枕草子74段 懸想人にて来たるは

しのびたる所 枕草子
上巻中
74段
懸想人
ありがたき

(旧)大系:74段
新大系:71段、新編全集:71段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:76段
 

能因本段冒頭:懸想文にて来たるは


 
 懸想人にて来たるはいふべきにもあらず、ただうち語らふも、また、さしもあらねど、おのづから来などもする人の、簾の内に人々あまたありて物などいふに、ゐ入りてとみも帰りげもなきを、供なるをのこ、童など、とかくさしのぞき、けしき見るに、「斧の柄も朽ちぬべきなめり」と、いとむつかしかめれば、長やかにうちあくびて、みそかに思ひていふらめど、「あなわびし。煩悩苦悩かな。夜は夜中になりぬらむかし」といひたる、いみじう心づきなし。かのいふ者は、ともかくおぼえず、このゐたる人こそ、をかしと見え聞こえつることも、失するやうにおぼゆれ。
 

 また、さいと色に出でてはえいはず、「あな」と高やかにうちいひ、うめきたるも、「下行く水の」といとほし。
 

 立蔀、透垣などのもとにて、「雨降りぬべし」など聞こえごつもいとにくし。いとよき人の御供人などは、さもなし。君達などのほどはよろし。それより下れる際は、みなさやうにぞある。あまたあらむ中にも、心ばへ見てぞ率てありかまほしき。