古事記 新羅と百済(三韓征伐)~原文対訳

住吉三神 古事記
中巻⑦
14代 仲哀天皇
神功皇后の神がかり
5 三韓征伐
宇美の伊斗

 
三韓征伐」は、神功皇后の命で朝鮮半島に侵攻し服属させたことの呼称で、古事記の表記ではない。この三韓は、高句麗・新羅・百済。

 古事記に高句麗の記述はないが、三韓と対照で住吉三神(底筒男、中筒男、上筒男、三柱大神)が示されているので、意図的に触れていないと思われる(狐狗狸・コックリ・狐憑きに当てて没? 新羅を馬甘(ばかん)とするのはその名残とも。古事記の由来は表題から基本ギャグ)。

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
故備如教覺。  かれつぶさに
教へ覺したまへる如くに、
 そこで悉く
神の教えた通りにして
整軍雙船。 軍いくさを整へ、船雙なめて、 軍隊を整え、多くの船を竝べて
度幸之時。 度りいでます時に、 海をお渡りになりました時に、
海原之魚。 海原の魚ども、 海中の魚どもは
不問大小。 大きも小きも、 大小となくすべて出て、
悉負御船而渡。 悉に御船を負ひて渡りき。 御船を背負つて渡りました。
     
爾順風大起。 ここに順風おひかぜいたく起り、 順風が盛んに吹いて
御船從浪。 御船浪のまにまにゆきつ。 御船は波のまにまに行きました。
故其御船之波瀾。 かれその御船の波、 その御船の波が
押騰新羅之國。 新羅しらぎの國に押し騰あがりて、 新羅しらぎの國に押し上つて
既到半國。 既に國半なからまで到りき。 國の半にまで到りました。
     
於是其國王
畏惶奏言。
ここにその國主こにきし、
畏おぢ惶かしこみて
奏まをして言まをさく、
依つてその國王が
畏おじ恐れて、
自今以後。 「今よ後、 「今から後は
隨天皇命而。 天皇おほきみの命のまにまに、 天皇の御命令のままに
爲御馬甘。 御馬甘みまかひとして、 馬飼うまかいとして、
毎年雙船。 年の毎はに船雙なめて 毎年多くの
不乾船腹。 船腹乾ほさず、 船の腹を乾かわかさず、
不乾䑨檝。 さをかぢ乾さず、 柁檝かじさおを乾かわかさずに、
共與天地。 天地のむた、 天地のあらんかぎり、
無退仕奉。 退しぞきなく仕へまつらむ」
とまをしき。
止まずにお仕え申し上げましよう」
と申しました。
     
故是以新羅國者。 かれここを以ちて、
新羅しらぎの國をば、
かような次第で
新羅の國をば
定御馬甘。 御馬甘みまかひと定めたまひ、 馬飼うまかいとお定め遊ばされ、
百濟國者。 百濟くだらの國をば、 百濟くだらの國をば
定渡屯家。 渡わたの屯家みやけと定めたまひき。 船渡ふなわたりの役所とお定めになりました。
     
爾以其御杖。 ここにその御杖を そこで御杖を
衝立新羅國主之門。 新羅しらぎの
國主こにきしの門かなとに
衝き立てたまひ、
新羅の
國主の門に
おつき立て遊ばされ、
即以墨江大神之
荒御魂。
すなはち墨江すみのえの大神の
荒御魂あらみたまを、
住吉の大神の
荒い御魂を、
爲國守神而。祭鎭。
還渡也。
國守ります神と祭り鎭めて
還り渡りたまひき。
國をお守りになる神として祭つて
お還り遊ばされました。
住吉三神 古事記
中巻⑦
14代 仲哀天皇
神功皇后の神がかり
5 三韓征伐
宇美の伊斗