蜻蛉日記 全文

和歌一覧 蜻蛉日記
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 藤原道綱母『蜻蛉日記』全文。954-975の20年の日記。本文は国文大観によった。

 文字数は約88500字、括弧句読点を除くと約82000字。原稿用紙約205枚。ならすと1年あたり10枚、一か月1枚弱。

 

年号
西暦
道綱
年齢
あらすじ
上巻
天暦8年
954年
  秋:兼家と和歌の贈答。
天暦9年
955年
0 道綱が生まれる。
    9月:兼家は他の女に通い始める。
    10月:嘆きつつ一人寝る夜のの歌。
天暦10年
956年
1  
天徳元年
957年
2 兼家の女が子を産んだと聞き嫉妬する。兼家から頼まれた衣を縫わずに返す。いさかいが絶えない。
天徳2年
958年
3 兼家の女が捨てられたと聞きよろこぶ。 このころから自然美に眼を開く。
天徳4年
960年
5  
応和元年
961年
6  
応和3年
963年
8  
康保元年
964年
9 母を亡くし、悲しさのあまり、道綱を連れて山にこもる。
康保2年
965年
10 母の一周忌の法事を、ありし山寺で行なう。この秋、頼もしき人の遠くにいくを送る。
康保3年
966年
11 3月:をば君の病が重くなり、山寺に上る。とある夕べ、をば君を山寺に訪れ、しめやかに語らう。
    5月:兼家と双六をうち、勝って物見に出ると約束する。秋、ふとしたいさかいの果てに、鐘鋳を怒らせる。
康保4年
967年
12 6月:村上天皇の崩御、兼家はまもなく蔵人頭になる。天皇の寵愛あつかった女御に同情の和歌を送る。
    7月:兵衛佐という人が山に上って法師になり、若い美しい妻もその後を追って尼になると聞き、同情の和歌をその尼に送る。
安和元年
968年
13 9月:初瀬に行く。
中巻
安和2年
969年
14 正月:兄とこといみなどして遊ぶ。
    3月3日:節供など試み、ここかしこの人を招く。
    3月25、6日:西の宮の大臣高明の流罪を悲しむ。
    6月15日:兼家は御嶽詣を思い立ち、道綱を連れて出発する。愛児の旅路の安泰を祈る。
天禄元年
970年
15 3月10日:内裏で賭弓のこと。道綱がそのなかに加わり、勝ったことを聞き喜ぶ。
    6月:唐崎に祓いに向かう。兼家の愛がしだいにうすらぐ。
    7月:亡母の盆のこと。石山の10日ばかりこもる。
    11月:道綱元服。
    12月:人の心は次第に遠ざかりていわむ方もない。
天禄2年
971年
16 正月元日:兼家来ず。近江という女のもとに通うといううわさ。2日ばかりして兼家が来るが、ものも言わない。
    2月:呉竹を庭に植えて寂しさを慰める。
    4月:道綱と長精進を始めようと思う。このころいちじるしく感傷的になる。
    6月:西山に渡る。兼家は迎えに来るが従わない。とある日、たのもしき人のためにむりやり連れられて京都に帰る。ふたたび初瀬に思い立つ。
    10月20日:屋根におく霜の白さに驚きの目を見張る。
    12月:雨の激しく降る日、兼家が来る。愛児の成長を見て母らしい喜びを味わう。
    12月25日:つかさめしに兼家は大納言になる。
下巻
天禄3年
972年
17 3月:詩人らしい眼で春を見る。かつて兼家の通ったことのある源宰相兼忠の女の腹に、美しい姫君のあると聞き、その姫君を迎え、養女としようとする。
    6月:庭をはく翁の言葉に、詩人らしい耳を傾ける。
天延元年
973年
18 2月:紅梅の枝を兼家に送る。
    9月:中川に遊ぶ。
    12月:田上に詣でる。祓殿のつららに驚きの眼をはなつ。
天延2年
974年
19 正月15日:道綱の雑色の男の子らが儺をして騒ぐ。
    2月:右馬頭が養女に懸想し、作者にとりなしを頼む。
    11月:臨時の祭の日、ひそかに物見に出て、貴公子らしくふるまっている道綱の姿を見て父が衆人の中で面目を施しているのを見る。
付録:和歌262-311  

 
 ※Wikipedia「蜻蛉日記」より引用
 

 

上巻:蜻蛉日記卷上

 

天暦8年:954年

   
   かくありし時過ぎて〈村上御時天曆八年〉世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで世に経る人ありけり。
  かたちとても人にも似ずこ〈ころイ有〉たましひもあるにもあらで、かうものゝやうにもあらであるもことはりと思ひつゝ唯臥し起き明し暮すまゝに、世の中におほかた〈るイ〉ふる物語のはしなどを見れば世に多かるそらごとだにあり。
  人にもあらぬ身の上までう〈かイ〉き日記して珍しきさまにもありなむ。
  天下の人のしなたり〈がイ〉きやととはむためしにもせよかしと覚ゆるも過ぎにし年月ごろの事もおぼつかなかりければ、さてもありぬべき事なむ多かりける。
  さてあのけ〈二字ふなイ〉かりしすきごとゞもの、それはそれとしてかしはぎの木高きわたり〈藤原兼家〉よりかくいはせむと思ふ事ありけり。
  例の人はあないする便もしはなま女などしていはする事こそあれ。
  此は親〈藤原倫寧〉とおぼしき人にたはぶれにもまめやかにもほのめかしゝに、ひけきことし〈びなきことゝイ〉いひつぎをも知らずかほに、馬にはひ乗りたる人して打ちたゝかす。
  たれなどいはするはおぼつかなからず騷いたれば、もて煩ひ取り入れてもて騷ぐ。
  みな〈れカ〉ばか〈ふカ〉みなども例のやうにもあらず、いたらぬ所なしと聞きふるしたる手もあらじと覚ゆるさ〈まカ〉であしければ、いとぞあやしき。
  ありける事は、

1
「音にのみ 聞けばかなしな ほとゝぎす
 ことかたらむと 思ふこゝろあり」〈兼家〉
  とばかりぞある。
  いかにかへり事はすべて〈くイ〉やあるなどさだむるほどに、かたゐなかなる人ありて猶とかしこさ〈まカ〉りてこら〈かゝカ〉すれば、

2
「かたらはむ 人なきさとに ほとゝぎす
 かひなかるべき こゑなふるしそ」〈道綱母著者〉
  これを初めにて、またまたもおこすれどかへりごともせざりければ、

3
「おぼつかな 音なき瀧の みづなれや
 ゆき〈くカ〉へも知らぬ 瀬をぞ尋ぬる」
  これを今これよりといひたれば知れたるやうなり。
  やがてかくぞある、

4
「人知れず いまやいまやと 待つほどに
 かへりこぬこそ 侘しかりけれ」
  とありければ、例の人〈倫寧著者父〉
  「かしこし。をさをさしきやうにも聞えむこそよからめ」とて、さるべき人してあるべきに書かせてやりつ。
  それをしもまめやかにうち喜びて繁う通はす。
  又そへたる文見れば、

5
「濱千鳥 あともなぎさに ふみ見れば
 われをこす波 うちやけつらむ」
  この度も例のまめやかなるかへりごとする人あれば紛はしつ。
  又もあり。
  「まめやかなるやうにてあるもいと思ふやうなれど、このたびさへ無うばいとつらうもあるべきかな」などまめや〈か脱歟〉文のはしに書きて添へけり。

6
「いづれとも わかぬ心は そへたれど
 こたびはさきに 見ぬ人のがり」
  とあれば例の紛はしつ。
  かたればまめなる事にて月日は過ぐしつ。
 

  秋つ方になりにけり。
  そへたる文に心さかしらついたるやうに見えつるうさ〈うたイ〉になむねんじつれどいかなるにかあらむ、

7
「しかの音も 聞えぬ里に 住みながら
 あやしく逢はぬ 目〈夢カを脱歟〉もみるかな」
  とあるかへりごと、

8
「高砂の をのへわたりに すまふとも
 しかさめぬべき めとは聞かぬを」
  げにあやしのことやとばかりなむ。
  又程経て、

9
「あふ坂の 関やなになり 近けれど
 越えわびぬれば なげきてぞ経る」
  かへし、

10
「越えわぶる あふ坂よりも 音に聞く
 なこそを〈新千作は〉かたき 関としらなむ」〈道綱母〉
  などいふ。
  まめ文かよひかよひて、いかなるあしたにかありけむ、

11
「夕ぐれの 流れくるまを まつほどに
 なみだおほゐの 川とこそなれ」
  かへりごと、

12
「思ふこと 大井の川の 夕ぐれは
 ころも〈こゝろイ〉にもあらず なかれこそすれ」
  又三日ばかりのあしたに、

13
「しのゝめに おきけるそらに おもほえで
 怪しく露と 消えかへりつる」
  かへし、

14
「さだめなく 消えかへりつる 露よりも
 そらだのめする われは何よ〈なカ〉り」
  かくてあるやうありてしばし旅なる所にあるにものしてつとめて
  「今日だにのどかにと思ひつるを、びなげなりつれば。いかにぞ身には山がくれとのみなむ」とあるかへりごとに、たゞ、

15
「思ほえぬ かきはにをれは 撫子の
 はなにぞつゆは たまらざりけり〈るカ〉
 

九月

  などいふ程に九月になりぬ。
  つごもりたがにしきりて二夜ばかり見えぬほど文ばかりあるかへりたごとに、

16
「消えかへる 露もまだひぬ 釉の上に
 今朝はしぐるゝ 空もわりなし」
  たちかへり、かへり事、

17
「おもひやる 心の空に なりぬれば
 今朝〈は脱歟〉時雨ると 見ゆるなるらむ」
  とて、かへり事書きあへぬほどに見えたり。
  又ほどへて見えをこたるほど、雨など降りたる日ぐれに「来む」などやありけむ、

18
「かしはぎの 杜の下草 くれごとに
 なほたのめとや もるを見る見る」〈道綱母〉
  かへり事はみづから来て紛はしつ。
 

十月

  かくて十月になりぬ。
  こゝにものいみなるはどを心もとなげにいひつゝ、

19
「なげきつゝ かへす衣の つゆけきに
 いとゝ空さへ しぐれ添ふらむ」〈兼家〉
  かへし、いとふるめきたり。

20
「思ひあらば ひなましものを いかでかは
 返す衣の たれもぬるらむ」
  とあるはどに、わがたのもしき人〈倫寧長能著者父兄〉みちのくにへ出で立ちぬ。
  時はいとあはれなるほどなり。
  〈兼家〉はまだ見馴るといふべきほどにもあらず。
  見ゆることはたゞささ〈一字衍歟〉しくめるにのみあり。
  いと心細く悲しきことものに似ず。
  見る人もいと哀に忘るまじきさまにのみ語らふめれど、人の心はそれに從ふべきかはと思へば、唯ひとへに悲しう心ぼそき事をのみ思ふ。
  今はとて皆出で立つ日になりて行く人もせきあへぬまであり。
  〈止カ〉まる人はた况いていふ方なく悲しきに、時違ひぬるといふに〈まカ〉でもえ出でやらず。
  又みなる硯に文をおし卷きてうち入れて、又ほろほろとうち泣きて出でぬ。
  しばしは見む心もなし。
  みいではてぬるにためらひてより〈てイ有〉何事ぞと見れば、

21
「君をのみ たのむたつ〈びカ〉なる こゝろには
 行く末遠く おもほゆるかな」〈父倫寧〉
  とぞある。
  見るべき人〈兼家〉見よとなめりとさへ思ふにいみじう〈かなしうイ有〉て、ありつるやうにおきて、とばかりあるほどにものしたり。
  目も見合せず思ひいりてあれば「などかよのつねのとにこそあれ。
  いとかうしもあるはわれを賴まぬなめり」などあへしらひ硯なる文を見つけて「哀」といひて、門出の所に、

22
「我をのみ たのむといへば ゆくすゑの
 まつの千代をも きみこそは見め」〈兼家〉
  となむ。
  かくて日の経るまゝに旅の空を思ひやるだち〈にカ〉いとあはれなるに、人〈兼家〉の心もいとたのもしげには見らん〈二字えカ〉ずなむありける。
 

師走

  しはすになりぬ。
  横河にものすることありて上りぬ。
  人「雪に降りこめられていと哀れに恋しき事多くなむ」とあるにつけて、

23
「氷るらむ よかはの水に 降る雪も
 わがごと消えて ものは思はじ」〈道綱母〉
  などいひてその年はかなく暮れぬ。
   
 

天暦9年:955年(道綱0歳)

 

正月

  正月〈天曆九年〉ばかりに二三日見ぬ程にものへ渡らむとて「人こば取らせよ」とて書き置きたる、

24
「知られねば 身を鶯の ふりいでつゝ
 なきてこそ行け 野にもやまにも」
  かへりごとあり、

25
「うぐひすの あたにて行かむ 山く〈べカ〉にもなく
 声聞かば 尋ぬばかりぞ」
 

八月

  などいふうちよりなほもあらぬことありて春夏なやみ暮して、八月つごもりにとかうものしつ〈道綱誕生〉
  その程の心ばへしも懇なるやうなりけり。
 

九月

  さて九月ばかりになりていでにたるほどに箱のあるを手まさぐりにあけて見れば、人のもとにやらむとしける文あり。
  あさましさに見てけりとだにしられむと思ひて書きつく。

26
「うたがはし ほかに渡せる ふみ見れば
 こゝやとだえに ならむとすらむ」
 

十月

  など思ふほどに、心えなう十月つごもり方に三よしきりて見えぬ時あり。
  つれなうてしばし試みるほどになどけしきあり。
  これより夕さりつかた「うちのかたるまじかりけり」とて出へ〈づカ〉るに心を〈えカ〉て人をつけて見すれば「まちの小路なるそこそこになむとまり給ひぬる」とて来たり。
  さればよといみじう心憂しと思へどもいはむやうも知らである程に、二三日ばかりありてあかつきがたに門も叩く時あり。
  さなめりしと思ふに、憂くてあけさせねば、例の家とおぼしき所にものしたり。
  つとめて猶もあらじと思ひて、

27
「歎きつゝ 一人ぬる夜の 明くるまは
 いかに久しき ものとかは知る」〈道綱母〉
  と例よりはひきつくろひて書きて、うつろひたる菊にさしたり。
  かへりを明くるまでも試みむとしつれど、とみなるめし使の来あひたりつればなむ。
  いとことわりなりつるは、

28
「げにやげに 冬の夜ならぬ 真木の戸に
 遅くあくるは 陀しかりけり。
  さてもいとあやしかりつるほどにことなしびたる、しばしは忍びたるさまにこうぢに」などいひつゝぞあるべきをいとしう心つきなく思ふ事ぞ限りなきや。
   
 

天暦10年:956年(道綱1歳)

 

三月

  年かへりて三月〈天曆十年〉ばかりにもなりぬ。
  桃の花などやとり設けたりけむ。
  待つに見えず。
  今一かたも例は立ちさらぬ心ちに今日ぞ見えぬ。
  さて四日のつとめてぞ皆見えたる。
  「夜べより待ちくらしたるものども猶あるよりは」とて、こなたかなたとり出でたり。
  志ありし花を〈如元〉おも〈二字折りてカ〉うちの方よりあるを見れば、心たゞにしもあらで手ならひにしたり。

29
「待つほどの きのふ過ぎにし 花のえは
 今日折る事ぞ かひなかりける」
  と書きて、よしやにくきにと思ひてかくしつるけしきを見て、ばひとりて返ししたり。

30
「みちとせを みつべきみには 年每に
 すくにもあらぬ 花と知らせむ」
  とあるを今一夜だにも聞きて、

31
「花により すくてふ事の ゆゝしきに
 よそながらにて 暮してしなり」
  かくて今はこのまちの小路にわざと色に出でにたり。
  本は人をだにあやし悔しと思ひげなる時がちなり。
  いふ方なうころ〈二字心カ〉憂しと思へどもなにわざをかせむ。
  この今一かた〈道綱母妹〉のいで入りするを見つゝあるに、今は心安かるべき所へとてゐてわたす。
  とまる人まして心ぼそし。
  影も見えがたかべい事などまめやかに悲しうなりて、車寄するほどにかくいひやる、

32
「などかゝる 歎きはしげさ まさりつゝ
 人のみかゝる 宿となるらむ」
  かへりごとは男ぞしたる、

33
「思ふてふ 我が言の葉を あだびとの
 しげきなげきに そへてうらむな」
  などいひ置きて皆わたりぬ。
 

五月

  思ひしもしるく只ひとり臥し起きず大ひ〈かイ〉たの世のうちあはぬことはなければ唯人の心の思はすなるを、我のみならず、年ごろの所にも絶えにたなりと聞きて、文など通ふ事ありければ五月三四日のほどにかくいひやりぬ、

34
「底にさへ よ〈かイ〉るといふなる まこも草
 いかなるさと〈はカ〉に 根をとゞむらむ」〈道綱母〉
  かへし、

35
「まこも草 刈るとは淀の さはなれや
根をとゞむてふ 澤はそことか」〈兼家〉
 

六月

  六月になりぬ。
  ついたちかけて長雨いたうす。
  見出して独言に、

36
「我が宿の なげきのしたは 色ふかく〈秋またでイ〉
 うつろひにけり ながめふるまに」
 

七月

  などいふほどに七月になりぬ。
  絶えぬと見ましかばかりに来るには勝りなましなど思ひ続くるをりに、物したる日あり。
  物もいはねばさうざうしげなり。
  前なる人ありし下葉の事を物の序にいひ出でたれば聞きてかくいふ、

37
「をりならで 色つきにける もみぢ葉は
 ときにあひてぞ いろまさりける」
  とぞ書きつくる書きつくる〈五字恐衍〉
  かくあり続き絶えずはくれども、心のとくる夜なさに、荒れ勝りつゝ来ては気色悪しければ、たふるゝ〈ひたぶるカ〉にたち山と立ち帰る時もあり。
  近き隣に心ばへ知れる人出づるに合せてかくいへり、

38
「藻鹽やく 煙の空に 立ちぬるは
 ふすべやしつる くゆる思ひに」
  などとなり。
  さかしらするさ〈まカ〉でふすべかはして、この頃は殊に久しう見えず、たゞなりし折はさしもあらざりしを、かくころ〈二字心カ下間〉あか〈か恐衍〉くがれていかなるものとうか〈三字かそこイ〉にうち置きたるものと〈のカ〉見えぬ癖なむありける。
  かくて止みぬらむそのものと思ひ出づべきたよりだになくぞありけるかしと思ふに、十日ばかりありて文あり。
  なにくれといひて「帳の柱にゆひつけたりし小弓の矢取りて」とあれば、これぞありけるかしと思ひて解きおろして、

39
「思ひ出づる 時もあらじと おもへども〈後拾作みえつれど〉
やといふにこそ 驚かれぬる〈れカ〉
  とてやりつ。
  かくて絶えたるほど我が家はうちより参りまかづる道にして〈もカ〉あれば、夜なか曉とうちしはぶきてうち渡るも聞かじといへどもうちとけたるいも寢られず。
  夜長うしてねぶる事なければ、さながらと見聞く心ちは何にかは似たる。
  今にいかで見さ〈きカ〉かずだにありにしがなと思ふに「昔すきごとせし人も今はおはせずとか」など人につきて聞えごつを聞くを、ものしうのみ覚ゆれば、日くれば〈か脱歟〉なしうのみ覚ゆ。
  子供あまたありと聞く所もむげに絶えぬと聞くあはれましていかばかりと思ひてとぶらふ。
 

九月

  九月ばかりの事なりけり。
  あはれなど〈し脱歟〉けく書きて、

40
「吹く風に つけてもとはむ さゝがにの
 通ひしみちは 空に絶ゆとも」
  かへり、殊にこまやかに、

41
「色かはる こゝろと見れば つけてとふ
 風ゆゝしくも 思ほゆるかな」
  とぞある。
 

  かくて常にしもえいなな〈びカ〉はてゞ時々見えて冬にもなりぬ。
  臥し起きは唯幼き人ももて遊びて「いかにして網代の氷魚にこととはむ」とぞ心にもあらでうちいはるゝ。
   
 

天徳元年:957年(道綱2歳)

 

  年また越えて〈天德元年〉春にもなりぬ。
  この頃讀ん〈むカ〉とてもてありく文、取り忘れて〈を脱カ〉んなを取りにおこせたり。
  包みてやる紙に、

42
「ふみおきし うらも心も あれたれば
 あとをとゞめぬ 千鳥なりけり〈道綱母〉
  かへり事をさかしらに立ちかへり、

43
「心あると ふみかへすとも 濱千鳥
 うらにのみこそ あとはとゞめゝ」〈兼家〉
  つかひあれば、

44
「濱千鳥 あとのとまりを 尋ぬとて
 ゆくへも知らぬ うらみをやせむ」
  などいひつゝ夏にもなりぬ。
 

  この時の所に子生むべきほどになりてよきかたはこひて、一つ車に這ひ乗りて、ひときやう響き続きていと開きにくきまでのゝしりて
  「このかどの前よりしもわたるものか。我は我にもあらず、物だにいはねば見る人仕ふより始めて、いと胸痛きわざか。世に道しもこそはあれ」
  などいひ罵るを聞くに、た〈もカ〉し死ぬるものにもがなと思へどころ〈心カ〉にしかなはねば今よりのち猛くはあらずとも絶えて見えずだにあらむ、いみじう心そ〈うカ〉しと思ひてあるに、三四日ばかりありて文あり。
  あさましうつへたましと思ふ思ふ見れば、
  「この頃こゝにわづらはるゝ事ありて見参らぬを昨日なむたひらかにものせられ〈るカ〉める。けがらひもや忌むとてなむ」とぞある。
  あさましうめづらかなる事限なし。
  たゞ「賜はりぬ」とてやりつ。
  使こ〈にカ〉人問ひければ「男君になむ」といふを聞くにいと胸ふさがり〈るカ〉
  三四日ばかりありてみづからいともつれなく見えたり。
  何か来たるとて見入れねば、いとはしたなくて帰ること度々になりぬ。
 

七月

  七月になりてすまひの頃古き新しきと一くだりづゝ引き包みて「これせさせ給へ」とてはあるものか。
  見るに目くるゝ心ぞする。
  古代の人は「あないとほし。よ〈かカ〉しこにはえ仕うまつらずこそはあらめ」
  なま心ある人などさし集りて
  「すゞろはしや。えせでわろからむをだにこそ聞かめ」
  など定めてかへしやりつるもしるく、こゝかしこになむもてちりてすると聞く。
  かしこにもいと情なしとかやあらむ。
  二十よ日音づれもなし。
  いかなるをりにかあらむ、文ぞある。
  「参りこまほしけれどつゝましうてなむ。たしかにことあらばおづおづも」
  とあり。
  かへり事もすまじと思ふもこれかれ「いと情なし。 あまりなり」
  などものすれば、

45
「ほに出でゝ いはじやさらに おほよその
 靡く尾花に 任せても見む」〈道綱母〉
  たちかへり、

46
「ほに出でば まづ靡きなむ 花ずゝき
 こちてふ風の 吹かむまにまに」〈兼家〉
  使あれば、

47
「嵐のみ 吹くめる宿に はなずゝき
 穗に出でたりと かひやなからむ」
  など、よろしういひなして又見えたり。
  ぜざいの花いろいろに咲き乱れたるを見やりて臥しながらかくぞいはるゝ、かたみに恨むるき〈さカ〉まのことゞもあるべし、

48
「百草に 乱れて見ゆる はなの色は
 置くしら露の おくにやあるらむ」
  とうちいひたれば、から〈二字衍歟〉かくいふ、

49
「身のあきを 思ひ乱るゝ 花の上に
 うちのこゝろは いへばさらなり」
  などいひて、例のつれなうよぶ〈けて脱歟〉ねまちの月の山の〈は脱歟〉出づるほどに出でむとするけか〈か衍歟〉しきあり。
  さまでもありぬべき夜かなと思ふけしきや見えけむ、「とまりぬべき事あらば」などいへどさしも覚えねば、

50
「いかにせむ 山の端に だにとゞまらで
 こゝろも空に 出でむ月をば」〈道綱母〉
  かへし、

51
「久方の 空にこゝろの 出づといへば
 影はそら〈こカ〉にも とまるべきかな」〈兼家〉
  とてとゞまりにけり。
  さて又のわきのやうなることして二日ばかりありて来たり。
  「一日の風はいかにと〈せカ〉む。例の人はとひてまし」
  といへばげにとや思ひけむ、ことなし。

52
「言の葉は 散りもやするとゞめ置きて
 今日はみからも とふにやはあらぬ」
  といへば、

53
「散りきても とひぞしてまし 言の葉を
 こちはさばかり 吹きしたよりに」
  かくいふ、

54
「こちといへば おほろふ〈そら歟〉なりし 風にいで
 つけてはとはむ あたらなだてに」
  まけじ心にて又

55
「散らさじと をしみ置きける〈とゞめおきけるイ〉 言の葉を
 きながらだにぞ 今朝はとはまし」
  これはさもいふべしとや人ことわりけむ。
 

十月

  又十月ばかりにそれはしもやんごとなき事ありとて出でむとするに、時雨といふばかりにもあらず、あやにくにあるに猶出でむとす。
  あさましさにかくいはる、

56
「ことわりの をりとは見れど 小夜更けて
 かくは時雨の 降りははつべき」
  といふに、强ひて人あらむやは。
   
 

天徳2年: 958年(道綱3歳)

   
  〈かカ〉うやうなるほどに、かのめでたき所には子產みてしよりすさまじげになりて〈に歟〉たべかめれば人にくかりし心〈に脱歟〉思ひしやうは、いのちはあらせで我が思ふやうにおし返しものを思はせばやと思ひしをさやうになりそ〈もカ〉ていて、はてはうみのゝしりし子さへ死ぬ〈る脱歟〉ものは、そんわうのひかみたりしみ子の落しだねなり。
  いふかひなくわろき事限なし。
  唯この頃の知らぬ人のもて騷ぎつるにかゝりてありつるをにはかせ〈せ衍歟〉にかくなりぬれば、いかなるう〈一字こゝカ〉ちかはしけむ。
  我が思ふには今少しうちまさりて歎くらむと思ふに今に胸はあきたる。
  今ぞ例の所にうちはらひてなど聞く。
  されどこゝには例のほどにぞ通ふめれば、ともすれば心づきなうのみ思ふほどに、こゝなる人〈道綱〉かたことなどするほどになりてぞある。
  いへとては必「今来む」といふを聞きたりてまねびありて〈くカ〉
  かくて又心の解くるに〈よカ〉なくなけあ〈かカ〉るゝみ〈にカ〉なまさかしと〈らカ〉などする人は、若きつ〈み〉そらになどかくてはいふ事もあれど、人はいとつれなう、我やあしきなどうらもなう、罪なきさまにもてないたれば、いかゞはすべきなど萬に思ふ事のみ繁きを、いかでつぶつぶといひしらするものにもがなと思ひ乱るゝ時、心づきなきや、胸うちさめ〈一字わぎイ〉てものいはれずのみあり。
  なほ書きつゞけても見せむと思ひて、

57
「おもへたゞ むかしもいまも わがこゝろ のどけからでや
はてぬべき みそめしあきは ことの葉の うす〈き脱歟〉いろにや
うつろふを なげきのしたに なげかれき ふゆはくもゐに
わかれゆく ひとををしむと はつしぐれ くもりもあへず
降りそぼち こゝろぼそくは ありしかど きみにはしもの
わするなと いひおきつとか 聞きしかば さりともと思ふ
ほどもなく とみにはるけき わたりにて 白て〈くイ〉もばかり
ありしかば こゝろそらにて 経しほどに きみみ〈きりカ〉も靆き
絶えにけり またふるさとに かりがねの 帰るつらにやと
おもひつゝ ふれどかひなし かくしつゝ 我が身むなしく
せみの羽の いましもひとの うすからず なみだのかはの
はやくより かくあさましき そらゆゑに ながるゝことも
絶えねども いかなるつみか おもるらむ ゆきもはなれず
かくてのみ ひとのうき瀬に たゞよひて つらきこゝろは
水のあわの 消えば消えなむと おもへども かなしきことは
みちのくの つゞじのをかの くまつゞじ くるほどをだに
またでやは はする〈三字中イ〉を絶ゆべき あふくまの あひ見てだにと
おもひつゝ なげくなみだの ころも手に かゝらぬ世にも
経べき身を なぞやと思へど あふばかり かけはなれては
しかすがに こひしかるべき からごろも うち着てひとの
うらもなく なれしこゝろを おもひては うき世をされる
かひもなし おもひ出でなき われ〈別イ〉やせむ と思ひかく思ひ
おもふまに やまとつもれる しきたへの まくらのちりも
ひとりねの かずにしとらは つきぬべし なにか絶えぬる
たびなりと おもふものから かぜ吹きて ひと日も見えじ
あまぐもは かへりしときの なぐさめに 今こむといひし
ことの葉を さもやとまつの みどりごの たえずまねぶも
聞くごとに ひとわろくなる なみだのみ わが身をうみと
たゝえても みるめもよせぬ みその浦は かひもあらじと
知りながら いのちあらばと たのめこし ことばかりこそ
しらなみの たちもよりこば 問はまほしけれ」
  と書きつけて二階の中に置きたり。
  例のほどにものしたれどそなたにも出でずなどあれば、居わづらひてこの文ばかりをとりて帰りにけり。
  さてかれよりかくぞある、

58
「折りそめし ときのもみぢの さだめなく うつろふいろは
さのみに〈にイこそ〉 逢ふあきごとに 常ならぬ〈めイ〉 なげきのしたの
木の葉には いとゞいひ置く はつしもに ふかきいろにや
なりにけむ おもふおもひの 絶えもせず いつしかまつの
みどり子を 行きては見むと するがなる 母子のうらなみ
立ちよれど ふじのやまべの けぶりには ふすぶることの
絶えもせず あまぐもとのみ たなびけば 絶えぬ我が身は
しらいとの まひくるほどを おもはじと あまたのひとの
せにすれば 身ははしたかの すゞろにて なつくるやどの
なければぞ ふる〈す脱歟〉にかへる まにまには 飛びくれ〈るカ〉事の
ありしかば ひとりふすまの とこにして 寢ざめのつきの
真木の戸に ひかりのこさず もりてくる かげだに見えず
ありしより うとむこゝろぞ つきそめし たれかよづまと
あかしけむ いかなるいろの おもきぞと いふはこれこそ
つみならし とはあふくまの あひも見で かゝらぬひとに
かゝれかし なにのいは木の 身ならぬは〈ねどイ〉 おもふこゝろも
いさめぬに うらのはまゆふ いくかさね い〈へカ〉だてはてつる
からころも なみだのかはに そぼつとも おもひしいでば
たきものゝ この目ばかりは かわきなむ かひなきことは
甲斐のくに つみのみ〈まき脱歟〉に 荒るゝ馬の いかでかひとは
かけとめむと おもふものから たらちねの 親と〈もカ〉知るらむ
かたかひの こまやこひつゝ いなかせむと おもふばかりぞ
あはれなるべき」
  とか。
  使あればかくものす、

59
「なつくべき 人も放てば みちのくの
 うまやかぎりに あらむとすらむ」
  いかゞ思ひけむたちかへり、

60
「われがなを をふり〈ちカ〉の駒の あればこそ
 なつくにつかぬ 身とも知られめ」
  かへしまた、

61
「こまぞ〈うカ〉げに なりまさりつゝ なつけぬをこ
 繩絶えずぞ 賴み来にけり〈るカ〉
  又、かへし、

62
「白川の 関のせけばや こまうくて
 あまたの日をば ひき渡りつる」
  あさてばかりは逢坂とぞある。
   
 

天徳4年:960年(道綱5歳)

   
  時は七月五日のこと、ながき物忌にさし籠りたるほどに、かくありしかへりごとには、

63
「天の河 七日を契る こゝろあらば
 ほしあひばかりの かげを見よとや」
  ことはか〈二字わカ〉りにもや思ひけむ〈天德四年〉
   
 

応和元年:961年(道綱6歳)

 

  すこし心をとめたるやうにて月頃〈應和元年〉になり行く。
  めざましと思ひし所〈兼家妾〉は今は天下のあざをし騷ぐと聞けば〈以下迄いみあれば流布本無〉心安し。
  むかしよりの事をばいかゞはせむ。
  堪へがたくとも、我が宿世の怠にこそあめれなど心をちゞに思ひなしつゝあり経るほどに、少納言の年経て、よつのしなになりぬれば、殿上もおりて、つかさめしにいとねぢけたるをのゝ大輔などゝいはれぬれば、世の中をいとうとましげにて、こゝかしこ通ふより外のありきなどもなければ、いとのどかにて二三日などあり。
  さてかく心もゆかぬつかさのかみの宮よりかくのたまへり、

64
「みだれ糸の つかさ一つに なりてしも
 くる事のなど 絶えにたるらむ」
  御かへり、

65
「絶ゆといへば いとぞ悲しき 君により
 同じつかさに くるかひもなく」
  又立ちかへり、

66
「夏引の いとことわりや ふためみめ
 よりありくまに 程の経るかも」
  御かへり

67
「泣くばかり ありてこそあれ 夏引の
 いとまやはなき 一目二目に」
  又宮より、

68
「君と我 猶しらいとの いかにして
 うきふしなくて 絶えむとぞ思ふ。
  ふためみめはげに少くしてけり。
  いみあれば〈心安し以下十六行流布本無〉とゞめつ」とのたまへる御かへり、

69
「世をふとも 契りおきてし 中よりは
 いとゞゆゝしき 事も見ゆらむ」
  と聞えらる。
 

五月二十日

  その頃五月二十日よるばかりより四十九日の忌たがへむとて、ありた〈しカ〉ありきの所にわたりたるに、宮たゞ垣をつ〈へカ〉〈つ脱歟〉る所にわたり給ひてあるにみな月ばかりかけて雨いたう降りたるに、たれも降りこめられたるなるべし。
  こなたにはあやしき所なればもりぬるさわぎをするに、かくのたまへるぞいとゞものくるほしき、

70
「つれづれの ながめのうちに そゝぐらむ
 ことのすぢこそ をかしかりけれ」
  かへり、

71
「いづこにも ながめのそゝぐ ころなれば
 世にふる人は のどけからじを」
  又、のたまへり、「のどけからじとか、

72
 天の下 騷ぐこゝろも おほみづに
 たれもこひ路に ぬれざらめやは」
  御かへり、

73
「世とともに かつみる人の 恋路をも
 ほす世あらじと 思ひこそやれ」
  又、宮に、

74
「しり〈かカ〉もゐぬ 君はぬるらむ つねに住む
 ところには又 恋路だになし
  さもけしからぬ御さまかな」
  などいひつゝ諸共に見る。
  あまゝに例の通ひ所にものしたる日例の御文あり。
  「おはせず」といへは「猶とのみのたまふ」とて入れたるを見れば、

