伊勢物語 96段:天の逆手 あらすじ・原文・現代語訳

第95段
彦星
伊勢物語
第四部
第96段
天の逆手
第97段
四十の賀

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  やうやうあはれ(著者昔男=女方の男の感想)
 
  ♀水無月のもち(水無月×望月+瘡=水疱瘡)
 
  ♀口舌(ブツブツ:文句×水疱瘡)
 
  ♂女のせうと(兄人)
 
  ♀これをやれ(エンガチョの歌)
 
  著:やがて後 
 
  ♂天の逆手(中指立て→古事記の解説参照)
 
  ♂今こそは見め(次段へ)
 
 
 女=前段の二条の后。
 兄人(せうと)=次段の堀河大臣(藤原基経)
 
 著者:二条の后に仕うまつる昔男(前段)
 →母はかつて藤原(そしてかつて宮。1084段
 
 

あらすじ

 
 
 この段は、前段「二条の后に仕うまつる男」の話から引き続き、女方で仕えている著者、昔男(縫殿の六歌仙=文屋)が、女方内部の様子を描写する。
 ここでは、昔男が女の面倒事を聞いていたら、その「せうと(兄人)」との面倒に巻き込まれた話。

 そしてこの物語で、女と「せうと」がセットにされたのは、二条の后の話しかない。
 有名な5段の関守、その背景(加えてせうとの身分)を説明した6段、そして本段。
 いずれも女とせうとの面倒な話。
 
 つまりこの段の「女」は二条の后。
 「女のせうと」は、6段で「せうと」とされた堀河大臣(藤原基経。そこではまだ下臈とされたが、本段が背景にあるだろう)。
 
 このような見方は一般に全くされていないが、こう見ることが自然。
 というよりそう見ないことの方が無理(理=言葉に即していること)。
 
 6段で「せうと」は、堀河大臣(基経)と国経の二人が明示された。
 すると「せうと」だけなら国経の可能性もありうるが、次段と次々段の大臣の連続記述から基経と解せられる。
 また、6段の記載順もそれを支持していえる(堀河大臣→国経大納言。長幼は逆。国経が兄)、
 

 本段の次、
 97段(四十の賀)では堀河太政大臣(堀川のおほいまうちぎみと申す)に呼ばれた話(6段以来の出現)、
 98段(梅の造り枝)では「太政大臣」に歌を献上する話(前段は歌要員・代作の話ということを明示)。
 99段(ひをりの日)では、女とされる二条の后が出てくる(言明されないが、それ以前に車とセットで登場した女は、76段の二条の后しかいない)。
 
 これらは全て、伊勢に直接書いてあることを根拠にしている。
 在五のけじめ見せぬ心(63段)等の非難は完全無視し、外部の古今認定を無条件に優先さて、業平を主人公とみなすような認定とは違う。
 
 ちなみに99段は、中将なりける男が、女(二条の后)の車に、宮中行事中に女を誰とも知らず公然と言い寄ったという話(76段も同様の構図)。
 これは一般の業平像と完全一致し、人目を忍ばない性格を根拠付ける(後宮で在原なりける男が、女につきまとい流された65段はその典型)。
 かたや常に人目を忍ぶ昔男の匿名性、意を汲みかわした伊勢斎宮とも人目多ければ会わないとした69段(狩の使)の記述とは、絶対相容れない。
 

 著者は、基本的に二条の后のことは、中立よりも良く書いているので、本段で後のことはもう知らないというのは、これまでとベクトルが違う。
 しかしそれが、冒頭の「石木にしあらねば、心苦しとや思ひけん、やうやうあはれと思ひけり」ということで説明できると思う。
 つまり昔男は、まがりなりにも男。
 だから絶対に相手になれない可愛い女に、男の話を聞かされると知らねーよとなる。
 別に一緒になりたい訳ではなくても、一応男なんでプライドがある。
 
 長年見てきた二条の后の色んな話。業平は関係ない。関係ないというか、それこそ心苦しい原因そのもの。
 話も歌も全て乗っ取られて、ありえなさすぎる。
 果てはそれを思慕している者が書いたとか言い出される。本気? 違うでしょ? 受け売りしてるだけでしょ? そんなマジじゃないでしょ?
 女を罵倒して寝た「けぢめ見せぬ心」の在五(63段)で主人公? ありえない。伊勢は何も矛盾していない。一貫性も根拠も何もないのは古今の認定。
 

