伊勢物語 73段:月のうちの桂 あらすじ・原文・現代語訳

第72段
大淀の松
伊勢物語
第三部
第73段
月のうちの桂
第74段
岩根ふみ

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 むかし、
 そこにいるとは聞くが、そこにいるかと自ら行くことも言うこともできない、女の方(伊勢斎宮)を思って。
 

 目には見て 手にはとられぬ 月のうちの 桂の如き 君にぞありける
 

 桂とは、月の内にある理想の木。その木にかけて好きなる気持ちを歌います。
 
 伊勢のむかし男による
 「いくら愛でても手の届かない君」
 

 ん~月並み? これは送らんでよし。
 
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第73段 月のうちの桂
   
   むかし、そこにはありと聞けど、  昔、そこにはありときけど、  むかし。そこにありときゝけれど。
  せうそこをだにいふべくもあらぬ せうそこをだにいふべくもあらぬ せうそこをだにいふべくもあらぬ
女のあたりを思ひける。 女のあたりを思ひける。 女のあたりをありきて。男のおもひける。
       

133
 目には見て
 手にはとられぬ月のうちの
 めには見て
 手にはとられぬ月のうちの
 ありとみて
 手にはとられぬ月のうちの
  桂の如き
  君にぞありける
  かつらごとき
  きみにぞありける
  桂男の(のことく一本)
  君にも有かな
   

現代語訳

 
 

むかし、そこにはありと聞けど、
せうそこをだにいふべくもあらぬ女のあたりを思ひける。
 
目には見て 手にはとられぬ 月のうちの
 桂の如き 君にぞありける

 
 
むかし
 むかし
 

そこにはありと聞けど
 そこにいるとは聞くが
 

せうそこをだにいふべくもあらぬ
 そこにいるかと言うことも、そこに行くこともできない
 
 せうそこ 【消息】
 ①手紙。便り。
 ②訪問。取次ぎの依頼。
 
 全て含めた用法。先の「そこ」とかけている。
 

女のあたりを思ひける
 女の方を思って。
 
 「あたり」は、方向とかけて、ある女の方(人)。ぼかしている。「月のおぼろなる」(69段)
 
 つまり69段からの流れで伊勢斎宮。仕事でないと会えない、便りも出せない間柄。(業平は関係ない)
 

目には見て 手にはとられぬ
 目で見ても、手にはとれない
 

月のうちの
 月の内にかけて、好きな気持ちを歌います(破格)
 

桂の如き 君にぞありける
 桂のごとき 手が届かない君。
 
 かつら 【桂】
 :中国の伝説で、月の中にあるという高い理想を表す木。
 
 その心は、いくら目で愛でても手にとれない(抱けない)。
 
 
 ~
 
 
 だから業平が斎宮に手をかけたとか、子を仕込んだとかいう極まった話はただの妄想。伊勢に乗じた汚れた売名行為。
 主人公は、斎宮と寝ていない。肝心の伊勢にそう書いてある。根拠すらどうでもいいただの自称、それを妄想という。