紫式部日記 5 播磨守、碁の負けわざしける日 逐語分析

三位の君頼通 紫式部日記
第一部
碁の負けわざ
宿直の殿上人達
目次
冒頭
1 播磨守
2 後にぞ御盤のさまなど
3 ♪紀伊の国の
4 扇どももをかしきを

 

原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉

1

 播磨守、  播磨守が

【播磨守】-未詳。藤原有国説(『全注釈』)、平生昌(なりまさ)説(『新大系』『新編全集』)などがある。

〈渋谷訳は有国を挿入するが、注と私見に基づき削除。当時藤原行成が播磨守で有国は播磨権守(集成14p)なのに、播磨介の平生昌説も有力なのは日記の敬語表現を考慮してというが〉

碁の負けわざしける日、 〈賭碁に負け引出物を出した日〉

【碁の負けわざ】-囲碁で負けた側が勝者側を饗応すること。

〈源氏賢木「右負けにけり。二日ばかりありて中将負けわざしたまへり。ことことしうはあらで、なまめきたる桧破籠ども、賭物などさまざまにて」〉

△負碁の饗応をした日に、〈訳で引出物としたが字通りの意で慶事ではなく、負けて賀歌を詠んだとする学説も因果を無視している〉

あからさまに まさにその時

×ちょっと

〈上記が一致した通説の定義だが、時代で意味が離れ過ぎて不適当(露骨に⇔ちょっと・仮初)。これは「やばい」の、まずい(←秩序を乱すほど→)凄いのように関連ある真逆でなく関連ない逆。つまり学者の作問技術を応用して生み出した恣意的定義。日記の「あからさま」に続くのは「まかでて」3例「参り」1例のみ。いずれも前の特有描写と後の行動の絶妙なタイミングをいう。学説は微妙な意味を認められない〉

まかでて、 里に退出していたので、 〈まかでを里=実家とするのが通説だが、里に限定する必然がなく、以下の文脈解釈から、運悪く同席してなかったと見るのが自然。独自〉

2

後にぞ 後日に  
御盤のさまなど 〈引出物の〉碁盤の様子などを  
見たまへしかば、 〈見させていただくと〉 △拝見しましたら、
華足など 碁盤の花形の脚などが  
ゆゑゆゑしくして、 〈ものものしくて
その立派な盤の面に惜しげもなく)〉
△いかにも風流に作られていて、
洲浜のほとりの水に 洲浜の波打ち際の水〈例の渚のほとり〉に 〈=伊勢物語・渚の院(クサし合う歌合戦)を引いた土佐の潮海のほとりであざれあへりに引っ掛け、解釈の手掛かりを示す。なお、あざれあへりを通説は腐るはずがない塩海で腐るという表現の面白おかしさとするが、意味不明過ぎて最早何たまがおかしい類〉
書き混ぜたり 下のように〈掛けて〉書きまぜてあった。 〈ここも学説は即物的に解し「作り物の水辺に紀伊の国の歌が書き散らされていたのであろう」(集成。全注釈同旨。新大系は説明回避)「銀箔の水に和歌を金泥で葦手書きに書いてある」(全集)は最早目くらましの類。これで本文の説明になっていると思えるならそれでいいが、これは白石を白浜の渚に例えて掛けて書いていた、という意味に解する。それでかき混ぜた。独自。定義と同じで一方的断定は学問的に意味がなく筋が通っているかが大事。そして和歌にまつわる微妙な所ほど即物的に解してはならないし、礼賛一辺倒に解してはならない。それは田舎マインド。京の心髄は皮肉滑稽哀愁〉

3

    【紀伊の国の白良の浜に拾ふてふこの石こそは巌ともなれ】-「天禄四年(九七三)五月二十一日円融院資子内親王乱碁歌合」の歌を本歌とする(『全注釈』)。新編国歌大観本『夫木和歌集』(静嘉堂文庫本)に「天禄三年五月資子内親王家歌合 読人不知 こころあてにしららのはまにひろふてふ石のいはほとならんよをしこそまて」(10209)とある。新編国歌大観本『兼盛集』(書陵部本)に「しららの浜 君が代のかずともとらん紀の国のしららのはまにつめるいさごを」(57)という歌もある。
紀伊の国の 紀伊の国の 〈キィー〉
 白良の浜に 白良の浜で 〈白石の自陣。黒石の陣が海。独自〉
 拾ふてふ 拾うという 【「拾ふ」「石」は「碁」の縁語。】〈ここではそれを掴むこと。独自〉
 この石こそは この石こそは

×【「この石」は「碁の石」との掛詞】〈掛けるも何もただの指示語。This (is) ishi は掛詞か。これが学者の理解を超えた理で、実力者の明石〉。

「白良」「この石」から播磨側が白石。学説にこの視点はなく独自〉

 巌ともなれ 大きな巌ともなるでしょう

〈一致した通説は「巌」で君が代の末永さを願った賀歌とするが、負け碁の文脈と何の関連もない。引歌候補は3冒頭のように2つあり2つめの歌を引いた根拠が必要なところ、本段文脈で中宮方への賀歌(新大系)とする根拠がない。「巌」一字は文脈ではないし、石は長い年月を経て巌とはならない。むしろ逆。

 これは謎掛けで、石としてぶつければ岩の威力となるだろうと解する。根拠:引歌「心あてに」「よおしこそ待て」

 なれ:あとは野となれ山となれどうにでもなれの用法〉

4

 扇どもも、 〈人々の扇子なども 扇などでも、
をかしきを、 センスが良いもので、 ×趣向を凝らしたのを、
そのころは人びと持たり。 その時の人々はそれをもっておかしさを隠していた〉 ×そのころは女房たちは持っていた。
   

 この点、主要学説は「負けわざの一環として、勝ち方に趣向を凝らした扇が贈られたものか」(新大系)、「勝った方に多くの扇が贈られ、それを持っていたのだろう」(集成)、「負け態などに臨席する女房たちは扇に趣向を凝らすのが例」(全集)とするように景品説と所有説に分かれる。この時点でどちらかは的外れ。そして景品説は、碁盤と扇の関連性を説明できず、文脈に根拠がない。扇を描写は日記でたびたびある。

 これは見ていた人々が扇で笑いを隠したという象徴表現と解する。独自(参照:扇にはづれたるかたはらめなどいときよげ)。

 現状の解釈では類説は皆無だが、紀伊は置いて完璧に拾いきったと自負している。自負といっても拾ったといっても碁の縁語ではない。いや、もしかするとそうなのかもしれない。