おくのほそ道(奥の細道)概要・総論

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 松尾芭蕉『おくのほそ道』(1702年。通称・奥の細道)の概要。
 芭蕉翁が弟子の曽良を伴った、歴代古典の名所を巡る俳諧(俳句の)紀行文。
 江戸隅田川を起点に日光~仙台松島~奥州平泉~越後~福井~大垣を終点とし、直後伊勢に出発して終わる。

 

 全文では①素龍清書本校訂文と②流布本を対照(視認性を重視し、ルビ等はない)。

 

 各章段では、素龍清書本(所蔵方の名を冠する西村本。通説により最善本とされる)を底本とし、①現代人の素直な読解に資する(原文の微妙な意図を損なわない限度での)校訂文と、③より底本に忠実な原文を対照し、詳細に検討する。
 ここでは、青空文庫『おくのほそ道』(岩波文庫 旧版)のルビが付された杉浦正一郎校訂原文(上記③)・注釈を引用、特に解釈が問題となる要所で独自の注釈を付した(現在、室の八島まで)。

 

総論目次
おくのほそ道vs奥の細道
・おくのほそ道(素龍清書本の芭蕉自筆題=最終的な題)
奥の細道(一般通称、原文にはない)
諸本の最善本:素龍清書本(通説)vs曾良本(少数有力説)
通説の理解
 ①芭蕉草稿本→②曾良本(書写と補訂by曽良)
 ①芭蕉草稿本→芭蕉定稿本(想定)→③素龍清書本
有力説の理解
 ①→②通称曾良本:門人筆+芭蕉校訂本→③
いずれにしても、③素龍清書本は芭蕉監修下での最終形
 論点整理
 ③素龍が清書した本:芭蕉定稿本(通説)vs通称曾良本
 ①96年出現の芭蕉自筆本:芭蕉草稿本
 ②曾良本の主体:曾良(通説)vs門人+芭蕉校訂
小題と構成:原文にはない便宜上のもの
素龍の跋細みち」と「ほそ道
・おくのほそ道(素龍清書本の芭蕉自筆題=最終的な題)
・おくの細道(芭蕉自筆本の本文と題、曾良本・素龍本の本文)
本文が細道である以上素龍の跋「細みち」は意図的なもの
→本文「細道」から芭蕉の題「ほそ道」の変更は素龍との合作象徴と解す(私見)
※曾良本の題も「おくのほそ道」とされるが
大本の芭蕉草稿本の題が「おくの細道」である以上素龍本からの還流と考える

「はかなげなるもおくの細みち」(素龍の跋)
cf.「はるかなる苔の細道」(徒然草11段。私見)
俳句一覧(別ページ):66首。代表句
夏草や  つはものどもが 夢の跡(平泉)
五月雨の 降り残してや 光堂 (平泉)
閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声(立石寺)
五月雨を あつめて早し 最上川(最上川)
原文全文対照(別ページ):素龍清書本と流布本対照
読解の際は、要所での対に注目する。
・月日は百代の過客にして(先頭)
・三代の栄耀一睡のうちにして(平泉)
→「行く春や鳥啼き魚の目は涙」が魚類の目では意味不明。
足に灸すえ舟から降りて「行く」文脈から足のイボが痛んだ以外ない(私見)
俳諧の特徴は滑稽とされつつ、従来の読解には何も滑稽さがない

 