75
「とこなつに 恋しきことや 慰み〈まカ〉
 きみがかきほに 折ると知らずや」
  さてもかひなければまかりぬるとに〈ぞカ〉ある。
  さて二日ばかりありて見えたれば、「これさてなむありし」とて見すれば、「程経にければびんなし」とて「唯この頃は仰せごともなきこと」と聞えられたれば、かくのたまへる、

76
「水増り うらもなぎさの ころなれば
 千鳥のあとを ふみはまどふる
  ところ〈そカ〉見つれ。
  うらみ給へり〈一字るぞカ〉わりなき。
  みづからとあるは誠か」と女手にかき給へり。
  男の手にてこそ苦しけれ。

77
「浦がくれ 見ることかたき 跡ならば
 汐干をまたむ からきわざかな」
  又、宮、

78
「うらもなく ふみやる跡を わたつ海の
 汐の干るまも 何にかはせむ
  とこそ思ひつれ。ことざまにもはた」
  とあり。
  かゝるほどにむ〈はカ〉らひのほども過ぎぬらむ。
 

たなばた

  たなばたは明日ばかりと思ふ。
  忌も三十日ばかりになりにたり。
  日頃なやましうして〈兼家〉しはぶきなどいたうせらるゝを物のけにやあらむ、加持も試みむ、せば〈き脱歟〉所のわりなく暑きころなるを、水〈れカ〉いもものする山寺へ上る。
  十五六日になりぬればぼになどするほどになりにけり。
  見ればあやしきさまに荷ひいたゞき、さまざまにいそぎつゝ集まるを諸共に見てあはれがりも笑ひもす。
  さて心ちもことなることなくて忌も過ぎぬれば京に出でぬ。
  秋冬はかなう過ぎぬ。
   
 

応和3年:963年(道綱8歳)

   
  〈應和三年〉かへりて〈な脱歟〉でふこともなし。
  人の心のことなる時は、萬おいらにかぞありける。
  このついたちよりぞ殿上ゆるされてある。
  みそぎの日例の宮より物見けれはその車に乗らむとのたまへり。
  御文の端にかゝる事あり、
  「わがとしの ほんのにかく」
  例の宮にはおはせぬなりけり。
  まちの小路わたりかとてまゐりたれば「上なむおはします」といひけり。
  まつ硯こひてかく書きて入れたり、

79
「君がこの まちの南に とみにおそき
 はるにはいまだ たづねまゐれる」
  とて諸共に出で給ひにける。
  そのころほひすぎてぞ例の宮にわたり給へるに、まゐりたればこぞも見しに花おもしろかりき。
  薄むらむら茂りていとほそやかに見えければ「これ堀りわかたを〈せカ〉給はゞ少し給はらむ」と聞えおきてしを、程へて河原へものするに、諸共なれば「これぞかの宮かし」などいひて、人を入る。
  まゐらむとするに
  「をりなきる〈れカ〉いのあれからなむ。一日とりまうす。薄聞えてとさぶらはむ人にいへ」
  とて引き過ぎぬ。
  はかなきわらべなれば、ほどなくかへりたるに「宮よりすゝき」といへば、見れば、なり〈がカ〉びつといふものにうるはしう堀りたてゝ靑き色紙に結びつけたり。
  見ればかくぞ、

80
「ほに出でば 道ゆく人も 招ぐべき
 やどのすゝきを ほるがわりなき〈さイ〉
  いとをかしうもこの御かへりはいかゞ。
  忘るゝほど思ひやればかくてもありなむ。
  されどさきざきもいかゞとぞ覚えたるかし。
   
 

康保元年:964年(道綱9歳)

   
  〈康保元年〉春うち過ぎて夏ごろとのえ〈ゐカ〉がちなるうちずみにつとめて一日ありてくるれば参りなどするをあやしうと思ふに、ひぐらしの初声聞えたり。
  いとあはれと驚かれて、

81
「あやしくも よるの行くへを 知らぬかな
今日ひぐらしの 声は聞けども」
  といふに出でがたかりけむ〈兼家〉〈一字衍歟〉かし。
  かくてなでふ事なければ、人の心を猶たゆみなたり〈三字なうたのみイ〉にたり。
  月夜の頃よからぬ物語して、あはれなるさまのことゞも語らひてもありしころ思ひ出でられてものしければかくいはる、

82
「くもり〈るカ〉夜の 月と我が身の 行く末の
 おぼつかなら〈さカ〉は いづれまされり」
  かへりごとたはぶれのやうに、

83
「敎へける 月は西へぞ 行くさきは
 我のみこそは しかる〈しるべカ〉かりけれ」
  などたのもしげに見ゆれど、我が家とおぼしき所はことになんめれば、いと思はずにのみぞ世はありける。
  さいはひある人のためには年月見し人も、あまたの子などもたらぬを、かくものはかなくて思ふことのみ繁し。
  さいふいふも女親といふ人〈著者母〉あるかぎりはありけるを、久しうわづらひて秋の初のころほひむなしくなりぬ。
  さらにせむかく〈たカ〉なくわびしき事のよのつねの人にはまさりたり。
  あまたある中にこれはおくれじおくれじと惑はるゝもしるくいかなるにかあらむ。
  足手など唯すくみにすくみて絶え入るやうこ〈にカ〉す。
  さいふいふものを語らひおきなどすべき人は京にありけり。
  山寺にてかゝるめは見れば幼き子を引きよせて僅にいふやうは
  「われはかなくて死ぬるなめり。かしこに聞えむやうはおのがうへをばいかにもいかにもな知り給ひそ。この御後の事を人々のものせらむうへにもとぶらひものしたまへと聞えよ」
  とて、いかにせむとばかりいひてものもいはれずなりぬ。
  日ごろ月ごろわづらひてかくなりぬる人を、今はいふかし〈ひカ〉なきものになして、これにぞ皆人はかゝりて、ましていかにせむよとからはと、泣くがうへに又泣き惑ふ人多かり。
  ものはいはねどまた心はあり。
  目は見ゆる程にいたはしと思ふべき人よりきて
  「親は一人やはある。などかくはあるぞ」とてゆく〈く衍歟〉をせめて入るれば、のみなどして見などなほりもてゆく。
  さて猶思ふにもいきたるまじき心ちするは、この過ぎぬる人わ〈づ脱歟〉らひつる日ごろものなどもいはず、唯いふことゝては「かくものはかなくてありふるを夜晝歎きにしかば哀れいかにし給はむずらむ」としばしは息のしたにもものせられしを、おもひ出づるに、かうまでもあるなりける。
  人聞きつけてものしたり。
  我はものも覚えねば知りも知られず。
  人そ〈にカ〉あひて「しかじかなむものし給ひつる」と語れは、うち泣き、けがらひも忌むまじきさまにありければ、いとびんなかるべしなどみ〈もカ〉のして、立ちながらなむそのほどのありさまはしもいと哀れに志あるやうに見えけり。
  かくてとかうものすることなどいたづら人多くて皆しはてつ。
  今はいとあはれなる山寺につどひてつれづれとあり。
  よる目もあはぬまゝに歎きあかしつゝ山づらを見れば霧ぞ〈は歟〉げに麓をこめたり。
  京もげにたがもとへかは出でむとすらむ。
  いで猶みながら死なむと思へど、生くる人ぞいとつらきや。
     
  かくて十よ日になりぬ。
  そうどもねぶつのひまに物語するを聞けば、
  「このなくなりぬる人のあらはに見ゆる所なむある。さて近くよれば消え失せぬなり。
  遠うては見ゆなり。いづれの國とかやみえくち〈みゝらくカ〉の島となむいふなる」
  など口々語るを聞くに、いと知らまほしう悲しう覚えてかくぞいはるゝ、

84
「ありとだに よそにても見む 名にしおはゞ
 われかぎり〈にきかイ〉せよ 耳くら〈らくイ〉の山〈島イ〉
  といふをせうと〈長能〉なる人聞きて、それもなくなく、

85
「いづことか 音にのみ聞く みゝくらの
 島がくれにし 人をたづねむ」
  かくてあるほどに立ちながらものして人に問ふめれど、唯今は何心もなきに、〈な脱歟〉からひの心もとなき事おぼつかなき事などむつかしきまで書きつゞけてあれど、物覚えざりしほどの事なればにや、誠にいそがねど〈の事以下十四字流布本無〉心にしまかせねば今日皆出で立つ日になりぬ。
  こし時は膝に臥し給へり〈しイ有〉人をいかでなりぬこしか〈六字イ無〉安らかにと思ひつゝわがみはあせになりつゝさりともと思ふ心添ひてたのもしかりき。
  〈こカ〉たみはいとやすらかにてあさましきまでくつろかにのこ〈ら歟〉れたるにも道すがらいみじう悲し。
  おりて見るにもさらにも覚えず悲し。
  諸共に出でゐつゝつくろはせて草などもわづらひしより初めてうち捨てたりければ、生ひこりていろいろに咲き乱れたり。
  わざとの事なども皆おの〈が脱歟〉とりどりすれば我はたゞつれづれとながめをのみして「一むらすゝきむしの音の」とのみぞいはるゝ。

86
「手ふれねと 花はさかりに なりにけり
 とゞめおきける 露に〈のカ〉かゝりて」
  なとぞ覚ゆる。
  これかれぞ殿上などもせねばけがらひも一つにしなしためれば、己がじゝひきつぼねなどしつゝあめるなかに我をのみぞまさる〈る脱歟〉ことなくてよはねぶつの声聞きはじむるより、やがて泣きのみあかさる。
  四十九日のこと誰も闕く事なくて家にてぞする。
  我が知る人大かたの事を行ひためれば人々多くさしあひたり。
  我が志をば佛をば書かせたる。
  その日過ぎぬればみなおのがじゝいきあかれぬ。
  まして我が心ちは心細うなりまさりていとゞやる方なく、人はかう心細げなるを思ひてありしよりは繁う通ふ。
  さて寺へものせし時、

87
「はちす葉の 玉となるらむ むすぶにも
 そでぬれまさる けさのつゆかな」
  と書きてやりつ。
  又この袈裟の〈ぬしのイ有〉この〈か脱歟〉みも法師にてあれば祈りなどもつけて賴もしかりつるを、にこり〈はかカ〉に又かくなりぬと聞くにも、このはらからの心ちいかならむ。
  われもいと口をし。
  賴みつる人のかうのみなど思ひ乱るれば屢とぶらふ。
  さるべきやうにありて雲林院に侍ひし人なり。
  四十九日などはてゝかくいひやる、

88
「思ひきや 雲の林に うち捨てゝ
 そらのけぶりに たゝむものとは」
  などなむおのが心ちのわびしきまゝに野にも山にもかゝりける。
  はかなながらかう秋冬もすごしつ。
  一つところにはせうと一人伯母とおぼしき人ぞ住む。
   
 

康保2年:965年(道綱10歳)

 

  それを親のごと思ひてあれど、猶昔を恋ひつゝ泣きあかしてある所に、年かへりて〈康保二年〉春夏も過ぎぬれば、今ははての事すとてこたびばかりはかのありし山寺にてぞする。
  ありし事ども思ひ出づるにいとゞいみじう哀に悲し。
  導師のはじめにてうつたへに秋のやまべを尋ぬ給ふにはあらざりける。
  まなこた〈とカ〉ぢ給ひしところにて経の心說かせ給はむとにこそありけれ。
  とばかりいふを聞くに、もの覚えずなりてのちの事どもはおぼえずなりぬ。
  あるべき事ども終りてかへる。
  やがて服ぬぐににび色のものども扇まではらへなどするほどに、

89
「藤衣 流すなみだの かはみづは
 きしにもまさる ものにぞありける」
  と覚えていみじうなかるれば人にもいはでやみぬ。
  きる〈忌日カ〉など果てし〈ゝカ〉例のつれづれなるに彈くとはなけれど琴おしのごひてかきならしなどするに、忌なき程にもなりにけるを、あはれにはかなくてもなど思ふ程に、あなたより、

90
「今はとて 彈き出づる琴の ねを聞けば
 うちかへしても 猶ぞ悲しき」
  とあるにことなることもあらねどこれを思へばいとゞ泣きまさりて、

91
「なき人は おとづれもせで ことの緖を
 断ちしつき日ぞ かへりきにける」
  かくてあまたある中にも賴もしきものに思ふ人この夏より遠くもろこ〈二字のカ〉しぬべき事のあるを、服果てゝとありつれば、この頃出で立ちなむとす。
  これを思ふに心細しと思ふにぞ〈もカ〉おろかなり。
  今はとて出で立つ日渡りて見る。
  さうずく一くだりばかりはかなき物など硯筥一よろひに入れていみじう騷がしう罵りみちたれど、我も行く人も目も見合せす唯向ひ居て淚をせきかねつゝ「皆人はか〈かイ無〉など念ぜさせ給へ〈一字はぬイ〉いみじう忌むなり」などに〈ぞカ〉いふ。
  されば車に乗り果てむを見むはいみじからむと思ふに家より「疾く渡りね。
  こゝに物したり」とあれば車寄せさせて乗るほどに、行く人はふたゐの小袿なり。
  とまるは唯うすものゝ赤朽葉を着たるをぬぎ更へて別れぬ。
 

九月

  九月十よ日の程なり。
  家に来てもなく〈ぞカ〉かくまがまがしくと咎むるまでいみじう泣かる。
  さて昨日今日は関山ばかりにぞ物すらむかしと思ひやりて月のいと哀なるに詠めやりてゐたる〈れカ〉ば、あなたにもまた起きて琴弾きなどしてかくいひたり、

92
「引きとむる ものとはなしに 逢坂の
 関の朽ちめの ねにぞそぼつる」
  これも同じ思ふべき人なればなりけり、

93
「思ひやる 逢坂山の せきのねは
 聞くにもそでぞ くちめつきぬる」
  など思ひやるに年もかへりぬ。
   
 

康保3年:966年(道綱11歳)

 

三月

  〈康保三年〉三月ばかりこゝに渡る程にして〈もカ〉苦しがりそめて〈兼家〉いとわりなう苦しと思ひ惑ふをいといみじうと見る。
  いふことは「こゝにもいとあらまほしきを何事もせむにいとびんなかるべければかしこへものしなむ。
  つらしとなおぼしそ。
  俄にもいくばくもあらぬ心ちなむするなむいとわりなき。
  あはれしら〈ら衍歟〉ぬともおぼし出づべきとのなきなむいと悲しかりける」とて泣くを見るに物おぼえずなりて、又いみじう泣かるれば「な泣き給ひそ。
  苦しさ増る。
  世にいみじう〈う衍歟〉かるべきわざは心はからぬほどにかゝる別せむなむありける。
  いかにし給はむずらむ。
  ひとと〈と衍歟〉りは世におはせじな。
  さりとておのが忌の中にしらなから〈四字たまふなもしイ有〉死なずばありとて限りと思ふなり。
  ありとてうちはえ参ら〈るイ有〉まし。
  おのがさかしからむ時こそ、いかでもいかでも物し給はめと思へば、かくて死なばこれこそは見奉るべき限なめれ」など、伏しながらいみじう語ひて泣く。
  これかれある人々呼び寄せつゝ「こゝにはいかに思ひ聞えたりとか見る。
  かくて死なば又對面せで止みなむと思ふこそいみじけれ」といへば皆泣きぬ。
  みづからはまして物だにいはれず、唯泣きにのみ泣く。
  かゝるほどに心ちいと重くなりまさりてくる〈ま脱歟〉さし寄せて乗らむとてかき起されて人にかゝりてものす。
  うち見おこせてつくづくとうち守りていといみじと思ひたり。
  とまるは更にもいはずこのせうとなる人なむ、「何かかくまかまがしう〈こゝになでふイ有〉事かおはしまさむ。
  はや奉りなむ」とて、やがて乗りてか〈かイ有〉へてものしぬ。
  思ひやる心ちいふかたなし。
  日にふたゝびみたび文をやる。
  人憎しと思ふ人もあらむと思へとて〈どもカ〉いかゞはせむ。
  返事はかしに〈こカ〉なるおと〈二字衍カ〉なき人して書かせてあり。
  みづから聞えぬがわりなき事とのみなむきこえ給へ」などぞある。
  ありしよりもいたう煩ひまさると聞けば、いひしことみづから見るべうもあらず。
  いかにせむなど思ひ歎きて、十よ日にもなりぬ。
  讀経修法などしていさゝか怠りたるやうなればゆふのこと〈三字つかたカ〉みづから返りごとす。
  いとあやしう怠るともなくて日を経るに、いとまどはれし事はなければにやあらむ、おぼつかなき事などひとまにこまごまと書きてあり。
  「物覚えにたればあらはになどもあるべうもあらぬを、夜のまに渡れ。
  かくてのみ日を経れば」などあるを、人はいかゞは思ふべきなど思へど、我も又いと覚束なきに立ち帰り同じことのみあるをいかゞはせむとて「車を給へ」といひたればさし離れたる廓の方にいとようとりなししつらひて端に待ち臥したりけり。
  火ともしたるにい消たせておりたればいと暗うて入らむ方も知らねばあやし。
  「こゝにぞある」とて手を取りて導く。
  「などかう久しうはありつる」とて日頃ありつるやうくつし語らひて、とばかりあるに「火ともしつけよ。
  いい〈い衍歟〉と暗し。
  更に後めたなくば猶しう〈うしカ〉」とて屛風のうしろにほのかにとつ〈もカ〉したり。
  「まだいをなども食はず今宵なむおはせば諸共に」とてある。
  「いづら」などいひてもの参らせたり。
  少し食ひなどしてぜじたちありければ、夜うち更けてた〈ごカ〉しんにとてものしたれば「今はうちやすみ給へ。
  日頃よりは少し休まりたり」といへば大とこ「しかおはしますなり」とて立ちぬ。
  さて「さ〈よカ〉は明けぬるを人など召せ」といへば「なにか。
  まだいと暗からむ。
  しばし」とてあるほどに,明うなればをのこども呼びて、しとみ上げさせて見つ。
  「見給へ。
  草どもはいかゞうしたる」とて見出したるに「いとかたはなるほどになりぬ」などいそげば「なにか今は粥など参りて」とあるほどに晝になりぬ。
  さて「いざ諸共に帰りなむ。
  またばものしかるべし」などあれば、「かく参り来たるをだに人いかにもおもふに、御迎へなりけると見ば、いとうたてものしからむ」といへる〈ばカ〉「さらばをのこども車寄せよ」とて寄せたれば、乗る所もかつ〈ろイ〉がつ〈ろイ〉とあゆみ出でたればいとあはれと見る見る「いつか御ありきは」などいふ程に淚浮きにけり。
  いと心もとなければ「あすあさての程ばかりには参りなむ」とて、いとさうざうしげなる気色なり。
  少し引き出でゝ牛懸くる程に見通せば、ありつる所に帰りて見おこせて、つくづくとあるを見つゝ引き出づれば、心にもあらで顧みのみぞせらるゝかし。
  さて晝つ方文あり。
  何くれと書きて、

94
「かぎりかと 思ひつゝこし 程よりも
 なかなかなるは 侘びしかりけり」
  かへりごと猶いと苦しげにおぼしたりつれば、「今もいと覚束なくなむ。
  なかなかに、

95
 我もさぞ のどけきとこの うらならで
 帰る波路は あやしかりけり」
  さて猶苦しげなれど念じて二三日の程に見えたり。
  やうやう例のやうになりもて行けば、例の程に通ふ。
  この頃は四月祭見に出でたればかの所にも出でたりけり。
  さなめりと見て迎ひに立ちぬ。
  待つ程のさうざうしければ橘の実などあるに葵をかけて、

96
「あふひとか きけどもよそに たち花の」
  といひやる。
  やゝ久しうありて、

97
「きみがつらさを 今日こそは見れ」
  とぞある。
  にくかるべきものにては年経ぬるを、なと〈めカ〉げにとのみいひたらむといふ人もあり。
  帰りて「さありし」など語れば「くひつぶしつべき心ちこそすれとやいはざりし」とていとをり〈かカ〉しと思ひけり。
  今年にせち聞し召すべしとていみじう騷ぐ。
  「いかで見むと思ふに所ぞなき。
  見むと思はゞ」とあるを聞きはさめて「すぐろく打たむ」といへば、「よかなり。
  物見つぐのひに」とてめうちぬ。
  喜びてさるべきさまの事どもしつゝよね〈ひカ〉の間静まりたるに、硯引き寄せて手習に、

98
「あやめ草 生ひにし藪を かぞへつゝ
 ひくや五月の せちに待たると〈るカ〉
  とてさしやりたればうち笑ひて、

99
「隱れぬに 生ふる藪をば 誰か知る
 あやめ知らずに 待たるなるかな」〈兼家〉
  といひて、見せむの心ありければ、宮の御さじきの一続きにて二まありけるを別けてめでたうしつらひて見せつ。
  かくて人にくからぬさまにて十といひて、一つふたつの年は餘りにけり。
  されど明け暮れ世の中の人のやうならぬを歎きつゝ盡きせず過ぐすなりけり。
  それもことわり、身のあるやうはよるとても人の見え怠る時は、人すくなに心細う、今は一人を賴む。
  たのもし人はこの十よ年のほどあがたありきにのみあり。
  たまさかに京なるほども四五條のほどなりければ我は左近のうまばを片岸にしたればいと遙なり。
  かゝる所も〈とカ〉も取りつくろひかゝはる人もなければいとあしくのみなり行く。
  これをつれなく出で入りするは殊に心細う思ふらむなど、深う思ひよらぬなめりなどちぐさに思ひ乱る。
  事繁しといふは何かこの荒れたる宿の蓬よりも繁げなりと思ひ眺ひるに、八月ばかりになりにけり。
  心のどかに暮らす日はかなき事いひいひのはてに、我も人〈兼家〉も悪しういひなりてうち怨じて出づるになりぬ。
  端の方にあゆみ出でゝ幼き人〈道綱〉を呼び出でゝ「我〈兼家〉は今はこじとす」などいひ置きて出でにける即ち這ひ入りておどろおどろしう泣く。
  「こはなどをぞ」といへどいらへもせで、ろんなうさやうにぞあらむと推しはからるれど、人の聞かむもうたて物狂ほしければ、問ひさしてとかうこしらへてあるに、五六日ばかりになりぬるに音もせず。
  例ならぬほどになりぬれば、あな物狂ほし、戯ぶれ事とこそ我は思ひしか、はかなきなかなればかくて止むやうもありなむかしと思へば、心細うて眺むる程に、出でし日つかひし、ゆ〈す脱歟〉るつきの水はさながらありけり。
  上にちり居てあり。
  かくまでとあさましう、

100
「絶えぬるか 影だにあらば 問ふべきを
 かたみの水は みくさゐにけり」
  など思ひしひしも見えたり。
  例の事にて止みにけり。
  かやうに胸つぶらはしき折のみあるが世に心ゆるびなきなむ侘しかりける。
 

九月

  九月になりて、世の中をかしからむ、物人〈へカ〉詣でせばや。
  かう物はかなき身の上も申さむなど定めていと忍びあ〈たカ〉る所にものしたり。
  ひとはさみのみてぐらにかう書きつけたりけり、まづしものみ社に、

101
「いちじるき 山口ならば こゝながら
 神の気色を 見せよとに〈ぞカ〉思ふ」
  中のに、

102
「いなりやま 多くの年ぞ 越えにけり〈如元〉
 いのるしるしの 杉をたのみて」
  はてのに、

103
「神々と のぼり下りは わぶれどて〈もカ〉
 まださかゆかぬ こゝろ〈ちカ〉こそすれ」
  又同じ晦に、ある所に同じやうにて詣でけり。
  ふたはさみつゝしものに、

104
「かみやせく しもにやみくづ 積るらむ
 思ふこゝろの 行かぬみたらし」
  又、

105
「榊葉の ときはかきはに ゆふしでや
 かたくるしなる めな見せそ神」
  又上のこ〈にカ〉

106
「いつしかも いつしかもとぞ 待ちわたる
 森のた〈ひカ〉まより 光見むまを」
  又、

107
「ゆふだすき 結ぼゝれつゝ 歎くこと
 絶えなば神の しるしと思はむ」
  などなむ、神の聞かぬ所に聞えごちける。
   
 

康保4年:967年(道綱12歳)

   
  秋はてゝ冬は朔つごもりとて〈康保四年〉あしきもよきも騷ぐめるものなれば、独寐のやうにて過ぐしつ。
 

三月

  三月晦方にかりのこの見ゆるを「これ十づゝ重ぬるわざをいかでせむ」と手まさぐりにすゞしの糸を長う結びて,一つ結びては、ゆひゆひして引きたてたればいとようかさなりたり。
  猶あるよりはとて九條殿の女御殿の御方〈登子〉に奉る。
  卯の花にぞつけたる。
  何事もなく唯例の御文にて端に「この十かさなりたるはかうても侍りぬべかりけり」とのみ聞えたる。
  御かへり、

108
「藪知らす 思ふこゝろに くらぶれば
 十かさぬるも ものとやは見る」〈登子〉
  とあれば、御かへり。

109
「思ふこと しらではかひや あらざらむ
 かへすがへすも かずをこそ見め」〈道綱母〉
  それより五の宮になむ奉れ給ふと聞く。
 

五月

  五月にもなりぬ。
  十よ日にうち〈村上天皇〉の御藥のことありてのゝしるほどもなくて、二十よ日のほどにかくれさせ給ひにぬ。
  東宮〈円融院〉即ちかゝり居させ給ふ。
  東宮の亮といひつる人〈兼家〉は藏人のとうなどいひてのゝしれば、悲しびは大かたの事にて、おほん喜ろ〈びカ〉といふことのみ聞ゆ。
  あひ答へなどして少し人の心ちすれど、私の心は猶同じことあれど、引きかへたるやうに騷がしくなどあり。
  みさゝぎや何やと聞くに時めき給へる人々いかに思ひやり聞ゆるあはれなり。
  やうやう日頃になりて貞観殿の御方にいかになど聞えけるついでに、

110
「世の中を はかなきものと みさゝぎの
 埋るゝ山に なげくらむやう〈ぞカ〉
  御かへりごといと悲しげにて、

111
「おくれじと うきみさゝぎに 思ひ入る
 心は死出の 山にやあるらむ」
 

七月

  御四十九日はて、七月になりぬ。
  うへに侍ひし兵衞の佐〈高光〉まだ年も若くて思ふ事ありげもなきに、親をもめをもうち捨てゝ山に這ひのぼりて法師になりにけり。
  「あないみじ」とのゝしりあはれといふ程に女は又尼になりぬと聞く。
  さきざきなども文通しなどする中にて、いと哀にあさましき事をとぶらふ。

112
「おくやまの 思ひやりだに 悲しきに
 又あま雲の かゝるなになり」
  〈といへイ〉ばさながらかへりごとしたり、

113
「山深く 入りにし人も 尋ぬれど
 なほ天ぐもの よそにこそなれ」
  とあるもいと悲し。
 

霜月

  かゝる世に中將にや、三位にや三位にや〈四字衍歟〉、などよろこびをしきりたる人はところどころなるいと騷しければあしきを近う去りぬべき所いで来たりとて渡して乗物なきほどに這ひ渡るほどなれば、人は思ふやうなりと思ふべかめり。
  霜月なかの程なり。
 

師走

  しはす晦方に貞観殿の御方この西なる方にまかで給へり。
   
 

安和元年:968年(道綱13歳)

 

正月

  晦の日になりてなま〈ゐカ〉といふもの心〈俄カ〉に見〈ふカ〉るを、又晝よりこほこほはたはたとするぞひとりゐみせは〈らカ〉てあるほどに、あけぬれば〈安和元年〉晝つかたまらうどの御かた男なんど立ちまじらねばのどけし。
  我ものこるおは〈如元〉となりにきゝて待たるゝものはなんどうち笑ひてあるほどに、あるもの手まさぐりにかい粟をあし〈ひイ〉たてゝにつ〈こひイ〉にしてきをつく〈二字こイ〉りたるをのこのかたをとりよせてありし雉のはした〈をイ〉はぎにおしつけて、それに書きつけてあの御方に奉る、

114
「かたごひや くるしかるらむ やまがつの
 あふごなしとは 見えぬものから」
  と聞えたればみるのひきぼしの短くちぎりたるをゆひ集めて、木のさきに荷ひかへさせて細かりつるかたの足にもとのこひをもけづりつけて、もとのよりも大きにてかへし給へり。
  見れば、

115
「やまがつの あと〈一字ふごイ〉まち出でゝ くらぶれば
 こひまさりけり〈るカ〉 方もありけり」
  日たくれば節供まゐりなどすめる。
  こなたにもさやうになどして、十五日にも例のごとして過ぐしつ。
 

三月

  三月にもなりぬ。
  まらうどの御かたにとおぼしかりける文をもて違へたり。
  見れば、「なほしもあらで近きほどに参らむと思へど、われならでと思ふ人や侍らむとて」など書いたり。
  年頃見給ひなりにたればかうもあるなめりと思ふに、猶もあらでいとちひさく書いつく。

116
「松山の さし越えてしも あらじよを
 我によそへて 騷ぐ波かな」
  とて、「あの御方みもかく〈にもてイ〉まゐれ」とて返しつ。
  見給ひてければ即ち御返りあり。

117
「ましまえ〈つしまイ〉の 風にしたがふ なみなれや
 よするかたこそ 立ちまさりけれ」
  この御方春宮〈円融院〉の御親のごとして侍ひ給へば参り給ひぬべし。
  かうてやなど度々しばしばの給へば宵のほどに参りたり。
  時しもこそあれあなたに人の声すれば「そゝ」などのたまふに、聞きも入れねばよひまどひし給ふやうに聞ゆるを「ろなうむつかられ給はゞや」との給へば「乳母なくとも」とてしぶしぶなるに、ものあゆみ来て聞えたてばのどかならで返りぬ。
  又の日の暮に参り給ひぬ。
 

五月

  五月にみかどの御服ぬぎにまかで給ふに、さきのごとこなたになどあるを、「夢にものしく見えし」などいひてかなたにまかで給へり。
  さてしばしば夢のさとしありければ、ちがふるわざもがなとて、七月、月のいとあかきにかくのたまへり、

118
「見し夢を ちがへ侘びぬる 秋の夜に
 寐難きものと 思ひしりぬる」
  御かへり、

119
「さもこそは ちがふる夢は かたからめ
 逢はで程経る 身さへ憂きかな」
  たちかへり、

120
「逢ふと見し 夢になかなか くらされて
 なごり恋しく さめぬなりけり」
  とのたまへれば、又、

121
「こと絶ゆる うつゝや何ぞ なかなかに
 夢はかよひぢ ありといふものを」
  又「こと絶ゆるは何事ぞ。
  あなまがまがし」とて、

122
「かはと見て ゆかぬ心を 詠むれば
 いとゞゆゝしく いひや果つべき」
  とある、御かへり、

123
「渡らねば をち方人に なれる身を
 心ばかりは ふち瀬やはわく」
  となむ、夜一夜いひける。
 

九月

  かくて、年頃願あるをいかで泊瀬にと思ひ立つを、む月にと思ふをさすがに心にしまかせねばからうじて九月に思ひ立つ。
  たゞむ月には大嘗會の御けいこれより女御御たいいでたゝるべし。
  これ過ぐして諸共にやはとあれど、我が方の事にしあらねば、忍びて思ひ立ちて日悪しければ門出ばかり法正寺のべにして、曉より出で立ちてうまの時ばかりに字治の院に至りつゝ見やれば、木の間より水のおもてつやゝかにていと哀なる心ちす。
  忍びやかにと思ひて人あまたもなうて出で立ちたるも、我が心の怠りにはあれど、我ならぬ人なりせばいかにのゝしりてと覚ゆ。
  車さしまはして幕など引きて、しりなる人ばかりを下してかはり〈べカ〉に向へてすだれ卷きあげて見れば網代とて〈しもカ〉にし渡したり。
  行きかふ舟とてあまた見ざりし事なれば、すべてあはれにをかし。
  しか〈りカ〉の方を見れば来こうじたるげすどもあ〈やイ有〉しげなるゆや梨やなどをなつかしげにもたりて食ひなどするも哀に見ゆ。
  わりに〈ごカ〉などものして舟に車搔きすゑて急ぎもていけば、にへのゝ池泉河などいひつゝも〈とカ〉りどて〈もカ〉居などしたるも心にしみて哀にをかしう覚ゆ。
  かい忍びやかなれば萬につけて淚もろく覚ゆ。
  その泉河もわたりて橋寺といふ所にとまりぬ。
  酉の時ばかりにおりて休みたれば、はたにとしろ〈六字はたご所カ〉と思しきる〈にカ〉〈ちイ有〉より切大根ものしなしてあへしらひてまづ出したり。
  かゝる旅立ちたるわざどもをしたりしこそあやしう忘れがたうをかしかりしか。
  明くれば川渡りていくに柴垣しわたしてある家どて〈もカ〉を見るに、いづれならむよもの物語の家など思ひいくにいとぞ哀なる。
  今日も寺めく所にとまりて又の日はつばちといふ所にとまる。
  又の日霜のいと白きに、詣でもら〈しカ〉帰りもするなめり。
  脛を布の端して引きめぐらかしたるものどて〈もカ〉ありきちがひ騷ぐめりしとみさしあげたる所に宿りて、湯わ〈かイ有〉しなどする程に見ればさまざまなる人のいきちがふ、おのがじゝは思ふ事こそはあらめと見ゆ。
  とばかりあれば文捧げてくる者あり。
  そこにとまりて「御文」といふめり。
  見れば「昨日今日の程何事かいと覚束なくなむ人少なにて物しにし。
  いかゞいひしやうに三夜き〈さカ〉ぶらはむずるか。
  帰るべからむ日聞きて迎へにだに」とぞある。
  返ごとには「つば市といふまでは平かになむ。
  かゝるついでにこれよりも深くと思へば帰らむ日をえこそ聞え定めね」と書きつ。
  「こそ〈そこカ〉にて猶三日作〈一字まちカ〉給ふ事、いとびんなし」など定むるを、使聞きて帰りぬれば、それより立ちていきもていけるは、なでふ事なき道も山深きこゝちすれば、いとあはれに、水の声も例に過ぎもと有〈きりはイ〉さしも立ちわたり木の葉は色々に見えたり。
  水は石がちなるなかより湧きかへり行く。
  夕日のさしたるさまなどを見るに淚も留まらず。
  道は殊にをかしくもあらざりつ。
  紅葉もまだし。
  花も皆失せにたり。
  をれたる薄ばかりぞ見えつる。
  こゝはいと心ことに見ゆればすだれ卷きあげて下簾垂おしはさみて見れば、着なやしたる物の色もあらぬやうに見ゆ。
  薄色なるうすものゝ裳を引きかくれば、こしなどちりてこがれたるくち葉にあひたる心ちもいとをかしう覚ゆ。
  かたゐどものつきなべなど居ゑてをるもいと悲し。
  げすぢかなる心ちして生けおとりしてぞ覚ゆる。
  ねぶりもせられずいそがしからねば、つくづくと聞けば目も見えぬ者のいみじげにしもあらぬが、思ひける事どもを人や聞くらむとも思はずのゝしり申すを聞くも哀にて唯淚のみぞこぼるゝ。
  かくて今しばしあらばやと思へど明くればのゝしりて出し立つ。
  かへさは忍ぶれどこゝかしこあるじしつゝとゞむれば、物さわがしうて過ぎ行く。
  三日といふに京につきぬべけれど、いたう暮れぬとて山城の國久世のみやけといふ所にとまりぬ。
  いみじうむつかしけれど夜に入りぬれば唯明くるを待つ。
  まだ暗きよりいけば黑みたるものの〈り脱歟〉てぞ追ひてはしらせてく。
  やゝ遠くよりおりてついひざまづきたり。
  見ればすゝいんし〈四字ずゐじんカ〉なりけり。
  何ぞとこれかれ問へば「昨日の酉の時ばかりに宇治の院におはしまし着きてかへらせ給ひぬやと参れと仰せごと侍りつればなむ」といふ。
  さきき〈なカ〉るをのこどもとそゝ〈舟ぞうイ〉ながせやなど行ふ。
  宇治の河はり〈ちカ〉によるほど、霧はきし方見えず立ち渡りていとおぼつかなし。
  車かきおろしてこちたくとかくするほどに人声多くて「御車おろし立てよ」とのゝしる。
  霧の下より例のあじろも見えたり。
  いふ方なくをかし。
  みづからはあなたにあるなるべし。
  まづかく〈か脱歟〉きてわたす、

