伊勢物語~原文全文・比較対照

 和歌一覧 伊勢物語
全文
第一部

 
 伊勢物語は原本が現存せず写本の乱立が特徴。定番の定家本系2本、傍系代表・塗籠本を対照する。
 125段からなる定家系で表現は大体固まっている。大意の把握には、この3本を見れば十分だろう。
 

 伊勢物語は表現が暗示的で、理解の敷居が高い。傍系はブレや付加が多いが、それを解釈に難をきたす部分の判別として用いる。

 定家本は約2万3千文字で原稿57枚。この点、竹取は1万9千の47枚で同様。他方で、源氏は80~90万字の2000枚。違いが際立つ。
 

 なお、いわゆる真名本は、記述を独自の漢字表記に置き換えた本で大変興味深いが、塗籠本同様、肝心な部分を独自に補う所が目立つ。

 表現が抽象的で最小限であることには複次的な意図があり、ただの言葉足らずではない。そういう視点で照らして見れば有意義と思う。
 

 もっと言えば、伊勢を読む際は定家のみが基本。傍系は書写とは言えない。全体の筋と相容れない付加細部の改変いくつも目立つ。
 したがって、そちらの記述を還元させて、成立や本筋を論じることはできない。それは誤り。
 

 その問題の典型かつ集大成が、114段。業平死後にしか存在しえない仁和の帝が出てくる内容。
 この段の塗籠本では、仁和が時系を無視して深草にされ(それで81段の後に組み替えられ)、行平の歌と、突如ここだけ挿入される。
 つまり、業平の流れを維持しようとする積極的捏造。言動させる帝は墓所表記にはせず、行平を出す時は二度も文中で明示している。
 にもかかわらず、論文等では、さも当然のように塗籠独自の記述(その前提となる後撰の認定、大元の古今の認定)が前提とされる。
 
 このような大きな改変自体、大元の業平認定に根拠がないことの証左。写本という体をなさず、全体の記述の信頼性はほぼ全くない。
 他方で、定家は微妙な箇所でも改変しない。
 

 定家が106段「ちはやぶる」を百人一首に採用したのは、伊勢は業平の話ではない=主人公ではないと分かったから、という他ない。
 業平作とされた古今の歌で、唯一伊勢中にない詞書の歌。二条の后と一体化させた屏風。伊勢に基づく言葉の意図的な混濁で、占奪。
 
 著者以外で誰より伊勢を重んじ、言葉一つ一つに忠実だった定家が、伊勢を避ける趣旨の歌を選定した。業平を強く非難する物語後半の歌を。
 つまり業平は伊勢と相容れない。業平は歌を知らない(101段)。すると物語を分断させる見方があるが、あまりに伊勢の記述を軽視している。
 

 著者が業平を装っているとか、思慕しているとかは絶対ない。「在五…この人は思ふをも思はぬをも、けぢめみせぬ心なむありける」(63段
 「在原なりける男…例のこのみ曹司には人の見るをも知で…沓はとりて奥になげ入れ」(65段)、で「主人公を業平の異名で呼んでいる」と?
 全ての登場段で何度何度非難されているのに、悉くそのように歪曲される。それは、伊勢の歌への古今の業平認定があるから、以外にない。
 色んな角度から非難しているのは、当時から混同されたから勘違いされないよう、様々な風評(阿保でも歌は上手い等)に反論・拒絶している。
 

 伊勢の歌は、基本全て著者の作。万葉からの直接引用は一つもなく全てオリジナルにしているのに、それより後の歌を、悉くパクる動機がない。
 古今の認定は、二条絡みの風説(6段)に基づき伊勢を安易に業平の歌集とみなした。現状と同じ。その先後を取り違えるから説明が通らない。
 中身はよく知らない。古今の参照元に伊勢以外の物が確認されない以上そう解する他ない。そして、それは、伊勢の記述からして存在しえない。
 紫式部もこう解し、伊勢の著者を初段の陸奥の歌の作者とされる源の類と見たと(光源氏)。しかしその歌は、まず確実に著者の代作(81段)。
 
 
 

 目次
 

 ・章題目次 
 

 ・原文全文
 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
31 32 33 34 35 36 37 38 39 40
41 42 43 44 45 46 47 48 49 50
51 52 53 54 55 56 57 58 59 60
61 62 63 64 65 66 67 68 69 70
71 72 73 74 75 76 77 78 79 80
81 82 83 84 85 86 87 88 89 90
91 92 93 94 95 96 97 98 99 100
101 102 103 104 105 106 107 108 109 110
111 112 113 114 115 116 117 118 119 120
121 122 123 124 125

 
 
 

章題目次

 
 
 1:初冠 2:西の京(の女) 眺め暮しつ 3:ひじき藻 4:西の對(の女) 5:関守 築土の崩れ 6:芥河 7:かへる浪 尾張のあはひ 8:浅間の嶽 9:東下り 八橋 10:たのむの雁 みよし野 11:空ゆく月  12:武蔵野 13:武蔵鐙(あぶみ) 14:陸奥の国 15:しのぶ山  16:紀(の)有常 17:年にまれなる人 18:白菊 19:天雲のよそ  20:楓のもみぢ 21:思ふかひなき世 22:千夜を一夜 23:筒井筒 24:梓弓 25:逢はで寝る夜 26:もろこし舟 27:たらひの影 28:あふごかたみ  29:花の賀 30:はつかなりける女 31:忘草 よしや草葉よ 32:しづのをだまき(倭文の苧環) 33:こもり江 34:つれなかりける人 35:玉の緒を 合(あわ)緒によりて 36:玉葛 37:下紐 38:恋といふ 39:源の至 40:すける(物)思ひ あかぬわかれ 41:紫 上のきぬ 42:誰が通ひ路  43:名のみ立つ しでの田長  44:馬のはなむけ 45:行く蛍 46:うるはしき友 47:大幣 48:人待たむ里 49:若草 50:あだくらべ 鳥の子 51:前栽の菊 52:飾り粽(かざりちまき) 53:あひがたき女 54:つれなかりける女 55:思ひかけたる女 言の葉 56:草の庵 57:恋ひわびぬ 58:荒れたる宿 59:東山 60:花橘 61:染河 62:古の匂は こけるから  63:つくもがみ(髪) 64:玉すだれ(簾) 65:在原なりける男 66:みつの浦 67:花の林 68:住吉の浜 69:狩の使 70:あまの釣舟 71:神のいがき 72:大淀の松 73:月のうちの桂 74:重なる山 75:大淀の 海松(みる) 76:小塩の山 77:安祥寺のみわざ 78:山科の宮 79:千ひろあるかげ 80:おとろへたる家 81:塩釜 82:渚の院(の櫻)  83:小野(の雪) 84:さらぬ別れ 85:目離れせぬ雪 86:おのがさまざま 87:布引の滝(瀧) 88:月をもめでじ 89:なき名 人しれず 90:桜花 91:惜しめども 92:棚なし小舟 93:たかきいやしき 94:紅葉も花も 95:彦星 96:天の逆手(さかて) 97:四十の賀 98:梅の造り枝 99:ひをりの日 100:忘れ草 101:藤の花 102:あてなる女 世のうきこと 103:寢ぬる夜 104:賀茂の祭(見) 105:白露 106:龍田川 107:身を知る雨 藤原の敏行 108:浪こす岩 109:人こそあだに 110:魂結び 111:まだ見ぬ人 112:須磨のあま(蟹) 113:短き心 やもめにて(いて) 114:芹河に行幸(芹川行幸) 115:みやこしま(都島) おきの井 116:はまびさし(浜びさし)  117:住吉に行幸(住吉行幸) 118:たえぬ心(絶えぬ心) 玉葛 119:形見こそ 120:筑摩の祭 121:梅壷 122:井出の玉水 123:深草(にすみける女)(鶉) 124:われとひとしき人 125:つひにゆく道
 
 

 章段の区分や題は本によって違いがでるから、著者は記していなかったとみるのが素直。
 区分は一般的なものに従い、題名も、より通用していると思われるものを先にしている。
 

 大体の題は、特徴的な語句か和歌の(上の)句をそのまま抜粋しているが、違うのもある。
 例えば、東下り(9)、筒井筒(23)、渚の院(82)あたり。いずれも象徴的エピソード。
 つまり、これらの特別な部分のみ、題が付いていたことが考えられる。他の段ではブレるが、これらの部分はブレない。
 
 東下り・筒井筒などは、原文に一つもないのに、ここまで強く通用していることからもそう言える(この二つは古今で突出して最長の詞書をもつ)。
 古今1104で115段の「みやこしま」の題が墨滅され、同994で筒井筒の歌が「題しらす」になっているが、これは書写のばらつきによると考えられる。
 つまり完全匿名の著者が、ここまで影響をもたらす本を残すには、普通の手法はとっていない。
 二条の后に仕うまつる男(95段)、後宮の女達を世話する歌仙の縫殿の男、それが手持ち無沙汰の女達の手習がてら書写させた。定家もそうしたように。
 だからそのハーレムの力を借りて大量複写可能で、圧倒的影響力を誇り、女達が楽しめるよう色恋の内容なのである。そして飽きさせないように短い。
 
 短く濃縮した内容で手習いにするところは、いろは歌と同じ。だから同じ著者。それが自然。
 いろはを詠めるのは、実力的にこの人しかいない。凡人が突如傑作を詠むことは不可能。しかも自然の流れで超絶技巧の内容なら伊勢の著者しかいない。
 いろは・手習というのに、内容的には、極限に高度の内容・掛かりが含まれているのも同じ。
 
 

原文全文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
 

第1段 初冠

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男  むかし、おとこ、  むかしおとこありけり。
  初冠して、 うゐかうぶりして、 うゐかぶりして。
  奈良の京春日の里に、 ならの京、かすがのさとに、 ならの京かすがの里に
  しるよしして、狩りに往にけり。 しるよしゝて、かりにいにけり。 しるよしして。かりにいきけり。
 
  その里に、いとなまめいたる女 そのさとに、いとなまめいたるをむな 其さとに。いともなまめきたる女
  はらから住みけり。 はらからすみけり。 ばら[女はらからイ]すみけり。
  この男かいまみてけり。 このおとこかいまみてけり。 かのおとこかいま見てけり。
  思ほえず、ふる里に おもほえずふるさとに おもほえずふるさとに。
  いとはしたなくてありければ、 いとはしたなくてありければ、 いともはしたなくありければ。
  心地まどひにけり。 心地まどひにけり。 心ちまどひにけり。
 
  男の、着たりける狩衣の おとこのきたりけるかりぎぬの 男きたりけるかりぎぬの
  裾を切りて、 すそをきりて、 すそをきりて。
  歌を書きてやる。 うたをかきてやる。 うたをかきてやる。
  その男、 そのおとこ、 そのおとこ
  信夫摺の狩衣をなむ着たりける。 しのぶずりのかりぎぬをなむきたりける。 しのぶずりのかりぎぬをなんきたりける。
 

1
 春日野の若紫のすりごろも  かすがのゝわかむらさきのすり衣  かすかのゝ若紫の摺ころも
  しのぶの乱れかぎりしられず   しのぶのみだれかぎりしられず   しのふのみたれかきりしられす
 
  となむ追ひつきて言ひやりける。 となむをいづきていひやりける。  となん。をいつぎてやれりける。
  ついで
おもしろきことともや思ひけむ。
ついで
おもしろきことゝもやおもひけむ。
となんいひつぎてやれりける
おもしろきことゝや。
 

2
 陸奥のしのぶもぢ摺り誰ゆゑに  みちのくのしのぶもぢすりたれゆへに  陸奧に忍ふもちすりたれゆへに
  乱れそめにし我ならなくに   みだれそめにし我ならなくに   亂れそめけん我ならなくに
 
  といふ歌の心ばへなり。 といふ哥のこゝろばへ也。 といふうたのこゝろばへなり。
  昔人は、 むかし人は、 むかし人は。
  かくいちはやきみやびをなむしける。 かくいちはやき、みやびをなむしける。 かくいちはやきみやびをなんしける。
 
 

第2段 西の京(の女) 眺め暮しつ

  →〔あらすじ・解説
       
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  昔男ありけり。
      みやこのはじまりける時。
  奈良の京は離れ、 ならの京はゝなれ、 ならの京ははなれ。
  この京は この京は 此京は
  人の家まだ定まらざりける時に、 人のいゑまださだまらざりける時に、 人の家いまださだまらざりける時。
  西の京に女ありけり。 ゝしの京に女ありけり。 西京に女有けり。
 
  その女、世人にはまされりけり。 その女世人にはまされりけり。 其女世の人にはまさりたりけり。
  その人、 その人、  
  かたちよりは心なむまさりたりける。 かたちよりはこゝろなむまさりたりける。 かたちよりは心なんまされりける。
  ひとりのみもあらざりけらし。 ひとりのみもあらざりけらし、 人そのみも
[ひとりのみにもイ]あらざりけらし。
 
  それをかのまめ男、 それをかのまめおとこ、 それをかのまめ男
  うち物語らひて、 うちものがたらひて、 うち物かたらひて。
  帰り来て、いかゞ思ひけむ、 かへりきていかゞおもひけむ、 かへりきていかが思ひけん。
  時はやよひのついたち、 時はやよひのついたち、 時は彌生の朔日。
  雨そほふるにやりける。 あめそをふるにやりける。 雨うちそぼふりけるにやりける。
 

3
 起きもせず寝もせで夜を明かしては  おきもせずねもせでよるをあかしては  おきもせすねもせてよるを明しては
  春のものとて眺め暮しつ   はるのものとてながめくらしつ   春の物とて詠め暮しつ
 
 

第3段 ひじき藻

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  昔男ありけり。
  懸相じける女のもとに、 けさうじける女のもとに、 けさうしける女のもとに。
  ひじき藻といふものをやるとて、 ひじきもといふ物をやるとて、 ひじきといふものをやるとて。
 

4
 思ひあらば葎の宿にねもしなむ  おもひあらばむぐらのやどにねもしなむ  思あらは葎の宿にねもしなん
  ひじきのものには袖をしつゝも   ひじきものにはそでをしつゝも   ひしきものには袖をしつゝも
 
   二条の后の、  二条のきさきの、  五條[二條イ]の后の。
  まだ帝にも仕うまつりたまはで、 まだみかどにもつかうまつりたまはで、 いまだみかどにも。つかうまつらで。
  たゞ人にておはしましける時のことなり。 たゞ人にておはしましける時のことなり。 たゞ人にておはしけるときのことなり。
 
 

第四段 西の対(の女)

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、ひんがしの五条に、  むかし、ひむがしの五条に、  昔東五條に。
大后の宮おはしましける、 おほきさいの宮おはしましける おほきさいの宮のおはしましける
  西の対に住む人ありけり。 にしのたいに、すむ人ありけり。 西の對にすむ人ありけり。
 
  それをほいにはあらで、 それをほいにはあらで、 それをほいにはあらでゆきとぶらふ人。
  こころざし深かりける人、 心ざしふかゝりける人、 こゝろざしふかゝりけるを。
  ゆきとぶらひけるを、 ゆきとぶらひけるを、  
  正月の十日ばかりのほどに、 む月の十日許のほどに、 む月の十日あまり。
  ほかにかくれにけり。 ほかにかくれにけり。 ほかにかくれにけり。
 
  ありどころは聞けど、 ありどころはきけど、 ありどころはきけど。
  人のいき通ふべき所にも 人のいきかよふべき所にも 人のいきよるべきところにも
  あらざりければ、 あらざりければ、 あらざりければ。
  なほうしと思ひつゝなむありける。 なをうしとおもひつゝなむ有ける。 なをうしとおもひつゝなんありける。
 
  またの年の睦月に 又の年のむ月に、 又のとしのむ月に。
  梅の花ざかりに、 むめのはなざかりに、 梅花さかりなるに。
  去年を恋ひていきて、 こぞをこひていきて、 こぞを思ひて。
  立ちて見、ゐて見、見れど、 たちて見、ゐて見ゝれど、 かのにしのたいにいきて見れど。
  去年に似るべくもあらず。 こぞにゝるべくもあらず。 こぞににるベうもあらず。
  うち泣て、あばらなる板敷に、 あばらなるいたじきに あばらなるいたじきに。
  月のかたぶくまでふせてりて、 月のかたぶくまでふせりて、 月のかたむくまでふせりて。
  去年を思ひいでてよめる。 こぞを思いでゝよめる。 こぞをこひて讀る。
 

5
 月やあらぬ春や昔の春ならぬ  月やあらぬはるやむかしのはるならぬ  月やあらぬ春や昔の春ならぬ
  わが身は一つもとの身にして   わが身ひとつはもとの身にして   わか身一つはもとのみにして
 
  とよみて、 とよみて、  とよみて。
  夜のほのぼのと明くるに、 よのほのぼのとあくるに、 ほの〴〵とあくるに。
  泣く泣くかへりにけり。 なくなくかへりにけり。 なく〳〵かへりにけり。
 
 

第5段 関守 築土の崩れ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこ有けり。  昔男有けり。
  ひんがしの五条わたりに ひむがしの五条わたりに、 ひんがしの五條わたりに。
  いと忍びていきけり。 いとしのびていきけり。 いとしのびいきけり。
 
  みそかなる所なれば、 みそかなるところなれば、 しのぶ所なれば
  門よりもえ入らで、 かどよりもえいらで、 かどよりもいらで。
  わらべのふみあけたる わらはべのふみあけたる  
  築泥のくづれより、通ひけり。 ついひぢのくづれよりかよひけり。 ついぢのくづれよりかよひけり。
 
  人しげくもあらねど、 ひとしげくもあらねど、 人たかしくも[しげくもイ]あらねど。
  たび重なりければ、 たびかさなりければ、 たびかさなりければ。
  あるじ聞きつけて、 あるじきゝつけて、 あるじきゝつけて。
  その通ひ路に、 そのかよひぢに、 そのかよひぢに。
  夜毎に人をすゑて、まもらせければ、 夜ごとに人をすへてまもらせければ、 夜ごとに人をすへてまもらせければ。
  いけどもえ逢はでかへりけり。 いけどえあはでかへりけり。 かのおとこえあはでかへりにけり。
 
  さてよめる。 さてよめる。 さてつかはしける。
 

6
 人知れぬわが通ひ路の関守は  ひとしれぬわがゝよひぢのせきもりは  人しれぬわか通路の關守は
  宵々ごとにうちも寝ななむ   よひよひごどにうちもねなゝむ   よひ〳〵ことにうちもねなゝん
 
  とよめりければ、 とよめりければ とよみけるをきゝて。
  いといたう心やみけり。 いといたくこゝろやみけり。 いといたうえんじける。
  あるじゆえしてけり。 あるじゆるしてけり。 あるじゆるしてけり。
 
  二条の后に忍びてまゐりけるを、 二条のきさきにしのびてまいりけるを、  
  世の聞えありければ、 世のきこえありければ、  
  せうとたちのまもらせ給ひけるとぞ。 せうとたちのまもらせたまひけるとぞ。  
 
 

第6段 芥河(川)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  昔おとこありけり。  昔男有けり。
  女のえ得まじかりけるを、 女のえうまじかりけるを、 女のえあふまじかりけるを。
  年を経てよばひわたりけるを、 としをへてよばひわたりけるを、 年をへていひわたりけるに。
  からうじて からうじて からうじて女のこゝろあはせて。
  盗み出でて、いと暗きにきけり。 ぬすみいでゝ、いとくらきにきけり。 ぬすみて出にけり。
 
  芥河といふ河を率ていきければ、 あくた河といふかはをゐていきければ、 あくた河といふ河をゐていきければ。
  草のうへにおきたりける露を、 くさのうへにをきたりけるつゆを、 草のうへにをきたる露を。
  かれは何ぞとなむ男に問ひける。 かれはなにぞとなむおとこにとひける。 かれはなにぞとなん男にとひける。
 
  ゆくさきおほく、夜もふけにければ、 ゆくさきおほく、夜もふけにければ、 ゆくさきはいととほく。夜も更ければ。
  鬼ある所とも知らで、 おにある所ともしらで、 おにある所ともしらで。
  神さへいといみじう鳴り、 神さへいといみじうなり、 雨いたうふり。
  雨もいたう降りければ、 あめもいたうふりければ、 神さへいといみじうなりければ。
  あばらなる蔵に、 あばらなるくらに、 あばらなるくらの有けるに。
  女をば奥におし入れて、 女をばおくにをしいれて、 女をばおくにおしいれて。
  男、弓、やなぐひを負ひて、 おとこ、ゆみ、やなぐひをおひて、 男は弓やなぐひをおひて。
  戸口にをり。 とぐちにをり。 とぐちに。
 
  はや夜も明けなむ はや夜もあけなむ はや夜もあけなむ
  と思ひつゝゐたりけるに、 と思つゝゐたりけるに、 とおもひつゝゐたりけるほどに。
  鬼一口に食ひてけり。 おにはやひとくちにくひてけり。 鬼はや女をばひとくちにくひてけり。
  あなやといひけれど、 あなやといひけれど、 あゝやといひけれど。
  神鳴る騒ぎにえ聞かざりけり。 神なるさはぎにえきかざりけり。 神のなるさはぎにえきかざりけり。
 
  やうやう夜も明けゆくに、 やうやう夜もあけゆくに、 やう〳〵夜の明行を見れば。
  見れば、率て来し女もなし。 見ればゐてこし女もなし。 ゐてこし女なし。
  足ずりをして泣けどもかひなし。 あしずりをしてなけどもかひなし。 あしずりしてなけどかひなし。
 

7
 白玉かなにぞと人の問ひし時  しらたまかなにぞと人のとひし時  白玉か何そと人のとひし時
  露とこたへて消えなましものを   つゆとこたへてきえなましものを   露とこたへてけなましものを
 
   これは、二条の后の、  これは、二条のきさきの、  これはニ條の后の。
  いとこの女御の御もとに、 いとこの女御の御もとに、 御いとこの女御のもとに。
  仕うまつるやうにて つかうまつるやうにて つかうまつり[る歟]人のやうにて。
  ゐ給へりけるを、 ゐたまへりけるを、 ゐ給へりけるを。
  かたちのいとめでたくおはしければ、 かたちのいとめでたくおはしければ、 かたちのいとめでたうおはしければ。
  盗みて負ひて出でたりけるを、 ぬすみておひていでたりけるを、 ぬすみていでたりけるを。
  御せうと堀河の大臣、 御せうとほりかはのおとゞ、 御せうとのほり河の大將もとつねの。
  太郎国経の大納言、 たらうくにつねの大納言、 くにつねの大納言などの。
  まだ下臈にて内裏へまゐり給ふに、 まだ下らうにて内へまいりたまふに、 いまだげらうにて內へまいり給ふに。
  いみじう泣く人あるを聞きつけて、 いみじうなく人あるをきゝつけて、 いみじうなく人のあるを聞つけて。
  とゞめてとり返し給うてけり。 とゞめてとりかへしたまうてけり。 とりかへしたまひてけり。
  それをかく鬼とはいふなりけり。 それをかくおにとはいふなり。 それをかくおにとはいへる也。
 
  まだいと若うて まだいとわかうて、 いまだいとわかうて。
  后のたゞにおはしける時とや。 きさきのたゞにおはしましける時とや。 たゞにきさひのおはしけるときとや。
 
 

第7段 かへる浪 尾張のあはひ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  昔男ありけり。
  京にありわびて東にいきけるに、 京にありわびて、あづまにいきけるに、 京にありわびて。あづまへゆきけるに。
  伊勢・尾張のあはひの海づらを行くに、 伊勢おはりのあはひのうみづらをゆくに、 伊勢おはりのあはひの海づらをゆくに。
  浪のいと白くたつを見て、 なみのいとしろくたつを見て、 なみのいとしろくたちかへるを見て。
      おもふ事なきならねば。おとこ。
 

8
 いとゞしく過ぎ行く方の恋しきに  いとゞしくすぎゆく方のこひしきに  いとゝしく過行かたの戀しきに
  うらやましくもかへる浪かな   うらやましくもかへるなみ哉   うらやましくもかへる浪哉
 
  となむよめける。 となむよめりける。  
 
 

第8段 浅間の嶽

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。 むかし男ありけり。そのおとこ。
      身はようなきものに思ひなして。
  京や住み憂かりけむ、 京やすみうかりけむ、 京にはをらじ。
  あづまのかたにゆきて あづまのかたにゆきて、 あづまのかたに
  住み所もとむとて、 すみ所もとむとて、 すむべき所もとめにとてゆきけり。
  ともとする人、ひとりふたりしてゆきけり。 ともとする人ひとりふたりしてゆきけり。  
  信濃の国、浅間の嶽に、 しなのゝくに、あさまのたけに しなののくにあさまのたけに。
  けぶりの立つを見て、 けぶりのたつを見て、 けぶりたつを見て。
 

9
 信濃なる浅間の嶽にたつ煙  しなのなるあさまのたけにたつけぶり  しなのなる淺間のたけに立煙
  をちこち人の見やはとがめぬ   をちこちびとのみやはとがめぬ   をちかた人の見やはとかめぬ
 
 

第9段 東下り 八橋 から衣

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  むかし男ありけり。
  その男、身をえうなきものに思ひなして、 そのおとこ、身をえうなきものに思なして、 そのおとこ。身はようなきものに思ひなして。
  京にはあらじ。 京にはあらじ、 京にはをらじ。
  あづまの方に住むべき国もとめに あづまの方にすむべきくにもとめに あづまのかたにすむべき所もとめに
  とて往きけり。 とてゆきけり。 とてゆきけり。
 
  もとより友とする人、 もとよりともとする人、  もとよりともする人。
  ひとりふたりしていきけり。 ひとりふたりしていきけり。 ひとりふたりして。もろともにゆきけり。
  道知れる人もなくてまどひいきけり。 みちしれる人もなくて、まどひいきけり。 みちしれる人もなくて。まどひゆきけり。
 
  三河の国 みかはのくに、 みかはのくに
  八橋といふ所にいたりぬ。 やつはしといふ所にいたりぬ。 やつはしといふ所にいたりぬ。
  そこを八橋といひけるは、 そこをやつはしといひけるは、 そこやつはしといふことは。
  水ゆく河のくもでなれば、 水ゆく河のくもでなれば、 水のくもでにながれわかれて。
  橋を八つわたせるによりてなむ はしをやつわたせるによりてなむ、 木八わたせるによりてなむ
  八橋といひける。 やつはしとはいひける。 八橋とはいへる。
 
  その沢のほとりの木のかげにおり居て、 そのさはのほとりの木のかげにおりゐて、 その澤のほとりに。木かげにおりゐて。
  餉くひけり。 かれいひくひけり。 かれいひくひけり。
 