前半目次 
  章題(参考)
/句数
冒頭
1 門出 月日は百代の過客にして
2 草加 ことし元禄二年にや
3 室の八島 室の八島に詣す〈木の花咲耶姫・曾良〉
4 日光/3 三十日、日光山の麓に〈曾良の説明〉
5 那須野 那須の黒羽といふ所に〈小姫かさね〉
6 黒羽 黒羽の館代〈玉藻の前与一の八幡宮〉
7 雲巌寺 2 当国雲岸寺の奥に
8 殺生石・
遊行柳
/2
これより殺生石に〈清水流るるの柳〉
9 白河の関 心もとなき日数重ぬるままに〈清輔〉
10 須賀川 とかくして越え行くままに〈行基〉
11 信夫の里 等窮が宅を出で〈忍ぶのさと・しのぶもぢ摺
12 飯塚の里 月の輪の渡しを越えて〈義経・弁慶〉
13 笠島 鐙摺、白石の城を過ぎ〈実方の塚〉
14 武隈の松 岩沼に宿る〈能因法師〉
15 仙台・
宮城野
名取川を〈画工加衛門・おくの細道
16 壺の碑 壺の碑、市川村多賀城に〈聖武皇帝〉
17 末の松山 それより野田〈つなでかなしも・平家
18 塩竃 早朝、塩竃の明神に詣づ
19 松島 そもそも〈ちはやぶる神・造化の天工〉
20 瑞巌寺 十一日、瑞巌寺に詣づ〈真壁の平四郎〉
21 石巻 十二日、十二日、平泉と志し、姉歯の松
22 平泉 三代の栄耀一睡〈国破れて山河あり
夏草や兵どもが夢の跡
五月雨の降り残してや光堂
後半目次 
  章題(参考)
/句数
冒頭
23 尿前の関 南部道遙かに見やりて〈鳴子の湯〉
24 尾花沢 尾花沢にて清風といふ者〈清風〉
25 立石寺 山形領に立石寺といふ山寺あり
閑かさや岩にしみ入る蝉の声
26 最上川 最上川乗らんと
五月雨をあつめて早し最上川
27 出羽三山 六月三日、羽黒山に登る〈風土記・行尊〉
28 酒田 羽黒を立ちて、鶴が岡の城下
29 象潟 江山水陸の風光〈西行・神功后
30 越後路 酒田のなごり日を重ねて〈天の河〉
31 市振 今日は親知らず〈遊女・伊勢参宮〉
32 越中路 黒部四十八が瀬とかや
33 金沢 卯の花山、くりからが谷を〈何処・一笑〉
34 多太神社 この所多太の神社に詣づ〈実盛・義仲〉
35 山中 山中の温泉〈花山の法皇・那谷・久米之助〉
36 別離 曾良は腹を病みて伊勢の国長島といふ所に
37 全昌寺 大聖寺の城外、全昌寺といふ寺に泊る
38 汐越の松 越前の境、吉崎の入江を〈西行
39 天龍寺・
永平寺
丸岡天龍寺の長老〈北枝・道元〉
40 福井 福井は三里ばかりなれば〈夕顔・帚木
41 敦賀 やうやう白根が岳隠れて〈仲哀天皇
42 種の浜 十六日、空晴れたれば〈ますほの小貝〉
43 大垣 露通もこの港まで出で迎ひて〈伊勢の遷宮〉
44 からびたるも、艶なるも〈おくの細みち

 


おくのほそ道vs奥の細道

 

 芭蕉自筆の最終題は『おくのほそ道』(素龍清書本に付された題簽)で、『奥の細道』は一般通称。
 『奥の細道』と付す本もあるが、芭蕉自筆の題とは異なる。

 

 しかしこの芭蕉の題の「おくのほそ道」は実は本文中になく、本文中の表記は「おくの細道」(一か所のみ)。
 この点、従来『ほそ道』は当然のように本文中の「細道」に由来するものとして後は作品の中身の説明が展開されてきたが、それは題と本文の違いを実質的には区別していない。したがって、なぜ題が本文と異なるかの説明は見る限りされてこなかったので、後述の素龍の跋「おくの細みち」で論ずる。

 

諸本:素龍清書本(通説)vs曾良本

 

 素龍清書本とは、通説によれば、①a芭蕉草稿本を②弟子の曽良が書写した曽良本に対し、①b芭蕉定稿本を③書家の素龍が清書した本をいう(別称西村本。清書前の本もあり区別して別本や柿衛文庫本という。素龍と素竜は本により表記が左右するもので、近時は素龍が主流)。

 

