源氏物語 30帖 藤袴:あらすじ・目次・原文対訳

行幸 源氏物語
第一部
第30帖
藤袴
真木柱

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 藤袴(ふじばかま)のあらすじ

 光源氏37歳の秋の話。

 大宮が亡くなり、尚侍に任命された玉鬘は孫として喪に服しながら、出仕を思い悩んでいた。そこへ夕霧が父光源氏の使いで訪れ、従兄弟の縁に事寄せ藤袴の花を差し出しつつ、秘めていた想いを訴えたが、玉鬘は取り合わない。源氏のところに戻った夕霧は、「内大臣様が内々におっしゃったそうですが、「世間では源氏の大臣が、玉鬘を側室の一人にするつもりだと噂している」との事…」と言って、その真意を鋭く追及した。夕霧の追及をかわした源氏内大臣〔かつての頭中将〕の勘の鋭さに、内心冷や冷やする。

 喪が明けて、玉鬘の出仕は10月に決定した。求婚者たちからは諦めきれない文が届き、文をより分ける女房たちは「悲しいお文ばかり」と話す。とりわけ髭黒蛍兵部卿宮〔源氏の異母弟〕は熱心だった。玉鬘はその中で、蛍兵部卿宮だけに返事を送った。

(以上Wikipedia藤袴より。色づけと〔〕は本ページ)
 
目次

和歌抜粋内訳#藤袴(8首:別ページ)

主要登場人物
 
第30帖 藤袴(ふじばかま)
 光る源氏の太政大臣時代
 三十七歳秋八月から九月の物語
 
第一章 玉鬘の物語
 玉鬘と夕霧との新関係
 第一段 玉鬘、内侍出仕前の不安
 第二段 夕霧、源氏の使者として玉鬘を訪問
 第三段 夕霧、玉鬘に言い寄る
 第四段 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す
 第五段 夕霧、源氏に復命
 第六段 源氏の考え方
 第七段 玉鬘の出仕を十月と決定
 
第二章 玉鬘の物語
 玉鬘と柏木との新関係
 第一段 柏木、内大臣の使者として玉鬘を訪問
 第二段 柏木、玉鬘と和歌を詠み交す
 
第三章 玉鬘の物語
 玉鬘と鬚黒大将
 第一段 鬚黒大将、熱心に言い寄る
 第二段 九月、多数の恋文が集まる
 出典
 校訂
 

 

主要登場人物

 

光る源氏(ひかるげんじ)
三十六歳から三十七歳
呼称:六条の大臣・大臣・大殿・大臣の君・殿
夕霧(ゆうぎり)
光る源氏の長男
呼称:宰相中将・中将・君
玉鬘(たまかづら)
内大臣の娘
呼称:尚侍の君・女・君
内大臣(ないだいじん)
呼称:父大臣・大臣・殿
柏木(かしわぎ)
呼称:頭中将・中将・君
紫の上(むらさきのうえ)
呼称:殿の上
弘徽殿女御(こきでんのにょうご)
呼称:弘徽殿・女御
冷泉帝(れいぜいてい)
呼称:主上・内裏
秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)
呼称:中宮
鬚黒大将(ひげくろだいしょう)
呼称:大将・大将殿・君
蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)
呼称:兵部卿宮・宮
承香殿女御(しょうきょうでんのにょうご)
呼称:春宮の女御
鬚黒の北の方(ひげくろのきたのかた)
呼称:北の方・御大君

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンクを参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
 
 
 

原文対訳

和歌 定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  藤袴(ふじばかま)
 
 

第一章 玉鬘の物語 玉鬘と夕霧との新関係

 
 

第一段 玉鬘、内侍出仕前の不安

 
   尚侍の御宮仕へのことを、誰れも誰れもそそのかしたまふも、  尚侍としての御出仕のことを、どなたもどなたもお勧めなさるが、
   「いかならむ。
 親と思ひきこゆる人の御心だに、うちとくまじき世なりければ、ましてさやうの交じらひにつけて、心よりほかに便なきこともあらば、中宮も女御も、方がたにつけて心おきたまはば、はしたなからむに、わが身はかくはかなきさまにて、いづ方にも深く思ひとどめられたてまつれるほどもなく、浅きおぼえにて、ただならず思ひ言ひ、いかで人笑へなるさまに見聞きなさむと、うけひたまふ人びとも多く、とかくにつけて、やすからぬことのみありぬべき」を、
 「どうしたものだろうか。
 親とお思い申し上げる方のお気持ちでさえ、気を許すことのできない世の中なので、ましてそのような宮仕えにつけて、思いがけない不都合なことが生じたら、中宮にも女御にも、それぞれ気まずい思いをお持ちになったら、立つ瀬がなくなるだろうから、自分の身の上はこのように頼りない状態で、どちらの親からも深く愛していただける縁もなく、世間からも軽く見られているので、いろいろと取り沙汰されたり、何とか物笑いの種にしようと呪っている人々も多く、何かにつけて、嫌なことばかりあるにちがいない」からと、
  もの思し知るまじきほどにしあらねば、さまざまに思ほし乱れ、人知れずもの嘆かし。
 
 分別のないお年頃でもないから、いろいろとお思い悩んで、独り嘆いていらっしゃる。
 
   「さりとて、かかるありさまも悪しきことはなけれど、この大臣の御心ばへの、むつかしく心づきなきも、いかなるついでにかは、もて離れて、人の推し量るべかめる筋を、心きよくもあり果つべき。
 
 「そうかといって、このままの状態も悪いことはないけれども、この大臣のお気持ちの、厄介で厭わしいのも、どのような機会に、すっきりと断ち切って、世間の人が邪推しているらしいことを、潔白で通すことができようか。
 
