薫の和歌 58首※:源氏物語の人物別和歌

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夕霧

 

 薫の和歌全58首※(贈25、答12、独詠18、唱和3※)。

 相手内訳:薫(自身)18.3、(八宮長女:通称大君)8、(八宮次女:中の君)7、(弁=老尼・柏木の乳母子、浮舟:八宮三女)4×2、(匂宮:源氏孫)3.1、(藤侍従)3、(八の宮:源氏の異母弟)2、(今上帝)1.1、(宰相の君:大君方女房、内の人:大君侍女、小宰相の君=明石中宮女房、女:中将のおもと、弁のおもと)1×5、(蔵人少将、衛門督)0.1×2。唱和を0.1とした。

 

 ※通説によれば薫の和歌は57首だが(全集6・588~590p)、これに加え、宿木巻の唱和「君がため」(720)を夕霧改め薫とし58首とした。

 この点、旧大系はこの歌を「某」の歌と認定してきたが、近時の通説は唱和で連続する和歌を、その配列により薫(大将)・帝・夕霧(右大臣)・大納言と認定している(新大系「夕霧の歌か」、全集「帝と大納言の間にはまされる点から右大臣夕霧の詠歌と見られる」)。

 しかし新大系は根拠を示さず、全集は配列を根拠とするように、夕霧という人定についての直接的根拠はないが、これは旧通説の「某」認定のすわりの悪さで強引に認定されたものと言わざるをえない(ちなみに、不知認定は全集において存在しない)。夕霧と認定される和歌は、源氏没後の第三部においてはこの宿木巻二首以外になく(その二首とも問題がある)、またこの場面でも「某」と認定されていたように夕霧認定は当然のものではない。

 そこで720の具体的文脈を見ると、一連の唱和の連続(薫・帝・720・大納言)は「うけばりたるぞ憎きや(憚らずに媚びる態度が憎いではないか)」という薫への著者の皮肉(つまり現実的な権力者批判)から始まり、「これやこの腹立つ大納言」で締めくくられるところ、この腹立つ直前にある「君がため」は典型的ヨイショの枕詞であり、そのように帝に媚びて他人を腹立たせる夕霧が突如割り込む文脈も理由もないことから、薫・帝・薫・大納言と解すべきものであり、こう見ると文脈が一貫して通る。さらに宿木巻先頭の贈答は薫→帝であり、今上帝の贈答は物語全編通してこれだけ(及び719の唱和の二首のみ)であるから、これが何の説明もない帝→720(薫)の解釈の根拠となる。そして最後の紅梅の「腹立つ」が直前の「君がため」のことでないなら、何のために「君がため」はあるのか。薫は第三部で唯一紅梅巻で歌を詠んでない。

 このように通説の夕霧認定は、唱和の形式定義(三人以上)から、全て別人作と漫然とみなしてきた点で誤りがある(この場合はいわば贈答的唱和)。

 

 薫の和歌の特徴としては独詠が際立って多い(全体の31%)。物語全編通して一巻で一首は、第三部最初と最後の匂兵部卿・夢浮橋しかないが(これ自体薫の独詠性を象徴している)、いずれも薫でネガティブな内容。巻名は匂兵部卿(匂宮)なのに、その匂宮(源氏の孫)ではなく薫(頭中将の孫)の和歌。場違いで浮いた歌人の薫。薫は中将の孫、柏木の密通子ということは隠された事情としてではなく前提として考える必要がある。源氏の孫の匂宮と対をなすから、頭中将の孫として著者は描いたと見ないとおかしい。

 

  原文
(定家本)
現代語訳
(渋谷栄一)
 
 

匂兵部卿(におうひょうぶきょう) 1/1首

590
おぼつかな
 誰れに問はまし
 いかにして
 初めも果ても
 知らぬわが身ぞ
はっきりしないことだ、誰に尋ねたらよいものか
どうして初めも終わりも分からない身の上なのだろう
 
 

紅梅(こうばい) 0/4首

 
 

