枕草子35段 小白河といふ所は

菩提といふ寺 枕草子
上巻上
35段
小白河
七月ばかり

(旧)大系:35段
新大系:32段、新編全集:33段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:42段
 


 
 小白河といふ所は、小一条の大将殿の御家ぞかし。そこにて上達部、結縁の八講し給ふ。世の中の人、いみじうめでたきことにて、「おそからむ車などは立つべきやうもなし」といへば、露とともにおきて、げにぞひまなかりける轅のうへにまたさしかさねて、みつばかりまではすこし物も聞こゆべし。
 

 六月十よ日にて、あつきこと世に知らぬほどなり。池のはちすを見やるのみぞいと涼しき心地する。左右の大臣達をおき奉りては、おはせぬ上達部なし。二藍の直衣、指貫、浅葱の帷子どもぞすかし給へる。すこしおとなび給へるは、青鈍の指貫、しろき袴もいとすずしげなり。佐理の宰相なども、みなわかやぎだちて、すべてたふときことのかぎりもあらず、をかしき見物なり。
 

 廂の簾たかうあげて、長押のうへに、上達部はおくにむきてながながとゐ給へり。
 その次には、殿上人、若君達、狩装束、直衣などもいとをかしうて、えゐもさだまらず、ここかしこにたちさまよひたるもいとをかし。実方の兵衛の佐、長命侍従など、家の子にて今すこしいで入れなれたり。まだわらはなる君など、いとをかしくておはす。
 

 すこし日たくるほどに、三位の中将とは関白殿をぞきこえし、かうのうすものの二藍の御直衣、二藍の織物の指貫、濃蘇芳のしたの御袴に、はりたるしろきひとへのいみじうあざやかなるを着給ひて、あゆみ入り給へる、さばかりかろびすずしげなる御中に、あつかはしげなるべけれど、いといみじうめでたしとぞ見え給ふ。朴、塗骨など、骨はかはれど、ただあかき紙を、おしなべてうちつかひも給へるは、撫子のいみじう咲きたるにぞいとよく似たる。
 

 まだ講師ものぼらぬほど、懸盤して、何にかあらむ、もの参るなるべし。義懐の中納言の御さま、つねよりもまさりておはするぞかぎりなきや。色あひのはなばなと、いみじうにほひあざやかなるに、いづれともなきなかのかたびらを、これはまことにすべて、ただ直衣ひとつを着たるやうにて、つねに車どものかたを見おこせつつ、ものなどいひかけ給ふ、をかしと見ぬ人なかりけむ。
 

 後に来たる車の、ひまもなかりければ、池にひきよせてたちたるを見給ひて、実方の君に、「消息をつきづきしういひつべからむ者ひとり」と召せば、いかなる人にかあらむ、えりて率ておはしたり。「いかがいひやるべき」と、ちかうゐ給ふかぎり宣ひあはせて、やり給ふことばはきこえず、いみじう用意して車のもとへあゆみよるを、かつわらひ給ふ。しりのかたによりていふめる。
 ひさしうたてれば、「歌などよむにやあらむ。兵衛の佐、返しおもひまうけよ」などわらひて、いつしか返りごときかむと、あるかぎり、おとな上達部まで、みなそなたざまに見やり給へり。げにぞ顕証の人まで見やりしもをかしかりし。
 返り事ききたるにや、すこしあゆみくるほどに、扇をさしいでてよびかへせば、歌などの文字いひあやまりてばかりや、かうはよびかへさむ、ひさしかりつるほど、おのづからあるべきことはなほすべくもあらじものを、とぞおぼえたる。ちかう参りつくも心もとなく、「いかにいかに」と、たれもたれも問ひ給ふ。ふともいはず、権中納言ぞ宣ひつれば、そこに参り、けしきばみ申す。三位の中将、「とくいへ。あまり有心すぎて、しそこなふ」と宣ふに、「これもただおなじことになむ侍る」といふは聞こゆ。
 藤大納言、人よりけにさしのぞきて、「いかがいひたる」と宣ふめれば、三位の中将、「いとなほき木をなむおしをりためる」と聞こえ給ふに、うちわらひ給へば、みな何となくさとわらふ声、聞こえやすらむ。
 

 中納言、「さてよびかへさざりつるさきは、いかがいひつる。これやなほしたること」と問ひ給へば、「ひさしうたちて侍りつれど、ともかくも侍らざりつれば、『さは帰り参りなむ』とて帰り侍りつるに、よびて」などぞ申す。「たが車ならむ、見しり給へりや」などあやしがり給ひて、「いざ、歌よみて、この度はやらむ」など宣ふほどに、講師のぼりぬれば、みなゐしづまりて、そなたをのみ見るほどに、車はかいけつやうにうせにけり。下簾など、ただけふはじめたりと見えて、こきひとへがさねに二藍の織物、蘇芳の薄物のうは着など、しりにも摺りたる裳、やがてひろげながらうちさげなどして、なに人ならむ、なにかはまた、かたほならむことよりは、げにときこえて、なかなかいとよしとぞおぼゆる。
 

 朝座の講師清範、高座のうへも光りみちたる心地して、いみじうぞあるや。あつさのわびしきにそへて、しさしたることのけふすぐすまじきをうちおきて、ただすこし聞きてかへりなむとしつるに、しきなみにつどひたる車なれば、出づべき方もなし。朝講はてなば、なほいかで出でなむと、まへなる車どもに消息すれば、ちかくたたむがうれしきまで、老上達部さへわらひにくむをも、聞き入れず、いらへもせで、しひてせばがりいづれば、権中納言の、「やや、まかりぬるもよし」とて、うちゑみ給へるぞめでたき。それも耳にもとまらず、あつきにまどはしいでて、人して、「五千人のうちには入らせ給はぬやうあらじ」と聞こえかけてかへりにき。
 

 そのはじめより、やがてはつる日まで、たてたる車のありけるに、人より来とも見えず、すべてただあさましう、絵などのやうに過ぐしければ、ありがたくめでたく心にくく、いかなる人ならむ、いかでしらむと、問ひ尋ね給ひけるを、聞き給ひて、藤大納言などは、「なにかめでたからむ。いとにくくゆゆしき者にこそあなれ」と宣ひけるこそをかしかりしか。
 

 さて、その二十日あまりに、中納言、法師になり給ひにしこそあはれなりしか。桜などちりぬるも、なほ世のつねなりや。「おくをまつまの」とだにいふべくもあらぬ御ありさまにこそ見え給ひしか。