伊勢物語 56段:草の庵 あらすじ・原文・現代語訳

第55段
思ひかけたる女
伊勢物語
第二部
第56段
草の庵
第57段
恋ひわびぬ

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
 

あらすじ

 
 
 むかし、男、臥して思ひ起きて思ひ、思ひあまりて
 →昔男が、寝ても覚めても、思いあまって
 

 わが袖は 草の庵にあらねども 暮るれば露の 宿りなりけり
 →ボロ小屋でもないのに なぜ露がつくかなあ

 あれ袖が濡れるけどなんでだろう。あれ松虫が、ないている~。
 

 「草の庵」=家が吹けば飛ぶ(パンピーの)家計なので、前段の「思ひかけたる女(小町)」と一緒になれない。
 という思い余った思いの丈。違うといいつつ実質はそうだと。
 

 というのも著者は、宮中の女方にいたのに身分はただの凡人。
 (10段・84段。母が藤原で宮だったが、父は賤しい凡人。そういうこともあるという例が16段と41段。つまり行けた後家)
 

 「露」は露知らずのように、否定を導く。露宿りなりからの、露泊らず。涙が泊らない。
 というなんとも情けなく女々しい歌であった。なのでこの歌はボツ。
 

 そして次の段で別の歌をしたためる。そしたらもっと女々しくなった。だめだこりゃ。
 女々しい歌を送る送らないという構図は46段(うるわしき友)と同じ。そこで歌を送る相手も同じ。
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第56段 草の庵(いほり)
   
 むかし、男、  昔、おとこ、  昔男。
  臥して思ひ起きて思ひ、 ふしておもひおきておもひ、 ふして思ひおきて
  思ひあまりて、 おもひあまりて、 おもひあまりて。
       

102
 わが袖は
 草の庵にあらねども
 わが袖は
 草のいほりにあらねども
 我袖は
 草の庵にあらねとも
  暮るれば露の
  宿りなりけり
  くるればつゆの
  やどりなりけり
  くるれは露の
  やとりとそなる
   

現代語訳

 
 

むかし、男、
臥して思ひ起きて思ひ、思ひあまりて、
 
わが袖は 草の庵に あらねども
 暮るれば露の 宿りなりけり

 
 
むかし男
 むかし男が
 

臥して思ひ起きて思ひ
 寝て思い、起きて思い
 

 ふして(伏して・臥して)
 :泣く泣くを暗示。泣き伏すの用法。
 泣く泣くは、せん方なく。どうしようもなく。
 実際に泣くわけではない。男なので。
 

思ひあまりて
 思い余って
 
 (その時の情況が、以下の通り)
 
 

わが袖は
 私の袖は
 

草の庵に あらねども
 草の庵にいるわけでもないのに
 
 草の庵
 :草ぶきの粗末な住まい。百人一首1「かりほの庵」と同じで、貧しい家=家計の象徴。

 草の庵ではないと言っているが、実質はそうだと言っている。
 

 ただし、男は女方で宮仕えしているから、
 (19段・天雲のよそ、31段・忘草、50段・あだくらべ等)
 男自体極貧というわけではなく、その禄では、満足に生活させてあげられないという意味。
 (24段・梓弓、41段・紫、参照)
 

暮るれば露の
 更ければ露が
 

 「露」「暮る」が、53段「夜ぶかきに」、54段「露やおくらむ」と対応。

 「思ひあまりて」が、55段「思ひかけたる女の、え得まじうなりて」に対応。

 つまり53-55段を、振り返って。
 

宿りなりけり
 宿るようだと
 

 露が否定を導き、涙が泊らない(露+宿らざり)