  その沢に、 そのさはに その澤に
  燕子花いとおもしろく咲たり。 かきつばたいとおもしろくさきたり。 かきつばたいとおもしろくさきたり。
  それを見て、 それを見て、 それを見て。都いとこひしくおぼえけり。
  ある人のいはく、 ある人のいはく、 さりけれぱある人。
  かきつばたといふ五文字を かきつばたといふいつもじを かきつばたといふいつもじを。
  句のかみにすゐて、旅の心をよめ くのかみにすへて、たびのこゝろをよめ、 くのかしらにすへて。たひの心よめ
  といひければ、よめる。 といひければよめる。 といひければ。ひとの人よめり。
 

10
 唐衣
 きつゝ馴にし
 つましあれば
 から衣
 きつゝなれにし
 つましあれば
 から衣
 きつゝなれにし
 つましあれは
 はるばる来ぬる
 旅をしぞ思ふ
 はるばるきぬる
 たびをしぞ思
 遙々きぬる
 旅をしそ思
 
  とよめりければ、 とよめりければ、  と讀りければ。
  みな人餉のうへに涙おとして みなひと、かれいひのうへになみだおとして みな人かれいひのうへに淚落して
  ほとびにけり。 ほとびにけり。 ほとびにけり。
 
   行き行きて駿河の国にいたりぬ。  ゆきゆきて、するがのくにゝいたりぬ。  ゆき〳〵て。するがの國にいたりぬ。
  宇津の山にいたりて、 うつの山にいたりて、 うつの山にいたりて。
  わが入らむとする道は わがいらむとするみちは、 わがゆくすゑのみちは。
  いと暗う細きに、 いとくらうほそきに、 いとくらくほそきに。
  蔦かへでは茂り、もの心ぼそく、 つた、かえではしげり、ものごゝろぼそく、 つたかづらはしげりて。もの心ぼそう。
  すゞろなるめを見ることと思ふに、 すゞろなるめを見ることゝおもふ、 すゞろなるめを見ることとおもふに。
  修行者あひたり。 す行者あひたり。 す行者あひたり。
 
  かゝる道はいかでかいまする かゝるみちはいかでかいまする、 かゝるみちには。いかでかおはする
  といふを見れば見し人なりけり。 といふを見れば見し人なりけり。 といふに。見れば見し人なりけり。
  京に、その人の御もとにとて、 京に、その人の御もとにとて、 京にその人のもとにとて。
  ふみかきてつく。 ふみかきてつく。 文かきてつく。
 

11
 駿河なる宇津の山辺のうつゝにも  するがなるうつの山辺のうつゝにも  するかなるうつの山への現にも
  夢にも人に逢はぬなりけり   ゆめにもひとにあはぬなりけり   夢にも人のあはぬなりけり
 
   富士の山を見れば、 ふじの山を見れば、  富士の山を見れば。
  五月のつごもりに、雪いとしろう降れり。 さ月のつごもりに、雪いとしろうふれり。 さ月つごもり雪いとしろくふりたり。
 

12
 時しらぬ山は富士の嶺いつとてか  時しらぬ山はふじのねいつとてか  時しらぬ山はふしのねいつとてか
  鹿の子まだらに雪の降るらむ   かのこまだらに雪のふるらむ   かのこまたらに雪の降覽
 
  その山は、 その山は、  この山は。
  こゝにたとへば、 こゝにたとへば、 上はひろく。しもはせばくて。
大笠のやうになん有ける。
  比叡の山を二十ばかり ひえの山をはたち許 高さはひえの山をはたちばかり。
  重ねあげたらむほどして、 かさねあげたらむほどして、 かさねあげたらん
  なりは塩尻のやうになむありける。 なりはしほじりのやうになむありける。 やうになん有ける。
 
   なほゆきゆきて  なをゆきゆきて、  なをゆき〳〵て。
  武蔵の国と下つ総の国
との中に、
むさしのくにとしもつふさのくに
との中に、
むさしの國としもつふさの國
と。ふたつがなかに。
  いとおほきなる河あり。 いとおほきなる河あり。 いとおほきなる河あり。
  それを角田河といふ。 それをすみだ河といふ。 その河の名をば。すみだ川となんいひける。
  その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、 その河のほとりにむれゐておもひやれば、 その河のほとりに。むれゐておもひやれば。
  かぎりなく、遠くも来にけるかな、 かぎりなくとをくもきにけるかな かぎりなくとをくもきにけるかな
  とわびあへるに、 とわびあへるに、 とわびをれば。
  渡守、 わたしもり、 わたしもり。
  はや舟に乗れ。日も暮れぬといふに、 はやふねにのれ、日もくれぬ、といふに、 はや舟にのれ。日もくれぬといふに。
  乗りて渡らむとするに、 のりてわたらむとするに、 のりてわたらんとするに。
  みな人ものわびしくて、 みなひと、ものわびしくて、 みな人物わびしくて。
  京に思ふ人なきにしもあらず。 京におもふ人なきにしもあらず。 京に思ふ人なきにしもあらず。
  さる折りしも、 さるおりしも、 さるおりに
  白き鳥の嘴と脚とあかき、 しろきとりのはしとあしとあかき、 しろき鳥の。はしとあしとあかきが。
  鴫のおほきさなる、 しぎのおほきさなる、 しぎのおほきさなる。
  水のうへに遊びつゝ魚をくふ。 水のうへにあそびつゝいをゝくふ。 水のうへにあそびつゝ。いををくふ。
 
  京には見えぬ鳥なれば、 京には見えぬとりなれば、 京には見えぬとりなれば。
  みな人見知らず。 みな人、見しらず。 人々みしらず。
  渡守に問ひければ、 わたしもりにとひければ、 わたしもりにとへば。
  これなむ都鳥といふを聞きて、 これなむ宮こどり、といふをきゝて、 これなむ都鳥と申といふをきゝて。
 

13
 名にしおはゞいざこと問はむ都鳥  名にしおはゞいざことゝはむ宮こどり  名にしおはゝいさこととはん都鳥
  わが思ふ人はありやなしやと   わがおもふ人はありやなしやと   我思ふ人は有やなしやと
 
  とよめりければ、 とよめりければ、 とよめりければ。
  舟こぞりて泣きにけり。 ふねこぞりてなきにけり。 舟人こぞりてなきにけり。
      その河渡り過て。
都に見しあひて物がたりして。
ことづてやあるといひければ。
 
     都人いかゝととはゝ山たかみ
      はれぬ雲ゐにわふとこたへよ
 
 

第10段 たのむの雁 みよし野(の里)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかし男。
  武蔵の国までまどひありきけり。 むさしのくにまでまどひありきけり。 むさしの國まどひありきけり。
 
  さてその国にある女をよばひけり。 さて、そのくにゝある女をよばひけり。 その國なる女をよばひけり。
  父はこと人にあはせむといひけるを、 ちゝはこと人にあはせむといひけるを、 父はこと人にあはせんといひけるに。
  母なむあてなる人に心つけたりける。 はゝなむあてなる人に心つけたりける。 母なんあてなる人に心つけたりける。
  父はなほびとにて、 ちゝはなお人にて、 父はたゞ人にて。
  母なむ藤原なりける。 はゝなむふぢはらなりける。 母なん藤原なりける。
 
  さてなむあてなる人にと思ひける。 さてなむあてなる人にとおもひける。 さてなんあてなる人にとはおもひける。
  このむこがねによみておこせたりける。 このむこがねによみてをこせたりける。 此むこがねに。よみてをこせたる。
  住む所なむ すむところなむ、 すむさとは。むさしのくに
  入間の郡み吉野の里なりける。 いるまのこほり、みよしのゝさとなりける。 いるまのこほりみよしのの里なり。
 

14
 みよし野のたのむの雁もひたぶるに  みよしのゝたのむのかりもひたぶるに  み吉野の賴むの鴈もひたふるに
  君が方にぞ寄ると鳴くなる   きみがゝたにぞよるとなくなる   君か方にそよるとなくなる
 
  むこがね、返し、 むこがねかへし、  かへし。むこがねかへし。
 

15
 わが方に寄ると鳴くなるみよし野の  わが方によるとなくなるみよし野ゝ  我方によるとなくなるみ吉野の
  たのむの雁をいつか忘れむ   たのむのかりをいつかわすれむ   たのむの鴈をいつか忘れん
 
  となむ。人の国にても、 となむ。人のくにゝても、  人の國にても。
  なほかゝることなむやまざりける。 猶かゝる事なむ、やまざりける。 かゝることは。たえずぞありける。
 
 

第11段 空ゆく月

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、あづまへゆきけるに、  昔おとこ、あづまへゆきけるに、  昔男有けり。東へゆきけるに。
  友だちどもに、道よりいひおこせける。 ともだちどもに、みちよりいひをこせける。 友だちに道よりをこせける。
 

16
 忘るなよほどは雲居になりぬるとも  わするなよほどはくもゐになりぬとも  忘るなよほとは雲ゐに成ぬとも
  空ゆく月のめぐりあふまで   そら行月のめぐりあふまで   空行月のめくり逢まて
 
 

第12段 武蔵野

  →〔解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこ有けり。  むかしおとこありけり。
  人のむすめを盗みて、 人のむすめをぬすみて 女をぬすみて。
  武蔵野へ率てゆく程に、 武蔵野へゐてゆくほどに、 むさしの國へ行ほどに。
  盗人なりければ、 ぬす人なりければ、 ぬす人成ければ。
  国の守にからめられにけり。 くにのかみにからめられにけり。 くにのつかさからめければ。
  女をば草むらのなかにおきて逃げにけり。 女をばくさむらの中にをきて、にげにけり。 女をば草むらの中にをきてにげにけり。
  道くる人、 みちくる人、 みちゆく人。
  この野は盗人あなり このゝはぬす人あなり 此野はぬす人あり
  とて火つけむとす。 とて、火つけむとす。 とて。火をつけんとするに。
 
  女わびて、 女、わびて、 女わびて。
       

17
 武蔵野は
 今日はな焼きそ
 若草の
 むさしのは
 けふはなやきそ
 わかくさの
 むさしのは
 けふはな燒そ
 若草の
  つまもこもれり
  われもこもれり
  つまもこもれり
  我もこもれり
  妻もこもれり
  我もこもれり
 
  とよみけるを聞きて、 とよみけるをきゝて、  とよみけるを聞て。
  女をばとりて、ともに率てけり。 女をばとりて、ともにゐていにけり この女をばとりて。ともにゆきにけり。
 
 

第13段 武蔵鐙(あぶみ)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、武蔵なる男、  昔、武蔵なるおとこ、  昔。武藏なる男。
  京なる女のもとに、 京なる女のもとに、 京なる女のもとに。
  聞ゆれば、恥し、
 聞ねば苦しと書きて、
きこゆればゝづかし、
きこえねばくるし、とかきて、
きこゆればはづ・[か]し。
きこ・[え]ねばくるしとかきて。
  上書に武蔵鐙と書きて、
おこせてのち、
うはがきにむさしあぶみとかきて、
をこせてのち、
うはがきにむさしあぶみとのみ書て。
のち
  おともせずなりにければ、 をともせずなりにければ、 をともせずなりにければ。
  京より女、 京より女、 京より女。
 

18
 武蔵鐙を
 さすがにかけて頼むには
 むさしあぶみ
 さすがにかけてたのむには
 武藏鐙
 流石に懸て思ふには
  問はぬもつらし問ふもうるさし   とはぬもつらしとふもうるさし   とはぬもつらしとふもうるさし
 
  とあるを見てなむ、 とあるを見てなむ、  とあるを見てなん。
  堪へがたき心地しける。 たへがたき心地しける。 たへがたきこゝちしけり。
 

19
 問へば言ふ問はねば恨む武蔵鐙  とへばいふとはねばうらむゝさしあぶみ  とへはいふとはねは恨む武藏鐙
  かゝる折にや人は死ぬらむ   かゝるおりにや人はしぬらむ   かゝる折にや人はしぬらん
 
 

第14段 陸奥の国

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかし男。
  陸奥の国にすゞろに行きいたりけり。 みちのくにゝ、すゞろにゆきいたりにけり。 みちのくにに。すゞろにいたりにけり。
  そこなる女、 そこなる女、 そこなる女。
  京のひとはめづらかにおぼへけむ、 京の人はめづらかにやおぼえけむ、 京の人をば。めづらやかにかおもひけん。
  せちに思へる心なむありける。 せちにおもへる心なむありける。 せちにおもへるけしきなん見えける。
  さてかの女、 さてかの女、 さてかの女。
 

20
 なかなかに恋に死なずは桑子にぞ  なかなかにこひにしなずはくはこにぞ  中々に戀にしなすはくはこにそ
  なるべかりける玉の緒ばかり   なるべかりけるたまのをばかり   なるへかりける玉のを計り
 
  歌さへぞ、ひなびたりける。 うたさへぞひなびたりける。  うたさへぞひがめりける。
  さすがにあはれとや思ひけむ、 さすがにあはれとやおもひけむ、 さすがにあはれとやおもひけん。
  いきてねにけり。 いきてねにけり。 いきてねにけり。
  夜ふかくいでにければ、女、 夜ふかくいでにけれは、女 夜ふかく出にければ女。
 

21
 夜も明けばきつにはめなでくた鶏の  夜もあけばきつにはめなでくたかけの  夜も明はきつにはめなてくたかけの
  まだきに鳴きてせなをやりつる   まだきになきてせなをやりつる   またきに鳴てせなをやりつる
 
  といへるに、男京へなむまかるとて、 といへるに、おとこ、京へなむまかるとて、  といひけり。おとこ京へなんまかるとて。
 

22
 栗原のあねはの松の人ならば  くりはらのあねはの松の人ならば  栗原のあねはの松の人ならは
  都のつとにいざといはましを   宮このつとにいざといはましを   都のつとにいさといはまし
 
  といへりければ、 といへりければ、  といへりければ。
  よろこぼひて、 よろこぼひて、 よろこびて
  おもひけらしとぞいひ居りける。 おもひけらし、とぞいひをりける 思ひけり〳〵とぞいひける。
 
 

第15段 しのぶ山

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、陸奥の国にて、  昔みちのくにゝて、  昔。男。みちの國へありきけるに。
なでふ事なき人のめに通ひけるに、 なでうことなき人のめにかよひけるに、 なでうことなき人のむすめにかよひけるに。
  あやしうさやうにて あやしうさやうにて あやしくさやうにて
  あるべき女ともあらず見えければ、 あるべき女ともあらず見えければ、 あるべき女にはあらず見えければ。
 

23
 しのぶ山しのびて通ふ道もがな  忍山しのびてかよふみちもがな  忍ふ山しのひてかよふ道もかな
  人の心の奥も見るべく   ひとの心のおくも見るべく   人の心の奧もみるへく
 
  女かぎりなくめでたしと思へど、 女、かぎりなくめでたしとおもへど、  女かぎりなくめでたしとおもへど。
  さるさがなきえびすごゝろを見ては、 さるさがなきえびす心を見ては、 さるさがなきえびす所にては。
  いかゞはせむは。 いかゞはせむは。 いかゞはせん。
 
 

第16段 紀有常

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、紀有常といふ人ありけり。  むかし、きのありつねといふ人ありけり。  むかし。きのありつねといふ人有けり。
  三代の帝に仕うまつりて みよのみかどにつかうまつりて、 みよのみかどにつかへて。
  時にあひけれど、 時にあひけれど、 ときにあひたりけれど。
  のちは世かはり時うつりにければ、 のちは世かはり、時うつりにければ、 のちには世かはり時うつりにければ。
  世の常の人のごともあらず。 世のつねの人のごともあらず、 よのつね時うしなへる人になりにけり。
 
  人がらは心うつくしく、 人がらは、心うつくしう 人がらは心うつくしう。
  あてはかなることを好みて、 あてはかなることをこのみて、 あてなることをこのみて。
  こと人にもにず。 ことに人にもにず、 こと人にもにず。
  貧しくへても、
なほ昔よかりし時の心ながら、
まづしくへても、
猶昔よかりし時の心ながら、
よのわたらひ心もなくまづしくて。
猶むかしよかりし時の心ながら。
ありわたりけるに。
  世の常のこともしらず。 世のつねのこともしらず。 よのつねのこともしらず。
 
   としごろあひなれたる妻、  としごろあひなれたるめ、  としごろありなれたる女も。
  やうやうとこ離れて、 やうやうとこはなれて、 やう〳〵とこはなれて。
  つひに尼になりて、 つゐにあまになりて、 つゐにあまになりて。
  姉のさきだちて あねのさきだちて あねのさきだちて
  なりたるところへ行くを、男 なりたるところへゆくを、おとこ、 あまになりにけるがもとへゆく。おとこ。
  まことにむつまじきことこそなかりけれ、 まことにむつまじき事こそなかりけれ、 まことにむつまじき事こそなかりけれ。
  いまはとゆくを いまはとゆくを、 いまはとてゆくを。
  いとあはれと思ひけれど、 いとあはれと思けれど、 いと哀とはおもひけれど。
  貧しければ、するわざもなかりけり。 まづしければするわざもなかりけり。 まづしければ。するわざもなかりけり。
 
   思ひわびて、  おもひわびて、  思ひわびて。
  ねむごろに ねむごろに ねんごろに
  あひ語らひける友だちのもとに、 あひかたらひけるともだちのもとに、 かたらひけるともだちに。
  かうかう今はとてまかるを、 かうかういまはとてまかるを、 かう〳〵今はとてまかるを。
  何事もいさゝかなることもえせで、 なにごともいさゝかなることもえせで、 何事もいさゝかの事もせで。
  つかはすことと書きて、おくに、 つかはすことゝかきて、おくに、 つかはすこととかきて。おくに。
 

24
 手を折りてあひ見しことを数ふれば  手をゝりてあひ見しことをかぞふれば  手を折てへにける年を數ふれは
  十といひつゝ四つはへにけり   とおといひつゝよつはへにけり   十と言つゝよつはへにけり
 
  かの友だちこれを見て、 かのともだちこれを見て、 このともだちこれを見て。
  いとあはれと思ひて、 いとあはれとおもひて、 いとあはれとおもひて。
  夜のものまでおくりてよめる。 よるのものまでをくりてよめる。 女のさうぞくを一具をくるとて。
 

25
 年だにも十とて四つは経にけるを  年だにもとおとてよるはへにけるを  年たにもとをとてよつをへにけるを
  いくたび君を頼み来ぬらむ   いくたびきみをたのみきぬらむ   幾度君を賴みつきらん
 
  かくいひやりたりければ、 かくいひやりたりければ、 かくいひたりければ。よろこびにそゑて。
 

26
 これやこの天の羽衣むべしこそ  これやこのあまのは衣むべしこそ  これやこのあまの羽衣むへしこそ
  君が御衣と奉りけれ   きみがみけしとたてまつりけれ   君かみけしに奉りけれ
 
  よろこびに堪へで、又、 よろこびにたへで、又、 よろこびにたへかねて又。
 

27
 秋や来る露やまがふと思ふまで  秋やくるつゆやまがふとおもふまで  秋やくる露やまかふと思ふまて
  あるは涙の降るにぞありける   あるはなみだのふるにぞありける   あるは淚のふるにそ有ける
 
 

第17段 年にまれなる人

  →〔あらすじ・解説
 
 ?  年ごろおとづれざりける人の、  としごろ、をとづれざりける人の、  昔。年比音信ざりける人の。
  桜の盛りに見に来たりければ、あるじ、 さくらのさかりに見にきたりければ、あるじ 櫻見に來たりければ。あるじ。
 

28
 あだなりと名にこそたてれ桜花  あだなりと名にこそたてれさくら花  あたなりとなに社たてれ櫻花
  年にまれなる人も待けり   としにまれなる人もまちけり   としにまれなる人もまちけり
 
   返し、 返し、  返し。
 

29
 今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし  けふこずばあすは雪とぞふりなまし  けふこすはあすは雪とそ降なまし
  消えずはありとも花と見ましや   きえずは有とも花と見ましや   消すは有と花とみましや
 
 

第18段 白菊

  →〔あらすじ・解説
 
♀?  むかし、なま心あるありけり。  むかし、まな心ある女ありけり。  むかし。なま心ある女ありけり。
  男ちかうありけり。 おとこちかうありけり。 男とかういひけり。
  女、歌よむ人なりければ、心みむとて、 女、うたよむ人なりければ、心見むとて、 女歌よむ人なりければ。こゝろみんとて
  菊の花のうつろへる折りて、
男のもとへやる。
きくの花のうつろへるをゝりて、
おとこのもとへやる。
むめを折て
やる。
 

30
 紅ににほふはいづら白雪の  くれなゐにゝほふはいづらしらゆきの  紅にゝほふはいつら白雪の
 枝もとをゝに降るかとも見ゆ   えだもとをゝにふるかとも見ゆ   枝もたはゝにふるやとも見ゆ
 
  男、知らずよみにける。 おとこ、しらずによみによみける。  おとこしらず。よみによみけり。
 

31
 紅ににほふがうへの白菊は  くれなゐにゝほふがうへのしらぎくは  紅にゝほふかうへのしら雪は
  折りける人の袖かとも見ゆ   折ける人のそでかとも見ゆ   折ける人の袖かとそ見る
 
 

第19段 天雲のよそ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔男。
  宮仕へしける女の方に、 みやづかへしける女のかたに、 みやづかへしける女・[の方にイ]
  御達なりける人をあひ知りたりける。 ごたちなりける人をあひしりたりける。 ごたちなりける人をあひしれりけり。
 
  ほどもなくかれにけり。 ほどもなくかれにけり。 ほどもなくかれにけり。
 
  おなじ所なれば、 おなじ所なれば、 おなじところなりければ。
  女の目には見ゆるものから、 女のめには見ゆるものから、 さすがに女のめには見ゆるものから。
  男はあるものかと思ひたらず。 おとこはある物かとも思たらず、 男はあるものにもおもひたらねば。
  女、 女、 をんな。
 

32
 天雲のよそにも人のなりゆくか  あまぐものよそにも人のなりゆくか  天雲のよそにも人のなりゆくか
  さすがに目には見ゆるものから   さすがにめには見ゆる物から   流石にめには見ゆる物から
 
  とよめりければ、男、返し、 とよめりければ、おとこ、返し、  とよめりければ。おとこ。
 

33
 天雲のよそにのみして経ることは  あまぐものよそにのみしてふることは  行かヘり空にのみしてふることは
  わが居る山の風はやみなり   わがゐる山の風はやみなり   我いる山の風はやみなり
 
  とよめりけるは、 とよめりけるは、  とよめるは。
  また男 またおとこ あまた男
  ある人となむいひける。 なる人なむといひける。 ある女になむありける。
 
 

第20段 楓のもみぢ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ  昔おとこ。
  大和にある女を見て やまとにある女を見て、 やまとにある女を
  よばひてあひにけり。 よばひてあひにけり。 よばひて。あひにけり。
 
  さてほど経て、 さてほどへて、 さてほどへて。
  宮仕へする人なりければ、 宮づかへする人なりければ、 宮づかへしける人なりければ。
  かへりくる道に、 かへりくるみちに、 かへりけるみちに。
  三月ばかりに、 やよひばかりに、 やよひばかりに
  かへでもみぢの、 かえでのもみぢの 山にかえでのもみぢの。
  いとおもしろきを折りて、 いとおもしろきをゝりて、 いとおもしろきをおりて。
  女のもとに道よりいひやる。 女のもとにみちよりいひやる。 すみし女のもとにみちより。
 

34
 君がため手折れる枝は春ながら  きみがためたおれるえだははるながら  君かためたをれる枝は春なから
  かくこそ秋の紅葉しにけれ   かくこそ秋のもみぢしにけれ   かくこそ秋の紅葉しにけれ
 
  とてやりたりければ返り事は、 とてやりたりければ、  とてやりたりければ。
  京にきつきてなむ 返事は京にきつきてなむ、 返事は京にいきつきてなん。
  もてきたりける。 もてきたりける。 もてきたりける。
 

35
 いつの間に移ろふ色のつきぬらむ  いつのまにうつろふいろのつきぬらむ  いつのまに移ろふ色のつきぬらん
  君が里には春なかるらし   きみがさとにはゝるなかるらし   君か里には春なかるへし
 
 

第21段 思ふかひなき世

  →〔あらすじ・解説
 
♂♀  むかし、男をんな、  むかし、おとこ女、  昔男女。
  いとかしこく思ひかはして いとかしこくおもひかはして、 いとかしこう思ひかはして。
  こと心なかりけり。 こと心なかりけり。 ことごゝろなかりけるを。
 
  さるを、いかなる事かありけむ、 さるをいかなる事かありけむ、 いかなることか有けむ。
  いさゝかなることにつけて、 いさゝかなることにつけて、 はかなきことにことづけて。
  世の中をうしと思ひて、 世中をうしと思て、 よの中をうしと思ひて。
  出でていなむと思ひて、 いでゝいなむと思て、 いでていなんとて。
  かかる歌をなむよみて、 かゝる哥をなむよみて、 かゝる歌なん
  ものに書きつけける。 ものにかきつけゝる。 物にかきつけゝり。
 

36
 いでていなば心かるしと言ひやせむ  いでゝいなば心かるしといひやせむ  出ていなは心かろしといひやせん
  世のありさまを人は知らねば   世のありさまを人はしらねば   世の有樣を人はしらすて
 
  とよみおきて、出でていにけり。 とよみをきて、いでゝいにけり。  とよみて。をきて出ていにけり。
 
  この女かく書きおきたるを、 この女かくかきをきたるを、 この男かくかきをきたるをみて。
  けしう、心おくべきことを覚えぬを、 けしう心をくべきこともおばえぬを、 心うかるべきこともおぼえぬを。
  なにによりてかかゝらむと、 なにゝよりてかかゝらむと 何によりてならむ。
  いといたう泣きて、 いといたうなきて、 いといたううちなきて。
  いづ方に求めゆかむと、 いづ方にもとめゆかむと いづ方にもとめゆかんと。
  門にいでて、とみかうみ、見けれど、 かどにいでゝ、と見かう見ゝけれど、 かどに出てとみかうみ見けれど。
  いづこをはかりとも覚えざりければ、 いづこをばかりともおぼえざりければ、 いと[づイ]こをはかともおぼえざりければ。
  かへりいりて、 かへりいりて、 かへり入て。
 

37
 思ふかひなき世なりけり年月を  おもふかひなき世なりけりとし月を  思ふかひなき世成けり年月を
  あだに契りて我や住まひし   あだにちぎりてわれやすまひし   あたに契て我かすまひし
 