竹河 5/24首

596
よそにては
 もぎ木なりとや
 定むらむ
 下に匂へる
 梅の初花
〔宰相の君:大君方女房→〕傍目には枯木だと決めていましょうが
心の中は咲き匂っている梅の初花ですよ
599
竹河
 橋うちいでし
 一
 深き心の
 底は知りきや
〔藤侍従:玉鬘の子・薫のいとこ←〕竹河の歌を謡ったあの文句の一端から
わたしの深い心のうちを知っていただけましたか
607
贈:
つれなくて
 過ぐる月日を
 かぞへつつ
 もの恨めしき
 暮の春かな
〔藤侍従←〕わたしの気持ちを分かっていただけずに過ぎてゆく年月を数えていますと
恨めしくも春の暮になりました
615
手にかくる
 ものにしあらば
 藤の花
 松よりまさる
 色を見ましや
〔藤侍従←〕手に取ることができるものなら、藤の花の
松の緑より勝れた色を空しく眺めていましょうか
618
流れての
 頼めむなしき
 竹河
 世は憂きものと
 思ひ知りにき
〔内の人:大君侍女→〕今までの期待も空しいとことと分かって
世の中は嫌なものだとつくづく思い知りました
 
 

橋姫 3/13首

625
おろしに
 耐へぬ木の葉の
 露よりも
 あやなくもろき
 わが涙かな
山颪の風に堪えない木の葉の露よりも
妙にもろく流れるわたしの涙よ
626
あさぼらけ
 家も見えず
 尋ね来し
 槙の尾
 こめてけり
〔八宮長女:通称大君←〕夜も明けて行きますが帰る家路も見えません
尋ねて来た槙の尾山は霧が立ち込めていますので
628
橋姫
 心を汲みて
 高瀬さす
 棹のしづく
 ぞ濡れぬる
〔八宮長女:通称大君←〕姫君たちのお寂しい心をお察しして
浅瀬を漕ぐ舟の棹の、涙で袖が濡れました
 
 

椎本(しいがもと) 5/21首

637
いかならむ
 にかかれせむ
 長き
 契りむすべる
 草の庵は
〔八の宮:源氏の異母弟→〕どのような世になりましても訪れなくなることはありません
この末長く約束を結びました草の庵には
641
色変はる
 浅茅を見ても
 墨染に
 やつるる
 思ひこそやれ
〔八宮長女:通称大君←〕色の変わった浅茅を見るにつけても墨染に
身をやつしていらっしゃるお姿をお察しいたします
643
秋霧の
 晴れぬ雲居に
 いとどしく
 この世をかり
 言ひ知らすらむ
秋霧の晴れない雲居でさらにいっそう
この世を仮の世だと鳴いて知らせるのだろう
647
つららとぢ
 駒ふみしだく
 川を
 しるべしがてら
 まづや渡らむ
〔八の宮:源氏の異母弟→〕氷に閉ざされて馬が踏み砕いて歩む山川を
宮の案内がてら、まずはわたしが渡りましょう
648
立ち寄らむ
 蔭と頼みし
 椎が本
 空しき床に
 なりにけるかな
立ち寄るべき蔭とお頼りしていた椎の本は
空しい床になってしまったな
 
 

総角(あげまき) 12/31首

653
あげまき
 長き契りを
 結
びこめ
 同じ所に
 縒りもはなむ
〔八宮長女:通称大君←〕総角に末長い契りを結びこめて
一緒になって会いたいものです
655
山里の
 あはれ知らるる
 声々に
 とりあつめたる
 朝ぼらけかな
〔八宮長女:通称大君←〕山里の情趣が思い知られます鳥の声々に
あれこれと思いがいっぱいになる朝け方ですね
657
おなじ枝を
 分きてめける
 山姫
 いづれか深き
 色と問はばや
〔八宮長女:通称大君←〕同じ枝を分けて染めた山姫を
どちらが深い色と尋ねましょうか
660
霧深き
 朝の原の
 女郎花
 を寄せて
 見る人ぞ見る
〔匂宮:今上三宮・源氏の孫→〕霧の深い朝の原の女郎花は
深い心を寄せて知る人だけが見るのです
661
しるべせし
 我やかへりて
 惑ふべき
 もゆかぬ
 明けぐれの
〔八宮長女:通称大君←〕道案内をしたわたしがかえって迷ってしまいそうです
満ち足りない気持ちで帰る明け方の暗い道を
664
小夜衣
 着て馴れきとは
 言はずとも
 かことばかり
 かけずしもあらじ
〔八宮長女:通称大君←〕小夜衣を着て親しくなったとは言いませんが
いいがかりくらいはつけないでもありません
669
桜こそ
 思ひ知らすれ
 咲き匂ふ
 花も紅葉も
 常ならぬ世を
〔蔵人少将+薫+衛門督+宮の大夫+匂宮〕桜は知っているでしょう
咲き匂う花も紅葉も常ならぬこの世を
676
さゆる
 汀の千鳥
 うちわびて
 鳴く音悲しき
 朝ぼらけかな
〔八宮次女:中の君←〕霜が冷たく凍る汀の千鳥が堪えかねて
寂しく鳴く声が悲しい、明け方ですね
678
かき曇り
 日かげも見えぬ
 奥山に
 をくらす
 ころにもあるかな
かき曇って日の光も見えない奥山で
心を暗くする今日このごろだ
679
くれなゐに
 落つる涙も
 かひなきは
 形見の色を
 染めぬなりけり
紅色に落ちる涙が何にもならないのは
形見の喪服の色を染めないことだ
680
おくれじと
 空ゆく月
 慕ふかな
 つひに住むべき
 この世ならねば
後れまいと空を行く月が慕われる
いつまでも住んでいられないこの世なので
681
恋ひわび
 死ぬる薬
 ゆかしきに
 雪の山にや
 跡を消なまし
恋いわびて死ぬ薬が欲しいゆえに
雪の山に分け入って跡を晦ましてしまいたい
 
