伊勢物語 6段:芥河 あらすじ・原文・現代語訳

第5段
関守
伊勢物語
第一部
第6段
芥河
第7段
かへる浪

 
 本段は、3~6段の二条の后といとこの女御にまつわる一連の外出話の最後。特に末尾の人定に関する記述を、総合的に通して解釈する必要がある。事実認定(書面・伝聞証拠)解釈の一貫として。本段末尾は後日の他人の付け足しと思われ興ざめで余分などというのは、原文を恣意的に歪めるピーターパン的な感想でしかない。鬼のような空想的内容は伊勢では例外で、本段にしか存在しない。

 本段のような注記は、3~6段及び69段の二条の后・伊勢斎宮という枢要人物の2人にのみなされ、かつ一般の想像では導き出せない内容で(3段に至っては第三者が注記できるような人目をひく内容ではない)宮中中枢の具体性と暴露性をもち、本文を強化する端的な認定で、これを他人の注記という根拠は全くない。まず、他人の注ならなぜ一貫して在五関連表記がないのか。大和物語での「在中将」の連発・沖つ白波末尾の人定のぼかし具合(この男はおほきみなりけり)と比べるといい。伊勢の注記は一貫して女を説明するためにしている。男を説明しようとはしていない。その中で、39段末尾に「至は順が祖父なり。みこの本意なし」というのがあるが、この親族関係の説明は、39段本文及び物語全体に全くかかわりがない(至は葬式で空気を読めない道化で一段限りの端役)。よってこれだけは伊勢を古今後に回す意図の付加である。伊勢で明示された人物(国経・有常・常行・行平等)は全て六歌仙時代の人物。帝も全て800年代。例外はない。911年に生まれた順が至の孫でそれが何だ。これが典型的な後付け。しかるに本段末尾は物語の核心的人物の説明で3~6段で一連一体をなす構造になっている。それを他人の注記と思われる? 思われるではなく思いたいの誤りだろう。

 6段の肝心は「露」=「白玉」の解釈。これは人に言えない男の涙。それを真珠と決めつける。これこそ業平昔男一方的みなし認定の浅はかな世界観の限界。紫式部に伊勢の海の深き心の伊勢物語とされ圧倒的影響を誇った伊勢を、題材にしやすかったのだろうとか、単なる色恋と貶めるのは和歌と文学を愚弄している(すっぱいぶどう)。女は露を知らなかった? どれだけ人を馬鹿にした見立てなのか。草の上に「置いた」露とは何かという問いかけ。伊勢は歌物語だから草の上に置いた露とは物理的な露ではない。白玉は白露(105段)。伊勢は子供向けの本ではない。男女の話。読者対象は伊勢の御や紫のような層。真珠のことだという文脈はどこにある? これが肝心ほど考えさせない暗記教育。肝心ほどドグマ。伊勢の海ならともかく芥河のどこから真珠が出てくる。言葉に一つの意味しか見れないのは和歌のいろはを知らない。うゐを有為などとし、かな和歌物語の始祖、千年残って教科書にのり続けるレベルを自分が上回っていると思える。そのような言説を見るたび唖然とする。

 

 目次
 

あらすじ(大意)
 
芥川×ウジ川=淀川(広義の芥河=淀川。狭義の芥河(芥川)=鴨川。京の外縁を通った話)

 

原文
 

現代語訳(逐語解説)

 

 むかし男(基本著者)
 

 よばひわたり(業平みたいな話)
 

 芥河といふ河(鴨川=京の外縁)
 

 ゆくさきおほく(遠く?)
 

露をかれはなにぞとなむ男に問ひ:草の上に置きたりける露=男がそっと落とした涙。だからその問いには答えない。水滴が? ああこれは露です。
 

 あばらなる倉(4段のあばらなる板敷とリンク)
 

 鬼一口に食ひて
 

 あなや(あ!?なんや! あ!くったわ!)