  といひてながめをり。 といひてながめをり。  
 

38
 人はいさ思ひやすらむ玉かづら  人はいさおもひやすらむたまかづら  人はいさなかめやすらん玉かつら
  面影にのみいとゞ見えつゝ   おもかげにのみいとゞ見えつゝ   俤にのみいてゝみえつゝ
       といひてながめをり。
 
  この女、いとひさしくありて、 この女いとひさしくありて、 この女いとひさしくありて。
  念じわびてにやありけむ。 ねむじわびてにやありけむ、 ねんじかねてにやあらん。
  いひおこせたる。 いひをこせたる。 かくいひをこしたり。
 

39
 今はとて忘るゝ草のたねをだに  いまはとてわするゝくさのたねをだに  今はとて忘るゝ草のたねをたに
  人の心にまかせずもがな   人の心にまかせずもがな   人の心にまかせすもかな
 
  返し、 返し 返し。おとこ。
 

40
 忘草植ふとだに聞くものならば  わすれ草うふとだにきく物ならば  忘草かるとたにきく物ならは
  思ひけりとは知りもしなまし   おもひけりとはしりもしなまし   思ひけりとはしりもしなまし
 
  またまたありしよりけに 又々ありしよりけに  また〳〵ありしよりけに
  いひかはして、をとこ、 いひかはして、おとこ いひかはして。おとこ。
       

41
 忘るらむと思ふ心のうたがひに  わする覧と思心のうたがひに  忘るらんと思ふ心のうたかひに
  ありしよりけにものぞかなしき   ありしよりけに物ぞかなしき   有しよりけに物そかなしき
 
  返し、 返し、  かへし。
 

42
 中空に立ちゐる雲のあともなく   なかぞらにたちゐるくものあともなく  中空に立ゐる雲のあともなく
  身のはかなくもなりにけるかな   身のはかなくもなりにける哉   身のはかなくも成ぬへきかな
 
  とはいひけれど、 とはいひけれど、  とはいひけれど。
  おのが世々になりにければ、 をのが世ゝになりにければ、 をのが世々になりにければ。
  うとくなりにけり。 うとくなりにけり。 うとく成にけり。
 
 

第22段 千夜を一夜

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、はかなくて絶えにけるなか、  むかし、はかなくてたえにけるなか、  むかしはかなくてたえにける中。
なほや忘れざりけむ、女のもとより、 猶やわすれざりけむ、女のもとより、 をか[なをやイ]わすれざりけん女のもとより。
 

43
 憂きながら人をばえしも忘れねば  うきながら人をばえしもわすれねば  うきなから人をはえしも忘ねは
  かつ恨みつゝなほぞ恋しき   かつうらみつゝ猶ぞこひしき   かつ恨つゝ猶そ戀しき
 
  といへりければ、 といへりければ、  といひければ。
  さればよといひて、 さればよといひて、 さればよと思ひて。
  男、 おとこ、  
 

44
 あひ見ては心ひとつをかは島の  あひ見ては心ひとつをかはしまの  あひはみて心ひとつをかはしまの
  水の流れて絶えじとぞ思ふ   水のながれてたえじとぞ思   水の流て絕しとそ思ふ
 
  とはいいけれど、その夜いにけり。 とはいひけれど、そのよいにけり。  とはいひけれど。その夜いにけり。
 
  いにしへゆくさきのことどもなどいひて、 いにしへゆくさきのことゞもなどいひて、 いにしへゆくさきの事どもぞおもふ。
       

45
 秋の夜の千夜を一夜になずらへて  秋の夜のちよをひと夜になずらへて  秋のよのちよを一夜に準へて
  八千夜し寝ばや飽く時のあらむ   やちよしねばやあく時のあらむ   やちよしねはや飽由のあらん
 
  返し、 返し、  返し。
 

46
 秋の夜の千夜を一夜になせりとも  あきの夜のちよをひとよになせりとも  秋夜の千夜を一よになせりとも
  ことば残りて鳥や鳴きなむ   ことばのこりてとりやなきなむ   ことは殘て鳥や鳴なん
 
  いにしへよりもあはれにてなむ通ひける。 いにしへよりもあはれにてなむかよひける。  いにしへよりも哀にてなむかよひける。
 
 

第23段 筒井筒

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  昔、  むかし。
  田舎わたらひしける人の子ども、 ゐなかわたらひしける人のこども、 いなかわたらひしける人の子ども。
  井のもとに出でてあそびけるを、 ゐのもとにいでゝあそびけるを、 井のもとにいでゝあそびけるを。
  大人になりければ、 おとなになりにければ、 おとなになりにければ。
♂♀ 男も女も、はぢかはしてありけれど、 おとこも女もはぢかはしてありけれど、 おとこも女もはぢかはしてありければ。
  男は、この女をこそ得めと思ふ、 おとこはこの女をこそえめとおもふ。 男はこの女をこそえめ。
  女はこの男をと思ひつゝ、 女はこのおとこをとおもひつゝ、 をんなはこの男をと心ひつゝ。
  親のあはすれど おやのあはすれども おやのあはすることも
  聞かでなむありける。 きかでなむありける。 きかでなんありける。
 
  さて、この隣の男の さて、このとなりのおとこの さてこのとなりのおとこの
  もとよりかくなむ。 もとよりかくなむ。 もとよりなん。
 

47
 筒井つの
 井筒にかけし
 まろがたけ
 つゝゐつの
 ゐづゝにかけし
 まろがたけ
 筒ゐつの
 井筒にかけし
 麿かたけ
  過ぎにけらしな
  妹見ざる間に
  すぎにけらしも
  いもみざるまに
  過にけらしな
  君(あひ一本)見さるまに
 
  女、返し、 をむな、返し  返し。
 

48
 くらべこし
 ふりわけ髪も
 肩過ぎぬ
 くらべこし
 ふりわけ神も
 かたすぎぬ
 くらへこし
 振分髮も
 かたすきぬ
  君ならずして
  誰かあぐべき
  きみならずして
  たれかあぐべき
  君ならすして
  誰かなつ(あく一本)へき
 
  などいひいひて、 などいひいひて、  かくいひて。
  つひにほいのごとくあひにけり。 つゐにほいのごとくあひにけり。 ほいのごとくあひにけり。
 
   さて年ごろふるほどに、  さてとしごろふるほどに、  さて年ごろふるほどに。
  女、親なく、 女、おやなく 女のおやなくなりて。
  たよりなくなるままに、 たよりなくなるまゝに、 たよりなかりければ。
  もろともにいふかひなくて
 あらむやはとて、
もろともにいふかひなくて
あらむやはとて、
かくて
あらんやはとて。
  河内の国、高安の郡に、 かうちのくに、たかやすのこほりに、 かうちのくにたかやすのこほりに
  いきかよふ所いできにけり。 いきかよふ所いできにけり。 いきかよふ所いできにけり。
 
  さりけれど、このもとの女、 さりけれど、このもとの女、 さりけれど。このもとの女。
  あしとおもへる気色もなくて あしとおもへるけしきもなくて、 あしとおもへるけしきもなく。
  いだしやりければ、 いだしやりければ、 くるればいだしたてゝやりければ。
 
  男こと心ありて、 おとこ、こと心ありて 男こと心ありて。
  かゝるにやあらむと思ひうたがひて、 かゝるにやあらむと思ひうたがひて、 かゝるにやあらんとおもひうたがひて。
  前栽の中にかくれゐて、 せんざいのなかにかくれゐて、 ぜんざいのなかにかくれゐて。
  河内へいぬる顔にて見れば、 かうちへいぬるかほにて見れば、 かの河內へいぬるかほにて見れば。
 
  この女 この女、 この女。
  いとようけさじて、うちながめて、 いとようけさうじて、うちながめて いとようけさうして。うちながめて。
 

49
 風吹けば
 沖つ白浪
 龍田山
 風ふけば
 おきるしらなみ
 たつた山
 風吹は
 おきつしら浪
 たつた山
  夜半にや君が
  ひとり越ゆらむ
  夜はにやきみが
  ひとりこゆらむ
  夜半にや君か
  獨ゆくらん
 
  とよみけるをきゝて、 とよみけるをきゝて、  とよめりけるをきゝて。
  かぎりなくかなしと思ひて、 かぎりなくかなしと思て、 限なくかなしと思ひて。
  河内へもいかずなりにけり。 かうちへもいかずなりにけり。 河內へもおさ〳〵かよはずなりにけり。
 
  まれまれ まれまれ さてまれ〳〵
  かの高安に来て見れば、 かのたかやすにきて見れば、 かのたかやすのこほりにいきて見れば。
  はじめこそ はじめこそ はじめこそ
  心にくもつくりけれ、 心にくもつくりけれ、 こゝろにく・[くイ]もつくりけれ。
  いまはうちとけて、 いまはうちとけて、 いまはうちとけて。
      髮をかしらに卷あげて。
おもながやかなる女の。
  てづから飯匙とりて ゝづからいゐがひとりて、 てづ・[かイ]らいひがいをとりて。
  笥子の けこの けごの
  うつはものにもりけるを見て、 うつはものにもりけるを見て、 うつはものに。もりてゐたりけるをみて。
  心うがりていかずなりけり。 心うがりていかずなりにけり。 心うがりていかずなりにけり。
 
  さりければ、かの女、 さりければ、かの女、 さりければ。
  大和の方を見やりて、 やまとの方を見やりて、 かの女やまとのかたを見やりて。
 

50
 君があたり見つゝを居らむ生駒山  きみがあたり見つゝをゝらむいこま山  君かあたり見つゝをくらん伊駒山
  雲な隠しそ雨は降るとも   雲なかくしそ雨はふるとも   雲な隱しそ雨はふるとも
 
  といひて見だすに、 といひて見いだすに、  といひて見いだすに。
  からうじて大和人来むといへり。 からうじてやまと人、こむといへり。 からうじて。やまと人こむといへり。
  よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、 よろこびてまつにたびたびすぎぬれば、 よろこびてまつに。たび〳〵過ぬれば。
 

51
 君来むと言ひし夜毎に過ぎぬれば  きみこむといひし夜ごとにすぎぬれば  君こむと云しよことに過ぬれは
  頼まぬものゝ恋ひつゝぞ経る   たのまぬものゝこひつゝぞぬる   賴めぬ物のこひつゝそをる
 
  といへけれど、 といひけれど、  といへりけれど。
  男すまずなりにけり。 おとこすまずなりにけり。 おとこすまずなりにけり。
 
 

第24段 梓弓

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男かた田舎に住みけり。  昔、おとこ、かたゐなかにすみけり。  昔男。かたいなかにすみけり。
  男宮仕へしにとて、 おとこ、宮づかへしにとて、 おとこ宮づかへしにとて。
  別れ惜しみてゆきにけるまゝに、 わかれおしみてゆきにけるまゝに わかれおしみてゆきにけるまゝに。
  三とせ来ざりければ、 三とせこざりければ、 みとせこざりければ。
  待ちわびたるけるに、 まちわびたりけるに、 まちわたりけるに。
  いとねむごろにいひける人に、 いとねむごろにいひける人に、 いとねんごろにいひける人に。
  今宵あはむとちぎりたりけるに、 こよひあはむとちぎりたりけるを、 こよひあはんとちぎりたりけるに。
  この男きたりけり。 このおとこきたりけり。 この男きたりけり。
   この戸あけ給へとたゝきけれど、 このとあけたまへとたゝきけれど、 この戶あけたまへと。たゝきければ。
  あけで、歌をなむよみていだしたりける。 あけで、うたをなむよみていだしたりける。 あけてなんうたをよみていだしたりける。
 

52
 あらたまの年の三年を待ちわびて  あらたまのとしの三とせをまちわびて  あら玉の年のみとせを待わひて
  新枕すれたゞ今宵こそ   たゞこよひこそにゐまくらすれ   たゝ今小宵社新枕すれ
 
  といひだしたりければ、 といひいだしたりければ、  といひいだしたりければ。おとこ。
 

53
 梓弓ま弓つき弓年を経て  あづさゆみまゆみつきゆみとしをへて  梓弓まゆみ槻弓としをへて
  わがせしがごとうるはしみよせ   わがせしがごとうるはしみせよ   我せしかことうるはしみせよ
 
  といひて、いなむとしければ、女、 といひて、いなむとしければ、女、  といひて。いなんとすれば。うらみて女。
 

54
 梓弓引けど引かねど昔より  あづさゆみひけどひかねどむかしより  あつさ弓ひけとひかねと昔より
  心は君に寄りにしものを   心はきみによりにしものを   心はきみによりにしものを
 
  といひけれど、男かへりにけり。 といひけれど、おとこかへりにけり。  といひけれど。男かへりにけり。
  女いとかなしくて、 女いとかなしくて、 女いとかなしうて。
  後にたちて追ひゆけど、 しりにたちてをひゆけど、 しりにたちてをひけれど。
  え追ひつかで、 えをひつかで、 えをひつかで。
  清水のある所にふしにけり。 し水のある所にふしにけり。 し水のある所にふしにけり。
  そこなりける岩に、 そこなりけるいはに、 そこなる岩に。
  およびの血して、書きつける。 およびのちしてかきつけゝる。 をよびのちしてかきつけゝり。
 

55
 あひ思はで離れぬる人をとゞめかね  あひおもはでかれぬる人をとゞめかね  あひ思はてかれぬる人をとゝめかね
  わが身は今ぞ消え果てぬめる   わが身はいまぞきえはてぬめる   我身は今そ消果ぬめる
 
  書きて、そこにいたづらになりにけり。 とかきて、そこにいたづらになりにけり。  とかきて。いたづらになりにけり。
 
 

第25段 逢はで寝る夜

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  昔おとこありけり。
  あはじともいはざりける女の、 あはじともいはざりける女の、 あはじともいはざりける女の。
  さすがなりけるがもとにいひやりける。 さすがなりけるがもとにいひやりける。 さすがなりけるがもとにいひやりける。
 

56
 秋の野に笹分けし朝の袖よりも  秋のゝにさゝわけしあさのそでよりも  秋のゝの(に一本)笹分し朝の袖よりも
  あはで寝る夜ぞひぢまさりける   あはでぬるよぞひぢまさりける   あはてぬる夜そひち勝りける
 
   色好みなる女、返し、 いろごのみなる女、返し、  色ごのみなりける女。返し。
 

57
 みるめなきわが身を浦と知らねばや  見るめなきわが身をうらとしらねばや  みるめなき我身を浦としられはや
  離れなで海人の足たゆく来る   かれなであまのあしたゆくゝる   枯なて蜑の足たゆくくる
 
 

第26段 もろこし舟

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男  むかし、おとこ、  
  五条わたりなりける女を 五条わたりなりける女を、  
  え得ずなりにける事と えゝずなりにけることゝ、  
  わびたりける人の返り事に、 わびたりける人の返ごとに、  
 

58
 思ほえず袖にみなとの騒ぐかな  おもほえずそでにみなとのさはぐかな  
  もろこし舟の寄りしばかりに   もろこしぶねのよりし許に  
 
 

第27段 たらひの影

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、 むかし、おとこ、  昔男。
  女のもとにひと夜いきて、 女のもとにひとよいきて、 人のむすめのもとに一夜ばかりいきて。
  又もいかずなりにければ、 又もいかずなりにければ、 またもいかずなりにければ。
      女のおやはらだちて。
  女の、
手洗ふ所に、
貫簀をうちやりて、
女の
てあらふところに
ぬきすをうちやりて、

手あらふ所に。
ぬきすをとりてなげすてければ。
  たらひのかげに見えけるを、 たらひのかげに見えけるを、 たらひの水に。なくかげのみえけるを。
  みづから、 みづから、 みづから。
 

59
 我ばかりもの思ふ人はまたもあらじと  我許物思人は又もあらじと  我はかり物思ふ人は又あらしと
  思へば水の下にもありけり   おもへば水のしたにもありけり   思へは水のしたに有けり
 
  とよむを、 とよむを  とよめりけるを。
  来ざりける男、立ち聞きて、 かのこざりけるおとこたちきゝて、 このこざりけるおとこきゝて。
 

60
 水口にわれや見ゆらむ蛙さへ  みなくちにわれや見ゆらむかはづさへ  水口に我やみゆらん蛙さへ
  水の下にてもろ声に鳴く   水のしたにてもろごゑになく   水の下にてもろこえになく
 
 

第28段 あふごかたみ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、色好みなりける女、  むかし、いろごのみなりける女、  昔いろごのみなりける女。
  出でていにければ、 いでゝいにければ、 いでていにければ。いひがひなくて。男
 

61
 などてかく
 あふごかたみに
 なりにけむ
 などてかく
 あふごかたみに
 なりにけむ
 なとてかく
 あふこかたみと(かたみとも一本)
 成ぬらん
  水漏らさじと
  結びしものを
  水もらさじと
  むすびしものを
  水もらさしと
  契し(むすひ一本)物を
 
 

第29段 花の賀

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、
春宮の女御の御方の
花の賀に、
 むかし
春宮の女御の御方の
花の賀に、
 ニ條后の
春宮のみやす所と申ける時の御かたの
花の宴に。
  めしあづけられたりけるに、 めしあづけられたりけるに めしあげられたりけるに。
      肥後のすけなりける人。
 

62
 花に飽かぬなげきはいつもせしかども  花にあかぬなげきはいつもせしかども  花にあかぬ歎はいつもせしか共
  今日のこよひに
  似る時はなし
  けふのこよひに
  ゝる時はなし
  けふの今宵に
  しく物そなき
  (しくをりはなき一本)
       とよみてたてまつれり。
 
 

第30段 はつかなりける女

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかしおとこ。
  はつかなりける女のもとに、 はつかなりける女のもとに、 はつかなりける女に。
 

63
 あふことは玉の緒ばかりおもほえて  あふことはたまのをばかりおもほえて  逢ことは玉のをはかり思ほえて
  つらき心のながく見ゆらむ   つらき心のながく見ゆらむ   つらき心のなかくみるらん
 
 

第31段 忘草 よしや草葉よ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、  昔、  むかしおとこ。
  宮の内にて、 宮のうちにて、 宮のうちにて。
  ある御達の局のまへをわたりけるに、 あるごたちのつぼねのまへをわたりけるに、 あるごたちのつぼねのまへをわたるに。
  なにのあたにか思ひけむ、 なにのあたにかおもひけむ、 なにをあだとかおもひけん。
  よしや草葉よ、ならむさが見む よしやくさばなのならむさが見む、 よしや草葉のならんさが見ん
  といふ。 といふ。 と。いひければ。
 
  男、 おとこ、 男。
 

64
 つみもなき人をうけへば忘草  つみもなき人をうけへばわすれぐさ  つみもなき人をうけへは忘草
  おのがうへにぞ生ふといふなる   をのがうへにぞおふといふなる   をのか上にそおふといふなる
 
  といふを、ねたむ女もありけり。 といふを、ねたむ女もありけり。  といふを。ねたう女も思ひけり。
 
 

第32段 しづのをだまき(倭文の苧環)

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  
ものいひける女に、年ごろありて、 ものいひける女に、としごろありて、  
 

65
 古のしづのをだまきくりかへし  いにしへのしづのをだまきくりかへし  
  昔を今になすよしもがな   むかしをいまになすよしもがな  
 
   といへりけれど、 といへりけれど、  
  なにとも思はずやありけむ。 なにともおもはずやありけむ。  
 
 

第33段 こもり江

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔男。
  津の国、菟原の郡に つのくに、むばらのこほりに 津のくにむばらのこほりに
  かよひける女、 かよひける女、 すみける女にかよひける。
  このたびいきては、 このたびいきては 此たびかへりなば。
  又は来じと思へる気色なれば、 又はこじと思へるけしきなれば、 又はよもこじと思へるけしきをみて。
  男、 おとこ、 女のうらみければ。
 

66
 芦辺より
 みち来るしほのいやましに
 あしべより
 みちくるしほのいやましに
 あしま(へ一本)より
 みちくる汐のいやましに
  君に心を思ひますかな   きみに心を思ますかな   君に心を思ひます哉
 
  返し、 返し、  女返し。
 

67
 こもり江に思ふ心をいかでかは  こもり江に思ふ心をいかでかは  こもり江に思ふ心をいかてかは
  舟さす棹のさして知るべき   舟さすさほのさしてしるべき   舟さす掉のさしてしるへき
 
  田舎人のことにては、よしやあしや。 ゐなか人の事にては、よしやあしや。  いなかの人のことにてはいかゞ。
 
 

第34段 つれなかりける人

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  昔、おとこ、  むかしおとこ。
  つれなかりける人のもとに、 つれなかりける人のもとに つれなかりける人のもとに。
 

68
 いへばえにいはねば胸に騒がれて  いへばえにいはねばむねにさはがれて  いへはえにいはねはむねのさはかれて
  心ひとつに嘆くころかな   こゝろひとつになげくころ哉   心一つになけく比哉
 
  おもなくていへるなるべし。 おもなくていへるなるべし。  おもひ〳〵ていへるなるべし。
 
 

第35段 玉の緒を 合(あわ)緒によりて

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、  むかし、  むかし男。
  心にもあらで絶えたる人のもとに、 心にもあらでたえたる人のもとに 心にもあらでたえにける女のもとに。
 

69
 玉の緒を沫緒によりてむすべれば  たまのをゝあはおによりてむすべれば  玉のをゝあはをによりて結へれは
  絶えてののちも
  逢はむとぞ思ふ
  たえてのゝちも
  あはむとぞ思
  逢ての後も
  あはぬ成けり
  (あはんとそ思ふ一本)
 
 

第36段 玉葛

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  昔
忘れぬるなめりと わすれぬるなめりと、 忘ぬなめりと。
  問ひ事しける女のもとに、 ゝひごとしける女のもとに、 とひごとしける女のもとに。
 

70
 谷せばみ峯まではへる玉かづら  たにせばみゝねまではへるたまかづら  谷せはみ峯まてはへる玉かつら
  絶えむと人にわが思はなくに   たえむと人にわがおもはなくに   絕んと人をわか思はなくに
 
       女かへし。
 
     僞と思ふ物から今さらに
      たかまことをか我はたのまん
 
 

第37段 下紐

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかしおとこ。
  色好みなりける女に逢へりけり。 いろごのみなりける女にあへりけり。 いろごのみなりける人をかたらひて。
  うしろめたくや思ひけむ、 うしろめたくやおもひけむ。 うしろめたなしとやおもひけん。
 

71
 我ならで下紐解くな朝顔の  我ならでしたひもとくなあさがほの  我ならて下紐とくな朝かほの
  夕影待たぬ花にはありとも   ゆふかげまたぬ花にはありとも   夕かけまたぬ花には有とも
 
  返し、 返し、  女かへし。
 

72
 ふたりして結びし紐をひとりして  ふたりしてむすびしひもをひとりして  ふたりして結ひし物を獨して
  あひ見るまでは解かじとぞ思ふ   あひ見るまではとかじとぞ思   逢みんまてはとかしとそ思ふ
 
 

第38段 恋といふ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、紀有常がり行きたるに、  むかし、紀の有つねがりいきたるに、  むかし。きのありつね物にいきて。
  ありきて遅く来けるに、 ありきてをそくきけるに、 ひさしうかへらざりけるに
  よみてやりける。 よみてやりける。 いひやる。
 

73
 君により思ひならひぬ世の中は  きみによりおもひならひぬ世中の  君により思ひならひぬ世中の
  人はこれをや恋問いふらむ   人はこれをやこひといふらむ   人は是をや戀といふらん
 
  返し、 返し、  返し。
 

74
 ならはねば世の人ごとになにをかも  ならはねば世の人ごとになにをかも  習はねは世の人ことに何をかも
  恋とはいふと問ひし我しも   こひとはいふとゝひしわれしも   戀とはいふととひわふれ共
 
 

第39段 源の至

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  
  西院の帝と申す帝 さいゐんのみかどゝ申すみかど  
  おはしましりけり。 おはしましけり。  
  その帝のみこ、崇子と申す そのみかどのみこ、たかいこと申す  
  いまそがりけり。 いまそかりけり。  
 
  そのみこうせ給ひて、 そのみこうせたまひて、  
  御葬の夜、 おほむはふりの夜、  
その宮の隣なりける男、 その宮のとなりなりけるおとこ、  
  いまそかり見むとて、 御はふり見むとて、  
  女車にあひ乗りて出でたりけり。 女くるまにあひのりていでたりけり。  
 
  いと久しう率ていで奉らず。 いとひさしうゐていでたてまつらず。  
  うち泣きてやみぬべかりけるあひだに、 うちなきて、やみぬべかりかるあひだに、  
  天の下の色好み、 あめのしたのいろこのみ、  
  源至といふ人、 源のいたるといふ人、  
  これももの見るに、 これもゝの見るに、  
  この車を女車と見て、 この車を女くるまと見て、  
  寄り来て、とかくなまめくあひだに、 よりきてとかくなまめくあひだに、  
  かの至、蛍をとりて かのいたる、ほたるをとりて、  
  女の車に入れたりけるを、 女のくるまにいれたりけるを、  
  車なりける人、 くるまなりける人、  
  この蛍のともす火にや見ゆらむ、 このほたるのともす火にや見ゆるらむ、  
  ともし消ちなむずるとて、 ともしけちなむずるとて、  
  乗れる男のよめる。 のれるおとこのよめる。  
 

75
 出でていなば
 かぎりなるべみともしけち
 いでゝいなば
 かぎりなるべみともしけち
 
  年へぬるかとなく声を聞け   年へぬるかとなくこゑをきけ  
 
  かの至、返し、 かのいたる、かへし、  
 

76
 いとあはれなくぞ聞ゆるともしけち  いとあはれなくぞきこゆるともしけち  
  消ゆるものとも我は知らずな   きゆる物とも我はしらずな  
 
  天の下の色好みの歌にては、 あめのしたのいろごのみのうたにては、  
  なほぞありける。 猶ぞ有ける。  
  至は順が祖父なり。 いたるは、したがふがおほぢ也。  
  みこの本意なし。 みこのほいなし。  
 
 

第40段 すける(物)思ひ あかぬわかれ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、若き男、  むかし、わかきおとこ、  昔わかき男。
  けしうはあらぬ女を思ひけり。 けしうはあらぬ女を思ひけり。 けしうあらぬ人を思ひけり。
  さかしらする親ありて、 さかしらするおやありて、 さかしらするおやありて。
  思ひもぞつくとて、 おもひもぞつくとて、 おもひもつくとて。
  この女を この女を このをんなを
  ほかへ逐ひやらむとす。 ほかへをひやらむとす。 ほかへならんといふ[おひやらんとすイ]。
  さこそいへ、まだ逐ひやらず。 さこそいへ、いまだをいやらず。  
 
