枕草子158段 うらやましげなるもの

苦しげ 枕草子
中巻中
158段
うらやましげ
とくゆかし

(旧)大系:158段
新大系:151段、新編全集:152段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:162段
(うらやましきもの)
 


 
 うらやましげなるもの。経など習ふとて、いみじうたどたどしく忘れがちにかへすがへす同じ所を読むに、法師はことわり、男も女も、くるくるとやすらかに読みたるこそ、あれがやうにいつの世にあらむとおぼゆれ。
 

 心地などわづらひてふしたるに、笑うち笑ひ、ものなど言ひ、思ふことなげにてあゆみありく人見るこそ、いみじううらやましけれ。
 

 稲荷に思ひおこしてまうでたるに、中の御社のほどのわりなう苦しきを、念じのぼるに、いささか苦しげもなく、遅れて来と見ゆる者どものただ行きに先に立ちてまうづる、いとめでたし。
 二月午の日の暁に急ぎしかど、坂のなからばかりあゆみしかば、巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくて、など、かからでよき日もあらむものを、何しにまうでつらむとまで、涙も落ちてやすみ困ずるに、四十余ばかりなる女の、壺装束などにはあらで、ただ引きはこへたるが、「まろは七度まうでし侍るぞ。三度はまうでぬ。いま四度はことにもあらず。まだ未に下向しぬべし」と、道に会ひたる人にうち言ひて下り行きしこそ、ただなるところには目にもとまるまじきに、これが身にただいまならばやとおぼえしか。
 

 女児も、男児も、法師も、よき子ども持たる人、いみじううらやまし。髪いと長くうるはしく、下がりばなどめでたき人。また、やむごとなき人の、よろづの人にかしこまられ、かしづかれ給ふ、見るも、いとうらやまし。手よく書き、歌よく詠みて、もののをりごとにもまづ取りいでらるる、うらやまし。
 

 よき人の御前に女房いとあまた候ふに、心にくき所へ遣はす仰せ書きなどを、たれもいと鳥の跡にしもなどかあらむ。されど、下などにあるをわざと召して、御硯取り下ろして書かせさせ給ふもうらやまし。さやうのことは所の大人などになりぬれば、まことに難波わたり遠からぬも、ことに従ひて書くを、これはさにあらで、上達部などのまだ初めて参らむと申さする人のむすめなどには、心ことに紙よりはじめてつくろはせ給へるを、集まりて戯れにもねたがり言ふめり。
 

 琴、笛など習ふ、またさこそは、まだしきほどは、これがやうにいつしかとおぼゆらめ。
 

 内裏、春宮の御乳母。上の女房の、御方々いづこもおぼつかなからず参り通ふ。
 
 

苦しげ 枕草子
中巻中
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うらやましげ
とくゆかし