古事記 當岐麻道の歌~原文対訳

墨江中王の反乱 古事記
下巻②
17代 履中天皇
當岐麻道の歌
曾婆加理の悲劇
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
故到幸大坂
山口之時。
 かれ大坂の
山口に到りましし時に、
 かくて二上山ふたかみやまの
大坂の
山口においでになりました時に、
遇一女人。 女人をみな遇へり。 一人の女が來ました。
其女人白之。 その女人の白さく、 その女の申しますには、
     
持兵人等。 「兵つはものを持てる人ども、 「武器を持つた人たちが
多塞茲山。 多さはにこの山を塞さへたれば、 大勢この山を塞いでおります。
自當岐麻道。 當岐麻道たぎまぢより廻りて、 當麻路たぎまじから廻つて、
廻應越幸。 越え幸でますべし」
とまをしき。
越えておいでなさいませ」
と申し上げました。
     

難波でナンパ・奈の良路

     
爾天皇歌曰。 ここに天皇歌よみしたまひしく、 依つて天皇の歌われました御歌は、
     
於富佐迦邇。 大坂に 大坂で
阿布夜袁登賣袁。 遇ふや孃子をとめを。 逢あつた孃子おとめ。
美知斗閇婆。 道問へば  道を問えば
多陀邇波能良受。 直ただには告のらず、 眞直まつすぐにとはいわないで
當藝麻知袁能流。 當岐麻路たぎまぢを告る。 當麻路たぎまじを教えた。
墨江中王の反乱 古事記
下巻②
17代 履中天皇
當岐麻道の歌
曾婆加理の悲劇

二上山=難波と奈良の境界

當岐麻道=二上山の下道