   まことの父大臣も、この殿の思さむところ、憚りたまひて、うけばりてとり放ち、けざやぎたまふべきことにもあらねば、なほとてもかくても、見苦しう、かけかけしきありさまにて、心を悩まし、人にもて騒がるべき身なめり」  実の父大臣も、こちらの殿のお考えに、遠慮なさって、堂々と引き取って、はっきり娘としてお扱いになることはないのだから、やはりいずれにしても、外聞悪く、色めいた有様で、心を悩まし、世間の人から噂される身の上のようだ」
   と、なかなかこの親尋ねきこえたまひて後は、ことに憚りたまふけしきもなき大臣の君の御もてなしを取り加へつつ、人知れずなむ嘆かしかりける。
 
 と、かえって実の親をお捜し当てなさった後は、とくに遠慮なさるご様子もない大臣の君のお扱いを加え加えして、独り嘆いているのであった。
 
   思ふことを、まほならずとも、片端にてもうちかすめつべき女親もおはせず、いづ方もいづ方も、いと恥づかしげに、いとうるはしき御さまどもには、何ごとをかは、さなむ、かくなむとも聞こえ分きたまはむ。
 世の人に似ぬ身のありさまを、うち眺めつつ、夕暮の空のあはれげなるけしきを、端近うて見出だしたまへるさま、いとをかし。
 
 悩み事を、すっかりでなくとも、一部分だけでも漏らすことのできる女親もいらっしゃず、どちらの親も、とても立派で近づきがたいご様子では、どのようなことを、ああですとか、こうですとか申し上げて理解していただけようか。
 世間の人とは違ったわが身の上を、物思いに耽りながら、夕暮の空のしみじみとした様子を、端近くに出て眺めていらっしゃる姿、たいそう美しい。
 
 
 

第二段 夕霧、源氏の使者として玉鬘を訪問

 
   薄き鈍色の御衣、なつかしきほどにやつれて、例に変はりたる色あひにしも、容貌はいとはなやかにもてはやされておはするを、御前なる人びとは、うち笑みて見たてまつるに、宰相中将、同じ色の、今すこしこまやかなる直衣姿にて、纓巻きたまへる姿しも、またいとなまめかしくきよらにておはしたり。
 
 薄色の御喪服を、しっとりと身にまとって、いつもと変わった色合いに、かえってその器量が引き立って美しくいらっしゃるのを、御前の女房たちは、にっこりして拝しているところに、宰相中将が、同じ喪服の、もう少し色の濃い直衣姿で、纓を巻いていらっしゃる姿が、またたいそう優雅で美しくいらっしゃった。
 
   初めより、ものまめやかに心寄せきこえたまへば、もて離れて疎々しきさまには、もてなしたまはざりしならひに、今、あらざりけりとて、こよなく変はらむもうたてあれば、なほ御簾に几帳添へたる御対面は、人伝てならでありけり。
 殿の御消息にて、内裏より仰せ言あるさま、やがてこの君のうけたまはりたまへるなりけり。
 
 初めから、誠意を持って好意をお寄せ申し上げていらっしゃったので、他人行儀にはなさらなかった習慣から、今、姉弟ではなかったといって、すっかりと態度を改めるのもいやなので、やはり御簾に几帳を加えたご面会は、取り次ぎなしでなさるのであった。
 殿のお使いとして、宮中からのお言葉の内容を、そのままこの君がお承りなさったのであった。
 
   御返り、おほどかなるものから、いとめやすく聞こえなしたまふけはひの、らうらうじくなつかしきにつけても、かの野分の朝の御朝顔は、心にかかりて恋しきを、うたてある筋に思ひし、聞き明らめて後は、なほもあらぬ心地添ひて、  お返事は、おっとりとしたものの、たいそう難のなくお答え申し上げなさる態度が、いかにも才気があって女性らしいのにつけても、あの野分の朝のお顔が心にかかって恋しいので、いやなことだと思ったが、真相を聞き知ってから後は、やはり平静ではいられない気持ちが加わって、
   「この宮仕ひを、おほかたにしも思し放たじかし。
 さばかり見所ある御あはひどもにて、をかしきさまなることのわづらはしき、はた、かならず出で来なむかし」
 「この宮仕えをなさっても、普通のことではお諦めになるまい。
 あれほどに見事なご夫人たちとの間柄でも、美しい人であるための厄介なことが、きっと起こるだろう」
   と思ふに、ただならず、胸ふたがる心地すれど、つれなくすくよかにて、  と思うと、気が気でなく、胸のふさがる思いがするが、素知らぬ顔で真面目に、
   「人に聞かすまじとはべりつることを聞こえさせむに、いかがはべるべき」  「誰にも聞かせるなとのことでございましたお言葉を申し上げますので、どう致しましょうか」
   とけしき立てば、近くさぶらふ人も、すこし退きつつ、御几帳のうしろなどにそばみあへり。
 
 と意味ありげに言うので、近くに伺候している女房たちも、少し下がり下がりして、御几帳の後ろなどに顔を横に向け合っていた。
 
 
 

