古事記 倭建:伊勢大御神宮~原文対訳

比比羅木之八尋矛 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
第三次東征(倭建)
2 伊勢大御神宮
尾張の美夜受比賣
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
故受命。 かれ命を受けたまはりて、 依つて御命令を受けて
罷行之時。 罷り行いでます時に、 おいでになつた時に、
參入。
伊勢大御神宮。
伊勢の大御神の宮に參りて、 伊勢の神宮に參拜して、
拜神朝廷。 神の朝廷みかどを拜みたまひき。 其處に奉仕して
即白
其姨
倭比賣命者。
すなはちその姨みをば
倭やまと比賣の命に
白したまひしくは、
おいでになつた叔母樣の
ヤマト姫の命に
申されるには、
     

東方十二道(崇神の東征冒頭で既出)

     
天皇。
既所以思
吾死乎。
「天皇
既に吾を死ねと
思ほせか、
「父上は
わたくしを死ねと
思つていらつしやるのでしようか、
何撃遣
西方之
惡人等而。
何ぞ、西の方の
惡あらぶる人ひとどもを
撃とりに遣して、
どうして西の方の
從わない人たちを
征伐にお遣わしになつて、
返參上來之間。 返りまゐ上り來し間ほど、 還つてまいりまして
未經幾時。 幾時いくだもあらねば、 まだ間も無いのに、
不賜軍衆。 軍衆いくさびとどもをも賜はずて、 軍卒も下さらないで、
今更
平遣。
東方十二道
惡人等。
今更に
東の方の十二道の
惡ぶる人どもを
平ことむけに遣す。
更に
東方諸國の
惡い人たちを
征伐するために
お遣わしになるのでしよう。
因此思惟。 これに因りて思へば こういうことによつて思えば、
猶所思看
吾既死焉。
なほ吾を既に死ねと
思ほしめすなり」
とまをして、
やはりわたくしを早く死ねと
思つておいでになるのです」
と申して、
     
患泣
罷時。
患へ泣きて
罷りたまふ時に、
心憂く思つて泣いて
お出ましになる時に、
     

草那藝劍と御嚢(おふくろ=母=天照)

     
倭比賣命。 倭比賣の命、 ヤマト姫の命が、
草那藝劍
〈那藝二字以音〉
草薙くさなぎの劒たちを賜ひ、 草薙の劒をお授けになり、
亦賜御嚢而。 また御嚢みふくろを賜ひて、 また嚢ふくろをお授けになつて、
詔若有急事。 「もし急とみの事あらば、 「もし急の事があつたなら、
解茲嚢口。 この嚢ふくろの口を解きたまへ」
と詔りたまひき。
この嚢の口をおあけなさい」
と仰せられました。
比比羅木之八尋矛 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
第三次東征(倭建)
2 伊勢大御神宮
尾張の美夜受比賣