124
「人心 宇治のあじろに たまさかに
 よるひるだにも たづねけるかな」
  船の岸き〈よカ〉するほどに返し、

125
「かへる日を 心のうちに 藪へつゝ
 誰によりてか あじろをもとふ」
  見るほどに車かき居ゑてのゝしりてさし渡る。
  いとやんごとなきにはあらねど卑しからぬ家の子ども、何のぞうの君などいふものども、ながみ〈えカ〉とびの尾のなかこ〈にカ〉入りこみて、ひ〈かイ〉のあじろ僅かに見えて霧所々に晴れ行く。
  あなたの岸に家の子衞府の佐などかひつれて見おこせたり。
  なかに立てる人も旅立ちて狩ぎぬなり。
  岸のいと高き所に船を寄せてわりなくたゝあげに擔ひあぐ。
  轅をいたじきに引きかけて立てたり。
  としみの設けありければとかうものするほどに〈か脱歟〉はのあなたにあぜちの大納言〈師氏〉のらうじ給ふこ〈とカ〉ころありける。
  「この頃のあじろは御覽ずとてこゝになむものし給ふ」といふ人あれば、「かうてありと聞き給へらむをまうでこそすべかりけれ」など定むるほどに紅葉のいとをかしきえだに、きじひをなどをつけて、「かうものし給ふと聞きてもろともにと思ふもあやしう、ものなき日にこそあれ|とあり。
  御かへり「こゝにおはしましけるを唯今侍らひかしこまりは」などといひてひとへぎぬぬぎてかづくさながらさし渡りぬめり。
  又鯉鱸などしきりにあめり。
  あるすきものども醉ひあつまりて「いみじかりつるものかな。
  御車のつぎのわ〈いカ〉たのほどの日にあたりて見えつるは」ともいふめり。
  車のしりの方に花紅葉などやさしたりけむ、家の子とおぼしき人「近う花咲き実なるまでなりにける日頃よ」といふなればしりなる人もとかくいらへなどするほどに、あなたへ舟にて皆さしわたる。
  ろなうゑはむものぞとて皆酒飮むものどもを選りてゐて渡る。
  川の方に車むかへ榻立てさせてふた舟にて漕き渡るまで醉ひ惑ひて歌ひ帰るまゝに「御車かけよかけよ」とのゝしれば、困じていと侘しきにいと苦しうて来ぬ。
  あくればごけいのいそぎ近くなりぬ。
  こゝにし給ふべき事それぞれとあれば、いかゞはとてし騷ぐ。
  儀式の車にてひきつゞき〈た脱歟〉り。
  しもの〈づカ〉かへ手振などかく〈へイ〉しいけば、いろふしに出でたらむこゝちして今めかし。
  月立ちては大ざう會のけみ〈二字ごけいカ〉やとし騷ぎ、我も物見のいそぎなどしつるほどに、晦に又いそぎなどすめり。
  かく年月はつもれど思ふやうにもあらぬ身をし歎けば、声あらたまるもよろこぼしからず。
  猶物はかなきを思へばあるかなきかの心ちするかげろふのにきといふべし。
   
   
 

中巻:蜻蛉日記卷中

 

安和2年:969年(道綱14歳)

   
  かくはかなくかう年立ち帰るあしたにはなりにけり。
  年頃あやしく世の人のする事忌などもせぬ所なればや、かうはあらむと思ひ置きてゐざり出づるまゝに「いづらこゝに人々今年だにいかで事忌などして世の中試みむ」といふを聞きてはらからと覚しき人まだ臥しながらもの聞ゆ。
  「天地を袋に縫ひて」とすずるに、いとをかしくなりて「さらにみ〈年カ〉には三そ日三そ夜は我がもとにともいはむ」といへば、前なる人々笑ひて「いと思ふやうなる事にも侍るかな。
  同じくばこれを書かせ給ひて殿にやは奉らせ給はぬ」といふ。
  臥したりつる人も起きて「いとよき事なり。
  てん〈如元〉けのしはうにもまさらむ」など笑ふ笑ふいへばさながら書きてちひさき人〈道綱〉して奉れたれば、この頃時の世の中人にて人はいみじく多く参りこみたり。
  内へも疾くとていと騷がしげなりけれどかくぞある、今年はさ月二つあればなるべし、

126
「年ごとに あまれは〈るイ〉こひる〈かイ〉 君がため
 閏月をばおくに やあるらむ」
  とあればいはひそしつと思ふ。
  又の日こなたあなたげすのなかより事出で来ていみじき事どもあるを、人はこなたざまに心寄せていとほしげなるけしきにあれど、我はすべて近きかすることなり。
  悔しくなど思ふ程に、家うつりとかせらるゝ事ありて我は少し離れたる所に渡りぬれば、わざときらきらしくて日まぜなどにうち通ひたれば、はかなうち〈一字のちイ〉には猶かくてぞあるべかりける。
  家に錦を着てとこそいへ。
  故鄉へも帰りなむと思ふ。
 

三月

  三月三日せくなど物したるを、人なくてさうざうしとてこゝの人々かしこの侍にかう書きてやるあり。
  戯ぶれに、

127
「もゝの花 すき物どもを さいわうが
 そのわたりまで 尋ねにぞやる」
  即かいつれて来たり。
  おろしいだし酒飮みなどして暮しつ。
  中の十日のほどにこの人々方分きて小弓のことせむとす。
  かたみに出でいるとぞし騷ぐ。
  しりへの方の限こゝに集りてなす日、女房にかけもの乞ひたれば、さながらに、物や忽に覚えざりけむ、侘びざれに靑き紙を柳の枝に結びつけたり。

128
「山風の まへ〈ほイ〉よりふけば たこの春
 のやなぎのいと はしりへにぞよる」
  かへし口々したる〈れイ〉ど忘るゝ程押しはからなむ。
  一つはかくぞある、

129
「藪々に 君かたよりて 引くなれば
 やなぎのまゆも いまぞひらくる」
  つごもり方にせむと定むる程に世の中にいかなる咎勝りたりけむ。
  てんけ〈三字このイ〉人々流さるゝとのゝしる事いで来て紛れにけり。
  廿五日六日の程に西の宮の左のおとゞ〈高明〉流され給ふ。
  見奉らむとて天の下ゆすりて西の宮へ人走り惑ふ。
  いといみじき事かなと聞く程に人にも見え給はで逃げ出で給ひにけり。
  あたごになむときよ〈聞えカ〉しほ〈ど脱歟〉になどゆすりて遂に尋ね出でゝ流し奉ると聞くに、あいなしと思ふまでいみじう悲しく心もとなき身だにかく思ひしりたる人は袖をぬらさぬといふ類ひなし。
  あまたの御子供もあやしき國々の空になりつゝ行くへも知らずちりぢり別れ給ふめるぞ、御ぐしおろしなどすべていへばおろか〈に脱歟〉いみじ。
  おとゞも法師になり給ひにけれど、强ひて帥になし奉りて追ひくだし奉る。
  そのこゝろをいたみ〈七字ころほひたゞこイ〉の事にて過ぎぬ。
  身の上をのみするにきには入るまじきことなれども、〈か脱歟〉なしと思ひ入りしも誰ならねば記し置くなり。
  そのま〈へ脱歟〉の五月雨の二十よ日のほど物忌もあり。
  長きしやうじも始めたる人〈兼家〉山寺に籠れり。
  雨いたく降りて詠むるに、いとあやしく心細き所になむなどもあるべし。
  返り事に、

130
「時しもあれ かく五月雨と〈一字のたカ〉 まさかに【水まさり】
 をち方人の ひと〈をイ〉もこそふれ」
  とものしたる返し、

131
「ましみづの まして程ふる 物ならば
 おなじぬれ〈まカ〉にも おる〈りカ〉も立ちなむ」
  といふ程に閏さ月にもなりぬ。
 

閏さ月

  晦日より何ご〈こ脱歟〉ちにかあらむ、そこはかとなくいと苦しけれど、さばれとのみ思ふ。
  命をしむと人に見えずもありにしがなとのみ念ずれど、見聞く人たへ〈だカ〉ならで芥子やきのやうなるわざすれど、猶しるしなくて程ふるに、人はかくきよまはるほどゝて例のやうにも通はず。
  新しき所造るとて通ふたよりにぞ立ちながらなど物して,いかにぞなどもある。
  心ち弱く覚ゆるにおしかこ〈み脱歟〉て悲しく覚ゆる夕暮に例の所より帰るとてはすの実一本を人して入れたり。
  「暗くなりぬれば参らぬなり。
  これ彼處のなるを見給へ」となむいふ。
  返り事には唯「生きて生けらぬと〈き脱歟〉こえよ」といはせて思ひ臥したれば、哀れげにいとをかしかなる所を、命も知らず人の心も心も〈二字衍歟〉知らねばいつしか心見せむとありしも、さもあらぬにやみなむかしと思ふも哀なり。

132
「花に咲き 実になりかはる 世を捨てゝ
 浮葉の露と われぞ消ぬべき」〈道綱母〉
  など思ふまで日を経て同じやうなれば心細し。
  よからずばとのみ思ふ身なれば露ばかり惜しとにはあらぬを、唯この一人ある人いかゞせむとばかり思ひつゞくるにぞ淚せきあへぬ。
  猶怪しく例の心ちに違ひて覚ゆるけしきも見ゆべければ、やんごとなき僧など呼びおこせなどしつゝ試みるに更にいかにもいかにもあらねば、かうしつゝ死にもこそすれ、俄にてはおぼしき事もいはれぬものにこそ、あは〈なイ〉れ、かくて果てなばいとくちをしかるべし、あるほどにだにあらば思ひあらむにたがひても語らひつべきをと思ひて、脇息におしたがへりて書きける事は「命なかるべしとのみのたまへ。
  見えて〈て衍歟〉奉りてむとのみ思ひつゝありつるにこゝら〈虛言イ〉よもやな〈あイ〉りぬらむ。
  怪しく心細き心ちのすればなむ。
  常に聞ゆるやうに世に久しきことのいと思はずなれば塵ばかり惜しきにはあらず。
  唯この幼き人〈道綱〉の上なむいみじく覚え侍る。
  物かお〈かたカ〉りける戯ぶれにも御気色の物しきをば、いと侘しと思ひてはんべるめるをばいとおほき〈けカ〉なる〈きカ〉事なくて侍らむ。
  さは御気色など見せ給ふな。
  いと罪深き身に侍ら〈れカ〉ば、

133
 風だにも 思はぬ方に よせざらば
 この世のことは かの世にも見む。
  侍らざらむよにさへうとうとしくもてなし給ふ人〈ひて〉あらば、つらくなむ覚ゆべき。
  年こゝろ〈三字頃カ〉御覽じ果つまじく覚えながらかばかりもはてざりける御心を見給ふれば、それいとよくかへりみさせ給へ。
  讓り置きてなど思ひ給へつるもしるく、かくなりぬべかめればいと長くなむ思ひ聞ゆる。
  人にもいはぬ事のをかしうなど聞えつるも忘れずやあらむとすらむ。
  をりしもあれ對めんに聞えつべき程にもあらざりければ、

134
 露しげき 道とかいとゞ しでの山
 かつがつぬるゝ そでいかにせむ」
  と書きて、端に「跡にと〈はイ〉ひなどもちりの〈こらむイ有〉ことをなむあやまたざなるさへよくならへ〈かくなしつイ〉となむ聞え置きたるとのたまはせよ」と書きてふんじて上に「忌などはてなむに〈日イ〉御覽ぜさすべし」と書きて傍なるからうつにゐざりよりて入れつ。
  見る人あやしと思ふべけれど、久しくしならばかくだにものせざらむ事のいとむせ〈ねカ〉痛かるべければなむ。
  かくて猶同じやうなれば祭祓などいふ業ことごとしうはあらで、やうやうなどしつゝみなつきの晦方にいさゝか物おぼゆる心ちなどするほどに聞けば、そち殿〈高明〉の北の方尼になり給ひにけりとおは〈如元〉にもいとあはれに思う〈た脱歟〉てまつる。
  西の宮へ流され給ひて三日といふに、かきはらひ燒けにしかば、北の方我が御殿桃園なるに渡りていみじげにながめ給ふと聞くにもいみじう悲しく我がうち〈二字こゝちカ〉のさわやかにもならねば、つくづくと臥して思ひ集むることぞあひなきまで多かるを書き出したれば、いと見苦しけれど、

135
「あはれ今は かくいふかひも なけれども おもひしことは 
はるのすゑ はななむ散ると さわぎしを あはれあはれと
聞きしまに にしのみやまの うぐひすは かぎりのこゑを
ふりたてゝ きみがむかしの あたごやま さして入りぬと
聞きしかど ひとごとしげき ありしかば みちなきことゝ
なげきわび たにがくれなる やまみづの つひにながると
さわぐまに 世を卯つきにも なりしかば やまほとゝぎす
立ちかへり きみをしのぶの こゑ絶えず いづれのこと〈里カ〉
鳴かざ〈り脱カ〉し ましてながめの さみだれは うき世のなかに
ふるかぎり たれがたもとか たゞならむ 絶えずぞうるふ
さつきさへ かさねたりつる ころも手は うへしたわかず
くたしてき ましてこひぢに おりたてる あまたの田子は
己がよ〈ま〉ゝ いかばかりかは そぼちけむ 四つにわかるゝ
むこどりの おのがちりぢり 巢ばなれて わづかにとまる
すもりにも なにかはかひの あるべきと くだけてものを
おもふらむ いへばさらなり こゝのへの うちをのみこそ
ならしけめ おなじかずとや こゝのへ〈くカ〉に しま二つをば
〈ながイ有〉むらむ かつはゆめかと いひながら あふべきごなく
なりぬとや きみもなげきを こりつみて しほ燒くあまと
なりぬらむ ふねをながして いかばかり うらさびしかる
世のなかを ながめかるらむ 行きかへり かりのわかれに
あらばこそ きみがとこ〈よ脱歟〉の あれざらめ 塵のみおく〈けイ〉
むなしくて 枕のゆくへも しらじかし いまはなみだも
みなつきの こかげにわぶる うつせみの むねさけてこそ
歎くらむ〈めカ〉 ましてやあきの かぜ吹けば まがきのをぎの
なかなかに そよとこたへむ をりごとに いとゞ目さへや
あはざらば ゆめにもきみが きみ〈こむイ〉を見て ながき夜すがら
鳴くむしの おなじこゑにや 堪へざらむと おもふころ〈二字心カ〉
おほあらき もりのしたなる くさのみも おなじくぬると
しるらめや露」
  又奥に、

136
「宿見れば よもぎの門も さしながら
 あるべきものと 思ひけむやぞ〈はイ〉
  と書きて、うち置きたるをまへなる人見つけて、「いみじう哀なることかな。
  これをかの北の方に見せ奉らばや」などいひなりて「げにそこよりといはゞこそかたくなはしく見ぐるしからめ」とてかんや紙に書かせて、立文にて削木につけたり。
  「いづこよりとあらば多武の峯よりといへ」とをしふるは、この御はらからの入道の君〈高光〉の御もとよりといはせよとてなりけり。
  人とりていりぬるほどに使は帰りにけり。
  かしこにいかやうにかせ〈さイ〉だめおぼしけむは知らず。
  かくあるほどに心ち聊人ご〈こ脱歟〉ちすれど二十日よひのほどに御嶽〈金峰山兼家参之〉にとて急ぎ立つ〈兼家〉
  幼き人〈道綱〉御供にとて物すればとかく出だし立てゝぞその日の暮に我がもとの所などすりしはてつれば渡る。
  供なるべき人などさし置きてければさて渡りぬ。
  それよりさ〈ば脱歟〉かりうしろめたき人をさへ添へてしかば、いかにいかにと念じつゝ、七月一日のころ曉に来て「唯今なむ帰り給へる」など語る。
  こゝは程いと遠くなりにたればしばしはありきなども難かりなむかしなど思ふに晝つ方なつく〳〵〈なつく以下めづらしく〳〵イ〉も見えたりしはなに事にかありけむ。
  さてその頃帥殿の北の方いかでにかありけむ。
  さゝ〈たふイ〉の峯よりなりけりと聞き給ひて、このみなつきと〈と衍歟〉ごろとおぼしけるを、使もてたるゑ〈二字がへカ〉て今一つ所へもて至りけり。
  取り入れてあやしともや思はずありけむ。
  かへりごとは〈なカ〉ど聞えてけりと伝へ聞きて、かの返り事を聞きて所違へてけり。
  いふかひなき事を又同じ事をも物したらば伝へても聞くらむに、いとねぢけたるべし。
  いかに心もなく思ふらむとなむ騷がるゝと聞くがをかしければ、かくてはやまじと思ひてさきの手して、

137
「やまびこの 答ありとは 聞きながら
 あとなき空を たづねわびぬる」
  とあさはなだなる紙に書きて、一葉繁うつきたる枝に立文にしてつけたり。
  またさし置きて失せにければ、先のやうにやあらむとてつゝみ給ふにやありけむ。
  猶おぼつかなし。
  あやしくのみあるに〈かイ〉なと思ふ。
  程経てたしかなるべきたよりを尋ねてかくのたまへる、

138
「吹く風に つけて物思ふ あまのたく
 しほのけぶりは 尋ね出でずや」
  とて、いとけなき手して薄純の紙にて心〈松イ〉の枝につけて給へり。
  御かへりには、

139
「あるゝうらに 鹽の煙は 立ちけれど
 こなたにかへす 風ぞなかりし」
  とて、胡桃色の紙に書きて色かはりたる松につけて〈一字たりイ〉
 

八月

  八月になりぬ。
  その頃小一條の左のおとゞ〈師尹〉の御賀とて世にのゝしる。
  左衞門の督〈濟時〉の御屛風の事せらるゝとて、絵さるまじきたよりをはからひて責めらるゝ事あり。
  〈絵カ〉の所々書き出したるなり。
  いとしらしらしき事とてあまたゝびかへすを、せめてわりなくあれば、宵の程月見るあひたなどに、一つ二つなど思ひてものしけり。
  人の家に賀したる所あり。

140
「大空を めぐる月日の いくかへり
 今日行くすゑに あはむとすらむ」
  旅行く人の濱づらに馬とめて千鳥の声聞く所あり。

141
「一声に やがて千鳥と 聞きつれば〈どイ〉
 世々をつくさむ かずも知られず」
  あはだ山より駒引く。
  そのわたりなる人の家に引き人れて見る所な〈あカ〉り。

142
「あまた年 越ゆる山べに 家居して
 つなひくこまも おもなれにけり」
  人の家の前近き泉に水に八月十五や月の影うつりたるを女ども見る程に、垣てのとより大路に笛吹きて行く人あり。

143
「雲ゐより うちえ〈こち〳〵カ〉の声を 聞くなべに
 さしくむばかり 見ゆるつきかげ」
  田舍人の家の前の濱づらに松原あり。
  鶴群れて遊ぶ。
  ふたつ歌あるべしとあり。

144
「なみかげの 見やりに立てる 小松ばら
 こゝろをよする ことぞあるべ〈らイ〉し」

145
 松のかげ 真砂のなかと 尋ぬるは
 なにのあかぬぞ たづのむらとり」
  網代のかたある所あり。

146
「あじろぎに 心をよせて 日を経れば
 あまたの夜こそ 旅寐してけれ」
  濱べにいざり火ともし釣舟などある所あり。

147
「いざりびも あまのこ舟も のどけか〈しカ〉
 生けるかひある うらに来にけり」
  女車、紅葉見けるついでに、又紅葉多かりけり〈るカ〉人の家に来たり。

148
「よろづよを 野べのあたりに 住む人は
 めぐるめぐるや あきを待つらむ」
  などあぢきなく、あまたにさへ强ひなされて、これらが中にいざりびとむこどりて〈むらちどりイ〉とはとまりにけりと聞くに、ものしかう〈如元〉などしゐたるほどに、
 

しも月

  秋は暮れ冬になりぬれば、何事にあらねど事騷がしきこゝちしてありふる中、しも月に雪はいと深く積りて、いかなるにかありけむ、わりなく身心憂くつらく悲しく覚ゆる日あり。
  つくづくと詠むるに思ふやう、

149
「降る雪に つもる年をば よをへつゝ
 消えむごもなき 身をぞ恨むる」
   
 

天禄元年:970年(道綱15歳)

   
  など思ふほどに晦の日〈二字すぎイ〉〈天禄元年〉のなかばにもなりにけり。
 

三月十日

  人はめでたくつくりかゞやかしつる所に「明日なむこよ〈二字わたイ〉るなむ」とのゝしるなれど我は、思ひしもしるくかくてもあれかしになりにたるなめり、されば、ことにこ〈一字人々まゐイ〉りしかばなど思ひのべてある程に、三月十日のほどに、うちののりゆみのことありていみじくいとなむなり。
  をさなき人しりへの方にとられて出でにたり。
  かたかへ〈つカ〉物ならばその方の舞もすべしとあれば、このし〈こカ〉ろは萬忘れてこの事を急ぐ。
  舞ならはすとて日々に樂をしのゝしる。
  射手射につきて賭物とりてまかでたり。
  いとゆゝしとぞうち見る。
  十日の日になりぬ。
  今日ぞこゝにて試樂のやうなることする。
  舞の師大江のよしもち女房よりあまたの物かづく。
  男方もありとある限りぬぐ。
  殿〈兼家〉は御物忌なりとてをのこどもはさながら来たり。
  事はてがたになる夕暮に、よしもち胡蝶くら〈らく〉舞ひていできたるに、黃なるひとへ脱ぎてかづけたる人あり。
  折にあひたる心ちす。
  また十二日しりへの方人さながら集りて舞はすべし、こゝには弓塲なくて悪しかりぬべしとて彼所にのゝしる。
  殿上人藪を多く盡して集りて、よしもも〈一字衍歟〉ちうづもれてなむと聞く。
  我はいかにいかにと後めたく思ふに、夜更けて送り人あまたなどしてものしたりき。
  さてとばかりありて人々あやしと思ふに這ひ入りて「これがいとらうたく舞ひつる事かたりになむものしつる。
  皆人の泣きあはれがりつる事。
  明日明後日物忌いかにおぼつかなからむ。
  五日の日まだしきに渡りて事どもはすべし」などいひて帰られぬれば、常に行かぬ心ちもあはれに嬉しう覚ゆる事限りなし。
  その日になりてまだしきに物して、舞のしやうぞくの事など人いと多く集りてし騷ぎ出し立てゝ又弓のことを念ずるに、かねてよりいふやう「しりへはさしてのまけものぞ。
  射手いとあやしうとりたり」などいふに、舞をかひなくやなしてむ、いかならむいかならむと思ふに、夜に入りぬ。
  月いとあかければ格子などもおろさで念じ思ふほどに、これかれ走り来つゝまづこの物語をす。
  「いくつなむ射え〈つカ〉る。
  かたきには右兵衞中將なむある。
  多く多く射伏せられぬ」とてさゝと〈三字きくそイ〉の心に嬉しう悲しき事物に似ず。
  「まけ物と定めし方のこの矢鞆にかゝりてなむ持になりぬる」とまた吿げおこする人もあり。
  ぢになりにければまづ陵王舞ひけり。
  それも同じほどのわらはにて我が甥なり。
  馴しつるほど、こゝにて見、かしこにて見な〈ど脱歟〉かたみにしつ。
  されば次に舞ひておぼえによりてにや、御ぞ賜はりたり。
  内よりはやがて車のしりに陵王も乗せてまかでられたり。
  ありつるやう語り我がおもてを興しつる事、上達部どもの皆泣きらうたがりつる事などかへすがへすも泣く泣く語らる。
  弓の師呼びにやりきて又こゝにてなにくれとてやゝかづくれば憂きみかとも覚えず。
  嬉しきことぞものこき〈二字ににぬイ〉
  その夜も〈そか〉の後の二三日まで知りと知りたる人法師に至るまで若君の御喜きこえにきこえにとおこせいふを聞くにも、あやしきまで嬉し。
 

四月

  かくて、四月になりぬ。
  十日よりしも又五月十日ばかりまで「いとあやしく悩ましき頃になむある」とて例のやうにもあらで「七八日おほとにて念じてなむおぼつかなさに」などいひて「夜の程にてもあれば、かく苦しうてなむ,内へも参らねばかくありきけりと見ら〈如元〉むもびんなかるべし」とて帰りなどせし人おこ〈せイ有〉たりて〈てイ無〉と聞くに待つほど過ぐる心ちす。
  怪しと人知れず今宵を試みむと思ふほどに、はてはせうそくだになくて久しくなりぬ。
  めづらしくあやしと思へどつれなしをつくり渡るに、よるは世界の車の声に胸うち潰れつゝ時々は寢入りて明けにけるはと思ふにぞ、ましてあさましき。
  幼き人通ひつゝ聞けど、さるはなでふ事もなる〈かイ〉なり。
  いかにぞとだに問ひふれざなり。
  ましてこれよりは何せむにかはあやしともものせむと思ひつゝ暮し明して格子などあくるに見出したれば、よる雨の降りける気色にて木ども露かゝりたり。
  見るまゝに覚ゆるやう、

150
「よのうちは 松にも露は かゝりけり
 明くれば消ゆる ものこそ思へ」
  かくて経るほどにその月つごもりに小野の宮のおとゞ〈実賴〉かくれ給ひぬとて、「世はさはりありて世の中いと騷がしかなればつゝしむとてえ物せぬなり。
  服になりぬるをこれら疾くして」とはあるものか。
  いとあさましければこの頃ものするものども里につてなむとて帰しつ。
  これにまして心やましきさまにて絶えて事づてもなし。
 

六月

  さながら六月になりぬ。
  かくて藪ふるは夜見る〈ぬイ〉事は三十よ日、晝見る事は四十よ日になりにけり。
  いとにはかにあやしといはゞおろかなり。
  心もゆかぬ世とはいひながら、まだいとかゝる目は見ざりつれば、見る人々もあやしうめづらかなりと思ひたり。
  物しおぼえねば、詠めのみぞせらるゝ。
  人目もいと耻しう覚えて落つる泪おし隱しつゝ臥して聞けば、〈う脱歟〉ぐひすぞをりはへて鳴くにつけて覚ゆるやう、

151
「鶯も ごもなきものや おもふらむ
 みなつきはてぬ 音をぞ鳴くなる」
  かくながら二十餘日になりぬる心ち、せむ方知らずあやしく置き所なきを、いかで凉しき方もやあると、心ものべがてら濱づらの方に祓ヘもせむと思ひて唐崎へとて物す。
  寅の時ばかりに出で立つに月いと明し。
  我が同じやうなる人又供に人一人ばかりぞあれば、唯三人乗りて馬い〈にカ〉乗りたるをのこども七八人ばかりぞある。
  加茂川のほどにてほのぼのと明く。
  うち過ぎて山路になりて京に違ひたるさまを見るにも、この頃の心ちなればにやあらむ、いとあはれなり。
  いはむやと〈せカ〉きに至りてしばし車とゞめてうしかへなどするに、むなぐるま引きつゞけて、あやしき木こりおろしていとを暗き中より来るも、心ち引きかへるたるやうに覚えていとをかし。
  関のぢ哀れ哀れとおぼえて、行くさきを見やりたれば行くへも知らず見え渡りて、鳥の二つ三つ居たると見ゆるものを、强ひて思へば釣舟なるべし。
  そこにこそえ淚は留めずなりぬる。
  いふかひなき心だにかく思へば、まして異人は哀と泣くなり。
  はしたなきまで覚ゆれば目も見合せられず。
  行くさきおほゆ〈かイ〉るに大津のいと物むづかしき家どもの中に引き入りにけり。
  それもめづらかなる心ちして行き過ぐれば遙々と濱に出でぬ。
  きし方を見やれば海づらに並びて集りたるやどりの前に船どもをきた〈しカ〉に並べ寄せつゝあるぞいとをかしき。
  〈こイ〉ぎ行きちがふ舟どもゝあり。
  いにも〈てイ有〉ゆく程に巳のときはてになりにたり。
  しばし馬ども休めむとてし水といふ所に、かれと見やられたるほどに大きなるあふちの木唯一つ立てるかげに車かきおろして馬どもうらに引きおろしてひやうしなどして
  「こゝにて御破子待ちつけむ。かの〈らカ〉ささ〈きカ〉はまだいと遠かめり」といふほどに幼き人一人勞れたる顏にて寄り居たればゑぶくろなるものとり出でゝくひなどするほどに、破子持てきぬればさまざまあがちなどして、かたへはこれよりかへりてし水にきつるとて、行ひやりてなどすなり。
  さて車かけてそのさきにさしいたり、車引きかへてはらへしに行くまゝに見れば、風うち吹きつゝ浪たかくなる。
  行き交ふ舟ども帆を引き上げつゝいく。
  濱づらにをのこども集り居て「歌仕うまつりてまかれ」といへば、いふかひなき声引き出でゝ歌ひて行く。
  はらへのほどにけ〈せイ〉いた〈たイ無〉になりぬべくなからくるいとほどせばきさきにてしもの方はみづ際に車立てたり。
  皆おろしたればしき波によせてなごりにはなしといひふるしたるかひもありけり。
  しりなる人々は落ちぬばかりのぞきてうちあらす程に天下〈にイ有〉見えぬものども取りあげまぜて騷ぐめり。
  若きをのこもほどさし放れで、なみ居て「さゞなみや志賀の唐崎」など、例のかみ声振り出したるもいとをかしう聞えたり。
  風はいみじう吹けども木蔭なければいと暑し。
  いづらか〈しイ有〉みづにと思ふ。
  ひとしのをりはき〈八字ひつしはかりイ〉にはてぬれば帰る。
  ふり難く哀と見つゝ行き過ぎて山口に至りかゝればさるのはてばかりになりにたり。
  ひぐらしさかりとなき滿ちたり。
  聞けばかくぞ覚えける、

152
「鳴きかへる 声ぞきほひて 聞ゆなる
 まちやしつらむ 関のひぐらし」
  とのみいへる。
  人にはいはず。
  走井にはこれかれ馬うちはやして先だつもありて至りつきたれぱ、さき立ちし人々いとよくやすみすゞみて、心ちよげにて車かきおろす所により来たれば、しりなる人、

153
「うらやまし 駒のあしとく 走井の」
  といひたれば、

154
「しみづにかげは よどむものかは」
  近く車寄せてあてなる方に、幕るとる〈三字などひイ〉きおろして皆おりぬ。
  手足もひたしたればこゝちもの思ひはるけるやうにぞ覚ゆる。
  石どもにおしかゝりて水やりたる樋のうへにをしきどもすゑて、ものくらひて手づからすゐえなどする心ちいと立ち憂きまであれど、日暮れぬなどそゝのかす。
  かゝる所にては物などいふ人もあらじかしと思へども、日の暮るればわりなくて立ちぬ。
  いきもて行けば栗田山といふ所にぞ京よりまづ持ちて人来たる。
  「この晝殿〈兼家〉におはしましたりつ」といふを聞くいとぞあやしき。
  なきまをうかゞはれけるとまでぞ覚ゆる。
  さてなどこれかれ問ふなり。
  我はいとあさましうのみ覚えて来着きぬ。
  おりたれば心ちいとせむかたなく苦しきに、とまりたりつる人々出でまして問はせ給ひつれば、ありのまゝになむ聞えさせつる。
  なさ〈さ衍歟〉どこのこゝ〈こ衍歟〉ろありつる。
  あしうも来にけるかなとなむありつるなどあるを聞くにも夢のやうにぞ覚ゆる。
  又の日はこうじ暮して明くる日、幼き人殿へと出で立つ。
  あやしかりける事もや問はましと思ふも物憂けれど、ありし濱べを思ひ出づる心ちの忍びがたきにまけて、

155
「うき世をば かばかりみつの 濱べにて
 淚になごり ありやとぞ見し」
  と書きて、「これ見給はざらむほどにさしおきて、やがて物しね」と敎へたれば「さしつ」とて帰りたり。
  もし見たるけしきもやとしら〈ら衍歟〉た待たれけひかし。
  されどつれなくてつごもり頃になりぬ。
  さいつ頃つれづれなるまゝに草どもつくろはせなどせしに、あまたわかなへの生ひたりしを取り集めさせて、やの軒にあてゝ植ゑさせしが、いとをかしうはらみて、水まかせなどせさせしかど、色づける葉のなづみて立てるを見ればいと悲しくて、

156
「いなづまの ひかりだにこ〈みイ〉ぬ やがくれは
 軒ばのなへも ものおもふらし」
  と見えたる。
  貞観殿の御かた〈重明親王北方〉はをとゝしないしのかみになりにたまひにき。
  あやしくかゝる世をも問ひ給はぬは、このさるまじき御中の違ひにたれば、こゝをもけうとくおぼすにやあらむ。
  かく事の外なるをも知り給はでと思ひて御文奉るつひでに、