第三段 夕霧、玉鬘に言い寄る

 
   そら消息をつきづきしくとり続けて、こまやかに聞こえたまふ。
 主上の御けしきのただならぬ筋を、さる御心したまへ、などやうの筋なり。
 いらへたまはむ言もなくて、ただうち嘆きたまへるほど、忍びやかに、うつくしくいとなつかしきに、なほえ忍ぶまじく、
 嘘の伝言をそれらしく次々と続けて、こまごまと申し上げなさる。
 主上のご執心が並大抵ではないのを、ご注意なさい、などというようなことである。
 お答えなさる言葉もなくて、ただそっと溜息をついていらっしゃるのが、ひっそりとして、かわいらしくとても優しいので、やはり我慢できず、
   「御服も、この月には脱がせたまふべきを、日ついでなむ吉ろしからざりける。
 十三日に、河原へ出でさせたまふべきよしのたまはせつ。
 なにがしも御供にさぶらふべくなむ思ひたまふる」
 「ご服喪も、今月にはお脱ぎになる予定ですが、日が吉くありませんでした。
 十三日に、河原へお出であそばすようにとおっしゃっていました。
 わたしもお供致したいと存じております」
   と聞こえたまへば、  と申し上げなさると、
   「たぐひたまはむもことことしきやうにやはべらむ。
 忍びやかにてこそよくはべらめ」
 「ご一緒くださると事が仰々しくございませんか。
 人目に立たないほうがよいでしょう」
   とのたまふ。
 この御服なんどの詳しきさまを、人にあまねく知らせじとおもむけたまへるけしき、いと労あり。
 中将も、
 とおっしゃる。
 このご服喪などの詳細なことを、世間の人に広く知らすまいとしていらっしゃる配慮、たいそう行き届いている。
 中将も、
   「漏らさじと、つつませたまふらむこそ、心憂けれ。
 忍びがたく思ひたまへらるる形見なれば、脱ぎ捨てはべらむことも、いともの憂くはべるものを。
 さても、あやしうもて離れぬことの、また心得がたきにこそはべれ。
 この御あらはし衣の色なくは、えこそ思ひたまへ分くまじかりけれ」
 「世間の人に知られまいと、隠していらっしゃるのが、たいそう情ないのです。
 恋しくてたまらなく存じました方の形見なので、脱いでしまいますのも、たいそう辛うございますのに。
 それにしても、不思議にご縁のありますことが、また腑に落ちないのでございます。
 この喪服の色を着ていなかったら、とても分からなかったことでしょう」
   とのたまへば、  とおっしゃると、
   「何ごとも思ひ分かぬ心には、ましてともかくも思ひたまへたどられはべらねど、かかる色こそ、あやしくものあはれなるわざにはべりけれ」  「何も分別のないわたしには、ましてどういうことか筋道も辿れませんが、このような色は、妙にしみじみと感じさせられるものでございますね」
   とて、例よりもしめりたる御けしき、いとらうたげにをかし。
 
 と言って、いつもよりしんみりしたご様子、たいそう可憐で美しい。
 
 
 

第四段 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す

 
   かかるついでにとや思ひ寄りけむ、蘭の花のいとおもしろきを持たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて、  このような機会にとでも思ったのであろうか、蘭の花のたいそう美しいのを持っていらっしゃったが、御簾の端から差し入れて、
   「これも御覧ずべきゆゑはありけり」  「この花も御覧になるわけのあるものです」
   とて、とみにも許さで持たまへれば、うつたへに思ひ寄らで取りたまふ御袖を、引き動かしたり。  と言って、すぐには手放さないで持っていらっしゃったので、全然気づかないで、お取りになろうとするお袖を引いた。
 

399
 「同じ野の 露にやつるる 藤袴
 あはれはかけよ かことばかりも」
 「あなたと同じ野の露に濡れて萎れている藤袴です
  やさしい言葉をかけて下さい、ほんの申し訳にでも」
 
   「道の果てなる」とかや、いと心づきなくうたてなりぬれど、見知らぬさまに、やをら引き入りて、  「道の果てにある」というのかと思うと、とても疎ましく嫌な気になったが、素知らない様子に、そっと奥へ引き下がって、
 

400
 「尋ぬるに はるけき野辺の 露ならば
 薄紫や かことならまし
 「尋ねてみて遥かに遠い野辺の露だったならば
  薄紫のご縁とは言いがかりでしょう
 
   かやうにて聞こゆるより、深きゆゑはいかが」  このようにして申し上げる以上に、深い因縁はございましょうか」
   とのたまへば、すこしうち笑ひて、  とおっしゃるので、少しにっこりして、
   「浅きも深きも、思し分く方ははべりなむと思ひたまふる。
 まめやかには、いとかたじけなき筋を思ひ知りながら、えしづめはべらぬ心のうちを、いかでかしろしめさるべき。
 なかなか思し疎まむがわびしさに、いみじく籠めはべるを、今はた同じと、思ひたまへわびてなむ。
 
 「浅くも深くも、きっとお分かりになることでございましょうと存じます。
 実際は、まことに恐れ多い宮仕えのことを存じながら、抑えきれません思いのほどを、どのようにしてお分りになっていただけましょうか。
 かえってお疎みになろうことがつらいので、ひどく堪えておりましたのが、今はもう同じこと、ぜひともと思い余って申し上げたのです。
 
   頭中将のけしきは御覧じ知りきや。
 人の上に、なんど思ひはべりけむ。
 身にてこそ、いとをこがましく、かつは思ひたまへ知られけれ。
 なかなか、かの君は思ひさまして、つひに、御あたり離るまじき頼みに、思ひ慰めたるけしきなど見はべるも、いとうらやましくねたきに、あはれとだに思しおけよ」
 頭中将の気持ちはご存知でしたか。
 他人事のように、どうして思ったのでございましょう。
 自分の身になってみて、たいそう愚かなことだと、その一方でよく分りました。
 かえってあの君は落ち着いていて、結局、ご姉弟の縁の切れないことをあてにして、思い慰めている様子などを拝見致しますのも、たいそう羨ましく憎らしいので、せめてかわいそうだとでもお心に留めてやってください」
   など、こまかに聞こえ知らせたまふこと多かれど、かたはらいたければ書かぬなり。
 
