伊勢物語 75段:みるをあふ あらすじ・原文・現代語訳

第74段
岩根ふみ
伊勢物語
第三部
第75段
みるをあふにて
第76段
小塩の山

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  ♀心はなぎぬ ♂やまんとや 
 
  ♀つれなくは ♂つらき心
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 昔男が、伊勢に行くと女(斎宮)に言った時のやりとり。
 会うに会えず(69-74段)、女も心穏やかではなく(心はなぎぬ)、男も会いたいのは山々。
 女はつれなし、男はつらいよという、その心は。あなたも仕事もどっちも大事。
 
 いや、というより世の人(女の子)を幸せにするために仕事しているの。だからこうして物語を残している。
 仕事それ自体は目的ではない。お互いにとって。
 
 それなのに全然報われない(24段梓弓、60段花橘)。
 生活に困る子は寂しがらせ、困っていない子には近づけない。
 この世では会うことが、こんなに難しいのか?
 
 ~
 

 女大淀の 松はつらくもあらなくに 浦見てのみも かへる波かな72段

 女大淀の 浜に生ふてふみるからに 心はなぎぬ かたらはねども

 男袖ぬれて あまの刈りほすわたつ海の みるを逢ふにて やまんとやする

 女岩間より 生ふるみるめしつれなくは 汐干汐満 ちかひもありなむ

 男涙にぞ ぬれつゝしぼる世の人の つらき心は 袖のしづくか
 

 ここでは、大淀・松阪の松を待つに、それを津浦の海にかけた海松(みる)で、みるみるうちにあいまして。
 会いたい気持ちがあい増して。しょっぱい涙で、ふやかします。
 
 ~
  

 なお、冒頭の「率ていきて」は39段「率ていで」と符合し、次の段で、むかし男が二条の后に仕えて氏神(つまり伊勢)に参る話のこと。
 したがってどちらにも車が出現する。39段で「女車」に源至に蛍を放り込まれた「車なりける人」は明示されないが、ここに至って二条の后と確定。
 だから「むかし男」と二条の后は、熱烈な関係とやらで公然と近くにいる訳ではない。後宮(縫殿=女官担当)に仕えていた。だから仕事。
 だから禁断だの夜這いだの、伊勢への子種云々は下賤が伊勢に乗じてまき散らした実にばかげた売名行為。
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第75段 みるをあふにて 大淀の 海松(みる) ※72段「大淀の松」
   
 むかし、男、 むかし、おとこ、  むかし男。
  伊勢の国に 伊勢のくにゝ 伊勢の國なりける女に。
  率ていきてあらむ ゐていきてあらむ、 又もえあはでうらみければ。
  といひければ、女、 といひければ女、 女。
       

135
 大淀の
 浜に生ふてふみるからに
 おほよどの
 はまにおふてふ見るからに
 大淀の
 濱におふてふみるからに
  心はなぎぬ
  かたらはねども
  こゝろはなぎぬ
  かたらはねども
  心はなきぬ
  かたらはねとも
       
  といひて、ましてつれなかりければ、 といひて、ましてつれなかりければ、 といひて。ましてつれなかりければ。
  男、 おとこ、  
       

136
 袖ぬれて
 あまの刈りほすわたつ海の
 袖ぬれて
 あまのかりほすわたつうみの
 袖ぬれて
 蜑の刈干すわたつ海の
  みるを逢ふにて
  やまんとやする
  みるをあふにて
  やまむとやする
  みるめ逢迄
  やまんとやする
       
  女、 女、 女。
       

137
 岩間より
 生ふるみるめしつれなくは
 いはまより
 おふるみるめしつれなくは
 岩間より
 生るみるめし常ならは
  汐干汐満
  ちかひもありなむ
  しほひしほみち
  かひもありなむ
  汐干汐みち
  かひもあらなん
       (しほり〳〵はかひもからなん一本)
          (ありなし一本)
       