 

 神鳴る騒ぎ(るせーな。カミナリおとされました用法。象徴表現)

 

 足ずりをして泣けどもかひなし(子供の描写で上記解釈の根拠とする。前段の「わらべのふみあけたる築泥のくづれ」も同旨)
 

白玉かなにぞと人の問ひし時(この回想を人に物語った時) 露って何? 白玉。白玉って何? だから露。露知らず? それで白露(105段)

 真珠? なんで断定? 多義的な詞ですが? しかも最初の問いは露ですが? 露で真珠? ない。近視眼的というか超乱視。その集大成が業平認定。

 これは涙。でなきゃ最後にいみじう泣く人が出現するのはどういう文脈だよ。人は誰とは書いてない。なんで二条の后? 業平が拒絶されたら都合が悪いから他人の注? どんな注だよ。

 

 末尾の補足

 結論先出し後説明は単一段でも全体でも伊勢の一貫したスタンス。それを別人の補足とするのは作品に最低限の敬意を欠く破壊工作。伊勢特有の言葉のずらしとぼかしながら端的な断言調は他に類はない。けりは伝聞じゃない。昔男が自分語り他人事として描写しているだけ。伝聞のようにしても伝聞ではない。竹取も名称はともかく中身はオリジナル。伊勢も内実はほぼ自分語りだから当初は日記とみなされていた。
 
・二条の后(藤原高子。842-910。4段のこころざし深かりける人。昔男=二条の后に仕うまつる男(95段)=文屋がパシらされ歌を詠んで泣く枠組み)

・のいとこの女御藤原たかきこ(?-858)

 77段女御、多賀幾子…失せ給ひて」78段多賀幾子と申す女御おはしましけり。失せ給ひて」)。この人が4段で他に隠れた「西の対に住む人」と解する。

 伊勢物語で実名の女御は彼女だけ、二回も実名が明示された女性も彼女だけ。伊勢を語る上で彼女が特別でないことはありえない。

 858年没=二条の后16歳の頃。后の入内は25歳とされる。

 このいとこは藤原明子(829-900)ではない。多賀幾子に比し伊勢上に根拠がなく、4段で人が隠れる文脈とも相容れない。かつ明子は858年の子の清和即位で后になる。先の后である明子(清和の母)を二条の后(清和の妻)と並べて女御と呼称することはない。そして二条の后としている以上、高子の子・陽成即位(877年)以降の記述であり、明子が后になる前の858年以前を基準にした記述ではない。もう十分だろう。

 
 せうとの介入(二条の后の兄二人)
 ↑
 
 

 95段(彦星)では「二条の后に仕うまつる男」が后に歌物語をする。これが4段の構図。その根拠は以下の通り。
 96段(天の逆手)が5段のせうと介入で対応。伊勢で「せうと」は5~6段と96段にしかない。

 97段(四十の賀)では「堀河大臣」。この大臣も6段と97段の二つの段しかない。
 
 構図を示すとこうなる。
 
 4段(こころざし深かりける人+(それを描写する完全滅私の著者の歌)):95段(二条の后+に仕うまつる男)
 5段(二条の后+せうと):96段(女+かの男)

 6段(せうと=堀河大臣):97段(堀河大臣)
 
 このような符合はここだけではない。24段と94段(梓弓・紅葉も花も=妻の回想)、15段と115段(陸奥の女の回想)。
 そしてこのような構図は誰にも見出されていないから、これを意図したのは一人の著者。

 
 「二条の后に仕うまつる男」、それが縫殿=女所の文屋。古今で完全唯一、二条の后完全オリジナルの詞書を持つ文屋。
 伊勢物語の象徴の二条の后の完全オリジナルの詞書を唯一二つ持つ文屋こそ、完全オリジナルの伊勢の著者。という貫之の配慮。
 それを一方的に根拠なく業平とみなしているから、原形は905年以前で、後に古今などを引用しまくり増補したとか弄するになる。
 

あらすじ

 
 
 この段は、一見すると、男が女に長年夜這いして盗んで逃げ、芥河で鬼に襲われ、女を守ろうと蔵にいれてもくわれてしもた(あ、くったわ)という話だが、文字通りの鬼の話をしているわけではない。
 