 しかしそもそもこの大別した諸本の理解から、通説本(大系、旧全集)と近侍有力本(新編全集)の説明が、非常に紛らわしい形で相違しており(第一に曾良本を曾良の書としない点。これは曾良本は曾良の筆跡ではないとする有力説に基づく)、新編全集は学生等に真っ先に参照される本であろうから、その理解の労を多少軽減し、無用な混乱を避けるべく、ここで論点を整理しておく。

 しかし通常は結論、素龍清書本をベストと見て何も問題ない。
 曾良本を芭蕉の最終自筆本とする説もあるが、その筆跡判断は通説に否認されている上に(後掲)、仮に芭蕉の筆としても校訂で自筆本とは不自然だし、仮に論者の呼称を認めたとしても、曾良本に芭蕉が素龍清書本を携行し遺言もしていた事情(芭蕉の高弟・去来の奥書。通説)を上回る事情はない。つまり芭蕉自身が自身の自筆性を重視しておらず、こうした芭蕉の最終意図に基づけば曾良本を採る理由はない。

 

 概略を先に整理すると以下のようになる。

 

 通説:①a芭蕉草稿本→②曽良(補訂:続く①bあるいは③の内容で曽良) ①b芭蕉定稿本→③素龍清書本
 新編全集:①芭蕉→②門人(補訂:芭蕉)→③素龍
『芭蕉自筆 奥の細道』121p:①a芭蕉清書後多数訂正→②通称曾良本(門人)→①b芭蕉推敲本→③素龍 ※大筋では通説の明言しない部分を埋めた説

 

③素龍が清書した本:芭蕉定稿本(通説)vs曽良本

 

 通説は、③素龍清書本を①芭蕉自筆本の清書とする(大系18-19p「芭蕉の自筆稿本を素竜が清書した決定稿」、旧全集340p「芭蕉が自筆稿本を、蕉門の能書家素龍に清書させた」。ここでいう「稿本」とは曖昧だが①bと解さないと通らない)。

 これに対し、②曽良本を底本とする新編全集は、③を②からの清書とする(同74p「芭蕉は蕉門の能書家素龍に更に曽良本を清書させた」。しかし新編全集は通説及び旧全集と異なる認定を何の説明もなく当然のように記す点からも疑問)。
 この点に踏み込まないためか、③が何の清書か明示しない本もある(岩波文庫289p「跋文の通り、元禄七年四月に素龍が清書したもの」。講談社文庫349-351pは、定稿の清書とし定稿本を曽良本と区別。どちらも文庫本なのは面白い)。

 いずれにしても通説は③を底本に採用してきた(大系,旧全集,岩波文庫,講談社文庫)。結論妥当。

 

 通説の理論的根拠として、素龍清書本に付された去来による同本の奥書(大系19-20p,岩波文庫73-74p)により、芭蕉本人がこれに自ら題を付し行く先々に携行しその処遇を遺言していたという説明がある。つまり清書した素龍以外の弟子により、同本への芭蕉のお墨付きと最終確定本たる諸々の扱いが客観的に保証され、通説はそれを事実として追認している。
 なお、去来とは向井去来という蕉門十哲とされる芭蕉の高弟で、この蕉門十哲に素龍は含まれず曾良は含まれたり含まれなかったりする)。

 去来の奥書は具体的で日時場所を付し署名もあり、内容も具体的で、類型的に証拠力が極めて高い書証である。書証理論では、その人の署名があればその人の意思内容と推定され、その点に有効な反証がない限り覆らない(真っ当だろう)。学説が素龍の仮名書きは芭蕉に忠実でないと言っても、それは去来の保証内容を覆す理由にはならない。

 こうした素龍清書本をさしおいて、他の本を最善本として採る実質的(有効な)理由は存在しない。

 

①96年出現の芭蕉自筆本:草稿本

 

 ③素龍清書本をとる通説本は、実はいずれも芭蕉五十回忌まで確認されていた芭蕉自筆本(大系20p)が近時96年に確認される以前のもので、そうした留保を付した本もあったが、②③いずれからも、特に③は芭蕉が最終的に所持し遺言を記していたことからも、①abが最終的に芭蕉が意図した本とは言えない。

