竹取物語~石上麻呂

大伴御行 竹取物語
石上麻呂

 
 
 「中納言石上麻呂は」〔682〕から、「それよりなん少し嬉しきことをば、かひありとはいひける」〔804〕までの段。 

 かぐや姫、石上中納言には、「燕(つばくらめ)のもたる子安貝一つとりて給へ。」といふ。〔161〕
 
 

  目次
 
 ・本文
 ・解説 ・キーワード ・かひあり
 
 

本文

       
和歌  文章
 番号
竹取物語
(國民文庫)
竹とりの翁物語
(群書類從)
       
  〔682〕 中納言
石上麻呂は、
中納言
磯のかみのまろたり[もろたかイ]は。
  〔683〕 家につかはるゝ男どもの許に、 家につかはるゝをのこどものもとに。
  〔684〕 「燕(つばくらめ)の
巣くひたらば告げよ。」
との給ふを、うけたまはりて、
つばくらめの
すくひたらばつげよ
との給ふを承て。
       
  〔685〕 「何の料にかあらん。」と申す。 何の用にかあらむと申。
  〔686〕 答へての給ふやう、 こたへての給ふやう。
  〔687〕 「燕のもたる子安貝
とらん料なり。」との給ふ。
つばくらめのもたるこやすの(イ无)かひ
をとらんれうなりとの給ふ。
       
  〔688〕 男ども答へて申す、 をのこどもこたへて申。
  〔689〕 「燕を
數多殺して見るにだにも、
腹になきものなり。
つばくらめを
あまたころしてみるにだにも
腹になき物也。
  〔690〕 たゞし子産む時
なんいかでかいだすらん、
たゞし子うむ時
なんいかでかいだすらん。
  〔691〕 はら\/と はう〳〵かと申。
  〔692〕 人だに見れば失せぬ。」と申す。 人だにみればうせぬと申。
       
       
  〔693〕 又人のまをすやう、 又人申やう。
  〔694〕 「大炊寮(おほゐづかさ)の
飯炊ぐ屋の棟の
おほいづかさの
いひかしぐ屋のむねに[のイ]。
  〔695〕 つくの穴毎に
燕は巣くひ侍り。
つくのあなごとに
つばくらめは巢をくひ侍る。
  〔696〕 それにまめならん男どもを
ゐてまかりて、
それにまめならんをのこどもを
ゐてまかりて。
  〔697〕 あぐらをゆひて上げて
窺はせんに、
あぐらをゆひあげて
うかゞはせんに。
  〔698〕 そこらの燕子
うまざらんやは。
そこらのつばくらめを
うまざらむやは。
  〔699〕 さてこそとらしめ給はめ。」と申す。 扨こそとらしめ給はめと申。
       
  〔700〕 中納言喜び給ひて、 中納言よろこびたまひて。
  〔701〕 「をかしき事にもあるかな。 おかしき事にも有哉。
  〔702〕 もともえ知らざりけり。 尤えしらざりけり。
  〔703〕 興あること申したり。」との給ひて、 けうある事申たりとの給ひて。
  〔704〕 まめなる男ども
二十人ばかり遣して、
まめなるをのこども
廿人ばかりつかはして。
  〔705〕 あなゝひに上げすゑられたり。 あなゝひにあげすへられたり。
       
       
  〔706〕 殿より使ひまなく給はせて、 とのより使隙なくたまはせて。
  〔707〕 「子安貝とりたるか。」
と問はせ給ふ。
こやすの[イ无]かひとりたるか
ととはせ給ふ。
       
  〔708〕 「燕も
人の數多のぼり居たるにおぢて、
つばくらめも
人あまたのぼりゐたるにおぢて。
  〔709〕 巣にのぼりこず。」 すにものぼりこず。
  〔710〕 かゝるよしの御返事を申しければ、 かゝるよしの御返事を申たれば。
  〔711〕 聞き給ひて、 聞給ひて。
  〔712〕 「いかゞすべき。」
と思しめし煩ふに、
如何すべき
とおぼしめし煩ふに。
       
  〔713〕 かの寮の官人(くわんじん)
くらつ麿と申す翁申すやう、
彼つかさのくわん人
くらつまろと申翁申やう。
  〔714〕 「子安貝
とらんと思しめさば、
こやすの(イ无)かひ
とらむとおぼしめさば。
  〔715〕 たばかり申さん。」とて、 たばかり申さむとて。
  〔716〕 御前に參りたれば、 御前に參たれば。
  〔717〕 中納言
額を合せてむかひ給へり。
中納言
額を合てむかひゐたまへり。
       
