宇治拾遺物語:元輔、落馬の事

上緒の主 宇治拾遺物語
巻第十三
13-2 (162)
元輔、落馬
迷はし神

 
 今は昔、歌よみの元輔、内蔵助になりて、賀茂祭の使しけるに、一條大路わたりけるほどに、殿上人の、車おほく並べたてて、物見ける前わたるほどに、おいらかにてはたわたらで、人み給ふにと思ひて、馬をいたくあふりければ、馬くるひて落ちぬ。
 年老いたるものの、頭をさかさまにて落ちぬ。
 君達、あないみじと見るほどに、いと疾くおきぬれば、冠ぬげにけり。
 もとどりつゆなし。ただほとぎをかづきたるやうにてなんありける。
 

 馬ぞひ、手まどひをして、冠をとりてきせさすれど、後ざまにかきて、「あなさわがし。しばしまて。君達に聞こゆべき事あり」とて、殿上人どもの車のまへに歩みよる。
 日のさしたるに、頭きらきらとして、いみじう見苦し。
 大路のもの、市をなして、笑ひののしる事限りなし。
 車、桟敷のものども、笑ひののしるに、一の車のかたざまに歩みよりていふやう、「君達、この馬よりおちて冠おとしたるをば、をこなりとや思ひ給ふ。しか思ひ給ふまじ。その故は、心ばせある人だにも、物につまづき倒るることは、つねの事なり。まして馬は心あるものにあらず。この大路は、いみじう石たかし。馬はくちを張りたれば、歩まんと思ふだに歩まれず。と引きかう引き、くるめかせば、倒れんとす。馬をあしと思ふべきにあらず。唐鞍はさらなる、あぶみの、かくうべくもあらず。それに、馬はいたくつまづけば落ちぬ。それ悪からず。また冠のおつる事は、物してゆふものにあらず。かみをよくかき入れたるに、とらへるる物なり、それに、鬢は失せにたれば、ひたぶるになし。されば、落ちん事、冠恨むべき様なし。例なきにあらず。何の大臣は、大嘗會の御禊に落つ。何の中納言は、その時の行幸に落つ。かくのごとく、例もかんがへやるべからず。しかれば、案内も知り給はぬこのごろのわかき君達、笑ひ給ふべきにあらず。笑ひ給はばをこなるべし」とて、車ごとに、手を折りつつ数へて、言ひ聞かす。
 

 かくのごとく言ひはてて、「冠もて来」と言ひてなん、とりてさし入れける。
 その時に、とよみて笑ひののしること限りなし。冠せさすととて、馬ぞひのいはく、「落ち給ふすなはち、冠を奉らで、などかくよしなしごとは、仰せらるるぞ」と問ひければ、「しれ事な言ひそ。かく道理を言ひ聞かせたらばこそ、この君達は、後々にも笑はざらめ。さらずは、口さがなき君達は、長く笑ひなんものをや」とぞ言ひける。
 

 人笑はする事、やくにするなりけり。