  人の子なれば、 人のこなれば、 人の子なれば。
  まだ心いきほひなかりければ、 まだこゝろいきおひなかりければ、 まだ心ごゝろのいきをひなくて。
  とどむるいきほひなし。 とゞむるいきおひなし。 えとゞめず。
  女もいやしければ、すまふ力なし。 女もいやしければ、すまふちからなし。 女もいやしければ。すまふちからなし。
 
  さる間に さるあひだに、 さこそいへ。まだえやらずなるあひだに。
  思ひはいやまさりにまさる。 おもひはいやまさりにまさる。 思ひはいやまさりにまさる。
  にはかに親この女を逐ひうつ。 にはかにおや、この女をゝひうつ。 おやこの女ををひいづ。
  男、血の涙をながせども、 おとこ、ちのなみだをながせども、 男ちのなみだをおとせども。
  とどまるよしなし。 とゞむるよしなし。 とゞむるちからなし。
  率て出でていぬ。 ゐていでゝいぬ。 つひにいぬれ[ゐていでていぬイ]。
      女かへし人につけて。
 
     いつこまておくりはしつと人とはゝ
      あかぬ別れの淚河まて
 
  男泣く泣くよめる。 おとこ、なくなくよめる。  おとこなく〳〵よめる。
 

77
 いでていなば誰か別れのかたからぬ  いでゝいなばたれかわかれのかたからむ  いとひては誰か別の難からん
  ありしにまさるけふは悲しも   ありしにまさるけふはかなしも   ありしにまさるけふは悲しな
 
  とてよみて絶え入りにけり。 とよみてたえいりにけり。 とよみてたえいりにけり。
  親あわてにけり。 おやあはてにけり。 おやあはてにけり。
  なほ思ひてこそいひしか、 猶思ひてこそいひしか、 なをざりに思ひてこそいひしか。
  いとかくしもあらじと思ふに、 いとかくしもあらじとおもふに、 いとかくしもあらじとおもふに。
  真実に絶え入りにければ、 しんじちにたえいりにければ、 まことにたえいりたれば。
  まどひて願立てけり。 まどひて願たてけり。 まどひて願などたてけり。
 
  今日の入相ばかりに絶え入りて、 けふのいりあひ許にたえいりて、 けふのいりあひばかりにたえいりて。
  又の日の戌の時ばかりになむ、 又の日のいぬの時ばかりになむ、 又の日のいぬの時ばかりになん。
  辛うじていき出でたりける。 からうじていきいでたりける。 からうじていきいでたりける。
 
  むかしの若人は、 むかしのわか人は、 むかしのわか男は。
  さる好けるもの思ひをなむしける。 さるすける物おもひをなむしける。 かゝるすける物思ひなんしける。
  今の翁まさにしなむや。 いまのおきな、まさにしなむや 今のおきなまさにしなんやは。
 
 

第41段 紫 上のきぬ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、女はらからふたりありけり。  昔、女はらからふたりありけり。  昔女はらからふたり有けり。
  ひとりはいやしき男の貧しき、 ひとりはいやしきおとこのまづしき、 ひとりはいやしき男のまづしき。
  ひとりはあてなる男もちたりけり。 ひとりはあてなるおとこもたりけり。 ひとりはあてなる男のとくあるもちたりけり。
 
  いやしき男もたる、 いやしきおとこもたる、 そのいやしきおとこもちたる。
  師走のつごもりに しはすのつごもりに、 しはすのつごもりに。
  上の衣を洗ひて、手づから張りけり。 うへのきぬをあらひてゝづからはりけり。 うへのきぬをあらひて。手づからはりけり。
  志はいたしけれど、 心ざしはいたしけれど、 心ざしはいたしけれども。
  さる賎しき業も慣はざりければ、 さるいやしきわざもならはざりければ、 いまださるわざもならはざりければ。
  上の衣の肩を張り破りてけり。 うへのきぬのかたをはりやりてけり。 うへのきぬのかたをはりさきてけり。
  せむ方もなくてたゞ泣きに泣きけり。 せむかたもなくて、たゞなきになきけり。 せんかたもなくて。なきにのみなきけり。
 
  これを、かのあてなる男聞きて、 これをかのあてなるおとこきゝて、 これをかのあてなる男きゝて。
  いと心苦しかりければ、 いと心ぐるしかりければ、 いと心ぐるしかりければ。
  いと清らかなる録衫の上の衣を いときよらなるろうさうのうへのきぬを、 いときよげなりける四位のうへのきぬ。
  見出でてやるとて、 見いでゝやるとて、 たゞかた時に見いでて。
 

78
 紫の色濃き時はめもはるに  むらさきのいろこき時はめもはるに  紫の色こき時はめもはるに
  野なる草木ぞわかれざりける   のなるくさ木ぞわかれざりける   野なる草木そわかれさりける
 
  武蔵野の心なるべし。 むさしのゝ心なるべし。  むさし野の心なるべし。
 
 

第42段 誰が通ひ路

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男  昔、おとこ、  昔男。
  色好みと知る知る女を いろごのみとしるしる、女を 色ごのみとしる〳〵。
  あひ言へりけり。 あひいへりけり。 女をあひしけり。
 
  されど憎くはたあらざりけり。 されどにくゝはたあらざりけり。 にくゝもあらざり
  しばしばいきけれど しばしばいきけれど、 けれど。
  なほいと 猶いと なをいとうたがひ
  後めたく、 うしろめたく、 うしろめたなし[き歟]うへに。
  さりとて、いかではた得あるまじかりけり。 さりとて、いかではたえあるまじかりけり。 いとたゞには。
  なほはた得あらざりけるなかなりければ、 なをはたえあらざりけるなかなりければ あらざりけり。
  二日三日ばかりさはることありて、 ふつかみか許、さはることありて、 ふつかばかりいかで。
  えいかでかくなむ。 えいかでかくなむ。 かくなん。
 

79
 出でて来し
 あとだに未だかはらじを
 いでゝこし
 あとだにいまだかはらじを
 出て行
 あと(みち一本)たにいまたかはかぬに
  誰が通ひ路と今はなるらむ   たがゝよひぢといまはなるらむ   たか通路と今はなるらん
 
  もの疑はしさに詠めるなり。 ものうたがはしさによめるなりけり。  ものうたがはしさに。よめるなり。
 
 

第43段 名のみ立つ しでの田長

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  昔
賀陽親王と申す親王おはしましけり。 かやのみこと申すみこおはしましけり。 かやのみこと申すみこおはしましけり。
  その親王、女をおぼしめして、 そのみこ、女をおぼしめして、 其みこ女を
  いと賢う恵みつかう給ひけるを、 いとかしこくめぐみつかうたまひけるを、 いとかしこう。めしつかひたまひけり。
  人なまめきて有りけるを、 人なまめきてありけるを、 いとなまめきて有けるを。
      わかき人はゆるさゞりけり。
  我のみと思ひけるを、 われのみと思けるを、 我のみと思ひけるを。
  又人聞きつけて、文やる。 又人きゝつけてふみやる。 又人きゝつけて文やる。
  ほととぎすの形を書きて、 ほとゝぎすのかたをかきて、 郭公のかたをつくりて。
 

80
 ほととぎす汝が泣く里のあまたあれば  ほとゝぎすながなくさとのあまたあれば  時鳥なかなく里のあまたあれは
  なほ疎まれぬ思ふものから   猶うとまれぬ思ふものから   猶うとまれぬ思ふ物から
 
  といへり。 といへり。  といへりけり。
  この女、気色をとりて、 この女、けしきをとりて、 この女けしきをとりて。
 

81
 名のみたつしでの田長はけさぞ鳴く  名のみたつしでのたおさはけさぞなく  名のみたつしてのたおさはけさそなく
  庵あまた疎まれぬれば   いほりあまたとうとまれぬれば   庵數多に疎まれぬれは
 
  時は五月になむありける。 時はさ月になむありける。  一時はさ月になんありければ。
  男返し、 おとこ、返し、 男又返し。
 

82
 いほり多きしでの田長はなほ頼む  いほりおほきしでのたおさは猶たのむ  いほり多きしてのたおさは猶賴む
  わが住む里に声し絶えずは   わがすむさとにこゑしたえずは   我すむ里に聲したえすは
 
 

第44段 馬のはなむけ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、県へゆく人に  むかし、あがたへゆく人に  昔あがたへゆく人に。
  馬のはなむけせむとて、 むまのはなむけせむとて、 馬のはなむけせんとて。
  呼びて、 よびて、 よびたりけるに。
  疎き人にしあらざりければ、 うとき人にしあらざりければ、 うとき人にしあらざりければ。
  家刀自、盃さゝせて いゑとうじさか月さゝせて、 いへとうじして。さかづきさゝせなどして。
  女の装束かづけむとす。 女のさうぞくかづけむとす。 女のさうぞくかづく。
  主の男、歌詠みて、 あるじのおとこ、うたよみて、 あるじの男うたをよみて。
  裳の腰に結ひつけさす。 ものこしにゆひつけさす。 ものこしにゆひつけさす。
 

83
 いでてゆく君がためにと脱ぎつれば  いでゝゆくきみがためにとぬぎつれは  いてゝゆく君か爲にとぬきつれは
  我さへもなくなりぬべきかな   我さへもなくなりぬべきかな   我さへもなく成ぬへき哉
 
  この歌は、あるがなかに面白ければ、 このうたは、あるがなかにおもしろければ、  
  心とゞめてよまず、腹に味はひて。 心とゞめてよます、はらにあぢはひて。  
 
 

第45段 行く蛍

(構成が大きく変更されている)
  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  むかし宫づかへしける男。
  人の娘のかしづく、 人のむすめのかしづく、 すゞろなるけがらひにあひて。
  いかでこの男にもの言はむと思ひけり。 いかでこのおとこにものいはむと思けり。 家にこもりゐたりけり。
  うちいでむこと難くやありけむ、 うちいでむことかたくやありけむ、  
  もの病になりて死ぬべきときに、 ものやみになりて、しぬべき時に、 時はみな月のつごもりなり。
  かくこそ思ひしかといひけるを、 かくこそ思ひしか、といひけるを、 夕暮に風すゞしく吹。螢など飛ちがふを。
  親聞きつけて、 おやきゝつけて、 まぼりふせりて。
  泣く泣く告げたりければ、 なくなくつげたりければ、  
  まどひ来たりけれど、死にければ、 まどひきたりけれどしにければ、  行螢雲の上まていぬへくは
  つれづれと籠りをりけり。 つれづれとこもりをりけり。   秋風吹とかりにつけこせ
 
  時は水無月のつごもり、 時はみな月のつごもり、  昔すき者の心ばえあり。
  いと暑きころほひに、 いとあつきころをひに、 あでやかなりける人のむすめのかしづくを。
  宵はあそびをりて、 よゐはあそびをりて、 いかで物いはんと思ふ男有けり。
  夜は更けてやゝ涼しき風吹きけり。 夜ふけて、やゝすゞしき風ふきけり。 こゝろよはくいひいでんことやかたかりけん。
  蛍高く飛びあがる。 ほたるたかうとびあがる。 物やみになりてしぬべきとき。
  この男、見ふせりて、 このおとこ、見ふせりて、 かくこそおもひしかといふに。
      おやきゝつけたりけり。

84
 行く蛍雲の上までいぬべくは  ゆくほたる雲のうへまでいぬべくは まどひきたるほどに。しにゝければ。
  秋風吹くと雁に告げこせ   秋風吹とかりにつげこせ 家にこもりて。つれ〴〵とながめて。
 

85
 暮れがたき夏のひぐらしながむれば  くれがたき夏のひぐらしながむれば  暮かたき夏の日くらしなかむれは
  そのことゝなくものぞ悲しき   そのことゝなくものぞかなしき   その事となく物そ悲しき
 
 

第46段 うるはしき友

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  
  いとうるはしき友ありけり。 いとうるはしきともありけり。  
  かた時去らずあひ思ひけるを、 かた時さらずあひおもひけるを、  
  人の国へいきけるを、 人のくにへいきけるを、  
  いとあはれと思ひて別れにけり。 いとあはれと思て、わかれにけり。  
 
  月日経ておこせたる文に、 月日へてをこせたるふみに、  
  あさましく対面せで あさましくえたいめんせで、  
  月日の経にけること。 月日のへにけること、  
  忘れやし給ひにけむと、 わすれやしたまひにけむと  
  いたく思ひわびて なむ侍る。 いたくおもひわびてなむ侍。  
 
  世の中の人の心は、 世中の人の心は、  
  目離るれば めかるれば  
  忘れぬべきものにこそあめれ。 わすれぬべきものにこそあれめ、  
  といへりければ、よみてやる。 といへりければ、よみてやる。  
 

86
 目離るともおもほえなくに忘らるゝ  めかるともおもほえなくにわすらるゝ  
  時しなければ面影にたつ   時しなければおもかげにたつ  
 
 

第47段 大幣

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかしおとこ。
  懇にいかでと思ふ女ありけり。 ねむごろにいかでと思女ありけり。 ねんごろにいかでと思ふ女ありけり。
  されど、この男をあだなりと聞きて、 されど、このおとこをあだなりときゝて、 されどこの男あだなりときゝて。
  つれなさのみまさりつゝいへる。 つれなさのみまさりつゝいへる。 つれなさのまさりて。
 

87
 大幣のひく手あまたになりぬれば  おほぬさのひくてあまたになりぬれば  大幣のひくてあまたに閒ゆれは
  思へどこそ頼まざりけれ   思へどえこそたのまざりけれ   思へとえこそ賴まさりけれ
 
  返し、男、 返し、おとこ、  返し。
 

88
 大幣と名にこそたてれ流れても  おほぬさと名にこそたてれながれても  大幣と名に社たてれ流れても
  つひによる瀬はありといふものを   つゐによるせはありといふものを   つゐによるせはあるてふ物を
 
 

第48段 人待たむ里

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  むかしおとこ有けり。
  馬のはなむけせむとて、 むまのはなむけせむとて、 ものへ行人に。むまのはなむけせんとて。
  人を待ちけるに、来ざりければ、 人をまちけるに、こざりければ、 ひと日まちけるに。こざりければ。
 

89
 今ぞ知る苦しきものと人待たむ  いまぞしるくるしき物と人またむ  今そしる苦しき物と人またん
  里をば離れず訪ふべかりけり   さとをばかれずとふべかりけり   里をはかれすとふへかりけり
 
 

第49段 若草

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔男。
  妹の いもうとの いもうとの
  いとをかしげなりけるを見をりて、 いとおかしげなりけるを見をりて、 おかしげなるを見て。
 

90
 うら若み寝よげに見ゆる若草を  うらわかみねよげに見ゆるわかくさを  うらわかみねよげにみゆる若艸を
  人の結ばむことをしぞ思ふ   人のむすばむことをしぞ思   人の結はぬことをしそ思ふ
 
  と聞えけり。返し、 ときこえけり。返し、  ときこえければ。返し。
 

91
 初草のなどめづらしき言の葉ぞ  はつくさのなどめづらしきことのはぞ  初草のなとめつらしきことのはそ
  うらなくものを思ひけるかな   うらなくものをおもひけるかな   うらなく物を思ひける哉
 
 

第50段 あだくらべ 鳥の子

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこ有けり。  むかし男有けり。
  恨むる人を恨みて、 うらむる人をうらみて、 人をうらみて。
 

92
 鳥の子を十づゝ十は重ぬとも  とりのこをとをづゝとをはかさぬとも  鳥のこをとをつゝ十はかさぬとも
  思はぬ人をおもふものかは   おもはぬ人を思ふものかは   思はぬ人を思ふものかは
 
  といへりければ、 といへりければ  といへりければ。をんな。
 

93
 朝露は消え残りてもありぬべし  あさつゆはきえのこりてもありぬべし  朝露は消のこりても有ぬへし
  誰かこの世を頼みはつべき   たれかこのよをたのみはつべき   誰か此世をたのみはつへき
 
  又、男、 又、おとこ、  又おとこ。
 

94
 吹く風に去年の桜は散らずとも  ふくかぜにこぞのさくらはちらずとも  吹風にこそのさくらはちらすとも
  あな頼みがた人の心は   あなたのみがた人の心は   あなたのみかた人の心や
 
  又、女、返し、 又、女、返し、  又返し。女。
 

95
 ゆく水に数かくよりもはかなきは  ゆく水にかずかくよりもはかなきは  行水にかすかくよりもはかなきは
  思はぬ人を思ふなりけり   おもはぬひとをおもふなりけり   思はぬ人を思ふなりけり
 
  又、男、 又、おとこ、  又おとこ。
 

96
 ゆく水と過ぐるよはひと散る花と  行みづとすぐるよはひとちる花と  行水とすくる齡とちる花と
  いづれ待ててふことを聞くらむ   いづれまてゝふことをきくらむ   いつれまててふことをきくらん
 
  あだ比べ、 あだくらべ、  あだにて。
  かたみにしける男女の、 かたみにしけるおとこ女の、 たがひに
  忍びありきしけることなるべし。 しのびありきしけることなるべし。 しのびありきすることをいふなるべし。
 
 

第51段 前栽の菊

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかしおとこ。
  人の前栽に菊植ゑけるに、 人のせんざいにきくうへけるに、 人の前栽うへけるに。
 

97
 植ゑしうゑば
 秋なき時や咲かざらむ
 うへしうへば
 秋なき時やさかざらむ
 移し植は(古今うへしうへは一本)
 秋なき時やさかさらん
  花こそ散らめ根さへ枯れめや   花こそちらめねさへかれめや   花こそちらめねさへ枯めや
 
 

第52段 飾り粽(かざりちまき)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  むかしおとこありけり。
  人のもとより、 人のもとより 人のもとより。
  かざり粽おこせたりける返り事に、 かざりちまきをゝこせたりける返ごとに かざりちまきをこせたる返事に。
 

98
 菖蒲刈り君は沼にぞまどひける  あやめかりきみはぬまにぞまどひける  葛蒲かり君は沼にそ惑ひける
  我は野に出でてかるぞわびしき   我は野にいでゝかるぞわびしき   我は野に出てかくそをゝしき
 
  とて、雉子をなむやりける。 とて、きじをなむやりける。  とて。きじをなんやりける。
 
 

第53段 あひがたき女

  →〔あらすじ・解説
 
 昔、男、  むかし、おとこ、  むかしおとこ。
  あひがたき女にあひて、 あひがたき女にあひて、 あり(あひ一本)がたかりける女に。
  物語などするほどに、 物がたりなどするほどに、 物がたりなどするほどに。
  鶏の鳴きければ、 とりのなきければ、 とりのなきければ。
 

99
 いかでかは
 鶏の鳴くらむ人しれず
 いかでかは
 鳥のなくらむ人しれず
 いかてかく(は一本)
 鳥のなくらん人しれす
  思ふ心はまだ夜ぶかきに   おもふ心はまだよふかきに   おもふ心はまた夜深きに
 
 

第54段 つれなかりける女

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかしおとこ。
  つれなかりける女に言ひやりける。 つれなかりける女にいひやりける。 つれなかりける女に。いひやりけり。
 

100
 行きやらぬ夢路を頼むたもとには  ゆきやらぬゆめ地をたどるたもとには  行やらぬ夢路をたとる袂には
  天つ空なる露やおくらむ   あまつそらなるつゆやをくらむ   あまつそらなき露やをくらん
 
 

第55段 思ひかけたる女 言の葉

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  
  思ひかけたる女の、 思ひかけたる女の、  
  え得まじうなりての世に、 えうまじうなりてのよに、  
 

101
 思はずはありもすめらど言の葉の  おもはずはありもすらめどことのはの  
  をりふしごとに頼まるゝかな   をりふしごとにたのまるゝかな  
 
 

第56段 草の庵(いほり)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  昔、おとこ、  昔男。
  臥して思ひ起きて思ひ、 ふしておもひおきておもひ、 ふして思ひおきて
  思ひあまりて、 おもひあまりて、 おもひあまりて。
 

102
 わが袖は草の庵にあらねども  わが袖は草のいほりにあらねども  我袖は草の庵にあらねとも
  暮るれば露の宿りなりけり   くるればつゆのやどりなりけり   くるれは露のやとりとそなる
 
 

第57段 恋ひわびぬ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔。
  人知れぬ物思ひけり。 人しれぬ物思ひけり。 人しれぬ物おもひける男。
  つれなき人のもとに、 つれなき人のもとに、 つれなき女のもとに。
 

103
 恋ひわびぬあまの刈る藻に宿るてふ  こひわびぬあまのかるもにやどるてふ  戀わひぬ蜑のかるもに宿るてふ
  われから身をもくだきつるかな   我から身をもくだきつるかな   我から(く一本)身をもくたきつる哉
 
 

第58段 荒れたる宿

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  昔。
心つきて色好みなる男、 心つきていろごのみなるをとこ、 心つきなま[きイ]色ごのみなる男。
  長岡といふ所に ながをかといふ所に、 なが岡といふ所に
  家造りてをりけり。 いゑつくりてをりけり。 家つくりてをりけり。
 
  そこの隣なりける、宮ばらに、 そこのとなりとなりける宮はらに、 そこのとなりなりける宮ばらに。
  こともなき女どもの、 こともなき女どもの、 こともなき女どもありけり。
  田舎なれければ、 ゐなかなりければ、 ゐなかなりければ。
  田刈らむとてこの男のあるを見て、 田からむとて、このをとこのあるを見て、 田からす[む]とて此男見をりけるに。
  いみじのすき者のしわざやとて いみじのすきものゝしわざやとて、 いみじのすきものの。しわざやとて
  集りていり来れば、 あつまりていりきければ、 あつまりいりきけれは(いりければ一本)。
  この男、逃げて奥にかくれにければ、 このおとこ、にげておくにかくれにければ、 此男おくににげいりにけき。
  女、 女、 女かく。
 

104
 荒れにけりあはれいく世の宿なれや  あれにけりあはれいく世のやどなれや  あれにけりあはれ幾よの宿なれや
  住みけむ人のおとづれもせぬ   すみけむ人のをとづれもせぬ   住けん人のをとつれもせす
 
  といひて、 といひて、  といひて。
  この宮に集り来ゐてありければ、 この宮にあつまりきゐてありければ、 あつまりきければ。
  この男、 おとこ、 おとこ。
 

105
 葎おひて荒れたる宿のうれたきは  むぐらおひてあれたるやどのうれたきは  葎生て荒たる宿のうれたきは
  かりにも鬼の集くなり   かりにもおにのすだくなりけり   かりにもおき[鬼イ]のすたく也けり
 
  とてなむいだしたりける。 とてなむいだしたりける。  といひてなむ出したりける。
  この女ども、穂ひろはむといひければ、 この女ども、ほひろはむといひければ、 此女どもほひろはんといひければ。
 

106
 うちわびて落穂ひろふときかませば  うちわびておちぼひろふときかませば  打わひて落穗拾ふときかませは
  我も田面にゆかましものを   われもたづらにゆかましものを   我も田つらにゆかまし物を
 
 

第59段 東山

(群書類従本最終段)
  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔男。
  京をいかゞ思ひけむ。 京をいかゞおもひけむ、 みやこをいかゞ思ひけん。
  東山に住まむと思ひ入りて、 ひむがし山にすまむとおもひいりて、 ひんがし山にすまんとおもひ。いきて。
 

107
 住わびぬ今はかぎりと山里に  すみわびぬいまはかぎりと山ざとに  住わひぬ今はかきりの山里に
  身をかくすべき宿をもとめてむ   身をかくすべきやどもとめてむ   身をかくすへき宿もとめてん
 
  かくて、 かくて、  なんどよみをりけるに。
  ものいたく病みて、死に入りければ、 物いたくやみて、しにいりたりければ、 物いたうやみてしに入たりければ。
  おもてに水そゝぎなどして おもてに水そゝぎなどして、 おもてに水そゝぎなどし・(ければ一本)
  いき出でて、 いきいでゝ、 いきいでて。
 

108
 わが上に露ぞ置くなる天の河  わがうへにつゆぞをくなるあまのかは  我うへに露そをくなる天の河
  門渡る船の
  かいのしづくか
  とわたるふねの
  かいのしづくか
  とわたる舟の
  かひのしつくか(よみ人しらす古今)
 
  となむいひて、いき出でたりける。 となむいひて、いきいでたりける。  といひてぞいき出たりける。
      まことにかぎりになりける時。
 
     つゐに行道とかねはて聞しかと
      昨日けふとは思はさりしを
 
       とてなむたえいりにけり
 
 

第60段 花橘

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  昔、をとこ有けり。  昔男有けり。
  宮仕へいそがしく、 宮づかへいそがしく、 宮づかへもいそがしくて。
  心もまめならざりけるほどの 心もまめならざりけるほどの 心もまめならざりければ。
  家刀自、 いへとうじ、 家とうじと新[イニナシ]
  まめに思はむといふ人につきて、 まめにおもはむといふ人につきて、 まめに思はんといひける人につきて。
  人の国へいにけり。 人のくにへいにけり。 人の國へいにけり。
 
   この男、  このおとこ、  この男
  宇佐の使にていきけるに、 宇佐のつかひにていきけるに、 うさの使にていきけるに。
  ある国の祇承の官人の妻にて あるくにのしぞうの官人のめにて ある國のしぞうの官人のめに
  なむあると聞きて、 なむあるときゝて、 なんあると聞て。
  女あるじにかはらけとせよ。 女あるじにかはらけとらせよ、 女あるじに。かはらけとらせよ。
  さらずは飲まじといひければ、 さらずはのまじ、といひければ、 さらばのまんといひければ。
  かはらけ取りいだしたりけるに、 かはらけとりていだしたりけるに、 かはらけとらせて。いだしたりけるに。
  肴なりける橘をとりて、 さかなゝりけるたちばなをとりて、 さかななりけるたち花をとりて。
 

109
 さつき待つ花橘の香をかげば  さ月まつ花たちばなのかをかげば  さ月まつ花橘の香をかけは
  昔の人の袖の香ぞする   昔の人の袖のかぞする   昔の人の袖のかそする
 
  といひけるにぞ、思ひ出でて、 といひけるにぞ思ひいでゝ、  といへりけるにぞ。思ひ出て
  尼になりて、山に入りてぞありける。 あまになりて、山にいりてぞありける。 あまになりて。山には入にける。
 
 

第61段 染河

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、をとこ、  昔
  筑紫までいきたるに、 つくしまでいきたりけるに、 つくしまでいきたりける男有けり。
  これは色好むといふすきものと これはいろこのむといふすき物と これはいろこのむなるすきものぞと。
  簾のうちなる人の、 すだれのうちなる人の すだれのうちなる人の
  いひけるを聞きて、 いひけるをきゝて、 いひけるをきゝて。男。
 