157
「さゝがにの 今はと限る すぢにても
 かくてはしばし 絶え〈じ脱歟〉とぞ思ふ」
  と聞えたり。
  かへり事なにくれといと哀に多くのたまひて、

158
「絶えきとも 聞くぞ悲しき 年月を
 いかにかけこし くもならなくに」
  これを見るにも見聞き給ひしかばならぬ〈二字どイ〉思ふに、いみじく心ちまさりて、詠めくらすほどに文あり。
  「文もすれど返り事もなく、はしたなげにのみあめれば、つゝましくなむ。
  今日もと思へども」などぞあめる。
  これかれそゝのかせばかへりごと書くほどに日暮れぬ。
  又いきもつかじかしと思ふほどに見えたる。
  人々「猶あるやうあらむ。
  つれなくてけしきを見よ」などいへば、思ひかへしてのみあり。
  「愼む事のみあればこそあれ。
  さらに来ずとなむ我は思はぬ。
  人のけしきばみくせぐせしきをなむあやしと思ふ」など、うらなくけしきもなければけうとく覚ゆ。
  「つとめては物すべき事のあればなむ。
  いま明日明後日の程にも」などあるに誠とは思はねど、思ひ直るにやあらむと思ふべし。
  若しはたこの度ばかりにやあらむと試みるにやうやう又日藪過ぎ行く。
  さればよと思ふにありしよりもげにものぞ悲しき。
  つくづくと思うつゞくることは猶いかで心として祈にもえにしがなと思ふより外のこともなきを、唯この一人ある人を思ふにぞいと悲しき。
  人となしてうしろやすからむ女などに預けてこそ、しかも心安からむとは思ひしか、いかなる心ちしてさすらへむずらむと思ふに、猶いと死に難くいかゞはせむ、形をかへて世を思ひ離るやと試みむも、語らへば又深くもあらぬなれどいみじうさくりもよゝと泣きて「さなりたまはゞまろも法師になりてこそあらめ。
  何せむにかは世にもまじろはむ」とて、いみじくよゝと泣けば、我もえせきあへねどいみじさに、たはぶれにいひなさむとて、さて「たかくはてはいかゞし給はむずる」といひたれば、やをら立ち走りてしすゑたる鷹をきりはなちつ。
  見る人も淚せきあへず。
  まして日暮しかたき心ちに覚ゆるやう、

159
「あらそへば 思ひにわぶる あまく〈もに脱歟〉
 まづそる鷹ぞ かなしかりける」
  とぞ。
  日暮るゝ程は〈にカ〉文見えたり。
  天下〈の脱歟〉そらごとならむと思へば「唯今心ち悪しくて、漸今は」とてやりつ。
 

七月

  七月十日にもなりぬれば世の人さわぐまゝにぼにの事年頃はま心にものしつるもはなれやしぬらむと哀なま人も悲しうおぼすらむかし。
  しばし試みてすら齋もせむかしと思ひつゞくるに、淚のみだり暮すに例のごと調じて文添ひてあり。
  「なき人をこそ思し忘れざりけれとをしからで悲しきものになむ」と書きてものしけり。
  かくてのみ思ふに猶いと怪し。
  「珍しき人に移りてなどもなし。
  俄にかゝる事を思ふに心さへ知りたる人のうせ給ひぬる、小野の宮のおとゞ〈実賴〉の御めしうどどもあり。
  これらをぞ思ひかくらむ。
  近江ぞあやしきことなどありていろめく者なめれば、それらにこゝに通ふと知らせじとかねて断ち置かむとならむ」といへば、聞く人「いでや、さらずともかれらいと心安しと聞く人なれば、何かはわざわざしうかまへ給はずともありなむ」などぞいふ。
  「もしさらずば光〈先カ〉だいのみこたちがならむ方こそともあれかくもあれ、唯いと怪しきを入る日を見るやうにてのみやはおはしますべき。
  こゝかしこに詣でなどもし給へかし」など唯この頃はことごとなく明くればいひ暮るれば歎きて、さらにいと暑き程なりともげにさいひてのみやはと思ひ立ちて、石山に十日ばかりと思ひ立つ。
  忍びてと思へばはらからといふばかりの人も知らせず、心一つに思ひ立ちて明けぬらむと思ふ程に出で走りて、加茂川の程ばかりなどにぞ、いかで聞きあへつらむ、追ひて物したる人もあり。
  有明の月はいと明けれど逢ふ人もなし。
  河原には死に人もふせりと見聞けど怖しくもあらず。
  粟田山といふ程に行き去りていと苦しきをうち休めば、ともかくも思ひわかれず唯淚ぞこぼるゝ。
  人や〈みイ有〉ると淚はつれなしづくりて唯走りて行きもて行く。
  山階にて明け離るゝにぞいとけんしようなる心ちすれば、あれか人かに覚ゆる。
  人は皆おくらかしさいだてなどしてかすかにて步みいけば、逢ふもの見る人あやしげに思ひて、さゝめき騷ぐぞひとわびしき。
  からうじていきすぎて、走井にてわりごなどものすとて幕引きまはしてとかくするほどに、いみじくのゝしる者く。
  いかにせむ、誰ならむ、供なる人見知るべきものにもこそあれ、あないみじと思ふ程に、馬に乗りたる者あまた車二つ三つ引き続けてのゝしりてく。
  若狹の守の車なりけりといふ。
  立ちもとまらで行き過ぎては、思ふことなげにても行くかな、き〈さイ〉るは明け暮れひざまづきありくものぐしてゆ〈けイ有〉ぼにこそと〈とイ無〉あめれと思ふにも胸さくる心ちす。
  げすども車の口につけるもさあらぬも、この幕ちかわ〈くカ〉立ち寄りつゝとあみだ〈三字めみイ〉騷ぐふるまひのなめう覚ゆること物に似ず。
  我が供の人僅にあふ〈るカ〉「立ちのきて」などいふめれば「例も行きゝの人よる所をは知り給はぬか。
  咎める〈如元〉は」などいふを見る心ちはいかゞはある。
  やり過ごして今は立ちて行けば、関うち越えてうちいでの濱にしにかへりていたりたれば、先だちし人船に菰やかたひきて設けたり。
  物も覚えず這ひ乗りたれば遙々とさし出して行く。
  いと心地いと侘しくも苦しうもいみじうもの悲しう思ふこと類ひなし。
  さるのをはりばかりに寺の中に着きぬ。
  ゆやにものなどしきたりければいきて臥し〈ぬイ有〉
  心ちせむ方知らず苦しきまゝに臥しまろびうるかな〈四字ぞなかるゝイ〉
  よるになりてゆなど物して御堂に昇る。
  身のあるやうをほける〈ほとけイ〉に申すにも淚に咽ぶ。
  とすて〈二字かくイ〉いひもやられず。
  ようち更けてとの方を見出したれば堂は高くてしもは谷と見えたり。
  かたき軒〈こイ〉に木ども生ひこりて、いとこぐらかりたる。
  二十日の月夜更けていとあかるけれはこ蔭にもりて所々に前方ぞ見えわたりたる。
  見おろしたれば麓にある泉はか〈が脱歟〉みのごと見えたり。
  高欄におし懸りてとばかり守り居たれば、片岸に草のなかにそよそよし〈なイ有〉らしたるものあやしき声するを、「こはなにぞ」と問ひたれば「鹿のいふなり」といふ。
  などかれいの声には鳴かざらむと思ふ程にさし離れたる谷の方より、いとうら若き声に遙に詠め鳴きたなり。
  聞く心ち空なりといへばおろかなり。
  思ひ入りて行ふ心ちもの覚えで猶あれば、みやか〈りイ〉なる山のあなたばかりに、お〈たイ〉もりの物追ひたる声いふかひなくなさけなげにうちよばひたり。
  かうしも取り集めて肝を碎くこと多からむと思ふぞ、はてはあきれてぞ居たる。
  さて後夜行ひつればおりぬ。
  身よわければゆやにあり。
  夜の明くるまゝに見やりたればひんがしに風はいとのどかにて霧立ちわたり、川のあなたは絵に書きたるやうに見えたり。
  川づらに放ち馬どものあさりありくも遙に見えたり。
  いと哀なり。
  二なく思ふ人をも、人目によりてとゞめ置きてしかば、出で離れたる序に、死ぬるたばかりをもせばやと思ふにはまづこのほだし覚えて恋しう悲し。
  淚の限をぞ盡しはべる。
  をのこどもの中には「これよりいと近くなり。
  いさうくなたの身には、いまも口ひき過ごすと聞くぞかうかなるや」などいふを聞くに、さて心にもあらず引かれいなばやと思ふ。
  かくのみ心盡せば物などもくはれず。
  「しりへの方なる池にしぶきといふものおもひたる」といへば、「とりてもてこ」といへばもて来たりける。
  けにあへしらひてゆをし切りてうちかざしたるぞ、いとをかしう覚えたる。
  さては夜になりぬ。
  御堂にてよろづ申し泣き明して、曉方にまどろみたるに見ゆるやう、この寺のべたうと覚しき法師、銚子に水を入れて持て来て、右の方の座に入りくと見る。
  ふと驚かされて佛の見せ給ふにこそはあらめと思ふに、まして物ぞ哀に悲しく覚ゆる。
  明けぬといふなればやがて御堂よりおりぬ。
  まだいと暗ければ〈どカ〉海のうへ白く見え渡りて、さいふいふ人二十人ばかりあるを、乗らむとする舟の、さ〈きイ〉しかげのかたへばかりに見くさ〈だイ〉されたるぞいと哀にあやしき。
  みあかしたて参らせし僧の見送るとて岸に立てるに、唯さし出でにさし出でつれば、いと心細げにて立てるを見やれば、かれはめなれにたるらむ一つ〈二字所イ〉に悲しくや、とまりて思ふらむとぞ〈心イ有〉うる。
  をのこども「今らいねんの友〈今カ〉月友〈今カ〉ひ参らむよ」とよばひたれば「さなり」と答へて遠くなるまゝに、影のごと見えたるもいと悲し。
  空を見れば月はいと細くて影は海のおもてに移りてある。
  風うち吹きて海のおもていと騷がしうさらさらと騷ぎたり。
  若きをのこども声ほそやかにて、おも〈や脱歟〉せにたるといふ歌を歌ひ出でたるを聞くにもつぶつぶと淚ぞ落つる。
  いかゞ崎山吹の崎などいふ所々見やりて蘆の中より漕ぎ行く。
  まだ物う〈たカ〉しかにも見えぬ程に遙なる楫の音して心細く歌ひ来る舟あり。
  行きちがふ程に「いづくのぞや」と問ひければ「石山へ人の御迎に」とぞこな〈たカ〉ふなる。
  この声もいと哀に聞ゆる。
  〈さイ〉いひおきし遅くい〈でくイ有〉れば、かしこなりつるして出でぬれば違ひていくなめり。
  留めてをのこどもかたへは乗りかへりて、心のほしきに歌ひ行く。
  瀬田の橋の本行きかゝるほどにぞほのぼのと明け行く。
  千鳥うちかけりつゝ飛びちがふ。
  物の哀に悲しき事さらに藪なし。
  さてありし濱わに至りたれば迎の車出で来たる。
  きやうに巳の時ばかりいき着きぬ。
  此彼集まりてせかいにまでなどいひ騷ぎけることなどいへば「さもあらばあれ、今は猶しかるべき身かは」などぞ答ふる。
  おほやけにすまひの頃なり。
  幼き人参らまほしげに思ひたれば、さうぞかせて出し立つま〈づ脱歟〉殿へとて物したりければ、車のしりに乗せて、暮にはこなたざまに物し給ふべき人の、さるべきに申しつけて、を〈さイ〉はあなたざまにときは〈くカ〉にも、まして淺まし。
  又の日もきの〈こ脱歟〉のごと参るさまにえ知らでよさりは一つのさうき〈二字所の、雜色カ〉、これらかれが〈らカ〉送りせよとて、さいだちて出でにければ、独罷でゝ、いかに心に思ふらむ、例ならましかば、諸共にあらましをと、幼き心ちに思ふなるべし。
  うちぐしたるさまにて入りくるを見るに、せむかたなくいみじく思へど、何のかひかあらむ。
  身一つをのみ切り碎く心ちす。
 

八月

  かくて八月になりぬ。
  二日のよさり方、〈に脱歟〉はかに見えたり。
  あやしと思ふに、「明日は物忌なるを、門强くさゝせよ」などうちいひ散らす。
  いとあさましく、ものゝわくやうにおぼへ〈へ衍歟〉ゆるに「これさしよりかれ引きよせ念ぜよ念ぜよ」と耳おしそへつゝ、まねさゝめき或はせば、我が一人のおれものにて向ひ居たれば、むげにくんじ果てにたりと見えけむ。
  又の日も日暮しいふこと、「我が心の違はぬを人のあしう見なして」とのみあり。
  いといふかひもなし。
  五日の日は司召とて大將になどいとゞまさりていともめづらたし〈五字めでたしカ〉
  それより後ぞ、少し屢見えたる。
  この大共うへ〈三字嘗會カ〉に、院の御給はかり申さむ。
  幼き人にかうぶりせさせてむ。
  十の日と定めてす。
  事ども例の如し。
  ひきいれに、源氏の大納言物し給へり。
  事はてゝ方ふたにけ〈二字がカ〉りにたれど、夜更けぬるをとてとゞまれり。
  かゝれども、こたみや限ならむと思ふ心になりにたり。
 

九、十月

  九、十月も、同じさまにてすぐすめり。
  世には大上と〈大嘗會歟〉のごけお〈いカ〉とて騷ぐ。
  我も人も物見るさじきとて渡り見ればみこしのつら近くつらしとは思へど、目くれておぼゆるに、これかれやいでなほ人にすぐれ給へりかし。
  「あなあたらし」などもいふめり。
  聞くにもいとゞ物のみすべなし。
 

しもつき

  しもつきになりて、大まゑ〈二字嘗會歟〉とてのゝしるべき、その中には、少しま近く見ゆる心ちす。
  かうぶり故に、人も又あいなしと思ふ思ふ、わざもなく経て、とかくすれば、いと心あわたゞし。
  事はつる日、夜更けぬほどにものして、行幸に侍ひであがりぬべかりつれど、夜の更けぬべかりつれば、空胸やみてなむまかでぬる。
  いかに人いふらむ。
  明日はこれがきぬ着かへさせて出でむなどあれば、いさゝか昔の心ちしたり。
  「つとめて供にありかすべきをのこどもなど、まゐらざめるを、かしこにものして、行幸にとゝのへひむさうすへ〈二字ぞくカ〉して来よ」とて、いでられぬ。
  よろこびにありきなどすれば、いとあはれにうれしき心ちす。
  それよりしも、例の愼むべき事あり。
  二日もか〈みかカ〉ごとになむきたるも、たよりにもあるを,さもやと思ふ〈程に夜いたくふけゆくゆゝしとおもふイ有〉人も、たゞ一人出で〈きイ有〉たり。
  胸うちつぶれてぞあさましき。
  「唯今なむ帰り給へる」など語れば、夜更けぬるに昔ながらの心ちならましかば、かゝらましやはと思ふ心ぞいみじき。
  それより後もおとなし。
 

師走

  しはすのついたちになりぬ。
  七日ばかりの晝さしのぞきたり。
  今はいとまばゆき心ちもしにたれば几帳引き寄せて、けしきものしげなるを見て、「いで日暮れにけり。
  内よ召しありつれば」とて立ちにしまゝに、おとづれもなくて、十七八日になりにけり。
  今日の晝つ方より、雨いといたうはらめに〈きイ〉て、霰につれづれと降る。
  まして若しやと思ふべき事も絶えにたり。
  いにしへを思へば我がめ〈心イ〉にしもあらじ、心の本上にやありけむ、雨風にもさはらぬものと、ならはしたりしものを、今日思ひ出づれば、昔も心のゆるぶやうにもなかりしかば、我が心のおほけなきにこそありけれ、あはれさらぬものと見しものを、それまで思ひかけられぬと、ながめ暮さる。
  雨の脚同じやうにて火燈す程〈に脱歟〉もなりぬ。
  南おもてにこの頃来る人あり。
  足音すればさにぞあなた〈るカ〉
  あはれをかしく来たるはと、涌きたぎる心をば、傍に置きてうちいへば、年頃見知りたる人むかひて、「あはれこれにまさりたる雨風にもいにしへ、人の障り給はざめりし物を」といふにつけてぞうちこぼるゝ淚の熱くてかゝるに覚ゆるやう、

160
「思ひせは〈くカ〉 胸のひむらは つれなくて
 なみだをわかす 物にざりけり〈るカ〉
  と、くり返しいはれし程にぬるところにもあらでよは明してけり。
   
 

天禄2年:971年(道綱16歳)

 

正月

  その月みたるばかりの程にて年〈天延元年〉は越えにけり。
  その程の作法例のことなればしるさず。
  さて年頃思へば、何事にかあらむ。
  ついたちの日は見えずして、止むべきなめりき。
  さもやと思ふ心遣ひせらる。
  ひつじの時ばかりにさきおひのゝしるぞなど人も騷ぐほどに、ふとき〈き衍歟〉ひき過ぎぬ。
  いそなだ〈二字ぐにカ〉こそはと思ひかへしつれど、よるもさてやみぬ。
  つとめてこゝに、縫ふ物ども取りがてら「昨日の前わたりは日の暮れにし」などあり。
  いと返り事せまうけれど猶「年の初に、腹立ちなめ〈せカ〉そ」なんどいへば、少しはくねりて書きつ。
  かくしも安からず覚え、いふやうは、「このおしはかりし近江になむ文通ふ。
  さなりたるべしと、世にもいひ騷ぐ心づきなさになりけり」
  さて二三日すごしつ。
  三日又申の時に、一日よりもけにのゝしりて来るを、「おはしますおはします」といひ続くるを、一日のやうにもこそあれ、かたはらいたしと思ひつゝ、さすがに胸走りするを、近くなれば,こゝなるをのこども、中門おし開きて、ひざまづきてをるに、うべもなく引き過ぎぬ。
  今日まして思ふ心おしはからなむ。
  又の日は大饗とてのゝしる。
  いと近ければ今宵さりともと試みむと人知れず思ふ。
  車の音ごとに胸潰る。
  よき程にて皆帰る音も聞ゆる。
  かどのもと〈二字まへイ〉よりも、あまた追ひく〈ちカ〉らしつゝ行くを過ぎぬと聞く度每に心は疎く、限りと聞きはてつればすべてものぞおぼえぬ。
  〈く脱歟〉る日、又つとめてなほもあらで文見ゆ。
  かへりごとせず。
  又二日ばかりありて、「心の怠にはあれど、いと事繁き頃にてなむ。
  ようさりものせむにいかならむ。
  恐しさに」などあり。
  「心ち悪しき程にてえ聞えず」とものして思ひ絶えぬるに、つれなく見えたり。
  あさましと思ふに、うらもなく戯ぶるれば、いとねたさに、こゝらの月頃念じつることをいふに、いかなるものと、絶えていらへもなくて、〈開き開きてイ有〉寢たるが、うち驚くさまにて、「いづら。
  はや寢給へる」といひ笑ひて、人わろげなるまでもあれど、岩木のごとして、明しつれば、つとめて物もいはで帰りぬ。
  それより後、しひてつれなくて、例のことわり、これとしてかくしてなどあるもいとにくゝて、いひかへしなどして、こと絶えて、二十よ日になりぬ。
  あらたまれどもて〈とカ〉いふなる日のけしき、鶯の声などを聞くまゝに、淚のかぬきく〈四字うかぬときイ〉なし。
 

二月

  二月も十よ日になりぬ。
  聞く所に、十よなん通へると、ちぐさに人はいふ。
  つれづれとあるほどに、彼岸に入りぬれば、猶あるよには、しやうじせむとて、うはむしろたゞのむしろの淸きぞ敷きかへさすれば、塵拂ひなどするを見るにも、かやうの事は、思ひかけざりしものをなど思へば、いみじうて、

161
「うちはらふ 塵の〈み脱歟〉積る さむしろを
 なげく敷には しかじとぞおもふ」
  これよりやがて長さうじして、山寺に籠りなむに、さてもありぬべくば、いかで猶、世の人の絶え易く、そむく方にもやなりなましと思ひ立つを、人々「しやうじは、秋程よりするこそ、いとかしこかなれ」といへば、えさらず思ふべき。
  そふや〈三字さいふやうイ〉の事もあるを、これすごすべしと思ひて、立たむ月をぞ待つ。
  さばれ、よろづにこの世のことは、あいなく思ふを、こぞ春呉竹植ゑむとて乞ひしを、この頃奉らむといへば、「いさやありもとぐまじう思ひにたる世の中に、心なげなるわざをやしおかむ」といへば、「いと心せばき御事なり。
  行基菩薩は、行く末の人の爲にこそ実なるには心〈木イ〉は植ゑ給ひけれ」などいひておこせたれば、哀にありし所とて、見む人も見よかしと思ふに、淚こぼれて植ゑさす。
  二日ばかりありて、雨いたく降り、こちかぜはげしく吹きて、一筋二筋うちかたぶきたれば、いかでなほさせむ、雨間もがなと思ふまゝに、

162
「なびくかな 思はぬかたに 呉竹の
 うき世のすゑは かくこそありけれ」
  今日は二十四日、雨の脚いとのどかにてあはれなり。
  夕つけて、いと珍しき文あり。
  「いと怖しきけしきにおぢてなむ日頃経にける」などぞある。
  返り事なり〈しカ〉
  〈二十脱歟〉五日、猶雨やまで、つれづれと思はぬ山々とかやいふやうに、物の覚ゆるまゝに、盡きせぬものは淚なりけり。

163
「降る雨の あしとも落つる なみだかな
 こまかにものを 思ひ碎けば」
 

三月

  今は三月つごもりになりにけり。
  いとつれづれなるを忌も違へがてら、しばしほかにと思ひて、縣ありきの所〈倫寧家〉に渡る。
  思ひさはりし事も平かになりにしかば、長きしやうじ始めむと思ひ立ちて、物など取りしたゝめなどする程に、「かうじは猶や重からむ。
  ゆるされあらば暮にいかゞ」とあり。
  これかれ見開きて、「かくのみあくがらしはつるはいと悪しきわざなり。
  猶こたみだに、御返りやんごとなきにも」と騷げば唯「月も見なくに、あやしく」とばかりものしつ。
  〈よイ〉にあらじと思へばいそぎ渡りぬ。
  つれ〈きイ〉なきはそう〈ちイ〉に夜うち更けて見えたり。
  例のわきたぎることも多かれど、ほどせばく人騷がしき所に息もえ〈せイ〉ず、胸に手を置きたらむやうにて明しつ。
 

四月

  〈つイ〉とめてその事かの事ものすべかりければ急ぎぬるを〈なほイ有〉しもあるべき心を、又今日や今日やと思ふに、音なくて四月になりぬ。
  〈もイ無〉いと近き所なるを、みかどにて車立てり。
  「内やおはしまさむずらむ」などやすくもあらずいふ人さへあるぞいと苦しき。
  ありしよりも、まして心を切りくだき〈くカ〉心ちす。
  返り事をもなほせよなほせよといひし人さへ憂くつらし。
  ついたちの日、幼き人を呼びて、長きしやうじをなむ始むる。
  諸共にせよとありとて始めつ。
  我はた始めつ〈六字衍歟〉
  我はた始よりも、ことごとしうはあらず、たゞかはらけにかううちもりて、脇息の上に置きて、やがておしかゝりて、佛を念じ奉る。
  その心ばへ、「唯きはめてさいはひなかりける身なり。
  年頃をだに、世に心ゆるびなく、うしと思ひつるを、ましてかくあさましくなりぬ。
  とく死なさ〈如元〉せ給ひて菩提かなへ給へ」とこそ。
  行ふまゝに、淚ぞほろほろとこぼるゝ。
  あはれ、今樣は女も珠藪引きさげ、経引きさげぬなしと聞きし時、まさり顏なさる〈如元〉ものぞやもめには成るてふなどもときし心はいづちか行きけむ。
  よの明け暮るゝも心もとなくいとまなきまでそこはかともなけれど行ふ。
  とそて〈三字今ぞ心動くイ〉まゝに、あはれさいひしを聞く人いかにをかしと思ひ見るらむ。
  はかなかりける世を、などてさいひけむと思ふ思ふ行へば、片時淚浮ばぬ時なし。
  人目ぞいとまさり顏なく耻かしければ、おし隱しつゝ明し暮らす。
  二十日ばかり行ひたる夢に、我がかしらをとりおろして、ひたひを分くと見る。
  悪し善しもえ知らず。
  七八日ばかりありて、我が腹のうちなるくちなはありきて肝をはむ、これを治せむやうは、おもてに水なむ入るべきと見る。
  これもあやし善しも知らねどかくしるし置くやうは、かゝる身のはてを見聞かむ人、夢をも佛をも用ゐるべしや用ゐるまじやと定めよとなり。
 

五月

  五月にもなりぬ。
  我が家にとまれる人のもとより「おはしまさずとも、しやうぶ葺かではゆゝしからむを、いかゞせむずる」といひたり。
  「いでなにかゆゝしからむ。

164
 世の中に ある我が身かは わびぬれば
 更にあやめも 知られざりけり」
  とぞいひやらまほしけれど、さるべき人しなければ心に思ひ暮さる。
  かくていみはてぬればれいの所にわたりて、ましていとつれづれにてあり。
  ながめになり〈ぬ脱歟〉れば草ども生ひ立ちてあるを、行ひのひまに掘りあかたせなどする。
  あさましき人、我がかどより、例のきらきらしう追ひ散らして渡る日あり。
  行ひし居たるほどに、「おはしますおはします」とのゝしれば、例の如くぞあらむと思ふに、胸つぶつぶとはしるに、ひき過ぎぬれば皆人おもてをまぼりかく〈はイ〉して居たり。
  我はまして二時三時まで物もいはれず。
  人は「あな珍らか。
  いかなる御心ならむ」とて泣くもあり。
  わづかにためらひて、「いみじう悔しう人にいひ妨げられて、今までかゝる里住をして、又かゝる目を見つるかな」とばかりいひて胸のこがるゝ事はいふ限もあらず。
 

六月

  六月のつひたちの日、「御物忌なれど、みかどのしたよりも」とて文あり。
  怪しく珍らかなりと思ひて見れば「いた〈た衍歟〉みは今はも過ぎぬらむをいつまであるへにたる〈三字きイ〉すみ〈かイ有〉ぞ。
  いとびんなかめりしかばえ物せず。
  もの詣でゝけがらひ出で来てとゞまりぬ」などぞある。
  そこらにといまだきり〈かカ〉ぬやうもあらじと思ふに心うさもまさりぬれど念じてかへりごとかく、「いと珍しきはおぼめくまでなむ。
  こゝにはひさしくなりぬるをげにいかでかはおぼしよらむ。
  さても見給ひしあたりとは、思しかけぬ御ありきの度々になむ。
  すべて今まで世に侍る身の怠りなれば、さらにきこえず」とものしつ。
 

六月四日

  さて思ふに、かくだに思ひ出づるもむづかしく、さきのやうに悔しき事もこそあれ、猶しばし身をさりなむと思ひ立ちて、西山に例のものする寺あり、そちものしなむ、かの物忌果てぬさまにとて、四日出で立つ。
  物忌も、今日ぞあくらむと思ふ〈如元〉るなれば、心あわたゞしく思ひつゝ、物取りしたゝめなどするに、うはむしろのしたに、つとめてくふ藥といふもの、たゝう紙の中にさし入れてありしは、こゝに行き帰るまでありけり。
  これかれ見出でゝ、「これ何ならむ」といふを、取りてやがてたゝう紙の中にかく書きけり、

165
「さむしろの したまつ事も 絶えぬれば
 置かむかただに なきぞ悲しき」
  とて、文には「身をしかへねばとぞいふめれど、前わたりせさせ給はぬ世界もやあるとて、今日なむ。
  これもあやしき問はすがたりにこそなりにけれ」とて、幼き人のひたやごもりならむせうそこきこえにとて、ものするにつけたり。
  「もし問はるゝやうもあらば、これはかき置きて早くものしぬ、置いてなむ罷るべきとをものせよ」とぞいひ持たせたる。
  ふみうち見て、心あわたゞしげに思はれたりけり〈むカ〉
  返り事には、「よろづいとことわりにあれど、まづいくらむはなにへ〈いづくイ〉にぞ。
  頃は行ひにもびんなからむを、こたみばかりいふこと聞くと思ひて、とまれいひあはすべき事もあれば、唯今渡る」とて、

166
「あさましや のどかにたのむ とこのうへを
 うちかへしける 波の心よ
  いとつらくなむ」とあるを見れば、まいて急ぎまた〈さカ〉りてものしぬ。
  山ぢなでふ事なけれどあはれにいにしへ諸共にのみ時々はものせしものを、又やむことありし二三四日もこの頃のほどぞかし。
  宮仕も絶え籠りて、諸共にありしはなど思ふ。
  げに遙なる道すがら、淚もこぼれ行く。
  供人三人ばかり添ひていく。
  まづ僧坊におりゐて、見出したれば、前にませゆひわたして、また何とも知らぬ草ども繁き中にぼうたん草どもいと情なげにて、花散り果てゝ立てるを見るにも、萌ゆるうへはとよといふ事を、かへし覚えつゝいと悲し。
  湯などものして御道〈堂カ〉にと思ふ程に、里より心あわたゞしげにて人は〈思ふほど以下十八字流本無〉しり来たり。
  とまれる人の文あり。
  見れば「唯今殿〈兼家〉より御文もて、それがしなむ参りたりつる。
  さうして参り給ふ事あなり。
  かつかつ参りて、とゞめ聞えよ、唯今渡らせ給ふといひつれば、ありのまゝにはや出でさせ給ひぬ、これかれも追ひてなむ参りぬるといひつれば、いかやうに思してにかあらむとぞ御けしきありつるを、いかゞさは聞えむとありつれば、月頃の御ありさま、さうじのよしなどをなむ物しつれば、うち泣きて、とまれかくまれ、まづとくを聞えむとて、急ぎ帰りぬるを、さればろなうそこに御せうそくありなむ。
  さる用意せよ」などぞ、いひたるを見て、うたて心幼くおどろおどろしげにや、もしいな〈一字でたカ〉つらむ、いと物しくもあるかな、けがれなどせば明日明後日なども出でなむとするものをと思ひつゝ、湯の事急がして道にのぼりぬ。
  あつければ、しばし戸推しあけて見わたせば、塔いと高くて立てり。
  山めぐりて、ふところのやうなるに、木立いと繁く面白けれど、闇のほどなれば唯今暗がりてぞある。
  しよそ〈そ衍歟〉や行ふとて法師ばらさうぞけば、戸おしあけて念ずするほどに、時は山寺わざの貝四つふくるほどになりにたり。
  大門の方に「おはしますおはします」といひつゝ、のゝしる音すれば、あげたるすどもうちおろして見やれば、こまより、火ふたともしみともし見えたり。
  幼き人けいめいして出でたれば、車ながら立ちてある。
  「御迎になむ参りきつるを、今日までこのけがらひあればえおりぬを、いづくにか車はよすべき」といふに、いとものくるほしき心ちす。
  返りみ〈事カ〉に、「いかやうに思してかかく怪しき御ありきはありつらむ。
  今宵ばかりと思ふ〈い脱歟〉み侍りてなむのぼり侍りつれば、ふじやうのこともおはしますなれば、いとわりなかるべき事になむ。
  夜更けて侍りぬらむ。
  とく帰らせ給へ」といふを始めて行きかへる事度々になりぬ。
  一丁の程をいしばしおりのぼりなどすれば、ありく人〈道綱〉こうじて、いと苦しうするまでなりぬ。
  これかれなどは「あないとほし」など弱き方ざまにのみいふ。
  このありく人、「すべてきんぢいと口をし。
  かばかりの事をば、いひなさぬはなどぞ。
  御気色悪し」とて、なきにも〈も衍歟〉なく。
  「されどなどてかに更にものすべき」といひはてつれば、「よしよしかくけがらひたれば、とまるべきにもあらず。
  いかゞはせむ。
  車かけよとあり」と聞けば、いと心安し。
  ありきつる人は、「御送りせむ。
  御車のしりにてまきる〈二字からむカ〉心更にまたは詣で来じ」とて泣く泣く出づれば、これをたのもし人にてあるにいみじうもいふかなと思へども、ものいはであれば人など皆出でぬと見えてこの人は帰りて御送せむとして〈て衍歟〉つれど、きんぢはよからむ時にをとて、おはしましぬ」とてしゝ〈よゝ歟〉と泣く。
  いとほしう思へど、あひしれそ〈ごカ〉とをさへかくてやむやうもあらじなどいひならさむ。
  時は八つになりぬ。
  道はいと遙なり。
  「御供の人はとりあひけるに從ひて、京のう〈供の以下十七字流本無〉ちの御ありきよりも、いとすくな〈か脱歟〉りつる」と人々いとほしがりなどする程に、夜は明けぬ。
  京へ物しやるべき事などあれば、人出し立つ。
  大夫「よべのいとおぼつかなきを御かどのへんにて、御けしきも聞かせむ」とてものすれば、それにつけて文物す。
  「いとあやしう、おどろおどろしかりし御ありきの、夜もや更けぬらむと思ひ給へしかば、たゞ佛をおくり聞えさせ給へとのみ祈り聞えさせつる。
  さてもいかに覚えたる事ありてかはと思う給へれば、いまたあまたいたくて罷り帰らむ事も難かるべきこゝちしける」など、こまかに書きて端に、「昔も御覽ぜし道とは見給へつゝ、罷り入りしかどたぐひなく思ひやり聞えさせし。
  今いととくまかでぬべし」と書きて、苔ら着いたる松の枝につけてものす。
  曙を見れば、霧か雲かと見ゆるもの立ち渡りてあはれに心すごし。
  晝つ方出でつる人帰り来たり。
  「御文は出で給ひにければ、をのこどもに預けて来ぬ」とものす。
  さらずともかへりごとあらじと思ふ。
  さて晝は日一日例の行ひをし、夜はあかし〈二字るじカ〉の佛を念じ奉る。
  めぐりて山なれば晝も人や見むの疑なし。
  すだれ卷き上げてなどあるに、この時過ぎたる鶯の、鳴き鳴きて〈木イ有〉のたちがらしに、人く人くとのみいちはやくいふにぞすだれおろしつべく覚ゆる。
  そもうつし心もなきなるべし。
  かくて程もなくふじやうのことあるを、出でむと思ひ置きしかど、京は皆形ことにいひなしたるには、いとはしたなき心ちすべしと思ひて、さし離れたるやにおりぬ。
  京よりをばなど思しき人ものしたり。
  「いとめづらかなるすまひなれば、しづ心もなくてなむ」〈などイ有〉語ひて、五なるほど六〈五六日ふる程イ〉月さかりになりにたり。
  木蔭いとあはれなり。
  山陰の暗がりたる所を見れば、ほたかし〈四字ほたるはおどろくまでてらすめり里にてむかしイ〉もの思ひうすかりし時二声と聞くとはなしにと、腹だゝかりし時鳥もうち解けて鳴く。
  水鷄はそこと思ふまでたゝく。
  いといみじげさまさるもの思ひのすみかなり。
  人やりならぬわざなれば、問ひとぶらはぬ人ありとも、ゆめにつらくなど思ふべきならねば、いと心安くてあるを、唯かゝるすまひをさへせむとはかまへたりける身の宿世ばかりをながむるにそひて、悲しき事は日頃の長しやうじしつる人の、たのもしげなけれど、みゆづる人もなければ、かしらもさし出でず。
  松の葉ばかりに思ひなりにたる身の同じさまにてくはせたれど、えもくひやらぬを見るたびにぞ淚はこぼれまさる。
  かくてあるはいと心安かりけるを唯淚もろなるこそいとくるしかりけれ。
  夕暮の入相の声ひぐらしのね、めぐりの小寺ちひさき鐘ども、我も我もとうちたゝきなどし、前なる岡に神の社もあれば、法師ばら讀経〈など以下廿一字流本無〉まつりなどする声を聞くにぞいとせむ方なくものは覚ゆる。
  かく不淨なるほどは、夜晝の暇もあればはしの方に居て詠むるを、この幼き人「入りね入りね」といふけしきを見れば、物を深く思ひ入れさせじとなるべし。
  「などかくはのたまふ。
  猶いとあ〈らイ有〉じ。
  ねぶたくも侍り」などいへば、「ひた心になくもなりつべき身を、そこにさはりて今まであるを、いかゞせむずる。
  世の人のいふなるさまにもなりなむ。
  むげに世になからむよりは、さてあらばおぼつかなからむほどに通ひつゝなき物に思ひなして見給へ。
  かくていとありぬべかりけりと、身一つに思ふを、唯いとかくあしき物して、物を参れば、いといたく瘦せ給ふを見るなむいといみじき。
  形ことにてもきやうにある人こそ〈いみじきかたちことにてもこそ十四字流本有恐重複〉はと思へど、それなむいともどかしう見ゆることなれば、かくかく思ふ」といへば、いらへもせでさくりもよゝになく。
 

