平家物語 巻第九 坂落 原文

二度之懸 平家物語
巻第九
坂落
さかおとし
越中前司最期

 
 これを始めて、秩父、足利、三浦、鎌倉、野井与、横山、党には猪俣、児玉、西党、都築党、私党の兵ども総じて、源平乱れあひ、入れかへ入れかへ、名乗り替へ名乗り替へ、馬の馳せちがふ音は雷のごとし、射違ふる矢は雨の降るに異ならず。
 矢さけびの声、山を響かし、或いは薄手負ひ戦ふ者もあり、或いは手負ひを肩にひつかけ、後ろへ引き退く者もあり。或いはひつくんで、差し違へて死ぬるもあり。或いは取つて押さへて首をかくもあり、かかるるもあり。いづれひまありとも見えざりけり。
 かかりしかども、源氏大手ばかりでは、いかにも叶ふべしとも見えざりしに、七日の卯の刻に、九郎御曹司、その勢三千余騎、ひよどり越えに打ち上げ、城郭はるかに見下しておはしける所に、その勢にや驚きたりけん、牡鹿ふたつ牝鹿ひとつ、平家の城郭一の谷へぞ落ちたりける。
 兵ども大きに騒いで、「里近からん鹿だにも、我等に恐れて山深うこそ入るべきに、鹿の落ちやうこそやすからね。いかさま上の山より敵落とすにこそ」とて、騒ぐ所に、伊予国の住人、武知武者所清教進み出でて、「何者にてもあらばあれ、敵の方より出で来たらんずるものをあますべきやうなし」とて、牡鹿二つ射留めて、牝鹿をば射でぞ通しける。越中前司これを見て、「詮なき殿ばらの鹿の射やうかな。ただ今の矢一すぢでは敵十人をば防がんずるものを。罪つくりに矢だうなに」とぞ制しける。
 

 さるほどに御曹司、「馬ども少々落といてみん」とて、鞍置馬ども十匹ばかり追ひ落とさる。或いは相違なく落ちて行くもあり、或いは足打ち折り、転んで死ぬるもあり。その中に、鞍置馬三匹、越中前司が屋形の上に落ち付いて、身みぶるひしてこそ立つたりけれ。
 御曹司、「馬どもは主主が心えて落とさんずるには、損ずまじかりけるぞ。重ね落とせ、義経を手本にせよ」とて、まづ三十騎ばかり、真つ先かけて落とされければ、大勢みな続いて落としける。後陣に落とす人の鐙の鼻は、先陣の鎧甲に当たるほどなり。
 小石まじりの真砂なりければ、流れ落としに二町ばかりざつとおといて、壇なる所にひかへたり。それより下を見下ろせば、大磐石の苔むしたるが、つるべおろしに十四五丈ぞくだつたる。
 後ろへ取つて帰すべきやうもなし。また前へ落とすべしともみえざりければ、兵ども、「ここぞ最後」と申して、あきれてひかへたる所に、三浦の佐原十郎義連、進み出でて申しけるは、「三浦の方で、我等は鳥一つたてても、朝夕かやうの所をば馳せありけ。これは三浦の方の馬場よ」とて、真つ先かけて落としければ、大勢みな続いて落とす。あまりのいぶせさに、目をふさいでぞ落としける。ゑいゑい声を忍びにして、馬に力をつけて落とす。おほかた人のしわざとは見えず、ただ鬼神の所為とぞ見えたりける。
 

 落としもはてねば、鬨をどつとつくる。三千余騎が声なれども、山びここたへて十万余騎とぞ聞こえける。
 村上判官代康国が手より火を出だして、平家の屋形仮屋をみな焼き払ふ。折節風ははげしし、黒煙おしかけたり。
 平家の兵ども、もしや助かると、前の海へぞ多く馳せ入りける。汀には助け船どもいくらもありけれども、船一艘に物の具したる者ども四五百人、千人ばかりこみ乗らうに、なじかはよかるべき。汀より三町ばかり漕ぎ出でて、目の前にて大船三艘沈みにけり。その後は、「よき人をば乗するとも、雑人どもをば乗すべからず」とて、太刀長刀にてながせけり。かくする事とは知りながら、乗せじとする船に取りつきつかみつき、或いは肘うち切られ、或いは腕うち落とされて、一の谷の汀に、朱になつてぞなみ臥しける。
 

二度之懸 平家物語
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