110
 染河を
 渡らむ人の
 いかでかは
 そめがはを
 わたらむ人の
 いかでかは
 染河を
 渡らん人の
 いかてかは
  色になるてふ
  ことのなからむ
  いろになるてふ
  ことのなからむ
  色になるてふ
  ことなかるへき(のなからん一本)
 
  女、返し、 女、返し、  女返し。
 

111
 名にし負はば
 あだにぞあるべき
 たはれ島
 名にしおはゞ
 あだにぞあるべき
 たはれじま
 名にしおはゝ
 あたにそ思ふ(あるへき一本)
 たはれ嶋
  浪の濡れ衣
  着るといふなり
  なみのぬれぎぬ
  きるといふなり
  浪の濡衣
  きるといふ也
 
 

第62段 古の匂は こけるから

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、年ごろおとづれざりける女、  むかし、年ごろをとづれざりける女、  昔年ごろをとろへざりける女。
  心かしこくやあらざりけむ。 心かしこくやあらざりけむ、 心かしこくやあらざりけん。
  はかなき人の言につきて、 はかなき人の事につきて、 はかなき人のことにつきて。
  人の国になりける人に使はれて、 人のくになりける人につかはれて、 人の國なりける人につかはれて。
  もと見し人の前にいで来て、 もと見し人のまへにいできて、 もとみし人のまへにいできて。
  物食はせなどしけり。 物くはせなどしけり。 物くはせなどしありきけり。
      長きかみをきぬのふくろに入て。
      遠山ずりのながきあををぞきたりける。
  夜さり、このありつる人給へ よさり、この有つる人たまへ、 よさりこのありつる人たまへと。
  と主にいひければ、 とあるじにいひければ、 あるじにいひければ。
  おこせたりけり。 をこせたりけり。 をこせたりけり。
  男、我をば知らずやとて、 おとこ、われをばしるやとて、 男われをばしらずやとて。
 

112
 いにしへの
 にほひはいづら
 桜花
 いにしへの
 にほひはいづら
 さくらばな
 いにしへの
 匂ひはいつら
 櫻花
  こけるからとも
  なりにけるかな
  こけるからとも
  なりにけるかな
  わけるかことも(ちれるが如も一本)
  なりにける哉
 
  といふを、いとはづかしく思ひて、 といふをいとはづかしと思ひて、  といふを。いとはづかしとおもひて。
  いらへもせでゐたるを、 いらへもせでゐたるを、 いらへもせでゐたるを。
  などいらへもせぬといへば、 などいらへもせぬといへば、 などいらへもせぬといへば。
  涙のこぼるゝに目もみえず、 なみだのこぼるゝにめを見えず、 淚のながるゝに。めもみえず
  ものもいはれずといふ、 物もいはれず、といふ。 ものもいはれずといへば。おとこ。
 

113
 これやこの
 我にあふみを
 のがれつゝ
 これやこの
 我にあふみを
 のがれつゝ
 是やこの
 我にあふみを
 のかれつゝ
  年月経れど
  まさり顔なき
  年月ふれど
  まさりがほなみ
  年月ふれと
  まさり顏なみ
 
  といひて、 といひて、  といひて。
  衣ぬぎて取らせけれど、 きぬゝぎてとらせけれど、 きぬぬぎてとらせけれど。
  すてて逃げにけり。 すてゝにげにけり。 すててにげにけり。
  いづちいぬらむとも知らず。 いづちいぬらむともしらず。 いづこにいぬらんともしらず。
 
 

第63段 つくもがみ(髪)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、世心づける女、  むかし、世心づける女、  むかし。世ごゝろある女。
  いかで心情けあらむ男に いかで心なさけあらむおとこに いかでこのなさけある男を
  あひえてしがなと思へど、 あひえてしがなとおもへど、 かたらひてしがなと思へども。
  言ひ出でむも頼りなさに、 いひいでむもたよりなさに、 いひいでんにもたよりなければ。
  まことならぬ夢がたりをす。 まことならぬゆめがたりをす。 まことならぬ夢がたりを。
 
  子三人を呼びて語りけり。 子三人をよびてかたりけり。 むす子みたりをよびあつめてかたりけり。
  二人の子は、情けなくいらへて止みぬ。 ふたりのこは、なさけなくいらへてやみぬ。 ふたりの子はなさけなくいらへてやみぬ。
  三郎なりけむ子なむ、 さぶらうなりける子なむ、 さぶらふなりけるなん。
  よき御男ぞいでこむとあはするに、 よき御おとこぞいでこむ、とあはするに、 よき御おとこぞいでこむとあはするに。
  この女気色いとよし。 この女けしきいとよし。 この女けしきいとよし。
  こと人とはいと情けなし。 こと人はいとなさけなし。 こと人はいとなさけなし。
  いかでこの在五中将にあはせてしがな いかでこの在五中将にあはせてしがな いかでこの在五中將にあはせてしがな
  と思ふ心あり。 と思ふ心あり、 とおもふ心ありけり。
 
  狩しありきけるにいきあひて、 かりしありきけるに、いきあひて、 かりしありきける道にゆきあひにけり。
  道にて馬の口をとりて、 道にてむまのくちをとりて、 馬のくちをとりて。
  かうかうなむ思ふといひければ、 かうかうなむ思ふ、といひければ、 やう〳〵なんおもふといひけれは。
  哀れがりて、きて寝にけり。 あはれがりて、きてねにけり。 あはれがりてひとよねにけり。
 
  さてのち男見えざりければ、 さてのち、おとこ見えざりければ さてのちをさをさこねば。
  女、男の家にいきて垣間みけるを、 女、おとこのいゑにいきてかいまみけるを、 女おとこの家にいきて。かいま見けるを。
  男ほのかに見て、 をとこほのかに見て、 男ほのかにま見て。
 

114
 百歳に一歳たらぬつくも髪  もゝとせにひとゝせたらぬつくもがみ  百とせに一とせたらぬつくもかみ
  われを恋ふらしおもかげに見ゆ   われをこふらしおもかげに見ゆ   我をこふらし俤にたつ
 
  とて、 とて  といひて。馬にくらおかせて
  出でたつ気色を見て、 いでたつけしきを見て、 いでたつけしきを見て。
  茨からたちにかゝりて、 むばら、からたちにかゝりて、 むばらからたちともしらずはしりまどひて。
  家にきてうちふせり。 いゑにきてうちふせり。 家にきてふせり。
 
  男かの女のせしやうに、 おとこ、かの女のせしやうに 男この女のせしやうに。
  しのびて立てりてみれば、 しのびてたてりて見れば、 しのびてたてりて見ければ。
  女嘆きて寝ぬとて、 女なげきてぬとて、 女うちなきてぬとて。
 

115
 さむしろに衣かたしき今宵もや  狭席に衣片敷今夜もや  さむしろに衣片しきこよひもや
  恋しき人に逢はでのみ寝む   恋しき人にあはでのみねむ   戀しき人にあはてわかねん
 
  と詠みけるを、 とよみけるを、  とよみけるを。
  男あはれと思ひて、その夜は寝にけり。 ゝとこあはれと思ひて、そのよはねにけり。 あはれとみてその夜はねにけり。
  世の中の例として、 世中のれいとして、 世中のれいとして。
  思ふをば思ひ、
思はぬをば思はぬものを、
おもふをば思ひ、
おもはぬをばおもはぬものを、
思ひおもはぬ人有を。
  この人は、思ふをも思はぬをも、 この人は、思ふをもおもはぬをも、 この人は
  けぢめみせぬ心なむありける。 けぢめ見せぬ心なむ有りける。 そのけぢめ見せぬこゝろなんありける。
 
 

第64段 玉すだれ(簾)

  →〔あらすじ・解説
 
♂♀  むかし、男、  昔、おとこ女、  むかし男。
  みそかに語らふわざもせざりせば、 みそかにかたらふわざもせざりければ、 女をみそかにかたらふわざもせざりければ。
  いづくなりけむ、怪しさによめる。 いづくなりけむ、あやしさによめる。 いづこなりけむ。あやしさによめる。
 

116
 吹く風にわが身をなさば玉すだれ  吹風にわが身をなさば玉すだれ  吹風に我身をなさは玉すたれ
  ひま求めつつ
  入るべきものを
  ひまもとめつゝ
  いるべきものを
  ひま求めつゝ
  いらまし(いるへき一本)ものを
 
  返し、 返し、  返し。女。
 

117
 取りとめぬ風にはありとも玉すだれ  とりとめぬ風にはありともたますだれ  とりとめぬ風にはあれと玉簾
  誰が許さば
  かひもとむべき
  たがゆるさば
  かひまもとむべき
  たかゆるさは
  か隙もとむへき
 
       とてやみにけり。
 
 

第65段 在原なりける男

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  昔。
おほやけおぼしてつかう給ふ女の、 おほやけおぼして、つかうたまふ女の、 みかどの時めきつかはせ給ふ女。
  色ゆるされたるありけり。 いろゆるされたるありけり。 色ゆるされたる有けり。
  大御息所とて おほみやすん所とて あほみやす所とて
  いますがりけるいとこなりけり。 いますかりけるいとこなりけり。 いまそかりけるが御いとこなりけり。
  殿上にさぶらひける 殿上にさぶらひける 殿上につかはせ給ひける。
  在原なりける男の、 ありはらなりけるおとこの、 ありはらなりける男。
  まだいと若かりけるを、 まだいとわかゝりけるを、  
  この女あひ知りたりけり。 この女あひしりたりけり。  
 
  男、女方ゆるされたりければ、 おとこ、女がたゆるされたりければ、 女がたゆるされたりければ。
  女のある所に来てむかひをりければ、 女のある所にきて、むかひをりければ、 女のある所にいきて。むかひをりければ。
  女、いとかたはなり。身も滅ぶなむ。 女、いとかたはなり、身もほろびなむ、 女いとかたはなり。身もほろびなん。
  かくなせそといひければ、 かくなせそ、といひければ、 かくなせそといひければ。
 

118
 思ふには忍ぶることぞ負けにける  おもふにはしのぶることぞまけにける  思ふには忍ふることそ負にける
  逢ふにしかへばさもあらばあれ   あふにしかへばさもあらばあれ   逢にしかへはさもあらはあれ
 
  といひて、曹司におり給へれば、 といひて、ざうしにおりたまへれば、  といひて。さうしにおりたまへば。
  例の、このみ曹司には、 れいのこのみざうしには、 いとゞさうしには。
  人の見るをも知でのぼりゐければ、 人の見るをもしらでのぼりゐければ、 人の見るをもしのばでのぼりゐければ。
  この女思ひわびて里へゆく。 この女、おもひわびてさとへゆく。 此女思ひわびてさとへゆきければ。
  されば、何の、よきこととて思ひて、 されば、なにのよき事と思ひて、 なにのよきこととおもひて
  いき通ひければ、 いきかよひければ、 ゆきかよふに。
  みな人聞きてわらひけり。 みなひときゝてわらひけり。 みな人きゝてわらひけり。
 
  つとめて つとめて、 つとめて
  主殿司の見るに、 とのもづかさの見るに、 とのも(とのもり一本)づかさの見るに。
  沓はとりて奥になげ入れてのぼりぬ。 くつはとりて、おくになげいれてのぼりぬ。 くつはとりておくになげいれてのぼりゐて。
 
  かくかたはにしつゝありわたるに、 かくかたはにしつゝありわたるに、 かくかたはにしつゝありわたるよ。
  身もいたづらになりぬべければ 身もいたづらになりぬべければ、 身もいたづらになりぬべければ。
  つひに滅びぬべしとて、 つゐにほろびぬべしとて、 つゐにほろびぬベしとて。
  この男、 このおとこ、 この男
  いかにせむ。 いかにせむ、 いかにせん。
  我がかゝる心やめ給へとて わがかゝるこゝろやめたまへと、 わかゝる[がかゝるイ]心やめ給へと。
  ほとけ神にも申しけれど、 ほとけ神にも申けれど、 ほとけ神にも申けれど。
  いやまさりにのみ覚えつつ、 いやまさりにのみおぼえつゝ、 いやまさりつゝおぼえつゝ。
  なほわりなく なをわりなく なをわりなく
  恋しうのみ覚えければ、 こひしうのみおぼえければ、 こひしきことのみおぼえければ。
  陰陽師、巫よびて、 おむやうじ、かむなぎよびて、 かんなぎをんやうじして。
  恋せじといふ祓の具して こひせじといふはらへのぐして こひせじといふみそぎのぐして
  なむいきける。 なむいきける。 なんいきける。
 
  祓へけるまゝに、 はらへけるまゝに、 はらへけるまゝに
  いとど悲しきこと数まさりて、 いとかなしきことかずまさりて、 いとゞかなしきことのみかずまさりて。
  ありしよりけに恋しくのみ覚えければ、 ありしよりけにこひしくのみおぼえければ ありしよりけに戀しくのみおぼえければ。
 

119
 恋せじと御手洗川にせしみそぎ  恋せじとみたらしがはにせしみそぎ  戀せしとみたらし河にせしみそき
  神はうけずも
  なりにけるかな
  神はうけずも
  なりにけるかな
  神はうけすも
  成にける哉(けらしも古今)
 
  といひてなむ往にける。 といひてなむいにける。  といひてなんきにける。
 
   この帝は  このみかどは  このみかどは。
  顔かたちよくおはしまして、 かほかたちよくおはしまして、 御かほかたちよくおはしまして。
  仏の御名を、御心に入れて、 ほとけの御なを御心にいれて、 曉には佛の御名を心にいれて。
  御声はいと尊くて申し給ふを聞きて、 御こゑはいとたうとくて申たまふをきゝて、 御聲はいとたうとくて申給ふを聞て。
  女はいたう泣きけり。 女はいたうなきけり。 此女はいたうなげきけり。
  かゝる君に仕うまつらで、 かゝるきみにつかうまつらで、 かゝる君につかうまつらで。
  宿世つたなく悲しきこと、 すくせつたなくかなしきこと、 すぐせつたなうかなしきこと。
  この男にほだされてとてなむ泣きにける。 このおとこにほだされてとてなむなきける。 此男にほだされてと思ひてなんなきける。
 
   かゝるほどに帝聞しめして、 かゝるほどに、みかどきこしめしつけて、 かゝるほどに。みかどきこしめしつけて。
  この男をば流しつかはしてければ、 このおとこをば、ながしつかはしてければ、 此男ながしつかはしければ。
  この女のいとこの御息所、 この女のいとこのみやすどころ、 あの女をば。
  女をばまかでさせて、 女をばまかでさせて、 いとこの宮す所まかでさせて。
  蔵に籠めてしをり給うければ、 くらにこめてしおりたまふければ、 とののくらにこめてしほり給ひければ。
  蔵に籠りて泣く。 くらにこもりてなく。 くらにこもりて。なく〳〵。
 

120
 あまの刈る藻にすむ虫の我からと  あまのかるもにすむゝしのわれからと  蜑のかるもにすむ虫の我からと
  音をこそなかめ世をばうらみじ   ねをこそなかめ世をばうらみじ   ねを社なかめ世をは恨みし
 
  と泣きれば、 となきをれば、  となきをれば。
  この男、 このおとこは、 此男は
  人の国より夜ごとに来つゝ、 人のくにより夜ごとにきつゝ、 人の國より夜ごとにきつゝ。
  笛をいとおもしろく吹きて、 ふえをいとおもしろくふきて、 笛いとおもしろくふきて。
  声はをかしうてぞ、あはれにうたひける。 こゑはおかしうてぞあはれにうたひける。 聲はいとおかしくてうたをぞうたひける。
  かゝれば、この女は蔵に籠りながら、 かゝれば、この女はくらにこもりながら、 此女くらにこもりながら。
  それにぞあなるとは聞けど、 それにぞあなるとはきけど、 そこにぞあなりとはきゝけれど。
  あひ見るべきにもあらでなむありける。 あひ見るべきにもあらでなむありける。 逢見るベきにもあらで。かくなん。
 

121
 さりともと思ふらむこそ悲しけれ  さりともと思ふらむこそかなしけれ  さり共と思ふらん社悲しけれ
  あるにもあらぬ身を知らずして   あるにもあらぬ身をしらずして   有にもあらぬ身をはしらすて
 
  と思ひをり。 とおもひをり。  とおもひをり。
  男は女しあはねば、 おとこは女しあはねば、 おとこは女しあはねば。
  かくしありきつゝ かくしありきつゝ、 かくしありきつゝ
  人の国にありきてかくうたふ。 人のくにゝありきてかくうたふ。 うたふ。
 

122
 いたづらに行きては来ぬるものゆゑに  いたづらにゆきてはきぬるものゆへに  徒に行てはかへる物ゆへに
  見まくほしさにいざなはれつゝ   見まくほしさにいざなはれつゝ   見まくほしさにいさなはれつゝ
 
  水尾の御時 水のおの御時  水のおの御時の事
 (ニ條のきさきともこのことは一本)
  なるべし。 なるべし。 なるべし。
  大御息所も染殿の后なり。 おほみやすん所もそめどのゝきさきなり。 おほみやす所とは。そめどのの后なり。
  五条の后とも。 五条のきさきとも。  
 
 

第66段 みつの浦

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかし男。
  津の国にしる所ありけるに、 つのくにゝしる所ありけるに、 つのくににしるところありけり。
  兄弟友達ひきゐて、 あにおとゝともだちひきゐて、 あにをとゝともだちなんどひきゐて。
  難波の方にいきけり。 なにはの方にいきけり。 なにはのかたにいきけり。
  渚を見れば、舟どものあるを見て、 なぎさを見れば、舟どものあるを見て、 なぎさをうち見ければ。船どものあるを。
 

123
 難波津を
 けさこそみつの
 浦ごとに
 なにはづを
 けさこそみつの
 うらごとに
 難波津を(に一本)
 けふこそみつの
 浦ことに
  これやこの世を
  海わたる舟
  これやこの世を
  うみわたる舟
  是や此よを
  うみわたる舟
 
  これをあはれがりて、人々かへりにけり。 これをあはれがりて、人々かへりにけり。  これをあはれがりて。人々かへりにけり。
 
 

第67段 花の林

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  昔、男、  
  逍遥しに、思ひど親いつらねて、 せうえうしに、おもふどちかいつらねて、  
  和泉の国へ如月ばかりにいきにけり。 いづみのくにへきさらぎ許にいきけり。  
  河内の国生駒山を見れば、 かうちのくに、いこまの山を見れば、  
  曇りみ晴れみ、たちゐる雲やまず。 くもりみ、はれみ、たちゐるくもやまず、  
  あしたより曇りて、ひる晴れたり。 あしたよりくもりて、ひるはれたり。  
 
  雪いと白う木の末に降りたり。 雪いとしろう木のすゑにふりたり。  
  それを見て、 それを見て、  
  かのゆく人のなかにたゞ一人よみける。 かのゆく人のなかに、たゞひとりよみける。  
 

124
 昨日けふ雲のたちまひかくろふは  昨日けふ雲のたちまひかくろふは  
  花のはやしを憂しとなりけり   花の林をうしとなりけり  
 
 

第68段 住吉の浜

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔男。
  和泉の国へいきにけり。 いづみのくにへいきけり。 いづみの國にいきけり。
  住吉の郡、 すみよしのこほり、 つの國住よしのこほり
  住吉の里、 すみよしのさと、 すみよしの里
  住吉の浜を行くに、 すみよしのはまをゆくに、 のはまゆくに。
  いとおもしろければ、降りゐつゝ行く。 いとおもしろければ、おりゐつゝゆく。 いとおもしろければおりゐつゝ。
  ある人が住吉の浜と詠めと言ふ。 ある人、すみよしのはまとよめといふ。 ある人すみよしのはまとよめといふに。
 

125
 雁鳴きて菊の花さく秋はあれど  鴈なきて菊の花さく秋はあれど  鴈なきて菊の花さく秋はあれと
  春のうみべに住吉の浜   はるのうみべにすみよしのはま   春は海へに住吉の濱
 
  と詠めりければ、 とよめりければ、  とよめりければ。
  みな人は詠まずなりけり。 みな人々よまずなりにけり。 みな人よまずなりにけり。
 
 

第69段 狩の使

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  昔、おとこ有けり。  昔男有けり。
  その男伊勢の国に、 そのおとこ、伊勢のくにゝ その男伊勢の國に
  狩の使にいきけるに、 かりのつかひにいきけるに、 かりのつかひにいきけるを。
  かの伊勢の斎宮なりける人の親、 かのいせの斎宮なりける人のおや、 かの伊勢の齋宮なりける人のおや。
  常の使よりは、この人、よくいたはれ つねのつかひよりは、この人よくいたはれ、 つねの使よりは此人よくいたはれ
  といひやれりければ、 といひやれりければ、 といひやりけり。
  親のことなりければ、 おやのことなりければ、 おやのいふことなりければ。
  いと懇にいたはりけり。 いとねむごろにいたはりけり。 いとねんごろにいたはりけり。
  朝には狩にいだし立ててやり、 あしたにはかりにいだしたてゝやり、 あしたにはかりにいだしたてゝやり。
  夕さりは帰りつゝそこに来させけり。 ゆふさりはかへりつゝ、そこにこさせけり。 ゆふさりはこゝにかへりこさせけり。
  かくて懇に かくてねむごろに かくてねんごろにいたはりけるほどに。
  いたづきけり。 いたづきけり。 いひつぎにけり。
 
  二日といふ夜、 二日といふ夜、 二日といふ夜
  男、われてあはむといふ。 おとこ、われてあはむ、といふ。 われてあはむといふ。
  女もはた、いと逢はじとも思へらず。 女もはた、あはじともおもへらず。 女はたいとあはじとも思へらず。
  されど、人目しげければ逢はず。 されど、人めしげゝればえあはず。 されど人めしげければえあはず。
  使実とある人なれば、 つかひざねとある人なれば、 つかひさねとある人なれば。
  遠くも宿さず。 とをくもやどさず、 とをくもやどさず。
  女の寝屋近くありければ、 女のねやもちかくありければ、 ねやちかくなん有ける。
  女、人をしづめて、 女、ひとをしづめて、 女人をしづめて。
  子一つばかりに、男のもとに来たりけり。 ねひとつ許に、おとこのもとにきたりけり。 ねひとつばかりに男のもとにきにけり。
 
  男はた寝らざりければ、 おとこ、はたねられざりければ、 男はたねられざりければ。
  外の方を見いだして臥せるに、 との方を見いだしてふせるに、 とのかたを見いだしてふせるに。
  月のおぼろなるに、 月のおぼろげなるに、 月のおぼろなるに人のかげするを見れば。
  小さき童を先に立てて、人立てり。 ちひさきわらはをさきにたてゝ、人たてり。 ちいさきわらはをさきにたてゝ人たてり。
  男いとうれしくて おとこ、いとうれしくて、 おとこいとうれしくて。
  我が寝る所に、率ていり、 わがぬるところにゐていりて、 わがぬる所にゐていりて。
  子一つより丑三つまであるに、 ねひとつより、うしみつまであるに、 ねひとつよりうしみつまで物かたらひけり。
  まだ何事も語らはぬに、 まだなにごともかたらはぬに いまだなにごともかたらひあへぬほどに。
  帰りにけり。 かへりにけり。 女かへりにければ。
  男いと悲しくて、寝ずなりにけり。 おとこ、いとかなしくて、ねずなりにけり。 男いとかなしくてねず成にけり。
 
  つとめていぶかしけれど、 つとめて、いぶかしけれど、 つとめてゆかし[いぶかしイ]けれど
  わが人をやるべきにしもあらねば、 わが人をやるべきにしあらねば、 我人をやるべきにしあらねば。
  いと心もとなくて待ちをれば、 いと心もとなくてまちをれば、 心もとなくてまちみれば。
  明けはなれてしばしあるに、 あけはなれてしばしあるに、 あけはなれてしばしあるほどに。
  女のもとより言葉はなくて、 女のもとより、ことばゝなくて、 女の許より詞はなくて。
 

126
 君やこし我や行きけむおもほえず  きみやこしわれやゆきけむおもほえず  君やこし我やゆきけんおもほえす
  夢かうつゝか寝てか醒めてか   夢かうつゝかねてかさめてか   夢か現かねてかさめてか
 
  男いといたう泣きてよめる。 おとこ、いといたうなきてよめる。  男いたううちなきて。
 

127
 かきくらす心の闇にまどひにき  かきくらす心のやみにまどひにき  かきくらす心のやみに惑ひにき
  夢現とはこよひ定めよ   ゆめうつゝとはこよひさだめよ   夢うつゝとは今宵さためよ
 
  とよみてやりて、狩に出でぬ。 とよみてやりて、かりにいでぬ。  とてかりにいでぬ。
 
   野にありけれど心はそらにて、 野にありけど心はそらにて、 野にありきけれど心はそらにて。
  こよひだに人しづめて、 こよひだに人しづめて、  
  いととく逢はむと思ふに、 いととくあはむとおもふに、 いつしか日もくれなんとおもふほどに。
  国守、 くにのかみ、 國のかみの。
  斎宮のかみかけたる、 いつきの宮のかみかけたる、 いつきの宮のかみかけたりければ。
  狩の使ありと聞きて、 かりのつかひありときゝて、 かりの使ありときゝて。
  夜ひと夜酒飲みしければ、 よひとよ、さけのみしければ、 夜ひとよさけのみしければ。
  もはら逢ひごともえせで、 もはらあひ事もえせで、 もはらあひごともせで。
  明けば尾張の国へたちなむとすれば、 あけばおはりのくにへたちなむとすれば、 あけばおはりの國へたちぬべければ。
  男も人知れず血の涙を流せども おとこも人しれずちのなみだをながせど、 男もをんなも。なみだをながせども
  えあはず。 えあはず。 あふよしもなし。
 
  夜やうやう明けなむとするほどに、 夜やうやうあけなむとするほどに、 夜やうやうあけなんとするほどに。
  女方よりいだすさかづきの皿に、 女がたよりいだすさかづきのさらに、 女のかたよりいだすさかづきのうらに。
  歌を書きていだしたり。とりて見れば、 うたをかきていだしたり。とりて見れば、  
 

128
-1
 かち人の
 渡れどぬれぬ
 江にしあれば
 かち人の
 わたれどぬれぬ
 えにしあれば
 かち人の
 わたれはぬれぬ
 えにしあれは
 
  と書きて、末はなし、 とかきて、すゑはなし。  とかきてすゑはなし。
  そのさかづきの皿に、 そのさか月のさらに、 てのさかづきのうらに
  続松の炭して ついまつのすみして、 ついまつのすみして
  歌の末を書きつぐ。 うたのすゑをかきつぐ。 かきつく。
 