 この話は、末尾の二条の后関連の補足で3段から6段まで一体をなし、二条の后が3段から続いて4段で東五条の西の対に通った時の話を受けたもの(二条の后の詞書は、文屋と業平のみ二首持ち古今でも特別に重視されている。素性一首は業平と完全同一)。他人の注とのレベルの違いは、39段(源の至)での本筋と全く関係ない単発の「至は順が祖父なり。みこの本意なし」という記述と比較すれば明らか。そしてそのような記述はその39段にしかなく、家名と知性を売りにする源順という歌人の面子、後撰の性質からも、古今の業平認定を維持するため、文章を言い訳できる程度に付加して伊勢を従属させる動機が十二分にある)。
 
 まだ幼い二条の后が、人目を忍んでいとこの見舞いに行っていたが、それが兄達にばれて大事になった(5段・関守)。この大事が、本段では問題になる。
 その騒動が業平の夜這いで駆け落ちとかいう現代まで至る噂話に膨らんだのは、本来どうでもよかったはずだった。
 
 本段末尾の解釈は、かなり難しい。

 「これは、二条の后のいとこの女御の御もとに仕うまつるやうにて ゐ給へりけるを、

 かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出でたりけるを、

 御せうと堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下臈にて内裏へまゐり給ふに、

 いみじう泣く人あるを聞きつけて、とゞめてとり返し給うてけり。それをかく鬼とはいふなりけり」
 

 冒頭「これは、二条の后のいとこの女御の御もとに仕うまつるやうにて」は、著者が完全に滅私させた表現で、伊勢で一貫して女達に仕えて難儀した、縫殿の文屋の目線。つまり「二条の后に仕うまつる男」(95段)。

 「かたちいとめでたく」は、いとこの女御。

 それを「盗みて負ひて出でたりける」は昔男(敬語もない)。

 それを「とゞめてとり返し給う」た「鬼」が下臈の二人。

 「いみじう泣く人」は、本段だけでは確定できないが、前段及び本段末尾の文脈からすると二条の后。泣いていたのは4段に関連する文脈。
 
 

 「むかし、ひんがしの五条に大后の宮おはしましける、西の対に住む人【=いとこ】ありけり。それをほいにはあらで、こころざし深かりける人【=二条の后】、ゆきとぶらひけるを、正月の十日ばかりのほどに、ほかにかくれにけり【他界した】」「またの年の睦月に梅の花ざかりに、去年を恋ひていきて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣て【定家本以外欠落】、あばらなる板敷に、月のかたぶくまでふせてりて、去年を思ひいでてよめる」
 

 この最後が、本段の「あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓、やなぐひを負ひて、戸口にをり」に対応している。

 つまり4段の描写は主たる二条の后目線で描かれており、6段は男目線になっている。付き人のボディーガード的役割を誇張した表現。それが39段や99段で女の車=二条の后の車に言い寄るお馬鹿な色好み(源至・業平)を撃退する話になる。
 
 

芥川(鴨川)×ウジ川=淀川

 
 
 芥川については、京や宮中のドブ川、現在の大阪府高槻市にある川など説があり固まってないようだが、 これは淀川水系の宇治川と並ぶ鴨川と解する。淀川は高槻を流れている。
 淀んだ川に掛けて芥川。ウジと合わせて芥(下水)。実際淀んでいたのか、みやびな茶が濁ってるのと関係あるかはわからない。どぶろくも関係あるかはわからない。
 伊勢では写本は一致して芥「河」なので、人工の排水路的なものではない。ガンジス川のような状態。
 

 補強証拠も示しておこう。
 「人をとくあくた川てふ 津の国のなにはたがはぬ」(大和物語139段・芥川)
 「また宇治へ狩りしになん行く」(大和140段・敷きかへず)
 この大和の用法を踏まえると、芥川は京中枢から難波津まで至る包括した一つの川になる。つまり京の垂れ流すものの皮肉が芥川。つまり権力権威に対して根本的に引いて見ている。だから(太政)大臣をあえて下臈と表現している。このような表現、例えば在五も当時の普通なんだと丸めると、文意が文字通り完全に骨抜きになる。そういうセンスで「在五」の「けぢめ見せぬ心」で堂々主人公とみなし美化している。
 

