古事記 意富祁譲位で袁祁王家継承~原文対訳

志毘の歌垣 古事記
下巻⑦
22代 清寧天皇
王家で譲位
顯宗天皇
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
於是。
二柱王子等。
 ここに
二柱の御子たち、
 ここで
お二方ふたかたの御子たちが
各相
讓天下。
おのもおのも
天の下を讓りたまひき。
互に
天下をお讓りになつて、
意祁命。 意富祁おほけの命、 オケの命が、
讓其弟。
袁祁命曰。
その弟袁祁の命に
讓りてのりたまはく、
その弟ヲケの命に
お讓り遊ばされましたには、
     
住於針間
志自牟家時。
「針間はりまの
志自牟しじむが家に住みし時に、
「播磨の國の
シジムの家に住んでおつた時に、
汝命不顯名者。 汝なが命名を顯はさざらませば、 あなたが名を顯わさなかつたなら
更非臨
天下之君。
更に天の下知らさむ君とは
ならざらまし。
天下を治める君主とは
ならなかつたでしよう。
是既
汝命之功。
これ既に
汝なが命の功いさをなり。
これは
あなた樣のお手柄であります。
     
故吾
雖兄。
かれ吾、
兄にはあれども、
ですから、
わたくしは兄ではありますが、
猶汝命。 なほ汝が命 あなたが
先治天下而。 まづ天の下を治らしめせ」
とのりたまひて、
まず天下をお治めなさい」
と言つて、
堅讓。 堅く讓りたまひき。 堅くお讓りなさいました。
故不得辭而。 かれえ辭いなみたまはずて、 それでやむことを得ないで、
袁祁命。 袁祁の命、 ヲケの命が
先治天下也。 まづ天の下治らしめしき。 まず天下をお治めなさいました。

 

志毘の歌垣 古事記
下巻⑦
22代 清寧天皇
王家で譲位
顯宗天皇