枕草子23段 清涼殿の丑寅の隅の

家は 枕草子
上巻上
23段
清涼殿の
生ひ先

(旧)大系:23段
新大系:20段、新編全集:21段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:20段
 



 清涼殿の丑寅の隅の、北の隔てなる御障子には、荒海の絵、生きたるものどものおそろしげなる、手長足長をぞかきたる。上の御局の戸おしあけたれば、つねに目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。
 

 勾欄のもとに青き瓶の大きなるすゑて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、勾欄の外までこぼれ咲きたる、昼つ方、大納言殿、桜の直衣のすこしなよらかなるに、濃き紫の固紋指貫、白き御衣ども、うへに濃き綾のいとあざやかなるを出だしてまゐり給へるに、うへのこなたにおはしませば、戸口の前なるほそき板敷にゐ給ひて、ものなど奏し給ふ。
 

 御簾の内に、女房、桜の唐衣どもくつろかにぬぎたれて、藤、山吹などいろいろにこのましうて、あまた小半蔀の御簾よりもおし出でたるほど、昼の御座のかたには、おものまゐる足音高し。警蹕など「おし」といふ声聞こゆるも、うらうらとのどかなる日のけしきなど、いとをかしきに、はての御盤とりたる蔵人まゐりておもの奏すれば、中の戸よりわたらせ給ふ。御供に大納言殿まゐらせ給ひて、ありつる花のもとに帰りゐ給へり。
 

 宮の御前の御几帳おしやりて、長押のもとに出でさせ給へるなど、なにとなくただめでたきを、候ふ人も思ふことなき心地するに、「月も日もかはりゆけどもひさにふる三室の山の」といふことを、ゆるるかにうちよみ出だしてゐ給へる、いとをかしうおぼゆるにぞ、げにぞ千歳もあらまほしき御ありさまなるや。
 

 賠膳つかうまつる人の、男どもなど召すほどもなくわたらせ給ひぬ。「御硯の墨すれ」と仰せらるるに、目はそらにて、ただおはしますをのみ見奉れば、ほとどつぎめもはなちつべし。白き色紙をおしたたみて、「これにただいまおぼえむふるきことひとつづつ書け」と仰せらるる、外にゐ給へるに、「これはいかが」と申せば、「とう書きてまゐらせ給へ。男は言くはへ候ふべきにも侍らず」とて、さし入れ給へり。御硯取りおろして、「とくとく。ただ思ひまはさで、難波津もなにも、ふとおぼえむことを」と責めさせ給ふに、などさは臆せしにか、すべて面さへ赤みてぞ思ひ乱るるや。春の歌、花の心など、さいふいふも、上臈二つ三つばかり書きて、「これに」とあるに、
 

♪1
  年ふれば 齢は老いぬし かはあれど
  花をし見れば もの思ひもなし
 

といふことを、「君をし見れば」と書きなしたる、御覧じ比べて、「ただこの心どものゆかしかりつるぞ」と仰せらるるついでに、「円融院の御時に、『草子に歌一つ書け』と殿上人に仰せられければ、いみじう書きにくう、すまひ申す人々ありけるに、『さらにただ、手のよさあしさ、歌のをりにあはざらむをも知らじ』と仰せらるれば、侘びてみな書きける中に、ただいまの関白殿、三位の中将と聞こえける時、
 

♪2
  潮の満つ いつもの浦の いつもいつも
  君をば深く 思ふはやわが
 

といふ歌を、末を、『頼むはやわが』と書き給へりけるをなむ、いみじうめでさせ給ひける」など仰せらるるも、すずろに汗あゆる心地ぞする。年若からむ人、はたさもえ書くまじきことのさまにや、などぞおぼゆる。例の、ことよく書く人々も、あぢきなうみなつつまれて、書き汚しなどしたるもあり。
 

 古今の草子を御前に置かせ給ひて、歌どもの本を仰せられて、「これが末、いかに」と問はせ給ふに、すべて、夜昼、心にかかりておぼゆるもあるが、け清う申し出でられぬは、いかなるぞ。宰相の君ぞ十ばかり、それもおぼゆるかは。まいて、五つ、六つなどは、ただおぼえぬ由をぞ啓すべけれど、「さやはけにくく、仰せごとをはえなうもてなすべき」と、わび、口惜しがるも、をかし。知ると申す人なきをば、やがてみな読み続けて、夾算せさせ給ふを、「これは、知りたることぞかし。などかう、つたなうはあるぞ」と言ひ嘆く。中にも、古今あまた書き写しなどする人は、みなもおぼえぬべきことぞかし。
 「村上の御時に、宣耀殿の女御と聞こえけるは、小一条の左の大臣殿の御娘におはしけると、誰かは知り奉らざらむ。まだ姫君と聞こえけるとき、父大臣の教へ聞こえ給ひけることは、『一つには御手を習ひ給へ。次には、琴の御琴を、人よりことに弾きまさらむとおぼせ。さては、古今の歌二十巻を、みなうかべさせ給ふを、御学問にはせさせ給へ』となむ、聞こえ給ひける、と聞こし召しおきて、御物忌みなりける日、古今をもてわたらせ給ひて、御几帳を引き隔てさせ給ひければ、女御、例ならずあやし、とおぼしけるに、草子を広げさせ給ひて、『その月、何の折、その人のよみたる歌はいかに』と問ひ聞こえさせ給ふを、かうなりけり、と心得給ふもをかしきものの、ひがおぼえをもし、忘れたるところもあらば、いみじかるべきこと、と、わりなうおぼし乱れぬべし。
 その方におぼめかしからぬ人、二、三人ばかり召し出でて、碁石して数置かせ給ふとて、強ひ聞こえさせ給ひけむほどなど、いかにめでたうをかしかりけむ。御前に候ひけむ人さへこそうらやましけれ。
 せめて申させ給へば、さかしう、やがて末まではあらねども、すべて、つゆたがふことなかりけり。いかでなほ少しひがごと見つけてをやまむと、ねたきまでにおぼしめしけるに、十巻にもなりぬ。『さらに不用なりけり』とて、御草子に夾算さして大殿篭りぬるも、まためでたしかし。
 いと久しうありて、起きさせ給へるに、『なほこのこと、勝ち負けなくてやませ給はむ、いとわろし』とて、下の十巻を、『明日にならば、ことをぞ見給ひ合はする』とて、『今日定めてむ』と、大殿油参りて、夜更くるまでよませ給ひける。されど、つひに負け聞こえさせ給はずなりにけり。『上、わたらせ給ひて、かかること』など、殿に申しに奉られたりければ、いみじうおぼしさわぎて、御誦経などあまたせさせ給ひて、そなたに向きてなむ念じくらし給ひける。すきずきしう、あはれなることなり」
 など、語り出でさせ給ふを、上も聞こし召し、めでさせ給ふ。「我は三巻、四巻をだにえ見果てじ」と、仰せらる。
 「昔は、えせ者なども、みなをかしうこそありけれ。このごろは、かやうなることやは聞こゆる」など、御前に候ふ人々、上の女房、こなた許されたるなど参りて、口々言ひいでなどしたるほどは、まことに、つゆ思ふことなく、めでたくぞおぼゆる。