 などと、こまごまと申し上げなさることが多かったが、どうかと思われるので書かないのである。
 
   尚侍の君、やうやう引き入りつつ、むつかしと思したれば、  尚侍の君は、だんだんと奥に引っ込みながら、厄介なことだとお思いでいたので、
   「心憂き御けしきかな。
 過ちすまじき心のほどは、おのづから御覧じ知らるるやうもはべらむものを」
 「冷たいそぶりをなさいますね。
 間違い事は決して致さない性格であることは、自然とご存知でありましょうに」
   とて、かかるついでに、今すこし漏らさまほしけれど、  と言って、このような機会に、もう少し打ち明けたいのだが、
   「あやしくなやましくなむ」  「妙に気分が悪くなりまして」
   とて、入り果てたまひぬれば、いといたくうち嘆きて立ちたまひぬ。
 
 と言って、すっかり入っておしまいになったので、とてもひどくお嘆きになってお立ちになった。
 
 
 

第五段 夕霧、源氏に復命

 
   「なかなかにもうち出でてけるかな」と、口惜しきにつけても、かの、今すこし身にしみておぼえし御けはひを、かばかりの物越しにても、「ほのかに御声をだに、いかならむついでにか聞かむ」と、やすからず思ひつつ、御前に参りたまへれば、出でたまひて、御返りなど聞こえたまふ。
 
 「言わないでもよいことを言ってしまった」と、悔やまれるにつけても、あの、もう少し身にしみて恋しく思われた御方のご様子を、このような几帳越しにでも、「せめてかすかにお声だけでも、どのような機会に聞くことができようか」と、穏やかならず思いながら、殿の御前に参上なさると、お出ましになったので、ご報告など申し上げなさる。
 
   「この宮仕へを、しぶげにこそ思ひたまへれ。
 宮などの、練じたまへる人にて、いと心深きあはれを尽くし、言ひ悩ましたまふになむ、心やしみたまふらむと思ふになむ、心苦しき。
 
 「この宮仕えを、億劫に思っていらっしゃる。
 兵部卿宮などの、恋の道には練達していらっしゃる方で、たいそう深い恋心のありたけを見せて、お口説きなさるのに、心をお惹かれになっていらっしゃるのだろうと思われるのが、お気の毒なのだ。
 
   されど、大原野の行幸に、主上を見たてまつりたまひては、いとめでたくおはしけり、と思ひたまへりき。
 若き人は、ほのかにも見たてまつりて、えしも宮仕への筋もて離れじ。
 さ思ひてなむ、このこともかくものせし」
 けれども、大原野の行幸に、主上を拝見なさってからは、たいそうご立派な方でいらっしゃったと、思っておいでであった。
 若い人は、ちらっとでも拝見しては、とても宮仕えのことを思い切れまい。
 そのように思って、このこともこうしたのだ」
   などのたまへば、  などとおっしゃると、
   「さても、人ざまは、いづ方につけてかは、たぐひてものしたまふらむ。
 中宮、かく並びなき筋にておはしまし、また、弘徽殿、やむごとなく、おぼえことにてものしたまへば、いみじき御思ひありとも、立ち並びたまふこと、かたくこそはべらめ。
 
 「それにしても、お人柄は、どちらの方とご一緒になっても、相応しくいらっしゃるでしょう。
 中宮が、このように並ぶ者もない地位でいらっしゃいますし、また、弘徽殿女御も、立派な家柄で、ご寵愛も格別でいらっしゃるので、たいそうご寵愛を受けても、肩をお並べなさることは、難しいことでございましょう。
 
   宮は、いとねむごろに思したなるを、わざと、さる筋の御宮仕へにもあらぬものから、ひき違へたらむさまに御心おきたまはむも、さる御仲らひにては、いといとほしくなむ聞きたまふる」  兵部卿宮は、たいそう熱心にお思いでいらっしゃるようですが、特別に、そうした筋合の宮仕えでなくても、無視されたようにお思い置かれなさるのも、ご兄弟の間柄では、たいそうお気の毒に存じられます」
   と、おとなおとなしく申したまふ。
 
 と大人びて申し上げなさる。
 
 
 

第六段 源氏の考え方

 
   「かたしや。
 わが心ひとつなる人の上にもあらぬを、大将さへ、我をこそ恨むなれ。
 すべて、かかることの心苦しさを見過ぐさで、あやなき人の恨み負ふ、かへりては軽々しきわざなりけり。
 かの母君の、あはれに言ひおきしことの忘れざりしかば、心細き山里になど聞きしを、かの大臣、はた、聞き入れたまふべくもあらずと愁へしに、いとほしくて、かく渡しはじめたるなり。
 ここにかくものめかすとて、かの大臣も人めかいたまふなめり」
 「難しいことだ。
 自分の思いのままに行く人のことではないので、大将までが、わたしを恨んでいるそうだ。
 何事も、このような気の毒なことは見ていられないので、わけもなく人の恨みを負うのは、かえって軽率なことであった。
 あの母君が、しみじみと遺言したことを忘れなかったので、寂しい山里になどと聞いたが、あの内大臣は、やはり、お聞きになるはずもあるまいと訴えたので、気の毒に思って、このように引き取ることにしたのだ。
 わたしがこう大切にしていると聞いて、あの大臣も人並みの扱いをなさるようだ」
   と、つきづきしくのたまひなす。
 