  〔718〕 くらつ麿が申すやう、 くらつまろが申やう。
  〔719〕 「この燕の子安貝は、 此燕めこやすのかひは。
  〔720〕 惡しくたばかりてとらせ給ふなり。 あしくたばかりてとらせ給ふ也。
  〔721〕 さてはえとらせ給はじ。 扨はえとらさ(イ无)せたまはじ。
  〔722〕 あなゝひにおどろ\/しく、
二十人の人ののぼりて侍れば、
あなゝひにおどろおどろしく
廿人のひと〴〵ののぼりて侍るなれば。
  〔723〕 あれて寄りまうで來ずなん。 あれてよりまうでこず・[なりイ]。
  〔724〕 せさせ給ふべきやうは、 せさせ給ふべきやうは。
  〔725〕 このあななひを毀ちて、
人皆退きて、
此あなゝひをこぼちて
人みなしりぞきて。
  〔726〕 まめならん人一人を
荒籠(あらこ)に載せすゑて、
まめならむ人を
あらこにのせすへて。
  〔727〕 綱をかまへて、鳥の子産まん間に
綱を釣りあげさせて、
つなをかまへて鳥のこうまん間に
つなをつりあげさせて。
  〔728〕 ふと子安貝をとらせ給はんなん ふとこやすの[イ无]かひをとらせ給なん。
  〔729〕 よかるべき。」と申す。 よき事なる[ばよかるイ]ベきと申。
       
  〔730〕 中納言の給ふやう、 中納言の給ふやう。
  〔731〕 「いとよきことなり。」とて、 いとよき事なりとて。
  〔732〕 あなゝひを毀ちて、 あなゝひをこぼし。
  〔733〕 人皆歸りまうできぬ。 人みなかへりまうできぬ。
       
       
  〔734〕 中納言くらつ麿にの給はく、 中納言くらつまろにの給はく。
  〔735〕 「燕はいかなる時にか
子を産むと知りて、
人をばあぐべき。」とのたまふ。
つばくらめはいかなる時にか
子うむとしりて
人をばあぐべきとのたまふ。
       
  〔736〕 くらつ麿申すやう、 くらつまろ申やう。
  〔737〕 「燕は子うまんとする時は、 つばくらめ子うまむとする時は。
  〔738〕 尾をさゝげて
七度廻りて
なん産み落すめる。
おをさ・[さイ]げて
七度めぐりて
なんうみおとすめる。
  〔739〕 さて七度廻らんをりひき上げて、
そのをり子安貝はとらせ給へ。」と申す。
扨七度めぐらんおり
ひきあげてそのおり
こやすの(イ无)貝はとらせたまへと申。
       
  〔740〕 中納言喜び給ひて、 中納言喜て。
  〔741〕 萬の人にも知らせ給はで、
みそかに寮にいまして、
よろづの人にもしらせ給はで
みそかにつかさにいまして。
  〔742〕 男どもの中に交りて、 をのこどもの中にまじりて。
  〔743〕 夜を晝になしてとらしめ給ふ。 夜をひるになしてとらしめ給ふ。
  〔744〕 くらつ麿かく申すを、
いといたく喜び給ひての給ふ、
くらつまろかく申を
いといたく喜ての給ふ。
  〔745〕 「こゝに使はるゝ人にもなきに、
願をかなふることの嬉しさ。」
と宣ひて、
こゝにつかはるゝ人にもなきに
ねがひをかなふることのうれしさ
との給ひて。
  〔746〕 御衣(おんぞ)ぬぎてかづけ給ひつ。 御ぞぬぎてかづけ給つ。
       
       
  〔747〕 更に「夜さりこの寮にまうでこ。」
とのたまひて遣しつ。
さらによさり此司にまうでこ
との給ひてつかはしつ。
  〔748〕 日暮れぬれば、
かの寮におはして見給ふに、
誠に燕巣作れり。
日暮ぬれば
かのつかさにおはして見給ふに
誠につばくらめ巢つくれり。
       