 まとめると、伊勢の用法は芥河=鴨川で(狭義の芥川)、大和の用法では淀川まで含む(広義の芥川)。
 

 そうして、上記のように4段と5段の文脈を素直に一体として見ると。東の五条から右に遠回りし、京の外に出て内裏の裏から行き来していたことの描写と見れる。小さな通用口・勝手口くらいはあるだろう。

 それを示唆しているのが、5段の「むかし男ありけり。ひんがしの五条わたりにいと忍びていきけり。みそかなる所なれば、門よりもえ入らで」
 勝手口は建物の裏方にあり台所(奥方)に通じているというのが、古来からの用法。
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第6段 芥河(川)
   
 むかし、男ありけり。  昔おとこありけり。  昔男有けり。
  女のえ得まじかりけるを、 女のえうまじかりけるを、 女のえあふまじかりけるを。
  年を経てよばひわたりけるを、 としをへてよばひわたりけるを、 年をへていひわたりけるに。
  からうじて からうじて からうじて女のこゝろあはせて
  盗み出でて、いと暗きにきけり ぬすみいでゝ、いとくらきにきけり。 ぬすみて出にけり。
   
  芥河といふ河を率ていきければ、 あくた河といふかはをゐていきければ、 あくた河といふ河をゐていきければ。
  草のうへにおきたりける露を、 くさのうへにをきたりけるつゆを、 草のうへにをきたる露を。
  かれは何ぞとなむ男に問ひける。 かれはなにぞとなむおとこにとひける。 かれはなにぞとなん男にとひける。
       
  ゆくさきおほく、夜もふけにければ、 ゆくさきおほく、夜もふけにければ、 ゆくさきはいととほく。夜も更ければ。
  鬼ある所とも知らで、 おにある所ともしらで、 おにある所ともしらで。
  神さへいといみじう鳴り、 神さへいといみじうなり、 雨いたうふり。
  雨もいたう降りければ、 あめもいたうふりければ、 神さへいといみじうなりければ。
  あばらなる蔵に、 あばらなるくらに、 あばらなるくらの有けるに。
  女をば奥におし入れて、 女をばおくにをしいれて、 女をばおくにおしいれて。
  男、弓、やなぐひを負ひて、 おとこ、ゆみ、やなぐひをおひて、 男は弓やなぐひをおひて。
  戸口にをり。 とぐちにをり。 とぐちに。
       
  はや夜も明けなむ はや夜もあけなむ はや夜もあけなむ
  と思ひつゝゐたりけるに、 と思つゝゐたりけるに、 とおもひつゝゐたりけるほどに。
  鬼一口に食ひてけり。 おにはやひとくちにくひてけり。 はや女をばひとくちにくひてけり。
  あなやといひけれど、 あなやといひけれど、 あゝやといひけれど。
  神鳴る騒ぎにえ聞かざりけり。 神なるさはぎにえきかざりけり。 神のなるさはぎにえきかざりけり。
       
  やうやう夜も明けゆくに、 やうやう夜もあけゆくに、 やう〳〵夜の明行を見れば。
  見れば、率て来し女もなし。 見ればゐてこし女もなし。 ゐてこし女なし。
  足ずりをして泣けどもかひなし。 あしずりをしてなけどもかひなし。 あしずりしてなけどかひなし。
       
♪7  白玉か
 なにぞと人の問ひし時
 しらたまか
 なにぞと人のとひし時
 白玉か
 何そと人のとひし時
  露とこたへて
  消えなましものを
  つゆとこたへて
  きえなましものを
  露とこたへて
  けなましものを
       