 と、もっともらしくおっしゃる。
 
   「人柄は、宮の御人にていとよかるべし。
 今めかしく、いとなまめきたるさまして、さすがにかしこく、過ちすまじくなどして、あはひはめやすからむ。
 さてまた、宮仕へにも、いとよく足らひたらむかし。
 容貌よく、らうらうじきものの、公事などにもおぼめかしからず、はかばかしくて、主上の常に願はせたまふ御心には、違ふまじ」
 「人柄は、宮の夫人としてたいそう適任であろう。
 今風な感じで、たいそう優美な感じがして、それでいて賢明で、間違いなどしそうになくて、夫婦仲もうまく行くだろう。
 そしてまた、宮仕えにも十分適しているだろう。
 器量もよく才気あるようだが、公務などにも暗いところがなく、てきぱきと処理して、主上がいつもお望みあそばすお考えには、外れないだろう」
   などのたまふけしきの見まほしければ、  などとおっしゃる真意が知りたいので、
   「年ごろかくて育みきこえたまひける御心ざしを、ひがざまにこそ人は申すなれ。
 かの大臣も、さやうになむおもむけて、大将の、あなたざまのたよりにけしきばみたりけるにも、応へける」
 「長年このようにお育てなさったお気持ちを、変なふうに世間の人は噂申しているようです。
 あの大臣もそのように思って、大将が、あちらに伝を頼って申し込んできた時にも、答えました」
   と聞こえたまへば、うち笑ひて、  と申し上げなさると、ちょっと笑って、
   「かたがたいと似げなきことかな。
 なほ、宮仕へをも、御心許して、かくなむと思されむさまにぞ従ふべき。
 女は三つに従ふものにこそあなれど、ついでを違へて、おのが心にまかせむことは、あるまじきことなり」
 「それもこれもまったく違っていることだな。
 やはり、宮仕えでも、お許しがあって、そのようにとお考えになることに従うのがよいだろう。
 女は三つのことに従うものだというが、順序を取り違えて、わたしの考えにまかせることは、とんでもないことだ」
   とのたまふ。
 
 とおっしゃる。
 
 
 

第七段 玉鬘の出仕を十月と決定

 
   「うちうちにも、やむごとなきこれかれ、年ごろを経てものしたまへば、えその筋の人数にはものしたまはで、捨てがてらにかく譲りつけ、おほぞうの宮仕への筋に、領ぜむと思しおきつる、いとかしこくかどあることなりとなむ、よろこび申されけると、たしかに人の語り申しはべりしなり」  「内々でも、立派な方々が、長年連れ添っていらっしゃるので、その夫人の一人にはなさることができないので、捨てる気持ち半分でこのように譲ることにし、通り一遍の宮仕えをさせて、自分のものにしようとお考えになっているのは、たいそう賢くよいやり方だと、感謝申されていたと、はっきりとある人が言っておりましたことです」
   と、いとうるはしきさまに語り申したまへば、「げに、さは思ひたまふらむかし」と思すに、いとほしくて、  と、たいそう改まった態度でお話し申し上げなさるので、「なるほど、そのようにお考えなのだろう」とお思いになると、気の毒になって、
   「いとまがまがしき筋にも思ひ寄りたまひけるかな。
 いたり深き御心ならひならむかし。
 今おのづから、いづ方につけても、あらはなることありなむ。
 思ひ隈なしや」
 「たいそうとんでもないふうにお考えになったものだな。
 隅々まで考えを廻らすご気性からなのだろう。
 今に自然と、どちらにしても、はっきりすることがあろう。
 思慮の浅いことよ」
   と笑ひたまふ。
 御けしきはけざやかなれど、なほ、疑ひは置かる。
 大臣も、
 とお笑いになる。
 ご様子はきっぱりしているが、やはり、疑問は残る。
 大臣も、
   「さりや。
 かく人の推し量る、案に落つることもあらましかば、いと口惜しくねぢけたらまし。
 かの大臣に、いかで、かく心清きさまを知らせたてまつらむ」
 「やはりそうか。
 このように人は推量するのに、その思惑どおりのことがあったら、まことに残念でひねくれたようだろうに。
 あの内大臣に、何とかして、このような身の潔白なさまをお知らせ申したいものだ」
   と思すにぞ、「げに、宮仕への筋にて、けざやかなるまじく紛れたるおぼえを、かしこくも思ひ寄りたまひけるかな」と、むくつけく思さる。
 
 とお思いになると、「なるほど、宮仕えということにして、はっきりと分からないようにごまかした懸想を、よくもお見抜きになったものだ」と、気味悪いほどに思わずにはいらっしゃれない。
 
   かくて御服など脱ぎたまひて、  こうして御喪服などをお脱ぎになって、
   「月立たば、なほ参りたまはむこと忌あるべし。
 十月ばかりに」
 「来月になると、やはり御出仕するには障りがあろう。
 十月ごろに」
   と思しのたまふを、内裏にも心もとなく聞こし召し、聞こえたまふ人びとは、誰も誰も、いと口惜しくて、この御参りの先にと、心寄せのよすがよすがに責めわびたまへど、  とおっしゃるのを、帝におかせられても待ち遠しくお思いあそばされ、求婚なさっていた方々は、皆が皆、まことに残念で、この御出仕の前に何とかしたいと考えて、懇意にしている女房たちのつてづてに泣きつきなさるが、
   「吉野の滝を堰かむよりも難きことなれば、いとわりなし」  「吉野の滝を堰止めるよりも難しいことなので、まことに仕方がございません」
   と、おのおの応ふ。
 
 と、それぞれ返事をする。
 
   中将も、なかなかなることをうち出でて、「いかに思すらむ」と苦しきままに、駆けりありきて、いとねむごろに、おほかたの御後見を思ひあつかひたるさまにて、追従しありきたまふ。
 たはやすく、軽らかにうち出でては聞こえかかりたまはず、めやすくもてしづめたまへり。
 
 中将も、言わなければよいことを口にしたため、「どのようにお思いだろうか」と胸の苦しいまま、駆けずり回って、たいそう熱心に、全般的なお世話をする体で、ご機嫌をとっていらっしゃる。
 簡単に、軽々しく口に出しては申し上げなさらず、体よく気持ちを抑えていらっしゃる。
 
 
 

第二章 玉鬘の物語 玉鬘と柏木との新関係

 
 