 

 96年の①発見を受けて刊行された、97年『芭蕉自筆 奥の細道』121pは「本書から曾良本が写されたことを示すに十分」(つまり①a)とし、同122pで「「曽良本」は、曾良日記と共に伝えられたものであるところからそう称されているだけで、曽良の文字ではないことは明らかであろうと思われるし、もともと曾良が誰かに写させたという証拠もない」としている。

 これが旧来通説(大系)も認知していた曾良本に関する有力な異説で、大系21p(後掲)はそれでも曾良の筆写とするが、この点は通説の結論に影響しない(素龍清書本は曾良本との信用性の比較で採用されている訳ではなく、独自に強い信用性を備えている)。

 

 また、この発見された①a芭蕉自筆本の題は『おくの細道』(同7p=写真)である。
 同123pはこの文言について、

「芭蕉自身の字だと指摘される。『おくのほそ道』という書名の与えられたのが、素龍清書本(西村本)の出来た後の最終段階だったとする私の考え(論文名は当サイトで省略)は撤回すべきことになるし、書名の表記も「おくのほそ道」にこだわることは無意味なことになるかもしれないが、ただ、最終的に芭蕉自らが筆を染めて題簽に記した西村本の「おくのほそ道」表記は無視できないだろう」

 としている。
 なお、上記の「書名の与えられた」は題を初めて付けたという趣旨と解される。

 

②曾良本の主体:曾良(通説)vs門人&芭蕉

 

 上述したメジャー本の中では、新編全集のみ②曽良本を①の忠実な書写として底本とする。
 即ち、②の書写と補訂の主体につき大系21pと旧全集340pは曽良が筆写し補訂したとするのに対し、新編全集74pは門人による書写で芭蕉みずからによる補訂としている。

 そこでこの点について、各本の論述を整理してみる。

 

大系21p「定稿前の芭蕉草稿から曾良が書写したもので、それに大体定稿本のごとく加筆訂正が施してある」「現存のものは曾良の筆写にかかるものと思われる(曾良筆跡に疑を挟む説もないではないが)」

全集340p「曽良が、定稿になる前の芭蕉草稿から筆写し、のちに定稿(素龍筆芭蕉所持本であろう)に拠って補訂したと推察される本」
新編全集74p「曽良本は芭蕉自筆本を芭蕉が門人の一人(一説に利牛)に書写させ、それにみずから丁寧に補記や訂正を加えたもの」「前記のように、曽良本は自筆本を門人が忠実に清書したものを、芭蕉みずから更に補訂を加え、読み仮名等を付記したものである」

 

 最後の説には色々疑問があり、以下にあげると、
・通説や旧版と全く別の認定をしながら、その説明がない点(それが通説的なら説明は不要かもしれないが)。
・曽良本をとっているのに、なぜ曽良本というかの説明もなく門人とする点。
・芭蕉が素龍清書本を所持していたと認めながら、素龍の仮名書きが多いことに触れ、「素龍の書写の仕方は能筆であるが、必ずしも忠実な書写ではない。前記のように、曽良本は自筆本を門人が忠実に清書したもの」とする点。根拠が主観的。芭蕉の素龍本の最終所持と遺言を上回る外形的根拠は曾良本にあるか。
・また冒頭で芭蕉自筆本を「最も重んずべき」としながら、最終的に曾良本を採る点。
 

 恐らく旧全集の焼き直しではなく曽良本で出すこと自体に意味があったかと思うので、それだけでも良かったのだが。
 言わば通説が言及を避けていた所を性急に埋めた立論と思われる。30年ほどたった今(2025年2月)、学説がどういう状況になっているかはわからないが。
 いずれにしても、③素龍清書本の去来の奥書にある芭蕉の自筆題・携行・遺言等の事情を上回るほど、曾良本をとるマクロ的理由を見出すことはできないし、曾良本の曖昧に左右される認定は全て編集過程のものであったことを裏付けている。
 

