平家物語 巻第一 俊寛沙汰 鵜川軍:概要と原文

鹿谷 平家物語
巻第一
俊寛沙汰
併記or別名:鵜川軍
しゅんかんのさた
うかわのいくさ
願立

〔概要〕
 
 「鹿谷の陰謀」が表に出るまでの経過が、次巻初頭まで続く。安元3年 (1177年) 西光の子藤原師経は、加賀守の代理として比叡山延暦寺の末寺鵜川(石川県小松市鵡川町の隣、遊泉寺町の現在は廃絶した涌泉寺)に火をかけた。(以上年代の丸括弧以外Wikipedia『平家物語の内容』から引用)

 


 
 そもそもこの俊寛僧都と申すは、京極大納言雅俊卿の孫、木寺の法印寛雅には子なりけり。祖父大納言させる弓矢をとる家にはあらねども、あまりに腹あしき人にて、三条の坊門京極の宿所の前をば、人をもやすく通さず。常は中門にたたずみ、歯をくひしばり、いかつてのみぞおはしける。
 かかる人の孫なればにや、この俊寛も僧なれども、心もたけく、おごれる人にて、よしなき謀叛にもくみしけるにこそ。
 

 新大納言成親卿、は多田蔵人行綱を呼うで、「御辺をば一方の大将にたのむなり。この事しおほせつるものならば、国をも荘をも所望によるべし。まづ弓袋の料に」とて、白布五十反贈られたり。
 

 安元三年三月五日、妙音院殿、太政大臣に転じた給へるかはりに、小松殿、大納言定房卿を越えて、内大臣になり給ふ。やがて大饗行はる。大臣の大将めでたかりき。尊者には大炊御門の右大臣経宗公とぞ聞こえし。一の上こそ先途なれども、父宇治の悪左府の御例そのはばかりあり。
 北面は上古にはなかりけり。白河院の御時、はじめおかれてよりこの方、衛府どもあまた候ひけり。為俊、盛重、童より今犬丸、千手丸とて、これらは左右なき切者にてぞありける。鳥羽院の御時も、季教、季頼父子ともに、朝家に召し使はれ、伝奏する折もありけりと聞こえしかども、この御時の北面の輩は、もつてのほかに過分にて、公卿殿上人をもことともせず、礼儀礼節もなし。下北面より上北面にあがり、上北面より殿上の交はりを許さるる者も多かりけり。
 かくのみ行はれし間、おごれる心どもつきて、よしなき謀叛にもくみしてんげるにこそ。中にも故少納言入道信西のもとに召し使ひしける師光、成景といふ者あり。師光は阿波国の在庁、成景は京の者、熟根いやしき下﨟なり。健児童もしは恪勤者などにて、院にも召し使はれける。さかざかしかりしによつて、師光は左衛門尉、成景は右衛門尉とて、二人一度に靱負尉になりぬ。
 信西ことにあひし時、二人ともに出家して、左衛門入道西光、右衛門入道西敬とて、これらは出家の後も、院の御倉あづかりにてぞありける。
 

 かの西光が子に師高といふ者あり。これも左右なき切者にて、検非違使、五位尉まで経あがりて、安元元年十二月二十九日、追儺の除目に、加賀守にぞなされける。国務を行ふ間、非法非礼を張行し、神社仏寺、権門勢家の荘領を没頭して、散々のことどもにてぞありける。たとひ召公が跡を隔つといふとも、穏便の政を行ふべかりしに、かく心のままにふるまふ間、同じき二年の夏の頃、国司師高が弟近藤判官師経を加賀の目代に補せらる。
 

 目代下著のはじめ、国府の辺に鵜川といふ山寺あり。寺僧どもが折節湯をわかいてあびけるを、乱入しおひあげ、我が身あび、雑人どもおろし、馬洗ひなどしけり。寺僧怒りをなして、「昔よりこの所は、国方の者の入部することなし。すみやかに先例にまかせて、入部の押妨をとどめよ」とぞ申しける。
 「先々の目代は不覚でこそいやしまれたれ。当目代は、すべてその儀あるまじ。ただ法にまかせよ」といふほどこそありけれ、寺僧どもは国方の者を追出せんとす。国方の者どもは、ついでをもつて乱入せんとす。うちあひ、張り合ひしけるほどに、目代師経が秘蔵したりける馬の足をぞ打ち折りける。その後は互に弓箭兵仗を帯して、射あひ、切りあひ、数刻戦ふ。目代かなはじとや思ひけん、夜に入りてひきしりぞく。
 

 その後当国の在庁ども一千余人もよほし集めて、鵜川におし寄せて坊舎一宇も残さずみな焼き払ふ。鵜川といふは、白山の末寺なり。このこと訴へんとて、すすむ老僧誰誰ぞ。智釈、学明、宝台坊、正智、学音、土佐の阿闍梨ぞ進みける。白山三社八院の大衆、ことごとくおこりあひ、都合その勢二千余人、同じき七月九日の暮れ方に、目代師経が舘近うこそ押し寄せたれ。今日は日暮れぬ。明日の戦と定めて、その日は寄せでゆらへたり。
 露吹き結ぶ秋風は、射向けの袖をひるがへし、雲居を照らす稲妻は、甲の星を輝かす。目代かなはじとや思ひけん、夜逃げにして京へ上る。
 

 明くる卯の刻に押し寄せて、鬨をどつとぞつくりける。城の内には音もせず。人を入れて見せければ、「みな落ちて候ふ」と申す。大衆力及ばで引きしりぞく。
 さらば山門へ訴へんとて、白山中宮の神輿をかざり奉て、比叡山へふりあげ奉る。同じき八月十二日の午の刻ばかり、白山中宮の神輿、すでに比叡山東坂本に着かせ給ふと申すほどこそありけれ、北国の方より、雷おびたたしく鳴つて、都をさして鳴り上る。白雪降つて地を埋み、山上洛中おしなべて、常盤の山の梢まで、みな白妙になりにけり。
 

鹿谷 平家物語
巻第一
俊寛沙汰
併記or別名:鵜川軍
しゅんかんのさた
うかわのいくさ
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