第一段 柏木、内大臣の使者として玉鬘を訪問

 
   まことの御はらからの君たちは、え寄り来ず、「宮仕へのほどの御後見を」と、おのおの心もとなくぞ思ひける。
 
 実のご兄弟の公達は、近づくことができず、「宮仕えの時のご後見役をしよう」と、それぞれ待ち兼ねているのであった。
 
   頭中将、心を尽くしわびしことは、かき絶えにたるを、「うちつけなりける御心かな」と、人びとはをかしがるに、殿の御使にておはしたり。
 なほもて出でず、忍びやかに御消息なども聞こえ交はしたまひければ、月の明かき夜、桂の蔭に隠れてものしたまへり。
 見聞き入るべくもあらざりしを、名残なく南の御簾の前に据ゑたてまつる。
 
 頭中将は、心の底から恋い焦がれていたことは、すっかりなくなったのを、「てきめんに変わるお心だわ」と、女房たちがおもしろがっているところに、殿のお使いとしていらっしゃった。
 やはり表向きに出さず、こっそりとお手紙なども差し上げなさったので、月の明るい夜、桂の蔭に隠れていらっしゃった。
 手紙を見たり聞いたりしなかったのに、すっかり変わって南の御簾の前にお通し申し上げる。
 
   みづから聞こえたまはむことはしも、なほつつましければ、宰相の君して応へ聞こえたまふ。
 
 ご自身からお返事を申し上げなさることは、やはり遠慮されるので、宰相の君を介してお答え申し上げなさる。
 
   「なにがしらを選びてたてまつりたまへるは、人伝てならぬ御消息にこそはべらめ。
 かくもの遠くては、いかが聞こえさすべからむ。
 みづからこそ、数にもはべらねど、絶えぬたとひもはべなるは。
 いかにぞや、古代のことなれど、頼もしくぞ思ひたまへける」
 「わたしを選んで差し向け申されたのは、直に伝えよとのお便りだからでございましょう。
 このように離れていては、どのように申し上げたらよいのでしょう。
 わたしなど、物の数にも入りませんが、切っても切れない縁と言う喩えもありましょう。
 何と言いましょうか、古風な言い方ですが、頼みに存じておりますよ」
   とて、ものしと思ひたまへり。
 
 と言って、おもしろくなく思っていらっしゃった。
 
   「げに、年ごろの積もりも取り添へて、聞こえまほしけれど、日ごろあやしく悩ましくはべれば、起き上がりなどもえしはべらでなむ。
 かくまでとがめたまふも、なかなか疎々しき心地なむしはべりける」
 「お言葉通り、これまでの積もる話なども加えて、申し上げたいのですが、ここのところ妙に気分がすぐれませんので、起き上がることなどもできずにおります。
 こんなにまでお責めになるのも、かえって疎ましい気持ちが致しますわ」
   と、いとまめだちて聞こえ出だしたまへり。
 
 と、たいそう真面目に申し上げさせなさった。
 
   「悩ましく思さるらむ御几帳のもとをば、許させたまふまじくや。
 よしよし。
 げに、聞こえさするも、心地なかりけり」
 「ご気分がすぐれないとおっしゃる御几帳の側に、入れさせて下さいませんか。
 よいよい。
 なるほど、このようなことを申し上げるのも、気の利かないことだな」
   とて、大臣の御消息ども忍びやかに聞こえたまふ用意など、人には劣りたまはず、いとめやすし。
 
 と言って、大臣のご伝言の数々をひっそりと申し上げなさる態度など、誰にも引けをおとりにならず、まことに結構である。
 
 
 

第二段 柏木、玉鬘と和歌を詠み交す

 
   「参りたまはむほどの案内、詳しきさまもえ聞かぬを、うちうちにのたまはむなむよからむ。
 何ごとも人目に憚りて、え参り来ず、聞こえぬことをなむ、なかなかいぶせく思したる」
 「参内なさる時のご都合を、詳しい様子も聞くことができないので、内々にご相談下さるのがよいでしょう。
 何事も人目を遠慮して、参上することができず、相談申し上げられないことを、かえって気がかりに思っていらっやいます」
   など、語りきこえたまふついでに、  などと、お話し申し上げるついでに、
   「いでや、をこがましきことも、えぞ聞こえさせぬや。
 いづ方につけても、あはれをば御覧じ過ぐすべくやはありけると、いよいよ恨めしさも添ひはべるかな。
 まづは、今宵などの御もてなしよ。
 北面だつ方に召し入れて、君達こそめざましくも思し召さめ、下仕へなどやうの人びととだに、うち語らはばや。
 またかかるやうはあらじかし。
 さまざまにめづらしき世なりかし」
 「いやはや、馬鹿らしい手紙も、差し上げられないことです。
 どちらにしても、わたしの気持ちを知らないふりをなさってよいものかと、ますます恨めしい気持ちが増してくることです。
 まずは、今夜などの、このお扱いぶりですよ。
 奥向きといったようなお部屋に招き入れて、あなたたちはお嫌いになるでしょうが、せめて下女のような人たちとだけでも、話をしてみたいものですね。
 他ではこのような扱いはあるまい。
 いろいろと不思議な間柄ですね」
   と、うち傾きつつ、恨み続けたるもをかしければ、かくなむと聞こゆ。
 
 と、首を傾けながら、恨みを言い続けているのもおもしろいので、これこれと申し上げる。
 
   「げに、人聞きを、うちつけなるやうにやと憚りはべるほどに、年ごろの埋れいたさをも、あきらめはべらぬは、いとなかなかなること多くなむ」  「おっしゃるとおり、他人の手前、急な変わりようだと言われはしまいかと気にしておりましたところ、長年の引き籠もっていた苦しさを、晴らしませんのは、かえってとてもつらいことが多うございます」
   と、ただすくよかに聞こえなしたまふに、まばゆくて、よろづおしこめたり。  と、ただ素っ気なくお答え申されるので、きまり悪くて、何も申し上げられずにいた。
 