  また男、 又、おとこ、 又。おとこ。
       

138
 涙にぞ
 ぬれつゝしぼる世の人の
 なみだにぞ
 ぬれつゝしぼる世の
 淚にそ
 ぬれつゝしほるあた人の
  つらき心は
  袖のしづくか
  人のつらき心は
  そでのしづくか
  つらき心は
  袖のしつくか
       
      とのみいひて。
  世にあふことかたき女になむ。 世にあふことかたき女になむ。 世にあふことかたきことになん。
   

現代語訳

 
 

心はなぎぬ

 

むかし男、
伊勢の国に率ていきてあらむといひければ、
 

 
大淀の 浜に生ふてふみるからに
 心はなぎぬ かたらはねども
 
といひて、ましてつれなかりければ

 
 ※本段の「みる」は、浜にかける海松(みる)という海草にかけていることは、ここを見る人には当然だから、以下では一々言及しない。
  
 
むかし男
 むかし男が
 

伊勢の国に率ていきてあらむ
 伊勢の国に人をつれていくよと
 

 「率ていきて」とは、69段・71段同様、使い=仕事で行くということ。
 69段の「使実(つかいざね)」=使の長をうけた記述。
 
 (△塗籠:又もえあはでうらみければ→安易な改変)
 

といひければ女
 といえば、女が
 

 女:69段以降の流れ、伊勢とかかり斎宮。
 
 

大淀の 浜に生ふてふみるからに
 大淀の 浜にはうのを見るからに
 
 海草で回想して、
 

心はなぎぬ かたらはねども
 心はナギの ようかしらん それが何かは言いませんが(つまり荒波)
 
 「大淀」は、あてつけ。
 72段「大淀の 松はつらくもあらなくに うらみてのみも かへる波かな」
 これは70段で大淀あたり(松阪)の宿までついてきた「斎宮のわらはべ」にヤキモキしたこと。
 この童(おそらく妹)がいたこともあいまって、69段で二人は寝れなかった。
 
 「なぎぬ」とは、穏やかか泣いているか、ぼかしている表現。歌の「ぬ」は要注意。決めつけてはいけない。
 
 「かたらはね」というが、大淀だけで松のは辛いということ。本当に「つらくもあらなくに」なら、再度出す意味はない。
 
 

といひて
 といって、
 

ましてつれなかりければ
 いっそう、思いにまかせることができず、
 
 なのであべこべ。
 この物語における「つれなかりけり」は、思うにまかせないという限定的な意味。34段(つれなかりける人)参照。
 
 

やまんとや

 


 
袖ぬれて あまの刈りほす わたつ海の
 みるを逢ふにて やまんとやする

 
 

 
 

袖ぬれて あまの刈りほす わたつ海の
 袖濡らし 海女が刈り干す 海草と(かけて)
 

みるを逢ふにて やまんとやする
 見て会いたい というのは山々や
 
 

つれなくは

 


 
岩間より 生ふるみるめし つれなくは
 汐干汐満 ちかひもありなむ

 
 

 

岩間より 生ふるみるめし つれなくは
 岩間から 生える海草 釣れないね(じれったい)
 

汐干汐満(しほひしほみち) ちかひもありなむ
 寄せては返し 一向に近くはならず、誓いもない
 
 

つらき心

 

また男
 
涙にぞ ぬれつゝしぼる 世の人の
 つらき心は 袖のしづくか
 
世にあふことかたき女になむ

 
 
また男
 

涙にぞ ぬれつゝしぼる世の人の
 雫かと 袖しぼる夜の 人心
 

つらき心は 袖のしづくか
 これは辛いと、そういうことね 「松はつらくも あらなくに」
 

世にあふことかたき女になむ
 実に会うことが難しい女であること。
 
 なお、女が素直じゃないからではなく、状況がたやすく許さないからである。
 

 よに 【世に】
 :たいそう。非常に。まったく。