古事記~八十神の迫害① 原文対訳

因幡の白兎 古事記
上巻 第三部
大国主の物語
八十神の迫害①
迫害②
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
於是八上比賣。  ここに八上やがみ比賣、 兎の言つた通り、ヤガミ姫は
答八十神。 八十神に答へて言はく、 大勢の神に答えて
言吾者不聞
汝等之言。
「吾は汝たちの言を聞かじ、 「わたくしはあなたたちの言う事は聞きません。
將嫁
大穴牟遲神。
大穴牟遲の神に
嫁あはむ」といひき。
大國主の命と
結婚しようと思います」と言いました。
     
故。爾八十神怒。  かれここに八十神忿いかりて、 そこで大勢の神が怒つて、
欲殺大穴牟遲神。 大穴牟遲の神を殺さむと 大國主の命を殺そうと
共議而。 あひ議はかりて、 相談して
至伯岐國之
手間山本云。
伯伎ははきの國の
手間てまの山本に至りて云はく、
伯耆ほうきの國の
テマの山本に行つて言いますには、
赤猪在此山。 「この山に赤猪あかゐあり、 「この山には赤い猪いのししがいる。
故和禮
〈此二字以音〉
共追
下者。
かれ我
どち追ひ
下しなば、
わたしたちが
追い
下くだすから
汝待取。 汝待ち取れ。 お前が待ちうけて捕えろ。
若不待取者。 もし待ち取らずは、 もしそうしないと、
必將殺汝云而。 かならず汝を殺さむ」といひて、 きつとお前を殺してしまう」と言つて、
以火燒似猪大石而。 火もちて猪に似たる大石を燒きて、 猪いのししに似ている大きな石を火で燒いて
轉落。 轉まろばし落しき。 轉ころがし落しました。
     
爾追下取時。 ここに追ひ下し取る時に、 そこで追い下して取ろうとする時に、
即於
其石所燒著
而死。
すなはち
その石に燒き著つかえて
死うせたまひき。
その石に燒きつかれて
死んでしまいました。
     

其御祖命
哭患而。
ここに
その御祖みおやの命
哭き患へて、
そこで
母の神が
泣き悲しんで、
參上于天。 天にまゐ上のぼりて、 天に上つて行つて
請神產巢日之命時。 神産巣日かむむすびの命に
請まをしたまふ時に、
カムムスビの神のもとに
參りましたので、

遣𧏛貝比賣
與蛤貝比賣。
𧏛貝きさがひ比賣と
蛤貝うむがひ比賣とを
遣りて、
赤貝姫あかがいひめと
蛤貝姫はまぐりひめとを
遣やつて
令作活。 作り活かさしめたまひき。 生き還らしめなさいました。
     
爾𧏛貝比賣
岐佐宜
〈此三字以音〉
集而。
ここに𧏛貝比賣
きさげ
集めて、
それで赤貝姫が
汁しるを搾しぼり
集あつめ、
蛤貝比賣
持人而。
蛤貝比賣
待ち承うけて、
蛤貝姫が
これを受けて

母乳汁者。
母おもの乳汁ちしると
塗りしかば、
母の乳汁として
塗りましたから、
成麗壯夫
〈訓壯夫。
云袁等古〉而。
麗うるはしき
壯夫
をとこになりて
りつぱな男になつて
出遊行。 出であるきき。 出歩であるくようになりました。

 

因幡の白兎 古事記
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八十神の迫害①
迫害②

解説:転生の暗示

 
 
 ここで大国主は死んで復活しているが、これがカミムスビの神による、後の根の国のスサノオの描写につながる(地獄を見て帰ってきた。根はその意味)。
 乳汁は、一度死んで子どもからやり直した、つまり転生したことの例え。
 蛤貝をうむがひとしているのも、名前が沢山あるというのもそういう表現。直後の内容で木の俣から逃げたというのも、無名の者として生まれたという意味。
 
 壮夫でオトコと読ませるのは、大丈夫という意味(大丈夫=一人前の男)。
 それで出歩くようになった(成袁等古而、出遊行)。というのも、元の体で回復した、というより転生により再び成長したという意味。
 
 二つの貝姫とかハマグリとか汁というのは、麗しいオトコとあわせ、貝合わせ(ヒメごと)の暗示。
 大人になる儀式。その知る知る行為を知ってオトコになった。
 𧏛貝(キサガイ)というのは良くわからない。赤貝ではないともいう。しかし良くわからない意味の言葉、上記の文脈で、そういう意味と思う。
 

 ちなみに、ここでは「御祖命」と造化三神の「神產巢日(カミムスビ)」が別々のように描かれているが、これは分身が本体に念じたという意味。
 御祖命は、神產巢日にしか掛からない。したがって、おやといっても大国主のではなく神々の母という意味。神々の母と普通目されるのは天照。
 つまり、天照はカミムスビの分身(分神、分霊)。
 天照のみが別格とされているので、三貴子の関係は至高の三神が地に反転投影した状態(真逆)。だから天照が武装し、スサノオが鳴いている。
 
 つまり天照は、あれほど滅茶苦茶にクサしてきたスサノオでも、追放されたその行く末(末裔)を案じていた。