 最後に、天の逆手は、下や逆に拍手を打つことではなく、中指を立てることと解する。
 これはあいまいな推論ではない。出典とされる古事記の文脈から確実にそう言える。ここで呪いとしているのは、それを確認する意味(拍手の否定)。
 天に射られた矢、剣先を上に立てられた長い剣、その直後の何ら説明ない天の逆手。直後に手を剣に見立てる話から。詳しくは古事記での解説を参照。
 
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第96段 天の逆手(さかて)
   
 むかし、男ありけり。  昔、男ありけり。  昔おとこ有けり。
  女をとかくいふこと月日へにけり。 女をとかくいふこと月日へにけり。 女をとかういふこと月日へにけり。
  石木にしあらねば、 いは木にしあらねば、 女岩木ならねば。
  心苦しとや思ひけん、 心ぐるしとや思ひけむ、 いとほしうやおもひけん。
  やうやうあはれと思ひけり。 やうやうあはれと思ひけり。 やう〳〵思つきにけり。
 
  そのころ水無月のもちばかりなりければ、 そのころ、みな月のもちばかりなりければ、 その比みな月のつごもりばかりなりければ。
  女、身に瘡一つ二つ出できにけり。 女、身にかさひとつふたついできにけり。 女かさもひとつふたつ身にいでたりければ。
 
  女いひおこせたる。 女、いひをこせたる。 いひをこせたる。
  今はなにの心もなし。 今はなにの心もなし。 いまはなにのこゝちもなし。
  身に瘡も一つ二つ出でたり。 身にかさもひとつふたついでたり。 身にかさもひとつふたついできにけり。
  時もいと暑し。 時もいとあつし。 時もいとあつし。
  すこし秋風ふきたちなむ時、 すこし、秋風ふきたちなむとき、 すこし秋風たてゝ
  かならずあはむといへりけり。 かならずあはむ、といへりけり。 あはんといへりけり。
  秋まつころほひに、こゝかしこより 秋たつころをひに、こゝかしこより、 さて秋まつほどに女のちゝ。
  その人のもとへいなむずなりとて、 その人のもとへいなむずなりとて、 その人のもとにいくべかなりときゝて。
  口舌出できにけり。 くぜちいできにけり。 いひのゝしりて
くせて[くぜちいでイ]きにけり。
  さりければ、女のせうと、 さりければ、この女のせうと、 さりければ此女のせうと。
  にはかに迎へに来たり。 にはかにむかへにきたり。 にはかにむかへにきたりければ。
 
  されば、この女、 さればこの女
  かへでの初もみぢをひろはせて、 かえでのはつもみぢをひろはせて、 かえでのはつもみぢをひろひて
  歌をよみて、書きつけておこせたり。 うたをよみて、かきつけてをこせたり。 かきをく。
 

171
 秋かけて
 いひしながらもあらなくに
 秋かけて
 いひしながらもあらなくに
 秋かけて
 いひし中にはあらなくに
  この葉降りしく
  えにこそありけれ
  このはふりしく
  えにこそありけれ
  木葉降しく
  えに社有けれ
 
  と書きおきて、 とかきをきて、 とみせて。
  かしこより人おこせば、これをやれ かしこより人をこせば、これをやれ、 かしこより人をこせたらば。これをやれ
  とていぬ。 とていぬ。 といひをきていぬ。
 
  さて、やがて後、つひにけふまでしらず。 さて、やがてのちつゐにけふまでしらず。 さて後つゐに
  よくてやあらむ、あしくてやあらむ、 よくてやあらむ、あしくてやあらむ、 よくてやあるらん。あしくてやあるらむ。
  いにし所もしらず。 いにし所もしらず。 いく所もしらでやみぬ。
 
  かの男は、 かのおとこは 此おとこ。
  天の逆手をうちて あまのさかてをうちて いみじうあまのさかてをうちて
  なむ呪ひをるなむ。 なむのろひをるなる。 なんのろひをるなる。
  むくつけきこと。 むくつけきこと、 むくつけきこと。
 
  人の呪ひごとは、 人のゝろひごとは 人のおもひは。
  負ふものにやあらむ、
負はぬものにやあらむ、
おふ物にやあらむ、
おはぬものにやあらむ、
をふ物にやあらん。
  今こそは見めとぞいふなる。 いまこそは見め、とぞいふなる。 今こそ見めとぞいひける。
   

現代語訳

 
 

やうやうあはれ

 

むかし、男ありけり。
女をとかくいふこと月日へにけり。 石木にしあらねば、心苦しとや思ひけん、
やうやうあはれと思ひけり。

 
 
むかし男ありけり
 むかし男がいた。
 

女をとかくいふこと月日へにけり
 女のことをとやかくいうことで月日が経た。
 

 とかく
 :あれやこれや。何やかやと。
 
 「いふ」に口説くという意味はない。
 そういう解釈をした人は、口開けば口説いている人ですか? 
 
