枕草子276段 うれしきもの

大蔵卿 枕草子
下巻中
276段
うれしきもの
御前にて

(旧)大系:276段
新大系:257段、新編全集:258段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後は最も索引性に優れ三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:254段
 


 
 うれしきもの。まだ見ぬ物語の一を見て、いみじうゆかしとのみ思ふが残り見出でたる。さて、心劣りするやうもありかし。
 

 人の破り捨てたる文を継ぎて見るに、同じ続きをあまたくだり見続けたる。いかならむと思ふ夢を見て、恐ろしと胸つぶるるに、ことにもあらず合はせなしたる、いとうれし。
 

 よき人の御前に人々あまた候ふをり、昔ありけることにもあれ、今聞こしめし、世に言ひけることにもあれ、語らせ給ふを、我に御覧じ合はせて宣はせたる、いとうれし。
 

 遠き所はさらなり、同じ都のうちながらも隔たりて、身にやむごとなく思ふ人のなやむを聞きて、いかにいかにと、おぼつかなきことを嘆くに、おこたりたる由、消息聞くも、いとうれし。
 

 思ふ人の人にほめられ、やむごとなき人などの、くちをしからぬ者におぼし宣ふ。もののをり、もしは、人と言ひかはしたる歌の聞こえて、打聞などに書き入れらるる。みづからの上にはまだ知らぬことなれど、なほ思ひやるよ。
 

 いたううち解けぬ人の言ひたる古き言の、知らぬを聞きいでたるもうれし。のちに物の中などにて見出でたるは、ただをかしう、これにこそありけれと、かの言ひたりし人ぞをかしき。
 

 みちのくに紙、ただのも、よき得たる。はづかしき人の、歌の本末問ひたるに、ふとおぼえたる、我ながらうれし。常におぼえたることも、また人の問ふに、清う忘れてやみぬるをりぞ多かる。とみにて求むるもの見出でたる。
 

 物合、なにくれといどむことに勝ちたる、いかでかうれしからざらむ。また、我はなど思ひてしたり顔なる人はかり得たる。女どちよりも、男はまさりてうれし。これが答は必ずせむと思ふらむと、常に心づかひせらるるもをかしきに、いとつれなく、なにとも思ひたらぬさまにてたゆめ過ぐすも、またをかし。にくき者のあしきめ見るも、罪や得らむと思ひながら、またうれし。
 

 ものの折に衣打たせてやりて、いかならむと思ふに、きよらにて得たる。刺櫛すらせたるに、をかしげなるもまたうれし。またも多かるものを。
 

 日ごろ、月ごろ、しるきことありて、なやみわたるが、おこたりぬるもうれし。思ふ人の上は、我が身よりもまさりてうれし。
 

 御前に人々所もなくゐたるに、今のぼりたるは、少し遠き柱もとなどにゐたるを、とく御覧じつけて、「こち」と仰せらるれば、道あけて、いと近う召し入れられたるこそうれしけれ。
 
 

大蔵卿 枕草子
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うれしきもの
御前にて