伊勢物語 59段:東山 あらすじ・原文・現代語訳

第58段
荒れたる宿
伊勢物語
第二部
第59段
東山
第60段
花橘

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  思ひ入り 
 
  死に入り 
 
  いき出でたり 
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 この段は7-9段の冒頭を受け、京に住むことが憂鬱という思いから始まる。
 なぜかというと、男(主人公)は、家庭のための宮仕えで京に出たが、
 妻が色々あって京まで出てきて「し水(→きよみず)」で果てたから(24段・梓弓)。
 それがこの段で生死が強調される理由。そして、清水があるのは東山である。
 
 ~
 

 むかし、男が京をどう思ったか、東山に住もうと思い、
 「住みわびて、今は山里 隠れやど」と詠んで、思い煩い(重く患い)、
 

 もういっそ隠れて死にたいと、死に体になったが(死に入りければ)。
 (このままでは、死んでも死にきれんと、気をとりなおし)
 

 死に体の自分に自ら死に水とって何とか気づき、
 いざ死に地を求めていかんと言って、
 

 わが上に 露ぞ置くなる天の河 門渡る船の かいのしづくか

 →その心は、露ぞ置かずで雫もないし櫂もない。
 

 出でたんとするのに甲斐もないとはこれいかに。イカンねえ。
 これがあの出落ちというやつや、といって、いき出でたりける。
 

 イカンと言いつつ行くというのは、これいかに。なんてね。
 つまりこの段は、露と消えたあの子を偲びに行くための話。今度は自分から、近くに行こうとした。
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第59段 東山 (類従本は最終段に挿入。末尾は125段の歌)
   
 むかし、男、  むかし、おとこ、  昔男。
  京をいかゞ思ひけむ。 京をいかゞおもひけむ、 みやこをいかゞ思ひけん。
  東山に住まむと思ひ入りて、 ひむがし山にすまむとおもひいりて、 ひんがし山にすまんとおもひ。いきて。
       

107
 住わびぬ
 今はかぎりと山里に
 すみわびぬ
 いまはかぎりと山ざとに
 住わひぬ
 今はかきりの山里に
  身をかくすべき
  宿をもとめてむ
  身をかくすべき
  やどもとめてむ
  身をかくすへき
  宿もとめてん
       
  かくて、 かくて、 なんどよみをりけるに。
  ものいたく病みて、死に入りければ、 物いたくやみて、しにいりたりければ、 物いたうやみてしに入たりければ。
  おもてに水そゝぎなどして おもてに水そゝぎなどして、 おもてに水そゝぎなどし・(ければ一本)
  いき出でて、 いきいでゝ、 いきいでて。
       

108
 わが上に
 露ぞ置くなる天の河
 わがうへに
 つゆぞをくなるあまのかは
 我うへに
 露そをくなる天の河
  門渡る船の
  かいのしづくか
  とわたるふねの
  かいのしづくか
  とわたる舟の
  かひのしつくか(よみ人しらす古今)
       
  となむいひて、いき出でたりける。 となむいひて、いきいでたりける。 といひてぞいき出たりける。
      まことにかぎりになりける時。
       
     つゐに行
 道とかねはて聞しかと
      昨日けふとは
  思はさりしを
       
      とてなむたえいりにけり
   

現代語訳

 
 

思ひ入り

 

むかし、男、
京をいかゞ思ひけむ。東山に住まむと思ひ入りて、
 
住わびぬ 今はかぎりと山里に
 身をかくすべき 宿をもとめてむ

 
 ※冒頭は7,8,9段にかけている。

 7段むかし、男ありけり。京にありわびて東にいきけるに

 8段むかし、男ありけり。京や住み憂かりけむ、あづまのかたにゆきて

 9段むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ。あづまの方に住むべき国もとめに
 

 つまり本段冒頭の「いかが思ひけむ」とは憂鬱のことで(24段・梓弓。京に出てきた目的が失われたこと)、
 「東山」をこの時の東にかけている(前回の東は三河。なので三段構成、九段も三分割)。
 8・9段の「あずま」は吾妻とかけて、つまり妻のため(万葉では「吾妻乃國」の訓読が「東の国」万葉集09/1807)。
 