六月五日

  さて五日ばかりにきよまはりぬればまた堂に上りぬ。
  日頃物しつる人〈叔母〉今日ぞ帰りぬる。
  車の出づるを見やりてつくづくとたてれば、木蔭にやうやういくも、いと心すごし。
  見やりても詠めたてりつる程に、けやあがりぬらむ、心ちいと〈あしうイ有〉おぼえてわざといと苦しければ山籠りしたるぜじ呼びて護身せに〈一字さすカ〉る。
  夕暮になるほどに、念ず声に加持したるを、あないみじと聞きつゝ思へば、むかし我が身にあらむこととはゆめに思はで、あはれに心すごき事とてはた高やかに思ふにも、うき心ちのあまりにいひにもいひて、あなゆゝしとかつは思ひしさまに一つ違はず覚ゆれば、かゝらむとて、物思はせいは〈かイ〉でなりけると、思ひ臥したるほどに、我が元のはらから一人また人も帰りも〈も衍歟〉にものしたり。
  這ひ寄りてまづいかなる心ちぞとさとりて、思ひがたくまゐる日よりも、山に入り立ちてはいみじく物のおぼえはべることとてふだんすまるなりとて、よゝと泣く。
  人やりにもあらねば、念じ返せどえ堪へず。
  泣きみ、わかる〈わらひカ〉み、よろづの事をいひあかして、明けぬれば「るゐしたる人いそぐ事あるを今日は帰りて後に参り侍らむ。
  そもそもかくてのみやは」などいと心ぼそげにいひても、かすかなるさまにて、帰る心ち、けしうはあらねば、例の見送りて詠め出したるほどに、またをさなく〈四字おはすおはすイ〉とのゝしりてくる人あり。
  さならむと思ひてあれば、いとにぎはゝしく、さと心ちしてうつくしき者ども、さまざまにさうぞき集りて、二車ぞあ〈る脱歟〉馬どもなどふさに引き散し、かいて騷ぐ。
  破子や何やとふさにあり。
  誦経うちし、哀げなる法師ばらに、かたびらや布やなど、さまざまにくばり散らして、物語のついでに、「多くは殿〈兼家〉の御もよほしにてなむ詣で来つる。
  きう〈さらイ〉して物したりしかど出で〈ず脱歟〉なりにき。
  又物したりともさこそあらめ、おのが物せむにはと思へば、えものせず。
  のぼりてあがちたてまつれ。
  法師ばらにも、いとたいだいしく経敎へなどすなるは、なでふことぞとなむのたまへりし。
  かくてのみはいかなる人かある。
  世の中にいふなるやうに、ともかくも限になりておはせば、いふかひなくてもあるべし。
  かくて人も仰せざらむ時、帰り出でゝゐ給へらむも、をこにぞあらむ。
  さりとも今一度はおはしなむ。
  それにさへ出で給はずばいと人笑へにはなりはて給ふらむ」など、ものほこりかにいひのゝしるほどに、西の京に侍ふ人々こゝにおはしましぬとて、奉らせたるとて、天下のものふさにあり。
  山の末と思ふやうなる人のために遙ぞあるに、ことなるにも身のうきことはまづ覚えけり。
  夕影になりぬれば急ぐとあればえひきも聞えず、おぼつかなくはあり、「猶いとこそあしけれ。
  さていつともおぼさぬか」といへば「唯今はいかにもいかにも思はず。
  今物すべき事あらばまかでなむ。
  つれづれなるこゝろなればにこそあれ」などゝて、とても、出でむも〈如元〉行ひみむつき〈一字らむイ〉
  さや思ひなるとて、出さじと思ふなる人のいはするならむ、さとらでも何わざをかせむずると思へば、「かくてあべきほどばかりと思ふなり」といへば〈かくて以下二十字流布本無〉「こもなくおぼすにこそあなれ。
  萬の事よりも、この君のかくそゞろなるしやうじをしておはするよ」と、かつうち泣きつゝ、車にものすれば、こゝなるこれかれ、送りに立ち出でたれば、「思ふどちも皆かんだうにあたり給ふなり。
  よく聞えてはや出し奉り給へ」などいひ散らして帰る。
  この度のなごりは、まいていとこよなくさうざうしければ、我ならぬ人はほとほとなに〈きイ〉ぬべく思ひたり。
  かくおもて〈ひカ〉おもて〈ひカ〉にとざまかくざまにいひなさるれど、我が心はつれなくなむありける。
  悪しとも善しともあらむを辭むまじき人はこの頃きやうに物し給はず。
  文にてかくてなむとあるにはたよかなり。
  忍びやかにてさて暫しも行はるとあれば、いと心安し。
  人はなほし〈し衍歟〉すかしがてらに、さもいはるゝにこそあらめ、限なき腹を立つとかゝる所を見置きて帰りにしまゝにいかにともおとろ〈づイ〉れて〈て衍歟〉ず、いかにもいかにもなりなば、しるべくやはありけるなど思へば、これより深く入るともぞおぼえける。
 

六月十五日

  今日は十五日、いもひなどしてあり。
  からく催していをなどものせよとて、けさ京へ出し立てゝ、思ひながむるい〈ほカ〉どに、空暗き松風音高くて、我〈神イ〉こほこほとなき〈りイ〉今しまた降りくべかるらむものを、道にて雨もや降らむ、神もや鳴りまさらむと思ふに、いとゆゝしう悲しくて佛に申しつればにやあらむ、晴れて程もなく帰りたり。
  「いかにぞ」と問へば「雨もやいたく降り侍ると思へば、神の鳴りつる音になむ出でゝまうで来つる」といふを聞くにもいとあはれにおぼゆ。
  〈たイ有〉びのたよりにぞ文ある。
  「いとあさましくて、帰りにしかば、又々もさこそはあらめ、うく思ひはてにためればと思ひてなむ。
  若したまさかに出づべき日あらば吿げよ。
  迎へはせむ。
  怖しき物に思ひ果てにためれば、近くはえ思はず」などぞある。
  又人の文どもあるを見れば、「と〈さイ〉てさのみやはあらむとけ〈すカ〉る。
  日の経るまゝにいみじくなむ思ひやる」などさまざまに問ひたり。
  又の日返り事す。
  さてのみやはとある人のもとに、「かくてのみとしも思ひ給へねど、詠むるほどになむ〈如元〉、はかなくて過ぎつ。
  日藪ぞつもりにける。

167
 かけてだに 思ひやはせし 山深く
 入りあひの鐘に 音を添へむとは」
  又の日かへりごとあり、「事は書きあふべくもあらず。
  入相になむ肝碎く心ちする」とて、

168
「いふよりも 聞くぞ悲しき 敷島の
 世にふるさとの 人やも〈なイ〉になり〈如元〉
  とあるをいとあはれに悲しくながむる程に、とのゐの人藪多ありしなかに、いかなる心あるにかあらむ、こゝにある人の許に、いるをう〈四字いひおこカ〉せたるやう、「いづれもおろかに思ひ聞えさせざりし御すまひなれど、まかでしよりは、いとゞ珍らかなるさまになむ思ひ出で聞えさする。
  いかにおもとたちも思し見奉らせ給ふらむ。
  賤しきもといふなれば、すべてすべて聞えさすべき方なくなむ。

169
 身を捨てゝ うきをも知らぬ 旅だにも
 山路にもふかく 思ひこそ入れ」
  といひたるを、もて出でゝ讀み聞かするに、又いといみじ。
  かばかりの事も、又いとかく覚ゆる時あるものなりけり。
  「はや返ごとせよ」とてあれば「をだ卷はかく思ひ知る事も難き事よと思ひつるを、御まへにもいとせきあへぬまでなむ思しためるを見奉るも唯推し量り給へ。

170
 思ひ出づる 時ぞかなしき 奥山の
 このしたつゆの いとゞしげきに」
  となむいふめる。
  大夫〈道綱〉「一日の御かへりいかで賜はらむ。又かんだうありなむをもて参らむ」といへば、
  「なにかは」とて、「かく即ち聞えさすべく思うたまへしを、いかなるにかあらむ、詣で難くのみ思ひてはんべめるたよりになむまかでむことは、いつとも思う給へわかれねば、聞えさせむ方なく」など書きて「何事にかありけむ、御はしがきはいかなる事にかありけむと思う給へ出でむに、ものしかんべければ更に聞えさせず。あなかしこ」
  など書きて、出し立てたれば、例の時しもあれ雨いたく降り神いといたく鳴るを、胸ふたがりて歎く。
  少し静りて暗くなる程にぞ帰りたる。
  物のいと恐しかりつるありさまのわたりなどいふにぞ、いとぞいみじき。
  返り事を見れば、「一夜の心ばへよりは、心よわげに見ゆるは、行ひ弱りにけるかと思ふにもあはれになむ」などぞある。
  その暮れて又の日なま〈一字るべイ〉し。
  をばだつ人とぶらひに物したり。
  破子などあまたあり。
  「まづいかで、かくは何事などせさせ給ふにかあらむ。
  ことなきことあらでは、いとびんなきわざなり」といふに、心に思ふやう身のある事を、かきくづしいふにぞ「いとことわり」といひなりて、いといたく泣く。
  日暮し語らひて、いと夕暮の程、例のいみじげなる事どもいひて、鐘の声どもし侍る程にぞ帰る。
  心深く物思ひしる人にもあれば、誠に哀とも思ひいくならむと思ふに、又の日、旅に久しくもありぬべきさまの物どもあまたある。
  心には、いひ盡すべくもあらず、悲しう哀なり。
  帰りし空なかりし言の葉の中に「こだかきみちを分け入りけむと見しまゝに、いといといみじうなむ」などよろづ書きて、

171
「世のなかの 世のなかならば 夏草の
 しげき山邊も たづねざらまし〈著者叔母〉
  物を、かくておはしますを見給へおきて、帰ることゝ思う給へしに、寢ぬる目も皆くれ惑ひてなむ。
  〈がイ〉きみ深く物思し乱る〈べ脱歟〉かめるかな。

172
 世の中は おもひの外に なるたきの
 ふかき山路を たれ知らせけむ」
  など、すべてさし向ひたらむやうに、こまやかに書きたり。
  鳴瀧といふぞこの前より行く水なりける。
  返りごとも思ひゐたるかぎり物して、「たづねたまへりしも、げにいかでと思う給へりし」とて〈たまへり以下二十字流本無〉

173
「物おもひの 深さくらべに 来て見れば
 夏のしげりも 物ならなくに〈道綱母〉
  まかでむ事は、いつともなけれど、かくのたまふ事なむ、思う給へ煩ひぬべければ、

174
 身ひとつの かくなる瀧を 尋ぬれば
 さらにかへらぬ 水もすみけり
  と見ればためしある心ちしてなむ」などものしつ。
  又ないしのかんの殿〈貞観殿登子〉よりとて賜へる御かヘりに、心細くかきかきて、うはぶみに「西山より」といる〈ひイ〉たるを、いかゞ思しけむ、又ある御かへりに、「鳥羽のおほさとより」とあるを、いとをかしと思ひけむも、いかなる心々に持たるにかありけむ。
  かくしつゝ日頃になり、詠めまさるに、ある修行者、御嶽より熊野へ大峯通りに越えけるがごとなるべし、

175
「外山だに かゝりけるをと しら雲の
 ふかき心は 知るも知らぬも」
  とて落したりけり。
  かくなんと見つゝ経る程に、ある人晝つ方、大門の方に馬のいなゝく声して、人のあまたあるけはひしたり。
  木のまより見通しやりたれば、姿なほ人あまた見えて、步み步みあるへ〈三字来るありイ〉
  中に関白殿〈伊尹〉のともえのすけ〈六字兵衞佐イ〉と申しけるとかやなめりと思へば、大夫〈道綱〉よりか〈三字よびイ〉出して、「今まで聞えさせつ〈ざイ〉りつるかしこまり、取り重ねてとてなむ参り来たる」といひ入れてき蔭に立り〈ちイ〉やすらふさま、きやう覚えてひとをかしかめり。
  このことばゝ後にといひし人ものぼりあればそれに猶しもあらぬやうにあれば〈それになほしもあらぬやうにあれば十六字原本重複恐衍〉いたく気色ばみ立てり。
  「返り事はいと嬉しきみ名なるを、早く此方に入り給へ。
  さきざきの御不しやうはいかで事無かるべく祈り聞えむ」と物したれば、步み出でゝ高欄におしかゝりて、まづてうづなどものしてゐ〈一字入りイ〉たり。
  萬の事どもいひもてゆくに「昔こゝは見給ひしは、覚えさせ給ふや」と問へば、「いかゞは。
  いとたしかにおぼえて、今こそかく疎くても候へ」などいふを思ひまはせば、物もいひさして声かはるこゝちすれば、暫しためらへば、人もいみじと思ひて、とは〈みイ〉に物もいはず。
  さて「御こゑなどかはらせ給ふなるは〈いとかはらせたまふなるは十二字原本有恐衍〉いとことわりにはあれど、更にかくおぼさじ。
  世にかくて止み給ふやうはあらじなど、ひがざまに思ひなしてにやあらむ」〈と脱歟〉いふ。
  「かく参らば、よく聞え合せよなどのたまひつる」といへば「などか人のさはのたまはすとも、今に入りなむ」などいへば〈などか以下廿五字流布本無〉、さらば同じくは今日出でさせ給へ。
  やがて御供仕うまつらむ。
  まづはこの大夫のまれまれ京に物しては日だに〈か脱歟〉たぶけば山寺へと急ぐを見給ふるに、いとなむゆゝしき心ちし侍る」などいへど、気色もなければ、しばしやすらひて帰りぬ。
  かくのみ出で煩ひつゝ人もとぶらひつきぬれば、又は問ふべき人もなしとぞ心のうちに覚ゆる。
  さて経るほどに、京のこれ〈かれイ有〉の許より、文どもあり。
  見れば、「今日殿〈兼家〉おはしますべきやうになむ聞く。
  〈こイ〉たみさへおりずば、いとつく〈べイ〉たましきさまになむ世の人も思はむ。
  又はた、世に物し給はじ。
  さらむ後に物したらむ、いかゞ人笑へならむ」と人々同じ事どもを物したるに、いとあやしき事にもあるかな、いかにせむ、こたみは世にしぶらすべくも物せじと思ひ騷ぐ程に、我が賴む人、物よに〈りイ〉たゞ今のぼりけるまゝに来て、天下の事語らひて「げにかくてもしばし行はれよと思ひつるを、を〈をイ無〉この君いと口惜しうなり給ひにけり。
  はや猶物しね。
  けふも日ならば諸共にものしね。
  今日も明日も迎へに参らむ」など、うたがひもなくいはるゝに、いと力なくおもひわづらひぬ。
  釣するあまのうけばかり、思ひ乱るゝにのゝしりて物に似ぬ。
  さなめりと思ふに心ち惑ひたちぬ。
  こたみはつゝむに〈こイ〉となく、さし步みて、たゞ入りに入れば、侘びて儿帳ばかりを引き寄せて、はく〈たイ〉かくるれど何のかひなし。
  かうもりすゑすゝれきあげへ〈七字みすまきあげ経イ〉うち置きなどして〈たるイ〉を見て「あな恐ろし。
  いとかくは思ひ〈はカ〉ずこそありつれ。
  いみじくけうとくてもおはしけるかな。
  もし出で給ひぬべくやと思ひてまうで来つれどかへりては罪得べかめり。
  いかに大夫、かくてのみあるをばいかゞ思ふ」と問へば、「いと苦しう侍れどいかゞは」とうちうつぶして居たれば、「あはれ」とうちいひいひて、「さらばともかくも、きむぢが心〈にイ有〉、出で給ひぬべく〈ばイ有〉車寄せさせよ」といひも果てぬに、立ち走りて散りかひたる物ども唯取りに包み、袋に入るべきは入れて車どもに皆入れさせ、引きたるぜさうなども放ち、たくり〈一字はへイ〉たる者ども、みしみしと取り拂ふ。
  ふり拂ふに、こゝちはあきれて、あれか人かにてあれば、人は目をくち〈はイ〉せいとよくゑみてまは〈ぼカ〉り居たるべし。
  「このことかくすれば出で給ひぬべきにこそはあめれ。
  佛にことのよし申し給へ。
  例の作法なる」とて、天下のさるがうことをいひのゝしらるめれど、ゆめに物もいはれず。
  淚のみうけれど、念じかへしてあるに、車寄せていと久しくなりぬ。
  申の時ばかりに物せしを、火ともすほどになりにけり。
  つれなくて動かねば、「よしよし我は出でなむ。
  きひぢ〈道綱〉にま〈か脱歟〉すとて立ち出でぬれば、とくとくと手を取りて、泣きぬばかりにいへば、いふかひもなきに出づる心ちぞさらに我にもあらぬ。
  大門引き出づれば、乗りくは〈は脱歟〉りて、道すがらうちも笑ひぬべき事どもを、ふさにあれど、ゆめぢかものぞいはれぬ。
  このもろともなりつる人〈大夫〉も、暗ければあへなむとて、同じ車にあれば、それぞ時々いらへなどする。
  はるはると到る程に、亥の時になりにたり。
  京には、晝、さるよしいひたりつる人々、心づかひしちりかいはき、戸どもあけたりければ、われにもあらずながらおりぬ。
  心も苦しければ、儿帳さし隔でゝ、うち臥す所にこゝにある人、ひやうと寄り来てふすといふ。
  「なでしこの種取らむとし侍り〈し脱歟〉かど根もなくなりにけり。
  呉竹も一すぢ倒れて侍りし。
  つくろはせしかど」などいふ。
  唯今いはでもありぬべき事かなと思へば、いらへもせであるに、ねぶるかと思ひし人〈兼家〉、いとよ<聞きつけて、このたびとり〈四字ひとイ〉車にて物しつる人の、さうじを隔でゝあるに、「聞い給ふや。
  こゝにことあり。
  この世をそむきて、家を出でゝ、菩提を求むる人に、唯今こゝなる人々がいふを聞けば、なでしこはなでおほしたるや、くれにければたてやり〈十字呉竹はたてたりイ〉やとはいふ物か」と語れば聞く人いみじう笑ふ。
  あさましうをかしけれど露ばかり笑ふ気色も見せず。
  かゝるに夜やうやうなかばばかりになりぬるに、「方はいづかたかふたがる」といふに、藪ふればうべもなくこなたふたがりたりけり。
  「いかにせむ。
  いとからきわざかな。
  いざ諸共に近き所へ」などあれば、いらへもせで、あな物くるほし、いとたとしへなき樣にもあるべかなるかなと思ひ臥して、更に動くまじければ、さふりはへこそすべかなれ、方明きなばこそは参りくべかなれと思〈いイ〉ふに、例の人「ゆか〈二字六日イ〉の物忌になりぬべかりけり」など悩ましげにいひつゝ出でぬ。
  つとめて文あり。
  「夜更けにければ、心ちいと悩ましくてなむ。
  いかにぞ。
  はやとしみをこそし給ひてめ。
  この大夫のさもふつゝかに見ゆるかな」などぞあめる。
 

七月

  何かは、かばかりぞかしと思ひ離るゝものから物忌はてむ日いぶかしき心ちぞ添ひて覚ゆるに、六日を過ごして七月三日になりにたり。
  「晝つ方渡らせ給ふべし。
  こゝに侍へさ〈とイ〉なむ仰事ありつる」といふ。
  物どもゝ来たれば、これかれ騷ぎて、日頃みだれかはしかりつる所々をさへ、こほこほと造るを見るに、いと傍いたく思ひ暮すに、暮れはてぬれば来たる。
  をのこども「御車のさうぞくなども、みなしつるを、など今まではおはしまさゞらむ」などいふ程に、やうやう夜もふけぬ。
  ある人々「猶あやし。
  いざ人して見せに奉らむ」などいひて、見せに遣りたる人帰りにて、「唯今なむ御車のしやうぞく解きて、みずゐしんばらも皆乱れ侍りぬ」といふ。
  さればよとぞ又思ふに、はしたなき心ちすれば、思ひ歎かなど〈二字るゝことイ〉更にいふ限なし。
  山ならまし時、かく胸ふたがる目を見ましやと、こよなく思ふ。
  ありとある人も、あやしあさましと思ひさわぎあへり。
  事ども三夜ばかりに来ずなりぬるやうにぞ見えたる。
  いかばかりのことにてとだに聞かば、やすかるべしと思ひ乱るゝ程に、まらうどぞ物したる。
  心ちのむつかしきにと思へど、とかく物いひなどするにぞ少し紛れたるぞ。
  さて明けぬれば、大夫「何事によりてにかありけむと、参りて聞かむ」とて物す。
  「よべは悩み給ふ事なむありける。
  俄にいと苦しかりしかばなむえ物せずなりにしとなむのたまひつる」といふしもぞおいかゝりにあるべかりけるとぞ覚えたる。
  さはりにぞあるを、もしとだに聞かば、何を思はましと思ひむつかる程に、ないしのかんの殿〈登子玉葉作潅子〉より、御文あり。
  見れば、まだ山さかとおぼしくて、いとあはれなるさまにのたまへり。
  「などかはさびしげさまさるすさびをもし給ふらむ。
  されどそれにもさはり給はぬ人もありと聞くものを、もて離れたるさまにのみいひなし給ふめれば、いかなるぞと覚束なきにつけても、

176
 妹背川 むかしながらの なかならば
 人のゆきゝの かげは見てまし」
  御かへりには、「山のすまひは秋の気色もこ〈みイ〉給はむとせしに、又憂き時のやすらひにて中空になむ。
  しげさは知る人もなしとこそ思う給へし〈如元〉
  いかに聞し召したるにか、おぼめかせ給ふにもげにまた、

177
 よしや身の あせむなげきは 妹背山
 なか行く水の 名もかはりけり」
  などぞ聞ゆる。
  かくて、その日をひまにて、又物忌になりぬと聞く。
  明くる日こなたふたがりたる。
  またのひとひを見むかしと思ふ心こりずまなるに、夜更けて見えられたり。
  一夜の事どもしかじかといひて「今宵だにとて急ぎつるを、忌みたるべきに、皆人物しつるを出したてゝ、やがて見すてゝなむ」など、罪もなくさりげもなく、いふかひもなし。
  明くれば、知らぬところに物しつる人々、いかにとてなむ出で来ぬ。
  それより後も七八日になりぬ。
  あがたあるきの所は、御ぜんなどあれば、諸共にとて愼む所にわたりぬ。
  所かへたるかひなく午の時はかりに俄にのゝしる。
  あさましや。
  「誰かあなたのかどはあけつる」などあるじも驚き騷ぐに、ふと這ひ入りて、日頃例のかうもりすゑて行ひつるも俄に投け散らし珠藪もまきにうちあげなど、らうがはしきに、いとぞあやしき。
  その日のどかにくらして又の日帰る。
  さて七八日ばかりありて、初瀬へ出で立つ。
  巳の時ばかり家を出づ。
  人いと多く、きらきらしうて物すめり。
  未の時ばかりに、このあぜちの大納言〈師氏〉の領し給ひし、宇治の院に至りたり。
  人はかくてのゝしれど、我が心ははつかにて、〈みイ有〉めぐらせば、あはれに心に入れてつくろひ給ふと聞きし所によ〈二字ぞかイ〉し。
  この月にこそは、御はてはしつらめ、程なく荒れにたるかなと思ふ。
  こゝ〈二字とこ〉ろの預りしけるものゝ、まうけをしたれば、建てたるものゝこ〈主イ〉のなめりと見る物、とばり、すだれ、網代屛風、黑がいの骨に朽葉のかたびらかけたる几帳どもゝ、いとつきづきしきもあはれとのみ見ゆる。
  こうじにたるこ〈にイ〉風は拂ふやうに吹きて、頭さへ痛きまであれば、かざかくれ作りて見出したる。
  やゝ木くらくなりぬれば、鵜船ども篝火さし燈しつゝ一人はさしいきたり。
  をかしく見ゆる事限なし〈頭さへ以下六十六字流布本無〉
  頭の痛さの紛れぬればはしのす卷きあげて、見出して、あはれ我が心とまうでし旅、かへさにあがたの院にぞゆきかへし〈りイ〉せしこゝに〈ろ脱歟〉になりけり。
  見しあぜち殿のおはして物など仰せ給ふめりしは哀にもありけるかな、いかなる世に、さだにありけむと思ひ続くれば、目もあはで夜中過ぐるまでながむる。
  鵜船どもゝ、のぼりくだり行きちがふを見つゝは、

178
「か〈うイ〉へしたと〈にイ〉 こがるゝことを たづぬれば
 胸のほかに〈二字のほイ〉は 鵜船なりけり」
  など覚えて、猶見れば、曉がたには、ひきかへて、いさりといふものをぞする。
  又なくをかしくあはれなり。
  明けぬれば、急ぎ立ちて行くに、立野の池、泉川、はじめ見しには違はであるを見るも哀にのみ覚えたり。
  よろづにおぼゆる事いと多かれど、物騷がしくにぎはしきに紛れつゝあり。
  〈かイ〉うだての森に車とゞめて、破子などものす。
  皆人の口うまげなり。
  春日へとて過ぐ。
  院のいとむつかしげなるに、とゞまりぬる。
  〈そイ〉れより立つほどに、雨風いみじく降りふゞく。
  三笠山をさして行くかひもなく濡れ惑ふ人多かり。
  からうじて詣でつきてみてぐら奉りて初瀬ざまに趣く。
  飛鳥にみあかし奉りければ、唯くぎぬきにくる〈ま脱歟〉を引き懸けて見れば木立いとをかしき所なりけり。
  庭淸げにゐもいと〈四字みもひもイ〉飮まゝほしければ、うべやどりはすべしといふらむと見えたり。
  いみじきあめいやまさりなればいふかひもなし。
  からうじてははいう〈四字つばいちイ〉にいたりてれいのこととかくして出で立つほどに日も暮れはてぬ。
  雨や風猶やまず。
  火ともしたれど、吹きけちていみじく暗ければ、夢の道の心ちしていとゆゝしく、いかなるにかとまで思ひ惑ふ。
  からうじて祓へ殿に至り給ひければ、雨も知らず。
  唯水の声のいとはげしきを、うきぬなりと聞く。
  御堂にものする程に、こゝちわりなし。
  おぼろげに思ふ事多かれどかくわりなきに、物覚えずなりにたるべし。
  何事も申さで明けぬといへど、雨猶おなじやうなり。
  夜べに懲りてむげに晝こ〈にイ〉なしつ。
  音せで渡る森の前を、さすがにあ〈な脱歟〉かまあ〈な脱歟〉かまと唯手を搔きおもてを振り、そこらの人のあぎとふやうにすれば、さすがにいとせむ方なくをかしく見ゆ。
  つば市に帰りて、としみなどいふ〈な脱歟〉れど、我は猶しやうじなり。
  そこより始めてあるじする所行きもやらずあり。
  物かづけなどするに、手を盡してものすめり。
  「泉河水まさりたり。
  いかに」などいふほどに「字治より舟の上手具して参れり」といふがわづらはし。
  例のやうにて、ふとわたりなど男方には定むるを、女方に猶舟にてをとあれば、「さらば」とて皆乗りて遙々と下る。
  心ちいとらうあり。
  楫取より始め歌ひのゝしる。
  字治近き所にて、又車に乗りぬ。
  さて例の所には、方悪しとてとゞまりぬ。
  さか〈るイ〉用意したりければ、鵜飼藪を盡して、一河浮きて騷ぐ。
  「いざ近くて見む」とて岸づらに物建て、しき〈ぢイ〉など取りもていきて、おりたれば、足の下に鵜飼ち〈つイ〉かう〈ふ〉〈うイ〉つしどもなどまだ見ざりつる事なればいとをかしう見ゆ。
  きこか〈うカ〉じたる心ちなれて〈どイ〉夜の更くるも知らず、見入りてあればこれかれ「今は帰らせたびなむ。
  これよりほかに、今はなきを」などいへば「さわき〈二字ればイ〉」とてのぼりぬ。
  さてもあかず見遣ればい〈例イ〉の夜一夜ともしわたる。
  いさゝかまどろめばふなばたをこほこほと打ち叩く音に我をしも驚かすとん〈二字らむイ〉やうにぞさん〈二字おぼゆイ〉る。
  明けて見ればよるの鮎いと多かり。
  それよりさべき所々に、遣りあがつめるも、あらましきわざなり。
  ひよい〈三字ひるつイ〉程にたる〈らイ〉しかば、暗くぞ京に来着たる。
  我もやがていづくと思ひつれど、人もこうじたりとて、えものせず。
  又の日もひるつ方、こゝなるに文あり。
  「御迎にもと思ひしかども、こゝろの御ありきにもあらざりければ、びんなく覚えてなむ。
  例の所にか、唯今物に」などあれば、人々はやばやとそゝのかして渡りたれば即ち見えたり。
  かうしもあるは昔のことをたとしへなく思ひ出づらむとてなるべし、つとめてはかへりあるじの近くなりたればなどつきづきしういひなしつ。
  あしたのかごとがちになりにたるも、今更にと思へば悲しうなむ。
 

八月

  八月といふは明日になりにためれば、それより四日例の物忌とかあきて二度ばかり見えたり。
  かへりあるじははてゝ、いと深き山寺に修行せさすとてなどきて〈くイ〉
  三四日になりぬれど音なくて雨いといたく降る日、「心細げなる山住は人とふものとこそ聞きしか。
  さらぬは、つらき物といふ人もあり」とある。
  返りごとに「聞ゆべきものとは、人より先に思ひよりながら、〈つらきイ有〉物と知らせむとてなむ露よりながらものと知せむとてなむ〈露より以下十六字衍歟〉
  露けさはなかりしもあらじと思う給ふれば、よその雲むら〈三字村雲イ〉もあいなくなむ」とものしけり。
  又も立ちかへりなどあり。
  さて三日ばかりの程に、「今日なむ」とてようさり見えな〈たイ〉り。
  常にしもいかなる心の、え思ひあへずなりにたれば、我らつれなければ人はた罪もなきやうにて七八日の程にぞ僅に通ひたる。
 

長月

  長月のつごもりいと哀なる空のけしきなり。
  まして昨日今日風いと烈しく、時雨うちしつゝ、いみじく物哀に覚えたり。
  遠山を眺めやれば、こんざうを塗りたるとやいふやうにて、霰降るらしとも見えたり。
  「野のさまいかにをかしからむ。
  見がてら物に詣でばや」といへば、前なる人「げにいかにめでたからむ。
  初瀬にこの度は忍びたるやうにて、おぼし立てよかし」などいへば、「こぞも試みむとていみじげにて詣でたりしに、石山の御心をまづ見果てゝ、春つ方さも物せむ。
  そもそもさまでやは。
  猶うくて命あらむ」など、心細うていはる。

179
「袖ひづる 時をだにこそ なげきしか
 身さへ時雨の ふりも行くかな」
  すべて世にふる事、かひなくあぢきなき心ちいとする頃なり。
  さながら明け暮れて、廿〈日イ有〉になりにたり。
  明くれば〈おきくるればイ有〉臥すを事にてあるぞいと怪しく覚ゆれどいかゞせむ。
  けさも見出したれば、屋の上の霜もいと白し。
  わらはべよべの姿ながらしもくちまじなはむとて騷ぐもいと哀なり。
  「あな、さも雪はづかしき霜かな」と口おほ〈ひ脱歟〉しつゝかゝるみれ〈のカ〉賴むべきもると〈四字かめる人イ〉どものうち聞えける、たゞならずなむおぼえける〈たゞ以下十二字イ無〉
 

神無月

  神無月も、せちに別〈をイ有〉しみつゝ過ぎぬ。
 

霜月

  霜月も同じ事にて、二十日になりにければ、今日見えたりし人、そのまゝに、廿よ日跡を断ちて、文のみぞ二度ばかり見えける。
  かうのみ胸安からねど思ひつきにたれば心弱き心ちして、ともかくもおぼえで、八日ばかりの物忌しきりつゝなむ、唯今日だにこそ思ふなどあやしきまでこまかなる。
 