 

早蕨(さわらび) 5/15首

687
見る人に
 かこと寄せける
 の枝を
 心してこそ
 折るべかりけれ
〔匂宮:源氏の孫→〕見る人に言いがかりをつけられる花の枝は
注意して折るべきでした
688
贈:
はかなしや
 霞の衣
 裁ちしまに
 のひもとく
 も来にけり
〔八宮次女:中の君←〕早いものですね、霞の衣を作ったばかりなのに
もう花が綻ぶ季節となりました
690
袖ふれ
 梅は変はらぬ
 匂ひにて
 根ごめ移ろふ
 宿やことなる
〔八宮次女:中の君→〕昔賞美された梅は今も変わらぬ匂いですが
根ごと移ってしまう邸は他人の所なのでしょうか
692
身を投げ
 涙の川に
 沈みても
 恋しき瀬々に
 忘れしもせじ
〔弁=老尼・柏木の乳母子←〕身を投げるという涙の川に沈んでも
恋しい折々を忘れることはできまい
698
しなてるや
 鳰の湖に
 漕ぐ舟の
 まほならねども
 あひ見しものを
しなてる琵琶湖の湖に漕ぐ舟のように
まともではないが一夜会ったこともあったのに
 
 

宿木(やどりぎ) ※10/24首

699
世の常の
 垣根に匂ふ
 花ならば
 心のままに
 折りて見ましを
今上帝←〕世間一般の家の垣根に咲いている花ならば
思いのままに手折って賞美すことができましょうものを
701
の間の
 色にや賞でむ
 置く露の
 消えぬにかかる
 見る見る
今朝の間の色を賞美しようか、置いた露が
消えずに残っているわずかの間に咲く花と思いながら
702
よそへてぞ
 見るべかりける
 白露の
 契りかおきし
 顔の
〔八宮次女:中の君←〕あなたを姉君と思って自分のものにしておくべきでした
白露が約束しておいた朝顔の花ですから
709
深からず
 上は見ゆれど
 関川
 下の通ひは
 絶ゆるものかは
〔按察の君=女三宮侍女←〕深くないように表面は見えますが
心の底では愛情の絶えることはありません
710
贈:
いたづらに
 分けつる道の
 露しげみ
 昔おぼゆる
 秋の空かな
〔八宮次女:中の君←〕無駄に歩きました道の露が多いので
昔が思い出されます秋の空模様ですね
713
贈:
結びける
 契りことなる
 下紐
 ただ一筋に
 恨みやはする
〔八宮次女:中の君←〕結んだ契りの相手が違うので
今さらどうして一途に恨んだりしようか
714
宿り木
 思ひ出でずは
 のもとの
 旅寝もいかに
 さびしからまし
〔弁:尼君・柏木の乳母子←〕宿木の昔泊まった家と思い出さなかったら
木の下の旅寝もどんなにか寂しかったことでしょう
718
すべらきの
 かざしに折ると
 
 及ばぬ枝に
 袖かけてけり
薫+帝+※+紅梅大納言〕帝の插頭に折ろうとして藤の花を
わたしの及ばない袖にかけてしまいました
720
君がため
 折れるかざしは
 紫の
 に劣らぬ
 のけしきか
薫+帝+※+紅梅大納言 ※薫 ×夕霧(新大系・全集)〕主君のため折った插頭の花は
紫の雲にも劣らない花の様子です
722
貌鳥
 声も聞きしに
 かよふやと
 茂みを分けて
 今日ぞ尋ぬる
かお鳥の声も昔聞いた声に似ているかしらと
草の茂みを分け入って今日尋ねてきたのだ
 