  〔749〕 くらつ麿申すやうに、 くらつまろ申やう・[にイ]。
  〔750〕 尾をさゝげて廻るに、 おうけて[をさゝげイ]めぐるに。
  〔751〕 荒籠に人を載せて
釣りあげさせて、
燕の巣に手をさし入れさせて探るに、
あらこに人をのぼせて
つりあげさせて
つばくらめの巢に手をさし入させてさぐるに。
       
  〔752〕 「物もなし。」と申すに、 物もなしと申に。
  〔753〕 中納言
「惡しく探ればなきなり。」と腹だちて、
「誰ばかりおぼえんに。」とて、
中納言
あしくさぐればなきなりと腹立て
たればかりおぼふらんにとて。
  〔754〕 「我のぼりて探らん。」とのたまひて、 われのぼりてさぐらむとの給ひて。
       
  〔755〕 籠にのりてつられ登りて
窺ひ給へるに、
籠に入てつられのぼりて
うかゞひ給へるに。
  〔756〕 燕尾をさゝげて
いたく廻るに合せて、
つばくらめ尾をさげ[さゝげイ]て
いたくめぐりけるにあはせて。
  〔757〕 手を捧げて探り給ふに、 手をさゝげてさぐり給ふに。
  〔758〕 手にひらめるものさはる時に、 ・[手にイ]ひらめる物さはりけるとき。
  〔759〕 「われ物握りたり。 我物にぎりたり。
  〔760〕 今はおろしてよ。 今はおろしてよ。
  〔761〕 翁しえたり。」との給ひて、 おきなしえたたり[イ无]との給ひて。
  〔762〕 集りて「疾くおろさん。」とて、
綱をひきすぐして、
綱絶ゆる、即
あつまりてとくおろさんとて
綱を引すぐして
つなたゆるとき[すなはちにイ]に。
  〔763〕 やしまの鼎の上に
のけざまに落ち給へり。
やしまのかなへのうへに
のけざまにおちたまへり。
       
       
  〔764〕 人々あさましがりて、 人々あさましがりて。
  〔765〕 寄りて抱へ奉れり。 寄てかゝへたてまつれり。
  〔766〕 御目はしらめにてふし給へり。 御目はしらめにてふし給へり。
  〔767〕 人々御(み)口に水を掬ひ入れ奉る。 人々水をすくひ入たてまつれり。
       
  〔768〕 辛うじて息いで給へるに、 からうじていき出給るに。
  〔769〕 また鼎の上より、 又かなへの上より。
  〔770〕 手とり足とりしてさげおろし奉る。 てとりあしとりしてさげおろし奉る。
  〔771〕 辛うじて
「御(み)心地はいかゞおぼさるゝ。」
と問へば、
からうじて
御心ちはいかゞおぼさるゝ
ととへば。
  〔772〕 息の下にて、 息の下にて。
  〔773〕 「ものは少し覺ゆれど 物はすこしおぼゆれど。
  〔774〕 腰なん動かれぬ。 こしなむうごかれぬ。
  〔775〕 されど子安貝をふと握りもたれば
嬉しく覺ゆるなり。
されどこやすのかひをふとにぎりもたれば
嬉敷おぼゆれ[ゆるなりイ]。
  〔776〕 まづ脂燭さしてこ。 まづしそくさしてこ。
  〔777〕 この貝顔(かひがほ)みん。」と、
御ぐしもたげて御手をひろげ給へるに、
このかひがほ(貝面)見むと
御ぐしもたげ御手をひろげ給へるに。
  〔778〕 燕のまりおける
古糞を握り給へるなりけり。
つばくらめのまりおける
ふるくそをにぎり給へるなりけり。
       
  〔779〕 それを見給ひて、 それをみ給ひて。
  〔780〕 「あなかひなのわざや。」
との給ひけるよりぞ、
あなかひなのわざや
との給ひけるよりぞ。
  〔781〕 思ふに違ふこと
をば、かひなしとはいひける。
思ふにたがふ事
をばかひなしといひける。
       
       
  〔782〕 「かひにもあらず。」と見給ひけるに、 かひにもあらずと見給ひけるに。
  〔783〕 御こゝちも違ひて、 御心ちもたがひて。
  〔784〕 唐櫃の蓋に入れられ給ふべくもあらず、 からびつのふたに入られ給ふべくもあらず。
  〔785〕 御腰は折れにけり。 御こしはおれにけり。
       