 前段で「むかし、二条の后に仕うまつる男ありけり」として、むかし男は女方に勤めていたことを明確にした。
 いや、これまでの情況からも明確だったが(19段・天雲、31段・忘草、39段・源の至等)、わからんようなので、それを一層確実にした。
 ただし一般は、相変わらず突如別の男を出現させるが、物語の筋の完全破壊。それがこの段の一般の解釈にも表わされる。
 
 いやだから、どっから話仕入れてくるの。女方内部の話、誰が書いているの。
 そこにいないと女御の名前出したり、超やばい内部の噂(業平が姪を孕ませ親王として生まれた時に焦る業平の描写。79段)を書けるわけないでしょ。
 そして歌の抜けた実力あるとされる人物で、そういう経歴(卑官・女所)の人は一人しかいないでしょうが。なんで小町もセットでいると思ってんの。
 著者が沢山いる! 別人の付け足し! ってマジですか? マジなんですよねえ。マジかよ~。マジなんだよ~。マジなんなんだよ~。
 この時代、朝廷の中枢人物を何人も実名出して言動描写しているのに、そんな軽い妄想で書いてるわけないだろ~。
 

石木にしあらねば
 石や木でもなかったので
 

 いはき【石木・岩木】
 :岩石や木。多く、心情を持たないものをたとえて言う。
 やる気~?元気~? いわせる気~?
 

心苦しとや(△いとほしうや)思ひけん
 心苦しくと思ったというか
 
 △塗籠は真逆に歪曲。後述の「もち」を、つごもりとするのもそう。ここだけでも写本とはいえない。
 業平死後の仁和帝が出てくる114段では、存命時の深草の帝に積極的に改変する。
 何を考えているのか? 少なくとも著者の意思が何かは考えてはいない。
 

やうやうあはれと思ひけり
 なんとも、あはれと思っていた。
 

 やうやう【様様】
 :さまざま。いろいろ。種種。
 
 「あはれ」は多義的。色々と合わさり一般的には、あ~あという意味。感動にも悲嘆にもなりうる。
 つまり色々あったんですわ。
 このように、まず冒頭で概要を説明する段もしばしばある。
 
 女とくればすぐ言い寄る話って。それしか頭にないのですかね。
 だから男は女に仕えていると前段にある。
 そしてその二条の后の話と、その兄弟の堀河大臣の話で、この段は挟まれてるのですが?
 
 

水無月のもち

 

そのころ水無月のもちばかりなりければ、
女、身に瘡一つ二つ出できにけり。

 
 
そのころ水無月のもちばかりなりければ
 そのころ水無月の望頃であったので、
 
 水無月・六月
 :この月で旧夏が終わる。続くもうすぐ秋云々の前説明。
 水から月無くし、望(もち)と合わせて、水疱瘡。
 

 もち 【望】
 :満月(の日)。15日。
 

女身に瘡一つ二つ出できにけり
 女の見に(水疱)瘡が一つ二つ出てきた。
 
 つまり水無月と望月をかけている。
 月を無をなくして、水(無月の)望(月)瘡。
 
 暑いからムレてきた(これは後で女が発言している)。
 まー、あとストレス(これも間接的に言及している)。
 ほら、宮中に入ったおなごは湿疹出るもんでしょ。もともと自分の場所じゃないから。
 
 なんでそんな体のことまで知っているんだよ。
 女方に仕えていたから。そういう話(お悩みやら何やら)を聞く穴の役になるのも仕事だから。
 前段もそういう内容なので。
 前段も一般は著者と別人の男が突如出現すると解するけども支離滅裂。それをお話にならないという。
 
 業平? 熱烈な恋愛? 口説きまくる男? 
 いやいや、在五・在原なりける男は、人格否定されているがな(けぢめ見せぬ心・63段。後宮で女につきまとい流された65段)。
 そやつの名は忘れて(82段)、歌はもとより知らない(101段)と評されているがな。それを無視して史実だなんだ何のことなの。
 これが口舌・ブツブツの説明です。
 
 

口舌

 

女いひおこせたる。
今はなにの心もなし。身に瘡も一つ二つ出でたり。時もいと暑し。
すこし秋風ふきたちなむ時、かならずあはむといへりけり。
秋まつころほひに、こゝかしこよりその人のもとへいなむずなりとて、口舌出できにけり。

 
 
女いひおこせたる
 女が言い寄こした。
 
 つまり「ちょっと困っていることがあるんだけど」
 
 はいなんでしょう。(え、また? 前段参照)
 