 

東屋 5/11首

723
見し人の
 形代ならば
 身に添へて
 恋しき瀬々の
 なでものにせむ
〔八宮次女:中の君←〕亡き姫君の形見ならば、いつも側において
恋しい折々の気持ちを移して流す撫物としよう
729
絶え果てぬ
 清水になどか
 亡き人
 面影をだに
 とどめざりけむ
涸れてしまわないこの清水にどうして亡くなった人の
面影だけでもとどめておかなかったのだろう
730
さしとむる
 葎やしげき
 東屋
 あまりほど降る
 雨そそきかな
戸口を閉ざすほど葎が茂っているためか
東屋であまりに待たされ雨に濡れることよ
731
形見ぞと
 見るにつけては
 朝露の
 ところせきまで
 濡るる袖かな
故姫君の形見だと思って見るにつけ
朝露がしとどに置くように涙に濡れることだ
733
里の名も
 ながらに
 見し人
 面変はりせる
 閨の月影
〔弁:尼君・柏木の乳母子←〕里の名もわたしも昔のままですが
昔の人が面変わりしたかと思われる閨の月【の面影】です
 
 

浮舟 3/22首

739
宇治橋
 長き契りは
 朽ちせじを
 ぶむ方に
 心騒ぐな
〔浮舟←〕宇治橋のように末長い約束は朽ちないから
不安に思って心配なさるな
746
水まさる
 遠方の
 いかならむ
 晴れぬ長
 かき暮らすころ
〔浮舟←〕川の水が増す宇治の里人はどのようにお過ごしでしょうか
晴れ間も見せず長雨が降り続き、物思いに耽っていらっしゃる今日このごろ
750
贈:
波越ゆる
 ころとも知らず
 末の松
 待つ
らむとのみ
 思ひけるかな
〔浮舟←〕心変わりするころとは知らずにいつまでも
待ち続けていらっしゃるものと思っていました
 
 

蜻蛉 7/11首

756
忍び音や
 君も泣くらむ
 かひもなき
 死出の田長
 通はば
〔匂宮:源氏の孫←〕忍び音にほととぎすが鳴いていますが、あなた様も泣いていらっしゃいましょうか
いくら泣いても効のない方にお心寄せならば
758
我もまた
 憂き古里を
 荒れはてば
 誰れ宿り木の
 蔭をしのばむ
わたしもまた、嫌なこの古里を離れて、荒れてしまったら
誰がここの宿の事を思い出すであろうか
760
常なしと
 ここら世を見る
 憂きだに
 人の知るまで
 嘆きやはする
〔小宰相の君=明石中宮女房←〕無常の世を長年見続けて来たわが身でさえ
人が見咎めるまで嘆いてはいないつもりでしたが
761
荻の葉に
 露吹き結ぶ
 秋風も
 夕べぞわきて
 にはしみける
荻の葉に露が結んでいる上を吹く秋風も
夕方には特に身にしみて感じられる
762
女郎花
 乱
るる野辺に
 混じるとも
 露のあだ名
 我にかけめや
〔障子にうしろしたる人=女・中将君(旧大系):中将のおもと(全集)←〕
女郎花が咲き乱れている野辺に入り込んでも
露に濡れたという噂をわたしにお立てになれましょうか
765
宿貸さば
 一夜はなむ
 おほかたの
 花にらぬ
 なりとも
〔弁のおもと→〕お宿をお貸しくださるなら、一夜は泊まってみましょう
そこらの花には心移さないわたしですが
766
ありと見て
 手にはとられず
 見ればまた
 行方も知らず
 消えし蜻蛉
そこにいると見ても、手には取ることのできない
見えたと思うとまた行く方知れず消えてしまった蜻蛉だ
 
 

手習 1/28首

793
見し人は
 影も止まらぬ
 水の上に
 落ち添ふ涙
 いとどせきあへず
あの人は跡形もとどめず、身を投げたその川の面に
いっしょに落ちるわたしの涙がますます止めがたいことよ
 
 

夢浮橋(ゆめのうきはし) 1/1首

795
贈:
法の師と
 尋ぬる道を
 しるべにて
 思はぬ山に
 踏み惑ふかな
〔浮舟←〕仏法の師と思って尋ねて来た道ですが、それを道標としていたのに
思いがけない山道に迷い込んでしまったことよ