はての月

  はての月の十日六日ばかりなり、しばしありて俄にかい曇りて雨になりぬ。
  たう〈二字雨しぐイ〉るゝかた〈らイ〉ならむかしと思ひ出でゝながむるに、暮れ行く気色なり。
  いといたく降ればさはらむにもことわりなれば、昔はとばかり覚ゆるに、淚の浮びて哀に物のおぼゆれば念じ難くて人出し立つ。

180
「かなしくも 思ひ絶ゆるか いそのかみ
 さはらぬものと ならひしものを」
  と書きて、今ぞいくらむと思ふほどに、南おもての格子もあげぬ。
  とに人のけおぼゆ。
  人はえ知らず、我のみぞあやしと覚ゆるに、妻戸押し明けて〈兼家〉ふと這ひ入りたり。
  いみじき雨のさかりなれば音もえ聞えぬなりけり。
  とに「御車とくさし入れよ」などのゝしるも聞ゆ。
  「などしも月〈頃イ有〉のよ〈かイ〉うじなりとも、今日の参りにはゆるされなむとぞ覚ゆるよし多し。
  明日はあなたふたがる。
  あさてよりは物忌なり〈どカ〉すべかめれば」など、いとことよし。
  やりつる人はちがひぬらむと思ふにいとめやすし。
  夜のまに雨止みにためれば「さらばくれに」など〈いひイ有〉て帰りぬ。
  方ふたがりたればうべもなく待つに見えずなりぬ。
  「夜べは人の物したりし〈夜べ以下十一字流布本無〉、夜の更けにしかば経など讀ませてなむとまりにし。
  例の如何におぼしけむ」などあり。
  山籠りの後は、あまがへるといふ名を付けられたりければ、かくものしけり、「こなたざまならでは、方も」などけ〈一字なげかイ〉しくて、

181
「大はこの 神の助や なかりけむ
 ちぎりしことを おもひかへるは」
  とやうにて、例の日過ぎてつごもりになりにたり。
  「忌の所になむ夜每に」と吿ぐる人あれば、心安くてあり経るに、月日はさながらおにやらひ来ぬるとあれば、あさましあさましと思ひはつるもいみじきに、人はわらはおとなともいはず、なやらふなやらふと騷ぎのゝしるを、我のみのどかにて見聞けば、今年も心ちよげならむ所の限せまほしげなるわざにぞ見えける。
  雪なむいみじう降るといふなり。
  年のをはりには何事につけても、思ひのこさゞりけむかし。
   
   
 

下巻:蜻蛉日記卷下

 

天禄3年:972年(道綱17歳)

 

正月

  かくて又明けぬれば、天禄三年に〈とイ〉いふめり。
  今年も、憂きもつらきも共に心ち晴れておぼえなどして、大夫〈道綱〉さうぞかせて出し立つ。
  おりはしりてやがて拜するを見れば、いとゆく〈うイ〉しう覚えて淚ぐまし。
  行ひもせばやと思ふ今宵よりふざうなる事あるべし。
  これ人忌むといふ事なるを、又いかなるとてにかと心一つに思ふ。
  今年は天下ににくき人ありとも思ひなほらじなどしめりて思へばいと心安し。
  三日は帝の御かうぶりとて世は騷ぐ。
  白馬やなどいへども心ちすさまじうて七日も過ぎぬ。
  八日ばかりに見えたる人、「いみじう節會がちなる頃にて」などあり。
  つとめて帰るに、しばし立ちとまりたる、をのこどものなかより、かく書きつけて、女房の中に入れたり、

182
「しもつけや 桶のふたく〈らイ〉を あぢきなき
 かげもうかばぬ 鏡とぞ見る」
  そのふたに、酒くだものと入れて出す。
  土器に女房、

183
「さし出でたる ふたく〈らイ〉を見れば 身を捨てゝ
 このむは玉の こぬと定めつ」
  かくてなかなかなる身のひまなきにつゝみて、世の人々のさり〈もイ〉て行ひもせで二七日は過ぎぬ。
  十四日ばかりに、「古きうへのきぬ、これいとようして」などいひてあり。
  「着るべき日は」などあれど、いそぎも思はであるに、使のつとめて「おそか〈か衍歟〉し」とあるに、

184
「久しとは おぼつかなしや からごろも
 うち着てなれむ さて贈らせよ」
  とあるに、違ひてこれより文もなくてものしたれば、「これからよろしかめり。
  〈よイ〉をならぬがわろさ」とよ〈一字ばかイ〉りあり。
  ねたさにかくものしけり、

185
「わびて又 とくと騷げど かひなくて
 程経る物は かくこそありけれ」
  こそ〈二字ともイ〉のしつ。
  それより後「つかさめしにて」などゝて音なし。
  今日は二十三日、まだ格子は上げぬ程に、或人起きはしにて妻戸をおし明けて「雪こそ降りたりけれ」といふ程に、鶯の初声たり〈二字なれイ〉ど今年もまいて心ちも老いず。
  きて例のかひなき一つごとも覚えざりけり。
  つかさめし二十五日に大納言になどのゝしれど、我が爲はまして、所せきにこそあらめと思へば御よろし〈こイ〉びなどおこする人も、かへりては哢ずる心ちしてゆめ嬉しからず。
  大夫ばかりぞえもいはずしたには思ふべかめる。
  又の日ばかり「などかいかにといふまじきよろこびのかひなくなむ」などあり。
  又つごもりの日ばかりに、「なに事かある。
  騷しうてなむ。
  などか音をだにつらし」など、果はいはむ事のなきにやあらむ、さかさまごとぞある。
  今日もみづからは思ひかけられぬなめりと思へば、かへりごとに「御まへまうしこそ御いとまひまなかべかめれど〈ばイ〉あいなけれ」とばかり物しつ。
  かゝれど今はものともおぼえずなりにたれば、なかなかいと心安く〈てイ有〉、よるも裏もなう、うち臥して寐た〈いイ〉りたる程に、かど叩くに驚き〈き衍歟〉かれて怪しと思ふ程に、ふと明けてけれる〈ばイ〉心々騷しく思ふ程に、妻戸口に立ちて「とくあけよや」などあなり。
  前なりつる人々も、皆うち解けたれば逃げ隱れぬ。
  見苦しさにゐざりよりて「やすらひにだになくなりにたれば、いと難しや」とてあくれば、「さし〈らイ〉でのみ参り来ればにやあらむ」とあり。
  きとかあり月〈六字さてあかつきイ〉方に松吹く風の音いと荒く聞ゆる。
  こゝら一人明す夜、かゝる音のせねばものゝ助にこそありけれとまでぞ聞ゆる。
 

二月

  明くれば二月にもなりぬめり。
  雨いと長閑に降るなり。
  格子などあけつれど、例のやうに心あわたゞしからねば、雨のするなめり。
  されどとまる方は、思ひ懸けられずとばかりありて、「をのこどもは参りにたりや」などいひて起き出でゝ、なよらかならぬ直衣しをれよい程なるかいねりの袿ひとかさね、帶ゆるらかにてあゆみ出づるに、人々御粥などてうじて侍るめれど、例食はぬものなれば「何かは」など心よげにうちいひて、太刀とくよとあれば、大夫とりて、すのこにかたひざまづきてゐたり。
  のどかに步み出でゝ見廻して、「前栽をらうがはしく燒きためるかな」などあり。
  やがてそこもとにあまかははりたるをさし寄せ、をのこどもかるらかにでもたげたれば、這ひ乗りぬめり。
  下簾引きつくろひて、中門より引き出でゝ、さきよい程に追はせてあるも、妬げにぞ聞ゆる。
  日頃いと風早しとて、南面の格子は明けぬを、今日かうて見出して、とばかりあれば、雨よい程にのどやかに降りて庭うち荒れたるさまにて、朽葉所々靑み渡りにけり。
  哀と見えたり。
  晝つ方かへしうち吹きて晴るゝがほの空はしたれど、心ちあやしう悩しうて暮れ果つるまでながめ暮しつ。
 

二月三日

  三日になりぬる夜、降りける雪三四寸ばかりたまりて今も降る。
  すだれを卷きて眺むれば「あれとかむ〈五字あなさむイ〉」といふ声こゝかしこに聞ゆ。
  風さへ早し。
  世の中いと哀なり。
  さて日晴れなどして八日のほどに〈あがたイ有〉ありきの所に渡りたる〈れイ〉は、多く若き人がちにて、箏の琴、琵琶など折にあひたる声に調べなどして、うち笑ふことがちにて暮れぬ。
  つとめてまらうど帰りぬる後、心のどかなり。
  唯今ある文を見れば、「長き物忌に、うち続き若座といふわざしては、愼みければ、今日なむいと疾くと思ふ」などいとこまやかなり。
  返り事物して、いとゞげにあめれど、世にもあらじ、今は人知れぬさまになり行くものをと、思ひ過ぐしてあさまし〈うイ有〉、うち解けたる事多くてある所に、午の時ばかりに「おはしますおはします」とのゝしる。
  いとあわたゞしき心ちするに、這ひ入りたれば、怪しくわれかひとり〈かイ〉にもあらぬ〈さまイ有〉にて向ひゐれば、心ちもに〈さイ〉らなり。
  しばしありて臺など参りたれば少しくひなどして、日暮れぬと見ゆる程に、明日春日の祭なればみてぐら出し立つべかりければなど〈と脱歟〉てうるはしうひれさうぞき、ごぜんあまた引きつれ、おどろおどろしう追ひ散して〈出で脱歟〉らる。
  即ちこれかれさし集りて、いとあやしううち解けたりつる程に、「いかに御覽じつらむ」など、口々いとほしげなることをいふに、まして見苦しき事多かりつると思ふ心ちだに、身にうじはてられぬると覚えける。
  いかなるにかありけむ、このごろの日、照りみ曇りみ、いと春寒む〈か脱歟〉る年とおぼえたり。
  よるは月あかし。
 

二月十二日

  十二日雪こちかぜにたぐひて、散りま〈月以下二十字流布本無〉がふ。
  午時ばかりより雨になりて静に降り暮すまゝ、〈にイ有〉從ひて世の中哀げなり。
  今日まで音なき人も、思ひしにたがはぬ心ちするを、今日より四日かの物忌にやあらむと思ふにぞ少しのどめたる。
 

二月十七日

  十七日雨のどやかに降るに、方ふたがりたりと思ふ事もあり。
  世の中哀に心ぼそく覚ゆる程に石山にをとゝし詣でたりしに、心細かりし夜な夜な、陀羅尼いと尊う讀みつゝ、らいだうにたゝずむ法師ありき。
  問ひしかば「こぞから山籠りして侍るなり。
  糓断なり」などいひしかば「さらば祈せよ」と語らひし法師のもとよりいひおこせたるやう「いぬる五日の夜の夢に、御に〈まイ〉手に、月と日とを受け給ひて、月をば足の下に踏み、日をば胸にあてゝ抱き給ふとなむ見て侍る。
  これ夢ときに問はせ給へ」といひたり。
  いとうたておどろおどろしとおもふに、疑そひてをこなる心ちすれは、人にも解かせぬ時しもあれ、夢あはするもの来たるに、異人の上にて問はすれば、「うへもなくいかなる人の見たるぞ」と驚きて「みかどを我がまゝにおぼしきさまの政せむものぞ」とぞいふ。
  「さればよ。
  これが空あはせにはあらず。
  いひおこせたる僧の疑しきなり。
  あなかま、いとにげなし」とて止みぬ。
  又あるものゝいふ、「この殿のみかどを、四つ足になすをこそ見しか」といへば、「これは大臣公卿いでき給ふべき夢なり。
  かく申せば男君の大臣近くものし給ふを申すとぞおぼすらむ。
  さにはあらず。
  公達御行く先の事なり」とぞいふ。
  又みづからのをとゝひのよ見たる夢、右の方の足の裏に、男かとく〈とイ有〉いふ文字を、ふと書きてつくれば、驚きて引き入ると見しを問へば、「この頃の同じ事の見ゆるなり」といふ。
  これもをこなるべきことなれば、物ぐるほしと思へど、さらぬ御ぞうにはあらぬ我が一人もたる人〈道綱〉〈しイ有〉覚えぬさいはひもやとぞ心の中に思ふ。
  かくはあれど唯今の如くにては行く末さへ心細きに、唯一人男にてあれば、年頃もこゝかしこに詣うでなどする所にはい〈こイ〉の事を申し盡しつれば、今はまして難かるべき年よはひになり行くを、いかで賤しからざらむ人の、をんなご一人とりてうしろみもせむ、一人ある人をもうち語らひて、我が命のはてにもあらせむとこの日頃思ひ立ちて、これかれにもいひ合はすれば「殿の通はせ給ひし源宰相兼忠とか聞えし人の御むすめの腹にこそ、女君いと美くしげにてものし給ふなれ。
  同じうはそれをやは、さやうにも聞えさせ給はぬ。
  今は志賀の麓になむかのせうとの弾師の君といふに就きてものしたまふなる」などいふ人あるとき〈くイ有〉に、「そよやさることありきかし。
  故陽成院の御のちぞかし。
  宰相なくなりてまだ服の中に、例のさやうの事聞き過ぐされぬ心にて、なにくれとありしほどに、さめ〈あイ〉りしことぞ。
  人はまづその心ばへにて、ことに今めかしうもあらぬうちに、齡などもおうよりにたへ〈りイ〉ければ、女はさらむとも思はずやありけむ。
  されど返り事などすめりし程に、みづからふたゝびばかりなどものして、いかでにかあらむ、ひとへぎぬの限なむ取りてものしたりし。
  こと〈うたイ〉どもなどもありしかど忘れにけり。
  さていかゞありけむ、

186
 関越えて 旅寐なりつる くさまくら
 かりそめにはた おもほえぬかな
  とか、いひやり給は〈ふイ〉めりし。
  猶もありしかば返り、ことごとしうもあらざりき。

187
 おぼつかな 我にもあらぬ 草まくら
 まだこそ知らね かゝる旅寐は
  とぞありしを、度重りたるぞあやしきなど諸共にとぞ笑ひてき〈しカ〉
  後々しるき事もなくてやありけむ、いかなるかへりごとにか、かくあめりき、

188
 置き添ふる 露に夜な夜な 濡れこしは
 思ひのな〈ほイ〉かに かわくそでかは
  などあめりし程に、ましてはかなうなりはてにしを、後に聞きしかばありし所に女子生みたなり。
  さぞ」となむいふなる。
  さもあらむ、「こゝに取りてやは置きたらぬなどの給ひしそれなゝり。
  させむかし」などいひなりて、便りを尋ねて聞けば、この人も知らぬ。
  幼き人は十二三の程になりにけり。
  唯それ一人を身にか〈そイ〉へてなむ、かの志賀のひんがしの麓にて、海を前に見、志賀の山をしりへに見たる所の、いふ方なう心細げなるに、明し暮してあなると聞きて、身をつめば、難波のことを、さるすまひにて、思ひ残し、いひ残すらむとまづ思ひやりける。
  かくてこと腹のせうとも京にて法師にてあり。
  こゝにかくいひ出したる人知りたりければ、それして呼び取らせて語らはするに「何かは。
  いと善き事なりとなむおのれは思ふ。
  そもそもかした〈こイ〉にまほ〈かイ〉りて物せむ。
  世の中いとはかなければ今はかたちをもことになしてむとてなむさゝ〈二字僧カ〉の處に月頃は物せらるゝ」などいひ置きて、又の日といふばかりに山越えに物したりければ、異腹にてこまかになどしもあらぬ人のふりはへたるをあやしがる。
  「何事によりて」などありければとばかりありてこの事をいひ出したりければ、まづともかくもあらで、いかに思ひけるにか、いといみじう泣き泣きて、とかうためらひて、「こゝにも今は限に思ふ身をばさるものにて、かゝる所にこれをさへひきさげてあるを、いといみじと思へどて〈もイ〉いかゞはせむとて〈ありイ有〉つるを、さらばともかくも、そこに思ひさだめてものし給へ」とありければ、又の〈日イ有〉帰りてさなむといふ。
  うへなきことにてもありけるかな。
  宿世やありけむ、いと哀なるに、「さらばかしこにまづ御文をものせさせ給へ」とものすれば、「いかゞはせて〈むイ〉
  かく年ごろは聞えぬばかりに承り馴れたれば,たればかり覚束なくはおぼされずやとてなむ怪しとおぼされぬべきことなれど、この弾師の君に、心細き憂ひを聞えじを、傳へ聞えたる〈りカ〉けるに、いと嬉しくなむのたまはせしと承れば、喜びながらなむ聞ゆる。
  〈けイ〉しうつゝましき事なれどあまたと承るには、睦しき方にても思ひ放ち給ふやとてなむ」などものしたれば、又の日返り事あり。
  喜びしなどありて、いと心ようゆるしたり。
  かの語らひける事の筋もそこの文もある。
  かつは思ひやる心ちいと哀なり。
  よろづ書き書きて「霞に立ちこめられて、筆のたちどて〈もイ〉知られねばあやし」とあるも、げにと覚えたり。
  それより後も、二度ばかり文ものして、事定まり果てぬれば、このぜじたち至りて末〈京イ〉に出し立てけり。
  唯独出し立てけむも思へばいと悲し。
  おぼろげにてかくあらむや。
  唯親もし見給はゞなどにこそはあらめ、さ思ひたらむに、我がもとにても同じごと見る事難からむと、又さとて〈もイ〉〈かイ有〉らむ時、なかなかいとほしうもあるべきかなゝどゝ思ふ心添ひぬれどいかゞはせむ。
  かくいひ契りつれば、思ひ帰るべきにもあらず。
  この十九日宜しき日なるをと定めてしかば、これ迎へに物す。
  しのびて唯淸げなる網代車に、馬に乗りたるをのこども四人、しも人はあまたある。
  大夫やりて這ひ乗りて、しりに、この事に口入れたる人と乗せてやりつ。
  今日珍しきせうそこありつれば「さもぞある。
  引き合ひては悪しからむ。
  いととくものせよ。
  暫しはけしき見せじ。
  すべてありやうに從はむ」など定めつるかひもなく、さきだゝれにたれば、いふかひなくてある程に、とばかりありて来ぬ。
  「大夫はいづこにいきたりつるぞ」とあれば、とかういひ紛らはしてあり。
  「日頃もかく思ひまうけしかば、身の心細さに人の捨てたる子をなむ取りたる」などものし置きたれば
  「いで見む。たが子ぞ。
  我今は老いにたりとて、わかうど求めて、我をかんだて〈うカ〉し給へるならむ」とあるに、いとをかしうなりて、
  「さは見せ奉らむ。御子にし給はむや」とものすれば、
  「いとよかなり。させむ猶々」とあれば、〈わイ有〉れもとういぶかしさに呼び出でたり。
  聞きつる年よりもいとちひさくいふかひなく幼げなり。
  近う呼びよせて「立て」とて立てたれば、たけ四尺ばかりにて、髮は落ちたるにやあらむ、裾さきたる心ちして、たけに四寸ばかりぞ足らぬ。
  いとらうたげにてかしらつきをかしげにてやうだいいとあてはかなり。
  見て「あはれいとらうたげなめり。
  誰が子ぞ。
  猶いへいへ」とあれば、耻ぢなかめ〈如元〉るを、さばれあらはしてむと思ひて、
  「さはらうたしと見給ふや。聞えてむ」といへば、まして責めらる。
  「あなか〈しかイ有〉ましつらに〈ぞイ〉かし」といふに、驚きて、「いかにいかにいづれぞ」とあれど、とみにいはぬば「もしさゝ〈うカ〉の所にありと聞きしか」とあれば、「さなめり」とものするに、
  「いといみじき事かな。今ははふれうせにけむとこそ思ひしか。
  かうなるまで見ざりける事よ」とてうち泣かれぬ。
  この子もいかに思ふにかあらむ、うちうつ伏して泣き居たり。
  見る人も哀に、むかし物語のやうなれば皆泣きぬ。
  ひとへの袖あまたゝび引き出でつゝ泣かるれば、いとうちつけにもあり。
  「こゝにはいまだ来じとする所に、かつ〈くイ〉ていましたる事、我ゐていなむ」など、たはぶれいひつゝ、夜更くるまで泣きみ笑ひみして皆寢ぬ。
  つとめて帰らむとて、呼び出して、「いとらうたかりけり。
  今ゐていなむ。
  車寄せばふと乗れよ」と、うち笑ひて出でられぬ。
  それより後、文などあるには、必ず、「小き人はいかにぞ」などしばしばあり。
  さて二十五日のよ、宵うち過ぎてのゝしる。
  火の事なりけり。
  「いと近し」など騷ぐを聞けば、憎しと思ふ所なりけり。
  その五六日は例のもの忌と聞くを、「みかどのしたよりなむ」とて文あり。
  なにくれとこまやかなり。
  ひれはかたかる〈七字今はふかゝるもあやしと思ふ七日は方ふたがるイ〉
  八日の日、未の時ばかりに、「おはしますおはします」とのゝしる。
  中門おしあけて、車ごめ引き入るゝを見れば、卸前のをのこども、あまたながえにつけて、すだれ卷きあげ、下すだれ左右おし挾みたり。
  楫もて寄りたれば、おり走りて、紅梅の唯今盛りなるしたよりさしあげたるに、似げなうもあるまじ。
  うち擧げつゝ「あな面白」といひつゝ、步みのぼりぬ。
  さてのる〈日イ〉を思ひたれば、又南ふたがりにけり。
  「などかは、さは吿けざりし」とあれば、「さ聞えたらましかば、いかゞあるべかりべける」とものすれば、「違へこそせましか」とあり。
  「思ふ心をや、今よりこそは試みるべかりけれ」など、猶もあらじに、たれもの〈もカ〉のしけり。
  ちひさき人には手習ひ歌よみなど敎へ、こゝにてはけしうはあらじと思ふを、
  「思はずにては、いとあしからむ。今かしこなると諸共に、裳着せむ」などいひて日暮れにけり。
  「同じうは院へ参ら〈せイ有〉む」とてのゝしりて出でられぬ。
  この頃空の気色なほり立ちて、うらうらとのどかなり。
  暖かにもあらず、寒むくもあらぬ風、梅にたぐひて、鶯をさそふは、鳥の声などさまざまなごう聞えたり。
  崖のうへをながむれば巢くふ崔ども瓦の下を出でゝ入り囀づる。
  庭の草、氷にゆるされ顏なり。
 

うるふ二月

  うるふ二月の朔日の日、雨のどかなり。
  それより後空晴れたり。
  三日方明きぬと思ふを音なし。
  よう〈う衍歟〉かもはや暮れぬるをあやしと思ふ思ふねて聞けば、夜中ばかりに火の騷ぎする所あり。
  近しと聞けどもの憂くて起きもあがられぬを、これかれ問ふべき人がちから〈二字にイ〉あるまじきもあり。
  其にぞ起きて出でゝ答へなどして「め〈ひイ〉しめりぬめり」とてあかれぬれば、入りてうち臥す程にさきおふ者門にとまる心ちす。
  あやしと聞く程に、「おはします」といふ。
  燈火の消えて、這ひ入りに暗ければ、
  「あなくら。ありつる物を、賴まれたりけるにこそありけれ。
  近き心ちのしつればなむ。今は帰りなむかし」
  といふいふうち臥して、「宵より参りこまほしうてありつるを、をのこどもゝ皆罷りてにげにければえものせで。
  昔ならましかば馬に這ひ乗りても、物しなまし。
  なでふ身にはあらむ。
  何ばかりの事あらばかとてきなむやなど思ひつゝ寐にし〈し衍歟〉けるを、かうのゝしりつれば、いとをかし。
  怪しうこそありつれ」など志ありげにありけり。
  明けぬれば車などことやうならむとて急ぎ帰られぬ。
  六七日物忌と聞く。
  八日雨降る。
  よるに〈まイ〉で石の上の苔苦しげに聞えたり。
  十日、加茂へ詣うづ。
  「忍びて諸共に」といふ人あれば「何かは」とて詣でたり。
  いつも珍しき心ちする所なれば今日も心のばゐ〈ゆるイ〉心ちあらたるべしなどするも、かうし〈のイ有〉びけるはと見ゆらむ。
  さきの通りに北野にものすれば、さへ〈はイ〉にもの摘む女わらはべなどもあり。
  うちつけにゑぐ摘むかと思へば、裳裾思ひやられてけり。
  ふるおり〈四字ふなをかイ〉うちめぐりなどするもいとをかし。
  くらう家に帰りて、うち寢たるほどに、かどいちはやくたゝく。
  胸うちつぶれて覚めたれば、思ひのほかにさなりけり。
  心の鬼は、若しこゝちかき所に隙ありて帰されてにやあらむと思ふに、人はさりげなけれど、うち解けずこそ思ひあかしけれ。
  つとめて、少し日たけて帰る。
  さて五六日ばかりあり。
  十六日、雨の脚いと心細し。
  明くれば、このぬる程に、こまやかなる文見ゆ。
  「今日は方ふたがりたりければなむ。
  いかゞせむ」などあべし。
  返り事物してとばかりあればみづからなり。
  日も暮れ方なるをあやしと思ひけむかし。
  よに入りて「いかにみてぐらをや奉らまし」など休らひの気色あれど「いとやうない事なり」などそゝのかし出す。
  步み出づるほどに、あひなうよる〈かイ〉ずにはしもせじとす」と、忍びやかにいふを聞く。
  「さらばいとかひなからむことよ」とありて、「必ず今宵は」とあり。
  それもしるく、その後覚束なくて八九日ばかりになりぬ。
  かく思ひおきて、藪にはとありしなりけりと思ひあまりて、たまさかにこれよりものしけること、

189
「かた時に かへし夜藪を かぞふれば
 しぎのもろ羽も たゆしとぞなく」
  かへりごと、

190
「いかなれや しぎのはねがき かき〈ずイ〉知らず
 思ふかひなき 声に鳴くらむ」
  とはありけれど、驚かしても悔しげなる程をなむいかなるにかと思ひける。
  この頃庭もはらはず。
  花降り敷きて海ともなりなむと見えたり。
  今日は二十七日、雨昨日の夕よりくだり、風ののち〈二字そのイ〉花を拂ふ。
 

三月

  三月になりぬ。
  木の芽少しこがくれになりて、祭の頃覚えてたるき〈三字さかき梢イ〉ふえ〈如元〉恋しう、いともそはれ〈四字ものあはれイ〉なるに添へても音なき事を猶驚しけるも悔し。
  それより〈れイ有〉いの絶えまよりも、安からず覚えけむは何の心にかありけむ。
  この月七日になりにけり。
  「今日ぞこれ縫ひて。
  愼むことありてなむ」とあり。
  珍らしげもなければ「うけ給はりぬ」などつれなう物しけり。
  晝ほた〈二字つかたイ〉より、雨のどかに〈ふりイ有〉はじめたり。
  十日おほやけは、八幡の祭の事とのゝしる。
  我は人のまうづめる所あめるにいと忍びで出でたるに、晝つ方かへりたれば、あるじの若き人々入りてもの見むと又渡る。
  さなりとあればかへりたる車もやがて出し立つ。
  又の日、かへさ見むと、人々の騷ぐにも、心いとあしうて臥しくる〈らイ〉さるれば、み〈むイ有〉心ちなきに、これかれそゝのかせば、唯び榔一つに四人ばかり乗りて出でたり。
  冷はれ〈二字ぜんカ〉院のみかどの北の方に立てり。
  こと人多くも見ざりければ、人一人こち〈二字ふたりイ〉して立てれば、とばかりありて渡る人、我が思ふべき人もべいじう一人舞ひ人に一人まじりたり。
  この〈ころイ有〉ことなるこ〈とイ有〉なし。
  十八日に淸水へまうづる人に又忍びてまじりたり。
  そやはてゝまかづれば時は子ばかりなり。
  諸共なる人の所に帰りて物などものする程に、あるものども「この戌亥の方にめ〈ひイ〉なむみゆる」と、「出でゝ見よ」などいふなれば「もろこしぞ」などいふなり。
  うちには猶苦しきにたり〈三字方イ〉など思ふ程に、人々「かうの殿なりけり」といふにいとあさましういみじ。
  我が家もついぢばかり隔てたれば騷しう若き人をも惑しやしつらむ、いかで渡らむと惑ふにしも、車のすだれはかけられける。
  ものとはから〈四字さわがしイ〉うして乗りてこし程に、皆はてにけり。
  わがかたかく〈二字ばかりイ〉残り、あなたのひともこなたにつどひたり。
  こゝには大夫ありければ、いかに土にやはしらすらむと思ひつる人も車に乗せ、かど强うなどものしければ、らうがはしき事もなかりけり。
  あはれ、をのことてよう行ひたりけるよと見聞くも悲し。
  渡りたる人々は、唯命のみわつかなりと見なげくに、火しめりはてゝしばしあれど、問ふべき人〈兼家〉は音づれもせず。
  さしもあるまじき所々よりも問ひつゝ〈くイ〉して、このわたりならむやの、うか〈たイ〉がひにて急ぎ見えし。
  〈かイ〉くもありしものを、ましても〈をイ〉なり〈くイ〉果てにけるあさましさ、かなた〈二字しき〉なんど語るべき人は、さすがに雜色や侍やと聞き及びける限は、語りつと〈聞き以下十一字流布本無〉聞きつるを、あさましあさましと思ふ程にぞかどたゝく。
  人見て「おはします」といふにぞ少し心落ちゐて覚ゆる。
  さて「こゝにありつるをのこどもの、きゝ吿げつるになむ驚きつる。
  あさましう来ざりけるがいとほしきこと」などある程に、〈とイ有〉ばかりになりぬれば、とりもなきぬと聞く聞く寢にければ、ことしも心ちよげならむやうに、あさいになりにけり。
  今もとふ人あまたのゝしればせ〈とイ〉て、名に〈二字おきイ〉ても〈のイ有〉〈たりイ有〉
  騷しうぞなりまさらむとて急がれぬ。
  暫しありて、男の着るべき物どもなど藪あまたあり。
  「取りあへたるに從ひてなむ。
  かみにまづ」とてありける。
  「かく集まりたる人に物せよ」とて、急ぎけるは、俄にひはだの杉色めぐしたり。
  いとあやしければ見ざりき。
  物問ひなどすれば、三人ばかりやまひごと口ぜちなどいひたり。
  廿日はさて暮れぬ。
  一日の日より四日、例の物忌と聞く。
  こゝにつどひたりし人々は、南ふたがる年なれば、しばしもあらじかし。
  かく〈て脱歟〉廿〈五イ〉日あがたありきの所へ皆わたられにたり。
  こゝろもとなきことはあらじかしと思ふに、我が心そ〈うイ〉きぞまづ覚えけむかし。
  かくのみうく覚ゆる身なれば、この命をゆめばかり惜しからずおぼゆる。
  このそみ〈四字ものいみイ〉どもは、柱に押し付けてなど見ゆるこそ、もしも惜しからむ身のやうなりければ、その二十五日に、物忌なり果つるよしも、かどの音すれば、「かうてなむ固うさしたる」とものすれば、たうるゝ〈四字とほきイ〉方に立ちかへり〈るイ〉音す。
  又の日は例の方ふたがると、しかじか。
  晝間にみそ〈二字なりイ〉て御さ〈だイ〉いまつ〈一字ゐるイ〉といふ程にぞ〈いイ有〉て帰る。
  それより例のさはりなど聞えつゝ日経ぬ。
  こゝに物忌繁くて、四月は十よ日になりたれば、世には祭とてのゝしるなり。
  人、忍びてとさそへば、みそぎよりはじめて見る。
  わたくしみてぐら奉らむとてまうでたれば、一條のおほきおとゞ〈伊尹〉まうであひ給へり。
  いといかめしうのゝしるなどいへばさらなり。
  さし步みなどし給へるさま、いたう似給へるかなと思ふに、大方の儀式も、これに劣る事あらじかし。
  これをあなめでた、いかなる人など、思ふ人も聞く人も、いふせ〈をイ〉きくぞいとゞものは覚えけむかし。
  さる心ちなからむ人に引かれて、又く〈二字知足イ〉院のわたりにものする日、大夫も引き続けてあるに、車どもかへるはどに、よろしきさまに見えける、女車のしりに続きそめにければ、後れずおも〈も衍歟〉きければ、家を見せじとにやあらむ、とく紛れいきににけるを、追ひて尋ねはじめて、又の日かくいひやるめる〈りイ〉

191
「思ひそめ 物をこそおもへ 今日よりは
 あふひ遙に なりやしぬらむ」
  とてやりたるに、さらにおぼえずなどいひけむかし。
  されど、又、

192
「わりなくも すぎ立ちにける 心かな
 三輪の山もと たづねはじめて」
  といひやりけり。
  大和〈へイ有〉立つ人なるべし。
  かへし、

193
「三輪の山 まち見る事の ゆゝしさに
 杉立てりとも えこそ知らせね」
  となむ。
  かくてつごもりになりぬれば、人は卯の花の蔭にも見えず、音だになくてはてぬ。
  廿八日にぞ例のひもろぎのたよりに「なやましき事ありて」などありき。
 

五月

  五月になりぬ。
  「さうぶの根長き」などこゝなる若き人騷げば、徒然なるに取り寄せてつらぬきなどす。
  「これかしこに、同じほどなる人に奉り〈れイ〉」などいひて、

194
「かくれぬに 生ひそめにける あやめ草
 知る人なしに 深きした根を」〈道綱母〉
  と書きて、なかにむすびつけて、大夫の参るにつけてものす。
  かへりごと、

195
「菖蒲草 根に顕るゝ 今日だに〈こそイ〉
 いつかと待ちし かひもありけれ」〈兼家〉
  大夫に、今ひとつ、とかくしてかの所に、

196
「我が袖は 引くとぬらしつ あやめ草
 人のたもとに かけてかわかせ」
  御返り事、

197
「引きつらむ 袂はしらず あやめ草
 あやなき袖に かけずもあらなむ」
  といひたなり。
  六日のつとめてより、あや〈めイ〉はじまりて三四日降る。
  川とまさりて人流るといふ。
  それもよろづをながめ思ふに、いといふぞ限にもあらねど今はおも馴れにたる事などはいかにもいかにも思はぬに、この石山に逢ひたりし法師の許より、「御いのりをなむする」といひたる。
  返り事に「今は限に思ひはてにたる身をば佛もいかゞし給はむ。
  唯今はこの大夫を人々しくてあらせ給へなどばかりを申し給へ」とかくにぞ何とをりあらむ。
  かきくらして淚こぼるゝ。
  十日になりぬ。
  今日ぞ大夫につけてふみある。
  「悩ましき事のみありつゝ、覚束なき程になりにけるを、いかに」などぞある。
  返り事、又の日物するにぞつくる。
  「昨日は立ちかへり聞ゆべく思ひ給へしを、このたよりならでは聞えむ事もびなき心ちになりにければなむ。
  いかにとのたまはせたるは何かよろづことわりに思ひ給ふる〈る衍歟〉べき。
  こゝろら〈みイ〉ねば、なかなかいと心やすくなむなりにたる。
  風だにさむくと聞えさすれば、ゆゝしや」と書きけり。
  「引かれて賀茂て〈のイ〉いづみにおはしつれば、御かへりも聞えで帰りぬ」といふ。
  「めでたの事や」とぞ心にもあらでうちいはれける。
  この頃、雲のたゝずまひ、しづ心なくて、ともすれば田子のもすそ思ひやらるゝ。
  郭公の声鳴き〈あ脱歟〉かす。
  物思はしき人は、いこそ寢られざなれ。
  あやしう心よう寢らるゝけなるべし、これもかれも「一夜聞きゝ。
  この曉にも鳴きつる」といふを、人しもこそあれ、我しもまだしといはむも、いと耻しければ、物はいはで心の中におぼゆるやう、