   これは、二条の后の、  これは、二条のきさきの、  これはニ條の后の。
  いとこの女御の御もとに、 いとこの女御の御もとに、 御いとこの女御のもとに。
  仕うまつるやうにて つかうまつるやうにて つかうまつり[る歟]人のやうにて。
  ゐ給へりけるを、 ゐたまへりけるを、 ゐ給へりけるを。
  かたちのいとめでたくおはしければ、 かたちのいとめでたくおはしければ、 かたちのいとめでたうおはしければ。
  盗みて負ひて出でたりけるを、 ぬすみておひていでたりけるを、 ぬすみていでたりけるを。
  御せうと堀河の大臣、 御せうとほりかはのおとゞ、 御せうとのほり河の大將もとつねの
  太郎国経の大納言、 たらうくにつねの大納言、 くにつねの大納言などの
  まだ下臈にて内裏へまゐり給ふに、 まだ下らうにて内へまいりたまふに、 いまだげらうにて內へまいり給ふに。
  いみじう泣く人あるを聞きつけて、 いみじうなく人あるをきゝつけて、 いみじうなく人のあるを聞つけて。
  とゞめてとり返し給うてけり。 とゞめてとりかへしたまうてけり。 とりかへしたまひてけり。
  それをかく鬼とはいふなりけり。 それをかくおにとはいふなり。 それをかくおにとはいへる也。
       
  まだいと若うて まだいとわかうて、 いまだいとわかうて。
  后のたゞにおはしける時とや。 きさきのたゞにおはしましける時とや。 たゞにきさひのおはしけるときとや。
   

現代語訳

 

むかし男

むかし、男ありけり。
女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きにきけり。

 
むかし、男ありけり
 むかし、男がいた。
 
 まず「女」と「人」の解釈。人が二条の后。女は「いとこの女御」。それを記した男は、95段「二条の后に仕うまつる男」~98段「太政大臣と聞ゆるおはしけり。仕うまつる男」。つまり後宮に仕えた文屋が昔男。だから女社会と数えきれない女達の生きざまを描いている(19段・31段・39段・63段・65段・77段等)。5段末尾の「世の聞え」が大体本段の内容、現代まで続く業平ロマンス(?)
 

よばひわたり(業平評)

 
女のえ得まじかりけるを
 女が手に入れられないのを
 
 この女は末尾の「二条の后のいとこ」に対応する。
 

年を経てよばひわたりけるを
 年を経て夜這いし続けていたのを
 

からうじて盗み出でて
 かろうじて盗みだして
 
 塗籠は「からうじて女のこゝろあはせて」とするが、言葉の方向が真逆。かつ陳腐な内容で、写本と最早いえない。
 

いと暗きにきけり
 とても暗い所にきた。
 
 塗籠は欠落。
 
 

芥河といふ河(鴨川)

芥河といふ河を率ていきければ、草のうへにおきたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。

 
芥河といふ河を率ていきければ
 芥河という河を連れて行ったところ
 
 鴨川という認定は上述。前段までの流れで淀川はない。


 

露=涙

 
草のうへにおきたりける露を
 草の上においていた露を
 
 草の上に置いた露で、そっと落とした男の涙。

 

かれは何ぞとなむ男に問ひける
 これはなんぞと男に問いました
 
 これが本段の正面からの解釈問題。だから六歌仙の名がある。そしてこれを解せるのが和歌のセンス。
  

 

ゆくさきおほく

ゆくさきおほく、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、
あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓、やなぐひを負ひて、戸口にをり。

 
ゆくさきおほく、夜もふけにければ
 行く先多く、夜も更けてしまったので
 
 一般に遠くとされるが、伊勢では一字一句違いは意識されている(神さへいといみじう鳴り:神鳴る騒ぎ)。

 安易に自分達の視点で丸めない。遠くと解して、どこに行く宛てがあるのか。他作品ならともかく、伊勢では細心の注意を払わねばならない。
 男には行かなければならない先が多いとみる。つまりこれが露こと涙の間接的な説明。
 

あばらなる倉

 
鬼ある所とも知らで
 鬼のいる所とも知らないで
 

神さへいといみじう鳴り
 雷さえとても激しく鳴り
 
 ※意図的な省略。
 

雨もいたう降りければ
 雨もとても降っていたので
 

あばらなる蔵に
 荒れ果てた蔵に
 
 「あばらなる(板敷)」(4段)参照。この言葉は4段とこの6段にしかない。
 
 

女をば奥におし入れて
 女を奥におし入れて
 

男、弓、やなぐひを負ひて、戸口にをり
 男、弓とやなぐいを背負って、戸口にいた。
 
 やなぐいは矢を入れる筒状のもの。
 
 