今はなにの心もなし
 今何も考えられなくて
 
 (おい何だよ)
 

身に瘡も一つ二つ出でたり
 身にミニ疱瘡も一つ二つ出て。
 
 は~。
 

時もいと暑し
 今めっちゃ暑いし
 
 そうっすね~。
 

すこし秋風ふきたちなむ時
 少し秋風が吹いてくる頃
 
 (つまりもうあと一週間後位で)
 

かならずあはむといへりけり
 必ず会うと言ってたヤツがいるの。
 
 (そうですか…)
 

秋まつころほひに
 秋を待ってる、そんな頃にさ
 

 ころほひ 【頃ほひ・比ほひ】
 :(ちょうどその)時分。ころ。時節。
 

こゝかしこより
 あっちこっちから、
 

 ここかしこ 【此処彼処】
 :あちらこちら。
 

その人のもとへいなむずなりとて
 その人の所へ行くべきかな~と、むずむずしてきて
 

 むず:多義的。
 ①〔推量〕…だろう。
 ②〔意志〕…しよう。…するつもり。
 ③〔仮定・婉曲〕…としたら。
 ④〔適当・当然〕…するのがよい。…すべき。
 

口舌出できにけり
 口からブツブツ、体にもブツブツ出てきたの。
 

 くぜち・くぜつ 【口舌・口説】
 :文句。口げんか。悪口。男女間の痴話げんか。
 
 え、噂が立っている? この言葉にそんな意味あります? ないです。
 ムズムズとブツブツと文句を掛けている。
 特徴的な言葉なんだから、注意して見てください。安易に丸めないように。そうやって細部を無視し続ける果てが業平説。
 
 

女のせうと

 

さりければ、女のせうと、にはかに迎へに来たり。
されば、この女、かへでの初もみぢをひろはせて、
歌をよみて、書きつけておこせたり。

 
 
さりければ女のせうと
 そんな所に女のせうとが
 
 ここでの「せうと」は、藤原基経(次段の堀河大臣)。女は二条の后(前段に出てきた)。
 

 せうと【兄人】:
 ①兄弟。兄。弟。女性から見て年齢にかかわらない男の兄弟。
 ②兄。男性からも女性からも、年上の兄弟。
 つまり女性の場合は、年下でも兄人たりうる。
 
 この物語における「せうと」は二条の后とセットでしか出現していないことは、あらすじで上述。
 5段・6段、そして本段。つまりそこでも女とせうとと同じ組み合わせ。
 前段では二条の后が明示され、次段(及び次々段)の堀河大臣は、6段以降一度も出てきてない。
 つまり根拠をもたせるために書いている。
 
 人のおかしな所は極めて慎重に慎ましく書くことが、高等な教養である。
 

にはかに迎へに来たり
 にわかに迎えに来た。
 

 にはかなり 【俄なり】
 :突然。だしぬけ。
 

さればこの女
 したらばこの女は
 

かへでの初もみぢをひろはせて
 楓の初紅葉を拾わせて
 

歌をよみて書きつけておこせたり
 歌を詠んで書きつけて寄こした。
 
 

これをやれ

 

秋かけて いひしながらもあらなくに
 この葉降りしく えにこそありけれ
 
と書きおきて、
かしこより人おこせば、これをやれとていぬ。

 
 
秋かけて いひしながらも あらなくに
 早い秋とかけ 言ってはいたが あらいやだ(まだ早い)
 

この葉降りしく えにこそありけれ
 木の葉降りしきるよう縁こそあれば
 
 「初かへで」て、はよ帰って。
 ふりしきる 縁。えんがちょ。
 

 えに 【縁】
 :えん。ゆかり。
 

 こそ+已然
 →意味あるよう言ってもありますん。
 

と書きおきて
 と書き置いて
 

かしこより人おこせばこれをやれ
 あっちから人を寄こしてくれば、これをやれ
 

 かしこ【彼処】
 :あそこ。かのところ。
 

とていぬ
 と言っていなくなった。
 
 

やがて後

 

さて、やがて後、つひにけふまでしらず。
よくてやあらむ、あしくてやあらむ、いにし所もしらず。

 
 
さてやがて後
 さてその後は
 

 やがて
 :そのうち。はっきりと定まらない、将来のある時点。
 
 文脈上浮いているので「さてやがて後」を、後述のサカテの後と何となくかけている。
 
 

