枕草子135段 故殿の御ために

官得はじめ 枕草子
中巻上
135段
故殿の
頭の弁の職

(旧)大系:135段
新大系:128段、新編全集:129段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:138段
 


 
 故殿の御ために、月ごとの十日、経、仏など供養ぜさせ給ひしを、九月十日、職の御曹司にてせさせ給ふ。上達部、殿上人いとおほかり。清範、講師にて、説くこと、はたいとかなしければ、ことにもののあはれ深かるまじきわかき人々、みな泣くめり。
 

 果てて、酒飲み、詩誦しなどするに、頭の中将斉信の君の、「月秋と期して身いづくか」といふことをうちいだし給へりし、はたいみじうめでたし。いかで、さは思ひ出で給ひけむ。
 

 おはします所に、わけ参るほどに、立ち出でさせ給ひて、「めでたしな。いみじう、今日の料にいひたりけることにこそあれ」と宣はすれば、「それ啓しにとて、もの見さして参り侍りつるなり。なほいとめでたくこそおぼえ侍りつれ」と啓すれば、「まいて、さおぼゆらむかし」と仰せらる。
 

 わざと呼びも出で、逢ふ所ごとにては、「などか、まろを、まことにちかくなむおぼゆる。かばかし年ごろになりぬる得意の、うとくてやむはなし。殿上などに、あけくれなき折もあらば、何事をか思ひ出でにせむ」と宣へば、
 「さらなり。かたかるべきことにもあらぬを、さもあらむのちには、えほめたてまつらざらむが、くちをしきなり。上の御前などにても、やくとあづかりてほめきこゆるに、いかでか。ただおはせかし。かたはらいたく、心の鬼出で来て、いひにくくなり侍りなむ」といへば、
 「などて。さる人をしもこそ、めよりほかに、ほむるたぐひあれ」と宣へば、
 「それがにくからずおぼえばこそあらめ。男も女も、けぢかき人おもひかたき、ほめ、人のいささかあしきことなどいへば、腹立ちなどするが、わびしうおぼゆるなり」といへば、「たのもしげなのことや」と宣ふも、いとをかし。