128
-2
  またあふさかの
  関は越えなむ
  又あふさかの
  せきはこえなむ
  またあふさかの
  せきはこえなん
 
  とて、明くれば、 とて、あくれば  あくれば。
  尾張に国へ越えにけり。 おはりのくにへこえにけり。 おはりへこえにけり。
 
  斎宮は水の尾の御時、 斎宮は水のおの御時。  
  文徳天皇の御むすめ、 文徳天皇の御女、  
  惟喬の親王の妹。 これたかのみこのいもうと。  
 
 

第70段 あまの釣舟

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかし男。
  狩の使より帰り来けるに、 かりのつかひよりかへりきけるに、 かりの使よりかへりけるに。
  大淀のわたりに宿りて、 おほよどのわたりにやどりて、 おほよどのわたりにやどりて。
  斎宮のわらはべに いつきの宮のわらはべに いつきのみやのわらゑ[はべイ]に
  いひかけける。 いひかけゝる。 いひかけける。
 

129
 みるめかるかたやいづこぞ棹さして  みるめかる方やいづこぞさおさして  みるめかるかたはいつこそ掉さして
  われに教へよあまの釣舟   われにをしへよあまのつりぶね   我にをしへよ蜑の釣舟
 
 

第71段 神のいがき

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔男。
  伊勢の斎宮に、 伊勢の斎宮に、 伊勢の齋宮に
  内の御使にて、まゐれりければ、 内の御つかひにてまいれりければ、 內の御使にてまいれりければ。
  かの宮に かの宮に かの宮に
  すきごといひける女、 すきごといひける女、 すてこ(すゝ子一本)といひける女。
  私事にて、 わたくし事にて、 わたくしごとにて。
 

130
 ちはやぶる神のいがきも越えぬべし  ちはやぶる神のいがきもこえぬべし  千早振神のいかきもこえぬへし
  大宮人の見まくほしさに   大宮人の見まくほしさに   大宮人の見まくほしさに
 
  男、 おとこ、  おとこかへし。
 

131
 恋しくは来ても見よしかしちはやぶる  こひしくはきても見よかしちはやぶる  戀しくはきてもみよかし千早振
  神のいさなむ道ならなくに   神のいさむる道ならなくに   神のいさむる道ならなくに
 
 

第72段 大淀の松

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  
  伊勢の国なりける女、 伊勢のくになりける女、  
  又、えあはで、隣の国へいくとて、 又えあはで、となりのくにへいくとて  
  いみじう怨みければ、女、 いみじううらみければ、女  
 

132
 大淀の松はつらくもあらなくに  おほよどの松はつらくもあらなくに  
  うらみてのみもかへる波かな   うらみてのみもかへる浪かな  
 
 

第73段 月のうちの桂

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、そこにはありと聞けど、  昔、そこにはありときけど、  むかし。そこにありときゝけれど。
  せうそこをだにいふべくもあらぬ せうそこをだにいふべくもあらぬ せうそこをだにいふべくもあらぬ
?♂ 女のあたりを思ひける。 女のあたりを思ひける。 女のあたりをありきて。男のおもひける。
 

133
 目には見て手にはとられぬ月のうちの  めには見て手にはとられぬ月のうちの  ありとみて手にはとられぬ月のうちの
  桂の如き君にぞありける   かつらごときゝみにぞありける   桂男の(のことく一本)君にも有かな
 
 

第74段 岩根ふみ 重なる山

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかし。
  女をいたう怨みて、 女をいたうゝらみて、 女をいたううらみて。
 

134
 岩根ふみかさなる山にはあらねど  いはねふみかさなる山はへだてねど  岩根ふみかさなる山はへたてねと
  逢はぬ日おほく恋ひわたるかな   あはぬ日おほくこひわたるかな   あはぬ日おほく戀渡る哉
 
 

第75段 大淀の 海松(みる)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、 むかし、おとこ、  むかし男。
  伊勢の国に 伊勢のくにゝ 伊勢の國なりける女に。
  率ていきてあらむ ゐていきてあらむ、 又もえあはでうらみければ。
  といひければ、女、 といひければ女、 女。
 

135
 大淀の浜に生ふてふみるからに  おほよどのはまにおふてふ見るからに  大淀の濱におふてふみるからに
  心はなぎぬかたらはねども   こゝろはなぎぬかたらはねども   心はなきぬかたらはねとも
 
  といひて、ましてつれなかりければ、 といひて、ましてつれなかりければ、  といひて。ましてつれなかりければ。
  男、 おとこ、  
 

136
 袖ぬれてあまの刈りほすわたつ海の  袖ぬれてあまのかりほすわたつうみの  袖ぬれて蜑の刈干すわたつ海の
  みるを逢ふにてやまんとやする   みるをあふにてやまむとやする   みるめ逢迄やまんとやする
 
  女、 女、  女。
 

137
 岩間より生ふるみるめしつれなくは  いはまよりおふるみるめしつれなくは  岩間より生るみるめし常ならは
  汐干汐満ちかひもありなむ   しほひしほみちかひもありなむ   汐干汐みちかひもあらなん
        (しほり〳〵はかひもからなん一本)
           (ありなし一本)
  また男、 又、おとこ、  又。おとこ。

138
 涙にぞぬれつゝしぼる世の人の  なみだにぞぬれつゝしぼる世の  淚にそぬれつゝしほるあた人の
  つらき心は袖のしづくか   人のつらき心はそでのしづくか   つらき心は袖のしつくか
 
       とのみいひて。
  世にあふことかたき女になむ。 世にあふことかたき女になむ。 世にあふことかたきことになん。
 
 

第76段 小塩の山

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  昔。
二条の后の、 二条のきさきの、 ニ條の后の
  まだ春宮の御息所と申しける時、 まだ春宮のみやすん所と申ける時、 春宮のみやす所と申けるころ。
  氏神にまうで給ひけるに、 氏神にまうで給けるに、 氏神にまうで給けるに。
  近衛府にさぶらひける翁、 このゑづかさにさぶらひけるおきな、 つかうまつれりけるこのゑづかさなりける翁。
  人々の禄たまはるついでに、 人々のろくたまはるついでに、 人々のろく給はりけるつゐでに。
  御車より給はりて、 御くるまよりたまはりて、 御車より給はりて
  よみて奉りける。 よみてたてまつりける。 よみて奉る。
 

139
 大原や
 をしほの山も今日こそは
 おほはらや
 をしほの山もけふこそは
 大原や
 小鹽の松も(山へ)けふこそは
  神代のことも
  思ひいづらめ
  神世のことも
  思ひいづらめ
  神世のことも(を)
  おもひいつら(しるら一本古今)め
 
  とて、心にもかなしと思ひけむ、 とて、心にもかなしとや思ひけむ、  
  いかが思ひけむ、知らずかし。 いかゞ思ひけむ、しらずかし。  
 
 

第77段 安祥寺のみわざ

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  
  田村の帝と申す帝 田むらのみかどゝ申すみかど  
  おはしましけり。 おはしましけり。  
  その時の女御、多賀幾子と申す その時の女御、たかきこと申す  
  みまそかりけり。 みまそかりけり。  
  それ失せ給ひて、安祥寺にて、 それうせたまひて安祥寺にて、  
  みわざしけり。 みわざしけり。  
 
  人々さゝげもの奉りけり。 人々さゝげものたてまつりけり。  
  奉りあつめたるもの たてまつりあつめたる物、  
  千捧ばかりあり。 ちさゝげばかりあり。  
  そこばくのさゝげものを そこばくのさゝげものを  
  木の枝につけて 木のえだにつけて、  
  堂の前にたてたれば、 だうのまへにたてたれば、  
  山もさらに堂の前に 山もさらにだうのまへに  
  うごき出でたるやうに見えける。 うごきいでたるやうになむ見えける。  
 
  それを、 それを、  
右大将にいまそかりける 右大将にいまそかりける  
  藤原常行と申すいまそかりて、 ふぢはらのつねゆきと申すいまそかりて、  
  講の終るほどに、 かうのをはるほどに、  
  歌を詠む人々を召しあつめて、 うたよむ人々をめしあつめて、  
  けふのみわざを題にて、 けふのみわざを題にて、  
  春の心ばへある歌を奉らせ給ふ。 春の心ばえあるうたゝてまつらせ給。  
  右馬頭なりける翁、 右のむまのかみなりけるおきな、  
  目はたがひながらよみける。 めはたがひながらよみける。  
 

140
 山のみなうつりて今日に逢ふことは  山のみなうつりてけふにあふことは  
  春の別れをとふとなるべし   はるのわかれをとふとなるべし  
 
  とよみたるけるを、 とよみたりけるを、  
  いま見ればよくもあらざり。 いま見ればよくもあらざりけり。  
  そのかみはこれやまさりけむ、 そのかみはこれやまさりけむ、  
  あはれがりけり。 あはれがりけり。  
 
 

第78段 山科の宮

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  昔
  多賀幾子と申す女御おはしましけり。 たかきこと申す女御おはしましけり。 きたのみこと申すみこいまそかりけり。
      田村の御門のみこにおはします。
  失せ給ひて、 うせ給て、 そのみこうせ給ひて。
  なゝ七日のみわざ安祥寺にてしけり。 なゝなぬかのみわざ安祥寺にてしけり。 なゝ七日のみわざ安祥寺にてしけり。
 
右大将藤原常行といふ人 右大将ふぢはらのつねゆきといふ人 右大將藤原のつねゆきといふ人。
  いまそかりけり。 いまそかりけり。  
  そのみわざにまうで給ひてかへさに、 そのみわざにまうで給ひて、かへさに 其みわざにまいり給ひて。かへさに
  山科の禅師の親王 山しなのぜんじのみこ 山しなのぜんじのみこの
  おはします、 おはします、 御もとにまいり給ふに。
  その山科の宮に、 その山しなの宮に、 その山科の宮。
  滝落し、水走らせなどして、 たきおとし、水はしらせなどして、 瀧おとし水はしらせなどして。
  おもしろく造られたるに、 おもしろくつくられたるに おもしろく作れり。
  まうで給うて、 まうでたまうて、 まうで給ふて。
 
  年ごろよそにはつかうまつれど、 としごろよそにはつかうまつれど、 年比よそにはつかうまつれど。
  近くはいまだつかうまつらず。 ちかくはいまだつかうまつらず。 まだかくはまいらず。
  こよひはこゝにさぶらはむと申し給ふ。 こよひはこゝにさぶらはむ、と申したまふ。 こよひはこてにさぶらはんと申給ふを。
 
  親王よろこび給うて、 みこよろこびたまうて、 みこよろこび給ひ。
  夜のおましの設けさせ給ふ。 よるのおましのまうけせさせたまふ。 よるのおまし所まうけさせ給ふ。
 
   さるに、かの大将出でて  さるに、この大将、いでゝ  この大將いでて。
  たばかり給ふやう、 たばかりたまふやう、 人にたばかり給ふやう。
 
  宮仕への初めに、 宮づかへのはじめに、 宮づかへのはじめに
  たゞなほやはあるべき。 たゞなをやはあるべき。 ただにやは有べき。
  三条の大行幸せし時、 三条のおほみゆきせし時、 三條にみゆき有し時。
  紀の国の千里の浜にありける、 きのくにの千里のはまにありける、 きのくにの千里の濱にありける
  いとおもしろき石奉れりき。 いとおもしろきいしたてまつれりき。 いとおもしろき石奉れりき。
 
  大行幸ののち奉れりしかば、 おほみゆきのゝちたてまつれりしかば、 みゆきの後奉れりしかば。
  ある人の御曹司のまへに ある人のみざうしのまへの あるみさうしのまへの
  溝にすゑたりしを、 みぞにすへたりしを、 みぞにすへたりしを。
  島好む君なり、 しまこのみたまふきみなり。 このみこのみ給ふものなり。
  この石を奉らむ このいしをたてまつらむ、 かの石をたてまつらん
 
  とのたまひて、 とのたまひて、 とのたまひて。
  御随身、舎人してとりにつかはす。 みずいじん、とねりしてとりにつかはす。 とりにつかはす。
 
   いくばくもなくて持てきぬ。  いくばくもなくてもてきぬ。  いくばくもなくてもてきぬ。
  この石聞きしよりは見るはまされり。 このいし、きゝしよりは、見るはまされり。 この石きくよりは見るまさりたり。
  これをたゞに奉らばすゞろなるべし これをたゞにたてまつらばすゞろなるべし これをたゞにたてまつらば。すゞろなるべし
  とて、人々に歌よませ給ふ。 とて、人ゞにうたをよませたまふ。 とて。人々に歌よませ給ふ。
 
   右馬頭なりける人のをなむ、  みぎのむまのかみなりける人のをなむ、  むまのかみなりける人よめり。
  青き苔をきざみて蒔絵のかたに、 あおきこけをきざみて、まきゑのかたに  
  この歌をつけて奉りける。 このうたをつけてたてまつりける。  
 

141
 あかねども岩にぞかふる色見えぬ  あかねどもいはにぞかふるいろ見えぬ  あかねとも岩にそかふる色みえぬ
  心を見せむよしのなければ   こゝろを見せむよしのなければ   心をみせん由のなけれは
 
  となむよめりける。 となむよめりける。  この石は。あをきこけをきざみて。
      まきゑをしたらむやうにぞありける。
 
 

第79段 千ひろあるかげ

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  昔。
氏のなかに、親王生まれ給へけり。 うぢのなかにみこうまれたまへりけり。 氏の中にみこうまれ給へりけり。
  御産屋に人々うたよみけり。 御うぶやに人々うたよみけり。 御うぶやに。みな人々歌よみけり。
  御祖父方なりける翁のよめる。 御おほぢがたなりけるおきなのよめる。 御おほぢのかたなりけるおきなのよめる。
 

142
 我が門に千尋ある陰を植えゑつれば  わがゝどにちひろあるかげをうへつれば  我もとに千尋あるかけをうゑつれは
  夏冬たれか隠れざるべき   なつふゆたれかゝくれざるべき   夏冬誰か隱れさるへき
 
  これは貞数の親王。 これはさだかずのみこ、  これはさだかずのみこ。
  時の人、中将の子となむいひける。 時の人、中将のことなむいひける。 中納言
ゆきひらのむすめのはらなる
淸和の親王なり。
  兄の中納言
行平のむすめの腹なり。
あにの中納言、
ゆきはらのむすめのはら也。
時の人中將の子となんいひける。
 
 

第80段 おとろへたる家

  →〔あらすじ・解説〕
 
   むかし、  むかし、  むかし。
  おとろへたる家に、 おとろへたるいへに、 おとろへたる家に
藤の花植ゑたる人ありけり。 ふぢのはなうへたる人ありけり。 藤の花うへたる人ありけり。
      いとおもしろうさけりけり。
  やよひのつごもりに、 やよひのつごもりに、 やよひのつごもり。
  その日雨そぼふるに、 その日あめそぼふるに、 雨のそぼふるに。
  人のもとへ折りて奉らすとて、よめる。 人のもとへおりてたてまつらすとてよめる。 人のもとにおりてたてまつるとて。
 

143
 ぬれつゝぞしひて折りつる年のうちに  ぬれつゝぞしゐておりつる年の内に  ぬれつゝそしゐて折つる藤の花
  春はいくかもあらじと思へば   はるはいくかもあらじと思へば   春は幾日もあらしと思へは
 
 

第81段 塩釜(竈)

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  昔。
左の大臣
いまそかりけり。
左のおほいまうちぎみ
いまそかりけり。
左のおほゐまうち君
いまそかりける。
  賀茂川のほとりに、 かもがはのほとりに、 かも河のほとりに。
  六条わたりに、 六条わたりに、 六條を
  家をいと面白く造りて 家をいとおもしろくつくりて いとおもしろくつくりて
  住み給ひけり。 すみたまひけり。 すみ給ひけり。
 
  神無月のつごもりがた、 神な月のつごもりかた、 神な月のつごもりがたに。
  菊の花うつろひさかりなるに、 きくの花うつろひさかりなるに、 菊の花うつろひて。
  紅葉の千種に見ゆる折、 もみぢのちぐさに見ゆるおり、 木くさのいろちぐさなるころ。
  親王たちおはしまさせて、 みこたちおはしまさせて、 みこたちおはしまさせて。
  夜ひと夜、酒のみし遊びて、 夜ひとよさけのみしあそびて、 さけのみあそびて。
  夜あけもてゆくほどに、 夜あけもてゆくほどに、 夜あけゆくまゝに。
  この殿のおもしろきを このとのゝおもしろきを このとののおもしろきよし
  ほむる歌よむ。 ほむるうたよむ。 ほむるうたよむに。
 
  そこにありけるかたゐ翁、 そこにありけるかたゐをきな、 そこなりけるかたいおきな。
  だいしきの下にはひありきて、 いたじきのしたにはひありきて、 みな人によませはてゝ。
  人にみなよませ果ててよめる。 人にみなよませはてゝよめる。 いたじきのしたをはひありきてよめる。
 

144
 塩釜にいつか来にけむ朝凪に  しほがまにいつかきにけむあさなぎに  鹽竈にいつかきにけん朝なきに
  釣りする舟はこゝによらなむ   つりする舟はこゝによらなむ   釣する舟はこゝによらなん
 
  となむよみけるは、 となむよみける。  とよめるは。
  みちの国にいきたりけるに、 みちのくにゝいきたりけるに、 みちのくににいきたりけるに。
  あやしくおもしろき所 あやしくおもしろきところどころ あやしうおもしろき所々
  おほかりける。 おほかりけり。 おほかりけり。
 
  わが帝六十余国の中に、 わがみかど六十よこくの中に、 わがみかど六十餘國のうちに。
  塩釜といふ所に しほがまといふ所に しほがまといふ所に
  似たるところなりけり。 ゝたるところなかりけり。 にたる所なかりけり。
  さればなむ、 さればなむ、 さればなん
  かの翁、さらにここをめでて、 かのおきなさらにこゝをめでゝ、 かのおきなもめでてしかはよめるなり。
  塩釜にいつか来にけむ しほがまにいつかきにけむ しほがまうきしまのかたをつくりける
  とよめりける。 とよめりける。 となん。
 
 

第82段 渚の院(の櫻)

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  昔。
惟喬の親王と申す親王おはしましけり。 これたかのみこと申すみこおはしましけり。 これたかときこゆるみこおはしけり。
  山崎のあなたに、 山ざきのあなたに、 山ざきのあなたに
  水無瀬といふ所に宮ありけり。 みなせといふ所に宮ありけり。 水無瀨といふ所に宮ありけり。
  年ごとの桜の花ざかりには、 年ごとのさくらの花ざかりには、 年ごとの櫻の花ざかりに。
  その宮へなむおはしましける。 その宮へなむおはしましける。 かしこへなんかよひ給ひける。
 
  その時右馬頭なりける人を その時、みぎのむまのかみなりける人を、 その時むまのかみなりける人
  常に率ておはしましけり。 つねにゐておはしましけり。 まいりつかうまつりければ。
御供におくらかし給はで。
つねにゐておはしましけり。
  時世へて久しくなりにぬれば、 時よへてひさしくなりにければ、  
  その人の名忘れにけり。 その人の名わすれにけり。  
 
   狩は懇にもせで  かりはねむごろにもせで、  
  酒をのみ飲みつゝ、 さけをのみのみつゝ、  
  やまと歌にかゝれりけり。 やまとうたにかゝれりけり。  
 
   いま狩する交野の
渚の家、
 いまかりするかたのゝ
なぎさのいへ、
なぎさの院の櫻。
  その院の桜いとおもしろし。 そのゐんのさくらことにおもしろし。 ことにおもしろくさけり。
  その木のもとにおりゐて、 その木のもとにおりゐて、 木のもとにおりゐて。
  枝を折りてかざしにさして、 えだをおりてかざしにさして、 枝をおりてかざしにさして。
  かみ、なか、しも、みな歌よみけり。 かみなかしも、みなうたよみけり、 みな人歌をよむに。
 
  馬頭なりける人のよめる。 うまのかみなりける人のよめる、 うまのかみなりける人のよめり。
 

145
 世の中に絶えて桜のなかりせば  世中にたえてさくらのなかりせば  世中にたえて櫻のさかさらは
  春の心はのどけからまし   春のこゝろはのどけからまし   春の心はのとけからまし
 
  となむよみたる。また、人の歌、 となむよみたりける。又人のうた、  また人。
 

146
 散ればこそいとゞ桜はめでたけれ  ちればこそいとゞさくらはめでたけれ  ちれはこそいとゝ櫻はあはれなれ
  うき世になにか久しかるべき   うき世になにかひさしかるべき   何か浮世に久しかるへき
 
  とて、その木の下はたちてかへるに、 とて、その木のもとはたちてかへるに、  
  日暮になりぬ。 日ぐれになりぬ。  
       むかし。おなじみこ
交野に狩しありき給けるに。
   御供なる人、  御ともなる人、 馬かみなりける人を。
かならず御供にゐてありき給ひけり。
  酒をもたせて、 さけをもたせて れいのごとありき給ふに。
この人かめにさけをいれて。
  野より出できたり。 野よりいできたり。 野にもていでたり。
  この酒を飲みてむとて、 このさけをのみてむとて、 のまんとて
  よき所を求め行くに、 よきところをもとめゆくに、 きよき所もとめゆくに。
  天の河といふ所にいたりぬ。 あまのがはといふ所にいたりぬ。 あまの河といふところにいたりぬ。
  親王に馬頭おほみきまゐる。 みこにむまのかみおほみきまいる。 むまのかみおほみきまいる。
 
   親王ののたまひける、  みこのゝたまひける。  みこののたまひける。
  交野を狩りて、 かたのをかりて、 かた野をかりて
  天の河のほとりにいたる あまのがはのほとりにいたる あまの河にいたる
  題にて、歌よみて杯はさせ をだいにて、うたよみてさかづきはさせ、 を題にてうたよみて。さかづきさせ
  とのたまうければ、 とのたまうければ、 との給ひければ。
  かの馬頭よみて奉りける。 かのむまのかみよみてたてまつりける。 よみてたてまつれり。
 

147
 狩り暮らしたなばたつめに宿からむ  かりくらしたなばたつめにやどからむ  狩くらし七夕つめに宿からん
  天の河原に我は来にけり   あまのかはらにわれはきにけり   あまの河原に我はきにけり
 
  親王歌をかへすがへす誦じ給うて みこ、哥を返ゞずじたまうて、  ときこえければ。此うたを
みこかへす〴〵詠たまうて。
  返しえし給はず。 返しえしたまはず、 返しえし給はず。
  紀有常
御供に仕うまつれり。
きのありつね
御ともにつかうまつれり。
きのありつね
御ともにつかうまつりたりけるが。
  それがかへし、 それが返し、 かへし。
 

148
 一年に
 ひとたび来ます君まてば
 ひとゝせに
 ひとたびきますきみまてば
 一年に
 ひとたひきます君まて(なれ一本)は
  宿かす人もあらじとぞ思ふ   やどかす人もあらじとぞ思   宿かす人もあらしとそ思ふ
 
  かへりて宮に入らせ給ひぬ。 かへりて宮にいらせたまひぬ。  歸りて宮にいらせ給ぬ。
  夜ふくるまで酒飲み物語して、 夜ふくるまでさけのみものがたりして、 夜ふくるまで酒のみ物語して。
  あるじの親王、ゑひて入り給ひなむとす。 あるじのみこ、ゑひていりたまひなむとす。 あるじのみこゑひていり給ひなんとす。
 
   十一日の月もかくれなむとすれば、  十一日の月もかくれなむとすれば、  十日あまりの月かくれなんとす。
  かの馬頭のよめる。 かのむまのかみのよめる。 それにかのむまのかみなりける人のよめる。
 

149
 あかなくにまだきも月のかくるゝか  あかなくにまだきも月のかくるゝか  あかなくにまたきも月の隱るゝか
  山の端にげて入れずもあらなむ   山のはにげていれずもあらなむ   山端逃ていれすもあら南
 
  親王にかはり奉りて、 みこにかはりたてまつりて、  みこにかはりて。
  紀有常、 きのありつね、 きのありつね。
 

150
 おしなべて
 峯もたひらに
 なりななむ
 をしなべて
 みねもたひらに
 なりなゝむ
 をしなへて
 峯もた(な一本)ひらに
 成なゝ(ら一本)ん
  山の端なくは月もいらじを   山のはなくは月もいらじを   山端なくは月もかくれし
 
 

第83段 小野(の雪)

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  昔。
水無瀬にかよひ給ひし惟喬の親王、 みなせにかよひたまひしこれたかのみこ、 みなせにかよひ給ふこれたかのみこ。
  れいの狩しにおはします供に れいのかりしにおはしますともに、 れいのかりしありき給ひにけり。御ともに
  馬頭なる翁つかうまつれり。 うまのかみなるおきなつかうまつれり。 うまのかみなりけるおきなつかうまつれり。
  日ごろへて宮にかへり給うけり。 日ごろへて、宮にかへりたまうけり。 日比へて宮にかへり給ひけり。
 
   御送りしてとくいなむと思ふに、  御をくりしてとくいなむと思に、  御をくりしてとくいなんとおもふに。
  おほきみたまひ禄賜はむとて、 おほみきたまひ、ろくたまはむとて、 おほみき給ひろく給はせんとて。
  つかはさざりけり。 つかはさゞりけり。 つかはさざりければ。
  この馬頭心もとながりて、 このむまのかみ心もとながりて、 こゝろもとなくて。
 

151
 枕とて
 草ひき結ぶこともせじ
 まくらとて
 くさひきむすぶ事もせじ
 枕とて
 草引むすふこともせし
  秋の夜とだに
  たのまれなくに
  秋の夜とだに
  たのまれなくに
  秋のよとたに
  たのまれなくに
 
  とよみける。 とよみける。 とよみければ。
  時はやよひのつごもりなりけり。 時はやよひのつごもりなりけり。 やよひのつごもりなりけり。
 
  みこ大殿籠らで みこ、おほとのごもらで みこおほとのごもらで
  あかし給うてけり。 あかしたまうてけり。 あかし給ひけり。
 
   かくしつゝまうで仕うまつりけるを、  かくしつゝまうでつかうまつりけるを、  かくしつゝまいりつかうまつりけるを。
  思ひのほかに、 おもひのほかに、 思ひのほかに
  御髪おろし給うてけり。 御ぐしおろしたまうてけり。 御ぐしおろさせ給ひて。
      小野といふ所にすみ給ひけり。
 