  〔786〕 中納言は
いはけたるわざして、病むことを
中納言は
はら[いはイ]はげたるわざしてやむことを。
  〔787〕 人に聞かせじとし給ひけれど、 人にきかせじとしたまひけれど。
  〔788〕 それを病にていと弱くなり給ひにけり。 それをやまひにていとよはく成たまひけり。
  〔789〕 貝をえとらずなりにけるよりも、 かひをもとらずなりにける〔よりも。
  〔790〕 人の聞き笑はんことを、 人の聞き笑はん〕事を。
  〔791〕 日にそへて思ひ給ひければ、 日に添て思ひ給ひければ。
  〔792〕 たゞに病み死ぬるよりも、
人ぎき恥(はづか)しく覺え給ふなりけり。
たゞにやみしぬるよりも
人聞媿敷おぼえ給ふ成けり。
       
       
  〔793〕 これをかぐや姫聞きて 是をかぐや姫聞て。
  〔794〕 とぶらひにやる歌、 とぶらひにやる歌。
       
♪10 〔795〕 年を經て
浪立ちよらぬすみのえの
年をへて
浪立よらぬすみのえの
 まつかひなしと
 聞くはまことか
 まつかひなしと
 きくは誠か
       
  〔796〕 とあるをよみて聞かす。 とあるをよみてきかす。
       
  〔797〕 いと弱き心地に頭もたげて、 いとよはき心にかしらもたげて。
  〔798〕 人に紙もたせて、 人にかみをもたせて。
  〔799〕 苦しき心地に辛うじてかき給ふ。 くるしき心ちにからうじて書給ふ。
       
♪11 〔800〕 かひはかく
ありけるものをわびはてゝ
かひはなく
有ける物をわひはてゝ
 死ぬる命を
 すくひやはせぬ
 しぬる命を
 救ひやはせぬ
       
  〔801〕 と書きはてゝ絶え入り給ひぬ。 と書はてゝたえ入給ひぬ。
       
  〔802〕 これを聞きて、 是を聞て。
  〔803〕 かぐや姫少し哀(あはれ)とおぼしけり。 かぐや姫少哀とおぼしけり。
  〔804〕 それよりなん少し嬉しきことをば、
かひありとはいひける。
それよりなん少嬉しきことを
ばかひあるとはいひけり。
       

 

解説

 
 


 この段は一段とかかりのスピードがあがり、「所詮ただのお話」としてではなく真剣に解読しようとすれば、展開の難解さは物語中の最難関だろう。
 よって、ここでは重要な語句に絞って解説する。
 (出だしの「何の料にか」は何の料理かと何の用かをかける。根拠は「巣くひたら」と続く大炊寮。燕の巣は食材で、これが後述の贖罪ともかかると)。
 

 まず全体として、前段の大伴にいう「主」「神」という言葉とかかっている。あとは大伴の目障りとかかり、たたり。
 なお、燕が「かしぐ屋のむねに」「巣くう」とは、かぐやの胸に吸いつこうとする若造とかけている(この時点で違和感を感じる方は、離脱されたい)。
 
 

キーワード

 
 
 「二十人」の使い→十二人の使○ 大炊寮(おほゐづかさ)とかけメシ使い=つかさ。
 二十人ばかり→ばかみたいに徒にひきつれ。もうデシ多杉(おほゐ)。そういうのをちっこいののながいフンというので、迷いける古糞が出てくる。
 

 「尾をさゝげて七度廻りて」→ offering; giving sevenfold: Behold.
 「そのをり子安貝はとらせ給へ」→ Cain's curse; appointed a sign for Cain. つまり子の貝のお題は、カインのサイン(しるし)。(子サイン)
 しるし(サイン)とは、微かな本人の証拠・符合・象徴という意味。しかし「何のしるしあるベくも見えず」〔49〕と。(しるしはこの一回のみ)
 

 カインは、バンブーならぬバイブルで落とされた女の子の最初の子。アベルに嫉妬し地中に埋めた。人を呪わば穴二つ。ここでの穴は墓穴(cave; grave)。

 回心せよ=改心せよ。かえりなさい。子分と戯れて全部ヤラセてないで自分で仕事しなさい。しかし、また自ら穴に入り、落(堕)ちて死んだというオチ。
 落ちたのはカナエ(鼎)というへんな三本足のおカマ。カルマ(=カースマーク)。マークはしるし(a mark:karma)。
 