198
「我ぞげに とけてぬらめや 郭公
 ものおもひまさる 声となるらむ」
  とぞ忍びていはれける。
 

六月

  かくて、つれづれと六月になし〈りイ〉つ。
  ひんがしおもての朝日の影いと苦しければ、みな〈二字南のイ〉廂に出でたるに、つゝましき人のけ近くおぼゆれば、やをらかたれ〈はカ〉らふして聞けば、蟬の声いと繁うなりにたるを、覚束なうてまだ耳を養はぬ翁ありき〈けイ〉り。
  庭掃くとて、はきゝを持ちてきの下に立てる程に、俄にいちはやうなきたれば驚きてふり仰ぎていふやう、「よひぞよひぞというなは〈二字てなく〉蟬来にけるは、蟲だにときせちを知りたるよ」と、ひとりごつに合せて、しかしかと鳴きみちたるに、をかしうもあはれにもありけむ心ちぞあり〈ぢイ〉なかりける。
  大夫そばの紅葉のうちまじりたる枝につけて、例の處にやる、

199
「夏山の 木のしたつゆの ふかければ
 かつぞなげきの 色もえにける」
  返り事、

200
「露にのみ いろもえぬれば 言の葉を
 いくしほとかは 知るべかるらむ」
  などいふ程に、宵になりて珍しき文こまやかにてあり。
  二十よ日、いとたまさかなりけり。
  あさましき事と目馴れにたれば、いふかひなくて、中頃なきさまにもてなすも、侘びぬればなめりかしと、かつ思へば、いみじうなむ、あはれにありしよりけにいそぐ。
  その頃縣ありきの家なくなりにしかば、こゝにうつろひて、ない〈二字さはイ〉多く事騷がしくて明け暮るゝも、人めいかにと思ふ心あるまで音なし。
  七月十よ日になりて、まらうどかへりぬれば、名残なうつれづれにて、ぼにの事のふうなど、さまざまに歎く。
  人々のいきざしをきく〈三字ときどきイ〉もあはれにもあり、安からずもあり。
  三日例のごと調じて、して〈二字衍歟〉まどころの贈文添へてあり。
  いつまでかこゝにと物はいはで思ふ。
 

八月

  さながら八月になりぬ。
  ついたちの日雨降り暮す。
  時雨だちたるに、未の時ばかりに晴れて、くつくつぼうしいとかしがしきまで鳴くを聞くにも「〈われだにイ有〉ものは」といはる。
  如何なるにかあらむ、あやしうも心細う淚浮ぶ日なり。
  たゞ心〈一字このイ〉つきに、しぬべしといふさとしもしたれば、この月にやともおもふ。
  すまひの會あるべしなどものゝしるをばよそに聞く。
  十一日になりて、いと覚えぬ夢見たりとて、かうてなど、例のまことにしもあるまじき事も多かれど、ちりにもの〈五字あるにもあらイ〉で、物もいはれねば、「などか物もいはれぬ」とあり。
  「なに事をかは」といらへたれば「などかこぬと〈いイ有〉はぬ」、「にくし、あ〈あ衍歟〉からしとてうちもつみもし給へかし」といひ続けらるれば、聞ゆべき限のたまふめれば、「何かは」とて止みぬ。
  つとめて「今このけいめいすぐして参らむよ」とて帰る。
  十七日にぞ、かへりあるじとき〈く脱歟〉
  つごもりになりぬれば、契りしけいめい多く過ぎぬれど、今は何事もおぼえず、愼めといふ月日、近うなりにける事をあはれとばかり思ひつゝ経る。
  大夫、例の所に文やる。
  さきざきのかへり事どもみづからのとは見えざりければ、恨みなどして、

201
「夕されの 寢屋のつまづま 詠むれば
てづからのみぞ 蜘蛛もかきぬる」
  とあるをいかゞ思ひけむ、白い紙に物のさきにして書きたり、

202
「蜘蛛のかく いとぞあやしき 風吹けば
 空に乱るゝ ものとしるしる」
  立ちかへり、

203
「露にても いのちかけたる 蜘蛛のいに
 あらき風をば 誰かふせがむ」
  「暗し」と〈てイ有〉返り事なし。
  又の日、昨日のしら紙思ひ出でゝにやあらむ、かくいふめり、

204
「たじろ〈まイ〉のや く〈たイ〉くひ〈ひイ無〉火のあとを 今日見れば
 雪の白濱 白くては見し」
  とて、やりたるを「物へなむ」とて、かへりごとなし。
  又の日帰りにたりや、かへりごと、言葉にてこひにやりたれば、「昨日のはいとふるめかしき心ちすれば聞えず」といはせたり。
  又の日「〈一日イ有〉はふるめかしとか、いとことわりなり」とて、

205
「ことわりや いはでなげ〈き脱歟〉し 年月も
 ふるのやしろの かみさびにけむ」
  とあれば、「今日明日は、物忌」とかへりごとなし。
  明くらむと思ふ日のまだしきに、

206
「夢ばかり 見てしばかりに 惑ひつゝ
 明くるぞ遅き あまの戸ざしは」
  この度も、とかういひ紛らはせば、又、

207
「さもこそは 葛城山に なれたらめ
 唯ひとことや かぎりなりける〈ひイ〉
  誰かはならはせる」となむ。
  若き人こそかやうにいふめれ。
  我は春の夜のつね、秋のつれづれいとあはれ深き詠めをするよりは残らむ人の思ひ出でにも見よとて、絵をぞ書く。
  さるうちにも今や今日やと待たるゝ命やうやう月立ちて日も行けば、さればよ、よも死なじ物を、幸ひある人こそ命はつゞむれと思ふにそ〈うイ〉へもなく、九月も立ちぬ。
  二十七〈八イ有〉日の程に、つちをかすとて、ほ〈はイ〉かなる〈きイ〉よしも珍しき事ありけるを、人吿げに来たるもなめ〈にイ〉こと〈とイ有〉もおぼえねばうと〈くイ有〉てやみぬ。
 

神無月

  神無月、例の年よりも時雨がちなる心なり。
  十よ日の程に例の物する山寺に、紅葉も見がてらと、これかれいざなはれば物す。
  今日しも時雨、降りみ降らずみひねもすに、この山いみじう面白きほどなり。
  ついたちの日、一條の太政のおとゞ〈伊尹〉うせ給ひぬとのゝしる。
  例の「あないみじ」などいひて聞きあへる夜、初雪七八寸の程たまれ〈るイ有〉
  あはれあはれいかで君達步み給はむなど、我がする事もなきまゝに思ひをれば、例の世の中、いよいよさかえのゝしる。
  しはすの二十日あまりに見えたり。
 

天延元年:974年(道綱18歳)

   
  さて年暮れはてぬれば、例のことしてのゝしり明して、三四日もなりにためれど、こゝには改れる心ちもせず。
  鶯ばかりぞいつしかとおとしたるをあはれと聞く。
  五日ばかりの程に晝見え、又十よ日廿日ばかりに、人寐乱れたる程見え、この月ぞ少しあやしと見えたる。
  この頃、つかさめしとて、例の暇なげにのゝしる。
 

二月

  二月になりぬ。
  紅梅の常の年よりも色こく、めでたう匂ひたり。
  我がこゝちにのみあはれと見な〈ゆイ〉れど何と見たる人なし。
  大夫ぞ折りて例の所にやる、

208
「かひなくて 年へにけりと ながむれば
 たもと〈も脱歟〉花の 色にこそしめ」
  かへりごと、

209
「年を経て などかあやなく 空にしも
 花のあたりを 立ちは染めけむ」
  といへり。
  猶ありのごとやと待ち見る。
  さてついたち三日の程に、午の時ばかりに見えたり。
  おつ〈もイ〉て耻しうなりにたるにいと苦しけれどいかゞはせむ。
  とばかりありて、「方ふたがりたり」とて、我が染めたるともいはじ、匂ふばかうの櫻がさねの綾、文はこぼれぬばかりして、かたもんのうへの袴つやつやとして遙におひちらして帰るを聞きつゝ、あな苦し、いみじうもうち解けたりつるかなゝど思ひて、なりをうち見れば、いたうしをれたり。
  鏡を見れば〈いたう以下十三字流布本無〉いとにくげにはあり。
  又こたびうじはてぬらむと思ふ事限なし。
  かゝる事を盡きせず眺むる程に、朔日より雨がちになりにたれば、いとなげにめを〈もイ有〉やすとのみなむありける。
  五日、夜中ばかりに、世の中騷ぐを聞けば、され〈きイ〉に燒けにしにくき所、こたみはおしなぶるなりけり。
  十日ばかりに、又晝つ方見えて、「春日へなむ詣づべき程の覚束なきに」とあるも例ならねばあやしう覚ゆ。
  〈三イ〉月十五日に、院の小弓始まりて出でぬなどのゝしる。
  前しりへわきてさうぞけば、その事大夫により、とかう物す。
  その日になりて、上達部あまた「今年やんごとなかりけり。
  小弓思ひあなく〈づイ〉りて念ぜざりけるを、いかならむと思ひたれば、さいそには出でゝもろ矢しつ。
  つぎつぎあまたの藪この矢になむさして勝ちぬる」などのゝしる。
  さて又二三日過ぎて、大夫「後の諸矢は悲しかりしかな」などあれば、まして我も。
  おほやけには、例のその頃、八幡の祭になりぬ。
  つれづれなるをとて忍びやかに立てれば、ことにはなやかにて、いみじう追ひ散らすものく。
  誰ならむと見れば、御ぜんどもの中に、例見ゆる人などあり。
  さなりけりと思ひて見るにも、まして我が身いとほしき心ちす。
  すだれ卷きあげ、したすだれおしはさみたれば、おぼつかなき事もなし。
  この車を見つけて、ふと扇をさしかくして渡りぬ。
  御文ある。
  かへり事のはしに、「昨日はいとまばゆくて渡り給ひにき」とか〈き脱歟〉たる〈れイ〉ば「などかは。
  さはせでぞな〈あイ〉りけむ。
  わかわかしう」と書きたりけり。
  返り事には「老い耻かしさにこそありけり〈め歟〉
  まばゆきさまに見なしけむ人こそ、にくけれ」などぞある。
  又かき絶えて、十よ日になりぬ。
  日頃の絶えまよりは久しき心ちすれば、又いかになりぬらむとぞおもひける。
  大夫例の所に文ものする。
  ことついつ〈二字イ無〉けてもあらず。
  これよりもいと幼きほどの事をのみいひけれは、かうものしけり、

210
「みがくれの ほどゝいふとて〈もイ〉 あやめ草
 なほしたからむ 思ひあふやと」
  かへりごと、なほなほし。

211
「したからむ 程をもしらず まこも草
 世に生ひそは〈めイ〉じ 人はかるとて〈もイ〉
  かくて又二十よ日の程に見えたり。
  さて三四日のほどに、近う火のさわぎす。
  驚き騷ぎするほどに、いととく見えたり。
  風吹きて久しう移り行くほどに、とり〈きイ〉過ぎぬ。
  さらなればとて、帰る。
  こゝにと見聞きける人〈にイ有〉は、まゐりたりつるよしきこえよとて、かへりぬと聞くも、おもだゝしげなりつるなどかたるも、くしはてにたる所につけて見ゆるならむかし。
  又つごもりの又の日ばかりにあり。
  「這ひ入るまゝに、火など近き夜こそきに〈二字にぎイ〉はゝしけれ」とあれば、「衞士のたく〈火イ有〉は、いつも」とみえ〈二字こたへイ〉たり。
 

五月

  五月の初めの日になりぬれば、例の大夫、

212
「うちとけて 今日だに聞かむ 時鳥
 しのびもあへぬ ときは来にけり」
  かへり事、

213
「時鳥 かくれなき音を 聞かせては
 かけはなれぬる 身とやなるらむ」
  五日、

214
「物おもふに 年経けりとて〈もイ〉 あやめ草
 今日に〈をイ〉たびたび すぐしてぞしる」
  かへり事、

215
「つもりける 年のあやめも おもほえず
 今日も過ぎぬる 心見ゆれば」
  とぞある。
  いかに恨みたるにかあらむとぞあしかりける。
  さてれいのもの思ひは、この月も時々同じやうなり。
  二十日の程に「遠うものする人にとく〈らカ〉せむ。
  この餌袋の内に袋結びて」とあれば、結ぶほどに出で来にたりや。
  「歌を一重袋に入れ給へ。
  こゝにいとなやましうて、え讀むまじ」とあれば、いとをかしうて「のたまへる物ある限り讀み入れて奉るをもしもりやうせむ。
  〈こイ〉とふくる〈ろイ〉をぞ給はまし」とものしつ。
  二日ばかりありて、心ちのいと苦しうても、事久しければなむ、ひとへ袋といひたりしものを、わびてかくなむものしたりし。
  返しかうかうなどあまた書きつけて、「いとようさだめて給へ」とて、雨もよにあれば、少し情ある心ちして待ち見る。
  劣り優れり〈りてイ〉見ゆれど、さかしうことわらむもあいなくてかうものしけり、

216
「うちとのみ 風の心を よすめれば
 返しは吹くも 劣るらむかし」
  とばかりぞものしける。
 

六七八月

  六七月、同じ程にありつゝはてぬ。
  つごもり二十八日に「すまひの事により内に侍ひつれど〈ばイ〉〈こイ〉ちものせむとてなむ急ぎ出でぬるな〈むイ有〉」とて見えたりし人、そのまゝに八月廿日餘まで〈見えたり以下十八字流布本無〉見えず。
  聞けば例の所に繁くなむと聞く。
  移りにけりと思ふ。
  から〈くイ〉うつし心もなくてのみあるに、住む所はいよいよ荒れ行くを、〈ひイ有〉とすくなにもありしかば、人にものして、我がすて〈むイ〉所にあらせむといふ事を、我が賴む人定めて、今日明日ひ〈むイ〉えはた〈たイ無〉中川の程に渡りぬべし、さべしとは、さきざきほのめかしたれど、今日などもなくてやはとて、聞えさすべきことものしたれど「つゝしむことありてなむ」とてつれもければ、なにかはとて、音もせで渡りぬ。
  山近う河原かたかき〈げイ〉なる所に、今は心のほしきに入りたれば、いとあはれなる住ひと覚ゆ。
  二三日になりぬれど、知りげもなし。
  五六日ばかり、「さりけるを吿げざりける」とばかりあり。
  かへりごとに「さなむとは吿げ聞ゆ〈べしイ有〉となむおもひし。
  いとびなき所にはたかたう〈四字ありたまふとイ〉覚えしかばなむ、見給ひなれにし所にて今一たび聞ゆべくは思ひし」など絶えたるさまにものしつ。
  「さもこそはあらめ、びなかなればなむ」とて、跡を断ちたり。
 

九月

  九月になりて、まだしきに、格子を上げて見出したれば、内なるにも、となるにも、川霧立ち渡りて、麓も見えぬ山の見やられたるもいと物悲しうて、

217
「流れての とこ〈と脱歟〉賴みて こしかども
 我が中川は あせにけらしも」
  とぞいはれける。
  ひんがしのかどの前なる田ども苅りてゆひわたしてかけたり。
  たまさかにも見え問ふひとには、靑稻苅らせて馬に飼ひ、やいごめ〈せイ有〉させなどするわざにおりたちてあり。
  こだかの人もあれば、たかどもとに立ち出でゝ遊ぶ。
  例の所に驚かしにやるめり。

218
「さごろもの つまも結ばぬ 玉の緖の
 絶えみ絶えずみ 世をや結ばむ」
  かへり事なし。
  又ほど過ぎて、

219
「露深き 袖にひえつゝ あかすかな
 たれ長き夜の かたきなるらむ」
  返りごとありとも、よしかゝじ。
  さて二十餘日にこの月もなりぬれど、跡絶えたり。
  あさましさは「これして」とて冬の物あり。
  「御文ありつるは、はや落ちにけり」といへば愚なるやうなり。
  返事せぬにてあらむとて、何事とも知らでやみぬ。
  ありしものどもは、してふみもなくてものしつ。
  その後は夢の通ひ路絶えて年暮れはてぬ。
  晦に又「これしてとなむ」とてはては文だにもなうてぞ下襲ある。
  いかにせましと思ひやすらひて、これかれにいひ合すれば、猶「この度ばかり試にせよ。
  いと忌みたるやうにのみあればか」と定むる事ありて、留めてき。
  さるけなくして、朔の日大夫に持せてものしたれば、「いと淸くなりぬとてなむありつる」とてやみぬ。
  あさましといへばおろかなり。
  さてこの霜月に縣ありきの所に、うぶやの事ありしを、え問はで過してしを、いかになりにけむ。
  これにだにと思ひしかど、ことごとしきわざはえものせず、ことはた〈二字ぶきイ〉をぞさまざまにしたる、例の事なり。
  白う調じたるこ梅の枝につけたるに、

220
「冬ごもり 雪にまどひし をり過ぎて
 今日ぞ垣根の うめを尋ぬる」
  とて、たちはきのを〈さ脱歟〉それがしなどいふ人、使にて夜に入りてものしけり。
  使つとめてぞ帰りたる。
  薄色のうちきひとかさねかづけたり。

221
「枝若み 雪まに咲ける 初花は
 いかにとゝふに 匂ひますかな」
  などいふほどに、行ひのほども過ぎぬ。
  忍びたる方にいざとさそふ人もあり。
  何かはとてものしたれば、人おほう詣でたり。
  誰としるべきにもあらなくに、我一人苦しうかたはらいたし。
  はらへなどいふ所にたるひ いふかたなうしたり。
  をかしうもあるかなと見つゝ帰るに、おとなゝるものゝ、わらはさうぞくして髮をかしげにて行くあり。
  見ればありつる氷を一重の袖に包みもたりて、くひゆく。
  故あるものにやあらむと思ふほどに、我が諸共なる人、物をいひかけたれば、ひくゝみたる声にて「丸をのたまふか」といふを聞くにぞ、なはものなりけりと思ひぬる。
  頭ついて「これ食はぬ人は、思ふ事ならざるか〈はイ〉」といふ。
  まがまがしう「さいふものゝ袖ぞぬらすめる」とひとりごちて、又思ふやう、

222
「我が袖の こほりは春も 知らなくに
 こゝろとけても 人の行くかな」
  帰りて三日ばかりありて賀茂に詣でたり。
 

しもつき・しはす

  雪風いふかたなう降りくらがりてわびしかりしに、風おこりて臥しなやみつるほどに、しもつきにもなりぬ。
  しはすも過ぎにけり。
   
 

天延2年:975年(道綱19歳)

   
  十五日なか〈びイ〉あり。
  大夫の雜色のをのこどもなびすとて騷ぐを聞けば、やうやうゑ〈よイ〉ひ過ぎて、「あなかまや」などいふ声聞ゆる。
  をかしさに、やをら端の方に立ち出でゝ、見出したれば、月いとをかしかりけり。
  ひんがしざまにうち見やりたれば、山霞み渡りて、いとほのかに心すごし。
  柱により立ちて思はぬ山など思ひ立てれば、八月より絶えにし人はかなくてむつきにぞなりぬるかしと覚ゆるまゝに、淚ぞさくりもよゝにこぼるまで、

223
「もろ声に 鳴くべきものを 鶯は
 むつきともまだ 知らずやあるらむ」
  とおぼえたり。
  〈二イ有〉十五日に大夫しもにかしなどにも〈如元〉きほひ行ひなどす。
  などに〈如元〉すらむと思ふ程につかさめしの事あり。
  珍しき文にて「うまの佐になむ」と吿げたり。
  こゝかしこに喜びものするに、その司のかみ、をぢ〈に脱歟〉さへものしたまへば参うでたりける。
  いとかしこう喜びて、事のついでに殿にものし給ふなる。
  「姫君はいかゞものし給ふ。
  いくつにか御年などは」と問ひけり。
  帰りてさなむと語れば、いかで聞き給ひけむ、なと〈にイ〉心もなく思ひかくべき程にしあらねばやみぬ。
  その頃、院〈冷泉院〉ののし〈し衍歟〉りゆみあべしとて騷ぐ。
  かみも佐〈道綱〉も同じ方に出でゐの〈てイ〉、日々にはいきあひつゝ同じ事をのみのたまへば「いかなるにかあらむ」など語るに二月廿〈七イ〉日の程に夢に見る、平〈原本四字空白或云と脱歟〉ある所に、忍びて思ひ立つ。
  何ばかり深くもあらずといふべき所なり。
  野燒きなどする頃の花はあやしう遅き頃なれば、をかしかるべき道なれどまだし。
  いと奥山は鳥の声もせぬものなりければ鶯だに音せずと〈木イ〉のみぞ珍らかなるさまに涌きかへり流れたる。
  いみじう苦しきまゝに、辛うじてある人もありかし。
  うき身一つをもて煩ふにこそはあめれと思ふ思ふ、いりあひ吿ぐるほどにぞ至りあひたる。
  みあかしなど奉りて、人すくばかり待ちゐするほど、いとゞ苦しうて夜あけぬと聞く程に雨降り出でぬ。
  いとわりなしと思ひつゝ、法師の坊に至りて、「いかゞすべき」などいふほどに、ことごと明けはてゝ、簑笠やと人は騷ぐ。
  我はのどかにて眺むれば、前なる谷より雲しづしづと昇るに、いともの悲しうて、

224
「思ひきや 天つそらなる あま雲を
 袖して分くる 山踏まむとは」
  とぞ覚えけらし。
  あり〈めイ〉いふ方なければ〈どイ〉さてあるまじければとかうたばかりて出でぬ。
  哀なる人の身にそひて見るぞ我が苦しさもまぎ〈さイ〉るばかり悲しう覚えける。
  からうじて帰りて、又の日いでゐの所より夜更けて帰り来て臥したる所より〈二字にイ〉〈渡イ〉りていふやう「殿なむきんぢが、司のかみのこぞよりいとせちこ〈にイ〉のたうぶ事のあるを、そこにあらむ子は、いかゞなりたる、大きなりや、心ちづきにたりやなどのたまひつるを、又かのかみも、殿は仰せられつることやあ〈りイ有〉つなどなむのたまひつれば、さりつとなむ申しつれば、あさてばかり、よき日なるを御文奉らむとなむのたまひつる」と語る。
  いとあやしきことかな、まだ思ひかくべきにもあらぬをと思ひつゝ寢ぬ。
  〈さイ〉てその日になりてまたあり。
  いと返りし〈こイ〉とうち解けしにくげなるさましたり。
  内は〈はイ無〉の詞は「月頃は思ふる〈如元〉事ありて殿に伝へ申さゝ〈如元〉せ侍りしかば、事のさまばかり聞し召しつ。
  今はやがて聞えさせよとなむ仰せ給ふと承りにしこと、いとおはけなき心の侍りけると思し咎めさせ給はむを、つゝみ侍りつるになむ。
  ついでなくてとさへ思ひ給へしに、つかさめし見給へしになむ、この佐の岩のかうおはしませば参り侍らむこと人見とがむまじう思ひ給ふるに」など、いとあるべかしうに〈一字かきイ〉なし、端に「武藏といひ侍る人の御曹司に、いかで侍はむ」とあり。
  返りごと聞ゆべきを「まづこれはいかなる事ぞと、物してこそは」とてあるに「物忌や何やと折悪しとて、え御覽ぜさせず」とて〈もてイ有〉帰る程に五六日になりぬ。
  覚束なうもやありけむ、すけ〈道綱〉の許に「せちに聞えさすべき事なむある」とて呼び給ふ。
  いよ〈まイ〉いよ〈まイ〉とてある程に、よろ〈ひイ〉こひ〈ろイ〉は帰しつ。
  その程に雨降ればいとほしと〈くイ〉て出づる程に文とりて帰りたるを見れば紅の薄葉一かさねにて紅梅につけたり。
  詞は「いそのかみといふことは知ろしめしたらむかし。

225
 春雨に ぬれたる花の 枝よりも
 人知れぬ身の そでぞわりなき
  あが君あが君猶おはしませ」と書きて、などにかあらむ、あが君とあるうへは、かいけちたり。
  佐「いかゞせむ」といへば、「あなむづかしや。
  道になむ逢ひたるとて、参うでられね」とて出しつ。
  かへりて、「などか御せうそく聞えさせ給ふあひだにても、御返りのなかるべきといみじう恨み聞え給へ〈一字ひつイ〉る」など語るそ〈にイ〉今二日三日ばかりありて、からうじて見せ奉りつ。
  「のたまひつるやうは、何かは、今思ひ定めて」となむいひてしかば、「返り事は早うおし量りてものせよ。
  まだきに来むとあることなむびんなかめる。
  そこにむすめありといふ事は、なべて知る人もあらじ。
  人ことやうにもこそ聞けとなむのたまふ」と聞くに、あな腹立し、そのいはむ人を知るは、なぞと思はむかし。
  さて返り事今日ぞものする。
  「この覚えぬ御せうそこはこの除目の德にやと思ひたまへしかば、即ちも聞えさすべかりしを、殿はなどのたまはせたる事のいとあやしう覚束なきを、尋ね侍るほどのもろこしばかりになりにければなむ。
  されど猶心えはべらぬは、いと聞えさせむ方なく」とて、ものしつ。
  はしに「曹司にとのたまはせたる武藏は、みだりに人をとこそ聞きさすめれ」となむ。
  さて後同じやうなることどもあり。
  かへりごと、たびことにしもあらぬに、いたうはゞかりたり。
 

三月

  三月になりぬ。
  むかしこゝにも、女房につけて申しつかせければ、その人の返りごと見せにあ〈やイ〉り、「おぼめかせ給ふめればなむ。
  これかくなむ殿の仰せはべめる」とあり。
  見れば、「この月日悪しかりけり。
  月立ちてとなむ。
  こよみ御覽じて、たゞ今ものたまはする」などぞ書いたる、いと怪しういち早き曆にもあるかな、なでふ事な〈か脱歟〉りよか〈二字けイ〉る、あらじ、この文書く人のそらごとならむと思ふ。
  朔七八日のほどの晝つ方、「うまの頭おはしたり」といふ。
  「あなかま、こゝになしと答へよ。
  ものいはむとあらむに、まだしきにびなし」などいふ程に、入りてあらはなる籬の前に立ちやすらひ、例も淸げなる人のねはそ〈二字けさうイ〉したるにて、なよゝかなる直衣、太刀ひき佩き例の事なれどあか色の扇すこしみだれたるをもてまさぐりて、風早き程に櫻吹き〈あげイ有〉られつゝ立てるさま、絵に書きたるやうなり。
  淸らの人ありとて、おくまりたる女らの裳などうち解け姿にて出でゝ見るに、時しもあれ、この風のすかた〈三字すだれイ〉をとへ吹き内へ吹き惑はせば、すだれをたのみたるものども、我か人かにておさへひかへ騷ぐまに、何かあやしの袖口も皆見つらむと思ふに、死ぬばかりいとほし。
  よべいでゐの所より、夜更けて帰りてねふしたる人を、起す程にかゝるなりけり〈七字イ無〉
  からうじて起き出でゝ、こゝには人もなきよしいふ。
  風の心ちあり〈わイ〉たゞしさに、格子みは〈なカ〉かねてよりおろしたる程になれば、何事いふも宜しきなりけり。
  强ひて簀子にのぼりて、「今日よき日なり、わらふだかひ〈二字たうびイ〉給へ。
  ゐそめむ」など〈とイ有〉ばかり語ひて、「いとかひなきわざかな」と、うち歎きて帰りぬ。
  二日ばかりありて、唯詞にて、侍らぬほどにものし給へりけるかしこまりなどいひて奉れて後、「いと覚束なくてまかでにしを、いかで」と常にあり。
  にげない事故に、あやしの声さ〈まイ〉でやはなどあるは、ゆるしなきを、「佐にもの聞えむ」といひがてら暮にものしたり。
  「いかゞはせむ」とて格子二まばかりあげて、簀子に火ともして、廂にものしたり。
  佐たいめして早くとてえんにのぼりぬ。
  妻戸を引きあけて、「これより」といふめれば、あゆみ寄るもの、又立ちのきて、「まづ御せうそこ聞えさせ給へかし」と、忍びやかにいふなれば、入りてさなむと物するに「思しか〈よイ〉らむ所に聞えよかし」など人は〈二字いへばイ〉、少しうち笑ひて、よき程にうちそよめきて入りぬ。
  佐と物語忍びやかにして、さくら〈らイ無〉に扇のうちあたる音ばかり、時々してゐたり。
  内に音なうてやゝ久しければ、「佐に一日かひなくてまかでにしかば、心もとなきになむと聞え給へ」とて入れたり。
  「早う」といへば、ゐざりよりてあれど、とみに物もいはず。
  内よりはた、まして昔なし。
  とばかりありて「覚束なうおん〈もイ〉ふみにやあらむ」とて、いさゝかしはぶきの気色したるにつけて「時しもあれ、悪しかりける折に侍ひあひ侍りて」といふを初めにて、思ひはじめけるよりの事いと多かり。
  内には唯いとまがまがしき程なれば「かうのたまふも、夢の心ちなむする。
  ちひさきよりも、世にいふなる鼠追ひの程にだにあらぬを、いとわりなき事になむ」などやうに〈こ脱歟〉たふ。
  声いたうつくろひたなりと聞けば、我もいと苦し。
  雨うち乱る暮れにて、蛙の声いと高し。
  夜更け行けば内より、「いとかくむくつけゞなるあたりは内なる人だにしづ心なく侍るを」といひ出したれば、「何か、これよりまろと思ひ給へ。
  むか〈か衍歟〉しは怖ろしきこと侍らじ」といひつゝ、いたう更けぬれば「佐の君の御いにき〈二字もひイ〉も近うなりにたらむを、その程の雜役をだに仕うまつらむ。
  殿にかうなむ仰せられしと、御けしき給はりて、又のたまはせむ事聞えさせに、あすあさての程にも侍ふべしとあれば、立つなゝり」とて、几帳のほころびよりかきわけて見出せば、簀子にともしたりつる火は、早う消えにけり。
  内には物のしりへにともしたれば、光ありて、との消えぬるも知られぬなりけり。
  影もや見えつらむと思ふにあさましうて、「腹黑う、きえぬとものたまはせで」といへば「何かは、侍ふ人も、答へで立ちにけり、来そめぬれば、しばしはものしつゝ同じ事をものすれど、こゝには御ゆるされあらむ所よりさぞあらむときこそは、わびてもあべかめれと思ふ人〈二字へカ〉ば、せ〈やイ〉んことなき許されはなりにたるを」とて、かしかましう責む。
  「この程こそは殿にも仰せは〈ありイ有〉し。
  二十よ日のほどなむよき日はあなる」とてせめらるれど、佐、司〈の使イ有〉にとて祭にものすべければその事をのみ思ふに、人はいにき〈二字もひイ〉のはつるを待ちけり。
  みそぎの日犬の死にたるを見つけて、いふかひなくとまりぬ。
  さて猶こゝにはいといちはやき心ちすれば思ひかくる事もなきを「これそよりかくなむ仰せありき〈如元〉」とて「せむること聞えよ」とのみあれば、いかでさはのたまはせ〈る脱歟〉にかあらむ、いとかしかましければ見せ奉りつべくて御返りこといひたれば「さは思ひしかども、佐の急ぎしつる程にて、いとは〈るイ有〉かになむなりにける。
  おもへ〈三字もしイ〉御心變らずば、八月ばかりになむ、なりに〈二字にもイ〉ものし給へかし」とあれば、いとめやき心ちして「かくなむはべめる。
  いちはやかりけるこよみは、ふぢやうなりとは、さればこそ聞えさせしか」と物したれば、返り事もなくて、とばかりありて「みづからいと腹立しき事聞えさせになむ参りつる」とあれば「何事にか、いとおどろおどろしく侍らむ。
  さらばこなたに」といはせたれば、「よしよしかう夜晝参りつるとあれば何ごとにか〈つる以下十一字流本無〉きてはいとゞ遙になりなむ」とて、いらへてとばかり佐と物語して、立ちて硯紙とこひたり。
  出したれば、かきておしひねりて入れていぬ。
  見れば、

226
「契りおきし 卯月はいかに 時鳥
 我が身のうきに かけ離れつゝ
  いかにし侍らまし。
  くしいたくこそ。
  暮にを」
  と書きたり。
  手もいとはべり〈三字につかはイ〉しげなりや。
  返りごとやがて追ひて書く、

227
「なほ忍べ 花橘の 枝やなき
 あふひ過ぎぬる 卯月なれども」
  さてその日頃えらび設けつる、廿二日の夜ものしたり。
  こたみは、さきざきのさまにもあらず、いとつゞやかになりまさりたるものから、責むるさまいとわりなし。
  「殿の御許されは道なくなりにたり。
  その程はるかに覚え侍るを、御かへりみにて〈はイ有〉〈かイ有〉でとなむ」とあれば「いかに思してかうはのたまふ。
  その遙なりとの給ふ程にや、うひごとゞもせむとなむ見ゆる」といへば「かひなきほども、物語はするは」といふ。
  「これはいとさにはあらず。
  あやにくにおもぎらひするほどなればこそ」などいふも、聞き分かぬやうにいとわびしく見えたり。
  「むね走るまで覚え侍るを、このみすの内にだにさぶらふと思ひ給へてまかでむ。
  一つ一つをだに、爲すことにし侍らむ。
  かへりみさせ給へ」といひて、すだれに手をかくれば、いとけうとけれど聞きも入れぬやうにて、「いたう更けぬらむを、例はさしも覚え給ふ夜になむある」と、つれもなういへば、「いとかうは思ひきこえさせずこそありつれ。
  あさましう、いみじう、限りなううれ〈はイ有〉しと思ひ給ふべし。
  御曆もちて〈二字ぢくイ〉元になりぬ。
  わるく聞えさする御気色もか〈一字あしイ〉かり」などおり立ちてわびいりたれば、いとなつかしさに、「猶いとわりなきことなりや。
  院にうちになど侍ひ給ふらむ。
  晝間のやうに思しなせ」などいへば、その事の心は苦しうこそはあれ。
  とにすわりてこたふるにいといふかひなし。
  いらへわづらひて、はては物もいはねば「あなかしこ、御けしきも悪しうはべめり。
  さらば今は仰事なからむには聞えさせじ。
  いとかしこく」とて、つまはじきうちして、ものもいはで暫しありて起ちぬ。
  出づるに「まつ」などいはすれど、「更にとら〈二字おとイ〉せで」なんど聞くに、いとほしくなりて、又つとめて、「いとあやにくに、まつとものたまはせで、帰らせ給ひ〈如元〉めりしは、たひらかにや」と聞えさせになむ。

