古事記 新羅の八十一艘・金波鎮漢紀武~原文対訳

宮と系譜 古事記
下巻④
19代 允恭天皇
新羅の八十一艘
八十友緒の氏姓
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
天皇。
初爲將所知
天津日繼之時。
 天皇
初め天つ日繼
知らしめさむとせし時に、
 初はじめ天皇てんのう、
帝位に
お即つきになろうとしました時に
     
天皇辭而。 辭いなびまして、 御辭退遊ばされて
詔之。 詔りたまひしく  
我者。
有一長病。
「我は
長き病しあれば、
「わたしは
長い病氣があるから
不得所知日繼。 日繼をえ知らさじ」と
詔りたまひき。
帝位に即つくことができない」
と仰せられました。
     
然大后始而。 然れども大后より始めて、 しかし皇后樣をはじめ
諸卿等。 諸卿まへつぎみたち 臣下たちも
因堅奏而乃。 堅く奏すに因りて、 堅くお願い申しましたので、
治天下。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此時。 この時、 この時に
新良國主。 新羅しらぎの國主こにきし、 新羅の國主が
貢進。
御調
八十一艘
御調物みつぎもの
八十一艘やそまりひとふね
獻りき。
御調物みつぎものの
船八十一艘を
獻りました。
     

金波鎭漢紀武(こんぱちんかんキム)

     
爾御調之大使。 ここに御調の大使、 その御調の大使は
名云
金波鎭
漢紀武
名は
金波鎭漢紀武
こみはちに
かにきむといふ。
名なを
金波鎭漢紀武
こみぱちに
かにきむと言いました。
此人
深知藥方。
この人
藥の方みちを深く知れり。
この人が
藥の處方をよく知つておりましたので、
故治差。
帝皇之御病。
かれ天皇が御病を
治めまつりき。
天皇の御病氣を
お癒し申し上げました。
宮と系譜 古事記
下巻④
19代 允恭天皇
新羅の八十一艘
八十友緒の氏姓