鬼一口に食ひて

はや夜も明けなむと思ひつゝゐたりけるに、鬼一口に食ひてけり

 
はや夜も明けなむ
 早く夜も明けてくれ
 

と思ひつゝゐたりけるに
 と思いつつ、いたところ
 

鬼一口に食ひてけり
 鬼が一口に食ってしまった。
 
 
 

あなや

「あなや」といひけれど、神鳴る騒ぎにえ聞かざりけり。
やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。

 
あなやといひけれど
 あ?なんや!と言ったけれど
 
 

神鳴る騒ぎ

 
神鳴る騒ぎにえ聞かざりけり
 雷騒ぎで、何も聞かれんかった。
 
 つまり鬼(大臣・大納言)が女をとどめてとり返して怒っている。
 

やうやう夜も明けゆくに
 だんだん夜も明けてきて
 

見れば、率て来し女もなし
 見ると、つれて来た女もいない
 
 

足ずりをして泣けども

 
足ずりをして泣けどもかひなし
 地団駄踏んで泣いたが甲斐なし。
 
 これは誇張表現の強調。つまり怒られた。
 

白玉の歌

白玉か なにぞと人の問ひし時
露とこたへて消えなましものを

 
白玉かなにぞと人の問ひし時
 白玉とは何ぞと人の問うた時

 

 この白玉は冒頭の「草のうへにおきたりける露を、かれは何ぞとなむ男に問ひける」とリンクしているので、露のことで真珠ではない。そもそもここで突如文脈が戻って歌になり、かつ女ではなく人になる。よって当然のように「女」が問うたわけではない。その情況のことを聞いてはいるが、聞いたのは他の人。

 万葉では真珠を白珠とする歌も複数あるが、ここでの文脈は露に掛けているのだから真珠ではありえない。それにどう見ても視力がおかしいだろう。見立てが頓珍漢なのは伊勢のせいじゃない。
  白玉は冒頭の露に掛けた表現だから、白玉は白露と同じで、つまり涙。

 「白露は けなば けななむ 消えずとて 玉にぬくべき人もあらじを」(105段)

 「白玉は人に知らえず知らずともよし 知らずとも我れし知れらば知らずともよし」(万葉6/1018・元興寺僧)

 

 本段での「人」は二条の后と見るのが素直。違う人かもしれないが。
 

露とこたへて消えなましものを
 露と答えて消えたならいいものを
 
 涙も露のようにすぐ消えればいいのにね。

 

二条の后といとこ(高子とたかいこ)

これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給へりけるを、
かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出でたりけるを、
御せうと堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下臈にて内裏へまゐり給ふに、
いみじう泣く人あるを聞きつけて、とゞめてとり返し給うてけり。
それをかく鬼とはいふなりけり。

まだいと若うて后のたゞにおはしける時とや。

 
これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに仕うまつるやうにて ゐ給へりけるを
 これは、二条の后が、いとこの女御のもとに仕えなさるようにして居なさったのを
 

 この「いとこの女御」は当然のように藤原明子などとされるが、いとこ自体は複数いる。二条の后(藤原高子)とのかかりと没年から、藤原多賀幾子(?-858・文徳天皇女御・生母不詳)か。その法要が77段(安祥寺のみわざ)で描かれる。

 

 仕うまつる「やう」なので直接仕えてはいない。

 4段にはこうある。

 「むかし、ひんがしの五条に、大后の宮おはしましける、西の対に住む人ありけり。それをほいにはあらで、こころざし深かりける人、ゆきとぶらひけるを」

 

 

かたちのいとめでたくおはしければ
 
 

盗みて負ひて出でたりけるを
 
 

せうと(兄人二人)

 
御せうと堀河の大臣、太郎国経の大納言
 
 

まだ下臈にて内裏へまゐり給ふに
 

いみじう泣く人あるを聞きつけて
 やたら泣く人がいるのを聞きつけて

 
 この「いみじう泣く人」が誰か。二条の后かいとこの女御か、あるいは特定人ではない一般人。これが捜査のプロによるプロファイリングというものである。直後の二条の后の説明に人が抜け落ちているので、二条の后ではないかもしれない。
 