 
むかし男
 むかし男が
 

京をいかゞ思ひけむ
 京をどのように思ったか
 

東山に住まむと思ひ入りて
 東山に住もうと思い
 

 おもいいり【思ひ入り】
 :深く思い込むこと。
 ここでは「死に入り」とかけた言葉。
 

 東山
 :京都盆地の東側にある山、またはその山麓の地域。
 
 

住わびぬ
 住み辛く
 (7段:京にありわびて、と符合)
 

 わび【侘び】
 :気がめいること。気落ち。
 

今はかぎりと山里に
 今はこれまでと 山里に
 

身をかくすべき
 身を隠す
 (直後の死に入りとかけ死の暗示。お隠れになるの用法)
 

宿をもとめてむ
 宿を求めてと
 
 

死に入り

 

かくて、ものいたく病みて、死に入りければ、
おもてに水そゝぎなどしていき出でて、

 
 
かくてものいたく病みて
 このようにして、とても思い煩って
 
 「病み」は、思い煩うのわずらうを、患うにかけている。
 もの思いの病。つまりウツ。
 似たような概念が「もの病」(45段
 

死に入りければ
 死に体になったところ、
 (その心は、あかん、もうしにたい。なぜなら、24段参照)
 

 死に体
 :立ち直れない状態。支持基盤を失って倒れそうな状態。
 
 これは直前の「思い入り」とかけている。文脈からも死んでいない。言葉遊び。
 また、40段での「絶え入り」とかけている。
 そしてこの時も「辛うじていき出てたりける」とあるので、確実に符合を意図している表現。
 

おもてに水そゝぎなどして
 面(口)に水注ぎなどをして
 

 死に水
 :死者の口を水で濡らすこと。死者の蘇生・往生を願う儀式。
 これは、梓弓の「し水」とかけて、間違いない解釈。
 つまりそのことが原因であることも間違いない。
 

いき出でて
 辛うじて息を吹き返し
 (上述のように40段の「辛うじて」を確実に補う)
 
 

いき出でたり

 

わが上に 露ぞ置くなる天の河
 門渡る船の かいのしづくか
 
となむいひて、いき出でたりける。

 
 
わが上に
 私の身の上に
 

露ぞ置くなる天の河
 露も置くようで置かない 天の川
 

 =わずかの水

 露ぞ=全然~ないという否定
 

門渡る船の
 私の船の
 

 とわたる 【門渡る】
 :川や海峡を渡る。
 

かいのしづくか
 櫂の雫か
 (甲斐もねえ。露は完全否定なので、雫どころかカイもねえ。
 つまりオールはなくて、オートマチックに彼岸=対岸≒東山に、てくてく歩いて向かうのよ)
 

となむいひて
 と言って
 

いき出でたりける
 死に地を求めて出て行ったのであった。
 (死に水と対比させて。もちろん冗談だが、ある意味本気。しかし塗籠のようにマジに捉えるのはナンセンス)
 

 「いき出で」は、40段では、「絶え入り」と対比させ、死なずに帰ってきた(女を追って失踪して)という文脈だったが、
 ここでは、著者はそこでヘタレ帰った男をネタにして「今の翁まさにしなむや」としたのだから、
 いや自分は断固として後を追う、そういう気ガイを見せている。
 (え、カイはないのでは…? いやこっちは「ガイ」=guy やねん)
 

 ただし、女を追いかけることは、完全に男の本分にもとるので実際にはしない(ナイの門渡り)。という悲しい話のような笑い話。
 でも悲しいのは本当。泣けばどっちでも一緒やねん。
 
 男は泣かん。自分のおかしさを笑って悲しんでいるだけ。