つひにけふまでしらず
 最後はどうなったのかは、遂に今日まで知らない。
 
 終にと遂にを掛けている。
 

よくてやあらむ、あしくてやあらむ
 良くなったか、悪くなったのか
 
 男女の仲と水疱瘡にかけている。
 
 いや男女の仲は悪いに決まっているので、これは水疱瘡の含みもあるのである。
 と、こう解釈するのが乙である。
 この物語は、基本的に言葉の解釈により、二つ以上の見方が出来るようになっている。
 その典型は、43段の死出の田長(しでのたをさ)。
 その鳴き声により田植えを始めさせる鳥、文字通りその声で田植えをさせる田んぼの長。文章構成もそうなっている。
 
 なおこのような(同時多義的)解釈は一般に全くされていないが、これを掛かりというのである。
 

いにし所もしらず
 去った場所も知らない。
 

 いにし 【往にし・去にし】
 去る。過ぎ去った。
 
 これは、女は已然として女方内部にいるが(二条の后なので)、この問題のその後(の行方)については関知していないという意味。
 というよりここでも、水疱瘡の含みをもたせている。彼女の瘡・ブツブツが消えたのかは、遂に今日まで知らない。知るわけない。
 
 

天の逆手

 

かの男は、天の逆手をうちてなむ呪ひをるなむ。
むくつけきこと。

 
 
かの男は
 かの男(せうと=基経)は、
 

天の逆手をうちて
 天の逆手をして
 

 天の逆手(あめのさかて)
 :中指を立てること。
 
 この用語の出典、古事記における前後の文脈から、中指を立てる意味以外にない。拍手ではない。
 天に射られた矢、剣先を上に立てられた長い剣、その直後の何ら説明ない天の逆手。直後に手を剣に見立てる話から。
 つまり中指立ての形が、剣先上の形(逆上)を象徴している。
 
 逆のやり方で打つ柏手などとされるが、打ちようがない。下に打つというのもあるが、それは呪術といえるのか。というよりそもそも前提が違う。
 手を打つとは行為を行うの意味。加えて、拍手(カシワデ)ではないことは、古事記上で間接的に示されている。
 天逆手に続く天の眞魚咋まなぐひの段で、膳夫(カシワデ)=料理夫を出現させ、手でサカナをサバくことに掛け、やはり手の剣。拍手ではない。
 詳しくは古事記での解説を参照。
 

なむ呪ひをるなむ
 (何やら)呪っていた(きた)のであった。
 
 ここで呪いとしているのは、上の解釈を裏づけるためにしている。拍手ではないことの表明。
 現状に至るまでの一般の解釈から、天の逆手と認識されていた行為を「かの男」がしたのではない。
 著者がその行為を天の逆手と認識し、特別に説明しただけ。
 
 著者の理解は普通ではない。源氏の紫に作中で伊勢物語を評して「伊勢の海の深き心」とされるように。
 普通の理解でいわれるような軽薄色恋云々ではないことも、直後の文脈で暗示されている(世の常のあだことのひきつくろひ飾れるに圧されて)。
 それは人々が作品の評を戦わせる内容であり。業平の否定が繰り返し暗示される(業平が名をや朽たすべき…在五中将の名をばえ朽たさじ)。
 そしてその争う様子をおかしく眺める光源氏という、凄まじく賢い色男こそ、伊勢の著者の立ち位置を象徴している。そして勝負を定めようと発言。
 業平に、光るほどの深い心などないことは一般の人物評及び、それと完全に符合する伊勢内部の軽薄極まる在五評から自明。
 
 したがって、ここでもそういう軽薄な男女の恋の内容ではない。
 そう見るのは伊勢の繊細な文脈を読めておらず、自分達の世界にひきつけて、矮小化しているだけ。
 

むくつけきこと
 何とも気味が悪いこと。
 
 先の「なむ」が掛かっている。
 

 むくつけし
 :気味が悪い。
 
 

今こそは見め

 

人の呪ひごとは、負ふものにやあらむ、負はぬものにやあらむ、
今こそは見めとぞいふなる。

 
 
人の呪ひごとは
 人の呪いごとは
 

負ふものにやあらむ
 負うものだったか
 
 手紙を渡してあげるべきだったか。
 

負はぬものにやあらむ
 負わないものだったか
 
 あげない方がよかったか。
 

 にや
 :…であろうか。…であったのだろうか。
 

今こそは見めとぞいふなる
 今に見てろと言っていたが。
 
 というのは微妙にずらした解釈。
 
 人の呪いごと(恨み言)は、負わないに越したことはない。
 かかわると自分がその呪いを負ってしまうのである。
 
 触ると障る、アンタッチャブル。
 でも、その人(達)を守るのが役目だというのなら、どうしたものですか?
 真に格好良い男ならここで呪いを自分で負うんですよね。女子や民を守るために。アシタカヒコみたいにさ。それでなおかつ、その子とは一緒になれないの。