宇治拾遺物語:永超僧都、魚食ふ事

白河院 宇治拾遺物語
巻第四
4-15 (67)
永超僧都
了延房阿闍梨

 
 これも今は昔、南京の永超僧都は、魚なき限りは、時、非時もすべて食はざりける人なり。
 公請勤めて、在京の間、久しくなりて、魚を食はで、くづほれて下る間、奈島の丈六堂の辺にて、昼破子食ふに、弟子一人、近辺の在家にて、魚を乞ひて、勧めたりけり。
 件の魚の主、後に夢に見るやう、恐ろしげなる者ども、その辺の在家をしるしけるに、我が家をしるし除きければ、尋ぬる所に、使のいはく、「永超僧都に贄奉る所なり。さてしるし除く」と言ふ。
 その年、この村の在家、ことごとく疫をして、死ぬる者多かり。
 その魚の主が家、ただ一宇、その事を免る。よりて、僧都のもとへ参り向かひて、このよしを申す。僧都このよしを聞きて、被物一重賜びてぞ帰されける。