228
「ほとゝぎす また問ふべくも 語らはで
 かへる山路の こぐらかりけむ
  こそいとほしう」と書きて物したり。
  さし置きてな〈けイ〉れば、かれより、

229
「問ふこゑは いつとなけれど 郭公
 あけてくやしき ものをこそ思へ
  といたうかしこまりうけ給はりぬ」とのみあり。
  さゝ〈二字きくイ〉ねりても、又の日、「佐の君今日人々のがりものせむとするを、もろともにつかさにと聞えになむ」としとし〈四字とてかイ〉ごとにものしたり。
  例の硯こへば紙おきて出したり。
  入れて〈三字書きて入れ〉たるを見れば、恠しうわなゝきたる手にて「昔の世に如何なる罪を作くり侍りて、かう妨げさせ給ふ身となり侍りけむ。
  あやしきさまにのみなりまどひ侍るは、なり侍らむことも、いと難し。
  さらにさらに聞えさせじ。
  今は高き峰になむのぼり侍るべき」などふさに書きたり。
  かへりごと「あな怖ろしや。
  などかうはのたまはすらむ。
  恨み聞え給ふべき人はことにこそはべめれ。
  峰は知り侍らず。
  谷のしるべはしも」と書きて出したれば、佐、一つに乗りて物しぬ。
  佐の賜はり馬、いと美くしげなるを、とりて帰りたり。
  その暮に又ものして「一夜のいとかしこきまで聞えさせ侍りしをおもひ給ふれば、更にいとかしこし。
  今はたゞ殿より仰せあらむほどを、〈まちイ有〉さふらはむなど聞えさせになむ今宵はおひ直りして参り侍りつる。
  な死にそと仰せ侍りしは、千歳の命堪ふまじき心ちなむし侍る。
  手を折り侍るは、および三つばかりはいとようふしおきし侍ると、思ひ〈三つ以下二十字流布本無〉やりのはるかに侍れば、つれづれとすごし侍らむ月日を殿居ばかりを簀のはしわたり許され侍りなむや」といとたとしへなくけざやかにいへば,それに從ひたる。
  かへりごとなど物して、今宵はいととく帰りぬ。
  佐を、明暮呼びまとはせるつ〈さイ〉まに物す。
  女絵をかしくかけりけるがありければ、取りて懷に入れてもて来たり。
  見れば釣殿と思しき高欄におしかゝりて、中鳥の松をまは〈もイ〉りたる女あり。
  そこもとに紙の端に書きてかくおしへて〈二字たりイ〉

230
「いかにせむ 池のみづ 波さわぎては
 こゝろのうちの まつにかゝらば」
  またやもめずみしたる男の、文書きさして、つらづゑつきて、ものおもふさましたる所に、

231
「さゝがにの いづこともなく 吹く風は
 かくてあまたに なりぞすらしも」
  とものして、もて帰り置きけり。
  かくて猶同じごと「絶えず殿にもよほし聞えよ」など常にあれば返りごとも見せむとて、かくのみあるを「こゝには答へなむ煩ひぬる」とものしたれば、「〈いまイ有〉程はさ物してしを、などか、かくはあらむ。
  八月待つ程は、そこにびゞしうもてなし給ふとか、世にいふめる。
  それはしも、うめきも聞えてむかし」などあり。
  たはぶれと思ふ程に、たびたびかゝれば、〈あ脱歟〉やしう思ひて、「こゝにはもよほし聞ゆるにはあらず。
  いとうるさく侍れば、すべてこゝにはの給ふまじきことなりと、物し侍るを、なほう〈ぞイ〉あめれば、見給へ餘りてなむ。
  さてなでふことにも侍るかな。

232
 今更に いかなるこまか なつくべき
 すさめぬ草と のがれせぬ身を
  あなまばゆ」とものしけり。
  かうの君、猶この月の内には賴みをかけて責む。
  この頃例の年にも似ず。
  郭公たちおとをしてといふばかりに鳴くと聞くにもかく文の端つかたに、例ならぬ郭公の音なひにも、安き空なく思ふべかめれ〈どイ有〉、かしこまりを、甚だしうおきたれば、つやゝかなることはものせざりけり。
  すけ、うまぶねしばしと借りけるを、例の文のはしに、「佐の君に異ならずば、うまぶねなしと聞えさせ給へ」とあり。
  かへりごとにも「うまぶねはたてたる所ありて覚えずなれば、給ふらむに煩し〈くイ有〉はか〈二字侍るイ〉」なんど物したれば、立ち帰りて「たてたる所はべなるふねは、今日明日の程に埒ふすべき所ほしげになむ」とぞある。
  かくて月果てぬれば、遙になり果てぬるに、おもひうじぬるにやあらむ、音なうて月立ちぬ。
  四日に雨いといたう降るほどに、すけの許に、「あまゝ侍らば立ち寄らせ給へ。
  聞えさすべき事なむある。
  うへには身の宿世の思ひ知られ侍りて、聞えさせずと執り申させ給へ」とあり。
  かくのみ呼びつるは、何ごとゝいふこともなくて、戯れつゝぞ帰しける。
  今日かゝる雨にもさはらで、同じ所なる人〈とイ有〉ものへまうでつ。
  障ることもなきにと思ひて出でたれば、ある者「女かみには、きぬ縫ひて奉るこそよかなれ。
  さし給へ」と、寄り来てさゝめけば、「いで試みむかし」とて、かとりのひゝなぎぬ三つ縫ひたり。
  したがひどもにかうぞ書きたりけるは、如何なる心ばへにかありけむ、かみぞ知るらむかし、

233
「白妙の ころもは神に ゆづりてむ
 へだてぬ中に かへしなすべく」
  たま〈二字またイ〉

234
「唐衣 なれにしつまを うちかへし
 わがしたがひに なすよしもがな」
  又、

235
「夏ごろも たつやとぞ見る 千早ふる
 神をひとへに たのむ身なれば」
  暮るれば帰りぬ。
  明くれば五日の曉にせうとたる人ほかより来て「いづら、今日のさそう〈二字はふイ〉は、などか遅うは仕うまつる。
  よる〈二字早くイ〉しつるこそよけれ」などいふに驚きてしやうぶふくなれば、皆人も起きて、格子放ちなどすれば、「暫し格子はな参りそ。
  たゆくかまへてせむ。
  御覽ぜんにもともなりけり」などいへど、みな起き果てぬれば、事行ひてつ〈ふイ〉かす。
  昨日の雲返す風うち吹きたれば、あやめの香は、やうかゝへていとをかし。
  簀子に佐と二人ゐて「天下の木草を取り集めて、めづらしげなる藥玉せむ」などいひて、そゝくりゐたる程に、「この頃はめづらしげなう、郭公のむらと〈がイ〉りてそふくにおり居たる」などいひのゝしる声なれど、空をうちかけりて、二声三声聞えたるは、身にしみてをかしうおぼえたれば、「山郭公今日とてや」など、いはぬ人なうぞうち遊ぶめり〈如元〉
  少し日たけてかんの君、「まてつがひに物し給はゞ、諸共に」とあり。
  「さぶらはむ」といひつるを、しきりに「遅し」などいひて人くれば物しぬ。
  又の日もまだしきに、「昨日はうそ〈三字道綱イ〉ふかせ給ふことしげかんめりしかば、え物も聞えずなりにき。
  今のあひだも御いとまあらばおはしませ。
  うへ〈道綱母〉のつらくおはしますことゝ〈一字衍歟〉更にいはむかたなし。
  さりとも命侍らば、世の中は見給へてむ。
  死なば思ひ較べてもいかゞあらむ。
  よしよしこれは忍びごと」とて、みづからはものせず。
  又二日ばかりありて、「まだしきよりよくきせむ。
  そなたにや参りつべき」などあれば「早う物せよ。
  こゝには何せむに」とて出し立つ。
  「例の〈せむに以下十一字流布本無〉事もなかりつ」とて、帰りきたりぬ。
  「今二日ばかりありて、とり聞ゆべきことあり。
  おはしませ」とのみ書きて、まだしきにあり。
  「唯今さぶらふ」といはせて、しばしある程に、雨いたう降りぬ。
  夜さへかとりて止まぬ〈ねイ〉ば、えものせでなさけなし。
  せうそこをだにとて、「いとわりなき雨に障りてわび侍り。
  かばかり、

236
「絶えず行く わがなか河の 水まさり
 をちなる人ぞ こひしかりける」
  かへりごと、

237
「あはぬせを 恋しとおもはゞ 思ふどち
 へむ中川に われをすませよ」
  などあるほどに、暮れはてゝ雨やみたるにみづからな〈一字きたれイ〉り。
  例の心もとなきすぢをのみあれば「なにかみつとのたまひし。
  および一つは折りあへぬほどに、過ぐめるものを」といへば「それもいかゞ侍らむ。
  ふじやうなる事どもゝはべめれば、くじはから〈二字てゝイ〉またお〈こイ有〉らす程にもやなり侍らむ。
  など〈ほイ〉いかでおとゞの御こと〈曆イ〉のみ、なか切りて続くわざもし侍りしがな」とあれば、いとをかしうて、「帰る雁を鳴かせて」など答へたれば、いとほがらかにうち笑ふ。
  さてかの美々しうもてなすとありしことをおもひて、「いとまめやかには心一つにも侍らず。
  そゝのかし侍らむことは難き心ちなむある」と物すれば、「いかなることにか侍らむ。
  いかでこれをだにうけ給はらむ」とて、あまたたび責めらるれば、げにとも知らせむ、詞にいへば出でにくきをと思ひて、「御覽ぜさするにも、びなき心ちすれど、たゞこれ催し聞えむとの苦しきを見たまへとてなむ」とてかたはなつに〈二字るべきにイ〉そはやり〈るイ〉〈りイ有〉てさし出でたれば簀子にすべり出でゝ、おぼるなる月にあてゝ久しう見て入りぬ。
  「紙の色にさへまぎれて、更にえ見給へず。
  晝侍ひて見給へむ」とて、さしいれ〈つイ有〉
  〈はイ有〉や今はやりてむ」といへば「猶しばしやらせ給はむ」などいひて、これなることほのかにも見たり顏にもいはで、たゞ「こゝにわづらひ侍りし程の力なれば愼むべき物なり」と人もいへば、「心細う物の覚え侍る事」とて、をりをりにそのことゝも聞えぬ程に、しのびてうちずて〈一字イ無〉することぞある。
  「つとめてつかさに物すべきこと侍るも〈二字れはイ〉佐の君に聞えにやりてさふらはむ」とて、立ちぬ。
  〈よイ〉べ見せし文、枕上にあるを見れば、われ〈がイ〉やると思ひしところはことにて、又やれたる所あるはあやしと〈さイ〉に思はくの返り事せしに、いかなる駒かとありし事のとかく書き付けたりしを、やりとりと〈たイ〉るなべし。
  まだしきに、すけのもとに「みだり風起りてなむ聞えしやうにはえ参らぬ。
  こゝに午時ばかりにおはしませ」とあり。
  例の何事にもあらじとて物せぬ程に文あり。
  それには「例よりもいそぎ聞えさせむとしつるを、いとつゝみ思ひ給ふることありてなむ。
  よべの御文をわりなく見給へ難くてなむ。
  わざと聞えさせ給はむ事こそ難からめ。
  をりをりには、よろしかべいさまにと賴み聞えさせながら、はかなき身のほどをいかにと、あはれに思う給ふる」など例よりもひきつくろひて、らうたげに書いたり。
  返り事は、やうなく常にしもと思ひてせずなりぬ。
  又の日猶いとほしく若やかなるさまにもありと思ひて、「昨日は人の物忌侍りしに、日暮れてなむ。
  心あるとやといふらむやうに、おき給へしをりをりにはいかでと思ひ給ふるを、ついでなき身になり侍りてこそ、心し〈一字もありイ〉げなる御はしがきをなむげにと思ひ聞えさせそ〈ずイ〉や、紙の色は晝もやおぼつかなう思さるらめ」とて、これよりぞものしたりけるをりに、法師ばらあまたありてさわがしげなりければさしおきて来にけり。
  まだしきにこれより、さまかはりたる人々ものし侍りしに、日も暮れてなむ使もまゐりにける。

238
「なげきつゝ あかしくらせば 郭公
 この卯のはなの かげに鳴きつゝ
  いかにし侍らむ。
  今宵はかしこまり」とさへあり。
  返り事は「昨日のかへりにこそ帰〈侍イ〉りけめ。
  何かさまではとあやし。

239
 かげにしも などか鳴くらむ 卯の花の
 えだにしのぶの 心とぞ聞く」
  とて、うへ書いけちてはしに「かたはなる心ちし侍りや」と書いたり。
  その程に左京の官うせ給ひぬと物すべかめる。
  内にも愼み深うて山寺になどしげうて、時々驚かしてみなつきもはてぬ。
 

七月

  七月になりぬ。
  八月近き心ちするに、見る人は猶いとうら若く、いかならむと思ふことしげきにまぎれて、わが思ふことは今は絶え果てにな〈け〉り。
  七月中の十日ばかりになりぬ。
  かうの君いとあさり、かれは我を賴みたるかなと思ふ程に、或人のいふやう「こ〈うイ〉まのかんの君はも〈ひイ〉とのめを盜みとりてなむあるとそ〈こイ〉ろに隱れゐ給へる。
  いみじうをこなる事になむ世にもいひ騷ぐなる」と聞きつれば、我は限なくめやすい事をも聞くかな、月の過ぐるにいかにいひやらむと思ひつるにと思ふものから、怪しの心やとは思ひなむかし。
  さて又文あり。
  見れば人しも問ひたらむやうに「いであなあさましや。
  心にもあらぬ事を聞えさせはつべきにもす〈さイ有〉まじ。
  かゝらぬすぢにてもとり聞えさする事侍りしかば、さりとも」などぞある。
  かへりごと「心にもあらぬことのたまはせたるは、何にかあらむ。
  かゝらぬさまにて、とりもの忘れをせさせ給はざりけると見給ふるなむいとうしろやすき」とものしけり。
 

八月

  八月になりぬ。
  この世のなかはもがさおこりてのゝしる。
  二十日のほどに、このわたりにも来にたり。
  佐いふかたなく重く煩ふ。
  いかゞはせむとて事絶えたる人〈兼家〉にもつぐばかりあるに、我が〈心のイ有〉うちは、まいてせむかた知らず。
  さいひてやはとてふも〈みイ〉して吿げたれば、かへりごといとあらゝかにてあり。
  さては詞にてぞいかにといはせたる。
  さるまじき人だにぞきとぶらふめると見る心ちぞそへてたゞならざりける。
  うまの頭〈おもイ有〉もなくしばしばとひ給ふ。
  九月ついたちにをこたりぬ。
  八月二十よ日よりふけ〈りイ〉そめにし雨、この月もやまず降りくらがりて、この中河も大路も、一つに行きあひぬべく見ゆれば、今や流るゝとさへおぼゆ。
  世の中いとあはれなり。
  かどのわさだもいまだ刈り集めず。
  たまさかなるあまゝに、やいごめばかりぞわか〈ざイ〉にしたる。
  もがさせり〈二字世の中イ〉いかにもさかりにて、この一條の大政の大とのゝ子〈擧賢義孝〉二人ながら、その月の十六日になくなりぬといひ騷ぐ。
  思ひやるもいみじき事限なし。
  これを聞くもをこたりにたる人ぞゆゝしき。
  かくてあれどことなる事なければまだありきもせず。
  廿日あまりにいと珍しき文にて「佐はいかにぞ。
  こゝなる人は皆をこたりにたるに、いかなれば見えざらむとおぼつかなさになむ。
  いとにくゝし給ふめれば、うとむとはなくて、いどみなむ過ぎにける。
  忘れぬ事はありながら」と、こまやかなるを、あやしとぞ思ふ。
  かへりごと、問ひたる人〈道綱〉のうへばかりきく〈二字きこえてイ〉はしに「まこと忘るゝは、さもや侍らむ」と書きてものしつ。
  佐ありきしはじむる日、道に、かの文やりし所行きあひたりけるを、いかゞしけむ、車のとうかゝりてわづらひけりとて、あくる日「よべはさらになむ知らざりける。
  さても、

240
 年月の めぐりくるまの わになりて
 思へばかゝる をも〈りイ〉もありけり」
  といひたりけるを取り入れて見て、その文のはしに、なほなほしき手して、あ〈かイ〉ゝす。
  「こゝにはこゝには」とぢうてんがちにかへしたりけむこそ、なほあら〈め脱歟〉
 

神無月

  かくて神無月になりぬ。
  二十日あまりのほどに、忌み違ふとて、わな〈たイ〉りたるところにて聞けば、かのは〈三字イ無〉かの忌の所には、子產みたなりと人いふ。
  なほあらむよりはあなにくとも聞き思ふべけれどつれなうて、ある宵のほど〈ひとイ有〉もじだいなどものしたるほどに、せうとゝおぼしき人、近う這ひよりて、ふところよりみちのくに紙にて、引き結びたる文の、枯れたる薄にさしたるをとり出でたり。
  「あやし。たがぞ」といへば、
  「なほ御覽ぜよ」といふ。
  あけてひかげに見れば、心つきなき人の手のすぢにいとよう似たり。
  書いたる事は、「かのいかなるこまかとありけむはいかゞ。

241
 霜がれの 草のゆかりぞ あはれなる
 こまがへりても なつけてしがな
  あな心苦し」とぞある。
  我が人にいひやりて、くやしと思ひし事のなゝもじなればいとあやし。
  「こは〈た脱歟〉がぞと〈と衍歟〉後堀河殿〈兼通〉のことにや」と問へば「おほきおとゞの御文なり。
  御隨身にあるそれがしなむ殿にもて来たりけるを、おはせずといひけり〈れイ〉ど、なほぞたしかにとてなむ、おきてけり〈如元〉」といふ。
  いかにして聞き給ひけることにかあらむと、思へども思へどもいとあやし。
  又人ごとにいひ合はせなどすれぱ、ふるめかしき人〈倫寧〉、聞く〈一字きつイ〉けて、「いと忝し。
  はや御返りして、かのもて来たりけむ御隨身に取らすべきものなり」とかしこまる。
  されば、かくおろかには思はざりけめど、いとなほざりなりや。

242
「さゝわけば あれこそまさめ 草枯の
 こまなつくべき もりの下かは〈けイ〉
  とぞ聞えける。
  ある人のいふやう、「これがかへし今一度せむとて、なからまではあそばしたなるを、末なむまだしきとのたまふなる」と聞きて久しうなりぬるなむをかし〈かりイ有〉けり〈如元〉
  臨時の祭あさてとて佐俄に舞ひ人にめされたり。
  これにつけてぞ珍しき文ある。
  「いかゞする」などゝているべきもの皆ものしたり。
  試樂の日〈またイ有〉あるやう「けがらひの暇なる所なれば内にもえ参るまじきを、参り来て見出したてむとするを、寄せ給ふまじかなればいかゞすつ〈一字べかイ〉らむ。
  いとおぼつかなき事」とあり。
  胸つぶれて今さらになにせむにかと思ふ事しげ〈けイ有〉れば「とくさうぞきて、かしこへを参れ」とていそがしやりたりければ、まづぞうち泣かれける。
  諸共に立ちて舞ひわたりならせて参らせてけり。
  祭の日いかゞは見ざらむとて出でたれば、またのつらになでふこともなきびりやうせしわくちうちおろして立てり。
  口の方、すだれの下より淸げなるかいねりに、紫の織物重なりたる袖ぞ〈さしイ有〉出でためるを女車なりけりと見る所に、車のしりの方にあたりたる人の家の門より六位なるものゝ、たちはきたるふるまひ出で来て、前の方にひざまづきて、ものをいふに、驚きて目をとゞめて見れば、かれが出で来つる車のもとには、あかき人黑き人多うて藪もしらぬほどに立てりけり。
  よく見もていけば、見し人々のあたりなりけりと思ふ。
  例の年よりはことどうなりて、上達部の車かいつれてくるもの皆かれを見てなべし。
  そことにもとまりて、おほ〈なイ〉じ所に口をつどへて立ちたり。
  我が思ふ人にはかに出でたる程よりは、供人などもきらきらしう見えたり。
  上達部手每に菓物などさし出でつゝものいひなどし給へばおもたゝしき心ちす。
  又ふるめかしき人も、例のゆるされぬことにて山吹のなかにあるを、うち散りたる中にさし分きてとらへさせて、かのうちより酒などとり出でたれば、かはらけさしかけられなどするを見れば、唯そのかた時ばかりや、行く心もありけむ。
  さて佐〈道綱〉にかくてやなどさかしらがる人のありてものいひ続く人あり。
  八橋の程にやありけむ、始めて、

243
「かづらきや 神代のしるし 深からば
 たゞ一ことに うちもとけなむ」
  かへりごとこたびはな〈あイ〉めり。

244
「葛城の 蛛手はいづこ やつはしの
 ふみ見てけむ〈りイ〉と たのむかひなく」
  こたびぞかへりごと、

245
「通ふべき 道にもあらぬ やつはしの〈をイ〉
 ふみ見てきとて なに賴むらむ」
  と書きてして〈如元〉書いたり。
  又、

246
「なにかその 通はむ道の かたからむ
 ふみ始めたる あとをたのめる〈ばイ〉
  又かへりごと、

247
「尋ぬらむ〈ともイ〉 かひやなからむ 大空の
 くもぢは通ふ あとはかもあらじ」
  まけじと思ひ顏なめれば、又、

248
「おほ空も 雲のかけはし なくばこそ
 かよふはかなき 歎きをもせめ」
  かへし、

249
「ふみゝれど 雲のかけはし あやふしと
 思ひしらずも たのむなるかな」
  又やる、

250
「なほをらむ 心たのもし あしたづの
 くもぢおりくる つばさやはなき」
  こたみはくらしとてやみぬ。
 

師走

  しはすになりにたり。
  又、

251
「かたしきし〈てイ〉 としはふれども さごろもの
 なみだにしむる 時はなかりき」
  「ものへなむ」とてかへり事なし。
  又の日ばかり返りごと、こひにやりたれば、「そばの木に見き」とのみ書きておこせたり。
  やがて、

252
「我がなる〈かイ〉は そばのぬるかと 思ふまで
 見きとばかりも 気色ばむかな」
  かへりごと、

253
「天雲の 山のはるけき まろ〈つイ〉なれば
 そばぬるいろは ときはなりけり」
  「ふる年にせち分するを、こなたに」などいはせて、

254
「いとせめて 思ふ心を 年のうちに
 はるくることも しらせてしがな」
  かへり事なし。
  又ほどなき事をすくせなどやありけむ、

255
「かひなくて 年暮れはつる 物ならば
 春にもあはぬ 身ともこそなれ」
  こたみもなし。
  いかなるにかあらむと思ふほどに、かういふ人あまたあなりと聞く。
  さてなるべし、

256
「我ならぬ 人まつならば 待つといはで
 いたくな越しそ 沖つ白浪」
  返り事、

257
「越しもせず こさずもあらず 浪よせの
 濱はかけつゝ 年をこそ経れ」
  年せめ〈二字かへりイ〉て、

258
「さもこそは 浪の心は つらからめ
 としさへ越ゆる まつもありけり」
  かへりごと、

259
「千歳経る まつもこそあれ ほどもなく
 越えては帰る 程やとほか〈まらイ〉ず」
  とぞある。
  あやし、なでふ事ぞと思ふ。
  〈ふ脱歟〉きあるゝほどにやる、

260
「吹く風に つけてもものを 思ふかな
 大海の浪の しづこゝろなく」
  とてやりたるに、「聞ゆべき人は今日のことを知りてなむ」と、異手してひと葉ついたる枝につけたる。
  たちかへり「いとほしう」などいひて、

261
「我が思ふ 人はたそとは 見なせども
 なげきのえだに やすまらぬかな」
  などぞいふめる。
  今年いたうあるゝことなくて、はだら雪ふたゝびばかりぞ降りつる。
  佐の朔日のものものども〈四字の具とてイ〉白馬にものすべきなどものしつるほどに、暮れはつる日にはなりにけり。
  明日のものをりまかせつゝ、人にまかせなどして思へば、かうながらこ〈にイ〉ひけふになりにけるもあさましう、みたまなど見るにも、例の盡きせぬことにおぼゝれてぞはてにける。
  年のはてなれば、夜いたう更けてぞたゝきくなる。
   
  今に平に〈流布本有本ノマヽ四字〉
   
参考

付録

   
  〈以下後人所挿添〉
  佛名のあしたに雪の降りければ、

262
「年の内に 積み消す庭に ふる雪は
 つとめてのちは つもらざらなむ」
  殿かな〈れイ〉給ひて久しうありて、七月十五日ぼと〈にイ〉のことな〈ど脱歟〉きこえのたまへるつかそつかそとよ〈八字御返り事にイ〉

263
「かゝりける この世も知らず 今とてや
 あはれはちすの 露をまつらむ」
  四の宮〈爲平親王〉の御ねの日に、殿にかはり奉りて、

264
「峰の松 おのがよはひの 藪よりも
 いまいく千世ぞ きみにひかれて」
  その子の日の日記を宮に侍ふ人に、借り給へりけるを、その年は后宮〈安子村上后〉うせさせ給へりけるほどに暮れはてぬれば、又の年の春かへし給ふとて、はしに、

265
「袖の色 かはれる春を 知らずして
 こぞにならへる 野邊のまつらむ〈かもイ〉
  内侍のかんの殿、「天の羽衣といふ題をよみて」と聞えさせ給へりければ、

266
「ぬれぎぬに 天の羽衣 むすびけり
 かつはもしほの 火をし消たねば」
  みちの國にをかしかりける所々を絵に書きて、もてのぼりて見せ給ひければ、

267
「みちのくの ちがの島にて 見ましかば
 いかに躑躅(つつじ)の をかしからまし」
  ある人加茂の祭の日婿とりせむとするに、男のもとよりあふひ嬉しきよしいひおこせたりけるかへりごとに、人にかはりて、

268
「たのみ〈まイ〉ずな 御垣をせばみ あふひはゝ〈くさイ〉
 しめのほかに〈もイ有〉 ありといふなり〈如元〉
  親の御忌にて、一つ所にはらか〈らイ有〉たちあつりておはするを、こと人々は忌みはてゝ家に帰りぬる〈にイ有〉一人とまりて、

269
「深草の や〈さイ〉とになりぬる やどもなど
 とまれるつゆの たのもしげなき」
  かへし、ためまさの朝臣、

270
「深草の 誰もこゝろに しげりつゝ
 あさちがはらの つゆにけぬべし」
  當代の御いかに、ゐのこのかたを作りたりけるに、

271
「よろづ世を よばふ山べの 猪の子こそ
 きみがつ〈さイ〉かふ〈ゆイ〉る よはひなるべし」
  殿より八重山吹を奉らせ紿へりけるに、

272
「誰かこの 藪は定めし われはたゞ
 とへとぞおもふ やまぶきのはな」
  はらからの、みちのくにの守にて下るを長雨しける頃、その下る日、晴れたりければ、かの國にかはく〈河泊〉といふ神あり。

273
「我が國の 神のまもりや 添へりけむ
 かはくげかりし あまつ空かな」
  かへし、

274
「今ぞ知る かはくと聞けば 君がため
 天照る神の 名にこそはあれ」
  鶯、柳の枝にありといふ題を、

275
「我が宿の やなぎの糸は 細くとも
 来るうぐひすは 絶えずもあらなむ」
  伝の殿〈道綱〉、始めて女のがりやり給ふにかはりて、

276
「今日ぞとや つらく待ち見む わが恋は〈のイ〉
 始もなきか こなたなるらむ〈べしイ〉
  度々のかへり事な〈かイ有〉りけれは、時鳥のかたをつくりて、

277
「飛びちがふ 鳥のつばさを いかなれば
 すだつ歎きに 返さゞるらむ」
  猶返り事せざければ、

278
「さゝがにの いかになるらむ 今日だにも
 知らばや風の 乱る気色を」
  又、

279
「絶えてなほ すみのえになき 中ならば
 きしに生ふなる くさもがなきみ」
  かへし、

280
「すみよしの 岸に生ふとは 知りにけり
 つまむ摘まじは きみがまにまに」
  さねかたの兵衞の佐にあはすべしと聞きたまひて、少將〈道綱〉にぞ〈とイ〉おはしけるほどのことなるべし、

281
「かしはぎの 森だにしげく 聞くものを
 などか三笠の 山のかひなき」
  かへし、

282
「かしはぎの〈もイ〉 三笠のやまも 夏なれば
 しげり〈れイ〉〈てイ〉あやな 人の知らなく」
  かへりごとするを、親か〈はカ〉らは〈かカ〉ら制すと聞きて、まろ小菅にさして、

283
「うちそばみ 君一人見よ まろこすげ
 まろは一すげ なしといふなり」
  わづらひ給ひて、

284
「うつせがは 淺さの程も 知らは〈れイ〉じと
 思ひしわれや まづ渡りなむ」
  かへし、

285
「みつせ川 われよりさきに 渡りなば
 みぎはにわぶる 身とやなりなむ」
  かへりごと、するをりせぬをりのありければ、

286
「かくめりと 見れば絶えぬる さゝがにの
 糸ゆゑ風の つらくもあるかな」
  七月七日、

287
「七夕に けさひく糸の 露を〈おカ〉〈衍歟〉
 みたわむけしきも 見でややみなむ」
  これはあしたの、

288
「わ〈日ごイ〉ろより あしたのそでぞ ぬれにける
 なにを晝まの 慰めにせむ」
  入道殿〈兼家〉、中納言爲雅朝臣のむすめを忘れ給ひにける後、「日陰の糸結びて」とて給へりければ、それにかはりて、

289
「かけて見し 末も絶えにし 日陰草
 なにゝよそへて 今日結ぶらむ」
  女院〈上東門院〉いまだ位におはしましゝをり八講行はせ給ひける捧げ物にはちすの珠藪参らせ給ふとて、

290
「となふなる 波の藪には あらねども
 はちすのうへの 露にかゝら〈なりなイ〉む」
  同じ頃、傳の殿、橘を参らせ給へりければ、

291
「かばかりも とひやはしつる ほとゝぎす
 はな橘の こゝ〈二字香カ〉にこそありけ〈二字イ無〉れ」
  かへし、

292
「橘の も〈なイ〉りものならぬ 身をしれば
 しづえなくては とはぬとぞ聞く」
  小一條の大將〈濟時〉、ひつにおはしけるに、伝の殿〈道綱〉を「必ずおはせ」とて、待ち聞え給ひけるに、雨いたう降りければ、えおはせぬ程に、隨身雨いたうふりければえおはせぬほどにすゐじん〈雨以下廿一字衍歟〉「したくらをおほみ」と聞え給へりける、かへり事に、

293
「ぬれつゝも 恋しきみちは より〈ぎイ〉なくに
 まだきこへ〈一字衍歟〉ず ゑと思はざらむ」
  中將の、尼に家を借り給ふに、借し奉らざりければ、

294
「蓮葉の 浮葉をせばみ この世にも
 やどらぬつゆと 身をぞ知りぬる」
  かへし、

295
「はちすにも たまゐよとこそ むすびしか
 露は心を 置きたがへけり」
  粟田野見て帰り給ふとて、

296
「花薄(はなすすき) 招きもやまぬ やまざとに
 こゝろのかぎり とゞめつるかな」
  故爲雅朝臣、普門寺に千部の経供養するにおはして帰り給ふに、小野殿の花いとおもしろかりければ、車引き入れて帰り給ふに、

297
「たきゞこる ことは昨日に つきにしを
 いざをのゝえは こゝにくたさむ」
  駒くらべのまけわざとおぼしくて白銀のこりわりか〈そりわりこイ〉をして院に奉らむとし給ふに、この歌〈かゝ脱歟〉むとて攝政殿〈兼家〉より歌聞えさせ給へりければ、

298
「千代もへよ たちかへりつゝ 山城の
 こまにくらべし こりの末なり」
  絵の所に、山里にながめたる女あり。
  時鳥鳴くに、

299
「都びと ねてまつらめや ほとゝぎす
 いまぞ山べを 鳴きて過ぐなり〈如元〉
  この歌は寬和二年の歌合にあり。
  法師舟に乗りたる所、

300
「渡つ海は あまの舟こそ ありと聞け
 乗りたがへても 漕ぎてけるかな」
  殿〈兼家〉かれ給ひて後、「通ふ人あべし」など聞え給ひければ、

301
「いざ〈まイ〉さらは〈にイ〉 いかなるこまかな つくべきす
 さめぬ草と のがれにし身を」
  歌合に卯の花、

302
「卯の花の 盛なるべし やまざとの
 ころもさぼせる をりと見ゆるは」
  時鳥、

303
「ほとゝぎす 今ぞさわたる 声すなる
 わが吿げなくに 人や聞くらむ」
  あやめ草、

304
「菖蒲草 今日のみぎはを 尋ぬれば
 ねをしりてこそ かたよりにけれ」
  螢、

305
「五月雨や こぐらき宿の 夕されは
 おもてるまでも てらすほたるか」
  とこなつ、

306
「吹きにける 枝なかりせば とこなつも
 のどけき名をや 残さゞらまし」
  蚊遣火、

307
「あやなしや 宿の蚊やり火 つけそめて
 かたらふ虫の 声をさけつる」
  蟬、

308
「おくるといふ 蟬の初声 聞くよりぞ
 いまかと荻の あきを知りぬる」
  夏草、

309
「こまやくる 人や別くると 待つほどに
 繁りのみます 宿のなつくさ」
  恋、

310
「思ひつゝ 恋ひつゝはねじ〈つねにイ〉 逢ふと見る
 夢を〈もイ〉さめては くやしかりけり」
  いはひ、

311
「藪知らぬ 真砂にたづの 程よりは
 ちぎりそめけむ 千代ぞすくなき」
  〈以下後人奥書〉心得ぬ所々は本のまゝに書けり。
  賀の歌は日記にあれば書かず。
  蜻蛉日記終