徒然草194段 達人の人を見る眼:原文

くらき人 徒然草
第五部
194段
達人
ある人久我縄手

 
 達人の、人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず。
 

 例へば、ある人の、世に虚言を構へ出だして、人を謀る事あらんに、素直に、まことと思ひて、言ふままに謀らるる人あり。
余りに深く信を起こして、なほ煩はしく、虚言を心得添ふる人あり。
また、何としも思はで、心をつけぬ人あり。
また、いささかおぼつかなく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあらで、案じゐたる人あり。
また、まことしくは覚えねども、人の言ふ事なれば、さもあらんと止みぬる人もあり。
また、さまざまに推し、心得たるよしして、賢げにうちうなづき、ほほ笑みてゐたれど、つやつや知らぬ人あり。
また、推し出だして、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤りもこそあれと怪しむ人あり。
また、「異なるやうもなかりけり」と、手を打ちて笑ふ人あり。
また、心得たれども、知れりとも言はず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じあうにて過ぐる人あり。
また、虚言の本意を、初めより心得て、少しもあざむかず、構へ出だしたる人と同じ心になりて、力を合はする人あり。
 

 愚者の中の戯れだに、知りたる人の前にては、このさまざまの得たる所、詞にても、顔にても、隠れなく知られぬべし。
まして、明らかならん人の、惑へる我等の姿を見んこと、掌の上の物を見んがごとし。
但し、かやうの推し測りにて、仏法までをなずらへ言ふめきにはあらず。