 この本を最善本とするのは、確かな署名ある素龍の清書に加え、去来の奥書で説明される芭蕉の最終本たる処遇はさしおいて、筆跡認識で左右される本の方がが芭蕉の意図に近いという感覚論に過ぎない。その意図は素龍本の所持と遺言で示される芭蕉の最終的な意図をどういう根拠で上回るのか示す必要がある。
 しかし本来曾良本はここまで論じる必要もなく(その議論は③を採る通説を左右しないため)、記述主体の類型的信用性(信用保証の裏書たる奥書も含む)、書名の有無、内容変遷の有無等から、素龍清書本と並ぶことはない本だが、一般読者や高校教科書に原文と理論を提供する新編全集が採用したことで、巷の認識が錯綜することも考えられるから念のため。
 これは主流本が素龍清書本で占められる現状、素龍清書本の疑問点を解消するための、前段階たる曾良本へのアクセスを図る研究用と見るべきものである。

 

小題と構成

 

 また世間に流布する序・旅立ち等の小題や区分は原文にはないもので、本により色々付される一応の目安なので留意されたい。というよりそもそもそのような章立ては古文にほぼない(あるとすれば、古事記の序と源氏物語の各巻の題名位)。

 

 それでも全体先頭(月日は百代の過客にして)と平泉の話題の冒頭(三代の栄耀一睡のうちにして)が対をなし、平泉を中心に計算された構成と見るべきもの(陸奥=みちのおく、さらに奥州が旅の主目的。独自)。

 もっと言えば、別格の古典は総じて何となくの解釈ではなく、著者の多角的表現に基づくマクロの著者総体の世界観から解釈・読解すべきものである。だから魚の目は涙は足のイボが痛む表現であって、現状の理解のようにサカナの目も潤んでいるなどではありえないしそれは解釈と言わない。芭蕉は刺身が好きだったのだろうか?

 

素龍の跋「おくの細みち」


 最後の「跋」は一般に「素龍の跋」とされ(曾良本の新編全集ナシ)、素龍本を底本にする本でも掲載が左右されるもの(大系・岩波文庫・講談社文庫掲載、旧全集は底本最後に素龍の跋文がついているとしながら不掲載)。

 

 特筆すべきは、
 ①冒頭に「跋」と前置きがあり、このような前置き的小題はそれ以前にないことと、
 ②「おくの細みち」という表記があること(大系99p,岩波文庫72p,講談社文庫328p)。

 ①は素龍が独自に記したことを示す要素で、欠落させる本はその点を重視したと思われる。
 ②は本文で「おくの細道」とあったのと異なる表記で、これと芭蕉の題の「おくのほそ道」というこれまた本文とかみあってない題が付されることは無関係に見れない。
 つまり芭蕉自筆本から(曾良本含め)素龍清書本まで一貫して本文は「おくの細道」であったが(これが自筆本では題にもなっている)、これと素龍の跋と芭蕉の最終題がそれぞれ異なっているのである。

 

 

 この点、一般に「ほそ道」は「細道」から出ていると説明されるが(大系18p)、なぜ異なるかの説明は(無意識にでも)回避されてきたので、ここで考えてみると、素龍も本文では「細道」と記したが、跋として書名して独自に「細みち」に変えていることから、敢えてそうする動機があった。

 思うにこれは「跋」の足をとられる・つまづく・転ぶという字義と無関係ではない素龍の引っ掛けで(いわば最後で一人でコケるボケ)、芭蕉はこの語を見逃す訳はないから、これに同じ仕掛けで返し「ほそ道」にしたと。こうして「おくのほそ道」に両者の表記合作性が表現されたのではないかと思う。
 これが弟子達に慕われた、芭蕉の軽みの境地ということにしておく。

 

 なお曾良本の題も「おくのほそ道」とされるが(新編全集123p)、芭蕉自筆草稿本の題が「おくの細道」である以上、定稿本つまり素龍清書芭蕉所持本からの還流が考えられる。