   正月にをがみたてまつらむとて、  む月におがみたてまつらむとて、  む月におがみたてまつらんとて
  小野にまうでたるに をのにまうでたるに、 まうでたるに。
  比叡の山のふもとなれば、雪いとたかし。 ひえの山のふもとなれば、雪いとたかし。 ひえの山のふもとなれば雪いとたかし。
  しひて御室にまうでて しゐてみむろにまうでゝ しゐてみむろにまうでて
  をがみたてまつるに、 おがみたてまつるに、 おがみ奉るに。
  つれづれと つれづれと つれ〴〵と
  いとものがなしくておはしましければ、 いとものがなしくておはしましければ、 いと物がなしうておはしましければ。
  やゝ久しくさぶらひて、 やゝひさしくさぶらひて、 やゝ久しく侍らひて。
  いにしへのことなど思ひ出で聞えけり。 いにしへの事など思ひいでゝきこえけり。 いにしへの事など思ひ出て聞えさせけり。
 
  さてもさぶらひてしがなと思へど、 さてもさぶらひてしがなとおもへど、 さてもさぶらひてしがなとおもへども。
  公事どもありければ、 おほやけごとゞもありければ、 おほやけごともあれば
  えさぶらはで、 えさぶらはで、 えさぶらはで。
  夕暮にかへるとて、 ゆふぐれにかへるとて、 暮にかへるとてよめる。
 

152
 忘れては
 夢かぞとおもふ思ひきや
 わすれては
 ゆめかとぞ思ふおもひきや
 忘れては(つゝ古今)
 夢かとそ思ふおもひきや
  雪ふみわけて
  君を見むとは
  雪ふみわけて
  きみを見むとは
  雪ふみ分て
  君をみんとは
 
  とてなむ泣く泣く来にける。 とてなむなくなくきにける。 とよみてなん。なく〳〵かへりにける。
 
 

第84段 さらぬ別れ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  昔男有けり。
  身はいやしながら、母なむ宮なりける。 身はいやしながら、はゝなむ宮なりける。 身はいやしながら。はゝみこなりけり。
  その母長岡といふ所に住み給ひけり。 そのはゝ、ながをかといふ所にすみ給けり。 その母なが岡といふ所にすみ給ひけり。
  子は京に宮仕へしければ、 子は京に宮づかへしければ、 子は京に宮づかへしければ。
  まうづとしけれど、しばしばえまうでず。 まうづとしけれど、しばしばえまうでず。 まうづとしけれどしば〴〵もえまうでず。
  ひとつ子さへありければ、 ひとつごにさへありければ、 ひとり子にさへ有ければ。
  いとかなしうし給ひけり。 いとかなしうしたまひけり。 いとかなしうし給けり。
 
  さるに、しはすばかりに、 さるに、しはす許に、 さるほどにしはすばかりに。
  とみの事とて、御ふみあり。 とみの事とて御ふみあり。 とみのこととて御ふみあり。
  おどろきて見れば、うたあり。 おどろきて見れば、うたあり。 驚て見れば。ことことはなくて。
 

153
 老いぬればさらぬ別れのありといへば  おいぬればさらぬわかれのありといへば  老ぬれはさらぬ別も有といへは
  いよいよ見まくほしく君かな   いよいよ見まくほしきゝみかな   いよ〳〵みまくほしき君哉
 
  かの子、いたううちなきてよめる。 かの子、いたうゝちなきてよめる。  となん有ける。
是を見て馬にものりあへずまいるとて。
道すがらおもひける。
 

154
 世の中に
 さらぬ別れのなくもがな
 世中に
 さらぬわかれのなくもがな
 世中に
 さらぬ別のなくもかな
  千代もといのる
  人の子のため
  千世もといのる
  人のこのため
  千世もとたのむ
  (なげく古今、いのる一本)
  人の子のため
 
 

第85段 目離れせぬ雪

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  昔おとこ有けり。
  わらはより仕うまつりける君、 わらはよりつかうまつりけるきみ、 わらはよりつかうまつりける君。
  御ぐしおろし給うてけり。 御ぐしおろしたまうてけり。 御ぐしおろし給ふてけり。
  正月にはかならずまうでけり。 む月にはかならずまうでけり。 もとの心うしなはじとて。
む月にはかならずまうでけり。
  おほやけの宮仕へしければ、 おほやけの宮づかへしければ、 おほやけの宮づかへしければ。
  常にはえまうでず。 つねにはえまうでず。 しば〴〵もえまいらざりけれど。
  されど、もとの心うしなはで されど、もとの心うしなはで 心ざしばかりはかはらざりければ
  まうでけるになむありける。 まうでけるになむありける。 まうでたるに。
 
  むかし仕うまつり人、 むかしつかうまつりし人、 また昔つかうまつりし人の
  俗なる、禅師なる、 ぞくなる、ぜんじなる、 ぞくなる。ほうしなる。
  あまたまゐり集まりて、 あまたまいりあつまりて、 まいりあつまりて。
  正月なればことだつとて、 む月なれば事だつとて、 む月なれば。ことたべ[たつイ]とて
  おほみきたまひけり。 おほみきたまひけり。 おほにぶき[みきイ]たまひけり。
  雪こぼすがごと降りて、 ゆきこぼすがごとふりて、 雪こぼすがごとくふりて。
  ひねもすにやまず。 ひねもすにやまず。 日ねもすにやまず。
 
  みな人ゑひて、 みな人ゑひて、 みな人ゑひて。
  雪に降り籠めるられたり 雪にふりこめられたり、 雪にふりこめられたる
  といふを題にて、うたありけり。 といふを題にて、うたありけり。 を題にて。歌よまんといふに。
 

155
 思へども身をしわけねばめかれせぬ  おもへども身をしわけねばめかれせぬ  思へとも身をしわけねはめはかれぬ
  雪のつもるぞわが心なる   ゆきのつもるぞわが心なる   雪のつもるそ我心なる
 
  とよめりければ、 とよめりければ、  とよめりければ。
  親王いといたうあはれがり給うて、 みこいといたうあはれがりたまうて、 みこいといたう哀がりて。
  御ぞぬぎて給へけり。 御ぞぬぎてたまへりけり。 御ぞぬぎて給へりけり。
 
 

第86段 おのがさまざま

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、いと若き男、  むかし、いとわかきおとこ、  むかし。いとわかきおとこ。
  若き女をあひいへりけり。 わかき女をあひいへりけり。 わかき女をあひいへりけり。
  おのおの親ありければ、 をのをのおやありければ、 をの〳〵おや有ければ。
  つゝみていひさしてやみにけり。 つゝみていひさしてやみにけり。 つゝみていひさしてけり。
  年ごろ経て女のもとに、 年ごろへて女のもとに、 年ごろへて女のかたより
  なほ心ざしはたさむとや思ひけむ、 猶心ざしはたさむとや思ひけむ、 猶このこととげんといへりければ。
  男うたをよみてやれりけり。 おとこ、うたをよみてやれりける。 男うたをよみてやれりけり。
いかゞおもひけん。
 

156
 今までに忘れぬ人は世にあらじ  今までにわすれぬ人は世にもあらじ  今迄に忘ぬ人は世にもあらし
  おのがさまざま年の経ぬれば   をのがさまざまとしのへぬれば   をのかさま〳〵年のへぬれは
 
  とてやみにけり。 とてやみにけり。  といひてやみにけり。
  男も女もあひ離れぬ おとこも女も、あひはなれぬ 男女あひはなれぬ
  宮仕へになむいでにける。 宮づかへになむいでにける。 みやづかへになんいでたち(り一本)ける。
 
 

第87段 布引の滝(瀧)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、 昔、男、  昔男。
  津の国莵原の郡 つのくにむばらのこほり、 津の國むばらのこほり
  芦屋の里にしるよしして、 あしやのさとにしるよしゝて、 あしやの里にしるよしありて。
  いきて住みけり。 いきてすみけり。 いきてすみけり。
  昔の歌に、 むかしのうたに、 むかしのうたに。
 

157
 あしの屋のなだの塩焼きいとまなみ  あしのやのなだのしほやきいとまなみ  蘆のやの灘の鹽燒いとまなみ
  黄楊の小櫛もささず来にけり   つげのをぐしもさゝずきにけり   つけの小櫛もさゝてきにけり
 
  とよみけるぞ、この里をよみける。 とよみけるぞ、このさとをよみける。  とよめるは。この里をよめるなり。
  ここをなむ芦屋の灘とはいひける。 こゝをなむあしやのなだとはいひける。 こゝをなんあし屋のなだとはいひけり。
 
  この男、なま宮仕へしければ、 このおとこ、なまみやづかへしければ、 此男なま宮づかへしければ。
  それを便りにて、 それをたよりにて、 それをたより。
  衛府佐ども集まり来にけり。 ゑふのすけどもあつまりきにけり。 ゑふのすけどもあつまりきにけり。
  この男のこのかみも
衛府督なりけり。
このおとこのこのかみも
ゑふのかみなりけり。
この男のあにも
ゑふのかみなりけり。
 
  その家の前の そのいへのまへの その家の
  海のほとりに遊びありきて、 海のほとりにあそびありきて、 海のほとりにあそびありきて。
  いざ、この山のかみにありといふ いざ、この山のかみにありといふ、 いざこの山のうへにありといふ
  布引の滝見にのぼらむ ぬのびきのたき見にのぼらむ、 ぬのびきのたき見にのぼらん
  といひてのぼり見るに、 といひてのぼりて見るに、 といひて。のぼりてみるに。
  その滝ものよりことなり。 そのたき、物よりことなり。 そのたき物よりことなり。
  ながさ二十丈、 ながさ二十丈、 たかさ廿丈ばかり。
  ひろさ五丈ばかりなる ひろさ五丈ばかりなる ひろさ五丈(尺一本)餘ばかりある
  石のおもて、 いしのおもてに、 石のおもてに。
  白絹に岩を包めらむやうに
なむありける。
しらぎぬにいはをつゝめらむやうに
なむありける。
しろききぬにいしをつゝみたらんやうに
なん有ける。
 
  さる滝のかみに、 さるたきのかみに、 さる瀧のかみに。
  わらふだの大きさして、 わらうだのおほきさして、 わらふだばかりにて
  さしいでたる石あり。 さしいでたるいしあり。 さし出たるいしあり。
  その石のうへに走りかゝる水は、 そのいしのうへにはしりかゝる水は、 その石のうへにはしりかゝる水。
  小柑子、栗 せうかうじ、くり せうかうじ(くり一本)
  の大きさにて のおほきさにて ばかりのおほきさにて
  こぼれ落つ。 こぼれおつ。 こぼれおつ。
 
  そこなる人にみな滝の歌よます。 そこなる人にみなたきのうたよます。 そこなる人にうたよます。
  かの衛府督まづよむ。 かのゑふのかみまづよむ。 このゑふのかみまづよむ。
 

158
 わが世をばけふかあすかと待つかひの  わが世をばけふかあすかとまつかひの  我世をはけふかあすかとまつかひの
  涙のたきといづれたかけむ   涙のたきといづれたかけむ   淚の瀧といつれ勝れり
 
  あるじ、つぎによむ。 あるじ、つぎによむ。  つぎにあるじよむ。
 

159
 ぬき乱る人こそあるらし白玉の  ぬきみだる人こそあるらしゝらたまの  ぬき亂る人こそ有らめ白玉の
  まなくもちるか袖のせばきに   まなくもちるかそでのせばきに   まなくもちるか袖のせはきに
 
  とよめりければ、 とよめりければ、  とよめりければ。
  かたへの人、笑ふことにやありけむ、 かたへの人、わらふ事にやありけむ、 かたへの人わらふにや有けむ。
  この歌にめでて止みにけり。 このうたにめでゝやみにけり。 この歌をよみてやみけり。
  帰くる道遠くて、 かへりくるみちとをくて、 かへりくるみちとをくて。
  うせにし宮内卿もちよしが うせにし宮内卿もちよしが うせにし宮內卿もとよしが
  家の前くるに日暮れぬ。 家のまへくるに、日くれぬ。 家のまへすぐるに日くれぬ。
  やどりの方を見やれば、 やどりのかたを見やれば、 やどりのかたを見やれば。
  あまのいさり火おほく見ゆるに、 あまのいさりする火、おほく見ゆるに、 あまのいさりする火おほくみるに。
  かのあるじの男よむ。 かのあるじのおとこよむ。 このあるじのおとこよむ。
 

160
 はるゝ夜の星か河辺の蛍かも  はるゝ夜のほしか河辺のほたるかも  はるゝ夜の星か河邊の螢かも
  わが住むかたのあまのたく火か   わがすむ方にあまのたく火か   我すむかたの蜑の燒火か
 
  とよみて家に帰りきぬ。 とよみて、家にかへりきぬ。  とよみて。みなかへりきぬ。
 
  その夜、南の風吹きて、 その夜、みなみのかぜふきて、 そのよみなみの風ふきて。
  浪いとたかし。 なみいとたかし。 なごりのなみいとたかし。
  つとめて、その家のめのこども出でて、 つとめて、その家のめのこどもいでゝ、 つとめてその家のめのこどもいでて。
  浮海松の波によせられたる拾ひて、 うきみるの浪によせられたるひろひて、 うきみるの浪によせられたるをひろひて。
  家のうちにもてきぬ。 いへのうちにもてきぬ。 いゑにもとてきぬ。
 
  女方より、その海松を高坏にもりて、 女がたより、そのみるをたかつきにもりて、 女がたより。そのみるをたかつきにもりて。
  かしはをおほひていだしたる、 かしはをおほひていだしたる、 かしはおほひて出したり。
  かしはにかけり。 かしはにかけり。 そのかしはにかくかけり。
 

161
 わたつみのかざしにさすといはふ藻も  わたつうみのかざしにさすといはふもゝ  わたつ海のかさしにさすと祝ふもゝ
  君がためには惜しまざりけり   きみがためにはおしまざりけり   君か爲には惜まさり鳬
 
  田舎人の歌にては、 ゐなかびとのうたにては、  ゐなかの人の歌にては。
  あまけりや、たらずや。 あまれりやたらずや。 あまれりやたらずや。
 
 

第88段 月をもめでじ

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、いと若きにはあらぬ、  むかし、いとわかきにはあらぬ、  むかしいとわかき人にはあらぬ
これかれ友だちども集りて、 これかれともだちどもあつまりて、 これかれともだちどもの
  月を見て、 月を見て、 月を見ける。
  それがなかにひとり、 それがなかにひとり、 それが中にひとり。
 

162
 おほかたは
 月をもめでじこれぞこの
 おほかたは
 月をもめでじこれぞこの
 大かたは(あちきなく一本)
 月をもめてし是そ此
  つもれば人の老いとなるもの   つもれば人のおいとなるもの   つもれは人の老となるもの
 
 

第89段 なき名 人しれず

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、いやしからぬ男、  むかし、いやしからぬおとこ、  むかし。いやしからぬ男。
  我よりはまさりたる人を思ひかけて、 われよりはまさりたる人を思ひかけて、 我よりはまさりたる人を思ひかけて
  年へける。 としへける。 年へにけり。
 

163
 人知れずわれ恋ひ死なばあぢきなく  人しれずわれこひしなばあぢきなく  人しれす我戀しなはあちきなく
  何れの神になき名をおほせむ   いづれの神になき名おほせむ   いつれの神になき名おほせん
 
 

第90段 桜花

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、  むかし、  昔。
  つれなき人をいかでと思ひわたりければ、 つれなき人をいかでと思ひわたりければ、 つれなき人をいかでと思ひ。
  あはれとや思ひけむ、 あはれとや思ひけむ、 戀わたりければ。哀とや思ひけん。
  さらばあすものごしにても さらばあすものごしにても、 さらばあす物ごしにてものばかりをいはん
  といへりけるを、 といへりけるを、 といへりけるを。
  かぎりなくうれしく、 かぎりなくうれしく、 かぎりなくうれしながら。
  また疑はしければ、 又うたがはしかりければ、 またうたがはしかりければ。
  おもしろかりける桜につけて、 おもしろかりけるさくらにつけて、 面白かりける櫻につけて。
 

164
 桜花けふこそかくにねにほふとも  さくらばなけふこそかくもにほふらめ  櫻花けふこそかくも匂ふとも
  あな頼みがたあすの夜のこと   あなたのみがたあすのよのこと   あな賴みかたあすのよのこと
 
  といふ心ばへもあるべし。 といふ心ばへもあるべし。 といふ心ばへあるらし。
 
 

第91段 惜しめども

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、  むかし、  昔。
  月日のゆくへをさへ嘆く男、 月日のゆくをさへなげくおとこ、 月日のゆくさへなげく男。
  三月つごもりがたに、 三月つごもりがたに、 やよひの晦日に。
 

165
 をしめどもはるのかぎりのけふの日の  おしめども春のかぎりのけふの日の  おしめとも春のかきりのけふの日の
  夕暮れにさへなりにけるかな   ゆふぐれにさへなりにけるかな   夕暮にさへ成にける哉
 
 

第92段 棚なし小舟

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  むかし。
  恋ひしさに来つゝつかへれど、 こひしさにきつゝかへれど、 戀しさにきつゝかへれど。
女にせうそこを 女にせうそこを 女にせうそこ
  だにえせでよめる。 だにえせでよめる。 もたせて(もせて一本)よめる。
 

166
 葦べ漕ぐ棚なし小舟いくそたび  あし辺こぐたなゝしをぶねいくそたび  あしゑ[へイ]こくたなゝしを舟幾そたひ
  行きかへるらむ知る人もなみ   ゆきかへるらむしる人もなみ   漕歸るらんしる人なしに
 
 

第93段 たかきいやしき

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔おとこ。
  身はいやしくて、 身はいやしくて、 身はいやしながら。
  いとになき人を思ひかけたりけり。 いとになき人を思ひかけたりけり。 ふたつなき人を思ひかけたりけり。
  すこし頼みぬべきさまにやありけむ、 すこしたのみぬべきさまにやありけむ、 すこしたのみぬべきさまにやありけん。
  臥して思ひ、起きて思ひ、 ふしておもひ、おきておもひ、 ふしておもひおきて思ひ
  思ひわびてよめる。 思ひわびてよめる。 思ひてよめる。
 

167
 あふなあふな
 思ひはすべし
 なぞへなく
 あふなあふな
 おもひはすべし
 なぞへなく
 あふな〳〵
 思ひはすへし
 なのめ(にけり一本)なく
  高きいやしき苦しかりけり   たかきいやしきくるしかりけり   高き賤き苦しかりけり
 
   むかしもかかることは、 むかしもかゝる事は、  むかしもかゝることありけり。
  世のことわりにやありけむ。 世のことはりにや有けむ。 世のことはりにや有けん。
 
 

第94段 紅葉も花も

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  昔、おとこ有けり。  
  いかゞありけむ、 いかゞありけむ、  
  その男すまずなりにけり。 そのおとこすまずなりにけり。  
  のちに男ありけれど、 のちにおとこありけれど、  
  子あるなかなりければ、 子あるなかなりければ、  
  こまかにこそあらねど、 こまかにこそあらねど、  
  時々ものいひおこせけり。 時ゞ物いひをこせけり。  
 
  女方に、絵かく人なりければ、 女がたに、ゑかく人なりければ、  
  かきにやれりけるを、 かきにやれりけるを、  
  今の男のものすとて、 いまのおとこのものすとて、  
  ひと日ふつかおこせざりけり。 ひとひふつかをこせざりけり。  
 
  かの男いとつらく、 かのおとこ、いとつらく、  
  おのが聞ゆる事をば、 をのがきこゆる事をば  
  今までたまはねば、 いままでたまはねば、  
  ことわりとおもへど、 ことはりとおもへど、  
  なほ人をば 猶人をば  
  うらみつべきものになむありけるとて、 うらみつべき物になむありけるとて、  
  ろうじてよみてやれりける。 ろうじてよみてやれりける。  
  時は秋になむありける。 時は秋になむありける。  
 

168
 秋の夜は春日わするゝものなれや  秋の夜は春日わするゝものなれや  
  霞に霧や千重まさむらむ   かすみにきりやちへまさるらむ  
 
  となむよめりける。 となむよめりける。  
  女、かへし、 女、返し、  
 

169
 千ぢの秋ひとつの春にむかはめや  ちゞの秋ひとつのはるにむかはめや  
  もみじ花もともにこそ散れ   もみぢも花もともにこそちれ  
 
 

第95段 彦星

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  昔、  昔。
二条の后に仕うまつる男ありけり。 二条の后につかうまつるおとこありけり。 二條の后宮につかうまつる男有けり。
  女の仕うまつるを、 女のつかうまつるを、 女のつかうまつれりけるを
  つねに見かはして、よばひわたりけり。 つねに見かはして、よばひわたりけり。 見かはしてよばひわたりけり。
 
  いかでものごしに対面して、 いかでものごしにたいめんして、 いかで物ごしにたいめして。
  おぼつかなく思ひつめたること、 おぼつかなく思ひつめたること、 おもひつめたること
  すこしはるかさむといひければ、 すこしはるかさむ、といひければ、 すこしはるけんといひければ。
 
  女、いとしのびて、 をむな、いとしのびて、 女いとしのびて
  ものごしに、逢ひにけり。 ものごしにあひにけり。 物ごしに逢にけり。
  物語などして、男、 物がたりなどして、おとこ ものがたりなどして。おとこ。
 

170
 彦星に恋はまさりぬ天の河  ひこぼしにこひはまさりぬあまの河  彥星に戀はまされり天のかは
  へだつる関をいまはやめてよ   へだつるせきをいまはやめてよ   へたつる關を今はとめてよ
 
   この歌にめでて、あひにけり。 このうたにめでゝあひにけり。  これををかしとやおもひけん。あひにけり。
 
 

第96段 天の逆手(さかて)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  昔、男ありけり。  昔おとこ有けり。
  女をとかくいふこと月日へにけり。 女をとかくいふこと月日へにけり。 女をとかういふこと月日へにけり。
  石木にしあらねば、 いは木にしあらねば、 女岩木ならねば。
  心苦しとや思ひけん、 心ぐるしとや思ひけむ、 いとほしうやおもひけん。
  やうやうあはれと思ひけり。 やうやうあはれと思ひけり。 やう〳〵思つきにけり。
 
  そのころ水無月のもちばかりなりければ、 そのころ、みな月のもちばかりなりければ、 その比みな月のつごもりばかりなりければ。
  女、身に瘡一つ二つ出できにけり。 女、身にかさひとつふたついできにけり。 女かさもひとつふたつ身にいでたりければ。
 
  女いひおこせたる。 女、いひをこせたる。 いひをこせたる。
  今はなにの心もなし。 今はなにの心もなし。 いまはなにのこゝちもなし。
  身に瘡も一つ二つ出でたり。 身にかさもひとつふたついでたり。 身にかさもひとつふたついできにけり。
  時もいと暑し。 時もいとあつし。 時もいとあつし。
  すこし秋風ふきたちなむ時、 すこし、秋風ふきたちなむとき、 すこし秋風たてゝ
  かならずあはむといへりけり。 かならずあはむ、といへりけり。 あはんといへりけり。
  秋まつころほひに、こゝかしこより 秋たつころをひに、こゝかしこより、 さて秋まつほどに女のちゝ。
  その人のもとへいなむずなりとて、 その人のもとへいなむずなりとて、 その人のもとにいくべかなりときゝて。
  口舌出できにけり。 くぜちいできにけり。 いひのゝしりて
くせて[くぜちいでイ]きにけり。
  さりければ、女のせうと、 さりければ、この女のせうと、 さりければ此女のせうと。
  にはかに迎へに来たり。 にはかにむかへにきたり。 にはかにむかへにきたりければ。
 
  されば、この女、 さればこの女
  かへでの初もみぢをひろはせて、 かえでのはつもみぢをひろはせて、 かえでのはつもみぢをひろひて
  歌をよみて、書きつけておこせたり。 うたをよみて、かきつけてをこせたり。 かきをく。
 

171
 秋かけていひしながらもあらなくに  秋かけていひしながらもあらなくに  秋かけていひし中にはあらなくに
  この葉降りしくえにこそありけれ   このはふりしくえにこそありけれ   木葉降しくえに社有けれ
 
  と書きおきて、 とかきをきて、  とみせて。
  かしこより人おこせば、これをやれ かしこより人をこせば、これをやれ、 かしこより人をこせたらば。これをやれ
  とていぬ。 とていぬ。 といひをきていぬ。
 
  さて、やがて後、つひにけふまでしらず。 さて、やがてのちつゐにけふまでしらず。 さて後つゐに
  よくてやあらむ、あしくてやあらむ、 よくてやあらむ、あしくてやあらむ、 よくてやあるらん。あしくてやあるらむ。
  いにし所もしらず。 いにし所もしらず。 いく所もしらでやみぬ。
 
  かの男は、 かのおとこは 此おとこ。
  天の逆手をうちて あまのさかてをうちて いみじうあまのさかてをうちて
  なむ呪ひをるなむ。 なむのろひをるなる。 なんのろひをるなる。
  むくつけきこと。 むくつけきこと、 むくつけきこと。
 
  人の呪ひごとは、 人のゝろひごとは 人のおもひは。
  負ふものにやあらむ、
負はぬものにやあらむ、
おふ物にやあらむ、
おはぬものにやあらむ、
をふ物にやあらん。
  今こそは見めとぞいふなる。 いまこそは見め、とぞいふなる。 今こそ見めとぞいひける。
 
 

第97段 四十の賀

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  昔。
堀川のおほいまうちぎみと申す ほりかはのおほいまうちぎみと申、 ほり川のおほいまうちぎみと申
  いまそかりけり。 いまそかりけり。 いまそかりけり。
  四十の賀、九条の家にて 四十の賀、九条の家にて 四十の賀九でうの家にて
  せられける日、 せられける日、 せられける屛風に。
    中将なりけるおきな、 中將なりけるおきな。
 

172
 さくら花
 散りかひ曇れ老いらくの
 さくらばな
 ちりかひくもれおいらくの
 櫻花
 散かひまかへ老らくの
  来むといふなる
  道まがふがに
  こむといふなる
  みちまがふがに
  こんといふなる
  みちまとふまて
  (まとふやに一本、かふかに古今)
 
 

第98段 梅の造り枝

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  むかし。
  太政大臣と聞ゆる、 おほきおほいまうちぎみときこゆる、 をき[おほきイ]をとゞときこゆる
  おはしけり。 おはしけり。 おはしけり。
仕うまつる男、 つかうまつるおとこ、 つかうまつるおとこ。
  なが月ばかりに、 なが月許に、 なが月ばかりに。
  梅のつくり枝に むめのつくりえだに さくらのつくりたるえだに。
  雉をつけて、奉るとて、 きじをつけてたてまつるとて、 きじをつけて奉るとて。
 