 泣く理由は想像できるが、それは他人には知る由もない。領る由ではない。そもそも古語に「領る由」は存在しない。業平的文脈を無理に作り出すだすため「領る」を当て、それが場当たり的定義ではないと正当化するため、徒然の「しだのなにがしとかやしる所なれば」(丹波に出雲といふ所)に代入された。後者は不知と知(なにがしとかや=ようしらんのが)で並べている。
 

とゞめてとり返し給うてけり
 とどめて、取返しなされた
 

 とどめて:とがめて

 とり返し:確保し元の所に返した

 

 

鬼(下臈)

 
それをかく鬼とはいふなりけり
 それをこのように鬼と言ったのだ。

 

 つまり本段はたとえ話。
 「けり」を、過去+伝聞で「だそうだ」、詠嘆で「だった(のだなあ)」と分けるのはおかしい。「た」「だ」で足りる。一つの音でも一連の文脈でニュアンスの違いがでるのであり、補って自分達の分類におしこめるのは読者や学者の越権行為。そもそもけりは伝聞という分類自体が、思い込みに基づく誤解。竹取は明らかな創作で(屋上に千人など自由に事実を設定できる)、聞いた話を記しているのではない。伊勢は表記上他人目線の伝聞形式ではあるものの、中身に入ると明らかに昔男が直接体験した内容を書いている(だから当初は在五日記とされていた)。時代を経て、伊勢を通して読んだこともない人の伝聞が重なり、そういう他人の答えが与えられないと意味も理解できない人が増えるにつれ、それらのセンスで、自分達と同じ伝聞なんだとされるようになったのである。

 自分の叙述を客観的事実(証明対象事実)とする記述は伝聞でも、著者の心理描写(在五・けぢめ見せぬ心)を表す場合は伝聞ではない(そもそも在五自体、大和や更級の在中将と比較して心理的要素を含む。つまり五男は明示する必要がなく在五は侮蔑的。源氏の在五も侮蔑的。それは意図している)。

 き・けりは、どちらも過去。場合によりニュアンスの違いが生じても、それを伝聞か直接体験かで区分するのは不正確。

 

まだいと若うて后のたゞにおはしける時とや
 まだとても若うて后がただでいらした時とか。
 
 「后のたゞ」は、3段の「二条の后のまだ帝にも仕うまつりたまはで、たゞ人にておはしましける時のことなり」を受けており意図的な表現。単なるただ人の省略とは限らない。

 「とや」は、「とかいうことだ」という訳があてられるが、字義上「いうことだ」までない。最後の断定「だ」一文字でニュアンスも変わる。
 「とや(とか)」で終わらせることで、かなりぼかしている。
 


 
「あの方は何も盗らなかったわ。私のために闘ってくださったんです」
「いや、ヤツはとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」
 

 この文脈は伊勢の理解に大いに役に立つ。女を守って脱出させる仕事(ミッション)。

 

「ヨーロッパの小国カリオストロ公国。偽札の噂が絶えないこの国へやって来たルパン三世【盗人】は、悪漢【=鬼】に追われる1人の少女を助けるが、彼女は再び連れ去られてしまう。カリオストロ公国の大公家のひとり娘であった彼女は、強引に結婚を迫る伯爵によって城に幽閉されていたのだ。そして、ルパンは既に忍び込んでいた不二子の手引きで城に潜入する」(カリオストロの城 あらすじ グーグルスニペットより)

 

 不二子は二条の后(高子)。この目線で「女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて」を見る。

 不二子とルパンは、男女関係をネタにしあう仕事仲間。彼女は金を愛し女を売り物にするナイスバディ。しかしたまにシリアスになる時もある。口癖は「お願い、助けてルパ~ン」(こんなこと頼めるのアナタしかいないの~)。それが96段(天の逆手)の内容(女に会いに来た輩の対応をまかされる)。

 

 二条の后を助ける責務を負っていた歌人は文屋のみ。その客観的証拠があるのも文屋だけ。伊勢を記したからこそ歌仙の称号がある。小町以外は全部貴族社会の面子を保つためのおまけ。小町は相棒。同じ縫殿だから小町針。それ以外その呼称がなぜあるというのか。