401
 「妹背山 深き道をば 尋ねずて
 緒絶の橋に 踏み迷ひけるよ」
 「実の姉弟という関係を知らずに
  遂げられない恋の道に踏み迷って文を贈ったことですよ」
 
   と恨むるも、人やりならず。  と恨むのも、自分から招いたことである。
 

402
 「惑ひける 道をば知らず 妹背山
 たどたどしくぞ 誰も踏み見し」
 「事情をご存知なかったとは知らず
  どうしてよいか分からないお手紙を拝見しました」
 
   「いづ方のゆゑとなむ、え思し分かざめりし。
 何ごとも、わりなきまで、おほかたの世を憚らせたまふめれば、え聞こえさせたまはぬになむ。
 おのづからかくのみもはべらじ」
 「どういうわけのものか、お分かりでなかったようでした。
 何事も、あまりなまで、世間に遠慮なさっておいでのようなので、お返事もなされないのでしょう。
 自然とこうしてばかりいられないでしょう」
   と聞こゆるも、さることなれば、  と申し上げるのもと、それもそうなので、
   「よし、長居しはべらむも、すさまじきほどなり。
 やうやう労積もりてこそは、かことをも」
 「いや、長居をしますのも、時期尚早の感じだ。
 だんだんお役にたってから、恨み言も」
   とて、立ちたまふ。
 
 とおっしゃって、お立ちになる。
 
   月隈なくさし上がりて、空のけしきも艶なるに、いとあてやかにきよげなる容貌して、御直衣の姿、好ましくはなやかにて、いとをかし。
 
 月が明るく高く上がって、空の様子も美しいところに、たいそう上品で美しい容貌で、お直衣姿、好感が持て派手で、たいそう立派である。
 
   宰相中将のけはひありさまには、え並びたまはねど、これもをかしかめるは、「いかでかかる御仲らひなりけむ」と、若き人びとは、例の、さるまじきことをも取り立ててめであへり。
 
 宰相中将の感じや、容姿には、並ぶことはおできになれないが、こちらも立派に見えるのは、「どうしてこう揃いも揃って美しいご一族なのだろう」と、若い女房たちは、例によって、さほどでもないことをもとり立ててほめ合っていた。
 
 
 

第三章 玉鬘の物語 玉鬘と鬚黒大将

 
 

第一段 鬚黒大将、熱心に言い寄る

 
   大将は、この中将は同じ右の次将なれば、常に呼び取りつつ、ねむごろに語らひ、大臣にも申させたまひけり。
 人柄もいとよく、朝廷の御後見となるべかめる下形なるを、「などかはあらむ」と思しながら、「かの大臣のかくしたまへることを、いかがは聞こえ返すべからむ。
 さるやうあることにこそ」と、心得たまへる筋さへあれば、任せきこえたまへり。
 
 大将は、この中将は同じ右近衛の次官なので、いつも呼んでは熱心に相談し、内大臣にも申し上げさせなさった。
 人柄もたいそうよく、朝廷の御後見となるはずの地盤も築いているので、「何の難があろうか」とお思いになる一方で、「あの大臣がこうお決めになったことを、どのように反対申し上げられようか。
 それにはそれだけの理由があるのだろう」と、合点なさることまであるので、お任せ申し上げていらっしゃった。
 
   この大将は、春宮の女御の御はらからにぞおはしける。
 大臣たちをおきたてまつりて、さしつぎの御おぼえ、いとやむごとなき君なり。
 年三十二三のほどにものしたまふ。
 
 この右大将は、春宮の女御のご兄弟でいらっしゃった。
 大臣たちをお除き申せば、次いでの御信任が、すこぶる厚い方である。
 年は三十二三歳くらいになっていらっしゃる。
 
   北の方は、紫の上の御姉ぞかし。
 式部卿宮の御大君よ。
 年のほど三つ四つがこのかみは、ことなるかたはにもあらぬを、人柄やいかがおはしけむ、「嫗」とつけて心にも入れず、いかで背きなむと思へり。
 
 北の方は、紫の上の姉君である。
 式部卿宮の大君であるよ。
 年が三、四歳年長なのは、これといった欠点ではないが、人柄がどうでいらっしゃったのか、「おばあさん」と呼んで大事にもせず、何とかして離縁したい思っていた。
 
   その筋により、六条の大臣は、大将の御ことは、「似げなくいとほしからむ」と思したるなめり。
 色めかしくうち乱れたるところなきさまながら、いみじくぞ心を尽くしありきたまひける。
 
 その縁故から、六条の大臣は、右大将のことは、「似合いでなく気の毒なことになるだろう」と思っていらっしゃるようである。
 好色っぽく道を踏み外すところはないようだが、ひどく熱心に奔走なさっているのであった。
 
   「かの大臣も、もて離れても思したらざなり。
 女は、宮仕へをもの憂げに思いたなり」と、うちうちのけしきも、さる詳しきたよりあれば、漏り聞きて、
 「あの大臣も、全く問題外だとお考えでないようだ。
 女は、宮仕えを億劫に思っていらっしゃるらしい」と、内々の様子も、しかるべき詳しいつてがあるので漏れ聞いて、
   「ただ大殿の御おもむけの異なるにこそはあなれ。
 まことの親の御心だに違はずは」
 「ただ大殿のご意向だけが違っていらっしゃるようだ。
 せめて実の親のお考えにさえ違わなければ」
   と、この弁の御許にも責ためたまふ。
 
 と、この弁の御許にも催促なさる。
 
 
 

第二段 九月、多数の恋文が集まる

 
   九月にもなりぬ。
 初霜むすぼほれ、艶なる朝に、例の、とりどりなる御後見どもの、引きそばみつつ持て参る御文どもを、見たまふこともなくて、読みきこゆるばかりを聞きたまふ。
 大将殿のには、
 九月になった。
 初霜が降りて、心そそられる朝に、例によって、それぞれのお世話役たちが、目立たないようにしては参上するいくつものお手紙を、御覧になることもなく、お読み申し上げるのだけをお聞きになる。
 右大将殿の手紙には、
   「なほ頼み来しも、過ぎゆく空のけしきこそ、心尽くしに、  「それでもやはりあてにして来ましたが、過ぎ去って行く空の様子は気が気でなく、
 

