、あらたに見給ふらん。我を助け給へ」と念じ入りたるに、釈迦仏、丈六の御姿にて、紫磨黄金の光を放ちて、空より飛び来たり給ひて、この獄門を踏み破りて、この僧を取りて去り給ひぬ。
 その次に、多くの盗人どもみな逃げ去りぬ。
 獄の司、空に物の鳴りければ、出でて見るに、金の色したる僧の、光を放ちたるが、大さ丈六なる、空より飛び来たりて、獄の門を踏み破りて、籠められたる天竺の僧を、取りて行く音なりければ、この由を申すに、帝、いみじくおぢ恐り給ひけりとなん。
 その時に渡らんとしける仏法、世下りての漢には渡りけるなり。