伊勢物語~第三部(61-90)

第二部 伊勢物語
第三部
第四部

 
 伊勢物語を便宜上、30話ずつに区切っている。

 
 
全体一覧 
 昔男(文屋)の人生体験・見聞録
 筒井の里(妻)=歌が最も厚い部分
 後宮(女所)と地方と判事の経験(法的事例問題)
 

第一部(-30)仕えた二条の后と筒井の妻(死)
 

第二部(-60)小町と有常(友人。小町と別れ)
 

★第三部(-90)在五出現・斎宮と盃(契り)
 
 前半が業平の話と吹かれた(6段)ので反論にでる。
 63・65・76~79・82、全て業平非難。
 65段は物語最長で「在原なりける男」を非難。
 人目を憚らず後宮で女につきまとい流された話。
 これを実は両思いなどとするのは実にアブない。
 63段の「けぢめ見せぬ心」の在五で主人公も無理。
 これを大らかに愛する心などという。
 どう考えてもありえない。けじめもない。
 言葉を権力(公)に都合よく簡単に曲げる。
 しかも真逆に。それがこの国の国語の根本。
 これは伊勢の問題ではなく人々の認識の問題。
 古今(公)に無条件に基づき伊勢を曲げ伊勢を語る。
 伊勢を散々誤りとしつつ、古今が誤りとはしない。
 どちらが一貫し先の年代の記述なのかは自明なのに。
 恐らく一貫・大意という意味を知らない。
 業平云々しても歌が最も厚いのは筒井筒と梓弓周辺。
 
 69段は60段花橘=夫婦の前世を受けた話。
 60と69は宇佐と伊勢、男女と盃でリンク。
 

第四部(-125)これまでの後日談
 


男女 段数
△朱雀落
   第61段 染河
 第62段 古の匂
 第63段 つくもがみ
♂♀  第64段 玉すだれ
 第65段 在原なりける
   第66段   みつの浦
  第67段   花の林
   第68段   住吉の
   第69段 狩の使
   第70段   あまの釣舟
   第71段 神のいがき
  第72段   大淀の松
   第73段   月のうち
   第74段   重なる山
   第75段 みるをあふ
 第76段   小塩の山
  第77段   安祥寺
   第78段   山科の
   第79段   千ひろある
   第80段   おとろへた
   第81段   塩釜に
   第82段 渚の院
   第83段 小野の雪
   第84段 さらぬ別れ
   第85段   目離れせぬ
   第86段   おのがさま
   第87段 布引の
   第88段   月もめでじ
   第89段   人しれず
   第90段   桜花

 
 
 後半に入り、怒涛のラッシュで業平へのダメ出しが始まる。
 冒頭61段・染河で著者が色街を歩いていて好き者・色物と混同される所から始まる(著者が業平と混同される暗示)。
 
 63段で女を罵倒し、ショックを受けて帰って寝込んだ女を襲う在五。
 65段で沓を放り投げて後宮に上がり、女につきまとい、女に陳情され帝に流された在原なりける男。
 これで一貫してきた主観の主人公はありえない。
 明確に他人目線で非難しているし、かつ名前を出した後に、しれっと昔男とし続ける理由がない。
 
 69~75段までは、昔男が伊勢斎宮との逢瀬を果たそうとして果たせない話。
 しかしその話も業平目線で汚される。
 
 この伊勢の流れで、76段で伊勢に参った二条の后の車に近衛の翁が言い寄り、大原野という藤原の氏神を出しクサしている。恋愛関係ではない。
 一般の解釈は、76段だけ突如小塩山に二条の后が参った内容にするが、伊勢の文脈も、直前の段で「伊勢の国に率ていきてあらむ」とあることも無視。
 この段を境に「春宮の」がはずれて后になるので氏神は伊勢。それともなにか。皇族に氏はないから伊勢は氏神ではないのか。では庇護はなしで。
 
 伊勢の著者は表面上はともかく、言葉の端々で皇室は別に何とも思っていないことは出ている。
 69段の「かの伊勢の斎宮なりける人の親」。これは文面上文徳帝でしかありえない。母の静子などとされるが根拠も出す意味もない。
 このような記述をもって、高い位の貴族を著者とするがそれはもっとありえない。なぜなら自分達が依存する序列を否定する意味がないから。
 
 これは竹取と全く同じ構図。
 そう書いている(そういうメンタルに至る)のは、「むかし、男ありけり。身はいやしながら、母なむ宮なりける」(84段)だったから。
 これは別に嫉妬や恨みではなく、ただの血筋にひれ伏すほどの人格的意味を見出していないだけ。
 現に伊勢に誰も皇室への嫉妬など見出していない。そういう類の権威も別にどうでもいい。それが竹取。
 
 男が女を車で率て行くのは、39段でも同じ構図。
 「二条の后に仕うまつる男」(95段)、後宮に仕えているから後宮内部の目線で描写している。
 77段の安祥寺は女御の法要の際の話で、これは後宮の人事を担当していた縫殿の人員として著者がその場に隣席していたと見る。
 
 77~79段も業平にダメだし。
 79段は、帝のめかけで自らの姪を孕ませ、その子が親王として生まれたと噂される話。
 この二条の后の噂以上に何歩も進んだ話を、業平を装っている者とか、思慕している者が出すわけない。
 女につきまとって流されたという65段の話もそう。
 
 65段で後宮で人目をはばからず女につきまとい笑われ流され、なおつきまとった在原なりけるが、69段で帝の言葉と斎宮に厚遇され、彼女と繊細な方法で意を交わし、人目しげければ会わず(夜にひっそり会う)ということはありえない。
 そして業平を主人公と見る人々は、斎宮を文面から離れて陵辱する。79段で業平が帝手つきの姪を孕ませたという外れた話すら武勇伝化する。
 それは業平賛美というより、伊勢(下級官吏の著者)への徹底した貶め・辱めが先にある。そんなやつは認められないという。いわゆる宿世。
 二条の后に近い唯一独自の詞書=証拠(古今8・445)をもつ文屋が、著者の候補としてすら完全に無視され、根拠なく貴族が羅列されることはその証拠。
 その詞書を配置したのは、そういうことが許せなかった貫之の意志。古今8・9(文屋・貫之)の「ひとまろがしもにたゝむことかたく」。
 一般(貴族)の業平認定に対し貫之は配置で対抗している。文屋・小町・敏行(秋下・恋二・物名)のみ巻先頭連続、業平は恋三で敏行により連続を崩す
 この人選と分野選定に意味を見れないのは素人。業平の歌で物語などではありえない。
 伊勢自体が業平は満足に歌を詠めないと何度も言及している。
 77段「右馬頭なりける翁、目はたがひながらよみける……とよみたるけるを、いま見ればよくもあらざり」
 101段「もとより歌のことは知らざりければ」。
 これは解釈というレベルの話ではなく、事実(記述の意味)をそのまま受け入れられるかという認識レベルの問題。
 見たいものだけ見て都合の悪い所は無視。細部も自分達の見たいように悉く歪める(業平的世界観で)。それが塗籠のような写本として結実。