403
 数ならば 厭ひもせまし 長月に
 命をかくる ほどぞはかなき」
  人並みであったら嫌いもしましょうに、九月を
  頼みにしているとは、何とはかない身の上なのでしょう」
 
   「月たたば」とある定めを、いとよく聞きたまふなめり。
 
 「来月になったら」という決定を、ちゃんと聞いていらっしゃるようである。
 
   兵部卿宮は、  兵部卿宮は、
   「いふかひなき世は、聞こえむ方なきを、  「言ってもしかたのない仲は、今さら申し上げてもしかたがありませんが、
 

404
 朝日さす 光を見ても 玉笹の
 葉分けの霜を 消たずもあらなむ
  朝日さす帝の御寵愛を受けられたとしても
  霜のようにはかないわたしのことを忘れないでください
 
   思しだに知らば、慰む方もありぬべくなむ」  お分りいただければ、慰められましょう」
   とて、いとかしけたる下折れの霜も落とさず持て参れる御使さへぞ、うちあひたるや。
 
 とあって、たいそう萎れて折れた笹の下枝の霜も落とさず持参した使者までが、似つかわしい感じであるよ。
 
   式部卿宮の左兵衛督は、殿の上の御はらからぞかし。
 親しく参りなどしたまふ君なれば、おのづからいとよくものの案内も聞きて、いみじくぞ思ひわびける。
 いと多く怨み続けて、
 式部卿宮の左兵衛督は、殿の奥方のご兄弟であるよ。
 親しく参上なさる君なので、自然と事の事情なども聞いて、ひどくがっかりしているのであった。
 長々と恨み言を綴って、
 

405
 「忘れなむ と思ふもものの 悲しきを
 いかさまにして いかさまにせむ」
 「忘れようと思う一方でそれがまた悲しいのを
  どのようにしてどのようにしたらよいものでしょうか」
 
   紙の色、墨つき、しめたる匂ひも、さまざまなるを、人びとも皆、  紙の色、墨の具合、焚きこめた香の匂いも、それぞれに素晴らしいので、女房たちも皆、
   「思し絶えぬべかめるこそ、さうざうしけれ」  「すっかり諦めてしまわれることは、寂しいことだわ」
   など言ふ。
 
 などと言っている。
 
   宮の御返りをぞ、いかが思すらむ、ただいささかにて、  宮へのお返事を、どうお思いになったのか、ただわずかに、
 

406
 「心もて 光に向かふ 葵だに
 朝おく霜を おのれやは消つ」
 「自分から光に向かう葵でさえ
  朝置いた霜を自分から消しましょうか」
 
   とほのかなるを、いとめづらしと見たまふに、みづからはあはれを知りぬべき御けしきにかけたまひつれば、つゆばかりなれど、いとうれしかりけり。
 
 とうっすらと書いてあるのを、たいそう珍しく御覧になって、姫自身は宮の愛情を感じているに違いないご様子でいらっしゃるので、わずかであるがたいそう嬉しいのであった。
 
   かやうに何となけれど、さまざまなる人びとの、御わびごとも多かり。
 
 このように特にどうということはないが、いろいろな人々からの、お恨み言がたくさんあった。
 
   女の御心ばへは、この君をなむ本にすべきと、大臣たち定めきこえたまひけりとや。
 
 女性の心の持ち方としては、この姫君を手本にすべきだと、大臣たちはご判定なさったとか。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 東路の道の果てなる常陸帯のかごとばかりも逢ひ見てしがな(古今六帖五二-三三六〇)(戻)  
  出典2 侘びぬれば今はた同じ難波なる身を尽くしても逢はむとぞ思ふ(後撰集恋五-九六〇 元良親王)(戻)  
  出典3 婦人有三従之義。
 無専用之道。
 故未嫁従父。
 既嫁従夫。
 夫死従子。
 (儀礼-喪服篇)(戻)
 
  出典4 手を障へて吉野の滝は堰きつとも人の心をいかが頼まむ(古今六帖四-二二三三 凡河内躬恒)(戻)  
  出典5 玉笹の葉分きに置ける白露の今いく夜経む我ならなくに(古今六帖六-三九五〇)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 女--*をなん(戻)  
  校訂2 なまめかしく--なまめかし(し/+く<朱>)(戻)  
  校訂3 のたまはせつ--の給はせ(せ/+つ<朱>)(戻)  
  校訂4 もの--も(も/+の<朱>)(戻)  
  校訂5 こまかに--こまや(や/#<朱>)かに(戻)  
  校訂6 書かぬ--から(ら/$か<朱>)ぬ(戻)  
  校訂7 嘆きて--なゝ(ゝ/$<朱>)けきて(戻)  
  校訂8 愁へし--うれ(れ/+へ)し(戻)  
  校訂9 三に--三従(従/#)に(戻)  
  校訂10 参り--おほしの給を(おほしの給を/$<朱>)まいり(戻)  
  校訂11 めやすく--(/+め)やすく(戻)  
  校訂12 惑ひ--まよ(よ/$と<朱>)ひ(戻)  
  校訂13 かことをも--かことをも(かことをも/&かことをも、=くこんイ<朱>)(戻)  
  校訂14 とて--とてをもとて(をもとて/$)(戻)  
  校訂15 かは--*かい(戻)  
  校訂16 四つ--よへ(へ/$つ<朱>)(戻)  
  校訂17 嫗と--おん(ん/$う)な(/な+と)(戻)