 「こゝに使はるゝ人にもなきに、願をかなフルことの嬉しさ」と宣ひて、御衣(おんぞ)ぬぎてかづけ給ひつ。
 →尾を回す(offering)→フルちん≒御衣ぬぎて。全く意味不明に言葉を解する。ア○でしょ。そういうアイコンあるでしょ。汚い半裸で格好つけてるやつ。
 あれで格好つけてるのよ。ほら日本でも真似してたのいたでしょ。似たような性向の人。超格好つけて悲劇的に・劇画的に謎の果て方した人(何番煎じ)。
 

 「かひはかく ありけるものをわびはてゝ 死ぬる命を すくひやはせぬ」→なぜ巣食わねー!? って、う~んこのデジャブ。
 いつもいつも人のせいで神のせい。そんなんで何が救えるの。すくえるのは、手前がタレて置き回ったウ○コでしょ(燕のまりおける古糞〔778〕)。
 この式の意味くみとれる? 手前でまいたからカミじゃなく手前の手で拭えよ。くっせー糞発言は控えよ(ク○くらえ)。目には目を。糞には糞を。
 
 「子」「安」→子だの、イ○スだのいってたでしょ。それを自称してた(なお、石上と対置させた石作には「佛」も出てくる)。
 しかしどうよませばイ○スなの。ただの畜生でしょ。だから馬やど。山上ですらク○垂れる(垂訓)。自分も理解せんで意味不明なことをたれ回って。
 なんで吹き回るばかりで地道に誠実に励めないの。いいかげんにせーよ。無条件の愛で許せだ? 無茶苦茶すぎだろ。アベルの命の意味はどうなるの。
 
 

かひあり

 
 
 そして、この段の最後の説明に「かひあり」というのがある。これもほぼ全員勘違いしているようなので、説明しておこう。
 これね。→「これを聞きて、かぐや姫少し哀(あはれ)とおぼしけり。それよりなん少し嬉しきことをば、かひありとはいひける」〔802〕
 なお引用の「これ」とは、こやつの最後の見苦しい嘆きの句〔800〕と、その直後に果てたという訃報の報せ〔801〕のことである。
 (イくのはや!? オナンかよって。だからオナンもね、神に○されたんじゃなく勝手にウッ!ってソッコー粗相して果てたの。そんだけ。どんだけ勝手よ。
 これが濡れ場ならぬ濡れ衣ね。そういうのもういらん、ゆうたら次は「脱いで来た」。ア○極まれり。もうね、全部自己マンなのよ。働きマン見習えって)
 

 ほんで、ほぼ半裸で女にもたれ、斜め上でナヨンナヨンしたのを、少し哀れに思うのはいいよね。でもそれより少し嬉しいことって、どういうことって。
 それをね、一般的な訳では、かぐやが最後に哀れに思ったから、哀れに興味をひけたから、甲斐ありってしてるの。どーなのよこれ。どんだけドMよ。
 つーか既にこいついないからね? 哀れに思われ嬉しがるのがどこにいるのよ。あの世? あ違うか、地獄? 地下か? 
 

 つまりだ。甲斐性なしの無様な死に様を少し哀れと思い、それより少し嬉しいこと=うるさいのが一匹息絶えて静かになったワ~いうた甲斐あるといった。
 散々タレ散らかし控えれないのを、言葉でイマ〆めてしめくくる。シメは大事だからね、最初に大炊(メシ)をだしている。と、論証はこれでいいでしょ。 
 人の命をばかにしている! ゆーのはよー知らんよ。カインの話、誰したと思ってるの。それでもなおそういうのは出過ぎというの。役割も頭も違うって。
 

 そもそも、無能の無法者すら寛大に扱って、改心待って耐えていたら、無為だ無能だと無能どもが散々好き勝手いうでしょうが。どこまで自分勝手なのよ。
 もちろん人のように手なんか下さんって。手が穢れる。下すのは判断ね。自然の掟に従えって(providence)。度が過ぎれば天地を動かす。驚天動地って。
 あとは状況の操作。それを配剤という。あまりにひどいと局所対応。最高の所まで問題が持ち上がってくる時は、もうどうしようもない最悪の時だろうよ。
 
 しかし、まるで成長していない…。