173
 わがたのむ君がためにと折る花は  わがたのむきみがためにとおる花は  我たのむ君かためにとおる花は
  ときしもわかぬものにぞありける   時しもわかぬ物にぞありける   時しもわかぬ物にそ有ける
 
  とよみて奉りたりければ、 とよみたてまつりたりければ、  とよみてたてまつりたりければ。
  いとかしこくおかしがり給ひて、 いとかしこくをかしがりたまひて、 いとかしこがり給て。
  使に禄たまへりけり。 つかひにろくたまへりけり。 使にろくたまへり。
 
 

第99段 ひをりの日

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、右近の馬場のひをりの日、  むかし、右近の馬場のひをりの日、  昔。右近のむまばのひをりの日。
  むかひに立てたりける車に、 むかひにたてたりけるくるまに、 むかひにたてたりける車に。
  女の顔の、 女のかほの 女のかほの。
  下簾よりほのかに見えければ、 したすだれよりほのかに見えければ、 したすだれよりほのかに見ゆれば。
中将なりける男のよみてやりける、 中将なりけるおとこのよみてやりける。 中將なる人のよみてやる。
 

174
 見ずもあらず
 見もせぬ人の
 恋ひしくは
 見ずもあらず
 見もせぬ人の
 こひしくは
 見すも非す
 みもせぬ人の
 戀しき(く古今)は
  あやなくけふや
  ながめ暮さむ
  あやなくけふや
  ながめくらさむ
  綾なくけふや
  詠め暮さん
 
  かへし、 返し、 かへし。をんな。
 

175
 知る知らぬ何かあやなくわきていわむ  しるしらぬなにかあやなくわきていはむ  しるしらぬ何か綾なくわきて言む
  思ひのみこそしるべなりけれ   おもひのみこそしるべなりけれ   思ひのみ社しるへ成(か一本)けれ
 
  のちは誰と知りにけり。 のちはたれとしりにけり。  
 
 

第100段 忘れ草

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  昔、男、  むかし男。
  後涼殿のはさまを渡りければ、 後涼殿のはさまをわたりければ、 弘徽殿のはざまをわたりたりければ。
  あるやんごとなき人の、御局より、 あるやむごとなき人の御つぼねより、 あるやむごとなき人の御つぼねより。
  忘草を忍草とやいふとて、 わすれぐさをしのぶぐさとやいふ、とて、 わすれ草をしのぶぐさとやいふとて。
  出ださせ給へりければ、 いださせたまへりければ、 さしいださせ給へりければ。
  たまはりて、 たまはりて、 たまはりて。
 

176
 忘草生ふる野辺とはみるらめど  わすれぐさおふる野辺とは見るらめど  忘艸おふるのへとは見るらめと
  こはしのぶなりのちもたのまむ   こはしのぶなりのちもたのまむ   こは忍ふなり後もたのまん
 
 

第101段 藤の花

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  むかし、  
  左兵衛督なりける 左兵衛督なりける  
在原の行平といふありけり。 ありはらのゆきひらといふ、ありけり。  
 
  その人の家によき酒ありと聞きて、 その人の家によきさけありと、  
  うへにありける うへにありける  
  左中弁藤原の良近といふをなむ、 左中弁ふぢはらのまさちかといふをなむ、  
  まらうどざねにて、 まらうどざねにて、  
  その日はあるじまうけしたりける。 その日はあるじまうけしたりける。  
 
  なさけある人にて、瓶に花をさせり。 なさけある人にて、かめに花をさせり。  
  その花のなかに、あやしき藤の花ありけり。 その花のなかに、あやしきふぢの花有けり。  
  花のしなひ三尺六寸ばかりなむありける。 花のしなひ三尺六寸ばかりなむ有ける。  
  それを題にてよむ。 それをだいにてよむ。  
 
  よみはてがたに、 よみはてがたに、  
  あるじのはらからなる、 あるじのはらからなる、  
  あるじし給ふと聞きて来たりければ、 あるじゝたまふときゝてきたりければ、  
  とらへてよませける。 とらへてよませける。  
 
  もとより歌のことは知らざりければ、 もとよりうたのことはしらざりければ、  
  すまひけれど、 すまひけれど、  
  強ひてよませければ、かくなむ。 しゐてよませければ、かくなむ、  
 

177
 咲く花のしたにかくるる人を多み  さくはなのしたにかくるゝ人をおほみ  
  ありしにまさる藤のかげかも   ありしにまさるふぢのかげかも  
 
  などかくしもよむといひければ、 などかくしもよむ、といひければ、  
  太政大臣の おほきおとゞの  
  栄華のさかりにみまそかりて、 ゑい花のさかりにみまそかりて、  
  藤氏のことに栄ゆるを思ひてよめる 藤氏のことにさかゆるを思ひてよめる、  
  となむいひける。 となむいひける。  
 
  みな人そしらずになりけり。 みな人、そしらずなりにけり。  
 
 

第102段 あてなる女 世のうきこと

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこ有けり。  むかし男有けり。
  歌はよまざりけれど、 うたはよまざりけれど、 歌はたよまざりけれど。
  世の中を思ひしりたりけり。 世中を思ひしりたりけり。 世中をおもひしりたりけるあてなる女の。
  あてなる女の尼になりて、 あてなる女のあまになりて、 あまになりて。
  世の中を思ひ倦んじて 世中を思ひうんじて、 世中を思ひくわ(う一本)むじて。
  京にもあらず、 京にもあらず、 京にもあらず。
  はるかなる山里に住みけり。 はるかなる山ざとにすみけり。 はるかなる山ざとにすみけり。
 
  もと親族なりければ、 もとしぞくなりければ、 もとしたしかり(しんぞくたり一本)ければ。
  よみてやりける。 よみてやりける。 よみてやりける。
 

178
 そむくとて雲には乗らぬものなれど  そむくとてくもにはのらぬものなれど  背くとて雲にはのらぬ物なれと
  世の憂きことぞよそになるてふ   よのうきことぞよそになるてふ   世の憂事そよそになるてふ
 
  となむいひやりける。斎宮の宮なり。 となむいひやりける。斎宮のみやなり。  
 
 

第103段 寢ぬる夜

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  昔男ありけり。
深草のみかどにつかうまつりけり。
  いとまめにじちようにて、 いとまめにじちようにて、  
  あだなる心なかりけり。 あだなる心なかりけり。 そのおとこあだなる心なかりけり。
  深草のみかどになむつかうまつりける。 ふかくさのみかどになむつかうまつりける。  
 
   心あやまりやしたりけむ、  心あやまりやしたりけむ、  こゝろあやまりやしたりけん。
  みこたちの使ひ給ひける人を みこたちのつかひたまひける人を みこたちのめしつかひ給ける人を
  あひいへり。 あひいへりけり。 あひしりにけり。
 
  さて、 さて、 さて朝にいひやる。
 

179
 寝ぬる夜の夢をはかなみまどろめば  ねぬる夜のゆめをはかなみまどろめば  ねぬるよの夢をはかなみまとろめは
  いやはかなにもなりまさるかな   いやはかなにもなりまさるかな   いやはかなくも成勝る哉
 
  となむよみてやりける。 となむよみてやりける。  
  さる歌のきたなげさよ。 さるうたのきたなげさよ。  
 
 

第104段 賀茂の祭(見)

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、  昔、  昔。
  ことなる事なくて ことなる事なくて ことなる事なくて
尼になれる人ありけり。 あまになれる人有けり。 あまになれる有けり。
  かたちをやつしたけれど、 かたちをやつしたれど、 かたちをやつしたれども。
  物やゆかしかりけむ、 ものやゆかしかりけむ、 物ゆかしかりけん。
  賀茂の祭見にいでたりけるを、 かものまつり見にいでたりけるを、 かものまつり見に出たるを男 
  をとこ歌よみてやる。 おとこうたよみてやる。 歌を一本よみてやる。
 

180
 世をうみのあまとし人を見るからに  世をうみのあまとし人を見るからに  よを海の蜑とし人をみるからに
  めくはせよとも頼まるゝかな   めくはせよともたのまるゝかな   めくはせよとも思ほゆる哉
 
  これは、斎宮の物見たまひける車に、 これは斎宮の物見たまひけるくるまに、  
  かくきこえたりければ、 かくきこえたりければ、  
  見さしてかへり給ひにけりとなむ。 見さしてかへりたまひにけりとなむ。  
 
 

第105段 白露

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  昔、男、  昔男。
  かくては死ぬべし かくてはしぬべし、 かくてはしぬべし
  といひやりければ、 といひやりたりければ、 といひやりたりければ。
  女、 女。
 

181
 白露はけなばけななむ消えずとて  白露はけなばけなゝむきえずとて  白露はけなは消なんきえすとも
  玉にぬくべき人もあらじを   たまにぬくべき人もあらじを   玉にぬくへき人もあらしを
 
  といへりければ、 といへりければ、  といへりければ。
  いとなめしと思ひけれど、 いとなめしと思ひけれど、 ねたしと思ひけれど。
  こころざしはいやまさりけり。 心ざしはいやまさりけり。 こゝろざしはいやまさりけり。
 
 

第106段 龍田河 ちはやぶる

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかしおとこ。
  親王たちのせうえうし給ふ所にまうでて、 みこたちのせうえうし給所にまうでゝ、 みこたちのせうえうし給ふ所にまうでて。
  龍田川のほとりにて。 たつたがはのほとりにて、 たつた河のほとりにて。
 

182
 ちはやぶる神代もきかず龍田河  ちはやぶる神世もきかずたつた河  千早振神代もしらぬたつた川
  からくれなゐに水くゝるとは   からくれなゐに水くゝるとは   からくれなゐに水くゝるとは
 
 

第107段 身を知る雨 藤原の敏行

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、あてなる男ありけり。  昔、あてなる男ありけり。  昔なまあてなる男の
  その男のもとなりける人を、 そのおとこのもとなりける人を、 もとにごたち有けり。それを
  内記にありける 内記にありける 內記なる
  藤原の敏行といふ人 ふぢはらのとしゆきといふ人 藤原のとしゆきといふ人
  よばひけり。 よばひけり。 よばひけり。
      此女かほかたちはよけれど。
  されど若ければ、 されどまだわかければ、 いまだわかゝりければにや。
  文もをさをさしからず、 ふみもおさおさしからず、 ふみもおさおさしからず。
  言葉もいひ知らず、 ことばもいひしらず、 ことばもいひしらず。
  いはんや歌はよまざりければ、 いはむやうたはよまざりければ、 いはむやうたはよまざりければ。
  かのあれじなる人、 このあるじなる人、 このあるじなりける人。
  案を書きて
かゝせてやりけり。
あんをかきて
かゝせてやりけり。
ふみのあむをかきて女にかきうつさす。
さてかへりごとはしけり。
ことはいかゞ有けむ。
  めでまどひにけり。 めでまどひにけり。 めでまどひて
  さて男のよめる、 さて、おとこのよめる。 男のよめりける。
 

183
 つれづれのながめにまさる涙川  つれづれのながめにまさる涙河  つれ〳〵のなかめにまさる淚
  袖のみひぢて逢ふよしもなし   袖のみひぢてあふよしもなし   袖のみぬれ古今ひちて逢よしもなし
 
  かへし、れいの男、女にかはりて、 返し、れいのおとこ、女にかはりて、  返し。れいのおとこ。女にかはりて。
 

184
 浅みこそ袖はひづらめ涙川  あさみこそゝではひづらめ涙河  淺みこそ袖はひつらめ淚河
  身さへながると聞かばたのまむ   身さへながるときかばたのまむ   身さへなかるときかはたのまん
 
  といへりければ、 といへりければ、  といへりければ。
  男いといたうめでて、 おとこいといたうめでゝ、 男いたうめでて。
  いままでまきて いまゝでまきて、  
  文箱に入れてありとなむいふなる。 ふばこにいれてありとなむいふなる。 ふみばこにいれてもてありくとぞいふなる。
  男文おこせたり。 おとこ、ふみをこせたり。 おなじ男。あひてのちふみをこせたり。
 
  えてのちの事なりけり。 えてのちの事なりけり。 まうでこんとするに。
  雨の降りぬべきになむ見わづらひ侍る。 あめのふりぬべきになむ見わづらひ侍。 雨のふるになん見わづらひぬ。
  身さいはひあらば、この雨は降らじ みさいはひあらば、このあめはふらじ、 身さいはひあらば。この雨ふらじ
  といへりければ、 といへりければ、 といへりければ。
 
  例の男、女に代りて れいのおとこ、女にかはりて れいの男。女にかはりて。
  よみてやらす。 よみてやらす。  
 

185
 かずかずに思ひ思はず問ひがたみ  かずかずにおもひおもはずとひがたみ  數々に思ひおもはぬとひかたみ
  身をしる雨は降りぞまされる   身をしるあめはふりぞまされる   身をしる雨は降そまされる
 
  とよみてやれりければ、 とよみてやれりければ、  とてやりたりければ。
  蓑も笠もとりあへで、 みのもかさもとりあへで、 みのかさもとりあへで。
  しとゞに濡れてまどひきにけり。 しとゞにぬれてまどひきにけり。 しとゞにぬれてまどひきけり。
 
 

第108段 浪こす岩

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、女、人の心を怨みて、  むかし、女、ひとの心をうらみて、  むかし女。ひとの心をうらみて。
 

186
 風吹けば
 とはに浪こすいはなれや
 風ふけば
 とはに浪こすいはなれや
 風吹は
 とはに波こすいそ(は一本)なれや
  わが衣手のかわく時なき   わか衣手のかはく時なき   我衣手のかはく時なき
 
  と、常のことぐさにいひけるを、 とつねのことぐさにいひけるを、  とつねのことぐさにいひけるを。
  聞きおひける男、 きゝおひけるおとこ、 聞をよびける男。
 

187
 よひ毎に蛙のあまた鳴く田には  夜ゐごとにかはづのあまたなく田には  宵ことに蛙のいたくなくなるは
  水こそまされ雨は降らねど   水こそまされ雨はふらねど   水こそまされ雨はふらねと
 
 

第109段 人こそあだに

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかし男。
  友だちの、人を失へるがもとに ともだちの人をうしなへるがもとに 友だちの人をうしなへるが許に
  やりける。 やりける。 いひやりけり。
 

188
 花よりも人こそあだになりけれ  花よりも人こそあだになりにけれ  花よりも人こそあたに成にける
  何れをさきに恋ひむとかし   いづれをさきにこひむとか見し   孰れをさきに戀んとかみし
 
 

第110段 魂結び

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  昔、おとこ、  昔男。
  みそかにかよふ女ありけり。 みそかにかよふ女ありけり。 しのびてかよふ女有けり。
  それがもとより、 それがもとより、 それがもとより。
  こよひ夢になむ見え給ひつる こよひゆめになむ見えたまひつる、 こよひなん夢に見えつる
  といへりければ、男、 といへりければ、おとこ、 といへりければ。おとこ。
 

189
 思ひあまり
 出でにし魂のあるならむ
 おもひあまり
 いでにしたまのあるならむ
 戀わひて(思ひあまり一本)
 出にしたまの有ならん
  夜深く見えば魂むすびせよ   夜ふかく見えばたまむすびせよ   夜深くみえはたま結ひせよ
 
 

第111段 まだ見ぬ人

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかし男。
  やむごとなき女のもとに、 やむごとなき女のもとに、 やんごとなき女に。
  なくなりにけるをとぶらふやうにて、 なくなりにけるをとぶらふやうにて なくなれりける人をとぶらふやうにて
  いひやりける。 いひやりける。 いひやれる。
 

190
 古はありもやしけむ今ぞ知る  いにしへや有もやしけむ今ぞしる  古にありもやしけむ今そしる
  まだ見ぬ人を恋ふるものとは   まだ見ぬ人をこふるものとは   またみぬ人をこふる物とは
 
  かへし、 返し、  をんな。返し。
 

191
 下紐のしるしとするも解けなくに   したひものしるしとするもとけなくに  下紐のしるしとするもとけなくに
  かたるが如はこひずぞあるべき   かたるがごとはこひぞあるべき   語るかことは戀すそ有へき
 
  また、返し、 又、返し  
 

192
 恋ひしとはさらにいはじ下紐の  こひしとはさらにもいはじゝたひもの  
  解けむを人はそれと知らなむ   とけむを人はそれとしらなむ  
 
 

第112段 須磨のあま(蟹)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔男。
  ねむごろにいひ契れる女の、 ねむごろにいひちぎれる女の、 ねんごろにいひちぎれる女の
  ことざまになりにければ、 ことざまになりにければ ことざまに成にけるを。
 

193
 須磨のあまの塩焼く煙風をいたみ  すまのあまのしほやく煙風をいたみ  すまのあまの鹽燒けふり風をいたみ
  思はぬ方にたなびきにけり   おもはぬ方にたなびきにけり   思はぬ方に棚引にけり
 
 

第113段 短き心 やもめにて(いて)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかしおとこ。
  やもめにて居て、 やもめにてゐて、 やもめにてゐて。
 

194
 ながからぬ命のほどに忘るゝは  ながゝらぬいのちのほどにわするゝは  長からぬ命のほとに忘るゝは
  いかに短き心なるらむ   いかにみじかき心なるらむ   いかにみしかき心なるらむ
 
 

第114段 芹河に行幸(芹川行幸)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、仁和の帝、  むかし、仁和のみかど、  昔。ふか草のみかどの。
  芹川に行幸し給ひける時、 せり河に行かうし給ける時、 せり川のみゆきし給けるに。
      なまおきなの
  いまはさること似げなく思ひけれど、 いまはさる事にげなく思ひけれど、 いまはさることにげなく思ひけれど。
  もとつきにける事なれば、 もとつきにける事なれば、 もとつきにけることなれば。
  大鷹の鷹飼にて おほたかのたかがひにて おほかた[たかイ]のたかがひにて
  さぶらはせ給ひける、 さぶらはせたまひける。 さぶらひ給ひけるを。
  摺狩衣の袂に、 すりかりぎぬのたもとに すりかりぎぬの袂に。
  書きつける。 かきつけゝる。 鶴のかたをつくりてかきつけける。
 

195
 翁さび人な咎めそ狩衣  おきなさび人なとがめそかり衣  翁さひ雖年七十人なとかめそ狩衣
  けふばかりとぞ鶴も鳴くなる   けふ許とぞたづもなくなる   けふはかりとそたつもなくなる 行平歟
 
  おほやけの御けしきあしかりけり。 おほやけの御けしきあしかりけり。 おほやけの御きそくもあしかりけり。
  おのがよはひを思ひけれど、 をのがよはひを思ひけれど、 をのがよはひ思けれど。
  若からぬ人は聞きおひけりとや。 わかゝらぬ人はきゝおひけりとや。 わかゝらぬ人きゝとがめけり。
 
 

第115段 みやこしま(都島) おきの井

  →〔あらすじ・解説
 
   むかし、みちの国にて、  むかし、みちのくにゝて、  昔。みちのくにに
♂♀ 男女すみけり。 おとこ女すみけり。 おとこすみけり。
 
  男、都へいなむといふ。 おとこ、みやこへいなむといふ。 みやこへいなんとするに。
  この女いと悲しうて、 この女、いとかなしうて、 女いとかなしと思ひて。
  馬のはなむけをだにせむとて、 うまのはなむけをだにせむとて、 むまのはなむけをだにせんとて。
  おきのゐて都島といふ所にて おきのゐ宮こじまといふ所にて、 おきのゐみやこつしまといふ所にて。
  酒飲ませてよめる。 さけのませてよめる。 さけのませんとしてよめる。
 

196
 おきのゐて身を焼くよりも悲しきは  をきのゐて身をやくよりもかなしきは  おきのゐて身を燒よりもわひしきは
  都のしまべの別れなりけり    みやこしまべのわかれなりけり   都つしまの別れなり鳬
 
       とよめりけるに。めでてとまりにけり。
 
 

第116段 はまびさし(浜びさし)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  昔、男、  
  すゞろにみちの国まで惑ひいにけり。 すゞろにみちのくにまでまどひいにけり。  
  京の思ふ人にいひやる。 京に、おもふ人にいひやる。  
 

197
 浪間より見ゆる小島の浜びさし  浪まより見ゆるこじまのはまひさし  
  ひさしくなりぬ君に逢ひみで   ひさしくなりぬきみにあひ見で  
 
  なに事も皆よくなりにけり なにごとも、みなよくなりにけり、  
  となむゐひやりける。 となむいひやりける。  
 
 

第117段 住吉に行幸(住吉行幸)

  →〔あらすじ・解説
 
?♂  むかし、帝、  むかし、みかど、  
  住吉に行幸し給ひけり。 すみよしに行幸したまひけり。  
 

198
 我見てもひさしくなりぬ住吉の  我見てもひさしくなりぬすみよしの  
  岸のひめ松いく代へぬらむ   きしのひめまついく世へぬらむ  
 
  御神現形し給ひて、 おほむ神、げぎやうし給て、  
 

199
 むつまじと君は白浪瑞籬の  むつまじと君はしら浪みづがきの  
  久しき世よりいはひそめてき   ひさしき世ゝりいはひそめてき  
 
 

第118段 たえぬ心(絶えぬ心) 玉葛

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、をこと、  昔男。
  久しく音もせで、 ひさしくをともせで、 久しくをともせで。
  わするゝ心もなし。まゐり来む わするゝ心もなし、まいりこむ、 わするゝ心もなし。まいらん
  といへりければ、 といへりければ、 といへりければ。
 

200
 玉葛はふ木あまたになりぬれば  たまかづらはふ木あまたになりぬれば  玉かつらはふ木あまたに成ぬれは
  絶えぬこころのうれしげもなし   たえぬ心のうれしげもなし   絕ぬ心のうれしけもなし
 
 

第119段 形見こそ

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、女、  むかし、女の、  昔女。
  あだなる男のかたみとて、 あだなるおとこのかたみとて、 あだなる男の。かたみとて
  置きたるものどもを見て、 をきたる物どもを見て、 をきたる物どもをみて。
 

201
 かたみこそ今はあだなくこれなくは  かたみこそ今はあだなれこれなくは  形見こそ今はあたなれこれなくは
  忘れるゝ時もあらまほしきものを   わするゝ時もあらましものを   忘るゝ時もあらまし物を
 
 

第120段 筑摩の祭

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔男。
  女のまだ世へずと覚えたるが、 女のまだよへずとおぼえたるが、 女のいまだ世にへずとおぼえたるが。
  人の御もとにしのびて 人の御もとにしのびて  
  もの聞えてのち、ほどへて、 ものきこえて、のちほどへて、 ものきこえてのち。ほどへて。
 

202
 近江なる筑摩の祭とくせなむ  近江なるつくまのまつりとくせなむ  近江なるつくまの祭とくせなん
  つれなき人の鍋のかず見む   つれなき人のなべのかず見む   つれなき人のなへの數みん
 
 

第121段 梅壷

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔男。
  梅壺より雨にぬれて 梅壷よりあめにぬれて、 梅つぼより雨につ(ぬ歟)れて
  人のまかりいづる 人のまかりいづる 人のまかづ(てけ一本)る
 (殿となりける一本)
  をみて、 を見て、 を見て。
 

203
 鴬の花を縫ふてふ笠もがな  うぐいすの花をぬふてふかさもがな  鶯の花をぬふてふ笠もかな
  ぬるめる人にきせてかへさむ   ぬるめる人にきせてかへさむ   ぬるぬる人にきせてかへさん
 
  かへし、 返し、  
 

204
 鴬の花を縫ふてふ笠はいな  鶯の花をぬふてふかさはいな  
  おもひをつけよ乾してかへさむ   おもひをつけよほしてかへさむ  
 
 

第122段 井出の玉水

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、をとこ、  昔おとこ。
  契れることあやまれる人に、 ちぎれる事あやまれる人に、 ちぎれることあやまれる人に。
 

205
 山城の井出のたま水手にむせび  山しろのゐでのたま水手に結び  山城の井手の玉水てにくみて
  頼みしかひもなき世なりけり   たのみしかひもなき世なりけり   たのみしかひもなき世成けり
 
  といひやれど、いらへもせず。 といひやれどいらへもせず。  かういへど。いらへず。
 
 

第123段 深草(にすみける女)(鶉)

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  むかし男ありけり。
  深草に住みける女を、 深草にすみける女を、 ふかくさにすみける女を。
  やうやうあきがたにや思ひけむ、 やうやうあきがたにや思ひけむ、 やう〳〵あきがたにや思ひけん。
  かゝる歌をよみけり。 かゝるうたをよみける。 ものへいでたちて。
 

206
 年を経てすみこし里を出でていなば  年をへてすみこしさとをいでゝいなば  年をへて住こし宿を出ていなは
  いとゞ深草野とやなりなむ   いとゞ深草野とやなりなむ   いとゝ深草野とや成なん
 
  女、かへし、 女、返し、  女かへし。
 

207
 野とならば
 鶉となりて
 鳴きをらむ
 野とならば
 うづらとなりて
 なきをらむ
 野とならは
 鶉となりて
 鳴をらん(いきてとしはへん古今一本)
  狩だにやは君はこざらむ   かりにだにやはきみはこざ覧   狩にたにやは君はこさらん
 
  とよめるけるにめでゝ、 とよめりけるにめでゝ、 とよめりけるに。
  ゆかむと思ふ心なくなりにけり ゆかむと思ふ心なくなりにけり。 いでてゆかんとおもふ心うせにけり。
 
 

第124段 われとひとしき人

  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔男。
  いかなりけることを いかなりける事を、 いかなる事を
  思ひける折にかよめる。 おもひけるおりにかよめる。 思ひけるおりにや(か一本)ありけん。
 

208
 思ふこといはでぞたゞに止みぬべき  思ふ事いはでぞたゞにやみぬべき  思ふこといはてそたゝにやみぬへき
  我とひとしき人しなければ   我とひとしき人しなければ   我と等しき人しなけれは
 
 

第125段 つひにゆく道

塗籠本は59段末尾に挿入
  →〔あらすじ・解説
 
 むかし、男、わづらひて、  昔、おとこ、わづらひて、  
  心地死ぬべくおぼえければ、 心地しぬべくおぼえければ、  
 

209
 つひにゆく道とはかねて聞きしかど  つゐにゆくみちとはかねてきゝしかど  つゐに行道とかねはて聞しかと
  きのふけふとは思はざりしを   昨日けふとはおもはざりしを   昨日けふとは思はさりしを
 
       とてなむたえいりにけり